by Rainbow School
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『おわこんTV』の自虐ネタにびっくり!
NHK・BSプレミアムで『おわこんTV』という30分のテレビドラマが放映されています。全8回の予定で、現在5回目が終わったところです。これを観てぶったまげました。「おわこん」っていったい何のことだと思います?「終わったコンテンツ」の略なんだそうです。

これ、NHK初のテレビ業界モノということだそうですが、「初」が「おわこん」って、凄過ぎません? いいのかなぁ、こんな自虐ネタをドラマにして。まあ、NHKさんの懐の深さだと理解しておきましょう。

「番組のみどころ」には、
<テレビを、このまま終わったコンテンツ(=おわこん)にさせるワケにはいかない!
制作会社を舞台に、崖っぷちでガンバル熱いテレビマンのドラマをお送りします
テレビ業界が栄華を極めたのは、今はもう昔の話。
普通の会社と変わらず、少ない予算と視聴率競争の中で、必死にもがいています。
全国の働く人たちに共感していただける、そんな楽しいお仕事ドラマをお送りします。>
とある。

確かに、そのように「頑張っている姿」を描いてはいるのですが、見終わって、どうにもスッキリしないのです。「頑張っている姿」への共感よりも、「自虐のわびしさ」の方がどよーんと重たく響いてくるのです。そう感じるのは私だけでしょうか?

「テレビ業界は今、厳しいんだろうなぁ」とは思っていましたが、正直言って「ここまで来てるのか?」と思いました。「今やテレビを観ているのは年寄りばかり」とか、「二ケタ視聴率は夢のまた夢」とか、「予算削るためにホテルとタイアップして、そのせいでシナリオ変更」とか、わびしい話がボロボロ出てくるのです。

20代の一時期、私は映画界に居たのですが、その当時は斜陽も斜陽、業界は崖っぷちどころかすでに崖から転げ落ちていました。しかしいい時代を知りませんから、超ビンボー生活でも必死に頑張っていました。状況だけを考えたら、今のテレビ業界は、まだずっとマシなのではないでしょうか?

でも、私がどよーんと感じるのは、そんな比較とは別のところに理由があります。<テレビを、このまま「おわこん」にさせるワケにはいかない>と、いくら「頑張って」いても、それは黄金時代の縮小版をやっているに過ぎないのではありませんか? だとすれば未来はないことになります。

映画が一気に斜陽になったのは、「流通システム」が機能しなくなったからです。(メーカー別の系列館、そこへフィルムを運び客を呼ぶ映画の仕組み。それよりも茶の間でタダで観られるテレビの方がずっと便利だった)

この危機の時代、ワイドスコープ、大作物、スター路線、やくざ映画、ポルノ映画など、映画はコンテンツの目先を変えることで生き残りを模索していました。けっして黄金時代の縮小版をやっていただけではなかったのです。

しかし、そのような努力をしても、映画の黄金時代復活はなりませんでした。結局、映画が今日のように変わったのは、シネコンという「流通システム」の革新によってだったのです。逆に言うと、「流通システム」が変わりさえすれば、映画というコンテンツは、引き続き魅力を持ったものだったのです。

さて、テレビはどうでしょうか? テレビの斜陽化の原因も、かつての映画と同じく「流通システム」が機能しなくなったからです。インターネットにその座を奪われたのです。では、コンテンツは引き続き魅力を持ったものなのでしょうか?

魅力が全くないとは言いませんが、映画よりはずっと少ないのではないでしょうか。テレビの価値とは、同時性と大衆性を合わせ持った「流通システム」そのものにありました。そこでコンテンツは、それによく合致するものが優先的に創られたのです。(ex.バラエティ・ショー)

ですから、「流通システム」が機能しなくなった今、生き残れるコンテンツもあまりないと思います。
ニュースは見ない
私の若いころには「新聞をよく読みなさい。それも一紙ではなくて、何紙も読みなさい」ということが当たり前のように言われ、推奨されていました。毎日、時間をかけて新聞を何紙も読むような人は賢く、新聞を読まないような人間はバカだという見なし方が一般的だったのです。

