by Rainbow School
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“hate”ということについて

選挙戦が今たけなわです。選挙は短期決戦ですので、何者かへの「憎悪」を前面に打ち出し、人々の心に宿る「ヘイトしたい」という気持ちに火を点けた候補者が、一時的に多くの票を集めて勝利する場合があります。しかしこのような人物や政党は、長い目で見れば、目標を達成することは出来ません。

 

すべては「波動の法則」によります。「波動の法則」というのは、現象面で見た場合には極めてシンプルなもので、同じ波長どうしは共鳴し合うというものです。これは見近にあるギターなどの楽器を奏でればすぐに解る理屈です。弦を弾くとギターが鳴るのは、胴の共鳴箱が弦の振動を増幅してくれるからです。もし共鳴箱が無かったとしたら、弦を弾いても微かな音しか聞こえません。

 

さて、この理屈が解れば、「ヘイトしたい」という気持ちを集めたグループが、長期的には決してうまくは行かないという理由も解るでしょう。「○○をぶっ壊せ」とか「○○をやっつけろ」と言っている人たちは、同種の波動を持つ人たちを集めます。当初はよいのですが、熱が冷めて互いの温度差が見え始めると、最後は集まった者どうしが互いにぶっ壊したり、やっつけ合うことになるのです。

 

何かを改革し創造するためには、確かにその前提として「破壊」が必要です。しかしそれは、次の理想実現のための、やむを得ぬプロセスとして、でなければなりません。「破壊」を目的にした「破壊」では、後には荒廃しか残らないのです。ですから、改革を叫ぶその言葉の奥に、どんな「理想」が語られているかを鋭く見抜くことが大切です。

 

狡猾で、霊性の低い権力者たちは、人々のこの「ヘイトしたい」という気持ちをしょっちゅう利用します。特定の「敵」を作っては、それへの憎悪を煽ることによって、人々の共感を我が方に引きつけようとするのです。その最悪な結果が、言わずもがなの「戦争」です。残念ながら、今もって多くの人は、特に若者は、そうした企みに簡単に引っ掛かってしまいます。

 

でも、先の太平洋戦争で犠牲になったのは、結局は誰かを考えてみてください。「鬼畜米英」と言って戦争に駆り出されて行った若者たちです。軍人軍属は230万人が亡くなったと言われていますが、そのうちの実に60パーセントは、なんと戦闘ではなく、マラリヤなどの病気や飢えで亡くなっているのです。なんてひどい話でしょう。自軍の上層部が描いた無謀な作戦によって、前途ある命を落としたのです。

 

さらには、一般民間人も内外地合わせ80万人が亡くなっています。戦争法では(そもそも、ここまではやっていいというのもおかしな話ですが)民間人への攻撃は禁止されているのに、アメリカ軍は日本の主要都市を原爆と焼夷弾によって焼き尽くし、多数の一般市民を殺戮しました。アメリカでは、この行為は、地上戦の突入によって失われる兵士の命を未然に救ったものとして正当化されています。

 

同様に日本でも、このような悲惨な結果をもたらした戦争の当時の立案者や遂行者たちの多くは、戦後になって裁かれることもなく(戦勝者が行った『極東国際軍事裁判』はありましたが、国内法では裁かれていません)、また総括や反省もなく、手のひらを返すようにして今度はアメリカに媚を売ることによって、政治や経済や学問の分野に返り咲き、再び権力の座に就いているのです。

 

よく、「現在の政治状況は、満州事変からのその後の日本にそっくりだ」などと言われます。歴史は繰り返す。「ヘイト」を焚きつけられて、その気になって、割りを食うのは、結局は若者たちなのです。小泉・竹中改革の時にも、「郵政民営化」「自民党をぶっ壊す!」という言葉に人々は熱狂しました。はて、それでどうなったでしょうか? 日本社会がぶっ壊れ、その後の若者たちは、ロスジェネ世代にされてしまったではないですか。

 

