心の病なんて、本当はないんだよ(5)
2016.03.31 Thursday
これまで述べてきた通り、様々な観点から見て、現代社会が個々人の「心」の問題を、うまく支えきれなくなってきていることは確かです。しかしだからと言って、イコール「心の病」に罹る人が増えるということにはなりません。
そもそも、「心」に病気などないのです。不安になったり、情緒不安定になったり、怒りや嫉妬を感じたり、悲しみに襲われたりするのは、生きて活動している限り、あるのが当たり前。それなのに、片方に病気にしたい人がいて、もう片方に病気だと診断してもらいたい人がたくさんいる。その両者の思惑が一致して、「心の病」が作られているのです。
この構造を俯瞰して眺めてみてください。どこか異常だとは思いませんか? むしろ、このプロセスこそが「病気」です。これはもう、現代の病理だと言ってもいい。なぜこんなことになってしまったのでしょうか? その背景要因を8つ挙げました。もう一度、列挙しますので見てください。
●「心の病」を誘発する8つの環境要因
(1)幼少時の親の愛情不足
(2)みんなで子どもを育てていく装置としてのコミュニティの崩壊
(3)自然と触れ合う場所や機会の減少
(4)人間同士の触れ合いの減少とバーチャルなコミュニケーションの増大
(5)競争、優位、適者生存の思想を教える学校教育、社会人教育
(6)真面目に働いても報われることが少ない労働環境
(7)「心の病」を作り出したい人たちの暗躍
(8)心の悩みの受け皿となれる人の不足
これらは全て、現代人に仕掛けられた罠と言っていい。その罠に引っ掛からないようにするためには、それぞれの項目を、意識して、すべて逆を目指せばよいのです。
(4)〜(6)の社会環境の変化は、まるで津波のように押し寄せて来るので、逃れるのは難しいかも知れません。でもそれらを絶対視しないで、相対化してしまうことが自分を守ることになります。「そう、そういう考え方もあるかもね。でも私は従わないわ。」と言えばよいのです。
(1)〜(3)の家庭環境要因については、過去にそれによって傷ついたことがあったとしても、これからを理想に向けてクリエイトしていけばよいのです。いつまでも古い出来事にこだわり続けることには、益がありません。それはもう過ぎたことですから考えるだけムダ。それよりも、今の楽しさをクリエイトした方がずっといいとは思いませんか?
(7)(8)については、社会構造の病理をよく見抜いて、引っ掛からないようにしてください。そして、自分が癒されることばかりを考えるのではなく、あなたが他者を癒す人になってください。それが、自分が癒される一番の近道なのです。もし、自分はこれまで一度も癒されたことがないという思いがあったとしたら、自分が他者を癒すことをしてきたかどうかを振り返ってみてください。
さて、なぜ「心の病」などないと言い切れるのかをお話ししましょう。先ず、脳の機能障害は全くゼロというわけではありません。脳機能が障害を受けることはあります。ですが、それは非常に稀です。それと重要な点は、「心」は脳が作り出しているものではなく、本体は「魂」にあるということです。「魂」がソフトウェア、「脳」はハードウェアです。ソフトウェアがハードウェアを動かしてアウトプットされたものが「心」です。
ではソフトウェアである「魂」に、病気があるのでしょうか? 「魂」には個性があります。ですからそれぞれの記憶を抱えていますが、霊界に帰った時には、宇宙エネルギーとの一体を経験します。「魂」はもともと一つであり、個性を持っても、繋がりが絶たれることはありません。ですから、いつでも宇宙全体と繋がっているのです。
さて、宇宙全体とは何でしょうか? “それ” を、ある人は「神」と呼び、ある人は「創造主」と呼びます。また「第一原因」とか「ハイアーセルフ」と呼ぶ人もいます。名前はどうでもよいのですが、もし「魂」に病気があるとすれば、それと繋がっている「神」や「創造主」が病気だということになってしまいます。
そんなことが果たしてあり得るでしょうか? 全てを創った、たった一つの存在が、「病気」であるはずがありません。もし「病気」だとしたら、そう診断するものは誰なのでしょうか? 「神」は、自分で自分を「病気」だと診断するのでしょうか? だとしたら、診断した自分は正常で、その自分が同時に「病気」ということになってしまいます。これは明らかな矛盾です。ですから、そんなことはあり得ません。
