物質的なものから非物質的なものまで含めて、「宇宙」というものが階層構造からなるということは、いにしえの時代より繰り返し指摘されて来たことでした。ところが、この階層構造の分け方や名称というものに、まったく統一性がないのです。残念なことに、これが霊的な世界、とりわけ「真理の法則」への理解を阻む大きな要因となってしまっています。
例えば、このブログを読んでくださっている方なら、現界、幽界、霊界、神界といった名称を、多分どこかでお聞きになったことがあると思います。これは全体を4層に分けています。しかし、ひとによっては、神界を仏界と呼んだり、幽界を冥界と呼んだりもしています。また幽界と現界との間に幽現界を設ける人もあり、それですと5層ということになります。
仏教の方ですと、霊的世界を上品、中品、下品(品は “ぼん” と読む)の大きく3つに分け、さらにそれを上生、中生、下生に分ける分け方(これですと9層、現界を含めれば10層になる)や、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏陀という段階を設定した「十界論」が知られています。また親鸞は、霊界の上部を、化身土、真仏土、無上仏に分類しました。
『シャーロック・ホームズ』で有名なアーサー・コナン・ドイルは、霊界の研究家でもあったのですが、両端に地上界と天界を置き、その間を三品(さんぼん)と同じように大きく3×3の9層に分ける見方をとっています。神智学を顕したマダム・ブラヴァツキーは、全体を7層に分けていますが、最下層に物質界を置き、上の6層全部は霊的世界とし、各層に特殊な名称を付与しています。
また、神秘学やヨーガの方では、エーテル界、アストラル界、カラーナ界、プルシャ界といった名称を使うことが多く(英語とヒンディー語がごちゃまぜ)、ひとによっては、カラーナ界をコーザル界と言ったり、さらにはそれらを日本語訳した、原因、微細、粗大といった言葉もあって、とにかくもうバラバラ。何が何やらさっぱり解らないという混乱状態が今もって続いているのです。
さて、そうしますと、初めて三品説を聞かされた人は「ああ、そうなのか」と思うでしょうし、4層説を聞かされた人は「そういうものかなぁ」と思うでしょう。「十界論」を聞かされた人は「なるほど」と思うかも知れません。そして、ただ思うだけではなく、これこそが真実だと言って周囲に吹聴する人も現れるでしょう。
すると、宇宙が階層構造であるという考え方はみな共通しているのに、その理解を巡っては議論百出。下手をすると、争いが生じるということにも成りかねないのです。現に、宗教間ではそのような問題が生じています。そういうことがあるために、外から教えられた情報は何も「信じるな」と、私は言っているわけです。もちろん、ここで私が書いてることも「信じ」てはいけません。最後の最後は、あなたが自分に問うて欲しいのです。
けれども私は、この混乱状態をなんとかしたいと思いました。なぜならば、私自身が、初期においてこの混乱に巻き込まれ、大変な苦労をしたからです。およそ20年の回り道をしたと言ってもよいでしょう。前回も触れたように、アセンションというものがなぜ3次元から5次元へのジャンプなのか、ということすらも解らなかったのです。
そこで、この無用の混乱を解いて、もっとシンプルで解りやすい、普遍的な構造体系を示せれば、後に続く人たちは、自分と同じような回り道はせずに、すーっと「宇宙の真理」「宇宙の法則」「光への道」へと入って行けるだろうと考えました。またそれが、私に示された役割なのだろうと、後に思うようになりました。
その後、(それが、いつ、どのようにしてだったかは忘れてしまったのですが)電撃的に、前回に書いた「霊性密度(Spiritual Density)」の概念と、構造とを理解するに至ったのです。その結果、7つのチャクラとの関係性や、宇宙と人体が相似形であることや、ヘルメスの言った「下なるものは上なるもののごとく」の意味も、まるで明かりがポッと灯ったように解ったのです。無明からの脱出です。
ヒントになったのは、ロバート・モンローの「Focus」という概念とその数え方でした。「Focus」というのは「焦点」という意味であり、モンローは、霊的世界の階層構造に番号を付けて、瞑想を行う際に、この番号に意識を絞る(焦点を当てる)という技法を用いて、各階層への旅を恣意的に実現する道を開いたのです。それは、まさに画期的と言ってよい偉業でした。
このモンローの「Focus」番号が、1〜49番まで付けらているのです。49という数字は、7×7です。階層を大きく7つに分けて、さらにそれを7分するという考え方は、すでに有ったのですが、ロバート・モンローはこれを科学的かつ論理的に示した最初の人でした。