そもそも、他者を「ヘイトしたい」気持ちとは何なのでしょうか? 一体どこからそれが沸いて来るのでしょうか? これは、「承認欲求」の歪んだ形の表現なのです。人は、自分がこの世に確かに「存在している価値がある」と思えなければ、非常に生きにくいものなのです。極端な話、「価値がない」と思った時には、消滅願望まで生じてしまいます。

 

そこで、「あなたには、生きている価値があるよ」と、周囲から承認して貰いたいのです。この「承認欲求」というものは、普通であれば、コミュニティの一員として何かしらに役立っていると思うことで満足させられるのですが、現代社会に端的なように、分断され、コミュニティを失った人間には、そうした手段がないのです。

 

一方で、情報発信ツールとしてのネットメディアには、誰もが非常に簡単に参入することが出来ます。ネットメディアが無かった時代には、自己主張を発表することには大変な努力を必要としました。新聞や雑誌への投稿に当たっては、文章スキルをきちんと磨いて、さらには内容もキラリと光るものでなければ決して採用されませんでした。

 

ところが、現在のネット環境はそうではありません。検閲なしに、内容が陳腐であろうと、文章がメチャクチャであろうと、たったの一言であろうと、wwwwwであろうと、自己主張が可能な環境になったのです。この二つの要因が結びついた時に、「承認欲求」としての「ヘイト」が、歪んだ形の自己表現として一気に拡大して行きました。

 

しかしそれは、やはり「歪み」に他なりません。本人は、一生懸命自己表現をしているつもりですが、「ヘイト」する相手の褌を借りて、相撲を取っているだけです。ですからこれは、形を変えた「依存(addiction)」なのです。「ヘイト」する相手に依存してるからこそ、自分が成り立っているのです。その意味では、相手に感謝しなければなりません。

 

でも、そこが本人には分かっていないのです。「依存」することでしか、自己表現をする方法を知らない。他者の表現にはすぐに心を騒がせてコメントするけれども、自分から「私はこう思う」という主張はしない。それは、本当の自己表現ではありません。その気づきが、「ヘイト」する人たちにはまだ育っていません。

 

「オレという存在がここにいるんだぞー」と叫びたい気持ちは解ります。でも「攻撃性」という槍を投げれば、その槍はブーメランのように返って来て、結局は自分自身を傷つけます。顕在意識に沸き上がった暴発的な感情と、魂の深奥にある宇宙意識とが強く引き裂かれてしまうので、心が不安定となりイライラや苦痛がより増大してゆくのです。

 

ここで、「これじゃいかん」と気づいて引き返せば、一つの学習機会ともなるのですが、イライラや苦痛の原因が自分の性向にあると認めたくない人は、苦痛を解消しようとして、さらに「ヘイト」することにエネルギーを費やしてしまう。こうなると、その人はストーカーまがいの行為にまで及び、自分がいま何をしているのかさえ分からなくなほどの病的な様相を呈して行きます。

 

ここに、宗教的観念や、政治的観念からの「正義」のお墨付きが与えられると、「ヘイト」の気持ちが、信じがたいほどの暴走を始めます。そうやって、この集合意識が、あらゆる戦争や紛争を形づくるのです。先にも言いましたが、権力者たちは、このエネルギーを利用して若者を戦争に駆り立てます。その結果、使い捨てにされるのは、いつも若い生命なのです。

 

いったい何度同じ過ちを繰り返せば、地球人類は気がつくのでしょう。「ヘイト」の気持ちが、幸福を創造することはありません。「ヘイト」は破壊しかもたらしません。相手だけではなく、自分をも破壊してしまうのです。このような愚かな行為に、人はなぜそれほどにまで心惹かれ、夢中になるのでしょうか?

 

若者たちよ、目を覚ましなさい。自分たちが利用されているのが分からないのですか? 未来を創るのはあなたたちなんですよ。狡猾な権力者や欲ボケした老人たちの餌食になってしまって、一体どうするんですか? あなただって人から愛されたいでしょう? だったら他者を愛しなさい。それを、何が「ヘイト」ですか!

