宇宙は双極性によって成り立っていることは間違いのない事実です。身の回りのあらゆる事物を見ても、陰陽二極に拠らないものはなに一つありません。これをシンボル化したものがタイチーマーク(陰陽太極図)であり、陰陽が渦を巻いているのが宇宙の構造であるということを示しています。DNAの二重螺旋が発見されたのは20世紀の後半に入ってからですが、これを見事に証明しています。
どうして二極なのかという理由は、あまりにも深遠なために、簡単に語ることは出来ません。しかしこの双極性から「善と悪」という概念が生じていることもまた事実です。ところが、西洋と東洋とでは、「善と悪」というものに対する考え方に、大きな違いがあるのです。
西洋では、「善と悪」はあくまでも対立概念であり、悪を滅ぼす者を善とした。したがって悪と断じた者を攻撃することに正当性を与えました。このような考え方は、一神教から来ています。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が信仰の対象としている神は同一で、それならば仲良くしたらいいようなものの、互いに異教徒を憎しみの対象にまでしてしまう。
この背景には、根本に間違った一神教の解釈があるのです。「神は一つ」という考え方そのものは正しいし論理的に矛盾はありません。けれどもその神を「善」なる側に置き、反対側に「悪」の親玉としてのデビルやルシファーを設定しました。そして「善」なる神を仰ぎ、近づこうと努力する者、つまり自分たちは「善」なのだとしてしまったのです。
でもこの論理は、何かおかしいことに気がつきませんか? ではデビルやルシファーを創造したのはいったい誰なのでしょう? もし宇宙創造の最初の段階からデビルやルシファーが居たのだとしたら、善の神と悪の神が存在するという二神教になってしまいます。一方「神は一つ」というロジックを貫くのであれば、デビルやルシファーも神が創ったということになります。
西洋では、このような根本的矛盾にはほっかむりして、善悪二元論を持つ一神教という概念を、二千年に渡って、広く深く浸透させて来てしまったのです。これは、本来誰もが自分の中に持っている「悪」を手なずけるには非常に都合がよかったのです。その「悪」にきちんと向き合わずに、「悪」を他者に転化して、それを攻撃すれば自分の「善」が正当化されたからです。
一方、東洋では汎神論が普及しました。これは、あらゆるものに神性が宿っているという考え方です。あらゆるものに神性が宿るということは、見方を変えれば、一神論だということがお解りいただけるでしょう。ですから汎神論の方が、むしろ本当の一神教とも言えるわけですが、西洋はこれを低俗な偶像崇拝として扱ったのです。
インドでは三大神と言って、宇宙を創造した神(ブラフマ)、出来上がった宇宙を保ち生かす神(ヴィシュヌ)、そして消滅させる神(シヴァ)を設定しました。これは宇宙の循環サイクル(輪廻)を、見事に表現しています。創造と消滅は一つのサイクルであって、どちらが「善」だとか「悪」だとかはない。それが宇宙の実相だということです。
日本では、祟り神である「艮の金神(うしとらのこんじん)」をご神体とする宗教がいくつもあります。「艮」は十二支を360度の方位に当てたときの、丑と寅の中間で、東北を差します。いわゆる「鬼門」の方位です。鬼の絵が牛の角を持ち虎のパンツを穿いているのは、この「艮」をもじったものです。
じゃあ「艮の金神」を崇めるような宗教は、悪魔崇拝なのか? そうではありません。天候一つとっても、人間にとって良い時も悪い時がある。天変地異だってある。疫病の流行や飢饉もある。それらを認めた上で、そういう力を発揮している天の存在に対し、自分の不徳を詫びて、その力を自分の善なるものに転化していただこうということなのです。
ところが西洋の場合は違う。デビルやルシファーを崇めるのは、本当に悪魔崇拝なのです。自分の悪魔的考え、支配欲に対して、その実現に向けて力を授けて貰おうとするのです。善悪二元論の一神教という、そもそもの矛盾が、そっくりそのまま悪なるものを主神とする宗教に置き換わっているわけです。
こういう感覚は、日本人にはなかなか理解し難いものがあります。が、逆に西洋から見たら、善も悪も一緒だという考え方は、理解し難いわけですね。例えば、病気に抗うのではなく、認めて共存して生きていく、などという考え方は、西洋人からすれば敗北思想であり、「なぜ戦わないんだ」となってしまうわけです。
しかし、今日の世界情勢を見れば、善悪二元論の一神教が、ここまで混乱した世界を創ってしまったということは明らかです。過去に、西洋社会で東洋を学ぼうとしたムーブメントが何度か起こったのですが、幾世紀、何世代にも渡って、あまりにも深く宗教が浸透したため、これを覆すことは殆ど不可能のように思えます。
アメリカ大統領が、就任の宣誓を行うに際し、聖書に手を置くことはご存知だと思います。ジョージ・W・ブッシュが、「悪の枢軸国」発言を行い、テロと戦うと宣言した時に、国民の7割以上が熱狂したのですが、そうなる下地が、そもそも西洋社会には色濃くあるということです。
しかし東洋には、二極性は同一のものの循環という考え方が基本にあって、祟り神までをも祀って来たということですね。我々はそのことの意味を、今こそ振り返ってみるべきだと思います。