Be Here Now !
このキーワードを、これまで何度か書いてきました。その中身がどうであったかを、いま思い出すことはできませんが、ふと思いついて、今日は突っ込んだ解説をしてみようと思います。いわば、この言葉に関する奥伝です。
日本語ではよく「いま、ここ」と訳されていますよね。でもbe動詞がついているので、ニュアンスとしては「いま、ここ、なんだぜ!」といった感じでしょうか?
もっと言うと、「いま、ここ。この瞬間が全てなんだよ」という意味ですが、そのことを強調するために、極々シンプルなワードにしているわけですね。
では一体、何が「全て」だというのでしょうか?
「いま」は時間、「ここ」は場所です。ですからこれは、時空間のまさに一点、今のこの瞬間を指し示しています。それが「全て」だというのです。
ああ、ますます解らない、ですって? ちょっと待ってくださいね。
それが何を意味しているかを言う前に、まず時空間とは何かを考えてみましょう。いま私は「時空間」と書きましたが、実は時間と空間とは同じ概念の、見え方の違いを言っているだけなのです。ですから「時空間」とひと括りにして話せるのです。
空間があると、そこに物質が存在します。この物質は原子で構成されていて、原子は絶えず活動をしていますから、常なるものは何もなく、変化し続けます。変化し続けるということは、そこに時間があるということになります。
逆を考えてみましょう。もし時間があるとすれば、時間経過を証明する、変化する物の存在があるはずです。物の存在があるということは、そこに空間があるということです。このように、「時空間」というものは一つの概念の表裏を構成しているのです。
さて、私たちはこの「時空間」のある世界、つまり物質界に暮らしているがために、それが当たり前だと認識しています。ところが、全「宇宙」(この場合は、物質界を超えた世界も含む:The Universal)の中では、物質界というものは、非常に限定された狭い領域に過ぎないのです。
*宇宙物理学の最新の研究では、これまで私たちが「宇宙」と呼んでいた、物質的な星々の存在は、全宇宙を構成するエネルギーのたった4%に過ぎないことが判っています。あとの96%が何であるかは、今のところ判っていません。
私たちは、こうして毎日を物質界に生きているわけですが、人間は同時に、霊的存在でもあります。このことを頑として認めない人たちもおられますが、夢を見たとき、深い瞑想を行ったとき、直感やインスピレーションを得たときなど、誰にでもその片鱗を感じとることができます。
この霊的存在がいる領域は、非物質的世界であり、そこには私たちが認識しているような時間も空間もないのです。といっても、これは解りにくいですよね。私たちの常識を超えた概念ですから。それにいま私は「領域」という言葉を使いましたが、厳密に言えば、これも論理的矛盾です。
「領域」という言葉自体が空間概念ですからね。でも、表現のしようがないんですよ。ま、ともかく、物質がないということは、時空間がない。時空間がないから、物質がないのです。そのようにひとまずは受け取ってください。
ところで、私たちは「前世」とか「過去世」ということをよく言います。私もよくこの言葉を使います。しかしこれは、本当は正しくはないのです。なぜなら、霊的世界に時間はありませんから。
実は、私たちは、肉体を持って生活していたときの記憶を、時系列の概念の中に位置づけて、過去とか未来というように解釈しているだけなのです。その証拠に、僅か1秒前の出来事であっても、私たちはそれを捉まえたり再現したりすることはできません。
ビデオに撮れるじゃないか、と思われるかも知れません。しかしそれは、起きていたことの実体ではなく、ビデオに記録された映像です。それを見ることは、過去の再現ではなく、やはり、その記録を見ている今この瞬間があるということなのです。
このように、過去も未来もどこにも固定することはできず、私たちは、ただ「いま、ここ」を生きているだけなのです。これが「いま、ここ」の第一の意味です。
さて、では「過去世」はどこに行ったんでしょうか? 「未来世」というものはいったいどこにあるというのでしょうか? それらは幻想に過ぎず、最初から無かったものなのでしょうか?
