by Rainbow School
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自分は変えられる
28日の「瞑想会」には、定員の10名の方が来てくださいました。瞑想の方はまあまあの出来だったのですが、終了後の懇親会に4名が残ってくださり、それぞれのお話を聞けたことが、私には興味深かったです。

特に「最近、自分の変化というものを実感できるようになった」という報告は、聞いていて、私としても嬉しいものがあります。自分の変化を自分で実感できる。それは、自分というものを客観視できるようになった何よりの証拠です。

人は、今まさに動いている思考や感情とは別に、それらを別人のように観察するコントロール意識というものを、同時に持つことが可能です。言うなれば意識の分離ができるのです。

ところが、殆どの人はそんなことは知らないし、訓練もしていないので、コントロール意識がうまく育たないまま、思考や感情の海に溺れているというのが実情です。

しかし一旦そこに気づくと、徐々にコントロール意識を工夫して使うようになり始め、結果として、心が前よりも楽になっていくのです。このとき、「自分は変わった」と、心底から実感できます。

それなのに、「どうして私が変わらなきゃならないのよ!」と憤慨する人がいます。人間関係で問題が生じ、相手を恨みに思い始めた人は、大抵そのような怒りを口にします。「あの人のせいでこうなったのに、何で私の方が折れなきゃならないの!」

別に「折れろ」と言っているわけではなくて、「相手は変えられないんだから、自分を変えるしかないでしょう」と言ってるだけなんですが、それが通じない。

人間関係は一人では絶対にできません。二人以上の関わり合いが必要です。人間関係において、もしも問題が生じたとすれば、その原因の一方には必ず自分が居るのです。相手を変えようと思っても困難です。でも自分を変えることは可能です。ですから自分を変えれば、間にある人間関係も自動的に変わります。

そう言ってもまだ納得していただけない方には、こう考えていただきたいのです。もし、自分も変えられなかったとしたらどうでしょうか? 人間関係の問題だけではなく、あらゆる問題を解決する可能性は、殆どなくなってしまいますよね。

そう考えれば、「自分を変えられる」ということは、生きる上での大変な光明であることがお解りいただけるでしょう。それは、天からあなたに与えられた最大級のプレゼントなのです。
東田直樹さんの著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』を読んで
東田直樹さんの著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』が、いま話題になっているようです。私も人から奨められて読みました。この本は東田さんが中学生のときに書かれたものだということなのですが、先ずもって文章力の上手さと感性の豊かさには驚かされました。

内容はタイトル通り、自閉症と言われる人たちの、普通の人から見れば奇妙な行動の裏に、どんな思考や感情の動きがあるかを、当事者自身の口で説き明かしたものです。それをお知りになりたい方は、東田さんの著作に直接触れていただきたいのですが、以下は著作を読んだ上でのあくまで私の推論です。(著作には、理由の理由までは書かれていません)

自閉症と言われる人たちは、どうも魂と身体との親和性が低いままのようです。逆に言えば、身体に対する魂の独立性がとても高い。普通は、乳幼児の段階で、五感を使った外部刺激から、魂は身体との親和性をだんだんと高めて行きます。それによって、魂の波動と、親から貰った身体の波動のリンクを調整して行くのです。

その過程で、身体の一部である脳を活動させることも学習し、入れ替わりに、魂が所持していた前世の記憶を急速に失っていきます。自閉症と言われる人たちは、なんらかの理由で身体との親和性が高まっていかない。簡単に言えば、魂と身体とがくっつかないようなのです。

この身体には、脳も含まれます。そのため、五感を使った外部情報の入力、脳での短期記憶および長期記憶の処理、そして身体を動作させることで起こす行動、これらすべてに障害が生じるようです。しかし、自己の魂はそこに歴然とあるわけですから、通常の人とは違っているかも知れないけれども、豊かな心は眠っているのです。

ことに言語というものは、「私は、ご飯を、食べます」というように、時系列に単語を並べることで意味内容を組み立てます。私たちは記憶の中から、これらの単語やその単語に付随した概念を一瞬のうちに選び取り、言葉を組み立て、発しているわけですが、自閉症の方たちはいま言ったような理由から、言葉を発することができないようです。

