by Rainbow School
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アメリカという泥舟にしがみつくただ一人の乗客
今日、3月31日は、中国が主導する「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」への参加を決めるかどうか、という点で一つの節目を迎えます。中国は、3月31日までに参加表明した国には、創設メンバーとして銀行の枠組み作りの交渉に加われるとしているのです。

29日までの参加国は41となり、先週から雪崩を打ったように、スイス、オーストリア、トルコ、カナダ、オーストラリア、ブラジル、ロシア、オランダ、デンマーク、そして韓国までもが、参加を表明しました。

日本が、最終的にどういう結論を下すかは分かりませんが、このままであれば、日本はアジアだけではなく、世界からもつまはじきになってしまう可能性があります。情けないと思うのは、日本が、親分であるアメリカの顔色をうかがうことしかできず、主体性がまるでないという点。

アメリカが、参加をしないようにと牽制していたにもかかわらず、最大の同盟国であるイギリスが参加を決め、カナダとオーストラリアも加わり、さらに韓国までもが参加を決めた。特に韓国の参加には驚きましたが、このことは、表のニュース以上に大きな意味があると、私は思います。

環太平洋地域では、一方でTPPを推進しようという動きも依然あるわけですが、親米の枠組みが崩れてしまい、今や日本だけになってしまったという点。ヨーロッパにも亀裂が入り、NATO体制を離れて、BRICs と歩調を合わせる動きが出てきた点。

早い話が、世界が、ドルを土台にした、これまでのアメリカ主導の金融体制を見限ったということです。表のニュースの解説者たちは、長年アメリカに洗脳され続けてきた人たちなので、それを単に米中の綱引きの問題だと言うでしょうが、そうではないのです。

これは、ドルを土台にした金融体制が、あまりにも横暴を極めてきたことに対する、世界からのNO!という動きなのです。つまり、パクス・アメリカーナ(Pax Americana:パクス・ロマーナを模して言われる、アメリカ帝国の覇権)の一局支配体制の終わりが、決定的になったということです。

日本は、その泥舟にいつまでもしがみついている、もはやただ一人の乗客なのです。このまま一緒に沈むのかどうか。過去20年余年、なぜ日本だけが、突出した債務の伸びを示して来たのか。それは単に政府が無策だったということではなく、歴代政権が日本の資産を故意にアメリカに貢いで来たからです。

80年代までは「Japan as Number One」とまで言われていたのに、そのようにして、日本はアメリカに次ぐ、格差貧困社会に陥ってしまいました。そのツケが、今ここに来て吹き出ている。しかし、その歴代政権を選んできたのは有権者です。日本がいかに世界を知らないか、騙されていることに気がつかない、呑気な国民性なのか。

日本人は、これから、それを学ばされることになるでしょう。
三宅一生さんのかっこよさ
貧困層に転落してから、全身ユニクロの着たきりスズメ状態を余儀なくされ、ファッションとは全く縁がない生活になってしまったのですが、三宅一生さんのドキュメンタリー番組『三宅一生 デザインのココチ』というのがあって、とても興味深く観ました。

「トレンド・ファッションを創っているわけじゃなくて、自分たちがやっているのは表現だから」と三宅一生さんは語ります。

若い時分の私は、パリコレというものが全く理解できませんでした。「なんで、こんな着られないような服を作るんだろう」と思っていました。でもそれが「服」を通じた表現であると知って「ああ、こういう世界もあるんだ」と知りました。それからファッションが好きになりました。(見るだけですけど)

1970年代から、日本のデザイナーが一斉に世界で羽ばたくようになるのですが、三宅一生さんは、エキゾチックな顔立ちもあって、断然かっこよかったです。1980年代には空前のDCブランドブームが起きて、ブランド名を覚えるのにまあ忙しかったけれど、今はどうなっているんでしょうねぇ。

プレタポルテ(フランス語: prêt-à-porter)の業界が、今どのようにして成り立っているのかは知りませんが、ずっと独自の道を追求してこられて、なおかつ営業的にも成功されているというのは、立派です。それもやっぱり、三宅一生さんの人柄なのかなぁと、番組を観て思いました。

「たかが服」ということを知った上で、でもそれが好きだし自分は表現を追求していく、という姿勢に、愛と情熱が溢れている。若いスタッフたちにも、怒鳴りつけたり、癇癪を起こしたりすることなく接し、各人の持ち味を引き出すように、けしかけていく。デザイナーであると同時に、よき指導者として後進を育てようとしている姿には、懐の深さを感じました。