大学の入試問題には、朝日新聞の「天声人語」からの出題があると言われ、就職試験では、新聞に掲載された時事用語を知らなければ全くお話にならないということで、みんな必死に俄(にわか)勉強したものでした。そして社会人になったら「日本経済新聞」を読め、というのが常識人のセオリーでした。

そのため私には長いことコンプレックスがありました。今も昔も、新聞を読むという習慣がないのです。そして今の私の結論は、新聞は要らないが、新聞紙は要る。これ言うと、新聞関係の人は怒るだろうなぁ。魚を捌いたときや、野菜を包んだりするときには新聞紙がまことに具合がいい。ですから、今は古新聞を時々人から貰っているのです。

「新聞」というのは、文字通り「新しく聞く」、つまりNewsを読むものであるから、他のメディアに比べて相対的にスピードが遅くなってしまった「新聞」にはもはや価値がないという議論がありました。特にテレビが登場したころです。でも、「新聞」には後でじっくり分析できる価値がある、というのが世の結論でした。

確かに、テレビのニュース解説などを聞いて「なるほどそういうことだったのか」という気づきがあることはあります。でもいつも疑問に思うのは、「その見解はいったい誰のものか」ということです。

たとえば新聞社の「社説」はいったい誰が書いているのでしょうか? 社主なのか、一記者なのか、ある特定の部署の合議なのか、それとも新聞社社員の総意をまとめたものなのか? それがまるで判らない。誰が書いているのかすら判らないのに、マスメディアは影響力が大だから、それが権威を持ってしまう。

そのことがとても恐ろしい。ニュースの原稿を誰が書いているのかは判らないけれど、その裏に、ある方向へ誘導しようとしている特定の「意図」があることは読めて来ました。その「意図」を発している大本が何であるかはよく判らないけれど、マスコミ全体がそれに従っているらしいことも解ってきました。

8月に入ると、テレビは終戦記念日に関連した特集番組が多くなります。過去5年、それらの番組を徹底して観てきました。太平洋戦争に関しては、なぜあのような無謀な戦争に突入し230万人もの命が奪われたのか、という根本的な疑問があるわけですが、その理由らしきものが解ってくると「えっ、こんなことなの?」と唖然とします。

・敬意、対話、調整という選択肢の放棄
・統帥権の拡大解釈と軍の一部狂人の暴走
・暴走を見て見ぬふりをする参謀本部
・参謀本部エリート官僚の、現場を顧みない姿勢
・エリート官僚たちの集団無責任体質
・軍の組織管理体制の背後にある「イジメ」の移譲という構造
・そして、大衆心理を煽るマスコミの誘導

今の世界や日本の情況を見ていると、まったく同じことが繰り返されているとしか思えません。いくら、「あの悲劇を忘れるな」とか「あの過ちは二度と繰り返してはならない」と言ったところで、リーダーたちは同じメンタリティを捨てないんですよね。一般大衆は、これらに組しないということでしか、対抗できないのかなと思います。
「支配」を「見守り」に、「隷属」を「上手な甘え」に変える
人間関係は思うようにはいきません。なぜなら、他の人の心は自分の心ではないからです。個人というのは、それぞれ別個の自我(ego)であり、その他者の心を支配することはできないのです。ですから、人間関係を改善しようと思ったら、先ずこの前提に立たなければ、なにも始まりません。

ところが多くの人が、この前提にすら気がつかないのです。相手が一方的に悪いと思っている。相手のせいで自分が苦しめられていると思っている。でもそうじゃないのです。

逆三角形(▽)を描いてみてください。上の辺の片方に位置するのが<私>、もう片方に位置するのが<相手>です。人間関係の今の状態は、下に突き出た頂点にあるのです。

この単純な図形は多くの示唆を与えてくれます。先ず相手か自分か、どちらかが変われば、人間関係も変わるということが解ります。逆に人間関係が変われば、人も変わるということが解ります。さらに、上辺のどちらか片方が消えれば、三角形は描けないということも解ります。

このような単純な理屈すら理解しようとしないのが人の心というものなのです。そこで、多くの人はどう考えるか? そもそも思いどおりにならないことなのに、「支配」を目論むのです。力で支配する、地位で支配する、権力で支配する、因習で支配する、わがままで支配する、敬わせて支配する、弱さを見せて支配する。