さてこの本の巻末には『側にいるから』という短編小説が併録されているのですが、これにも驚かされました。作品のモチーフになっているのは、「死後直後」の世界と「輪廻転生」です。この記述のバックにあるものが、非常に正確なのです。単なるフィクションではないのです。

小説なのでデフォルメはされていますが、外から得た知識だけでは、普通これほどまでのことは解りません。東田さんはこの情報を、おそらく内側から得ているのでしょう。そのことを考えますと、東田さんは「語りて」*としての役割を持った方なのかも知れません。

この本は、『クラウド・アトラス』の著作で知られるデイヴィッド・ミッチェル氏によって英訳され、欧米でもいま注目を集めているそうです。確かNHKでも放映されたんですよね。(私は見逃しました)

デイヴィッド・ミッチェル氏には自閉症のお子さんが居て、コミュニケーションに苦労していたときに東田さんの本を読み(ミッチェル氏は日本語ができる)、自閉症児の内面にはこんなに豊かな世界があるのだと知って非常に驚いたというのです。それで、この本が真に役立つものだと考え英訳に着手したとのことです。

そこで考えていただきたいのは、いつも私が言っているように、「心」は「脳」で作られるものではないということです。「心」は、「魂」というソフトウェアが、「脳」というハードウェアを動かして表出させた自己表現なのです。「心」の本体は、「脳」ではなく、あくまで「魂」にあるということです。

ですから、「心」の問題を、すべて「脳」の機能障害と見なす考え方は、根本的に間違っているのです。東田さんの著作は、そのことの一端を私たちに教えてくれています。

*語りて:真理の法則を伝える役割を持った魂
リーダーの条件
昨日は、新百合ケ丘で催された手作りコンサートのお手伝いに行ってきました。手作りといっても、毎回800人を集める規模のクラシックコンサートを、年2回春夏に行ってこれで8年めを迎えます。入場料500円でやっているので、演奏者は3人とミニなのですが、地元の人々に大変喜ばれています。

私は第1回めからこのコンサートのお手伝いをさせていただいているのですが、それはこれを企画・主催された方が古くからの知り合いで、私の恩人だったからです。いちばん最初の出会いは30年以上も前、そのとき、その方は某会社の社長をされていました。

どういうわけか、プータローの私を気に入ってくれて、その後いろいろと引き立てて下さったのです。今はリタイアされていますが、昔も今も態度が全く変わらないのです。最初の出会いからしばらくして、「ああ、人格者というのはこういう人のことを言うのか」と、私はしみじみ思ったものです。

この手作りコンサートが曲がりなりにも7年間続いて来たのは、多くのボランティアスタッフが骨身惜しまず協力して働いているからです。しかしそれが実現できているのは、やはりリーダーの資質と人格です。

グループ組織の構成員は、必ずその長の考え方や行動スタイルを真似します。「理念」ということももちろん大事なのですが、結局はリーダーの資質と人格をお手本とし模倣するものなのです。表向きどんなに立派な「理念」を掲げていようとも、リーダー自身に魅力がなければ人は着いては行きません。

報酬が出るわけでもない、名誉が得られるわけでもない、命令があるわけでもない、逆らえない権威というものがあるわけでもない。そういうボランティア組織を率いることができるリーダーは、単にリーダーの資質があるだけでは不十分であり、加えて人格のよさと情熱が不可欠の要素となるのでしょう。

私もお会いする度に、「見習わなければ‥‥」という思いにさせられます。
アンパンマンだって「居場所」を求めて苦悩してたんだよね
昨年94歳でお亡くなりになりましたが、やなせたかしさんという人物像にはかながねとても惹かれるものがありました。作品はほとんど知らないんですが、掲げる理想や人間性には尊敬の念を抱いていました。考えて見たら、生年も没年も私の母親と同じなんですね。

私にとってのやなせたかしさんは、なんといっても1961年に発表された『手のひらを太陽に』の作詞家です。当時、美少年だった私は少年少女合唱団でソプラノを歌っていて、NHK『みんなのうた』で放送されたこの歌と、『線路は続くよどこまでも』をよく歌っていました。