 

韓国、北朝鮮、中国憎し? 外交というものは、表に出たニュースを聞いて解るほど、そんなに単純なものではありません。はっきり言って、ニュース報道は大衆を操作するためのニセ情報です。そこには裏があり、裏の奥には影があり、さらにその奥には闇がある。そしてその闇には、地上世界を超えた魔界がつながっている。

 

この多重構造が、これまでの長い期間、人々を盲目にさせ、互いに反目をさせて来ました。表のニュースしか知らない人、裏情報を知っている人、裏の裏の影まで分かる人、その奥の闇の存在に気づいている人とでは、世の中の動向に関する理解度がまるで違う。ですから容易にはコミュニケーションが成立しません。権力者や闇の存在は、それを隠れ蓑にして、大衆を好き放題に操って来たのです。

 

しかし、いま宇宙から強い光が当たるようになって、隠されていた闇の断片がどんどん表に出て来るようになっています。でもどんなに裏を調べても、裏の構図は超複雑で、また手の届く場所でもありませんから、誰にも真実のほどは分かりません。ですから、そこを追究し過ぎて、ラビリンスに迷い込まないようにした方がよいでしょう。

 

それよりも、あなた方に、何が本物の情報かを見破るポイントをお教えして起きます。表→裏→影→闇と、人類支配の構造は多段階になるほど、見えにくくかつ複雑化して行きます。ところが、闇のさらに奥にある「魔界」にまで話が及ぶと、事が一挙に単純化してしまうのです。それを説明する前に、闇と魔界との関係を言っておかなくてはなりません。

 

「魔界」という、この言葉だけを見ると、オカルティックなものを想像するかも知れませんが(実際に闇グループと「悪魔教」と結びつけて語っている論者もおられますが)、私が言うのはそういうことではありません。闇の支配者にせよ、その他の人々にせよ、人間というものは「意識的存在」なのだということ。それが人間の本質だということです。

 

私たちが何かの「行為」をする。それは地上という物理的世界における見え方なのであって、その「行為」には、必ずそうしたいという「意識」が伴っているのです。「行為」という物理的現象は、実は幻影にすぎず、「意識」の方が本質だということです。そして「意識」というものは、無形の振動するエネルギーですから、「波動の法則」によって同種のものが引き合い、強め合うのです。

 

いま「魔界」と書きましたが、「魔界」というものがあるかと言えば、あるとも言えるし、ないとも言える。どういうことかと言いますと、それは非物質的領域における、「悪さをしたいなー」「人間どもを奴隷にしてコキ使ってやりたいなー」という思念の集合場所なのです。そこと、闇の支配者たちの意識とが繋がって協同しているのです。

 

したがって、地上にいる者たちが、こうした思念を強め合う行為を一切しなくなれば、思念の集合体の場はいずれ消えてしまいます。

 

さて、人類の支配構造は、いま述べたように、にっちもさっちも行かないほど多段階かつ複雑な様相を呈しています。ですが、その根本にまで遡ってしまえば、意外にも、原因は極めてシンプルな形に落ち着くのです。それは何かと言うと、これまでにも繰り返し語って来たように、「合一」か「分離」かというベクトルの違いだけなのです。

 

あなた方の意識が、「合一」へと向かえば、その「魂」は霊性を進化させます。けれども「分離」へと向かえば、その「魂」がする地上での体験は、負のカルマの積み増しとなるのです。これは、一者のもとから分かれて個別化した「魂」が、再び一者のもとへ還るという、旅のプロセスの、今どの辺りを学習中かという違いによります。

 

一者から分かれた「魂」は、当初は個別化した自由を大いに謳歌しようとします。その際に、個別化した「われ(=自我)」という存在を、周囲に認めさせたいという欲求を持ちます。幼い子が、自分が今している行為を「ねえ、見て見て」とよく言うじゃありませんか。あれです。しかし、これが誤って用いられますと、他人よりも自分の方がずっと優れている、他者の上に君臨したい、劣った奴らは蹴散らしたい、といった差別の感情を育てて行くのです。

 

しかしそうであっても、「魂」の深奥の部分では、依然として一者と繋がっているわけですから、内なるこの声を聞く耳のある人は、やがてそれが間違いだと気づき、生き方を修正して行くことになります。ところが、人知を超えた世界があるということを信じない人や、聞く耳を全く持たない人は、「分離」意識をどんどん増幅させて行ってしまいます。