しかしそれでは「人間関係」の問題にフタをしただけで、問題に何も向き合ってはいません。中東革命が民主主義を実現するどころか、重しのフタを取った途端、宗派対立が表に噴き出し、泥沼の戦争状態に陥っているというのは、このことをよく表しています。

「支配」が一見うまくいってるように見えるのは、相手が「隷属」しているからです。でも「隷属」している以上は、そこに不満がマグマのように溜まっていく。夫が定年になった途端、妻が離婚を決意。退職金の分け前を貰ってさっさとオサラバする。熟年離婚の背景にあるものは、中東革命と一緒です。

さて、そうならないために、「支配」を「見守り」に、「隷属」を「上手な甘え」に変える努力をしてみましょう。これは、夫婦関係でも、親子関係でも、その他でもみな一緒です。

「支配」⇔「隷属」の関係と、「見守り」⇔「上手な甘え」の関係では、いったいどこがどう違うのでしょう。それは、相手の自我(ego)を認めているかどうかです。信頼しているかどうかです。前者は、基本的に認めない、後者は基本的に認める、という違いです。

さてそこで、もう一歩考えていただきたいのです。どちらが楽でしょう?「基本的に認める」という立場に立った方が、ずっと楽だということに気づきませんか? 余計な手出しをして心を煩わせることがないので、その分を自分のことに使うことができます。自分を磨くことにもっと集中できるじゃないですか。

もうお解りでしょう。「人間関係」の悩み、問題は、自分が作っているのだということに。
中国の使用期限切れ食肉問題について
中国の食肉加工会社、上海福喜食品が使用期限切れ食肉を使っていた問題は、日本では、どんなふうに受けとめられているのでしょうか? 国内ニュースは一切見るのを止めてしまったのでよく解らないのですが、日本マクドナルドとファミリーマートにも食材が供給されていたんですね。


日本マクドナルドのホームページを見ますと、トップに「日本マクドナルド、中国製チキン商品の販売中止を決定」と談する一文が掲載されています。対するファミリーマートは、まるで何事もなかったかのよう。小さな文字で「上海福喜食品有限公司」に関する報道につきまして(7月25日更新)」と題するリンクページがあるだけ。


でもこのリンクページ、PDFファイルのため、私のパソコンではブロックが掛かってしまって見られないんです。同じ企業でも、ずいぶん対応に差があるものだなぁ。


ついでに、両社の食の安全に関するメッセージを読むと、先ず日本マクドナルドは、

<お客様に最高の「おいしさと品質」、「安全な商品」をご提供できるよう、マクドナルドは、生産地(農場等)から店舗までのサプライチェーン全般で品質・衛生管理を徹底し、食の安全に取り組んでいます。原材料の生産地から加工、物流、お店の商品にいたるまでの全工程において、世界中のマクドナルドが協力して取り組んでいるマクドナルドグローバル基準と日本の法律・ガイドラインに従った厳しい管理をしています。>


さらに、「食の安全体験レポート」と題するページでは、

<「食の安全」は、子育て中のママ達にとっても、とても気になるテーマです。
ここでは、「すくすく子育てテキスト」(NHK出版)の読者ママたちが、実際にマクドナルド製品の製造現場で確かめた「食の安全体験レポート」をご紹介します。>
とあり、母子の写真が載っている。


一方のファミリーマート。「食の安全・安心」ページ中の「原材料の品質管理体制」には、

<中食商品に使用する原材料は、事前に検査証明書の確認や工場点検を行い、合格したメーカーの食材を仕入れています。また、品質衛生管理基準にもとづいて審査し、クリアできたものを製造委託中食工場に供給しています。各工場においても、食材の受け入れ検査を実施しています。>


また「品質衛生管理の徹底」には、

<中食商品の製造を委託している工場のISO9001(品質マネジメントシステムの国際規格)の認証取得を推進しております。ISO9001に準拠した品質管理システムを構築することにより、万一不備があった際には、「点」ではなく「プロセス全体」で改善を図り、効果的な再発防止策を講じることができます。>と空しい文言が並ぶ。


でもこれを責める気は、私にはありません。今回のような事件が起こることは最初から解り切ったことですから。だから私はチェーン店には行かない。(と断言したいところですが、最近はそれが難しくなってきました。個人経営の店がどんどん無くなってしまって)