その時には、あんまり深く考えずに歌っていたのですが、「手のひらを太陽にすかしてみれば まっかに流れるぼくの血潮」というフレーズが、子供心に妙に引っ掛かったんですよね。そして、実際に透かして見ましたもの。それを確かめるために。

いま歌詞を確認するために調べていたら、「ミミズだって オケラだって アメンボだって」のところは、Wikipediaによれば、当初は「ミミズ、オケラ、ナメクジ」だったんだそうです。びっくりしました。やなせさんはナメクジにしたのに、それを書き換えさせられたというのです。もしそれが本当なら、ナメクジくん差別ですよね。

さて、アンパンの歌『アンパンマンマーチ』ですが、これも凄いです。
一番に、
<何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!>
とあり、二番では
<何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終わる そんなのは嫌だ!>
とある。

「君」とはアンパンマンのことと、たぶんこの歌を歌う子供たちのことを掛けている。そして「そんなのは嫌だ!」と叫ぶのは、アンパンマンの独白。だからこのアンパンマンは、「生きる意味」と「幸せとは何か」という命題に真摯に向き合って、激しく苦悩しているんですよね。

そして、悩んだ末に「僕はこれで行くんだ」と出した結論が、
「皆の夢守る為」に
「怖れないで」
「愛と勇気」を友として
「熱いこころ燃」やして「今を生きる」
という決心だったんです。

そして、そのように生きることで、
「たとえ胸の傷が痛んでも」
それこそが「嬉しいんだ」「生きる喜び」なんだと言っている。
それが、アンパンマンが見つけた「居場所」だったんだよね。

だからこの歌は、「君たちも、人々に役立つことで自分の『居場所』を見つけるんだよ。それが生きる意味であり、幸せってことなんだよ」と言っているわけね。
居場所
ハートネットTVで『シリーズ 20代の自殺』をやっていました。このシリーズを観るたびに、なんとかしたいという思いに駆られます。私自身の自殺願望が治まって来たのは、ほんの3・4年前くらいから。ですからなぜ自殺したいのか、その感覚が解りますし、放っておいたらそれは一生ついてまわる可能性がある、とも言えるのです。

ではどうやってそこから脱出できたのか。改めて考えてみますと、大きく2つのポイントがあったと気づくのです。
(1)自分の居場所を見つけたこと
(2)自分が生きていることの意味が解ったこと

ということは、この2つの解答が見つけられれば、年齢に関係なく、自殺願望からは脱出できる、と今は確信を持って言うことができます。しかし逆に、この2つを失ったときには、年齢に関係なく、自殺願望がいつでも湧き出す可能性があるとも言えるのです。

さて、「居場所」とはなんでしょうか? 本来、生物はみな悩むことなく、それぞれが自分の「居場所」をあるがままの形で持っています。ところが人間は、思考や感情や記憶を持つために、あるがままに存在するということができません。そのため、人は、意識的に「居場所」を見つける必要があるのです。

この「居場所」に必要な機能は2つです。
(1)自分という個性を認めてくれる他者が存在すること
(2)自分が、他者のために役立つ存在となっていること

「居場所」とは、結局は空間の問題ではなくて、人間関係の問題なのです。ですから、人間関係に傷つき、自分をシャットアウトしてしまいますと、「居場所」を築く可能性が失われてしまうので、問題はなお一層深刻化してしまいます。

やはり、どんなに傷ついても、自分の理解者が存在するという可能性を捨ててはならないのです。そしてそれは、実際にいるのです。いつかは必ず出会えます。求め続けてさえいれば。

一人の人間が知っている世界など、極々狭いものです。その狭い体験だけを、簡単に普遍化しない方がいい。あなたが傷ついたことと同様の体験をした人は、世間にはごまんといる。その中には、同世代だけではなくて、親世代や、祖父祖母世代もいるのです。

ですから、共感者は必ず現れます。ほんの一歩の、勇気を持ちましょう。恥ずかしさや、惨めさや、劣等意識をさらけ出してしまいましょう。それで拒絶されたり、説教されたりしたとしても、無理解な人もいるというだけの話。理解者が現れるのを諦めないことです。

