by Rainbow School
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オクターブの法則

物質的なものから非物質的なものまで含めて、「宇宙」というものが階層構造からなるということは、いにしえの時代より繰り返し指摘されて来たことでした。ところが、この階層構造の分け方や名称というものに、まったく統一性がないのです。残念なことに、これが霊的な世界、とりわけ「真理の法則」への理解を阻む大きな要因となってしまっています。

 

例えば、このブログを読んでくださっている方なら、現界、幽界、霊界、神界といった名称を、多分どこかでお聞きになったことがあると思います。これは全体を4層に分けています。しかし、ひとによっては、神界を仏界と呼んだり、幽界を冥界と呼んだりもしています。また幽界と現界との間に幽現界を設ける人もあり、それですと5層ということになります。

 

仏教の方ですと、霊的世界を上品、中品、下品(品は “ぼん” と読む)の大きく3つに分け、さらにそれを上生、中生、下生に分ける分け方(これですと9層、現界を含めれば10層になる)や、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏陀という段階を設定した「十界論」が知られています。また親鸞は、霊界の上部を、化身土、真仏土、無上仏に分類しました。

 

『シャーロック・ホームズ』で有名なアーサー・コナン・ドイルは、霊界の研究家でもあったのですが、両端に地上界と天界を置き、その間を三品(さんぼん)と同じように大きく3×3の9層に分ける見方をとっています。神智学を顕したマダム・ブラヴァツキーは、全体を7層に分けていますが、最下層に物質界を置き、上の6層全部は霊的世界とし、各層に特殊な名称を付与しています。

 

また、神秘学やヨーガの方では、エーテル界、アストラル界、カラーナ界、プルシャ界といった名称を使うことが多く(英語とヒンディー語がごちゃまぜ)、ひとによっては、カラーナ界をコーザル界と言ったり、さらにはそれらを日本語訳した、原因、微細、粗大といった言葉もあって、とにかくもうバラバラ。何が何やらさっぱり解らないという混乱状態が今もって続いているのです。

 

さて、そうしますと、初めて三品説を聞かされた人は「ああ、そうなのか」と思うでしょうし、4層説を聞かされた人は「そういうものかなぁ」と思うでしょう。「十界論」を聞かされた人は「なるほど」と思うかも知れません。そして、ただ思うだけではなく、これこそが真実だと言って周囲に吹聴する人も現れるでしょう。

 

すると、宇宙が階層構造であるという考え方はみな共通しているのに、その理解を巡っては議論百出。下手をすると、争いが生じるということにも成りかねないのです。現に、宗教間ではそのような問題が生じています。そういうことがあるために、外から教えられた情報は何も「信じるな」と、私は言っているわけです。もちろん、ここで私が書いてることも「信じ」てはいけません。最後の最後は、あなたが自分に問うて欲しいのです。

 

けれども私は、この混乱状態をなんとかしたいと思いました。なぜならば、私自身が、初期においてこの混乱に巻き込まれ、大変な苦労をしたからです。およそ20年の回り道をしたと言ってもよいでしょう。前回も触れたように、アセンションというものがなぜ3次元から5次元へのジャンプなのか、ということすらも解らなかったのです。

 

そこで、この無用の混乱を解いて、もっとシンプルで解りやすい、普遍的な構造体系を示せれば、後に続く人たちは、自分と同じような回り道はせずに、すーっと「宇宙の真理」「宇宙の法則」「光への道」へと入って行けるだろうと考えました。またそれが、私に示された役割なのだろうと、後に思うようになりました。

 

その後、(それが、いつ、どのようにしてだったかは忘れてしまったのですが)電撃的に、前回に書いた「霊性密度(Spiritual Density)」の概念と、構造とを理解するに至ったのです。その結果、7つのチャクラとの関係性や、宇宙と人体が相似形であることや、ヘルメスの言った「下なるものは上なるもののごとく」の意味も、まるで明かりがポッと灯ったように解ったのです。無明からの脱出です。

 

ヒントになったのは、ロバート・モンローの「Focus」という概念とその数え方でした。「Focus」というのは「焦点」という意味であり、モンローは、霊的世界の階層構造に番号を付けて、瞑想を行う際に、この番号に意識を絞る(焦点を当てる)という技法を用いて、各階層への旅を恣意的に実現する道を開いたのです。それは、まさに画期的と言ってよい偉業でした。

 

このモンローの「Focus」番号が、1〜49番まで付けらているのです。49という数字は、7×7です。階層を大きく7つに分けて、さらにそれを7分するという考え方は、すでに有ったのですが、ロバート・モンローはこれを科学的かつ論理的に示した最初の人でした。

 

このモンローが示した「Focus」概念と、その他で示されていた情報を付き合わせると、ほぼ合理的な一致が見出せることを私は突き止めました。以来、「虹の学校」では、この7つの階層をチャート化したものをベースに、宇宙の構造をお話ししています。そして、このチャートを見れば、アセンションがなぜ3次元から5次元へのジャンプなのかということも、すんなり理解ができるのです。

 

*チャートは、それに関係したセミナーを行った際に、参加者にお渡ししています。

 

さて、以上が前置きです。この、宇宙が7×7の階層になっていること、そしてこの階層を決めているものは、ただ一つ「振動数(=密度)」の違いによるということを示したものが「オクターブの法則」です。オクターブ(octave)と聞いて、音楽用語にそれがあることを、みなさんすぐに思い浮かべられるでしょう。この語源は、ラテン語で8番めを意味する “octavus” です。ちなみに足が8本ある蛸は、英語で “Octopus” と言いますよね。

 

ハテ? 7階層なのに、なぜ8番めを意味する「オクターブ」なのか。とここで、疑問に思われた方もきっとおられるでしょう。そこで、解りやすくドレミファで示しますと、7番め(シ)の次の音階(つまり8番め)は、次のドの音となります。この時、1オクターブ上がったという言い方をします。その音の振動数は、元の1オクータブ下のドのちょうど2倍になるのです。これを「倍音」と言います。

 

つまり、振動数が1から2に至るまでの間を、7つに分けた階層が「オクターブ」なのです。ではこれを、いつ、誰が、どのようにして、何を理由に、7つに分けることを決めたのでしょうか? この「7音階」を定めた人が、誰あろう、みなさんよくご存知のピュタゴラスなのです。ピュタゴラスは、今日では数学者ということにされていますが、実際には「宇宙の真理」を届けるメッセンジャーでした。

 

ピュタゴラスは、振動数が1〜2倍に変化する間に、協和する振動数がないかを探ろうとしました。斉唱を男女混成で行いますと、普通は男女で1オクターブの音程差があります。場合によっては2オクターブ(3倍)、3オクターブ(4倍)の開きがあることもあります。でも、n倍音の差で斉唱を行っている場合には、まったく違和感がなく、協和しているように人は感じます。

 

そこでピュタゴラスは、1から2の間で、他に協和する音を探るために、3倍音に注目しました。これは倍音ですから無条件に協和します。しかしこのままでは2を超えていますので、3を2で割ったのです(3倍音を2倍音と考えてその半分にすればよいから)。こうして元の音に対して、1.5という数字が導き出されました。ドを1とすると、1.5の振動数に当たる音、それがソです。

 

次に、このソの振動数を元にして、再び3倍し、また2以下に収まるまで2で割るという繰り返し作業を行い、3×3=9、割ることの2×2×2=8、つまり9/8=1.125という数字が導き出されました。この音が、レに相当します。以下、同様にして、次々と音階を求め、この作業を12回行ったところで打ち止めにしたのです。

 