考えてみて欲しいんです。今回の食肉問題は、果たして衛生管理態勢の不備から起きたことなのかどうか。衛生管理基準を厳しくすれば再発が防げることなのかどうか。私はそうじゃないと思う。「食の工業化」という考え方自体に、こうした問題が起こる可能性が常に内在されているんです。


マクドナルドもファミリーマートも飲食店ではありません。あれは物販店なんです。物販店だけれども、売っているものは偶々「口に入れるもの」というだけの違い。システムの考え方は、完全に物販です。


その物販で、食を平準化し、グローバル化し、大規模化し、外注化し、コストダウンを強いれば、後はどうなるかは火を見るよりも明らか。


ホームページで、どんなに「おいしさへのこだわり」と「安心・安全」を謳おうが、外注先のそのまた関連会社のアルバイトが、どこの国のだれに届くかも判らない、毎日大量に生産している食材に、「心をこめて」製造などできるわけがないではないか。そんなことより、報酬が1セントでも上がる方を望むでしょう?


今の「食」の供給システムは問題山積なのに、背後に何があるかををよく考えてみもしないで、企業が提供するものをどんどん受け入れ、食の伝統文化が破壊されていくのを許している。そういう消費者に問題があると思う。みんながチェーン店やコンビニを拒否すれば、こんな問題は起こらないのです。

「悲惨」な話を「滑稽」に変える
友人の女性とランチを食べに行ったのですが、その道すがら子供時代のことを聞かれ問われるままに惨めな体験を次々と話したら、その間、彼女はゲラゲラ笑い通しでした。悲惨な体験って、たいていは滑稽なものですよね。きっと常識の枠組みを破る要素が、滑稽をもたらすのでしょう。

いや、この言い方はちょっと語弊があるかな。いま悲惨の真っ只中にいる人を怒らせてしまうかも知れませんね。それに語り続けなければならない「悲惨」というものもある。どうもすみません。でも、こうは言えるかも。自分の中の「悲惨」はできるだけ早く「滑稽」に変えなくちゃ、と。

悲惨な体験は、渦中にある時は悲惨なんです。でもそれだって、時が過ぎて行く。「悲惨」がずっとそこに残り続けているわけじゃない。現実には終わっていることなのに、記憶だけが残っている。それで苦しむのは誰か。自分なんです。

周囲の人たちはみんな忘れている。でも自分だけは記憶しているというギャップ。これが、恨みや憎しみや処理できない感情として、自分の中に植え付けられてしまう。

私も幼少時に従兄弟からイジメを受けていました。その体験がいかに自分の人格形成に影響を与え、その後どれほどの期間尾を引いたか。ですから法事などで顔を合わせるのは未だにイヤです。でも相手はそんな過去のことはすっかり忘れている。この理不尽さ。

でも、だからこそ、早めに笑い話に変えなくちゃいけない。もし自分の「悲惨」体験を笑い話に変えられたのだとしたら、その人はそのトラウマからかなり脱しているという証明になる。

先ずは普通に話す。話せることをめざす。誰にも言えない話の封印を解くんです。そしてそれが出来たら、次には笑い話にすることをめざすんです。周囲がゲラゲラ笑ってくれたら、結構いい線いってると思うよ。
一卵性親子
知り合いの偉い方からお聞きした話です。その方のお嬢さんは音楽家でバイオリニスト。結婚した旦那様はピアニストなのですが、経歴を聞くとまさにエリート。私など眩し過ぎてとても目が開けられない。A中、A高を出てG大卒。そして海外留学を経て帰国後はピアニストとして活躍。

そんなふうに育った家庭って、いったいどんな感じなんだろうなぁ。ところが、その知人がこぼすのです。「母親べったりの一卵性親子で、困ったものなんだ」と。旦那様のご両親は、二人ともT大卒。父親は役人、お母様は評論家としてちょっと知られた人。このお母様が息子を離さない。

しかもこのお母様は「辛口評論家」として鳴らした人で、目につくものはなんでもメッタ切り。それがウケてマスコミからの需要がなくならないわけですが、知人いわく「家族で一緒に食事してもちっとも楽しくない」。いわゆる「上から目線」というやつが染み付いていて、楽しく歓談できないのだそうです。