さてそのようにして、理解者が現れたら、あなたはしだいに癒されてゆき、そこから自己を解放する道筋が始まることでしょう。しかしそれだけでは充分ではありません。まだ道半ばです。あるていどの癒しが得られたら、次のステップに向けて歩み出さなければなりません。いつまでも癒しを求め続けてはならないのです。

人は、他者のために役立っているという実感がない限り、真に自己を解放することはできません。そのように創られているのです。ですから、どんなに物質的に恵まれていたとしてもこの実感がない人は心貧しく、反対に物質的には貧しくとも実感がある人は、心豊かな人生が送れるのです。

そして、そのようになったときに、いつの間にか自分の「居場所」ができていたことに気づくことでしょう。
レッテル貼りの罪(2)
昨日の続き、ETV特集の『私たち抜きに私たちのことを決めないで 〜初期認知症と生きる〜』という番組を観て、感じたことです。

もう一つ印象に残った言葉が「早期診断、早期絶望」でした。これはもちろん「早期発見、早期治療」をもじったものです。

<何かがおかしい?>と感じて、医療機関を受診する。するとそこで「認知症」だと診断される。医者は、この後たどる経過については説明してくれるが、「認知症」をどう生きればいいのかということは話してくれない。そこで「患者」にされた本人は、たちまち絶望の淵に追い込まれるというわけです。

話は変わりますが、最近NHKの番組を観ていて、由々しき問題だと思っていることがあります。それは、仕事や歴史や、はては美術に至るまで、やたらと脳科学者や精神医学の専門家という人が登場して来て、コメントを述べる体裁をとっていることです。

たとえば歴史のことなら、その歴史を動かした人物の精神構造はどういうものであったかを、それら専門家の口から明らかにしようとするのです。絵画などでも、その絵を書いた作家の精神構造がどうであったか、といった類いのコメントをそうした人に求めるのです。

求められれば、その人は自分の立場から何か言わなくてはなりません。すると、これは「ゲシュタルト」がどうしたとか、「○○のゴミ箱」という現象だとか、一般人が知らない業界用語を持ち出して、あたかも全ての謎を解明したかのごとく話すのです。

今は時代が複雑化しているので、そのワケの解らなさをスッキリ解説して貰いたいというニーズがあることは認めます。しかしそのコメントを発する人を、脳科学者や精神医学者に求めるというのは、非常によくない風潮だと思います。彼らは職業柄、世の中で起きることを、何でも「脳」の機能のせいに帰着させてしまいます。

しかし例えば、ミケランジェロの絵を脳科学の視点から見ることが、果たしてアートの味わい方なのでしょうか? もちろんそれもあっていい。しかし彼らは、学者、医者、専門家、という権威を纏っているので、テレビでそれをやられれば、それこそが真の謎解きのような印象を大衆に与えてしまいます。

そのよくない風潮が、蔓延しています。大衆のニーズがあるから、そういう人たちを登場させるのか、それともそこには何か隠された意図があるのか。それは判りません。でも、明らかにやり過ぎです。

昔も、凶悪犯罪などが発生した場合には、精神科医に分析を求めようとしたことはありました。しかしそれは特殊な事件に限られていて、登場する精神科医によっても見解が異なっていましたし、そうした意見が無視されることも多かった。

ところが今はそうではありません。日常の何でもないようなことにまで「脳」の専門化が出て来てコメントするようになったのです。あたかも、それこそが「真実」と言わんばかりに。

私はこういう風潮に言いたいです。「もう脳は、No!」って。

さて話を戻します。こうした風潮と、轍(わだち)を同じにして、精神疾患用語が広く一般にも浸透するようになってきたのです。いわゆる「○○症候群」の類いです。私の周囲にも、こうした言葉が毎日飛び交うようになりました。なぜかというと、そのように「診断」された人が、身近にいっぱい居るようになったからです。

そもそも「心」は、日々動くものです。曇り空を見ればどんよりし、晴れればパーっと明るくなる。楽しいときも、悲しいときもある。どうにもムシャクシャして治められないというときだってある。「心」はいつもグレーゾーンの中を行ったり来たりしているものなんです。