イサム・ノグチさんと親交があったということなのですが(道理で、照明器具デザインは似た雰囲気があるなと思いました)、香川県高松市の『イサム・ノグチ庭園美術館』で撮影しているんでしょうかねぇ、石をバックに、ダンサーが三宅一生さんの服を着て踊るパフォーマンスもなかなかステキでした。

【NHKBSプレミアム】4月23日(木)午後10時〜11時(再放送)
卒業式の茶番劇
卒業式シーズンということで、今春、小学校を卒業したお子さんがいらっしゃる方から、また茶番劇の話をお聞きしました。卒業式で、卒業する生徒一人ひとりに、将来の夢を宣言させるのだそうです。

私にそれを話してくれたお母さんも、卒業式でわが娘の話を初めて聞き、「へえ〜」と思った。家に帰った後で、娘さんに「あれ、本当なの?」と聞いてみると、「なんか言わなきゃいけないので、適当に創った」という答えが返ってきたそうです。先生よりも、子どもの方が一枚上手ということですね。

大学でちょっと実習を経験しただけで、教職員免許を取って学校の「先生」になる。人生経験も積んでないのにいきなり周囲から「先生」と呼ばれる。他の社会を経験したこともなく、揉まれたこともなく、安全弁を選択してサラリーマンになった者に、「将来の夢を語れ」と言う資格があるのかどうか?

錯覚もはなはだしいと思います。生徒に「夢を語れ」という前に、自分がいかに冒険心と夢を無くして、サラリーマンになったかを語るべきではないでしょうか。その方がずっと有意義だと思う。自分が裸になれない者に、どうして他人を裸にすることができましょうか。本音を聞き出すことができましょうか。

ですから、子どもはそれを敏感に感じ取って、「どうしよもないな」と思いながらも、創作文をでっちあげて従っているんです。本当は、一人ひとりの可能性を見極め、引き出して上げるのが指導者の役割ですが、そういう目がないんですから。社会の多様性を知らない人が「先生」になっているんですから。

だから、「自分で夢を語れ」と言う。でもそれは、本来の役割の放棄なんですよ。「君にはね、他の人にはない、こんないいところがあるんだよ。だからもっと自信を持って、それを伸ばしていくといいね。そして将来は、その特性を活かせる仕事につくといいと思うな」と言って、励ましてあげることが指導者の役割なんですよ。

それなのに、子どもに茶番劇の演じ方を教えてどうするんですか?
もう教師は余計なことはするな、と言いたいです。
戦争と「カルマの法則」
2010年12月、チュニジアを出発点に、アラブ諸国に拡大していった民主化革命の「アラブの春」。それによって、中東に平和な市民社会が訪れると思いきや、今や血で血を洗う泥沼の惨状と化しています。いったいなぜ、こんなことになってしまったのでしょうか?

「核戦争防止国際医師会議」という団体が、いわゆる「対テロ戦争」の犠牲者数を、イラク、アフガニスタン、パキスタンの三か国で調査しました。それによると、この戦争で直接または間接的に殺された人はイラクで約100万人、アフガニスタンで22万人、パキスタンで8万人に上るそうです。

人が人を殺す。自爆して自分もろとも周囲の人を巻き込んで殺す。普通であれば、人はこんなことはしません。ところが「戦争」になると、人は、自分の中にあった柵を乗り越えて、殺人マシーンと化してしまうのです。自分自身の思考力、判断力を放棄して、支配者の言いなりになってしまう。

「戦争」の背景を、領土的な野心や、政治的な理由、宗教的な理由に求めていくら分析したとしても、なぜ「人が人を殺すのか」という観点にメスを入れなければ、「戦争」は無くなりません。何度も書いてるように、騙される人が居なければ、騙す人は存在できないのです。

騙す人は、大義名分や、国家存亡の危機といった愛国心に訴えて、人々を「戦争」に向かわせるのでしょう。しかし、私が残念に思うのは「カルマの法則」を知っていれば、このようなことは起きないということなのです。関心がない人には「何をバカなことを言っているんだ」とお思いでしょうが、これは「真理の法則」の一つなのです。
この法則が示すところのものは簡単です。自分が出したエネルギーは、いつか自分に返ってくるということ。人を殺せば、次の生では殺される運命が待っている。残虐なことをすれば、今度は自分が残虐な目に合うことになる。今の生の瞬間瞬間は、今を生きると同時に、来世の自分も作っている過程なのです。

このことをみんなが知っていれば、「殺人」などおいそれとはできようはずがありません。またそれを命じて、たくさんの「殺人」を結果的に束ねていることになる支配者が作るカルマは、膨大なものとなります。ですから、「カルマの法則」を認めたり知らせたりすることは、支配者の存在基盤を危うくしてしまいます。