実は、これは同時に起きているのです。「過去世」も「未来世」も。あなたという魂を構成している本体は、同時に、それぞぞれの時代の生を今まさに生きているのです。そして様々な体験を同時に行っているのです。その一つの課題を背負っているのが、現在のあなたです。
このようにして、あなたの魂の総体は、全体として、霊的な完成を目指しているのです。そして、それぞれの人生での体験は、総体としてのあなたに全部つながっているのです。お解りですか?
ところで、ふいに意味もなく、悲しい気持ちが襲ってきたり、恐怖が沸いてきたり、といった体験はありませんか? それは、別人生を歩んでいるあなたの分身である魂が、その瞬間、まさに悲しみや恐怖を体験している瞬間なのです。
そして直ちに、同時に生きているあなたに伝えられてきたのです。このことは、重要な意味を示唆しています。
過去や未来の実体は、絶対に捉まえることはできません。固定することは不可能です。あるのは、その時を、体験し、解釈した「記憶」だけなのです。こうして各人生を生きる「記憶」が、あなたの魂の総体に記録されます。
さてここからが重要なポイントです。多くの人がたとえ同じ事件に遭遇したとしても、その体験、見方、解釈は人それぞれです。そして、あなたの魂に「記憶」されるのは、事件の本体ではなくて、あなたの解釈だということです。
だとすれば、同じ事件でも、楽しい「記憶」にすれば楽しい「記憶」が、悲しい「記憶」にすれば悲しい「記憶」が、恐ろしい「記憶」にすれば恐ろしい「記憶」が刻まれることになる。これが、よく言われるところの「カルマ」の正体です。
プラトンは「この世は《映し絵》だ」と言いました。その意味は、実はこのことだったのです。人々が実体だと考えているものと、虚像だと考えているものが、実は眞逆だと言っているのです。
ついでに「眞」という文字は、反対側にある「シン、マ」という意味で、この奥義を理解した人は、世の中の見方が一変してしまいます。眞理というものは実は逆さまのところにある。そこでこれを「眞逆様(まさかさま、まっさかさま)」と言い、それを映す鏡を「眞澄鏡」と言うのです。
話を戻して、あなたの魂が体験している「思考」や「感情」は、常に、他の人生を歩んでいる分身と連携をとっています。しかも、過去の事件に実体はなく、あるのは解釈した「記憶」だけなのですから、この解釈をどうするかによって、人生が大きく変わってくることになります。
もし自分の解釈によって「囚われ」を作ってしまったら、今度はその「囚われ」に自分が縛られる人生になってしまいます。これが、「自分で蒔いた種は、自分で刈り取る」ということの意味です。
しかし、ここに大きなGIFTがあなたに用意されています。今のあなたは、他の生をいま同時に生きている全てのあなたとつながっている。しかも、どんな事件があろうとも、その「記憶」は解釈しだいなのです。だとすれば、
「いま、ここ」
この瞬間を、愛に満ちたハッピーなものにしてしまえば、あなたの全存在の「記憶」が書き換えられるということなのです。たとえ過去にどのような辛い体験があったとしても、その「囚われ」を捨て、今この瞬間をハッピーなものに感じれば、あなたの人生が変わるということです。
つまり、日々の瞬間、瞬間が、人生を変えるパワーポイントなのだということ。
これが、「いま、ここ」の第二の意味です。
苦行も信仰も必要ないのです。
ただ「いま、ここ」を、天の摂理、自然の法則に従って、他者を助け、ハッピーな気持ちで生きるだけでよいのです。
どうでしょう。素晴らしいGIFTだとは思いませんか?
では改めて、
Be Here Now !
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一度読んだだけで解らなければ、何度か読み返してください。そうすれば、入っていきます。すでに受け入れの準備が整った人には、すぐに意味が解るはずです。