このモンローが示した「Focus」概念と、その他で示されていた情報を付き合わせると、ほぼ合理的な一致が見出せることを私は突き止めました。以来、「虹の学校」では、この7つの階層をチャート化したものをベースに、宇宙の構造をお話ししています。そして、このチャート*を見れば、アセンションがなぜ3次元から5次元へのジャンプなのかということも、すんなり理解ができるのです。
*チャートは、それに関係したセミナーを行った際に、参加者にお渡ししています。
さて、以上が前置きです。この、宇宙が7×7の階層になっていること、そしてこの階層を決めているものは、ただ一つ「振動数(=密度)」の違いによるということを示したものが「オクターブの法則」です。オクターブ(octave)と聞いて、音楽用語にそれがあることを、みなさんすぐに思い浮かべられるでしょう。この語源は、ラテン語で8番めを意味する “octavus” です。ちなみに足が8本ある蛸は、英語で “Octopus” と言いますよね。
ハテ? 7階層なのに、なぜ8番めを意味する「オクターブ」なのか。とここで、疑問に思われた方もきっとおられるでしょう。そこで、解りやすくドレミファで示しますと、7番め(シ)の次の音階(つまり8番め)は、次のドの音となります。この時、1オクターブ上がったという言い方をします。その音の振動数は、元の1オクータブ下のドのちょうど2倍になるのです。これを「倍音」と言います。
つまり、振動数が1から2に至るまでの間を、7つに分けた階層が「オクターブ」なのです。ではこれを、いつ、誰が、どのようにして、何を理由に、7つに分けることを決めたのでしょうか? この「7音階」を定めた人が、誰あろう、みなさんよくご存知のピュタゴラスなのです。ピュタゴラスは、今日では数学者ということにされていますが、実際には「宇宙の真理」を届けるメッセンジャーでした。
ピュタゴラスは、振動数が1〜2倍に変化する間に、協和する振動数がないかを探ろうとしました。斉唱を男女混成で行いますと、普通は男女で1オクターブの音程差があります。場合によっては2オクターブ(3倍)、3オクターブ(4倍)の開きがあることもあります。でも、n倍音の差で斉唱を行っている場合には、まったく違和感がなく、協和しているように人は感じます。
そこでピュタゴラスは、1から2の間で、他に協和する音を探るために、3倍音に注目しました。これは倍音ですから無条件に協和します。しかしこのままでは2を超えていますので、3を2で割ったのです(3倍音を2倍音と考えてその半分にすればよいから)。こうして元の音に対して、1.5という数字が導き出されました。ドを1とすると、1.5の振動数に当たる音、それがソです。
次に、このソの振動数を元にして、再び3倍し、また2以下に収まるまで2で割るという繰り返し作業を行い、3×3=9、割ることの2×2×2=8、つまり9/8=1.125という数字が導き出されました。この音が、レに相当します。以下、同様にして、次々と音階を求め、この作業を12回行ったところで打ち止めにした*のです。
*ただしピュタゴラスのこの方法では、3のn乗/2のn乗=2に相当する数が、3も2もともに素数であるために存在しません。いちばん近い値は、3の11乗/2の18乗で、2.02729...と端数が出てきてしまうのです。そこで現在は、次に述べる¹²√‾2の周波数比をとった「平均律」が採用されています。これによって、響きは多少犠牲になるのですが、移調というものが可能になりました。
こうした結果、1オクターブ間に12の音階が並ぶことになりました。ピアノの鍵盤を見ますと、白鍵、黒鍵合わせて、1オクターブ間に12個の鍵盤があります。このうち白鍵の数は7個です。12個は周波数比で、¹²√‾2=1.0594...の間隔に配置されており、これが半音。半音2つの幅をとったものが全音となります。そして、全・全・全・半・全・全・半の間隔を選んでいった音が、ドレミファアソラシという白鍵の7音階なのです。
さて、12と7という数字が出てきましたね。これは別の回にも書きましたが、ともに神秘数であり、12は量的な総数を表し、7は段階的な総数を表しています。12は円形を分けるのに便利なのです。丸いケーキを思い浮かべてください。2にも、3にも、4にも、6にもすぐに分けられます。そこで、時計、1年、星座、方位など、円環を描くものが12分割されているのです。
一方の7という数字は、ドレミファだけでなく、一週間がそうですし、電子の軌道も7つです。また結晶構造の数も7つあることが知られています。このように7という数字は段階的なものを表している数なのです。では、「虹の七色」というのはどうなのでしょうか?