 

このような段階にまだある「魂」は、奥深い「真理」に触れる経験が少しもありません。そのため、葛藤に悩まされることも、良心の呵責に苦しむことも、自分がした行為を反省することもないのです。

 

残念ながら、地球という惑星では、このような「魂」が権力を欲しいままにし、人々を支配下に置いて隷属させています。しかし前回にも述べましたが、これは決してそういう権力者たちだけの責任ではありません。みんなでそのような社会、そのような構造体を作り上げているのです。地球人類は、未だに小学校入学も果たしていない、と言われるゆえんです。

 

誰の心にも、ちょっとした優越感や、他者を小馬鹿にしたい気持ちや、物を独り占めしたい気持ちや、自分だけが助かりたいという気持ちや、今の地位財産を失いたくない、といった気持ちがあります。当然です。なぜなら、一者から別れ、個別化した「魂」となったのですから‥‥。ですから、そこは否定しようとしてもできません。

 

でもそこで、考えていただきたいのです。あなたはどっちへ向かうのかと。「分離」意識の増幅への道を歩むのか、それとも「合一」への進化の道を選択するのかと。これが、この地上で、あなたに与えられた「自由」です。どのような選択も、あなたの自由意志に任されているのです。そして、罪も罰もそこにはありません。

 

しかし、「分離」意識の強化への道を選択した「魂」は、その分だけ、一者への帰還が遅くなります。そして今回が、地球という惑星におけるラストチャンスなのだということに心を砕いてください。

 

なぜ地球に、不平等や、差別や、虐待や、支配があるのか?

 

それは、それとは真反対にある、究極の「愛」を知るため。

あなたとわたしは同じだという真理に気づくため。

生命はすべてが繋がっていて、永遠の連続の上に生かされているということを思い出すため。

 

だから、そのために「分離」というチャンスが用意されているのですよ。

友よ、そのラストチャンスを今度こそものにしなさい。

 

あなたの目の前に、その時々で用意された行動の選択肢を選ぶ時、それが、自分の中の「分離」意識に基づくものなのか、「合一」意識に基づくものなのかを、いつもいつも意識して自分に問い掛けなさい。外からやって来る言葉に惑わされることのないように。自分の内に入り、深奥に潜む真実の言葉に耳を傾けなさい。そうすれば、道を誤ることは決してありません。

 

このセオリーは、あなた方が霊的なメッセージを耳にする時にも当てはまります。神からの言葉と称して、不安や恐怖心を煽ったり、闘いをけしかけるメッセージを下ろす霊能者が今も後を絶ちません。ですが、それらはみな「魔界」と繋がったメッセージを「神からの言葉」と偽って下ろしているのです。

 

一者とは、宇宙のすべてを統括する存在です。「者」と表現していますが、人格的存在ではなく、どちらかと言えば「法則」と言った方が近いです。それを仮に「神」と呼ぶことにすれば、「神」がそのようなメッセージを発することは、絶対に絶対にありません。「神」は一者です。ならば、どうして自分で自分に恐怖を与えたり、自分で自分に攻撃せよと命じることがあり得ましょうか?

 

なぜ、そんなことをする必要があるのでしょう? もしそれが本当だとしたら、「神」はひどい分裂症を患っているということになってしまいます。

そうではありません。「神」は究極の「合一」です。だから「一者」と言われるのです。「神」は法則であり、愛であり、永遠の生命であり、全存在なのです。

 

実に簡単な理屈ではありませんか。それを人間たちはなぜ解らないのでしょうか? なぜ、自己保身や、忖度や、ヘイトや、暴力が、そんなに好きなのですか? それをすると楽しいのですか? 心がウキウキするのですか? 幸福感で満たされるのですか? そんなものよりも、真実の「愛」に触れた時の、「魂」の歓喜を求めなさい。

 

えっ、何のことか解らないですって? よろしい。その歓喜は、あらかじめインプットされているのですよ。あなたにも、他のあなたにもね。どの「魂」も、そのように造られているのです。ですから安心して、己が「魂」の素直な声に従いなさい。そこにわたしがいる。いつも、いつも、あなたを見守って。