その濃いグレーの時期を捕まえて「○○症候群」と「診断」したとしたら一体どうなるでしょう。その人は、権威がある人の言うことですから、それを丸ごと信じ込んでしまいます。そこから「病気」が作られるのです。「早期診断、早期絶望」への道が始まるのです。

その道に落ち込み、自分で自分をがんじがらめにしている人のなんと多いことか。脳科学者や精神科医は、そりゃあ「脳」の機能や薬には詳しいでしょう。しかし彼らに「心」が解るとはとうてい思えません。なぜなら、「心」は「脳」の機能によって生じるものではないからです。

試しに、脳科学者や精神科医に「心」のありかを訊いてごらんなさい。
セミナーで、私は「みなさんの『心』はどこにありますか?」と訊くことがあります。すると女性の大半は胸を指しますよ。「心」が脳にないことを実感として解っているんです。あまりにも悲しいときには胸が痛くなる。脳が痛くはなりません。

私は、脳科学者や精神科医のマスコミを使った権威づけと、精神疾患の「診断」を下された人たちの急増と、医師の処方による薬物中毒者の増加は、みんなリンクしていると見ています。これを読んでくださった人だけでも、そのような道に落ち込まないようにしていただければいいなと、切に願います。
レッテル貼りの罪(1)
ETV特集の『私たち抜きに私たちのことを決めないで 〜初期認知症と生きる〜』という番組を観て、とても感銘を受けました。


イギリス北部のスコットランド、ここで「認知症」と診断された人たちが集まって、認知症の人たちにはどんな支援が必要なのかを、当事者たちが集まって話し合うワーキンググループが、2002年に結成されました。番組はその活動内容を追ったものです。


「私たち抜きに私たちのことを決めないで(Nothing about us without us !)」とは、そのワーキンググループの活動の起点となった標語です。


ワーキンググループ結成のきっかけは、アルツハイマーのサポートをする機関に勤めていた一人の女性が、「認知症」と診断された本人を抜きにして、家族とばかりやりとりしている実態に疑問を抱き、あるとき認知症の当事者であるジェームズ・マキロップさんの家を訪ねて行ったことから始まります。


ジェームズ・マキロップさんは、そのことに驚きました。初めて、自分の話を真剣に聞いてくれる人に出会えたのです。それがきっかけとなって、「認知症」の当事者たちが、自分たちで必要な支援策を考えたり、社会やマスコミが発する偏見を是正する活動を始めていったのです。


素晴らしいと思ったのは、ジェームズ・マキロップさんが発するユーモア。これでグループの活動がギスギスせずに穏やかなものになっている。そして、たとえ「認知症」と診断されたとしても、自分たちにはできることがたくさんあるし、工夫によって症状の進展を遅らせ、楽しく生きることができるということを鮮やかに証明してくれています。


さてこの番組の中で、印象に残った二つの言葉があります。一つは、<私たちは認知症「患者」ではなくて、認知症を生きているだけなんだ>という言葉です。


とかく社会はレッテルを貼りたがります。その方が、それ以上深くコミットしなくてよいので楽だからです。しかしレッテルというのは、概念に付けられた表紙ですから、いったん「患者」と言ってしまえば、「患者」という言葉が持つ概念に、本人も周囲も巻き込まれてしまうことになります。


“Nothing about us without us !”  これは単に「偏見を止めて!」という、外に対しての抵抗を示しているだけではなくて、そのままでは自分たちが「患者」になってしまう、文字通り自分を「患者」だと思い込んでしまう、危険性を指摘した言葉でもあるのです。


そうじゃないんだよ。自分たちは、ある「状態」を生きているだけなんだよ。それは皆さんと大して変わらないんだよ、ということです。この指摘はとても重要です。たとえば、癌になったとしたら、それは同じように癌という状態を生きているだけなのです。


人はみな変化します。一瞬たりとも留まることはありません。その変化を、自分の主観によって、良いことと悪いことに峻別してしまうかもしれませんが、それらは全部ひっくるめて、変化の一形態に過ぎないのです。ならばどうして、特定の概念にだけフォーカスを当てて、レッテル貼りをする必要があるでしょうか?


