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続・ネガティブな出来事を、覚醒へのチャンスに利用する

コロナウイルスの感染拡大によって世界が騒然としています。しかしこれは、まだ序章に過ぎません。この騒動をきっかけにして、世の中の大規模な建て直しが、これから徐々に進んで行くのです。しかし、同じ場所に、新しい建物を建てるには、その前に旧い建物を壊さなければなりません。

 

親しい人たちには、近々「バルブの崩壊」がやって来るよ、と言って来ました。キーを打ち間違えたのではなく、本当に「バルブの崩壊」。バブルというのは、生ビールをジョッキに注いだときに浮かぶ泡の部分でしょ。そこが吹き飛ぶ、というのが「バブルの崩壊」。今回は、その程度の話では済まない。生ビールを供給していたタンクの「バルブ」がクラッシュする。早い話が、バブルの大元である金融システムそのものが崩壊するということです。『熟れすぎた果実』2019/10/22

 

その崩壊の影響はコロナ騒動の比ではなく、今日ただいまの市民生活を直撃します。経済活動が回らなくなってしまうので、連鎖的な企業倒産が起こり、失業する人たちも膨大な数に及ぶでしょう。そこで、緊急的にどうするか、当面どう凌ぐか、という問題とともに、旧来の社会システムへの根本的な問いかけや、生き方の見直しと価値観の大転換、そして新しい社会システムの構築に向けて、模索が一気に進むことでしょう。『崩壊へ向かう世界、その中にある希望』2019/09/01

 

ここで、みなさんは選択を迫られることになります。何かを守ろうとして、あくまで旧い社会システムにしがみ付く道を選ぶのか、それとも、こいつはいいチャンスだと思って、今までの価値観を見直し、己の生き方をすっかり変えてしまうのかどうかです。世の中がひっくり返ることや、自分の生き方をひっくり返すことは、一面においては恐怖です。でも、ドキドキとウキウキはスイッチできる。意識を変えさえすれば、未曾有の大変化にも、大いなる希望を見い出すことは可能なのです。

 

恐怖が、何から生じるか分かりますか? 「執着」ですよ。いま持っているものを失いたくないという執着が、恐怖を生じさせるのです。財産を失いたくない、家を失いたくない、家族を失いたくない、恋人を失いたくない、ペットを失いたくない、仕事を失いたくない、地位を失いたくない、名声を失いたくない、美貌を失いたくない、健康を失いたくない、命を失いたくない、etc.。これら、すべてが執着です。ですから、一切の執着を持たなければ、恐怖は消える。

 

ある方から、欲とエゴとの関係について質問をいただきました。食料の備蓄はエゴに当たるのかというものです。そのように、頭で考えて、これはセーフとかアウトとかの線引きをしないようにしてください。それもまた執着になってしまいますから。前回の記事で、トイレットペーパーの買い占めのことを書いたので、ふとそんな疑問を抱かれたのでしょう。

 

人は、物理的な世界に生きていますので、当然ながら物理的な制約を受けます。ご飯も食べればウンチも出る。食欲というものがもしもなければ、生体を維持していくことは難しくなりますし、性欲がなければ子孫も誕生しません。また意欲がなければ、仕事も、創造活動も、人助けも出来なくなってしまうことでしょう。釈迦だって、イエスだって、人々を救いたいという大欲を抱いたのです。ですから「欲」そのものが悪いわけではありません。

 

問題は「我欲」と「執着」です。人は、善いと言われることにしろ、悪いと言われることにしろ、「行為」にばかり目を向けてしまいがちです。ですが、大事なのは「行為」ではありません。「行為」につい目が向いてしまうのは、身体である自分が自分だと思っているからです。それを当然だと考えている。でもそうではなくて、何かを為している際の「意識」のあり方が問題なのです。

 

お米を向こう3カ月分くらい備蓄しておくとしましょう。その際に、どういう「意識」でそのような行動をしたのか。そこに「我欲」と「執着」はなかったかどうか。今日のおやつに、好物のチョコレートケーキを食べたとしましょう。そこに「我欲」と「執着」はなかったかどうか。「ああ、楽しく美味しくいただきました。ありがとう」と言って、チャンチャンでおしまいにしてしまえば、「執着」は起こらない。

 

そのようにして、あなたが為す一切の行為について、何も「執着」を持たなければ、失う恐怖というものがそもそもないので、苦しみもなくなり、いつもハッピーでいられるのです。ですから、「今ここを生きる(Be here now)」なのです。要は、この世のすべては「うたかた(泡沫)」であることを知って、どんな一瞬も楽しく生きて、全部忘れてしまえばよいのです。

 

実に、簡単な理屈です。

 