*ただしピュタゴラスのこの方法では、3のn乗/2のn乗=2に相当する数が、3も2もともに素数であるために存在しません。いちばん近い値は、3の11乗/2の18乗で、2.02729...と端数が出てきてしまうのです。そこで現在は、次に述べる¹²√‾2の周波数比をとった「平均律」が採用されています。これによって、響きは多少犠牲になるのですが、移調というものが可能になりました。

 

こうした結果、1オクターブ間に12の音階が並ぶことになりました。ピアノの鍵盤を見ますと、白鍵、黒鍵合わせて、1オクターブ間に12個の鍵盤があります。このうち白鍵の数は7個です。12個は周波数比で、¹²√‾2=1.0594...の間隔に配置されており、これが半音。半音2つの幅をとったものが全音となります。そして、全・全・全・半・全・全・半の間隔を選んでいった音が、ドレミファアソラシという白鍵の7音階なのです。

 

さて、12と7という数字が出てきましたね。これは別の回にも書きましたが、ともに神秘数であり、12は量的な総数を表し、7は段階的な総数を表しています。12は円形を分けるのに便利なのです。丸いケーキを思い浮かべてください。2にも、3にも、4にも、6にもすぐに分けられます。そこで、時計、1年、星座、方位など、円環を描くものが12分割されているのです。

 

一方の7という数字は、ドレミファだけでなく、一週間がそうですし、電子の軌道も7つです。また結晶構造の数も7つあることが知られています。このように7という数字は段階的なものを表している数なのです。では、「虹の七色」というのはどうなのでしょうか?

 

白色光をプリズムで分解しますと、波長別に屈折率の違いが出るために、いわゆる虹色が見えます。雨が上がった空に虹が見えるのは、空気中の水滴がプリズム効果をもたらすためです。

 

さて、「虹の七色」と言って、この言葉を何の疑問もなく使っているのですが、スペクトルをよく見ますと、虹色は実際にはグラデーション状に変化しており、決して七色の帯ではないことが判ります。つまり、「虹の七色」というのは、実際にはグラデーション状に連なっている色の変化を、人為的に7つに分けたものなのです。

 

さあ、これで冒頭に書いた、宇宙の階層構造には様々な異論がある、ということの理由がお解りでしょう。まったく同じ理由によります。実際には、振動数というものはグラデーション状に変化しているのですが、それをどう分けるか、切るかという見方の違いにより様々な説が生じているのです。当の「虹の七色」も、日本以外では6色に数えるところも多いんですよ。

 

さらに言いますと、このグラデーション状の振動数変化というのは、冪乗(べきじょう)で変化しているのです。これを示してくれたのが、大橋正雄さんとイームズです。この振動数の連続的変化を図示すると、対数螺旋(ベルヌーイカーブ)となり、結局、渦巻き状に無限縮小、無限拡大しているという構造になります。また、対数螺旋を部分で切り取ると、いわゆる黄金比(1:1.618)が現れます。それで神殿建築(神が宿る場所)には黄金比が多用されているのです。

 

では、なぜ7つに分けるのか、ということです。これも人為的に7つに切ったわけですが(7つに刀で分けたのが「切」という文字)、7つに分けると、7段階をそれぞれ象徴している意味が、非常に明快に解釈出来るためです。また、人体上のチャクラの数が7つであり(12説もある)その関連性も極めて明快に説明できるのです。もちろん7が神秘数であるということもあります。

 

さて、宇宙というものは、ただ一つの「振動するエネルギー体」が素となり、これが振動数を下げていくことで塊りをつくり、魂(Soul)となり、また他方では物質化という現象が起こっているということを前回に述べました。別の言い方をすれば、物質的なものも、非物質的なものも、宇宙のすべては「振動するエネルギー体」が変化したものだということです。

 

その時、7つの階層に対して下(振動数の低いもの)から番号を付けていくと、第1、第2、第3霊性密度が物質界、第5、第6、第7霊性密度が非物質界(霊界)となるのです。そして中間にある第4霊性密度は、文字どおり中間の、半霊半物質界ということになります。ですから、「アセンション」というものが3から5にジャンプするというのは、この領域を超えてしまうということを意味します。

 

ところで、最新の宇宙物理学では、今まで、それが宇宙のすべてであると思っていた「物質」(星々に代表されるもの)が、実際には、全宇宙のたった4.9%に過ぎないということが計算上から弾き出されています。そして、26.8%がダークマター(dark matter:暗黒物質)、68.3%がダークエネルギー(dark energy:暗黒エネルギー)であると、(今のところ)結論づけられているのです。

 

このダーク(暗黒)というのは、「悪いやつ」という意味ではなく、光学的に観測できない(遠くの星を観察するには、光を見ることになるのですが、その光が見えない)ために、その名がつけられています。それが何であるかは判らないけれども、宇宙には、見えな物質らしきものが26.8%あり、見えないし物質でもないエネルギーが、さらに68.3%あるというのです。

 

これも、これまで現象面をずっと追いかけて来た現代科学が、因の世界にグッと近づいた一つの例です。神秘学では、物質的世界など、全宇宙からすればほんの僅かなものであるということは、ずっと言い続けてきたことです。ダークマターが第4霊性密度の世界、ダークエネルギーが第5、第6、第7霊性密度の非物質界(霊界)のことだと考えてみてください。すんなり理解が出来るのではないでしょうか。

 

ではここで、第1から第7までの霊性密度にドレミファソラシを当てはめてみましょう。そうすると、第3から第4に移行する時に半音階、第7からその上の第8に移行する時に、また半音階が来ていることがお解りでしょう。ゲオルギイ・グルジエフは、これを「ショック」と呼びました。ミ→ファと、シ→ドへの移行部分に半音階の「ショック」があるのです。

 

*ゲオルギイ・グルジエフ:エニアグラムを世に紹介したことで有名。

 

さて、どんな「ショック」なのでしょうか? ミ→ファのショックは、物質界から非物質界へと突入するというショックです。シ→ドは、この宇宙の最高のもの、つまり創造神から、それよりも高い「何か」へとジャンプするというショックです。さて、創造神よりも高い次元のもの(第8霊性密度)とはいったい何なのでしょうか?

 

言うなれば、それが絶対神です。宇宙の創造神と、絶対神とは違う。宇宙の創造主は、現にこうして被創造物である宇宙がある以上、その創造者も、論理的に考えれば有る(在る)はずです。しかし有る(在る)ものは変化しますから、それは「絶対」とは呼べません。では「絶対」と呼べるものが、果たして宇宙にはあるのでしょうか? もしあるとすれば、それは「無」だけです。「無」は変化しませんから。そのような結論に至ります。

 

しかし、この論理は矛盾を孕んでいます。「無」が「有る」と言ってしまうと、それは「無」ではなくて「有」になってしまいます。ですから、「無」はどこまでいっても「無」です。「無」が何かと言われても答えようがない。「無」は「無」としか言いようがありません。しかし、「無」以外に変化しないもの、つまり「絶対」はないのです。

 

すると、私たちとしては、こう考えるしかありません。この「宇宙」の創造主すらも超えた、「絶対」なる何かがきっとおわすのだろう。しかしそれは「無」なのだから、あるとは言えない。結局、私たちがどう考えようが、その問題には結論が出ない。だから「無」だ。つまり考えても「無駄」(シャレです)。となってしまうのです。どうも、お後がよろしいようで。

 

今日のところはそこまでにしましょう。この第8霊性密度については、別の考えもあります。それはまた機会があればお話することにいたしましょう。

地球のアセンション

アセンション(Ascension)とは上昇すること。何が上昇するのかというと、いわゆる「次元」です。この「次元」が、三次元から、四を跳び越して、一気に五次元にジャンプする。それが「アセンション」です。