いやぁ、上流の人々には上流の人々ならではのお悩みがあるんですねぇ。シモジモに生まれたことを、自分は感謝しなくちゃいけないナ。花柳界は華麗だけど、下流界もまたいいもんだ。
遅い反抗期を演じてみては?
もしあなたが、大人になってもまだ親との確執を抱えているのだとしたら、遅い反抗期を演じてみてはどうでしょうか? 思い切って、溜まりに溜まった怒りを親にぶつけるのです。怒りはコミュニケーションの一手段。怒ることで、いっとき自分の心はグチャグチャになるかも知れませんが、それで情況を大きく変えられる可能性があります。

親というのは勝手なもので、自分の子の幼少時に、管理者として過ごしたときのクセがなかなか抜けません。子供が大きくなったらもう独立した存在として接するべきなのですが、「こうあって欲しい、こうあるべきだ」という理想を押し付けて、それに足りない部分をグチグチと口うるさく言い続けたり、批判したりしがちです。

しかも、それを「愛情」だと錯覚している親のなんと多いことか。いつまでも子離れしない、出来ない。それは「愛情」ではなくて単なる「依存」です。

もし助けて欲しいことがあったら、ハッキリと「○○さん、ちょっと助けて貰えませんか?」と甘えて言えばいい。それを、顔を合わせるたびに「お前はこうするべきだ、こうじゃなきゃいけない」などと説教くさく言ってしまったら、相手がうんざりするのは当たり前じゃないですか。

縁あって親子になったわけですが、魂的に見るならば、先に生まれた、後に生まれたは関係ありません。子であっても、親よりも人間性や霊性がずっと進んだ魂はいくらでもいる。親だから即優れているというわけじゃない。親は親になった機会を得て、そこでしか得られない体験を学ぶために生かされているだけのこと。

もし自分の親が、「依存」を「愛情」だとはき違えているのだとしたら、それに気づかせてあげることは、子として出来る親切です。静かに話し合えればいいのですが、それが出来ないほどの抑圧を抱えていたら、爆発するのも手だと思います。一種のショック療法です。怒る、泣く、罵る。自分の感情を爆発させてしまいましょう。

男親だったら、殴ったって構わないと思います。ただし、殴りどころと、手加減は考えて。ショック療法が最も効果的に作用するように工夫してください。
妻の出産に立ち会えないバカげた理由
友人に誘われて『うまれる』という映画を観に行きました。両親の不仲や虐待の経験から親になることを戸惑う夫婦、出産予定日に我が子を失った夫婦、子どもを望んだものの授からない人生を受け入れた夫婦、完治しない障害を持つ子を育てる夫婦、四組のそれぞれの生き方を綴ったドキュメンタリーです。


今日はこの映画の感想を書こうと思ったのじゃないのです。感想はきっと多くの人が書いておられると思いますから。この中に、こんなエピソードがあったのが私には引っ掛かりました。四組の夫婦のうちで、これから子どもが生まれるという夫婦に起こったことです。


妻は幼児虐待を受けて育ったということがあり、その連鎖が自分にも起きるのではないかと、出産には少し不安があります。優しい夫は、その不安を少しでも和らげてあげたいと、助産院での立ち会いを希望します。そこで、出産予定日に会社を休ませて欲しいと上司に願い出るのですが‥‥


その時、上司がこう言ったというのです。

「出産に立ち会って、売上げが上がるのか?」

彼は答えます。「いいえ、上がりません」

「だったら、あとは自分で考えろ」


私はそいつを殴ってやろうかと思いました。もちろんヘナチョコなので殴れませんけどネ。(´_;

いつも思うことですが、つくづく、地位や権力や学歴や能力と、人間性は関係がないと思います。


夫は、「人として」の行動を模索している。でもその上司が言っていることは「会社人として」ですらない。もっと狭い「売上げ」のことしか頭にないのです。さらに言えば、それすら口実で、やりたかったのは上司ズラしたかっただけのこと。要するにイジメたい願望です。戦争中の日本陸軍の体質となんら変わらない。


私がもしその上司だったら、「そりゃいいことに気がついたね。しっかり寄り添って上げなさい」と言います。それがコーチングというもの。「規律に従え」しか言えない人間に、コーチをやる資格などない。そんなもの誰でも言えるんですから。もっともイージーな指導です。その上司は、間違って上司になっちゃったんだな。