でもこれが、なかなか出来ないんですよねー。「我欲」と「執着」に見られる特有の性向は、その人の過去世にまつわるカルマの発露ですし、教育や社会を通じて、「もっと我欲を出せ、もっと執着を見せろ」と、さんざん吹き込まれていますからね。そっちの方が正しい生き方だとされて来たし、「執着」を捨てる生き方なんてバッカじゃなかろうかと思われている。いや、いた。

 

だけど、この先はそうはいかないんですぞ。「執着」を捨てられない人ほど、苦しみに喘ぐようになりますからね。しかも、それだけじゃない。この世で「死」と言われる段階を迎え、身体を脱ぎ捨てて意識体だけとなった時、「執着」は次のカルマの種子になります。通常ならば、そのカルマを清算することをアジェンダ(課題)として、また来世に転生して来るわけですね。ところが、それを迎え入れる器(身体)も、場所ももうないのですぞ!

 

なぜなら、地球自体がアセンションしてしまうから。アセンション後の地球には、アセンションした「魂」しか住めなくなるから。未だ幼稚園レベルの「魂」というのでは、小学校には入れて貰えない。入学拒否に会うんですぞ。脅しているわけじゃないけど、入学拒否をされた魂は、行き場を失って、浮浪児のように霊界の裏通りをうろつくしかなくなるんですぞ。何万年、何十万年とね。

 

だから、何がなんでも、このチャンスをものにしなさい! アセンションを成し遂げなさい!

 

えっ、自分は裏通りの方が好きだって? 盛り場もあるし‥‥って。

あなたねぇ、もう。

そういう人は勝手にしなさい!

 

でも、あなたはそうじゃないよね。

残りの人生をかけて、死に物狂いで取り組みなさい。

なあに、死に物狂いと言ったって、ただ「執着」を捨てればいいだけなんだから。そうすりゃ自動的にアセンションしてしまうんだから。

 

何も、いちどきにぜーんぶ捨てられなくてもいいんですよ。引越しで家を空っぽにするまでには何日も掛かるでしょう。前に上げた代表的な執着品のリスト。中には、私にはそれはないなとか、他者の執着している様子を見て、自分にはそれがどういう感覚かよく分からない、というものだってあるでしょう。その感覚を、自分が執着している対象にも拡張して行けばいいんですよ。

 

例えば、名声に対する執着はない、でもお金に対する執着はある、としましょう。名声なんてものには興味はないのに、どうしてお金には執着心があるのか。その違いはどこから生じているだろうのか? と見つめ続けてみればいい。そうすれば、だんだんと執着心は薄まっていきます。なぜか? お金というものに埋没していた状態に、観照者の視点が入ることで、貼りついた意識を剥がすことが出来るようになるからです。

 

さらに、決定打となる認識をそこに付け加えてください。これも、いつも言っている通りです。あなたの周囲に展開されている現実はみんな「幻」だということ。その「幻」の世界を、あなたは、自分を主役とするドラマを演じているのだということ。あなたにとっての重大事は、演じている際に遭遇する体験を、どのように味わい、そこからどんな「気づき」を得たか、だけなのだということを。それ以外の一切合切は、変化し、やがて形を失ってしまうものなのです。

 

古代より、多くのメッセンジャーが、みな同じことを語って来ました。実に、あの手この手を駆使してね。でも、この「真理」に目覚める人は、いつの時代もほんの僅かしかいません。それほど、エゴの誘惑と、執着のボンドが強力だということです。そこで私も、今の時代の人々なら理解できるであろう、あの手この手を駆使して説明してきたわけですが、今日は別の角度から説明を試みることにいたしましょう。

 

図1を見てください。私たちが今いる宇宙は、すべて振動するエネルギー体によって出来ています。この振動するエネルギー体は、元をたどれば、たった一つの究極の元素とでも呼べるものに還元されてしまいます。しかし、そのたった一つが、振動数を変えることによって、様々な性質に変化し、さらに同質のものが集まるという「波動の法則」によって、あるものは「生命力」に、あるものは「魂」に、そしてあるものは「物質」に顕現しているのです。

 

この、多様な振動数が集まって構成された宇宙は、大きく三つのパートに分類されます。

一つは「物質界」です。もう一つは非物質的世界で、通常は「霊界」と呼ばれています。この「物質界」と「霊界」との中間領域に、文字通り中間である「半霊半物質界」があるのです。

 

この大まかな三つの分類方法に関しては、神秘を探求する各種のグループにおいて、名前の付け方はあれこれありますが、宗教や洋の東西を問わず、ほぼ共通の認識となっています。

 