 

さて、この「次元」という言い方なのですが、この名称が多くの人に誤解を与え、「宇宙」の構造に関する理解を難しくさせてしまっています。私も時に、通例に倣って「人間は多次元的存在」などと書いたりしているのですが、誤解を増幅させてしまっているかも知れません。そこでこの際、ちゃんとしたことを書いておこうと思います。

 

これからお話することについては、簡単にですが、今までにも何回か触れたことがあります。けれども、数学や物理学に関連した話をちょっとでもすると、どうもドン引きする人が多くて、今までキチンとお伝えすることは遠慮していました。でも、今回はちゃんと話しますので、頑張って着いて来てくださいね。

 

そもそも、「アセンション」で言っているところの「次元」というのは、数学で言うところの「次元」とは、全く異なる概念なのです。これは「アセンション」に限らず、今後は、神秘学において「次元」という言葉を目にした際には、すべてそうだと考えてください。そうすれば、基本的な謎の一つが解けます。

 

数学で言うところの「次元(Dimension)」というのは、移動できる方向の数(自由度)を表しています。点は0次元(どの方向にも動けないため)、直線は1次元(直線上をどちらか一方向に動ける)、平面は2次元(タテ、ヨコの二方向に動ける)、立体は3次元(これに高さが加わり三方向に動ける)となるのです。ということは、私たちがいま住む物質世界は、数学的には3次元世界ということになります。

 

これに時間軸をプラスして、この世は4次元だとする考えもあります。ただし、時間軸は片方向にしか進めません。いわゆる「時間の矢」というものが存在するのです。しかも私たちは、“今” しか知覚・体験できません。“時間” という幅を見ることは出来ないのです。なぜ時間軸が逆行できないかは、今も物理学上の大きな謎とされています。

 

一方の神秘学で言うところの「次元」は、正しくは「霊性密度(Spiritual Density)」と言い、宇宙を構成するあらゆるものを、その振動数の違いによって七階層に分類したものなのです。さてここで、先ず「振動数」という言葉が出て来ました。非物質的なものも含めて、宇宙のあらゆるものが振動しており、霊性の高いものほど微細で精妙な振動数を持ち、低くなるほど大まかで粗雑になっていくのです。

 

この説明にピンと来られない方も多分いらっしゃるでしょう。目の前にあるコーヒーカップが振動しているようには見えないからです。あるいは空気が振動しているようには見えない(空気そのものが見えない)からです。またあるいは、銀河系が振動しているようには、宇宙全体が振動しているようには思えない(観測できない)からです。

 

しかしみなさんは、物質を構成しているものが分子であることをご存知でしょう。そして、その分子を構成しているものが原子であることもご存知でしょう。これら物体を形成している粒子は、目には見えないのですが、みな細かな振動をしているのです。みなさんがよく知っている「熱」というのは、この粒子の振動状態なのです。そこで、この粒子振動を熱運動と呼びます。

 

粒子の振動が激しくなるとその物は高温となり、振動が小さくなると低温となります。一例を挙げましょう。水は、温度が0度から100度までの間に、固体、液体、気体へと変化します。気化した水であるところの水蒸気が膨張圧力を生むのは、水分子が液体時よりも激しく振動するためです。逆に自由度があまり無くなっていくと、水は氷という固体になるのです。

 

さて、最新の物理学は、原子核を構成する陽子や中性子よりもさらに微小な素粒子を発見し、今ではクォークに代表される17個の素粒子からなる「標準モデル」が確立されています。そして、自然界にある四つの力の大統一理論を探る過程で、「標準モデル」の素粒子よりもさらに微細な「素」が存在し、それは「振動するひも」である(超弦理論)という説が主流を占めるに至っているのです。

 

しかしこの「振動するひも」は、理論物理学から出て来たもので、あまりにも微小なために、大型ハドロン衝突型加速器を使っても、実験で確かめることが(今のところ)不可能とされています。一方、神秘学では、古来より、宇宙を構成する「素」は、振動するエネルギー体であるとし、それを「霊(Spirit)」と言って来たのです。つまり現代物理学は、古来より連なる神秘学に、やっと追いついて来たというわけです。

 

*霊(Spirit)については、あまりにも多くの解釈や定義づけが存在し、それぞれの人がそれぞれの説を語っておりますが、ここでは、万物を形成する唯一根源の「素」を霊(Spirit)と定義づけます。

 

よく、霊界の話をすると「そんなもの科学的じゃない」とか「トンデモ話だ」といった決めつけをなさる方がおられるのですが、現代科学は、もはやそのレベルではありません。天文学、物理学、数学が融合し、超微小世界と超巨大世界への観測技術が共に発達したこともあって、この2・30年ほどで急速な進歩を遂げています。そして、そこで得られた推論は、因の科学(現象面の裏にある本当の原因科学)が示して来たものに、どんどん近づいて来ているのです。

 

「Spirit」と「振動するひも」が、同じものだと結論づけるにはまだ早計かも知れません。ですが、『超弦理論』が、この世の常識を超える世界に踏み込んだことは、これまでの科学(現象から現象の法則性を探る)の一線を超えたと言えます。その『超弦理論』は、私たちが住む世界が実は3次元なのではなく、9次元(時間軸を含めると10次元)であるという説を立てています。残りの6次元分は畳み込まれていて観測できないだけだと言うのです。

 

さて神秘学に話を戻しましょう。神秘学では、万物を構成する素は「Spirit」であると言います。しかしこれは、大本の「振動するエネルギー体」が有する機能面の一つであり、他に「根源的生命力」と「宇宙意識」なるものを、この「振動するエネルギー体」は併せ持っているのです。この、三つの要素が、たった一つのものから成るということが、真の「三位一体」の意味なのです。

 

さてその時、元はたった一つのこの「振動するエネルギー体」が、振動数を次第に下げて行きます。すると、水で示した例と同じ様に「Spirit」の自由度がだんだんと減って行き、同種の振動数を持ったエネルギー体が塊りを形成するようになるのです。こうして、非物質であったところの「Spirit」が、半霊半物質状となり、さらに振動数を下げると、遂には物質化という現象が起こるのです。

 

ですから、人間の肉体も、「Spirit」が振動数を下げて物質化して行き、原子となり、それが分子となり、細胞を形づくって肉体を形成したものなのです。ここに、同じく「宇宙意識」の振動数を下げた「魂(Soul)」が結びつき、さらに「根源的生命力」の振動数を下げたプラーナ(気)が供給されて、あなたという一人の人間が、この地上で、この宇宙に生かされているのです。

 

このように、元々は非物質的な「振動するエネルギー体」が、振動を下げることによって、半霊半物質化、さらには物質化という現象が起き、その物質も、様々な化合を経て巨大化し、この大宇宙が出来上がっているのです。宇宙のすべては「波動」であるという言い方は、ここから来ています。ですから、「波動の法則」が「真理」であると言えるのです。それは、たった一つのものから生じているのです。

 

この時、振動数の高低差を、便宜上、七つに分けたものが、よく言われる「次元」、正しく言えば「霊性密度(Spiritual Density)」なのです。密度と、振動数と、波長は、同じことを違った視点から述べたものです。ですから、俗に言う「次元」とは、数学的次元を指しているのではなく、「振動するエネルギー体」の密度、あるいは振動数、あるいは波長を述べたものだということを、しっかり覚えてください。

 

さて、なぜ七つに分けられるのかということなのですが、振動数の違いからなる七つの領域が所持するそれぞれの性質に、大きく七つの特徴があるためなのです。そしてこの特徴をそっくり人体に移したものが、いわゆるチャクラ(中枢)の各働きであり、スシュムナー管上(背骨に重なる場所)に、七カ所に分かれて位置しているのです。