ご承知のように、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、聖地を同じくする姉妹宗教です。ですから、これらの間の宗教対立は近親憎悪と言ってもよいものです。ましてや、いま問題となっているのは、同じイスラム教の中の宗派対立です。これらの宗教に共通している点は「輪廻転生」と「カルマの法則」を認めていないということ。

これは実は、東洋にしか「カルマの法則」はない、ということではないのです。「真理」は一つ、「霊界」も一つですから、人種国籍を超えて、発見し得たものはみな同じです。イエス・キリストは勿論これらのことを知っていましたが、イエスの死後、宗教にしてしまった人たちが、これらの「真理の法則」を封印してしまったのです。

なぜかと言えば、教会と僧への求心力を高めるためです。みんなが「真理の法則」を知ったら、宗教にしておく理由がありません。そこでこれを知らせず、銘々が勝手な「救済」理論を作り上げ、教会や僧への絶対的「帰依」を求めるように図ったのです。この方法は、今日の新興宗教もなんら変わってはおりません。

しかし、一般には知られていませんが、古代エジプトより「真理の法則」はごく少数の集団に脈々と伝えられいて、そこでは東洋も西洋もなく、両者は融合して、共通のものを伝えてきているのです。そして伝えるだけではなく、どの時代においても、特別な能力を持った存在が、みな同じことを説いているのです。

なぜなら、「真理」は一つ、「世界」は一つ、「宇宙」は一つ、「命」は一つ、だからです。そこには支配も隷属もない。宗教対立もない。戦争もない。人類はみな兄弟、みんな仲良く励まし合う世界があるだけなのです。

権力者が繰り出す「対立構造」と「恐怖のシナリオ」に夢中にならないでください。彼らは知らないのです。「真理」というものを、「カルマの法則」というものを。
私の願い
2013年の誕生日(6月5日)のことです。私は某所で、チャネラーを通して、ある存在からの次のようなメッセージを貰いました。

「『こんなことがあったんですよ、聴いて下さい』とあなたが人々に語って行く、そのような活動をしているのを、私はもう見て知っています。これから近しい人々に対して、増々しっかりと語りなさい。語らなければ周囲の人には解らないのですよ。これから私は、あなたに増々シンプルな言葉をあげて行きます。私からの知恵は、今までとは違ったもので馴染みがなく、本当にそれをやっていいのだろうかと躊躇することもあるでしょう。しかし私は、あなたがいろんな方法を試しながら、新しいチャンスに対して安心して手を伸ばしていくことが出来るようにしていきます。あなたの人生はよい人生です。それは間違いないことです。そのことを宣言し、勇気を持って、日々語りなさい。私があなたの味方だから大丈夫です。」

その時には、すでにこのブログを書いていたのですが、そのことは勿論のこと、私の名前や生年月日を含むその他一切の情報に関して、そのチャネラーには一切何も伝えていませんでした。

ところが、会っていきなりそう言われ、びっくりすると同時に、私は涙が溢れてくるのをこらえきれませんでした。それまでの辛かった日々が思い出され、でも見てくれていた人も居たんだなぁ、という安心感と感動でいっぱいになりました。

それから半年くらい経って、自分の中にだんだんと使命感のようなものが芽生え始め、書く内容も変わっていったのです。毎日というわけにはいかないのですが、時々、自分の意思を超えた言葉が紡ぎ出されるようになったのです。こんな時は、言葉を選んでいるのは間違いなく自分なのですが、書き終わると、何を書いたかはほとんど覚えていません。

今まで、誤解されるのを怖れて、この手のことは書かなかったのですが、最近になって、私が何をお伝えしたいのかがやっとハッキリして来たので、今日は勇気を出して少しはみ出てみました。ですが、自分が特別だなどと言うつもりは全くありません。私はいわゆる霊能者ではないし、One of them に過ぎません。