「だったら、あとは自分で考えろ」ですって? 私がその夫なら、考えた末に会社を休みます。なぜって一日や二日休んでも会社は無くならないけれど、出産立ち会いという瞬間はもうその時にしかありません。会社でやる仕事はルーティンだけれど、出産立ち会いは一生でもまれな体験なわけですから。


と、まあ大言壮語を吐きましたが、それは今だから言えること。実は私にも全く同じ経験があるのです。息子が生まれるときに、カミさんは両親のいる田舎へ行きました。私は当時デザイン会社に勤めていて東京に残って仕事をしていたわけですが、休んだのは年に45日というありさま。


でもその時ばかりは勇気を出して社長に言ったんです。「子どもが生まれるんで休ませてください」と。そうしたら、社長がこう返した。

「俺と専務は、子どもが生まれたからって休まなかったよ」


結局、立ち会えなかった私は、後でカミさんから「ぜーんぜん来てくれないし、心細かったよぉ」と言われ、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。それに何より、大切な瞬間を逃したという後悔が後をひきました。


この話には後日談があって、ある時、会社の倉庫を整理していると、社長が自分の長男誕生のときに出したハガキがひょっこり出て来た。そこには、なんと「『生まれ』たという知らせを聞いた瞬間、喜びでいっぱいになり、取るものも取りあえず病院に駆けつけました」とあったのです。


「なーんだ、ウソじゃん!」「自分は嬉しくてハガキまで出しているじゃん!」ひでぇなぁ、と思いました。

けっきょく社長は、その時ぱっと心に浮かんだ「イジメたい願望」を、立場を利用して行使しただけだったのです。

男の「思い込み」、男の「支え」
社会の中枢を動かしているのは、今でも圧倒的に男なわけですが、それは逆から言えば「生活実感」が乏しいためではないかと思うのです。別の言葉で言うと、現実対応力が非常に低い。だから幻想を必要とし、組織に奉ずることで自分の中の空っぽを埋め合わせようとするのだと思います。

現役のころ、学歴・頭脳ともに申し分のない人たちと触れ合う機会を多く得ましたが、「俺が社会を動かしている」という自負心を持っている人がたくさん居ました。無論それは錯覚に過ぎないのですが、でも男はそう思いたいのでしょう。子供のころから、親にそういう価値感を植え付けられる人も居るかもしれません。

男の「思い込み」を描いて、心に残る面白い映画があります。『マイレージ・マイライフ』。原題は「Up In The Air」で、たぶん<空の中を飛ぶ>ということと、<地に足が着いていない>という意味を掛けているのでしょう。主人公のライアン・ビンガムを演じるのはジョージ・クルーニーです。

この主人公の職業は「解雇宣告人」。企業の経営側から依頼を受けてその企業に乗り込み、幹部に代わって「クビ」を言い渡す人です。言いにくい「クビ」を代行してくれるサービス会社の、彼はベテラン社員なんですね。ベテランの腕の見せ所は、いかに相手にショックを与えないよう解雇を納得させるかということ。

ライアンは長年の経験によって独自のノウハウを身につけたことから、いつも引っ張りだこ。一年のうち300日以上を出張のために飛行機で飛びまわるという人生を送っています。そうそう、クビを宣告された男が主人公の傑作『アメリカン・ビューティー』と並べて考えると面白いかも。

ライアンの人生は、なにしろ一年の殆どが飛行機とホテルにあるわけで、一個のキャリーバッグ入り切らないようなものは決して持たないというのがモットー。結婚にも興味はなく、旅先で出会った女性とその都度お気楽な関係を楽しんでいる。その彼が目標にしていることは、マイレージを1000万マイル貯めるという偉業を達成し、航空会社から特別のカードを貰うこと。

もちろんそれは福次的なものに過ぎないことはライアン自身もよく解っている。けれども自分が生きた証しになるし、そういう人生を肯定してくれるそれはちょっとしたご褒美のようなもので、自尊心を大いに満足させてくれるのでした。