 

このことから、大宇宙(マクロコスモス)と、人体(ミクロコスモス)の相似形が言われ、人間は「神」に似せて創られたという言い方が為されているのです。また、七つの「霊性密度(次元)」を、人体が最初から所持しているという意味から、人間は「多次元的存在」であるという言い方もされるのです。

 

ところが残念なことに、地球に生まれた人間は、このチャクラが充分に目覚めていません。そこでこのチャクラを、眠りから目覚めさせ、活性化させることが求められます。これが、いわゆる「覚醒」の意味であり、完全に目覚めた人を「ブッダ」と呼ぶのです。(この七つの階層については、次回に『オクターブの法則』と題して、詳しい説明をします。えっ、もう結構ですって? まあ、そう言わずに。)

 

七つの階層のうち、上の三つが非物質界(霊界)、下の三つが物質界、そして中間の四番めに位置しているのが半霊半物質界です。地上に生活している人間は、下から三番めの「第三霊性密度」の領域に暮らしているのですが、四番めの半霊半物質界を跳び越えて、非物質界の一番下である五番めの「第五霊性密度」にジャンプすることを「アセンション」と言うのです。しかも、この肉体を持ったまま、地上に現に生活をしながら。

 

*本当はそうではないのに、そこに捕まっている状態。物質を知覚するための五感刺激に嵌まり込み、第六感以上が塞がっている。当然、チャクラも閉じたまま。

 

ややこしいのは、「第三霊性密度」を「次元」と言ってしまうと、これが「三次元」となり、数学的に言うところの「3次元」とちょうど重なり、区別がつかなくなってしまうだけでなく、英語の「Dimension」も「Density」も共に頭文字が「D」ですから、同じ「3D」と表記される場合があるのです。

 

そうしますと、「はて、3次元から5次元にジャンプするとはどういう意味なのだろうか?」「5次元世界とは何なのか?」という話になり、まるでワケが分からなくなってしまうのです。たまたま、そういうものが一致したために、多くの人に混乱を与えてしまっているのです。ということで、今日、その点を解説いたしました。

 

では、「霊性密度」上、なぜ四番めを超えるのか、また超えなくてはならないかと言いますと、半霊半物質界である「第四霊性密度」というのは、いわゆる魑魅魍魎がいる世界なのです。地上に思いを残して死んだ魂や、悪意を持った霊たちがウジャウジャいる世界です。オカルティックなことに興味を持ってはダメだよ、というのはそこです。興味を持った途端、実は、その波動の領域に捕まっているのです。

 

すると、その領域にいるタチの良くない霊たちが、「神」の名を語っていろんなことを伝えて来るのです。それはみな、人間を不安と恐怖と混乱に陥れるためのもので、その理屈を知らない霊媒が、それをそのまま下ろしてしまうのです。人間というのは、残念ながら、宇宙の「真理」を求める人よりも、恐怖の「予言」に興味を抱く人の方が圧倒的に多い。そこで、需要と供給が一致するというわけです。

 

「第四霊性密度」の領域を怖れる必要は、いささかもないのですが(むしろ怖れない方がいい)、オカルティックな興味を抱き続けている限り、アセンションすることは不可能です。なぜなら、それ以上には、自分の波動が(振動数が)上がらないということですから。ここが盲点であり、この「第四霊性密度」の川を渡るということが至難の技なのです。

 

と、以上が前置きです。う〜ん、ずいぶん長い前置きになってしまいましたが、今日お話ししたいことは、別のことなのです。これも以前に書いたことがあると思いますが、今この時期にアセンションすることが運命づけられているのは、実は人間ではなく、地球なのです。地球のアセンションというものが、地球の誕生時から計画されていて、そのタイミングに、既に入ったということ申し上げたいのです。

 

地球というのは、宇宙的に見てどういう惑星であったかと言いますと、「愛の惑星」だったのです。そう聞くと、何か素晴らしい星のように思うでしょうが(実際、ある意味で素晴らしいのですが)、もう少し正確に言うと、「愛を学ぶための惑星」でした。「愛を学ぶための惑星」ということは、裏を返せば、未だ「愛」を知らないレベルの、霊的に低い星だったということです。

 

地球人というのは、私を含めてみな、霊的レベルが低い「魂」が集まっているのであり、この惑星の上に誕生することで、「愛」を学習する機会を与えられたということです。そのために、「分離」意識の非常に強い、エゴと闘争が闊歩する惑星が、太陽系の中に用意されたということなのです。一種の愛のムチと言いますか、実地体験して学びなさいという配慮です。

 

「愛」というのは、別名キリスト精神とも言って、宇宙的に見れば当たり前のものです。地球人からしますと、「愛」はホットな感じがすると思いますが、むしろクールなものです。なぜなら、それは「法則」ですから。ところが地球人は、これに「情」をつけて、「愛情」にしてしまうものですから、ホットな感じになるのです。しかし「愛情」というものは、よく見れば、煩悩そのものなのです。

 

憎悪や支配的感情よりは、「愛情」の方が一歩進んではいます。しかし、家族愛とか、民族愛とか、愛国とか、限定されたものに「愛情」を向けますと、まかり間違えば、それ以外は敵視する、排斥するということになりかねません。そこを超えて、隣人愛、博愛、全地球愛、全宇宙愛となって行けば、本当のキリスト精神に到達するのです。しかしながら、人間はなかなかそこに到達できません。

 

到達できない主原因は、前回のブログで述べました。地球のアセンションというのは、地球という惑星が、「第三霊性密度」から「第五霊性密度」にジャンプする時期にいよいよ入ったということ。それはどういうことかと言いますと、地球が「愛を学ぶための惑星」としての役割を、これで終了するということです。そして、もっと霊性の高い星へと生まれ変わる時がやって来たということです。

 

*正確に言えば、既に60年ほど前から移行期に入っており、その前半の最終章への扉が開いたという段階です。

 

さて、これから書くことを、次の点を頭に刻み込んだ上で、聞いてください。どれもみな言い古されたことですが。

・真の宇宙には、時間も空間もないのだということ

・人間の本質は「霊」にあり、肉体の消滅後も「霊」は生き続けるということ

・地上世界は、そこでしか出来ない体験をするためのものであり、霊的世界から見れば幻に過ぎないのだということ

 

この言い古された真理を、頭で理解するだけでなく、心底そうだなぁと思えるようになるまでには、長い時間がかかるかも知れません。けれども、これを前提とした上で、次にする話を聞くのと、知らないで聞くのとでは、受け取り方がまるで違って来てしまうことでしょう。

 

以上を頭に刻み込んでいただいた上で、地球がアセンションするとはどういうことかと言いますと、この地球のアセンション時期に合わせて、アセンション出来なかった「魂」は、アセンション後の地球には、もはや居られなくなるということを意味します。惑星地球からは一掃されるということです。地球に輪廻転生して来ることも、もはや出来なくなるということです。つまり、この機会が、地球学校におけるラストチャンスということになります。

 

また、これも言い古されたことですが(言い古されたということは、万事「神」のご計画どおり進んでいるという証明でもありますが)、アセンションまでの途中には、地球に大変革が起こるということです。いわゆる「浄化」です。新しいものを生み出す前の産みの苦しみの時期です。そして、これも以前に書きましたが、「浄化」とは、カルマを受けることを意味します。

 

受けることによって、「浄化」が為されるのです。個人にとっても、人類全体にとってもそれは同じです。そして、より広範囲なカルマの方が優先されますから、人類全体で作って来たカルマは、人類全体で受けることになります。このカルマの「浄化」から、自分だけ逃れて助かろうと思ってもそうは参りません。そもそも「助かる」ということが、地上的な欲であり、宇宙的には最初から全部の「魂」は救われているのです。