ところが、これをさらに分類した際には、細かな違いがいろいろと出て来ます。名称や定義づけもバラバラですし、特定宗教を信じる信者は、その宗教の教義を鵜呑みにしますので、もうしっちゃかめっちゃかの状態。結果として、人々の理解がちっとも進まないという状態が続いているのです。

 

しかし、これは変ですよね。宇宙は誰にとっても一つなのですから、理解を助けるためにも、分類法は共通にした方がよいと思うのです。そこで「虹の学校」では、これを7階層に分け、スッキリした形に整理したのです。また、従来は「次元」と言っていた言葉も、数学的次元(dimension)との混同を招きやすいので、「霊性密度(spiritual density)」という言い方をなるべくしていくように改めたのです。

 

この7階層に分ける分類法も、「霊性密度」という名称も、オリジナルというわけではなく、「オクターブの法則」としてすでにあったものです。それがいちばん解りやすいと思われたので、そのモデルを拝借することにしたわけです。なぜかと言いますと、人体上にある7つのチャクラと宇宙との関係が明瞭に説明できる上に、「アセンション」が、第3霊性密度から第5霊性密度への飛躍であるという意味も、容易に理解できるようになるからです。

 

さて、私たちは地球という物質界にいて、なんとかして宇宙の全体像や仕組みを知りたいと思い、あの手この手の模索を繰り返しています。しかし、「非物質界(霊界)」を見たり、観測したりすることは、通常の方法では出来ないのです。(いわゆる「見えない世界」)ところが、「半霊半物質界」には、半分は物質化をしていますので、この領域には、霊的性質が時折り顔を覗かせることがあるのです。みなさんがよく知っている存在に幽霊があります。

 

この中間領域(第4霊性密度)を知覚する能力に秀でた人がいて、この人たちは霊能者と呼ばれます。ところが、霊能者の大半は、第4霊性密度でキャッチした情報を、神からの言葉として下ろしているのです。それは悪意からではなくて、霊能者自身が本当にそうだと信じているのです。しかし、この人たちは第5霊性密度以上の、本当の霊界にはアクセス出来ないのです。なぜかは、もうお分かりですね。

 

エゴの執着を捨て切れば、何の努力もなしに、自動的に第5霊性密度へジャンプする。ところが、霊能者の大半はむしろエゴまみれで、霊能を付加価値にして高い見料をふんだくるというありさまですから、ジャンプなど出来る訳がありません。でも、一般の方々には、第4霊性密度と第5霊性密度以上の世界の区別がつきませんから、不思議世界の話などをされると、「そうかぁ」と思って、その領域に簡単にハマり込んでしまうのです。

 

エゴと、宗教と、オカルトを信じている限り、アセンションは不可能という理由はそこです。アセンションするということは、エゴ(第3霊性密度)の世界を捨てて、宗教とオカルト(第4霊性密度)の世界に落ち込まず、その領域を跳び越して、さらに向こう側へ行くということなのですから‥‥。地上に身体を有したまま、意識だけは第5霊性密度へと上げるのです。それがアセンション。

 

そんなことが自分にも可能なのか? 可能です。いま言ったばかりじゃありませんか。身体を含めた物質界はみな「幻」なんですよ。だとしたら「意識」しか残らないじゃありませんか。その「意識」を、第5霊性密度へジャンプさせればいいのです。ただ、それだけ。ところが、みなさんは、毎日そうしたいと願いながら、毎日それに失敗している。それはなぜかと言うと、地上から宇宙を眺めるというクセが、どうしても抜け切れないからなのです。(図1)

 

霊的世界はこうだとか、宇宙の階層構造はこうなっているとか、真理の法則はこうなんだという話をなんど聞いても、その瞬間は「解った!」と思ったのに、数時間もするとまた元に戻ってしまう。それは、肉体を持った自分が自分で、現実という世界がここにあって、時間がある、という地上の論理に、すぐさま絡め取られてしまうからです。「地上から宇宙を見る」というクセが、どうしても抜けない。あなただけではなく、哲学者も、科学者も、宗教家も。

 

ですから、地上の世界にいて、宇宙を覗こうとするこのクセを、あなたは止めなければなりません。ここが重要なポイントです。あなたがアセンション出来るかどうかの分かれ目です。地上に軸足を置いて宇宙を見るのではなく、逆に、宇宙から地球や人間や自分自身を見るのです。そうすれば、過去にお伝えして来た様々なことがらも、これからお伝えすることになるであろうことも、すべてをすっかり理解することが出来ます。ユーレカ!(eureka)と。

 

図2を見てください。

「物質界」というのは、宇宙全体からみれば、局所的に存在する特殊世界でしかないのです。むしろ「非物質的世界」の方が、はるかに広大無辺なものなのです。

その広大な「非物質的世界(霊界)」に抱かれて、その中に、振動数を落とした物質的宇宙が局所的に存在しているのです。

 

