by Rainbow School
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「脅し」と「不安」の関係
社会やメディアが繰り出す「脅し」の言葉に、絶えず晒されているのが現代人の特徴です。

癌保健に入っておかないと入院費が賄えないぞ。ワクチンをちゃんと接種しておかないと病気に罹るかも知れないぞ。いい大学に行ってないと就職先がないぞ。定年まで3000万円貯蓄しておかないと老後は悲惨だぞ。給料のいい会社じゃないと嫁の来手がないぞ。ちゃんと肌の手入れをしていないと皺が増えるぞ。抜け毛をほったらかしにしているとハゲになるそ。スーパーの野菜は農薬に汚染されているぞ。シロアリで家がボロボロになるかも知れないぞ。スマホに買い替えないと時代に乗り遅れるぞ。

それを「脅し」だとは感じていないかも知れません。逆に言えば、それほど「洗脳」の度合いが進んでしまったのです。

志村けんさんのギャグに「だいじょうぶだぁ」というのがありましたが、これは志村けんさんがよく知る東村山のあるお婆さんの口ぐせだったとか。なんとも大らかですが、この感覚を、現代人は忘れてしまったのではないでしょうか?

私の子ども時代は、今よりも衛生状態はずっと悪かったですし、コンビニはもちろん、スーパーも冷蔵庫ありませんでした。貯金もありませんし、ハローワークもありません。でも「不安」も、今ほどはありませんでした。

そうやって考えて見ますと、現代人が抱える「不安」は、メディアの発達とコマーシャリズムによって、故意に作られた部分が非常に大きいと言えます。現代人は、本来必要のない「不安」を、故意に抱かされているのです。

時々、悩みごとの相談を受けて話を聞いていると、それを強く感じることがあります。少し視点を離して自分を眺めて見れば、なんら問題と言えるようなことはない。家はあるし、お金もあるし、食べ物もあるし、家族もいるし、職場もある。でも「不安」だ。

そういう、贅沢な「不安」に、多くの日本人はいま取り憑かれていると思います。逆に言えば、ど日常への感謝が沸かない。メディアが、もっともっとと煽るものだから、何かまだ不足しているのではないか、見落としているところがあるのではないか、という「不安」が消えないのです。

この状況は、何かと似ているとは思いませんか? そうです。宗教が信者を獲得する手口と一緒。そのままだと大変なことになるぞと脅して、入信を誘う手口です。
人々は「宗教」はイヤだと言うのですが、国家や資本主義が繰り出す同様の手口には、何の疑いも抱かずにあっさり嵌ってしまいます。そうやって、いつの間にか「不安」人間に仕立て上げられていることに気づきません。

今いちど「だいじょうぶだぁ」を思い出し、口ぐせにしてみてはいかがでしょうか。
私の自殺願望(その3)
自分の自殺願望がようやく治まってきたのは、50代も半ばに差し掛かったころだと思います。それはある日を境に急にといったことではなく、徐々に治まっていったのですが、人との出会いや、事件への遭遇や、本を読んで学習した気づきによって、自分の中に眠る感覚が少しずつ変化していったのです。

その際、私にとって、非常に大きなインパクトとなったのが、スコット・マンデルカー博士の『宇宙人の魂を持つ人々』という書籍との出会いでした。この時点で、どん引きされる方もいらっしゃるとは思いますが、まあ聞いてくださいナ。この中にある「ET度テスト」の殆どの項目に自分は○がついた。そのことで、自分がスターピープル、つまり宇宙人であることが解ったのです。

「はあ〜?」って声がいま聞こえましたネ、およそ30名。こんなことを大槻教授に知られたら、「証拠を見せろ!」と言われるかも知れませんが・・・証拠はありません。m(_ _)m しかし証拠なんてなくてもいいのです。自分にとっては「そうか、俺はETだったのか!」ということが、大きな慰めになったのです。