そんな彼が、ある出張先で、自分と同じ価値感を持つ女性アレックスと出会ってびっくりします。「こんな女が居たのか?」という驚きです。

その時のエピソードがふるっている。ライアンがアレックスに自分の人生哲学のようなものを語り、相手がどうやら似た者同士だということが分ると、さすがにこういう体験はないだろうと自分の武勇伝を披露します。それはいかなる戦略を駆使し、飛行機のトイレに女性を連れ込んでいたしたかということ。

するとアレックスが「私もしたことがあるわ」とあっさり話すのに、度肝を抜かれるわけです。それでライアンはこれまでにない親近感を感じるようになり、旅先でスケジュールが合うと逢瀬を続けるようになります。やがてライアンは、キャリーバッグに入りきらない人生も「いいかも」と思い始めるのです。

これに妹の結婚話がからんで、ライアンはある旅先で、自分のモットーを破る人生に踏み出したい衝動が抑えられなくなります。一度だけ聞いたことがあるアレックスの住所を頼りに、飛行機に乗り、レンタカーを借りて、息せき切ってアレックスが住む家の前に立つのですが‥‥。

玄関ベルを押したライアンは愕然とします。出て来たアレックスの背後で、夫と子供たちの声が聞こえるのです。ライアンの知らない、家庭婦人の顔をしたアレックスは「もう来ないで」と言い放ちます。ライアンよりも彼女の方が何枚も上手だったのです。この時のライアンの気持ちを考えると、物悲しいなぁ。

失意のライアンが、また元通り「Up In The Air」の生活に戻ると、座席に笑顔を浮かべた機長がやってくるのです。「おめでとう。あなたが7人目の1000万マイル達成者です」
皮肉が効いてるなぁ。男ってバカだなぁ。
思い出は食べ物の中に
最近、妙に母親が懐かしいのです。中学生まではなんてイヤな女だろうと思っていました。煙草を吸い、酒を呑み、暴力を振るい、いつもヒステリックに当たり散らしていた母親。それが中学を卒業してから変わったのかですって? いえ、そうじゃないんです。中学を卒業して私が家を出たことで、解放されたんです。

その後のことはあまり知りません。めったに帰らなかったから。でも20年くらい前から母親の性格が大きく変わっていったことが解りました。煙草もやめたし、ヒステリーを起こすこともなくなった。同居している孫たちからは「バアさん」と呼ばれ小バカにされていましたが、それを気にすることなく自分のライフスタイルを生きていました。

「人は本来自由である」という考え方には、私と共通するものがあったかもしれません。いわゆる親子の情のようなものを感じることは最後までありませんでしたが、お互いに独立した人格というものを認めて接する、という感じになるまでに、過去のわだかまりは解消していました。

一周忌が済んで、いま懐かしく思い出すのは、全部食べ物にまつわることです。私の母は、女学校を出ると東京の洋裁店に修行に行き、修行3年、お礼奉公1年の年季が明けると田舎に帰って来て洋裁店を始めました。その東京時代にいろいろと食べ物の味を覚えたらしいです。

母親が作る料理は、そのころ田舎の家庭でよく食べられている料理とはちょっと違っていました。センスがあった。母親は「何が旨いか」「どうするとより美味しく食べられるか」ということをよく知っていました。たとえば味噌汁の具の相性とか、わかめは火を止めてから入れろとか、魚は身より頭が旨いとか‥‥。

要するに、酒呑みの食い道楽だったわけですが、私はこの母親から、包丁の使い方、材料の切り方、魚の卸し方、各種下ごしらえの方法、すりこぎの回し方など、基本をだいたい教わった。教わったというよりも、手伝っているうちに自然と覚えた。それが今も役立っているし、いろいろな料理と味を懐かしく思い出すのです。

親父は、私が27歳の時に死んだのですが、母親が居ない時、親父が作る料理はもう決まって「おじや」でした。それしか出来なかったのです。「おじや」って聞いて今の人は解るかな? 残った味噌汁にご飯をぶちこんで温め、そこに卵を溶いてグルグル掻き回しただけのもの。とても料理とは言えません。「おやじのおじや」と聞くと、ぞーっとしたものです。

私よりも若い世代の人たちは、いったい何を懐かしく思い出すのでしょうか? マクドナルドのハンバーガー? それともセブンイレブンのおにぎりなのかな?