その One of them が伝えたいこととは、次のことです。思いつくまま箇条書きにしてみます。

  1. 人は本来的に「自由」だということ。「自由」こそが最も尊いものだということ。
  2. だから人は、誰からのコントロールも受けないし、他者をコントロールしようとしてもいけないということ。
  3. しかし世の中には、コントロールしていると意識させることなくコントロールしているもので溢れかえっているので、それらのカラクリを見破って欲しいこと。
  4. 体調不良の奥には、必ず心の問題があり、心の問題の奥には「魂」の問題があ。その「魂」の問題は、様々なコントロール意識によって、自らを縛っていることに原因があるということに気がついて欲しいこと。
  5. その蓋を取ることが、自分を解放し、自己を発見するための第一歩であること。
  6. 世の常識や、思想や、周囲の人々の考えに、自分を合わせる必要はいささかもなく、あなたはあなたのままでいいということ。
  7. 能力差は個性であり、個性に優劣などはない。だから、それを知らない者の評価など気にすることはなく、堂々とあなたの個性を生きればいいということ。
  8. そのあなたという本体は、今の肉体にあるのではなく「魂」にあるのだということ。
  9. 「魂」は死後も生き続け、カルマの法則によって輪廻転生を繰り返していること。
  10. 人生の目的は、輪廻転生によって様々な人生を体験することを通じて、「魂」の霊的成長を図っていくことにあるということ。
  11. この世とあの世は連続しており、全部で一つ、一つが全部になっているということ。
  12. だから、宇宙の理法「真理の法則」は、どんな世界にも、あまねく、等しく、作用するということ。
  13. その作用のシンプルかつ最大のものは、良いことをすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが、いつか自分に返って来るということ。
  14. 一つの人生を、実り多いものにするには、「魂」の喜ぶままに直感で生き、正直に、朗らかに、融和と利他の心を持って生きるのが一番であること。
  15. 過去に囚われることもなく、未来を心配することもなく、哲学も宗教も苦行も必要なく、ただ瞬間瞬間を楽しく生きればそれでいいということ。
  16. それこそが「自由」の真髄であるということ。

以上、みなさんも、勇気を出して、歩んでくださいね。
「金融」----- 人々を奴隷化する、この狂った仕組み
「お金」はよく血液に例えられます。経済の潤滑油という言い方もあります。経済が体だとしたら、「お金」という血液がうまく回っていないと、経済は死んでしまうのです。ですから「お金」はとても大事です。

「お金」というものが、本来のこの目的のためだけに働いているのなら、何の問題もなかったのです。ところがずる賢い人たちが居て、「お金」で「お金」を生み出す仕組みを考えたのです。これが「利息」です。

前回ご説明したように、「お金」は、「数字」とそれを裏付ける「価値」という両面から成り立っています。以前は、この「価値」に「金(GOLD)」が当てられていたのですが、それが無くなった後は、その数字に相当する何らかのものが買えるよという「信用」に置き換えられました。

その結果、現代の「お金」は、「数字」と「信用」という両面で成り立つことになったのです。ということは、もしこの「信用」が崩れてしまったら(数字を担保する具体的「価値」が無くなってしまったら)、現代の「お金」の仕組みそのものが瓦解してしまうということなのです。

さて「お金」で「お金」を生み出す仕組みを考え出したずる賢い人たちは、さらにずる賢い仕組みを考え出しました。それが「複利」です。複利というのは、利息を次々に元金に組み入れていく方式です。これだと利息が利息を生み、「お金」が雪だるま式に増えていくのです。

さらに、こうして生み出された「数字」は、他のものにさらに投資しているわけですから、これも「複利」と同じことで、どんどん増えていくことになります。ちなみに、7パーセントの利息を10回掛けてみましょう。

1×1.07×1.07×1.07×1.07×1.07×1.07×1.07×1.07×1.07×1.07≑1.97
ほら、2倍になっちゃいましたよ。

このようにして、「数字」の「お金」は、運用すればするほど幾何級数的(グラフで書くと右に行くほどカーブを描いて上昇していく)に増えていってしまいます。
問題なのは、この増えていく「数字」を担保するための具体的な「価値」の方は、算術級数的(等差級数ともいう、グラフで書くと直線的)にしか増えないということです。

食料生産が2倍、4倍と増えていくでしょうか? たとえ生産を増やすことができたとしても、胃袋は一つですから、食べる量まで2倍、4倍と増やしていくわけにはいきません。同様に、車やパソコンを2台、4台、8台と増やしていくことはできないのです。

いまユニクロに行くと、店頭に「着なくなった古着を持ってきてください」と書いてあります。箪笥の中身を捨てさせないことには、なにしろ新しい物が売れない。飲食店だって、毎日大量に食べ残しを捨てています。工業製品やパソコンソフトは毎年モデルチェンジをして、前のバージョンを陳腐化させてしまう。

このように、まだ使えるものを捨てさせなければ、消費を維持できない。自治体はどこもゴミ処理で困っているというのに、ムダを生み出し続けなければ、もはや経済を維持できないのです。それもこれも、「お金」の「数字」だけを操作し増やしていけるという狂ったシステムが、公に認められ、一部の特権階級だけがその甘い汁を吸えるようになっているからなのです。

その、幾何級数的に増加する「数字」と「実体」との乖離を防ぐために、「もっと消費しろ」「もっと生産しろ」「もっと利益を上げろ」「もっと働け」「さあ、景気回復だぞ」という、偽りのメッセージを信じ込まされ、奴隷化されているのが一般庶民なのです。