自殺願望は、自分の存在理由が見つからないということです。居場所がないということです。多くの人は、その空白を代替行為で埋めることによって生きているわけですが、それが他人と同じようにうまくできない。そういう自分の特殊性というものが、マイナスの方に傾くと、「もう生きている価値がない」とまで思い詰めることになってしまうわけです。

しかし私は、「この生きにくさは、自分がETソウルだったからなのか‥‥」と発見できた。ラッキーでした。それによって、6・7歳のころ、自分の内部から押し寄せ来た「人々を喜ばせたい。力になりたい」という強烈な願望の理由も、説明がついたのです。それはスターピープルに課せられたミッションでした。

それが判れば、あとはETの使命を立派に(?)果たすだけです。そう腹を括ったとたん、今まで自分が長く劣等意識に苛まれていた特殊性が、しだいに活かせるようになってきました。人の感情の動きがあまりにもよく解ってしまうことや、瞬時に異質の情報を結びつける能力や、本物と偽物を見抜く眼力や、物事の本質をパッと掴んでしまう直感力などです。

これらは、誰からも相手にされず、生き方の不自由さしか自分にもたらさなかったので、私も表に出さないようにして、なんとかその劣等意識を克服したい、と悩み続けてきました。しかしここに来て、それも個性であり、やりようによっては活かせるということがやっと解った。それによって、私は60歳間近にしてようやく救われたわけです。

ですから、いま悩みの渦中にいる人に言いたい。誰にも存在する意味があるのです。役割があるのです。だから、「希望を捨てず、自分探しの旅を続けろ」と。
求め続けた先に、光明は必ずある! 力強く一歩を踏み出せ。(続く)
体調不良の原因は?
体調不良の原因は、体の使い方が悪いか、食事の摂り方が悪いか、心の状態が悪いか、そのいずれかです。しかし体の使い方も食事の摂り方も、その人の意志が決定しているわけですから、結局のところ、心のあり方が大きく作用しているのです。

けれども現代医学は、このような見方をしていません。体調不良、なかんずく病気の原因は、外からもたらされると考えているのです。それはちょうど、人間関係のトラブルや自分の不遇の原因を、外に求めることと対応しています。

しかし、人間関係のトラブルや自分の不遇の原因が、結局は「自分の心の持ちようにあった」と既に気づかれている方にはもうお解りでしょう。同様に、体調不良の原因も、外にあるのではなく、自分の内にあるのです。セスは、このことを実に丁寧に詳しく教えてくれています。

私が残念なのは、いくらそのことをお伝えしても、自分が作り上げた観念の中に埋没して、それを一向に手放そうとしない方が居られることです。私も埋没していた時期が長かったので、そうなる気持ちは解るのですが、やはり行動しなくては、変化を求めてとにかく一歩を踏み出さなければ、改善しようがありません。

結局のところ、「素直さ」と「好奇心」が、人を分けるんですね。「幼子のように」とは、そのことを示しています。いま目の前にある問題を、他者のせいにしたり、逆に自分を極端に卑下したりしているうちは、スタートラインにすらつけません。それは、体調のこととて同じなのです。

あなたの観念が、あなたの体調を作るということを、かつてはあなたも知っていた筈です。子どもの頃、転んでどこかをぶつけたときに、お母さんからこう言われませんでしたか?
「痛いの、痛いの、飛んでけ〜」
それで、見事に痛みが治まったでしょ。ね。(^_-)-☆
「共感」の代替物
子どもと、いつもいい関係でいたい。その願望は解るのですが、共通趣味や共通の話題があることが、即、子どもと「共感」できている証しだと錯覚してはいないでしょうか? あれこれうるさく言わないのは結構なのですが、昨今どうも子どもに同調しようとしている親が多過ぎる気がします。

子どもを理解することは、同調することとは違います。「共感」をもって理解するということは、互いの違いを前提とし、それを超えて解り合える部分を見つけ出そうとするアクティブな試みです。ところが共通趣味や共通の話題に満足していますと、表面上はいい関係でしょうが、むしろ深い「共感」は得られないと思います。