 

だから、わたしの愛を受け取りなさい。そしてその愛を、周囲の人たちにも分け与えなさい。この世におけるあなたの承認欲求を、「ヘイト」などという馬鹿げた方向に向けるのではなく、周囲の人々を助けたり、役立ったり、喜ばせたりするものによって表現しなさい。それが、人類に多様性というものを与えた意味なのです。

 

あなたの健闘を祈ります。

地球のアセンションと政治

政治に関心を持ち、これに積極的に関わって行くことはとても大事です。なぜなら、私たちの生活は否応なく、政治が描く基盤の上に成り立っているのですから。その下では、あらゆる制度から、社会インフラから、ものの考え方や、行動原理までもが、政治によってコントロールされているのです。私たちは、そのことを普段ほとんど意識ませんが、実はそれほどまでに、そこに従属させられているのです。

 

精神世界に興味のある人の中には、ややもすると、政治的な事柄を、単に汚れている世界や俗事として決めつけ、そこを避けた生活を送ろうとしたり、神仏の加護をひたすら願う日常を送るという人が多いのですが、これでは本末転倒です。自分がなぜ地上に生を受けたのか、そこをよ〜く考えてみてください。地上でしか味わえない体験をするためであり、地上のカルマの世界に積極的に飛び込んで、行動することが何よりも大切なのです。

 

さて、このように政治は社会の基盤ですから、政治を司る地位にどういう者たちが就くかということは、人々の生活全般や、健康や、心のあり方に重大な影響を与えます。簡単に言えば、良い指導者がその地位に就けば、人々の暮らしは良くなり、悪い指導者が就けば、人々の暮らしは悪くなるのです。この良い・悪いは、利他的な発想をどれだけ持っている人なのか、あるいは利己的な人物なのか、ということに依ります。

 

現在の日本の政治のトップである内閣総理大臣のAという人は、類まれな人物です。後にも先にもこれほどの人物は珍しい。通算の在職期間が既に歴代3位を超え、1強と称されています。なぜこれほどまでに強いのでしょうか。それは、この人物が発する言葉には真実が一つもないからです。まるで、嘘で練り固めた金太郎飴のようなもので、どこを切っても嘘しか出てきません。このような人間は他にちょっといません。

 

2012年には「TPP断固反対。ウソつかない。ブレない。」と言っていました。「ウソつかない」と言っていたことが既に嘘なのですから、こうなると常人の神経では計り知れません。この人物が好きな言葉を借りれば、まさに「異次元」の存在です。でもこの人の内部では、それは「嘘」ではないのです。そうすることが、この魂のアイデンティティなのです。ですから「嘘」という自覚が全くありません。それゆえ、心が痛むこともなく、ずっと強者でい続けられるのです。

 

嘘でないならば、では何のか? それは戦略であり戦術なのです。ある目的、目標のために、その時々で繰り出す戦略・戦術。ですから、状況が変われば、戦略・戦術をその度にコロコロ変えていく。その時々で発する言葉には、何の論拠も真実性もなく、ただその場の状況で繰り出して行くだけです。人々には、それが嘘に見えるのですが、この人にとっては、それは戦略・戦術の行使に過ぎないのです。

 

こうした戦略・戦術の例を一つ挙げると、軍産複合体にとっての目的は軍産による世界支配であり、目標は武器を世界中に売ることです。そうしますと、このためならば何だってやるのです。もちろん嘘はつき放題。世界のどこかで、常に謀略による緊張状態を演出し、10年に一度は在庫一斉処分のための戦争を本当に起こす。そのためには「武力による平和」という、言葉自体が矛盾した思想さえも、人々に植え付け、信じ込ませていくのです。

 

A政権の目標は言わずと知れた「憲法改正」。ですが、驚くべきことに、目的は「政権維持」にあるのです。なんと手段が目的になってしまっている。そして「政権維持」が目的なのですから、そのためには何だってやるのです。アメリカさんに楯突くことは一切せずに、軍産の言いなりにもなる。三権分立をなし崩しにして手中に収め、第四権力のマスコミも抱き込んで、嘘で塗り固めた情報操作を行う。それらは全部、「政権維持」のための戦略・戦術なのです。