この恐るべき詐欺システムを、誰も「詐欺」だとは言わない。そしてこの詐欺システムが限界に達して破綻すると、今度は、急に「潤滑油論」「血液論」を持ち出して、「銀行を潰したら大変なことになる」とばかり、税金を投入して「詐欺」を働いた人たちを救ってしまうのです。

庶民は、先ず詐欺で「お金」を取られ、さらにその詐欺師を救うためにまた「お金」を取られるのです。このメチャクチャな仕組み。
いかに、今の世の中が「金融」に支配されているか。そして人々が、気づかされることなく奴隷化されているか。いったい誰がそれを画策し、頂点に君臨しているのか。

騙され続けるのは、もう止しにしましょうよ。
「お金」がどこで創られているか知っていますか?
「お金」というものが一体どこで生み出されているのか。お考えになったことはありますか?

「そりゃあ、日本政府の造幣局だろう」とお答えになった人、ちょこっとだけ正解。でもそれは「貨幣(コイン)」に関してだけなんですよ。「紙幣」は、政府ではなくて日本銀行というところが発行しているんです。だからこれは「政府紙幣」ではなくて、「日本銀行券」というものなんです。ややこしいですよね。

でも、それが解ったとしても、正解からはまだまだほど遠い。いま上げたものは「現金通貨」だけであって、預金通帳に記載された数字の「預金通貨」や、「電子マネー」といわれるものも、みんな「お金」です。すると、「お金」ってなんだろう、という素朴な疑問が湧きませんか?

お財布にいつも入っていて(入っていない人もいますが)、これほど身近なものなのに、私たちは「お金」のことをよく知らないんです。故意に知らされていない、と言った方が正解かも知れません。

さて、「預金通貨」や「電子マネー」というものを考えてみると、そこにあるのは単なる数字です。もっと言えば、「紙幣」や「貨幣」というものも、印刷された紙切れと金属に過ぎません。これらが「お金」としての価値を持つためには、みんながそれを信用するということと、それを担保するものがあるという条件が不可欠なのです。

昔の「紙幣」は、「金(GOLD)」と交換することができました。これを兌換紙幣と言いますが、「金」の価値によって担保されていたわけです。日本でも、昭和11年に兌換が停止されるまでは、紙幣に「この券と引き換えに、相当量の金と交換する」ということが明示されていたんです。

しかし今は、このようなハッキリした担保がありません。ということは、信用そのものが担保になっている、とも言えるわけです。みんなが、その「お金」の価値というものを認め続けていることが、「お金」を成立させる必須要件になっているわけですね。

このように「お金」というものは、「数字」と、それを裏付ける「信用」とで成り立っているのです。さらに言えば、「数字」は、「信用」の量に応じて付けられた記号に過ぎませんから、結局「お金」というものは、「信用」だということになるのです。ではその「信用」なるものは一体どこで生み出されているのか、ということです。

これを知ったら驚きますよ〜。実はそれは「借金」なんです。
「借金」をすると、そこに「利息」が付きますよね。みんなそれが当たり前だと思っているでしょう。そう教育されてきているから。でもこれが、実に驚くべき仕組みなんです。

ここで思考実験をしてみましょう。世界が100人の村だったとします。あなたも私もその村の住人です。私は銀行家で、あなたに100万円を貸します。利息は10%です。期限までに110万円にして返してもらう約束です。さてあなたは、利息分の10万円をどこから見つけてきますか?

普通に考えれば、商売をするなどして、残りの98人の中から10万円に相当する分をなんとか掻き集めなくちゃなりません。すると、98人中の誰かのフトコロが10万円分減ることになります。銀行家である私がこれを繰り返していたらどうなるでしょう? 私だけの「お金」が増えて、村人はどんどん貧乏になっていってしまいます。

さらに驚くべきことに、法律では、銀行は実際には持っていない「お金」を貸してもいいことになっているんです。私が実際に持っている「お金」は100万円。これを全部Aさんに貸しました。でもAさんはその全額を直ちに引き出すわけではない。だからこれを利用して、私はBさんにも、Cさんにも100万円貸したことにできるんです。

単に通帳に数字を書き込むだけで。すると、どういうことが起きるでしょうか? 実際にはない「お金」から、「利息」分に相当する「お金」が新たに生み出されることになるのです。これを、業界用語で「信用創造」と呼んでいます。初めてそれを知ったとき、私はのけぞりましたよ。「信用創造」とはなんという言葉でしょうか?