 

賢明なみなさんは、今後の数十年をどう過ごしていけばよいか、既にお解りでしょう。いつも言っている通りです。素直に、元気で、朗らかに、周囲に親切を尽くして生きなさい。もはや、個人的な悩みがどうのこうのと言っている段階ではないのです。個人的なカルマ、社会的・政治的なカルマ、地球環境的なカルマは全部一直線に繋がっているのです。そのことに思いを馳せなさい。じっくり瞑想してみなさい。

 

人類の集合意識とは、一人ひとりの意識の集合体です。あなたの意識もそこに影響を与えています。この機会を、ワープ航法のように使って、自分がアセンションするためのチャンスとしてください。

 

既に、アセンション後の次の人類(第五原人種)の先遣隊が50年ほど前からポツポツと誕生し、各地で成長しています。あなたもそのお一人かも知れません。この人たちが、次の地球の礎(いしずえ)を創ることになっています。今日のこのメッセージは、そういう「魂」にリーチすることを目的に書かれました。役割を思い出していただくためです。

 

一方で今、旧人類の、エゴを剥き出しにする人々の活動が、一層エスカレートしています。この最終段階に現出する二極化現象も、言い古された預言です。これは彼らの危機意識の顕れとも取れますが、より長い視点から見れば、アセンション前の「浄化」を促進させてくれているとも言えるのです。彼らも、そうやって「神」のご計画に参加しているのです。皮肉なことですが。

 

ということで、みなさんには、この地球のアセンションの機会を、ぜひ上手に使っていただきたいと思います。

人類支配の構造と、支配からの脱却

地球の未来は、今ある人々の意識の転換に掛かっています。今ある人々が、次代の社会基盤と環境を創り上げるのであり、次世代の人々の価値観や行動パターンをも左右してゆくのです。今ある我々も、前の世代が創り上げたそれらの影響を多分に受けて今あるのです。けれども、人々は、目の前の瑣末な変化のことに忙しく、かつ自分のことだけで精一杯なために、こうした長期的な視野にはなかなか立てません。

 

ところが、超長期的な視野に立って、人類の行く末を考え、実現に向けて代々行動し続けて来た少数の人たちがいるのです。それが「闇の支配者」です。「えっ、闇の支配者? 何それ?」と、初めて聞く人は、きっと思われるでしょう。ジョージ・アダムスキーは、彼らをシャドウ・グループと呼んでいました。皮肉なことに、人類の未来を真剣に考えて来た人たちは、地上においては、支配者が優勢だったのです。

 

このブログでは、しばしば洗脳とか、奴隷というちょっと過激な言葉を使っています。違和感を持たれる方もいらっしゃるでしょうし、冗談のように受け取っておられる方もいらっしゃるかも知れません。けれども、洗脳状態にある時には、人はそれが洗脳だとは気づかないものです。また、現代の奴隷制度は、かつてのような分かり易さを見せません。民主主義の名のもとに構築され、人々が、自ら進んで奴隷になるように仕立てられているのです。

 

支配の構造が見えにくいのは、一つにはそれが多段階になっていて、自分の所属領域以外の上下のことが分かりにくいということがあります。これに加え、この多段階構造が、社会システムとして是認されている。人々から当然視されていて、もはや誰も疑問に思わない、という面があるのです。つまり、社会システム自体が、巨大な「洗脳」システムを構成しているのです。

 

政府は国民を統率して当然。中央銀行は金融を操作して当然。経団連は経済界を仕切って当然。資本家は企業を売買して当然。メディアはニュースを流して当然。学校は生徒を教育して当然。医者が薬を出すのは当然。貧乏よりはお金持ちの方がよいのは当然。人間に優劣があるのは当然。と、みな思い込んでいる。思い込まされているとはよもや気がつきません。

 

そして宗教までもが、教祖、教主を頂点にピラミッド構造を作り、信者を支配しているのです。スピリチュアル業界だって、資格制度や家元制度を作り、高額の受講料の見返りにありがたい何かをお授けするといったことをやっている。これらの一体どこに、「魂」の平等があると言うのでしょうか? 神の下での、普遍的「自由」があると言うのでしょうか?

 

みんな、自ら進んで、束縛され、池に飛び込むように、支配される構造に飛び込んで行っている。そして、そのことに全く気がついていない。これが、実に、地球人が背負っている不幸の、大本なのです。自分で自分を、また自分たちで自分たちを、不幸に追い込んでいるということにちっとも気づかない。そこで、何度も何度も、同じカルマをグルグルと廻り続けているわけです。

 

だから、言うのです。地球の未来は、今ある人々の、意識の転換に掛かっていると。目覚めるのか、目覚めないのか。さあ、どっちに行くのだ。地球人は、もう一度、水没することを選ぶのか。

 

支配の構造が見えにくいのには、もう一つ理由があります。表の世界が多段階構造になっているだけではなく、その裏に隠れた世界もまた、多段階になっているのです。あなたがもし、マスコミのニュースを全面的に信じているとしたら、この構造は絶対に見えません。日本人の8割は未だマスコミを信じていますが、マスコが流すニュースなど、支配層による集団催眠ツールに過ぎません。

 

では、マスコミの中にいる人たちはそのことを解っているのでしょうか。中には解っている人もいるでしょうが、大多数の人たちは、全体構造を知らずに、それが自分の役割だと信じてやっているのです。自分の所属領域以外の構造は知らないのです。同様に、銀行に務める人も、病院に務める人も、学校に務める人も、自分がやっていることが正しいことだと思ってみなやっているのです。

 

けれども、マスコミが流しているニュースの裏には、大多数の人が知らない、隠れた世界というものがあるのです。しかもこの裏は、一段階では終わりません。裏の裏に影があり、影の奥に闇がある。そして闇のさらに奥には、魔があるのです。つまり、表←裏←影←闇←魔、という多段階の支配構造になっていて、最後は霊界にまで繋がっているのです。

 

スピリチュアルなことに関心のある方なら、ハイアラーキという言葉をお聞きになったことがあるでしょう。これは霊的な高所のことを指しています。このハイアラーキとヒエラルキー(ヒエラルヒー)とは同じ意味なのです。前者が英語、後者がドイツ語です。ヒエラルキー(ピラミッド構造)というのは、結局、霊界の階層構造を(宗教が先ず真似をして)地上にも当て嵌め、広がっていった構造なのです。

 

そしてこれも、表の世界と同様、表しか知らない人、裏も知っている人、影まで知っている人、闇まで知っている人、と段々少なくなっていき、魔まで知っている人となると、もう殆どいない。皆無に近い。すると、どういうことが起こるでしょうか。表しか知らない人にとっては、影の話は眉唾ものに見え、闇の話はトンデモ話に聞こえ、魔の話をしたら狂人扱いされてしまうことでしょう。

 

今、地球の転換期に際して、宇宙から強い光が当たるようになって来たことによって、今まで隠されていた影や闇が、表にどんどん炙り出されて来ています。そのため、これを語る人が多くなって来ています。しかし、それを語る人も、各階層の領域内で知っているものを語っているので、聞かされる方としては、多層階の断片的な情報をパッチワークしているような混乱した状態にあります。

 

こうした、今まで知らなかった支配の構造について知識を得ることは、強力な洗脳下にある現在の支配状況から脱出する糸口にはなります。このような情報は、今後もますます増え続けるでしょう。けれども、みなさんにお願いしたいのは、そこにあまり夢中にならないで頂きたいということです。

 