 

こうした結果、「波動の法則」によって、政権中枢には同種の波動を持つ人しか集まらなく(集まれなく)なっているのです。類い稀な嘘つき首相の周囲には、今や、嘘つきと、ゴロツキと、狐憑き(特定の信念に取り憑かれた人たち)しかおりません。内閣、政権与党、政府、マスコミは、結託して犯罪者集団と化しています。その犯罪者集団にすっかり操られてしまっていることにさえ気がつかない、というのが今の日本国民なのです。

 

さてここで、現内閣総理大臣の名前をAとしたのには訳があります。この構造にある本質を知っていただきたいからです。Aはアルファベットの最初の文字です。すべてはここから始まります。この頂点からは末広がりに2本の棒が伸びています。中央にある横棒は、嘘つき、ゴロツキ、狐憑きの(三ツキ集団)グループで、その下には台形が広がり、これらを統治しているという構図です。ですが、頂点の三角形部分には別の人間がいて、それ以下を握っているのです。

 

三ツキ集団は、類い稀な嘘つきの資質を持った人間を首相として神輿に担いだ、もっと上からの雇われグループに過ぎないということです。これらを操っている者たちがいる。そして、さらにその奥には闇の存在がいる。A首相はその操り人形に過ぎません。A首相の強さは、操り人形としては、他の人には真似の出来ないズバ抜けた資質を持っていたこと。何しろ嘘をつくことがアイデンティティそのものですから、良心の呵責というものが一切生じないのです。

 

ですから、普通の神経ならば、胃に穴が空いているような状況に追い込まれても、平気でゴルフや外遊に興じることが出来るのです。しかも、自分で考えた言葉や理想を全く持ちません。これは操る側からすれば、この上なく貴重な存在です。演説はすべて誰かが書いた原稿の棒読み。しかもそのことを恥じない。ですから、この政権が長続き出来たのです。でもそれも、利用価値がある間だけの話。利用価値が無くなったと見れば、すぐにポイ捨てされてしまうことでしょう。

 

そもそも、「分離」意識を下敷きに持つグループが、人類を完全に支配することなどは、論理的に言って不可能なのです。なぜなら、ベースにあるものが「分離」ですから。このようなグループは、利害が一致している間は仲良しこよしを続けます。ですが、ひとたび逆風が吹けば、必ず、言い逃れ、責任のなすり付け合い、裏切りが内部から始まります。「分離」意識による支配が、その人たちに共通した根本理念だからです。

 

世界を One World に統一する理念は、やはり「愛」以外にはあり得ないのです。

 

よく、「Aという人物は、国を売り飛ばし、これだけ酷いことをして来て、それ相応のカルマの報いというものは受けないのでしょうか?」と訊かれます。もちろん受けますとも。「カルマの法則」は絶対的なものですから。ですがそれは、みなさんが想像しているようなものとは違うのです。Aという人物は、Aという人物が、周囲に為した行為に対してのカルマをいずれ清算することになる、というだけの話です。

 

国家権力者としての地位の影響力が、非常に大きいように見えても、Aがたった一人で、そのような政治をすることは出来ないのです。Aが直接的に影響力を行使できるのは、せいぜい十数人。あとは、組織や、利害や、忖度や、飴玉が、このシステムを動かしているのです。ですから、そこに加担する人たちみんなで、そのような悪政をせっせと共同制作しているということです。決してA首相一人のせいという訳ではない。もちろん有権者や、国民のすべてが関わっています。

 

実にここが肝心なところで、この構造を理解し、反省しなければ、人類は次の時代へとジャンプすることは出来ません。悪政に賛同する人には賛同する人の責任があり、付和雷同する人には付和雷同する人の責任があり、無関心な人には無関心な人の、それぞれの自分の行動というものへの責任があるのです。これが、各々のカルマとなるのです。そしてこれらがちょっとずつ寄り集まって、国のカルマを形成しているのです。

 