「神」が病気である筈はないのですから、それと繋がっている、あなたの「魂」が病気になる筈がありません。あなたの「魂」は、「神」を構成する一部であり、あなた自身が「神」なのです。「神」は外側にあるのではなく、あなたの内にある。ですから、「魂」のアウトプットである「心」に、本来「病気」はないと言い切れるのです。いいですか、もう一度言いますよ。あなたに「心の病」などはありません。
ではなぜ、時に「病気」のような状態を人は呈するのでしょうか? これは、人間には思考というものが備わっていて、その思考が様々な「観念」を創造するために起こります。ご自分の「魂」を信じ、「魂」に沿って、素直にありのままに生きていれば何の問題もありません。ところが、人間の社会は様々な「観念」を創り出し、それを人々に強いてしまうのです。
その根本にあるものが、あらゆる階層に横たわる「分離」という意識です。自分の「魂」を信じられずに「肉体」だけが自分だと思い込む「分離」。だから「神」とは切り離されてしまって自分は孤独だと思う「分離」。自分と他者とは理解しあえないと思う「分離」。そこから、他者を蹴落としてでも、自分が生き残らなければならないという競争意識、闘争意識が生まれるのです。
しかしこれは、本来の「魂」のあり方には反していますので、そのような考え方や思想に嵌り込めば嵌まり込むほど、ギャップが大きくなって「心」が不安定になって行ってしまうのです。そして、陽のエネルギーの強い人は攻撃的になり、陰のエネルギーの強い人は、閉じこもりがちになってしまう。肉体を作っているのは「心」ですから、これが進むと、肉体的にも様々な症状が現れるのです。
さて、これまで何度か、あなたを、空に浮かぶ凧にたとえて来ました。改めて、あなたの自由とは何でしょうか? 糸の端を、誰かにしっかり持って貰わなければ、あなたは不安でしょうか? しかし誰かに持って貰っているということは、その人にコントロールされているということなんですよ。そこに気づいてください。あなたにとっての本当の自由とは、この糸を、自分で切ってしまうことから始まるのです。その勇気をあなたは持たなければなりません。
えっ、「それじゃ自分がどこへ行ってしまうか判らないから、不安だ」ですって? 確かにそうでしょう。でもね、その凧が、宇宙の外に弾き出されることは、絶対にない。あり得ません。この意味が解りますか? たとえどんなになっても、あなたは、いつでも宇宙に抱かれているということなんですよ。
それじゃあ訊くけど、宇宙って何でしたっけね?
これこそ神秘。これこそ奥義。真髄です。その深い愛を噛み締めてください。
ですから、あなたは大安心していいんですよ。(完)
そもそも、「心」に病気などないのです。不安になったり、情緒不安定になったり、怒りや嫉妬を感じたり、悲しみに襲われたりするのは、生きて活動している限り、あるのが当たり前。それなのに、片方に病気にしたい人がいて、もう片方に病気だと診断してもらいたい人がたくさんいる。その両者の思惑が一致して、「心の病」が作られているのです。
この構造を俯瞰して眺めてみてください。どこか異常だとは思いませんか? むしろ、このプロセスこそが「病気」です。これはもう、現代の病理だと言ってもいい。なぜこんなことになってしまったのでしょうか? その背景要因を8つ挙げました。もう一度、列挙しますので見てください。
●「心の病」を誘発する8つの環境要因
(1)幼少時の親の愛情不足
(2)みんなで子どもを育てていく装置としてのコミュニティの崩壊
(3)自然と触れ合う場所や機会の減少
(4)人間同士の触れ合いの減少とバーチャルなコミュニケーションの増大
(5)競争、優位、適者生存の思想を教える学校教育、社会人教育
(6)真面目に働いても報われることが少ない労働環境
(7)「心の病」を作り出したい人たちの暗躍
(8)心の悩みの受け皿となれる人の不足
これらは全て、現代人に仕掛けられた罠と言っていい。その罠に引っ掛からないようにするためには、それぞれの項目を、意識して、すべて逆を目指せばよいのです。
(4)〜(6)の社会環境の変化は、まるで津波のように押し寄せて来るので、逃れるのは難しいかも知れません。でもそれらを絶対視しないで、相対化してしまうことが自分を守ることになります。「そう、そういう考え方もあるかもね。でも私は従わないわ。」と言えばよいのです。
(1)〜(3)の家庭環境要因については、過去にそれによって傷ついたことがあったとしても、これからを理想に向けてクリエイトしていけばよいのです。いつまでも古い出来事にこだわり続けることには、益がありません。それはもう過ぎたことですから考えるだけムダ。それよりも、今の楽しさをクリエイトした方がずっといいとは思いませんか?