*広大無辺:厳密に言えば、時空間という概念がそもそもないので、我々がイメージする「広大」とは異なります。無限の宇宙(霊的世界)の中に、有限の宇宙(物質界)があるのです。

 

ですから、いわゆる「この世」と「あの世」は、ドアを隔てて分かれているというのではありません。「あの世」という海の中に、「この世」という島がちょこっと浮いているのです。それを、みなさんは逆に考えている。この世が主で、こっちからあっちを見ようとしている。ですから、いつまで経っても「真理」を掴めないし、オカルト現象を畏怖したり、逆にありがたがる性癖が抜けないのです。

 

でも、視点を真逆にすれば、不思議などどこにもない、ということも解るし、そんなものに興味もなくなってしまうのです。すべては一者ということが解るからです。同時に、生命も、存在も、愛も、法則も、全部は同じものの違う表現であるということが解る。ただ頭で解るというのではなくて、魂が完全に同化して、まったくその通りだということが全身で解る。

 

だから、あなたもそうお成りなさい。

 

その時に、みなさんは知ることになります。地球という惑星に暮らすあなた方の、生命や、存在や、愛や、健康や、法則や、善や、自由や、正義や、神に関する定義が、いかに狭く偏見に満ちたものなのか。「物質界」という限定された世界でしかものを考えられないから、それらの定義も、みな限定されたものになっているのです。そして、その偏見を真実だと思い込んでいる。

 

ではどうすれば、頭ではなく、「魂」で、全身の感覚で、それが解るようになるのでしょう? それには、静寂に身を置いて、ご自分の内をひたすら見つめることです。瞑想をしなさい。内観を徹底してごらんなさい。よい喩えが見つからないのですが、油揚げの皮を裏返しに包んだ稲荷ずしを見たことはありませんか。ちょうどあれのように、自分の内を深く深く見つめていると、それがクルッとひっくり返って大宇宙になってしまうのです。

 

ヘルメスの「下は上のごとく、上は下のごとし」とはこれのこと。

あなたの内側に大宇宙があるのです。「大宇宙(macrocosm)」と「小宇宙=人体(microcosm)」は、相似形を為しているのです。

 

物質界に生きている限り、人は物理的な制約を受けます。それを無視しろ、と言っているわけではありません。むしろ、物質界を生きるための乗り物である身体を、もっといたわりなさいと今までも言って来ました。ですから、この機会に、身体をいたわることをさらに学習してください。

 

乗り物をぞんざいに扱っていては、クリエイティブな体験は出来ませんし、内観もうまくできません。ですから、そこはちゃんとケアした上で、意識の世界を探求してください。では、次回の『PEACE DOME』でご一緒しましょう。

ネガティブな出来事を、覚醒へのチャンスに利用する

スーパーの棚にトイレットペーパーが無いのだそうです。1973年に起きたオイルショックの際にも首都圏のスーパーからトイレットペーパーが消え、この時の映像は、当時を物語る資料として今もしばしば取り上げられています。その当時と同じことが、47年後のこの令和の時代にも起きるとは、いやはや。

 

当時、私は田舎に住んでおりましたが、この時にはニュースの意味がまったく解りませんでした。「都会の人というのは、随分とおかしな行動をするものだなぁ?」と思っていました。オイルと言えば石油のことでしょう? それが高騰するかも知れないとなると、どうしてトイレットペーパーの買い溜めに走ることになるのか? まるで落語の「風が吹けば桶屋が儲かる」式の話にしか思えませんでした。

 

ま、今はその心理というものも判るようになったのですが、今回、我れ先にと買い溜めに走った方々に言いたいです。「自分のお尻さえ拭ければそれでいいのか!」と。足が悪くておいそれとはスーパーに行けない人もいるだろうし、寝たきりで誰かの世話にならなければ生きていけないという人だっているでしょうに。お知り合いにいません? そういう人のお尻事情のことは、まったく頭をよぎらなかったのかと。

 

いつもは無造作に、カラカラとペーパーホルダーから3回引き出していたところを、この際、意識して1回分に節約し未知の領域にチャレンジしてみるとか、そうして節約できた分を、他の人に分けてあげるということが、なぜ出来ないのか。47年経っても、人間はちっとも進化向上していない。これじゃあ、地球人類のアセンションなど、夢のまた夢だね。

 

あなた方は、二段階の覚醒を経なければなりません。一つめは、ご自分の外界に展開している景色からです。二つめは、あなた自身の固着した意識からです。一つめの景色は、原始人時代とは違い、今の人間は、殆どが何らかの「社会システム」を通過した後の景色を見るようになっています。これがあまりにも当たり前過ぎて、そのことにもはや誰も疑問を抱きません。よって、ここからの覚醒は、非常に難しいものになっています。