重要なのは、そこを暴くことではありません。ましてや影や闇の勢力に対して、報復をすることでもありません。一体どうして、人類がごく少数の者に支配されてしまうのか、という点です。そこに気づきがなければ、地球人としての進歩はありませんし、この構造はこれからも変わらずにずっと続くことになります。

 

大多数のみなさんは、「波動」というものを知覚できません。「波動」が何かということをきちんと説明しようとすると長くなってしまうので、ここではひとまず「思念」のエネルギーだと捉えてください。思いというものは、目には見えませんが塊りを創るのです。この思念エネルギーは、人からも、言葉からも、書かれたものからも、作られた物からも出ています。

 

敏感な人は、それをキャッチすることが出来ます。これは、生来、敏感な人もおられますが、訓練によって高めることが可能です。その時に、いわゆる「低い波動」というものは、ある種の気持ち悪さや、吐き気や、居たたまれなさ、肌を突き刺すような感じ、痛みなどとして知覚されます。ですから、波動が分かる人の前で「嘘」をつくことは出来ません。全部、見抜かれてしまいます。

 

*そのことを知らずに、人間恐怖症に陥った、自分は病気だ、社会不適合者、劣等者、無能者だと思い込んで(また周囲からもそういうレッテルを貼られて)悩んでいる魂がたくさんいます。かつての私がそうでした。人間社会は粗雑な波動で満ち溢れているので、それらをやり過ごす術を身につけるまでは、なかなか大変です。困っている方は相談してください。

 

さて、そうした時に、闇の支配者の存在を暴こうとして頑張っている人たちの多くからは、残念なことに、非常に「低い波動」が出ているのです。その理由は、この方たちが激しい「闘争心」を燃やしていることにあります。実に、ここが大切な点です。恨みや闘争心は、最も低い波動を出します。ですから、「闇」に対抗しようとして「正義」の戦いを主張していることが、逆に「魔」の格好の餌食になってしまっているということなのです。

 

霊能を自称する人たちの中には、アシュタール・コマンドとか、銀河連邦の名を持ち出して、白対黒、善が悪を叩くという図式を強調する人たちがおられます。ですが、高次元の存在たちが、地上の人間に対して、このような闘争を持ちかけて来ることは絶対にありません。なぜなら、その元は、一者ですから。一者であるということをよ〜く知っていますから。すべては一つなのです。

 

なにゆえ、自分で自分に脅威を煽る必要があるでしょう? なにゆえ、自分で自分を引っ叩かせる必要があるでしょう? このような馬鹿げた話を持ち出すのは、低次元の「魔」の存在の仕業だということに気づいてください。そのようなものに引っ掛からないように。光あるところ影あり、影あるところ必ず光あり。両者はつねにセットなのです。互いがあるからこそ、互いを認識できるのです。

 

ここで、北風と太陽の寓話を思い出してください。「闇」に、「闘争心」という「闇」をぶつければ、「闇」を太らせるだけなのです。「闇」を溶かすことが出来るのは、「光」しかありません。「光」を当てれば「闇」は消えるのです。この理屈を解ってください。人類が、これから乗り越えなければならない進化は、その点です。闘争で、闘争に終止符を打つことは出来ません。終わらせられるのは「愛」だけなのです。

 

実にここが、(簡単なことではあるのですが)人類にとっては大いなる飛躍です。今まで、何万年かかっても、どうしても成し得なかったのですからね。支配の階層構造という面だけではなく、人間は、もっと心理面のメカニズムに眼を向けるべきです。むしろ、こらに注目した方が、大ジャンプが果たせます。いくら階層構造に踏み込んで行っても、ラビリンスに迷い込んでしまいかねませんから。

 

なぜ、支配者が存在するのか? それは、彼らなりの One World への希求なのです。One World ですから、驚くなかれ Oneness への帰還という「魂」の基本欲求に沿っているのです。ところが、その為の方策が真反対を行こうとしているところが違う。多様性の認め合いによる Oneness ではなく、一部選民がゴイム(被支配者)を平定する Oneness を思い描き、愛による統合ではなく、支配による統合を目指す。

 

それは、その奥を覗けば、実に単純な話なのですが、「魂」の個別化、つまり一者から「分離」したことを、「愛」の学習のため(再統合)と捉えるのか、それとも、我ら選民による「支配」をすべき(分離意識の自己満足を追求する)と捉えるかの違いなのです。ですから、この支配構造というものが、表、裏、影、闇、魔と、霊界にまで一直線でつながっているというわけなのです。

 

さてここで、「支配者」のつもりになってみてください。あなたに操られる人たちが、もしも一人も居なかったとしたら、つまり全員がそっぽを向いてしまったとしたら、あなたはどんな気がするでしょうか? 幼稚園で、あなたは他の子たち全員を従えたい。でも誰も見向きもしてくれないとなったら、きっと、寂しい思いをするのではないでしょうか?

 

つまり、支配者だって、自分という存在に対するよき理解者を求めているのです。その理解者とは誰なのか。自分に操られてくれる人です。ですから、「支配」という構造を、心理面から逆に見ますと、「操られる心」「操られたい心」が、「支配」を創り出しているのだということが判るのです。この点で、支配者と被支配者は、持ちつ持たれつの関係を演じているのです。

 

人類が、今、気がつかなければならない点はそこです。先の大戦でも、戦後になってから、国に騙されたと言う人は多かったのです。けれども、操られる心理が多段階に構成されることによって、全体の「支配」構造が成り立っていたという点に注目してください。操られる者を操っている者も、その上から操られているのです。そしてその者も、また上から操られている。

 

こうした結果、悲劇が、いつもそのヒエラルキーの下部にいる者たちに集中するのです。ヒエラルキーの最頂部付近にいる人たちは、自ら戦場に行ったりはしません。自分で銃を持って戦ったりもしません。人々を操っているだけです。この多段階構造は、責任の所在を曖昧にする効果をも持ち、それゆえ最頂部にいる人たちは、形勢が悪くなると、最後は責任のなすり合いとなり、仲間割れを起こしてしまいます。

 

先の大戦後も、上層部で生き残った人たちの中には、米国の工作員にあっさり転向して、何食わぬ顔で政治経済の重鎮に収まった人が何人もいます。彼らは、脅威を煽り、防衛を訴え、盛んに「国家主義」を主張しますが、それらはみな人を操るための方便に過ぎません。そこに騙されてはいけません。本質は、どこまでもエゴにありますから、国民のことなど少しも考えてはいないのです。

 

ここで、繰り返しになりますが、だからと言って、そういう人たちに反撃を喰らわそうとしてはなりません。彼らもまた操られているのです。でも、あまりにもエゴが強過ぎて、そのことに気づく機会すら持てないのです。十字架に架けられたイエスが、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか、自分でもわからないのです。」と語った真意というのは、そこにあります。

 

それに、「闘争心」を燃やすことは、その人にとってもよくありません。顔つきが悪くなりますし、何よりその人の身体細胞を傷つけます。「あいつをやっつけろ!」という旗を立てて振り回せば、同じ思いの人々が惹かれて集まって来ます。すると、共鳴現象が生じて、その場の「闘争心」を高め合い、波動的には低め合い、身体細胞をますます傷つけて行くことになってしまうのです。

 

それよりも、なぜ、そのような人物を見抜けないのか。後になってから、騙されていたと言うのか。エゴの塊のような人物たちに、歴史上、大衆が何度も何度も操られ続けてしまうのか。という根本に眼を向けなければ、悲劇はこの先も無くなりませんし、人類の進歩もありません。

 