このようにしてバーチャルな「お金」から、さらにバーチャルな「お金」が創造され、それがまたバーチャルな「お金」を生み出しているのです。

世界には、株式市場をはじめとした博打場がたくさんあります。博打で勝てる人は、相場を動かせる人です。相場を動かせる人は、資金をより多く持った人です。ここにバーチャルな「お金」がつぎ込まれ、「お金」が「お金」を生む金融経済というものが、作られてしまったのです。

この結果、どういうことが起きたか。実体経済を遥かに超える量のバーチャルな「お金」が生み出され、これが暴走し、その相場の動きに、実体経済の方が振り回されるようになってしまったのです。

ここで、100人の村の思考実験に話を戻しましょう。銀行家である私は、100万円しか持っていなかったにもかかわらず、今やバーチャルな「お金」を膨らませて、それが1億円にもなりました。さて他の村人たちはどうなったでしょうか? 1億円分の「お金」を失ったのでしょうか?

もし「お金」の総量が変わらないとすれば、そうなります。しかし今の世の中では、そこが曖昧になっていて、「信用創造」されたバーチャルな「お金」に相当する「実体」を、どこかで埋め合わせることを求められるのです。もしバーチャルな「お金」がバーチャルなままであれば、お金持ちは、単なる数字持ちということになってしまいます。

そこで村人たちは、地下を掘り起こして金めの資源を探したり、遺伝子組み換えで食料を増産したり、海で魚を乱獲したりして、なんとか増えた「お金」に見合う「実体」を生み出さなければならないのです。

お解りでしょうか? なぜ環境破壊が止まないのか。なぜ食料資源の乱獲、乱開発が止まないのか。なぜ為政者は経済成長を求め続けるのか。その答えは、ここにあったのです。増え続けるバーチャルな「お金」に見合う「実体」を生み出し続け、帳尻を合わせる必要があったのです。そうしないと、この仕組みが破綻してしまうのです。

なぜなら、それは「信用」だけで成り立っているのですから。
この驚くべきカラクリ。「オレオレ詐欺」ばかりが詐欺なのではなく、金融システムそのものが、巨大な詐欺システムの上に構築されているのです。そしてそのことは、「洗脳」によって、これまで知らされないようにされてきたのです。

しかし、このような幾何級数的な右肩上がりが永続するはずがありません。日本政府の借金1,040兆円。日本だけではなく、これまで先進国と呼ばれてきた国々が、いずれも巨額な財政赤字を抱えるようになったのは、バーチャルな「借金」に見合う「実体」経済が、どのようにしても生み出せなくなった、という側面もあるのです。

それくらい、バーチャルな「お金」が増え過ぎて、「実体」との乖離が進んでしまったのです。この、「借金」が雪だるま式に「お金」を生み出すという、現在の詐欺的金融システムが変わらない限り、人々は奴隷的労働から解放されることはなく、環境破壊が止むこともありません。

いったい、そのシステムで誰が利益を得ているのかを、よく考えてみてください。そして、この「洗脳」の仕組みに、出来るかぎり嵌らないようにしてください。
最後に、参考までに、次の証言をお読みになってください。

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「私が残念なのは、一般市民は銀行がお金を創ることができるのを知らされていないことである。そして国家のクレジットを管理する彼らが、政府の政策を指揮し、人々の運命を奴隷のように握っていることを。」
レジナルド・マッケンナ:(Reginald McKenna、1863 - 1943年)元英国ミッドランド銀行会長

「通過の発行と管理を私に任せてくれ。そうすれば誰が法律を作ろうとも私の知った事ではない。」
マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド:(Mayer Amschel Rothschild、1744 - 1812年)ドイツの銀行家。ヨーロッパの財閥ロートシルト家(英語読みでロスチャイルド家)の基礎を築いた

「私はもっとも不幸な人間です。私はうっかりして私の国を滅亡させてしまいました。大きな産業国家は、その国自身のクレジットシステムによって管理されています。私たちのクレジットシステムは一点に集結しました。したがって国家の成長と私たちすべての活動はほんのわずかの人たちの手の中にあります。私たちは文明化した世界においての支配された政府、ほとんど完全に管理された最悪の統治の国に陥ったのです。もはや自由な意見による政府、信念による政府、大多数の投票による政府はありません。小さなグループの支配者によって拘束される政府と化しました。」
トーマス・ウッドロウ・ウィルソン:(Thomas Woodrow Wilson, 1856年 - 1924年)第28代アメリカ合衆国大統領
国際政治の裏の地殻変動
今、国際政治の裏側では、大規模な地殻変動が起きているようです。簡単に言ってしまえば、アメリカ主導による世界支配体制が終わろうとしている。もっと正確に言えば、アメリカを支配していた少数の権力者グループによる、世界支配体制の終わりです。

