夫婦の亀裂
2014.04.30 Wednesday
どんな悩みや問題も、霊的世界の法則にまで迫らなければ、本当に深いところは解りません。病気のこと、人間関係のこと、お金のことから、数学や物理学や生物学や天文学に至るまでです。本当は、答えはみな用意されているのですが、そこに見向きもせずに右往左往しているのが「この世」の住人たちです。
たいていは、せっぱつまった状況になって初めて「もしかしたら、今まで考えていたこととは、違う真理があるのではないだろうか?」と思い当たるのですが、そこを掘り下げて一歩進む人と、「この世」の論理に引き戻されて、また右往左往する世界に戻って行く人がいるのです。
これが家族の中で、とりわけ夫婦間で違いが生じて来ますと、なかなかやっかいな問題を引き起こします。片方が「今までの私の生き方は間違っていたのかも。少しでも真理の道に迫りたい」と考えて行動を開始しますと、もう片方は「どうも最近おかしい。何か変な考えに取り憑かれたのではないか」と疑心暗鬼に駆られるようになるのです。
三つ又の交差点に立って、二本に分かれた道を、さてどっちを歩もうかと思う。それで試しに、夫婦で別々の道を歩み出す。最初のうちは声を掛け合って「おーい、そっちはどんな具合だ」などと、探り合いながら進むのですが、そのうち道はどんどん離れて、声も姿も見えなくなる。
ここまで至ると、価値感の違いが、生活上の隅々にまで表れて来るようになります。それは、食事の摂り方であったり、祈りや瞑想習慣であったり、と。
それを目の前にすると、拒否感の強い人は「私のパートナーは、どうもおかしな思想に洗脳されてしまったようだ。大事にならないうちに引き戻さなければ」と焦って来るし、もう片方は「どうしてあの人は、別の世界があることに気がつかないのだろう」と、これまた焦燥感を募らせて、両者の亀裂がどんどん大きくなって行くのです。
正に、私がそうでした。うちの奥さんは、私に対し「自分をちっとも楽しませてくれない。現実を見ようとしない」という恨みの思いをどんどん募らせて行き、あまりに激しい恨みから、遂には癌に罹ってあっさり死んでしまいました。これほど、極端な事態に発展する例はあまりないかも知れません。そして、そこに至るまでの地獄のような葛藤の日々。
しかし、「救い」があったのは、そのような激しい反発を見せていた彼女も、最後には感謝の言葉を残して死んで行ったことです。「私、病気になってやっと解ったの。だから、病気も悪いことばっかりじゃないよ」と、話していました。こと、ここに至って、彼女も気づいたのです。パッと掴んだのです。真理への扉を。最後に立ち上がって、彼女が窓外を見た時、空には虹が掛かっていました。
彼女の死は、ギフトで、だから私が今こうして、そのギフトを皆さんにお返ししたいと思っているのです。それが、彼女に返すことになりますから。
だからどうか、精神世界への扉をきっかけに夫婦の危機が生じても、私が経験したような「極端」には進まないように努力していただきたい。ハンドルの遊び部分を多くして、ゆるゆると相手に接し、スマイルとジョークで乗り切っていただきたいと思うのです。