 

二つめの固着した意識とは、簡単に言えば「信念」です。「信念」は、その人が暮らす「社会システム」と、その人の「性質(サムスカーラ:過去世から続く傾向)」が合わさって生じます。この「信念」こそが、あなた方の「悩み」を生み出し、さらにはカルマをも生じさせる根本原因となっているのですが、人々はそんなことを知りませんし、逆に「信念」固い人が尊ばれ、「信念」を持てとさえ言われているのです。

 

ですから、この二重に覆い被さった「マーヤ(幻影)」からの覚醒は、現代では至難の技です。しかし、これまで説明して来たように、外界に映る世界というものが、自分の意識の投影なのだということ。つまり全ては「マヤ化し」であることをを理解し、自分の意識を変えれば、世界も変わって見えるというだけでなく、違った世界をも創造できるということに気づけば、そこに脱出への糸口が開かれるのです。

 

この「自由への脱出」を、わずか20分ほどで完了してしまった聖者もいると聞きます。確かに、それは不可能ではありません。「真我(アートマン)」は、その人が元々持っているものですから、マーヤを全て捨てて、ストンとその中に落ちれば、直ちにアセンションしてしまうことになります。しかし、あの釈迦ですら「六年麻麦の行」を経て次に進んだのですから、焦らずに、しかし熱心に、倦まず弛まず歩む以外にはないのです。

 

前回お伝えした情報(削除しました)は、この世界が、この世界を支配したいと願う一部の「魂」によって、意図的に計画され操作されている、ということを取り敢えずは知っていただきたいと思ってのことでした。でもそれは、全部が「マーヤ」なのです。

 

実に、ここが肝心なところ。これを間違ってはなりません。今まで、闇の世界のことや、オカルトや、超常現象などについて、あまり言及して来なかったのは、そこにしか興味のない人というのがいるためです。そういう人たちにリーチしてしまうことは避けたい。それでは、本末転倒になってしまいますからね。

 

しかし、このわずか数年で時代状況が大きく変わりました。闇の世界のことを知る人が爆発的に増えたのです。それはそれで、一つの必然ですし、そういう語り部が登場することも、その人たちの役割があってのことです。さてそこで、ただ闇を暴露するということではなく、ましてや未来に怯えるということではなくて、これを活用していただきたいのです。

 

あなたは、あなたの周囲に展開される出来事(それは、あなたが創るマーヤなのですが)を、ご自分のために活用できるのです。そしてまた、そうすることが、あなたがこの世で生きて、様々な体験をすることの真の目的であり、価値ある生き方なのです。

 

今なぜ、闇が明るみに出る事態が、加速度的に進行しているのか。これには理由があります。以前にも書きましたが、地球がアセンションする時期を迎え、宇宙から注がれるエネルギーが非常に強くなっているためです。曇り空の時には、影はぼんやりしているでしょう。でも強い日光が当たった時には、影の輪郭がハッキリ見えるし、光が廻り込むので、隠れていたものも見えるようになるのです。それと同じです。

 

隠れていたもの、隠されていたものが、強い光が当たることによって、露わになるのです。異常気象や天災が多発していることも同じ理由です。人間の行いの蓄積によって、ダメージを受けた地球が、そのダメージを放出して揺り戻しを図っているのです。これは個人においても同じ。他者を騙したり、あげつらったり、罵ったりする場面が急増しているのは、その人間の隠れていた本性(魂の性質)が、剥き出しにされているのです。

 

しかし、だからと言って、そういう人たちを糾弾してはなりません。宇宙のすべては、「波動の法則」によって動いています。人間の本性は、時に信じられないほどの残酷さを見せることがあります。でも、その人間を糾弾した場合、糾弾した人は、即座に相手と同じレベルの波動に落ちるのです。相手と波長が合うからこそ、「糾弾したい」という気持ちが沸いて来るのです。そのことをみんな知らないで、避難の応酬合戦をしています。

 

知識人と言われる人とて例外ではありません。むしろ、知識も教養もある人の方が、自分の「信念」を声高に主張し、自分とは異質な者に対する闘いを挑みます。しかし、ここで気がついていただきたいのです。そのようにして、「信念」の応酬を個人間で行ったものがケンカ、組織間で行ったものが闘争、国家間や民族間、宗教間でおこなったものが戦争、だという単純な原理にです。それらはみな相似形を為しているのです。

 

ではその根底にあるものとは何でしょう? 自己と他者との分離意識です。俺とあいつとは違う。あるいは、俺らとあいつらとは違う。そのような思いから出発して、仲間意識と敵対意識の両方の「信念」を、各人が自分の中に育て上げるのです。およそあらゆる戦争が、「防衛」と「正義」が口実になって始まっている、という事実に注目してください。そして、それは今も変わりません。