過去半世紀、日米安保体制の下で、アメリカとは親分子分の関係を維持してきた(させられてきた)日本が、親分の失脚によってこれからどうなるのか。アメリカべったりの政府・マスコミ報道に長年慣らされてきた日本人が、国際政治オンチぶりに気がつくのもそう遠いことではないのかも知れません。

一般の人は、世界が、ごく少数の「闇の支配者」によって操られてきたという歴史を殆ど知りません。そう言うと、すぐに「陰謀論」で片付けられてしまうのですが、事態はもっと複雑で、今の世界体制の裏側の問題だけではなく、そこには17世紀に発した銀行制度や、超古代の歴史や、人類の創生に関わる問題も絡んでいるのです。

逆に言うと、だからこそ「陰謀論」で片付けられてしまうということもあるのですが、現状の世界だけを見ても、この支配構造は何重にもなっていて、人々はそこに完全に埋没しているがために、全体を把握できないのです。世界全体が「洗脳」のシステムになっているんだよといったところで、逆にキチガイ扱いされるだけなのです。

その頂点にあるのが、現在の金融制度です。金融というまやかしに、あらゆる産業から政府までが、首根っこを抑えられているために、どうにも身動きが取れない。その金融制度を牛耳っていた、IMF、世界銀行、ブレトンウッズ体制などが、いま終焉を迎えようとしています。

今月に入って、中国主導で年内設立が計画されている国際金融機関「アジアインフラ銀行(AIIB)」に、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアが参加を決め、参加国は全部で31カ国となりました。アメリカが牽制していたにも関わらず、G7中の4カ国が参加し、アメリカ、カナダ、日本が、取り残される格好になった。

日本は、アジアでの主導権を握ろうと、先に「アジア開発銀行(ADB)」を設立していましたが、中国に追い抜かれた形になってしまいました。NATO体制に亀裂が入り、ヨーロッパの国々が、アメリカに従わなくなっているのです。こうした世界情勢の中で、日本だけが、いまだアメリカへの貢くんをやっている。

日本では、中東情勢に関しては、シリアのアサド大統領は独裁者、テロリスト集団の「イスラム国」は極悪、ウクライナ情勢に関してはロシアが悪者、といったアメリカ発の謀略報道をそのまま流しているようですが、今やそれらの裏側で絵を描いているのは、アメリカのCIAであるということが、ヨーロッパでも当のアメリカ国内でも知る人が多くなっているのです。

こうした民衆の怒りが溜まりに溜まり、アメリカ上層部の内部では、いま大掛かりな権力交代劇が進行しているようです。事実上のクーデターが起きたという見方もあります。ペンタゴン(軍部)がCIAを掌握し、前代未聞の家宅捜索を行って、旧勢力を追放したとのことです。

表のニュースで、今後どういう報道がなされるかは分かりませんが、しばらくは旧勢力と新勢力との駆け引きによって、混乱が続くでしょう。しかし、世界は確実によい方向へと動いている。そのイメージを持って、嘘のニュースに踊らされないように、毎日を朗らかに生きてください。

敵、味方という考え方は、20世紀でもう終わらせましょうよ。
「精神世界」の本当の生き方
私は「精神世界」という言葉が好きではありません。自分がやっていること、やろうとしていることは、それと似ているように見えるかも知れませんが、それらとは一線を画しているつもりです。

私は残りの人生を、人々に「真理」を伝える役目を与えられましたが、その中には、今まで間違って伝えられてきた事柄を正すことも含まれています。

「精神世界」というものは、この世で生きていくことと、別個に存在しているわけではなく、また高級というものでもないのです。それは、人間活動の一部であって、この世で生きるということは、生活の中で実践的に生きるということなのです。

「精神世界」ばかりを追求して、人間の基本である毎日の生活をおろそかにしていたのではなんにもなりません。本末転倒です。今まで、そうした世界の住人を見てきて、そこを錯覚している人のなんと多いことか。

苦しいのは解る。この世はバカげていると思うのも解る。だからといって、「精神世界」に逃げ込んで、お祈りばかりをしていたり、本を読み耽ったり、UFOや不思議現象に夢中になったり、霊能者が発する恐怖の予言のとりこになったりして、いったい何になる?