私たち一人ひとりの心の中には、誰にでも、「分離」意識と、「合一」意識が同居しています。ただ、その割合が違うというだけです。今ここで、「分離」意識を黒で、「合一」意識を白で表しましょう。支配欲に取り憑かれた人というのは、黒色が心の大部分を占めるに至っているのです。でも、真っ黒けということはありません。たとえ僅かでも、白部分は必ず残っています。

 

この限りなく真っ黒けに近い人物が、脅威や、国家主義や、防衛や、監視の必要性を訴えかけます。すると、同じように黒の割合の多い人たちが「そうだ、そうだ」と共鳴して、波動の法則によって惹き付けられるのです。このようにして「思念」の塊りが出来ると、白黒半々くらいの人たちの黒部分も刺激され、それを膨らませて行く人たちが出てきます。こうして、操られる方向性が決まるのです。

 

次の段階に入りますと、勢いを得た黒グループは、法律や社会システムを変えて、大衆操作へと突き進みます。すると、白の割合が多い人たちにまで効力が及ぶようになり、力づくでの支配体制がここに完成するのです。なぜ無意味な戦争が繰り返されるのか、なぜ無辜(むこ)の人を殺戮する悲劇が終わらないのか、といった根本問題は、複雑なように見えて、すべてはここに原因があるのです。

 

つまり、人々が、自分の中に潜在する「分離」意識を、誤用してしまった結果です。なぜ誤用してしまうのでしょうか? 無智だからです。宇宙の法則(真理)を知らないからです。愛に対する確信、平和というものへの確信がないからです。攻撃される恐怖が捨てられないからです。友愛、尊重、平等よりも、支配、差別、優越意識の方が気持ちがいい、と感じる人たちが地球にはまだまだ多いからです。

 

ですから、この心理操作に気づく人が増えて、容易には操られない人が多数を占めれば、支配の多重構造であるところの、裏、影、闇、魔と言うものの存在をたとえ知らなくても、人類は、永く続いた支配から脱却できるのです。そこで、あなたにはその先鞭となっていただきたいのです。こうして出会ったのも縁。あなたには、光への道を進む勇気を持って欲しい。

 

この道は楽ではありません。揶揄、嘲笑、蔑み、場合によっては、投獄や処刑までも覚悟しなければなりません。自分の中に未だ眠る、闘争意識も、被害者意識も、優越意識も、全部捨ててしまわなければ、光の道には入れない。「狭き門より入れ」とはこれです。しかしあなたは、ご自分の役割を誓って、この世に誕生して来られた筈です。今、それを思い出して欲しいのです。

 

あなたが、ご自分を高めて、光のバイブレーションを出せば、周囲はその影響を受けます。そのようにして影響を受けた人が、また自分の周囲を明るく変えます。そうやって、人類全体が変わる。支配の構造が終わる。その一人に、あなたにもなって欲しい。愛の宣士レインボーマンになっていただきたいのです。

生命の成り立ちへの誤解とは?

8月13日に掲載の『個人のカルマと人類のカルマ』に関して、次のようなご質問をいただきましたので、以下に回答いたします。

 

Q.これまで人類が積み重ねてきたカルマには大きく三つがあり、一つは「富への執着」、二つめは「他者支配への欲望」、そして三つめが「生命の成り立ちへの誤解」という記述がありましたが、三番めの意味するところについて、もう少し詳しく教えてください。

 

A.ここで挙げた三つは、強いて分ければということであって、元をたどればみんな同じであり、全てが人間のエゴに起因しています。しかしそのエゴも、なぜそれが生じているかと言えば、人類の創生に関係した根源的な問題にまで辿り着くのです。それは、一人ひとりがみな独立した「魂」であるということ。そして、そこから発した「分離」と言う意識の、行使の方向性の誤りにあるのです。

 

一人ひとりの「魂」は、みな一者から生じました。この一者を、人類は「創造主」とか「神」と呼び習わしました。ですから、これを突き詰めれば、自然と、私の中には「神」が宿っているということになるのです。そして、すべての人にもそれが言えるわけですから、人類はみな兄弟ということも解ります。このようにして、「分離」を起点として、再び一者に還って行くことが、地球における「愛」の学習となっているのです。

 

つまり、一者から「分かれた」ということは、人間に、「自己とそれ以外」というものの、両方の『認識』を育むに至ったのです。バラバラに「分かれた」からこそ、存在の多様性というものを知ることができ、存在の多様性があるからこそ、「愛」の学習ができ、そして、これらの仕組みを創った宇宙の創造主についての思索も同時に可能となったのです。

 

しかし、この肝心な点を、永らく人類は理解して来ませんでした。いま言ったような説明の仕方を受けたことが、これまで殆どないのです。宗教ですら、間違ったことを伝え続けて来ました。その結果、「分離」意識を、優劣、支配、排斥、闘争という、「愛」とは真逆のベクトル方向で発達させ、ひたすら行使し続けて来たのです。しかもこの逆ベクトルが、未だに人間社会では賞賛されているという状態です。

 

さて、ご質問の「生命の成り立ちへの誤解」という点ですが、確かに、三つの中ではこの点はあまり語られて来ませんでした。しかし逆に言えば、この点に関しては、それくらい逆ベクトルを向いていることへの認識が薄いということでもあります。「富への執着」や「他者支配への欲望」が、なんとなく「いけないことだなぁ」というのは解る。でも「生命の成り立ちへの誤解」とはどういうことなのか?

 

これは、このブログ上で繰り返し語って来た「生命」というものと、今の人類全般が考えている「生命」というもののギャップを考えていただければ、自ずと解ることですが、ひとことで言えば、今の地球人類が考える「生命」の認識は、非常に狭い概念に留まっているということです。それは、適用範囲ということにおいても、また時間概念においてもです。

 

今まで繰り返し語って来たのは、「生命」とは「宇宙」の代名詞であるということ。「宇宙」の代名詞には他にもたくさんあります。宇宙とは「愛」である。宇宙とは「エネルギー」である。宇宙とは「ヴァイブレーション」である。宇宙とは「智慧」である。宇宙とは「無常」である。宇宙とは「永遠」である。これらはいずれも正しく、一つのものを、それぞれ別の機能面から見た認識なのです。

 

その中に、「生命」というものもあるのです。「生命」とは何か? 「宇宙」そのものが「生命」なのだということ。これが解れば、「生命」の永遠も、循環も、みな支え合っていることも、進化ということも、なぜ愛なのかということも解る。ところが、この根本を、地球人類はまるで解っていないのです。「生命」を持つ存在は限られており、誕生と死があると思っているのです。

 

しかし、そうではありません。鉱物にだって、水にだって、空気にだって、「生命」はある。みなさんがそう認識していないだけであって、全てに「生命」があるのです。私が、地上で言うところの死を迎えたとしましょう。地面に放ったらかしにしておけば、肉の大半は獣や鳥に喰われ、残ったものも土に返って、それを栄養分としてそのうちそこに草が生えるでしょう。そのようにして「生命」は繋がれ、廻っているのです。

 

意識も、肉体と一緒に脱ぎ捨てる部分もありますが、死によって全部が消滅するわけじゃない。感情面や体験によって認識したことはカルマとなり、霊界に戻ってもそれを所持し続けます。そして、そのカルマを刈り取るために、また地上に生まれ変わるのです。このようにして「魂」の旅は続くのです。物質的にも、また意識という点においても、失われるものは何もないのです。「生命」は永遠なのです。

 

ところが、みなさんにはそれが解らない。いいえ、深いところでは解っているし、7歳位まではみな記憶していたのですが、大人になってしまうと、もう容易には思い出せない。そして、それと入れ替わりに、地上の論理を信じるようになって行くのです。死後の世界などない。死んだら無だ。生きているうちが花なのさ。だから、他人のことなど知ったこっちゃ無い。己の欲望を第一に生きるんだ。