どんなに仲良く見えたとしても、所詮、年齢も、育った時代も、立場も違うのです。時にはノーを言わなければならない時だってあるはずです。そのような時に、同調グセを繰り返していたら、言うべきことも言えなくなってしまいます。

私が子どもの立場だったら、自分に同調して来る親なんて、気持ちが悪いです。それよりも、マイオピニオンをしっかり持って、時にその意見を披瀝してもらう方がよっぽどいい。子どもとしてもその方が安心です。「ああ、放っておいても大丈夫だな」と思って‥‥。

自立できていないのは、親の方なのです。「共感」するためには、先ず親子が「違う存在」であることを知っていなければなりません。次に「マイオピニオン(私の考え)」を、ちゃんと持っていなければなりません。そこに行き着くまでには、長い訓練が必要なのです。

共通趣味や共通話題を、「共感」の安易な代替にしてはいないかどうか、いちど振り返ってみてください。
Reborn
人はいつでも生まれ変われる。Be here now !(いま、ここ)は、それを端的に語った言葉です。以前に「老後」発想はダメだと書きましたが、始終「老後」のことを考えておりますと、知らず知らずのうちに頭の中に「老後」に対する強い観念ができあがり、自分の心も体も、それに合わせるように変化していくのです。

そうでなくても、金融機関や保険会社や不動産開発業者などが、「豊かな老後のためには、リタイアするまでに3000万円必要」とか「24時間ケア付きマンションで老後も安心!」といった「脅し」をしょっちゅうかけてきますので、無防備でいますと「そんなものかなぁ」と、いつの間にか洗脳されていってしまいます。

そうやって「老後」を心配するよりも、むしろ積極的に「Reborn(生まれ変わり)」を考えてみてはどうでしょうか? 私が観察しておりますと、会社が提供する「定年延長制度」などを活用した人は、その後、あんまりいい生き方をしていませんねぇ。

制度を提供した方は、転換へのバッファの期間(つまり、その間にソフトランディングしてもらうために)を設けてあげたつもりなのに、利用する方は「継続」だと思っているから、覚悟が定まらない。それで、いよいよ定年延長も終わりとなると、もうどうしていいか分らなくなるのです。

だから「Reborn」を考えた方がいい。「継続」や「延長」という考えをスッパリ断ち切って、別の人生を歩むんだと。

江戸時代後期に、当時世界最高の精度を誇る日本地図を作った伊能忠敬は、このプロジェクトを56歳になって開始しました。18歳の時に酒造家伊能家の婿養子となり、傾いていた家業を再興するのですが、50歳を過ぎてからは早く「隠居」したくて仕方がなかった。それは興味があった「天文学」に没頭したかったからです。こうして「Reborn」しました。

人は、自分の存在が「何かに役立っているんだ」と実感できないと、本当の満足は得られません。海外旅行やゴルフや温泉も結構ですが、「Reborn」して、どうか自分を役立たせることにチャレンジしていただきたい。

日本の社会はいま問題山積です。特に、福祉、子育て、環境保全などの分野は、こまごまとした部分に多大なコストが掛かり、それを国や自治体が手当てできない状態です。年金が貰えて、当面の生活に困らない人は、その年金を給料だと考えて、自分を役立たせられることにチャレンジしてみてはどうでしょうか。

人々を喜ばせ、自分も喜ぶ。それがいい人生だと、私は考えます。
大国と属国
地理・歴史が大の苦手だった自分が、今ごろになってそれらに興味を抱くようになりました。いったい何が違っていたんでしょう? 暗記が苦手だった私は、何年に何があったという年表の丸暗記が全く頭に入りませんでした。それでテストはいつも白紙同然。それが苦手意識にさらに輪をかけ、教科書を開く気にもならなず、遂には授業を欠席する始末でした。

そのときは、「歴史にはストーリーがある」ということがまったく解っていなかったんです。それと、「日本史というのは世界史のなかに刻まれたもの」という位置関係もまるで解らなかった。これが初めて解ったのは、靖国神社の資料館を見学したときです。そこでは、日本史と世界史が同時進行で解説されていたんです。