(この項つづく)


▶ 再放送:年9月27日(土)午前0時00分(金曜深夜)Eテレ

自分の手で掴みに行け
土日がセミナーだったので、参加してくださった方と終了後、少し雑談をしました。あっちでもこっちでも、スピリチュアル系のグループが分裂、崩壊、争いの状態に陥ったという話を聞いて、「またか〜」と思いました。

いくら私ごときが「家元制度はダメだよ」としつこくしつこく言っても、みんなそれが大好きなんですよね。上下関係を作る、それをピラミッド型にする。いちばん上にいる人を「先生、先生」と言ってあがめ奉る。組織からお墨付きやお免状をもらう。

お墨付きやお免状を、階級章や勲章に置き換えれば、それはそのまま「軍隊」です。なぜそこに気がつかないのかな? そりゃぁ階級章と勲章を頂けば、多少は偉くなったり誇らしく思ったりはするでしょう。だけどそれがなんだっていうの? あなたの本質なの? 死んでからお墓の中に一緒に入れて貰いたいの?

人が「家元制度」を求めるのは、名誉欲からだけではありません。「家元制度」が集金構造を持つからです。そこで与える「資格」を持つと、貢ぐ側から、取り上げる側に廻れる。だから、みんなそこを目指して一生懸命になるのです。マルチ販売の仕組みと何ら変わらない。

その行き着く先は何か。集金構造のいちばん上には、いったい誰が相応しいかという争いです。昔から、宗教団体もこのようにして、分裂騒動を絶えず繰り返して来たのです。

ここで、大抵は「血脈(けちみゃく)派」と「教義派」に分かれる。「血脈派」は「血脈」を継承する者のみが正当だと主張し、「教義派」は「教義」にこそ神髄があるとする。そして分裂する。

すると、お墨付きやお免状の価値の「保証」が、たちまち揺らいでしまうんですね。単なる紙切れに過ぎないということがバレてしまう。そこで、テキストは使わせないとか、ブランド名は使わせないとか、いわゆる本家と元祖のような争いになっていくのです。

これを、他ならぬスピリチュアル系のグループがみなやっているのですから、いったいそこは何を学んでいるのだろうと思います。

ここまでやれば、お免状を与える、ありがたいマントラをお授けする、チャクラを開いてあげる、守護霊をつけてあげる。それをしてあげると称している人はいったい誰ですか? 同じ「人間」じゃありませんか。「人間」であるということは、すなわち未完成の存在だということに他なりません。

そもそも「霊界の法則」は、誰にでも公平に開かれているものです。逆に、そうでなければおかしいでしょう? 人種、国籍、性別、地位、名誉、財産、霊能、すべて関係がありません。公平に開かれているんです。だから、あとはそれを掴みに行くだけ。

先達(せんだつ=先輩)の役割は、その真理を伝えるだけなんです。それしかできない。
「自分が蒔いた種は自分で刈り取る」
これが原則です。そのことに気づいて貰う。その援助が多少できるだけであって、介入したり操作したりはできないんです。

不完全である人間をあがめ奉り、その人からお墨付きやお免状をもらって喜ぶ。そんなことをいつまで続けるのか?
自分の力で、自分の手で、掴みに行け。そこにあるんだから。
『マネーの虎』のこと
2001年10月から2004年3月まで、日本テレビで『マネーの虎』という番組が放送されていたのをご記憶でしょうか? 俳優の吉田栄作さんが司会をしていて、起業家を目指す一般人が自分の事業計画をプレゼンテーションし、投資を仰ぐという番組です。

プレゼンテーション内容を審査し、投資の可否と出資の金額を決めるのは、当代の事業成功者たち。純然たる投資家というわけではないところがミソでした。つまり審査員たちは、起業家の「先輩」というポジションだったわけですね。

ですから、単に投資に対するリターンが見込めるかという視点だけではなくて、居並ぶ審査員たちがそれぞれ、起業家としての心構えや精神論をプレゼンターにぶつける、時には叱責するというところが、それぞれの人生模様が見えて生っぽくって面白かった。