白色光をプリズムで分解しますと、波長別に屈折率の違いが出るために、いわゆる虹色が見えます。雨が上がった空に虹が見えるのは、空気中の水滴がプリズム効果をもたらすためです。
さて、「虹の七色」と言って、この言葉を何の疑問もなく使っているのですが、スペクトルをよく見ますと、虹色は実際にはグラデーション状に変化しており、決して七色の帯ではないことが判ります。つまり、「虹の七色」というのは、実際にはグラデーション状に連なっている色の変化を、人為的に7つに分けたものなのです。
さあ、これで冒頭に書いた、宇宙の階層構造には様々な異論がある、ということの理由がお解りでしょう。まったく同じ理由によります。実際には、振動数というものはグラデーション状に変化しているのですが、それをどう分けるか、切るかという見方の違いにより様々な説が生じているのです。当の「虹の七色」も、日本以外では6色に数えるところも多いんですよ。
さらに言いますと、このグラデーション状の振動数変化というのは、冪乗(べきじょう)で変化しているのです。これを示してくれたのが、大橋正雄さんとイームズです。この振動数の連続的変化を図示すると、対数螺旋(ベルヌーイカーブ)となり、結局、渦巻き状に無限縮小、無限拡大しているという構造になります。また、対数螺旋を部分で切り取ると、いわゆる黄金比(1:1.618)が現れます。それで神殿建築(神が宿る場所)には黄金比が多用されているのです。
では、なぜ7つに分けるのか、ということです。これも人為的に7つに切ったわけですが(7つに刀で分けたのが「切」という文字)、7つに分けると、7段階をそれぞれ象徴している意味が、非常に明快に解釈出来るためです。また、人体上のチャクラの数が7つであり(12説もある)その関連性も極めて明快に説明できるのです。もちろん7が神秘数であるということもあります。
さて、宇宙というものは、ただ一つの「振動するエネルギー体」が素となり、これが振動数を下げていくことで塊りをつくり、魂(Soul)となり、また他方では物質化という現象が起こっているということを前回に述べました。別の言い方をすれば、物質的なものも、非物質的なものも、宇宙のすべては「振動するエネルギー体」が変化したものだということです。
その時、7つの階層に対して下(振動数の低いもの)から番号を付けていくと、第1、第2、第3霊性密度が物質界、第5、第6、第7霊性密度が非物質界(霊界)となるのです。そして中間にある第4霊性密度は、文字どおり中間の、半霊半物質界ということになります。ですから、「アセンション」というものが3から5にジャンプするというのは、この領域を超えてしまうということを意味します。
ところで、最新の宇宙物理学では、今まで、それが宇宙のすべてであると思っていた「物質」(星々に代表されるもの)が、実際には、全宇宙のたった4.9%に過ぎないということが計算上から弾き出されています。そして、26.8%がダークマター(dark matter:暗黒物質)、68.3%がダークエネルギー(dark energy:暗黒エネルギー)であると、(今のところ)結論づけられているのです。
このダーク(暗黒)というのは、「悪いやつ」という意味ではなく、光学的に観測できない(遠くの星を観察するには、光を見ることになるのですが、その光が見えない)ために、その名がつけられています。それが何であるかは判らないけれども、宇宙には、見えな物質らしきものが26.8%あり、見えないし物質でもないエネルギーが、さらに68.3%あるというのです。
これも、これまで現象面をずっと追いかけて来た現代科学が、因の世界にグッと近づいた一つの例です。神秘学では、物質的世界など、全宇宙からすればほんの僅かなものであるということは、ずっと言い続けてきたことです。ダークマターが第4霊性密度の世界、ダークエネルギーが第5、第6、第7霊性密度の非物質界(霊界)のことだと考えてみてください。すんなり理解が出来るのではないでしょうか。
ではここで、第1から第7までの霊性密度にドレミファソラシを当てはめてみましょう。そうすると、第3から第4に移行する時に半音階、第7からその上の第8に移行する時に、また半音階が来ていることがお解りでしょう。ゲオルギイ・グルジエフ*は、これを「ショック」と呼びました。ミ→ファと、シ→ドへの移行部分に半音階の「ショック」があるのです。
*ゲオルギイ・グルジエフ:エニアグラムを世に紹介したことで有名。
さて、どんな「ショック」なのでしょうか? ミ→ファのショックは、物質界から非物質界へと突入するというショックです。シ→ドは、この宇宙の最高のもの、つまり創造神から、それよりも高い「何か」へとジャンプするというショックです。さて、創造神よりも高い次元のもの(第8霊性密度)とはいったい何なのでしょうか?
言うなれば、それが絶対神です。宇宙の創造神と、絶対神とは違う。宇宙の創造主は、現にこうして被創造物である宇宙がある以上、その創造者も、論理的に考えれば有る(在る)はずです。しかし有る(在る)ものは変化しますから、それは「絶対」とは呼べません。では「絶対」と呼べるものが、果たして宇宙にはあるのでしょうか? もしあるとすれば、それは「無」だけです。「無」は変化しませんから。そのような結論に至ります。
しかし、この論理は矛盾を孕んでいます。「無」が「有る」と言ってしまうと、それは「無」ではなくて「有」になってしまいます。ですから、「無」はどこまでいっても「無」です。「無」が何かと言われても答えようがない。「無」は「無」としか言いようがありません。しかし、「無」以外に変化しないもの、つまり「絶対」はないのです。
すると、私たちとしては、こう考えるしかありません。この「宇宙」の創造主すらも超えた、「絶対」なる何かがきっとおわすのだろう。しかしそれは「無」なのだから、あるとは言えない。結局、私たちがどう考えようが、その問題には結論が出ない。だから「無」だ。つまり考えても「無駄」(シャレです)。となってしまうのです。どうも、お後がよろしいようで。
今日のところはそこまでにしましょう。この第8霊性密度については、別の考えもあります。それはまた機会があればお話することにいたしましょう。