「あっ!」と思いました。私にとっては目から鱗です。なーんだ、日本史と世界史は太古の昔から密接に繋がっていたんだ。両者を分けずに、ストーリー中心に教えてくれれば、もっと興味を持てたのにィ、と思いました。

漢字の書き取りもいつも0点。書き順の暗記ばっかりさせられ、これが全然覚えられない。でも、偏や旁(つくり)や冠には意味があるんだと知ってから、100点取れるようになった。これも目から鱗でした。でも学校の先生は、そんなこと教えてくれない。

間違ってますよねぇ、教え方が。学校教育は、興味を失うように、失うように、子どもたちを導いて行く。今はどうなのかな? 少しは改善されたのでしょうか?

さて、世界史が大国と属国の関係史であると知ったのは、副島隆彦さんの本を読んでからです。それを以前、酒の席で民族主義者の友人にチラと漏らしたらエラく怒られました。「そんなことはウソだ。あり得ない!」大和民族の優秀性を誇りたいのは解るけど、でも歴史はやっぱり大国と属国(その言い方が悪ければ「周辺国」)の関係史なんですよね。

ウクライナ騒動を見ていると、それがよ〜く解る。欧米 VS ロシアの突っ張り合いに翻弄される周辺国としてのウクライナ。歴史的経緯も複雑で、バックグラウンドをよく理解しないと、なぜ内戦の危機に直面しているかがよく解らない。

ところが日本で流されているニュースは、ロシアの横暴(悪人)に対して、欧米がいかに制裁を加えるか(善人)という視点で、あらかじめ編集されたものばかり。それどころか、プーチンは、アメリカがこれまで築いて来た米ロの融和ムードをぶちこわし、一気に冷戦時代に引き戻そうとする独裁政治家、というイメージづくりに終始しています。つい2ヵ月前までは、オリンピックの報道をしていたのにねぇ。

そこに日本が、今もってアメリカの「属国」として在るということも透けて見えてくる。マスコミが流すニュースなど信用していたら、どんなところへ意図的に誘導されてしまうか判らないよ。ご自分の直感を信じて、よく調べて、騙されないようにしてくださいね。
私の自殺願望(その2)
孤独とひとりぼっちということは違います。集団の中に居ても、家族と暮らしていても、「孤独」状態はある。それは、自分が「誰にも理解されない」という思いです。が、この思いは若さゆえの特有のもので、自己本位に陥っており、もう一つの重要な視座がまだ育っていません。

それは何か?「自分の役割を発見できていない」ということです。自分の役割がわからないということは、居場所がないということ。居場所がないから孤独なのです。

自分の役割を見つけるためには、先ず自分が何者か、どこから来てどこへ向かおうとしているのかがわかっていなければなりません。ところがそれを誰も教えてくれないし、それを見つけるヒントすら得られない。そこで、この問題に真剣に取り組もうと考えた人の多くが、長期に渡って、右往左往して苦しむのです。

自殺者、あるいは自殺願望者の感情の底にはこれがある。「自分の役割がわからない」ひいては「生きている意味がない」という思いが、誰にも増して非常に強いのです。周囲の人たちはみな生き生きと暮らしているのに、自分だけはそうではない。自分は生きている価値のないダメ人間ではないのか‥‥。

ところが、周囲の人たちがみな生き生きと暮らしていると思うのは「錯覚に過ぎない」ということが自殺願望者には解らない。よく言う「あなただけじゃないわよ。みんな同じように悩んでいるんだから」という言葉は響かないし、ちっとも慰めになどならないのです。なぜなら、他人の感情や思考は、自分のものではありませんから。

ある意味、真面目すぎる。別の言葉で言えば強い囚われに陥っている。自分とは違い、周囲の人たちがみな生き生きと暮らしているかのように見えるのは、空白を埋める代替行為をとりあえず用意しているに過ぎない、ということが解っていないのです。それは目の前の「仕事」であったり、「家族を支えねばならない」という義務感であったり、「享楽的行為」にふけるなどです。