あなたはどこへ行った? どこにあなたがある? それで苦しみは消えたの‥‥? 消えるわけがありません。深まりはしても‥‥。なぜって自分が解らないのだから。自分を「精神世界」に売り渡してしまったのだから。

その行き着く先は決まっています。自分を特別な存在だとみなして、精神バランスを取ることです。これが「選民思想」です。「選民思想」を振り回すから、「精神世界」の住人たちは、一般の人々から逆にそっぽを向かれるのです。そして、住人たちだけで固まり、カルト教団化して行ってしまうのです。

この世に、肉体を持って誕生してきたことには意味があります。その三次元世界を先ずしっかり生きないということです。自分が幸せでない者、家族が幸せでない者に、どうして他の人々を幸せにできましょうか? 自分が癒されていない者に、どうして他の人々を癒すことができましょうか?

「精神世界」に首を突っ込んだ人たちには、どうかこのことを肝に銘じていただきたい。実践あるのみなのです。行動あるのみなのです。毎日の生活を幸せに生きてこそ、「精神世界」の学びも意味を持つのです。あなたが日々、朗らかに、幸せそうに生きていることを周囲に見せつけることが、他の人々に最も役立つ教科書となるのです。

主婦は主婦として、子育て中の人は子育てをして、看護師をしている人は看護師として、料理人は料理人として、店員さんは店員さんとして、ラーメン屋さんはラーメン屋さんとして、占い師は占い師として、清掃員は清掃員として、絵描きは絵描きとして、大工は大工として、トラックドライバーはトラックドライバーとして、自分の役割を朗らかに実践していくことが、すなわち「精神世界」を生きるということに自動的になるのです。

この世のあらゆる役割を、一人でこなすことはできません。それぞれの役割が連携して全体が成り立っているのです。ですから、他の人々に感謝すると同時に、自分の役割にも自信を持って、直感に従って、生き抜いて行って欲しい。それが、社会全体を照らす輝ける光となるのです。
「悪」の連鎖ということ
今はもう参加していないのですが、毎月1回、講師を招いて講演を聞くという集まりがあって、この案内が私のところに今も届きます。主催している方は、10年以上もこの活動を続けておられるのですが、送ってくるメールの冒頭には決まって、時候のあいさつ代わりにその時々の話題にからめた話をお書きになっている。

その最新版に、こうありました。「川崎で中学生が殺されました。犯人の少年たちは、ISのように残虐で、まさにその殺し方を模倣しています。昔から少年による殺人事件はあったでしょうが、最近のものは常軌を逸しています。今後も増えることが予想されますが、嫌な時代になって来たとは思いませんか?」

私はテレビニュースも新聞も見ないので、川崎で起きた殺人事件というものを詳しくは知りません。そういうことがあったということだけは、知らせてくる人がいるので知っています。しかしこのメールを読んで、人々は、このように連鎖的に想像をたくましくしていくのか、と改めて思った次第です。

マスコミの報道というものを、まったく疑っていません。そしてマスコミの意図通りに、感情と、思考を動かされている。自分は「いい人」のポジションに居て、川崎の少年殺人犯とISを、同列の「残虐非道な悪い奴」側に置いて、それを嘆き、非難しているのです。

マスコミというものは、営業上の理由から、常に話題の盛り上がりを求めるために、次から次へとスキャンダラスな話題を提供していきます。新聞では、「三面記事には同種のネタをそばに集めろ」という鉄則もあるくらいなのです。その方が、注目度が高くなるからです。

しかしマスコミは、その頂点だけを波乗りのように渡っていくだけで、情報の鮮度がなくなればすぐに切り捨てて、違う話題に変えてしまいます。その後どうなったかという報道は殆どないし、誤報も訂正はしません。もちろん総括もしない。この無責任体質の中で、人々がより興奮するように、二元対立だけを煽っていく。

それにそのままハマってしまってどうするんですか? それでは、太平洋戦争中の大本営発表の図式となんら変わらない。ジョージ・ブッシュが言った「悪の枢軸国」発言となんら変わらない。私いい人。向こうは悪い人。それで憎しみの炎でも燃やしますか? 悪い人をやっつけるために、空爆でもしますか?

それこそが「悪」であることになぜ気づかないのか? 「悪」への対抗心は「悪」の上塗りでしかないことに、人々は、なぜ気づかないのか? 私は「善」、向こうが「悪」じゃないんですよ。自分の中に「善」と「悪」が同居しているんです。それをじっと見つめて、素直に認めなくちゃいけない。

陰惨な事件を見たり聞いたりして血が騒ぐのは、自分の中の「悪」の部分が同調するからなんですよ。それを認めたくないから、向こう側を「悪」と決めつけ、自分は「善」なるものだと思い込んで安心しようとする。それが、戦争の元になっている心理だということに、いい加減、気付きましょうよ。こんな連鎖、もう止めにしませんか?