プレゼンター側からすれば、審査員は、同時に投資してくれるかもしれない人です。しかもみな当代の「成功者」。成功したノウハウを掴んでいる(ように見える)人たちです。ですから最初から、力関係には圧倒的な差がある。それは、イジメの構造を孕んでいるということだったのです。

それが、ウケたんですね。圧倒的な力をもって叱責する審査員たちと、それにじっと耐えるプレゼンターという構図が、非常にリアルに感じられたわけです。

ところで、あの審査員たちの「その後」を調べた結果というものが、インターネット上に載っています。名物審査員の多くが、その後、事業破綻に至っているんですね。ということは、成功に見えたけれども、そこに真の成功ノウハウは無かったということです。

昨日書いた、小林一夫さんの「金を追わずに信用を追う」という言葉で、ふっと『マネーの虎』のことを思い出したので書きました。
就活産業の餌食になるな
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、磨き屋シンジケート小林研業の小林一夫さんを取り上げていたので興味を持って観ました。新潟県の燕・三条地区には金属加工を行う工場が多く点在しています。私の同級生にもそういう工場の跡取り息子たちが何人かいました。

小林一夫さんを一躍有名にしたのは、iPodの筐体に施した鏡面仕上げです。薄いステンレスを鏡のように磨き上げる美しさが世界をうならせたのです。

番組を観て、小林さんの経営哲学には大いに共感するものがありました。大量生産を追わず、少量の特殊な加工に特化したこと。「金を追わずに信用を追う」という姿勢。技術を秘匿せずに同業者に教え、お互いが切磋琢磨して地域全体を盛り立てていこうという考え方など。

中でも若い後継者を一人前の職人として育てようと、愛を持って接しているところは素晴らしいと思いました。小林さんのところには若い職人さんがいま3人います。みんな大学を卒業して、一度は企業に就職した人たちばかり。でも3人はそこを辞めて、職人になる道を選び直したのです。

若い人たちには、そういう道もあるということに、気づいてほしいのです。「就活」で鬱になる人も多いと聞きます。40社も50社も断わられたら、そりゃあ誰だってメゲますよね。私も4年前に仕事を探そうとして、3つ断わられただけでメゲた。社会がもう自分を必要としていない気がしました。

それで仕方なく、自分で自分の居場所を作ったのです。毎日2時間こうしてブログを書いている。お金にはなりませんが、日々やる「仕事」はある。それが自分を生かしてくれています。

「仕事」は自分の才能を引き出し、自己の人間性を高めてくれる大切ないわばツールです。しかし「仕事」に就くということが、「就活」という言葉とともに産業化されてしまったところに、今の若者たちの悲劇があると思うのです。言うなれば、「就活」産業の道具にされてしまったんですね。

そこでは、「就活」レースという言葉もあるくらいで、「仕事」に就くことが競争になってしまっている。その人個人の育成という視点が、もはやないのです。大学受験も競争、有名私立の小中学校に入るのも競争。生まれた時から競争で、これでは気が休まらないのは当然です。

しかしそのようにして、社会が、産業が、学校が、教師が、親が、一緒になって作り上げてしまった価値感やルールに、若者たちが完全に洗脳されてしまっている。
「ああ、今日も家に帰ったらエントリーシートを書かなきゃならない」
そのルールからこぼれたら、もうお先は真っ暗、後が無いような気がしてしまう。

私は若い人たちに言いたいです。「就活産業の餌食になるな」と。「仕事」を選ぶことと、「就活」とは、似て非なるものだと知ってほしいのです。「金を追わずに信用を追う」これは、自分自身の成長を促す意味でも、原点になる考え方だと思うのです。

会社のブランドは、自分の実力とは関係なしに、それなりの満足を与えてくれるでしょう。しかし会社の「看板」と、自分の「看板」を錯覚してはいけない。どうか自分の「信用」をいかに付けて行くか、ということから「仕事」を選んでほしいのです。求め続けていれば、愛を持ってサポートしてくれる人が必ず見つかるはずです。