「脅し」と「不安」の関係
2014.03.31 Monday
社会やメディアが繰り出す「脅し」の言葉に、絶えず晒されているのが現代人の特徴です。
癌保健に入っておかないと入院費が賄えないぞ。ワクチンをちゃんと接種しておかないと病気に罹るかも知れないぞ。いい大学に行ってないと就職先がないぞ。定年まで3000万円貯蓄しておかないと老後は悲惨だぞ。給料のいい会社じゃないと嫁の来手がないぞ。ちゃんと肌の手入れをしていないと皺が増えるぞ。抜け毛をほったらかしにしているとハゲになるそ。スーパーの野菜は農薬に汚染されているぞ。シロアリで家がボロボロになるかも知れないぞ。スマホに買い替えないと時代に乗り遅れるぞ。
それを「脅し」だとは感じていないかも知れません。逆に言えば、それほど「洗脳」の度合いが進んでしまったのです。
志村けんさんのギャグに「だいじょうぶだぁ」というのがありましたが、これは志村けんさんがよく知る東村山のあるお婆さんの口ぐせだったとか。なんとも大らかですが、この感覚を、現代人は忘れてしまったのではないでしょうか?
私の子ども時代は、今よりも衛生状態はずっと悪かったですし、コンビニはもちろん、スーパーも冷蔵庫ありませんでした。貯金もありませんし、ハローワークもありません。でも「不安」も、今ほどはありませんでした。
そうやって考えて見ますと、現代人が抱える「不安」は、メディアの発達とコマーシャリズムによって、故意に作られた部分が非常に大きいと言えます。現代人は、本来必要のない「不安」を、故意に抱かされているのです。
時々、悩みごとの相談を受けて話を聞いていると、それを強く感じることがあります。少し視点を離して自分を眺めて見れば、なんら問題と言えるようなことはない。家はあるし、お金もあるし、食べ物もあるし、家族もいるし、職場もある。でも「不安」だ。
そういう、贅沢な「不安」に、多くの日本人はいま取り憑かれていると思います。逆に言えば、ど日常への感謝が沸かない。メディアが、もっともっとと煽るものだから、何かまだ不足しているのではないか、見落としているところがあるのではないか、という「不安」が消えないのです。
この状況は、何かと似ているとは思いませんか? そうです。宗教が信者を獲得する手口と一緒。そのままだと大変なことになるぞと脅して、入信を誘う手口です。
人々は「宗教」はイヤだと言うのですが、国家や資本主義が繰り出す同様の手口には、何の疑いも抱かずにあっさり嵌ってしまいます。そうやって、いつの間にか「不安」人間に仕立て上げられていることに気づきません。
今いちど「だいじょうぶだぁ」を思い出し、口ぐせにしてみてはいかがでしょうか。