最近になって、「A政権打倒」を叫ばずに、自分が考える「理想社会」のビジョンを、ハッキリ提言する活動家が増えて来ました。これはとてもよい傾向です。宇宙のすべては、波動(振動するエネルギー体)から成り立っています。「打倒」を叫べば、その闘争心が沸き起こす粗い振動のエネルギーが、相手側の同種のエネルギーを増幅することになるのです。殆どの人が、こうした法則を知らなために、人類は同じ過ちを何度も繰り返して来ました。

 

けれども、「それじゃダメだ、今までと変わらない」と、直感的に気づく人がどんどん増えています。潮目がいま急速に変わりつつあります。古い政治システムや、既成政党の枠組みの中でいくら政権交代を訴えても、そんなものはもはや時代遅れなのです。政治システムそのものや、お金の概念や、教育や医療の枠組み自体が大変革しなければならない時を、人類はいま迎えているのです。

 

その「予感」のある人が、世界中でいま続々と立ち上がっています。日本は、残念ながらトラック2周遅れくらいのところを走っているのですが、でも世界が変われば、日本もいずれ変わらざるを得なくなるでしょう。もっと広い視野を持つことです。「A政権打倒」を叫んで、仮にこれを打ち倒したとしても、古い政治システムがそのままならば、単なる操り人形のすげ替えに終わってしまいます。アメリカ合衆国の、大統領の交代を見るように。

 

そうではなくて、新しい理想社会のビジョンを語ることが大事なのです。それを夢想し、周囲の人たちと語り合うことは、あなたにも出来るはずです。それが、政治への参加です。不平不満や愚痴を言うのはおよしなさい。それよりも、万人が、不安なく、健康で、平和的に、日々伸び伸びと生き、自分の才能を活かし、周囲の人々にも喜びを与えられる理想の社会を、まざまざと胸に思い描きなさい。

 

そして、それを実行に移しなさい。あなたがいまこの瞬間に出来ることから。

Now!  Be here.

 

地球のアセンションが既に予定されたことだとしても、そのあり方は、人類の今後の行動に託されています。集合意識が変われば、そのあり方も変わるのです。ややもすると、精神世界に興味を抱く人は、これも「予言」ばかりに興味を集中させて、自分がどう行動するかということを考えない、受身的な傾向の人が多いのは困ったものです。繰り返しになりますが、それでは全くの本末転倒です。

 

霊性の向上は「行動」によって試されるのであり、ただ拝んでいるだけでは、その機会を活かせません。カルマの原意は「行為」です。ですから、「行動」することは、すべてその魂のカルマとなります。カルマを恐れて「行動」しなければ、今度は「行動」しなかったというカルマになるのです。これは最悪ではないにしても最低です。なぜなら、生まれてきた目的がまるで果たせないのですから。

 

ですから、この地球のアセンションの機会に、あなたの霊性も同時に向上するように図りなさい。そのためには政治に積極的に参加しなさい。今までの奪い合う政治から、分かち合う政治へと大きく意識を切り替えなさい。人類のジャンプは、「愛」に基づく行動によってしか実現できません。一人ひとりが、「愛」をベースに行動することで、その集合意識が波紋のように世界に広がるのです。

 

希望を持ちなさい。そしてあなたも、地球のアセンションに貢献して行けるように図りなさい。先ずあなたがアセンションすれば、次には他の人たちを手助けしてあげることが出来るのです。それがどんなに貴いことか、素晴らしいことか、そして喜びに満ちたことか、解りますか?

 

ピンと来てない人にはまだまだ道が遠いね。今までわたしがなんと言って来たか、思い出してください。繰り返し、繰り返し言ってきたこと。あなたはわたしであり、わたしはあなたなのですよ。すべては一つ。そこに「分離」はありません。ですから、他者を助けることは、自分を助けることであり、他者を傷つけることは、自分を傷つけることなのです。それを知って、なおも他者を傷つける道を選ぶのですか?

 

今こそ本当の喜びに目覚めなさい。人類を長きに渡って拘束して来た、この牢獄のようなシステムを破壊するのです。あなた自身の意思の力によって。

 

あなたの「魂」は、本来的に自由なのです。