by Rainbow School
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イギリス北部のスコットランド、ここで「認知症」と診断された人たちが集まって、認知症の人たちにはどんな支援が必要なのかを、当事者たちが集まって話し合うワーキンググループが、2002年に結成されました。番組はその活動内容を追ったものです。
「私たち抜きに私たちのことを決めないで(Nothing about us without us !)」とは、そのワーキンググループの活動の起点となった標語です。
ワーキンググループ結成のきっかけは、アルツハイマーのサポートをする機関に勤めていた一人の女性が、「認知症」と診断された本人を抜きにして、家族とばかりやりとりしている実態に疑問を抱き、あるとき認知症の当事者であるジェームズ・マキロップさんの家を訪ねて行ったことから始まります。
ジェームズ・マキロップさんは、そのことに驚きました。初めて、自分の話を真剣に聞いてくれる人に出会えたのです。それがきっかけとなって、「認知症」の当事者たちが、自分たちで必要な支援策を考えたり、社会やマスコミが発する偏見を是正する活動を始めていったのです。
素晴らしいと思ったのは、ジェームズ・マキロップさんが発するユーモア。これでグループの活動がギスギスせずに穏やかなものになっている。そして、たとえ「認知症」と診断されたとしても、自分たちにはできることがたくさんあるし、工夫によって症状の進展を遅らせ、楽しく生きることができるということを鮮やかに証明してくれています。
さてこの番組の中で、印象に残った二つの言葉があります。一つは、<私たちは認知症「患者」ではなくて、認知症を生きているだけなんだ>という言葉です。
とかく社会はレッテルを貼りたがります。その方が、それ以上深くコミットしなくてよいので楽だからです。しかしレッテルというのは、概念に付けられた表紙ですから、いったん「患者」と言ってしまえば、「患者」という言葉が持つ概念に、本人も周囲も巻き込まれてしまうことになります。
“Nothing about us without us !” これは単に「偏見を止めて!」という、外に対しての抵抗を示しているだけではなくて、そのままでは自分たちが「患者」になってしまう、文字通り自分を「患者」だと思い込んでしまう、危険性を指摘した言葉でもあるのです。
そうじゃないんだよ。自分たちは、ある「状態」を生きているだけなんだよ。それは皆さんと大して変わらないんだよ、ということです。この指摘はとても重要です。たとえば、癌になったとしたら、それは同じように癌という状態を生きているだけなのです。
人はみな変化します。一瞬たりとも留まることはありません。その変化を、自分の主観によって、良いことと悪いことに峻別してしまうかもしれませんが、それらは全部ひっくるめて、変化の一形態に過ぎないのです。ならばどうして、特定の概念にだけフォーカスを当てて、レッテル貼りをする必要があるでしょうか?
(この項つづく)
▶ 再放送:年9月27日(土)午前0時00分(金曜深夜)Eテレ