「仕事」において、自分の役割が発見できた場合を「天職」と言います。一方、これがなかなか発見できない場合が「転職」です。天から授かった実感がなく、地べたを転がされている状態。いま「転職」市場が賑わっているのは、いかに多くの人が「天職」にありつけないかということを物語っています。

だから、取りあえずの空白を満たしていたものが突然失われた場合(それは失職であったり、身近な人の死であったり、財産を失うなど)に直面すると、そこで初めて自分の「空っぽ」に気づくのです。この時が危機であり、逆に言えば大いなる飛躍のチャンスなのです。

しかし多くの人は、そこでチャンスをものにせず、次の代替物、代替行為を見つけることに走ってしまう。まったくもって惜しい。その意味では、自殺願望者は苦悩の先取り、チャンスの先取りをしているとも言えるわけです。問題は、そのことにいち早く気づいて、乗り越えられるかどうかに掛かっている。(次に続く)
日本人の「死生観」
日本国内の年間死亡者数はどれくらいだと思いますか? 平成24年の推計で125万人です。人口千人当たりの死亡率は9.9。死亡数が最低だったのは昭和41年の67万人。死亡率が最低だったのは昭和54年の6.0で、以来年々上がり続けて今日まで来ているのです。

変だと思いません? 医療が高度化している筈だというのに、新薬がどんどん開発されているというのに、年々死亡者数が増えているのです。
死因の第一位は癌で28.5%。以下、心疾患が15.5%、肺炎9.9%と続き、この三大死因で全体の過半数を占めます。問題は、この癌の死亡率が1950年代に比べて4倍にもなっているんですよね。

さらに1950年代と大きく様変わりしたのは、死に場所です。この時代には8割以上の人が自宅で亡くなっていたんです。病院で亡くなる人はわずか1割に満たなかったのです。それが今や完全に逆転し、8割が病院で亡くなるようになりました。しかも、年々死亡率が上がっているのです。

この統計データを見てどう考えられますか? 私に言わせれば、すごーく変です。病院って、病気を治すことが目的の場所じゃなかったんでしょうか? それが現代では、人が生まれるのも病院だし、死ぬのも病院。今じゃみんなそれが当たり前だと思っていて、誰も疑問にすら思わないでしょう。でもその両者は、本来病院がやるべきことじゃないです。

しかしこの「常識」の蔓延は、「死生観」に関して、日本人に、もの凄く大きな変化をもたらしたと思います。何が何でも「生きている」ことがよいことで、心臓が停止したり脳波が停止したら、もうそれで一巻の終わりなんだと。

ところが、<何が何でも「生きている」ことがよいこと>という思想が蔓延したにもかかわらず(というか、蔓延したからこそ)、死に場所を病院にしてしまう人が、逆に増えてしまったんです。ジャーナリストの船瀬俊介氏は、今の癌治療の仕組みを、皮肉たっぷりに「早期発見、早期殺人」と言っておられるのですが、統計データがちゃんとその事実を物語っています。

「裏に何があるか」といった政治的なことは、私には判りませんが、もはや立ち戻れないところまで洗脳が行き渡ってしまったことは確かです。いったいそれで得をしているのは誰か? 現代の医療がどうのこうのと言う前に、まず己の「死生観」というものを、見つめてみる必要があるのではないでしょうか? 先ずそこから始まると思います。
「聞く」技術
今になって考えてみると、父は私とどう向き合ったらいいのか、判らなかったのだと思います。姉二人の進学時期を体験して、自分の思い通りにはならないということが段々と解ってきた父は、3番目の私には既に諦めの気持ちが生じていました。ですから学校を卒業してフリーターとなっても、その件に関してはうるさいことは言いませんでした。

ただ、私が16歳のときに、父が興奮してこう捲し立てたのを鮮明に覚えています。
「お前がもし学生運動なんてやっていたら、俺はお前と刺し違えて死ぬ!」
当時は70安保の真っただ中で、過激派による学生運動が連日テレビニュースを賑わせていました。浅間山荘事件が起きたのは、その2年後の1972年です。