 

儲け話に心を動かされる人がいるから、詐欺師に騙されるのとまったく同じで、ヘイト意識を刺激されるから、戦争屋の策略にハメられるのです。もういい加減、人類はこの単純な原理に気づくべきです。今やっと、そのチャンスが訪れたのです。あなた方は見抜かねばなりません。この世の今の「社会システム」そのものが、壮大なる詐欺システムであり、人類を覆い尽くす大茶番劇であることに。

 

強い光が射し込むようになったことで、今までは気づくことのなかった、表の「社会システム」の裏側が、どんどん炙り出されるようになって来ました。投資家、グローバル企業、マスコミ、政府、政治家、官僚、警察、検察、裁判所、医療システム、教育システム、そして国連をはじめとする国際機関すらも、全部が裏を牛耳る者によって操られています。彼らは、自分が操られているとは少しも思わないまま、一般人を操っているのです。

 

その裏社会を牛耳っている者たちの奥には影の者たちがいる。そして、影の者たちを、さらにその奥にいる闇グループが支配しているのです。こうして、闇→影→裏→表という順番で、支配のヒエラルキーが出来上がっている。しかしここで、その詳細を追いかけることは致しません。追及しようとしたところで、所詮は分からないことですし、そんなことに興味を持ったら、直ぐにその波動にハマってしまいますからね。

 

それよりも、なぜそんなことが可能なのかを考えてみてください。あなたは、カラ領収書を書いてもらったり、カラ出張をしたりした経験がないでしょうか? 私はあります、何度も。勤め人をしていた時代に、上司からやり方を手ほどきされました。このようなちょっとした不正、ちょっとした嘘、ちょっとしたチョロまかしは誰もが経験している。そういう心を刺激して、束ねれば、闇→影→裏→表までの一直線の支配が可能になるのです。

 

ここで考えていただきたいのは、人類削減計画のような恐ろしい企て、人類家畜化計画のような非道な謀略を考える闇の人たちが、信じられないほど残虐な人間なのかということです。そうではありません。残虐・非道なことを実行するのは、末端にいるごくフツーの人間なのです。闇の人間たちは、豪勢な邸宅に住んで、まるでチェスの駒のように、それを見て動かしているだけなのです。

 

ここに、重要な秘密と、この支配の構図からの脱却へのヒントが隠れています。今の「社会システム」を、制度だけで変えようとしてもうまくはいきません。それは、人々の心のあり方、もっと言えば意識の成長度合いの問題だからです。地球人類の意識が成長しなければ、覚醒への一つめの課題である、この奴隷的「社会システム」からの脱却は出来ません。しかし逆に、もし意識がジャンプすれば、「社会システム」が一挙に変わる可能性も秘めているのです。

 

みなさんは、闇のグループが、どうしてそんな狂人的計画(見方によってはマンガチックですらある)を何百年にも渡って代々遂行し続けているのか、ときっと疑問に思うことでしょう。単に「お金のため」というのではないことくらいは誰だって分かる。しかし、この常軌を逸した執念は何なのか、と不思議に思われるでしょう。ある人は、「彼らは悪魔教を崇拝している」と言い、合理的理由づけをしようとしています。しかしこれは、ちょっと違う。

 

悪魔教というのは、キリスト教的な二元論に立った見方です。「善」の立場から見ると、彼らは悪魔を崇拝している「悪」なのだと。でも、最近のコピー用紙はどっちが表か裏か判らないじゃないですか。とりあえず最初に刷った面の反対側が裏になる。それとおなじことで、彼らは彼らなりの正義感と信仰を持っているのです。そして、強い「信念」の下に、彼らが描く理想社会を実現したいと考えているのです。

 

みなさんは、闇のグループが、なぜ「イルミナティ(Illuminati)」と呼ばれているのかご存知でしょうか? イルミナティとは、〈“Illumination” を受け取るに値する人〉の意味です。つまり、光り輝く段階に達した人のことを言っているのです。これは、もともと白色系の神秘主義の秘密結社にあった段位で、闇グループの名称は、この段位をそのまま模しているのです。つまりは、黒色系のイルミナティというわけです。

 

闇グループは、その中心的組織の形成段階において、白色系神秘主義の一部を中に取り込んで、白を黒に変えてしまったんですね。その意味で、両者は非常に似通っており、ただ進むべきルートが違うというだけ、とも言えるのです。ここを理解しないと、この壮大なる不思議が解けない。

 