(7)(8)については、社会構造の病理をよく見抜いて、引っ掛からないようにしてください。そして、自分が癒されることばかりを考えるのではなく、あなたが他者を癒す人になってください。それが、自分が癒される一番の近道なのです。もし、自分はこれまで一度も癒されたことがないという思いがあったとしたら、自分が他者を癒すことをしてきたかどうかを振り返ってみてください。
さて、なぜ「心の病」などないと言い切れるのかをお話ししましょう。先ず、脳の機能障害は全くゼロというわけではありません。脳機能が障害を受けることはあります。ですが、それは非常に稀です。それと重要な点は、「心」は脳が作り出しているものではなく、本体は「魂」にあるということです。「魂」がソフトウェア、「脳」はハードウェアです。ソフトウェアがハードウェアを動かしてアウトプットされたものが「心」です。
ではソフトウェアである「魂」に、病気があるのでしょうか? 「魂」には個性があります。ですからそれぞれの記憶を抱えていますが、霊界に帰った時には、宇宙エネルギーとの一体を経験します。「魂」はもともと一つであり、個性を持っても、繋がりが絶たれることはありません。ですから、いつでも宇宙全体と繋がっているのです。
さて、宇宙全体とは何でしょうか? “それ” を、ある人は「神」と呼び、ある人は「創造主」と呼びます。また「第一原因」とか「ハイアーセルフ」と呼ぶ人もいます。名前はどうでもよいのですが、もし「魂」に病気があるとすれば、それと繋がっている「神」や「創造主」が病気だということになってしまいます。
そんなことが果たしてあり得るでしょうか? 全てを創った、たった一つの存在が、「病気」であるはずがありません。もし「病気」だとしたら、そう診断するものは誰なのでしょうか? 「神」は、自分で自分を「病気」だと診断するのでしょうか? だとしたら、診断した自分は正常で、その自分が同時に「病気」ということになってしまいます。これは明らかな矛盾です。ですから、そんなことはあり得ません。
「神」が病気である筈はないのですから、それと繋がっている、あなたの「魂」が病気になる筈がありません。あなたの「魂」は、「神」を構成する一部であり、あなた自身が「神」なのです。「神」は外側にあるのではなく、あなたの内にある。ですから、「魂」のアウトプットである「心」に、本来「病気」はないと言い切れるのです。いいですか、もう一度言いますよ。あなたに「心の病」などはありません。
ではなぜ、時に「病気」のような状態を人は呈するのでしょうか? これは、人間には思考というものが備わっていて、その思考が様々な「観念」を創造するために起こります。ご自分の「魂」を信じ、「魂」に沿って、素直にありのままに生きていれば何の問題もありません。ところが、人間の社会は様々な「観念」を創り出し、それを人々に強いてしまうのです。
その根本にあるものが、あらゆる階層に横たわる「分離」という意識です。自分の「魂」を信じられずに「肉体」だけが自分だと思い込む「分離」。だから「神」とは切り離されてしまって自分は孤独だと思う「分離」。自分と他者とは理解しあえないと思う「分離」。そこから、他者を蹴落としてでも、自分が生き残らなければならないという競争意識、闘争意識が生まれるのです。
しかしこれは、本来の「魂」のあり方には反していますので、そのような考え方や思想に嵌り込めば嵌まり込むほど、ギャップが大きくなって「心」が不安定になって行ってしまうのです。そして、陽のエネルギーの強い人は攻撃的になり、陰のエネルギーの強い人は、閉じこもりがちになってしまう。肉体を作っているのは「心」ですから、これが進むと、肉体的にも様々な症状が現れるのです。
さて、これまで何度か、あなたを、空に浮かぶ凧にたとえて来ました。改めて、あなたの自由とは何でしょうか? 糸の端を、誰かにしっかり持って貰わなければ、あなたは不安でしょうか? しかし誰かに持って貰っているということは、その人にコントロールされているということなんですよ。そこに気づいてください。あなたにとっての本当の自由とは、この糸を、自分で切ってしまうことから始まるのです。その勇気をあなたは持たなければなりません。
えっ、「それじゃ自分がどこへ行ってしまうか判らないから、不安だ」ですって? 確かにそうでしょう。でもね、その凧が、宇宙の外に弾き出されることは、絶対にない。あり得ません。この意味が解りますか? たとえどんなになっても、あなたは、いつでも宇宙に抱かれているということなんですよ。
それじゃあ訊くけど、宇宙って何でしたっけね?
これこそ神秘。これこそ奥義。真髄です。その深い愛を噛み締めてください。
ですから、あなたは大安心していいんですよ。(完)