病人を創り出すことに喜びを感じる人間に成り下がってしまった、医者
2015.07.31 Friday
ひどいインターネット広告を見ました。入口が「あなたのお子さん、『片づけられない人』なのでは?」というのです。クリックすると広告ページに飛び、そこで「それって、もしかしたらADHDかも?」となるのです。あとは、「専門医に相談しなさい」「治療にいい薬があります」という、ドツボに落とし込むパターンです。
親切な第三者機関を装っているのですが、ホームページを作っているのは、れっきとしたアメリカの大手製薬会社。以前に、子宮頸癌ワクチンの接種を誘う、女性専用列車内での全面広告のことを書きましたが、あれと誘い込む手法は同じです。
マーケティングでは「市場創造」と言うのですが、顧客というのは、そこに居るのではなくて創るものなのだと。有名な話では、「洗口液」というものが登場するまでは、誰も口臭のことなど気にしていなかったと言います。さてそこで、医薬品がそれと同じことをしていいのか、ということです。医薬品の「市場創造」とは、病人を創ることになってしまいます。
私は、片づけが苦手です。時々は掃除をしますが、机の上にはいろんなものが出しっ放しでいつも散らかっています。うちの息子に至っては、片づけ能力ほとんどゼロ! じゃあそれが「もしかしたらADHDかも?」になるのかということです。「かも?」ならぬ、本音は「カモ」にしたいだけのことではありませんか?
いったい全体「片づけ」が大得意なんて人がどれほどいるのでしょうか? ほとんどの人が苦手だから、雑誌やテレビで「収納術」特集が組まれるのではありませんか? うちのカミさんは私より片づけられなくて、私は、往年のハリウッド女優デボラ・カーをもじって「ズボラ・カー」と呼んでいたくらいです。(デボラ・カーを知らないか?)
今は、生身の人間とのコミュニケーションが希薄になり、若いお母さんなどは子育てに関してインターネット情報に頼っているような状態です。そんな状況につけ込んで「あなたのお子さん、『片づけられない人』なのでは?」とやったら、思い当たる人はゴマンといる。そこで専門医(?)の診断を受けたりしたら、たちまち病気にされてしまいますよ。
精神疾患はおいしい市場です。なにしろ、誰にでも「動く心」というものがある。潜在市場は人類全体といってもいい。その「動く心」の喜怒哀楽、躁鬱、不安は、すべて「病気」と決めつけることだってできる。そして一度「病気」にしてしまえば、そこから「薬漬け」に誘い込める。しかも治らないから、「薬漬け」状態をずーっと継続できるというわけです。
私の従兄弟も医者をやっていますし、全員がと言うつもりはありませんが、今や医者は、病人を治すことに喜びを感じるのではなく、病人を創り出すことに喜びを感じる人間に成り下がってしまった。
精神科医というのは、いったい何の専門家なのでしょうか? 「心」のありかも知らない者が「心の病」の専門家と言うのだからまったくひどい。彼らがやっていることは治療ではなくて、勝手な病名を付けて「診断」するだけです。「診断」ごとに処方が決まっているから、それに応じた薬を処方することを称して「治療」と言っているだけ。
一度「薬漬け」にされてしまったら、そこから抜け出すのに2倍の以上の手間が掛かってしまいます。「薬漬け」から脱出するのと、元々の「心」の問題を手当てするのと。患者は、薬を服用していることで一応の平静が保てていると思い込むようになるので、薬物依存から抜け出すのはますます困難になる。何のことはない、「治療」は問題を複雑化させるだけなのです。
「心」は「脳」が生み出しており、「脳」の機能障害が「心の病」の原因だとする唯物論者たちに問いたい。ではその「脳」は、いったい誰が動かしているのかと。「脳」が勝手に動いて「心」が生じるのでしょうかと。荒唐無稽な論から出発した「病人」創造は、本当にやめてもらいたいものです。