糾弾していると誤解していただきたくはないのですが、悪魔を創り、育てたのはキリスト教なのです。なぜか? 自分たちを「善」だと言うためには、反対側に「悪」が必要になる。「悪」がもし無ければ、「善」は成立し得ないのです。まさしく「闇」と「光」の関係です。両者とも、それは単なる「概念」に過ぎないのですが、「善」を標榜する者は、必ず反対側に「悪」の存在を必要とするのです。

 

これが、組織宗教というものが共通して抱え続けて来た、そして今日も抱え続けている不毛の論理であり、地球人類のカルマなのです。自分たちが信じる神、信じる経典、信じる教義のみが正しく「善」であると言う。すると、それ以外は全部「悪」なのだということになってしまいます。そこで、宗教間の非難応酬合戦が絶えず繰り返され、エスカレートしたした際には、本当の戦争へと突き進んでしまうのです。過去の歴史は全部そうです。

 

ですから、人類はここを乗り越えなくてはなりません。不毛の論理を超越しなければならないのです。そういう段階に、人類が至ったということです。魚座の時代(宗教対立の時代)は終わり、水瓶座の時代(真理が流れ込む時代)に既に入ったのです。世界大戦がもう一度必要でしょうか? 同じことの繰り返しは、もうここでスッパリと断ち切りましょう。そして次の次元へと進みましょう。

 

そのためには、全体の構造をよく理解することが大切です。「善」が「悪」を駆逐するという論理は不毛です。どこまで行っても切りがなく、カルマの繰り返しでしかありません。「正義」をかざせば、反対に「不正義」(と見なすもの)を、自分で自分の中に育ててしまうのです。この理屈を理解しなさい。解りますか? すべては「意識」の世界なのですよ。外側に顕現するものは、全てあなたの「意識」の投影なのです。

 

「理想」というものを、あなたはお持ちですか? あなたが想い描く「理想社会」とはどんなものでしょう? 人間は、霊的学習の途上にある存在です。「魂」が、自己愛と他者愛の二極性を実地体験学習するために、身体という衣を纏って、この地上世界に降りたのです。ですから身体は、地上という物理的世界を生きるための、それは単なる乗り物、借り物に過ぎないのです。ここを先ず理解してください。

 

霊性密度の第三から第五までが、愛の二極性を体験する段階です。この領域の中で、両方の体験を味わい尽くして、第三→第四→第五へと霊性が向上して行くのです。

 

自己愛それ自体は、愛の本質でもあり、肯定されるべきものですが、本質からずれるとエゴに傾きやすいという性質を持っています。一方の他者愛は、一見するとよいことのように思えて、偽善や形を変えた支配に陥りやすいのです。わが子に対する親の愛情や、好きな異性に対する愛情は、本人はそれを「愛」だと思っているのですが、実は支配欲求の発露という場合が少なくありません。結局、それもエゴの変形なのです。

 

このようにして、自己愛と他者愛の両方を行ったり来たりしながら、みなさんは心の揺れ動きを体験し、悩んだり傷ついたりしながら、本当の「愛」とは何かを少しずつ学習して行くのです。

 

しかし、その行ったり来たりは、ある見方からすれば非常に中途半端に映ります。そこで、いっそのこと自己愛に徹してしまった方がよいと思う「魂」が、必ず出現して来ます。そういう「魂」は、ある意味で、一つの道を極めようとする「求道者」なのです。地球という惑星は、宇宙に置かれた監獄で、牢名主が幅を利かせる世界ですから、結果として、そのような「求道者」が世界の実権を手にしているのです。

 

しかし、ここで考えてみなければいけないのは、いつも言っている通り、もしも詐欺に引っ掛かる人が一人もいなければ、詐欺師は成り立たないということ。ですから、ほんの一握りに過ぎない闇の支配者が、世界を牛耳ることが出来ているのは、闇の支配者の支配に、大多数の人々が、それとは知らず協力しているからなのです。みんなで一致協力して、そのような世界を創り上げている。だから、みんな喜んで、自ら進んで奴隷になると言って来たのです。

 

支配者は、人々を「恐怖心」によって支配します。それがいちばん楽で、効果的であることがすでに解っているからです。よく注意して見れば、メディアも、金融も、政府も、企業広告も、教育も、医療も、宗教も、そして霊能者も、みんな「恐怖」ばかり煽っているということに気がつきませんか? これが、彼らの支配戦略なのです。恐怖で支配するのです。

 

しかしそれは、宇宙の理法ではありません。宇宙を司るものは一つです。その一者が、どうして自分で自分を怖がらせる必要がありましょうか。バカげています。今こそ、そこに気づいてください。一人になって、静かになってみれば、それがどれほどバカげたことか、直ぐに解る筈なのに‥‥。全世界の人間が、いとも簡単に引っ掛かって、何千年、何万年もの時を過ごして来たのです。それもこれも、無智なるがゆえです。