しかし、いくら何でも「刺し違えて死ぬ!」はないだろうと思うのですが、そういう会話しか出来なかったんですね。(会話になっていませんけど)
<押さえつけるのはムリだ。自分の言うことなんて、どうせ聞きやしない。でも、父親としてこれだけは言っておきたい>。たぶん、そんな心境だったんでしょう。

でも、当時50代半ばだった父が、気がついていなかった盲点があるんです。それは、<息子の話を聞いてみようかな>ということ。そういう雰囲気がなかったために、私もとうとう父が死ぬまで、会話をしたことがありませんでした。私だけじゃない、父は家族の誰とも会話していなかったと思います。

どうしてか? 会話する技術を磨いていなかったから。
男とはこう振る舞うものだという観念の中で生きていたから。

昭和の時代は、そういう「父親像」を、家族みんなで補強することで成り立たせていたんです。お風呂はお父さんがいちばん最初に入るものだとか、魚のおかしら部分はお父さんに上げるとか、お父さんが食卓に着くまでは誰も箸に手をつけてはいけないとか。

それが、昭和の終焉とともに崩壊して、お父さんの権威などなくなった。見せかけの権威など別に無くたっていいんですが、じゃあ平成のお父さんは会話の技術を獲得したのか? ここが問題です。会話の技術とは、とにかく「聞く」ことです。比較したり、判断したり、批判したり、お説教したり、教えたがったりせずに、「聞く」こと。

これが果たしてスムースにできるかどうか。今日から毎日3分間。子どもに「聞く」エクササイズをしてみたらどうでしょう?
悪役を演じる
スーパーマーケットでレジの順番を待っていた時のことです。レジには2人の女性が立っていました。一人は年配の方、もう一人はおそらく10代後半の高校生でしょう。まだ見習いという風情です。

私の順番が来ました。ところがその若い女の子は、私のカゴの中の商品をチェックしながら、同時に口の方では、隣りに立つ年配の女性に、どこでどうしたものか、最近あった人間関係の不平不満をぶちまけているのです。

私はそこで注意をしました。
「あなたがもし客だったら、お客そっちのけで、レジで不平不満をぶちまけている店員がいるスーパーに、あなたは行きたいと思いますか?」

すると、その女の子は、急に押し黙って私に背中を見せました。怒りを押し殺しているといった感じです。きっと(このクソオヤジ!)と肚ワタが煮えくり返っていることでしょう。年配店員の方は、別に謝るでもなく、ちょっと(困ったなぁ)という表情を浮かべました。

そのまま素通りすることもできたのですが、そうすることが彼女に役立つだろうと思って、少しおせっかいをしました。彼女にしてみれば、そのとき感じていた他者に対する怒りや恨みに、さらにどこのだれかも判らないクソオヤジの一言がプラスされて、最悪のムカつく一日となったことでしょう。

しかしそうなることで、数日間は彼女の中に何らかのわだかまりが残り、その間、彼女は考え続けるはずです。(どいつもこいつも、みんなで私を攻撃しやがって)と思うかも知れません。私への怒りが嵩じて、元々あった不平不満など忘れてしまうかも知れません。あるいは(自分にもいけないところがあったかな)と気がつくかも知れません。それからは彼女しだいです。

人間関係が希薄になって、あえてストレスのたまる悪役など、誰も演じなくなっています。スルーする方が楽ですからね。しかし最近になって私は、「怒る」演技をするというテクニックを身につけました。感情には怒りがないのですが、「怒る」演技を見せた方がいい場合には、それをやってみるということが出来るようになったのです。

最悪のムカつく一日だったでしょう彼女も、3年経ち、5年経ちして、仕事の中で「ああ、あの時こんなことがあったな」と思い出す機会がやって来るかも知れません。そうなれば、彼女の成長に役立ったことになりますから、悪役の甲斐があったというものです。