 

*周囲に小ちゃな子がいたら「あなたはどうして生まれて来たの?」と訊いてみてください。ちゃんと説明しくれる子がいますよ。

 

この、「生きているうちが花」という捉え方、心臓が動いて息をしている間だけを「生命」と捉える考え方が、近年になって急速に拡大しました。昭和30年頃までは、亡くなる人の8割は自宅で息を引き取り、病院で死ぬ人は僅かでした。しかし今は、逆に8割の人が病院で亡くなります。そこでは、1分1秒でも長く生存していることをよしとする価値観が、暗黙の了解として、医師、患者、家族の間に出来上がっているのです。

 

これを読んでくださっているみなさんに言っておきますが、人間は、死のプロセスに入りますと、それ相応の準備を始めます。それは、苦痛を無くして、順調に霊界に帰還して行けるようにと、予め人間にプログラムされた道程なのです。ところが、1分1秒でも長く生存していることをよしとする現代の医療体制が、このプログラムの自然な進行を妨害し、却って死に逝く人に苦痛を与えているのです。

 

そして、死のプロセスや、死後世界のことを何も知らない無智な人々が、この、まさに道程にある「死に逝く人」の言動を見て、それを理解できずに、譫妄(せんもう)などという言葉を与えては精神障害扱いしている有様なのです。そして、いよいよ息が途切れると、待ってましたとばかりに葬式ビジネスが動き始め、型通りに葬儀が行われ、型通りに僧侶がお経を唱え、型通りに参列者がお悔やみを述べご焼香して終わりとなるのです。

 

これのどこに、生命の尊厳があるでしょうか? 誰もが、死を出来るだけ遠ざけようとする。誰もが、出来るだけ死に向き合わないでおこうとする。そして死を、専門家と称するビジネスにアウトソーシングして、総てお任せしてしまう。己の命を‥‥。いいですか。死に向き合わないということは、生にも真剣に向き合わないということなんですよ。せっかくの機会を、人間はいったい何をやっているのか。

 

わずか半世紀前には、殆どの人が持っていた「寿命が尽きるまでは、精一杯生きさせていただこう」といった慎ましやかさはとうに失われ、今や1分1秒でも長生きすることに、誰もが血眼になっています。そして、「生命」の本当の意味というものを知らないから、傲慢な人間たちの中には、自分たちが「生命」をコントロールすることが出来ると思い始め、これを実行に移す人が出て来ました。

 

臓器移植、遺伝子操作、クローン技術、万能細胞といった先端技術が注目を浴び、夢の医療の実現といった言い方もされています。これらにスポットライトが当たるのは、そこにビジネスが絡んでいるからなのですが、このようにして、知らず知らずのうちに、人間の価値観がさらに塗り替えられて行こうとしているのです。今のこの進展状況は、アトランティス末期に起きたこととそっくりです。

 

アトランティス文明は、紀元前20万年前くらいから2万年前くらいまで続きました。最初は、Oneness を体現した生命体が住んでいたのですが(それゆえ、永く続いたのですが)、B.C.5万年ほどからアトランティス人たちにエゴが芽生え、次第に堕落し始め、科学秘術の誤用によって大地震と津波を引き起こし、遂には大陸もろとも水没してしまったのです。その元あった海域に「Atlantic Ocean(大西洋)」の名が付けられています。

 

今、世界はそれとそっくりの状況を辿りつつあります。これは、1910年頃からアメリカ合衆国を中心にしてアトランティス人の生まれ変わりが多くなり、これらの「魂」をもつ人々によって、アトランティス人のカルマの清算であるところの辿り直しが、現在進行中であるためです。それゆえ、核爆弾も、武力による世界支配も、個人主義も、グリード(強欲)も、退廃も、みなアメリカ発によって世界に広がっているのです。

 

*世界各地で大規模な水害が多発しているのは、つまるところ、このアトランティスの辿り直しが、末期の段階に入り、カルマの清算が現れ出ているということです。結局、水というのは、浄化作用ですから。

 

日本人には、古来より、循環的な生命論や、自然との調和的生き方が、代々備わっていたのですが、アメリカによる戦後70年間に及ぶ植民地支配によって、このような思想は駆逐され、世代も交代し、すっかりアメリカナイズされた価値観に置き換わってしまいました。それは、アメリカ発のアトランティスのカルマが、東へ東へと廻って、東の端の日本で最終局面を迎えるに至ったということです。

 

地球人類の「生命の成り立ちへの誤解」という面に関しては、もう一つ大きな要因があります。それは、『創世記』の第1章26節、27節にある次の文言を、西洋人が誤って解釈したことによります。西洋文明の根源にあるものは、つまるところ、旧約、新約の『聖書』なのです。

 

1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地を這うすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。

1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

 

『聖書』に記述されたこの文言から、二つの重大な誤解が生じました。一つは、人間は神に似せて創られたのだから、神の姿は人間に似ているはずだと、逆に捉えたのです。つまり、「神」を自分の外側に置いて、人格神のように考えたのです。西洋の物語に登場する「神」が、しばしば白い顎鬚を生やし、杖をついたお爺さんに描かれているのはその為です。

 

しかし、真実はそうではありません。ヘルメスが「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるものの如し」と言ったように、マクロコスモス(大宇宙=神)とミクロコスモス(小宇宙=人間)とは、同じホロニック構造にあるということが、その意味なのです。解りやすく言えば、共に、物質界と霊界とをブリッジする多次元的存在だということです。(う〜ん、あんまり解りやすくなかったかな)

 

もう一つの誤解は、神が、人間に「地球上の他の生命存在の支配権を与えた」という部分です。これに加えて、人間は神の似姿に創られた特別な存在なのだから、自然の王、生命の王として振舞ってもよいのだと解釈したのです。これによって、西洋人の中には、自然は人間の為に供せられるべきものだ、人間は自然に対し何をしてもよいのだ、という傲慢が生じたのです。

 

しかしこれも、マクロコスモスとミクロコスモスのホロニック構造を考えれば、それが誤解であることはすぐに解るはずです。マクロコスモスであるところの「神」は、確かに全宇宙を支配しています。しかしその「神」が、我欲のために、宇宙の生命を好き勝手にいじるでしょうか? いったい何のために? 自分が創造主なのにね。結局、西洋人たちは「支配」というものを誤って捉えているのです。

 

人間にとって、地球とは、生存を保障してくれる環境です。地球は、人間にとって、いわば揺り籠なのです。その揺り籠をメチャクチャにしてしまう赤ちゃんがどこの世界にいますか? それなのに人間は、温暖化で北極の氷が溶けたと聞けば、これで北極海の油田開発が容易になるぞ、シベリア開発も出来るぞと、さらなる生存環境破壊を考え出すのですから、もうどうしようもありません。まさに点ける薬がない。人類のカルマです。

 

結局、人類は、「生命」とは何かを知らない。そこに、富と支配への欲望がひっついて、いつまで経っても懲りない、水没まで進むカルマの連鎖を、何度も繰り返しているのです。

そこで、あなたにお願いしたいのは、あなたが先ず、この「生命」の成り立ちというものへの誤解を解いて欲しいということです。

 

「生命」とは、宇宙の全てを言うのです。全てが「生命」なのであり、それが組成を変え、バトンリレーして行くことによって、全体の永遠が成り立っているのです。あなたの「生命」を支えてくれているのは、他の「生命」です。ですから、そのことに思いを馳せ、感謝して、いつも周囲のものを、慈しんで見てください。その視線が、つまるところ「愛」なのですから。

 

「生命」と「愛」とは、同義語なのです。