 

今、全世界には77億の人間がいると言われています。その77億人、全員が一人ひとりみな違う外見と個性を持っているのです。これって、凄いことだと思いませんか? さてそこで、「違い」にスポットを当てて、自己愛のみを徹底させるとしましょう。すると、自分以外の人間は全員、愛さざるべき人間ということになります。しかしこれではとても生きていけませんし、支配もできませんよね。

 

そこで人は、同質だと思われる人間と、それ以外の人間とに分ける妥協点を、どこかに見い出そうとするのです。それは、血縁、同族、出自、階級、地域、国家、言語、人種、組織、主義思想、利害関係、などであったりします。そして、そのインナーサークルに限ってだけ「愛」と思われるものを行使し、それ以外の外側にある者は排斥しようとするのです。

 

これは多かれ少なかれ、殆どの人間が持っている意識です。人類のカルマと言ってもいいでしょう。

 

闇の支配者は、その心理を巧みに突いてきます。人々を分断させ、競わせたり、嫉妬させたり、疑心暗鬼にさせたり、恐怖心を抱かせたりすることによって、全体の支配を可能にしているのです。

 

しかし、77億の人間を、まったく別の角度から見ることも出来ます。それは、全員の個性の奥に、何かしらの共通したものが、確かにあると感じる一瞬。それを、あなたも感じたことがあるはずです。旅に出た時、食事をともにした時、挨拶を笑顔で返して貰った時、音楽を聴いた時、アートに触れた時、海外ドキュメンタリーを見た時、「ああ、人はみんな一緒なんだな」と思う瞬間が、ありませんでしたか?

 

あるのは当然なんですよ。なぜって、源が一緒だから。77億の「魂」は、すべてたった一つのものから生じたのですからね。でも、「みんな一緒なんだ」というその感覚は長続きしない。あなた方は直ぐに、元の、社会が提示する分断に引き戻されてしまいます。なぜでしょうか? あなた方の中にある、「自分と他者は違う」という感覚の方が優ってしまい、せっかく湧き起こった「一つ」という感覚を、直ちに否定してしまうからです。

 

階段は、昇るよりも降りる方が楽です。恐怖心や闘争心を煽る社会は、常に低い波動を発していて、人間を、この波動に同調させるように仕向けています。その波動の大元が、霊界にある「魔」のエネルギーなのです。ですから、表→裏→影→闇の奥に、もう一段階の「魔」が存在している。それは意識の集合体で、人々が、恐怖心や闘争心に駆られれば駆られるほど、波動の法則によって同種のものが引き寄せられ、力を増すことになるのです。

 

ですから、それを悪魔教と呼べば、そう言えないこともありませんが、実体は、単に人々の意識のありようの問題だということです。従って、これをオカルティックに捉えてはなりません。オカルティックに見ること自体が、すでにその世界からの誘惑なのです。これに簡単に引っ掛かってはなりません。そこに気づきましょう。好奇心や恐怖心は、それらエネルギー体にとっての餌なのです。

 

いつも言っているように、人類の集合意識がどこへ向かうかによって、未来などいかようにも変化するのです。そして、今がその覚醒へのチャンスなのです。冒頭で、あなた方は、二段階の覚醒を経なければならないと言いました。一つめは「社会システム」の拘束からの目覚め、二つめは自分自身が創る「信念」の拘束からの目覚めです。しかし、必ずしもこの段階を経る必要はありません。

 

自分の「信念」をすっかり捨ててしまえば、自動的に「社会システム」の拘束からも自由になるのです。ですから、「社会システム」について精通する必要はありません。知識人がいて、各人がいろんな立場からいろんなことを言いますが、他人を小馬鹿にする人や、特定の主義主張に凝り固まった人の話は無視するに限ります。知識は、時に覚醒の邪魔をします。古代から言われて来たように、赤子のように、純粋無垢であった方がずっとよいのです。

 

今回は「社会システム」の闇について、構造をお話ししましたが、それを知った上で、次にはもう忘れてください。くれぐれも夢中にならないことです。夢中とは、まさに夢の中。夢の中にいたのでは目覚めることは出来ません。四次元の河にハマらないように、あなたは、ご自分の理想社会だけを胸に思い描いて、強く強く前に進んで行ってください。

 

意識のありようだけが重要なのです。もうそれしかないのです。周囲に見えるものはみな幻。それを忘れないようにして、日々を明るく、元気よく、誠実に、周囲の人々に親切を尽くし、かつ楽しんで、人生を生きてください。

 

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今月から、新しい試みをしてみたいと思います。

毎月、1日、11日、21日の3回、

21時から21時15分までの15分間、

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