エーリッヒ・フロムの『愛するということ』
2014.02.28 Friday
NHK「100分 de 名著」でやっていたエーリッヒ・フロムの『愛するということ』(原題:The Art of Loving)全4回が終わりました。原題の意味は「愛する技術」ということだそうですが、フロムの主張は明快です。題名のとおり、愛するには技術が必要で、人はそれを学ばなければならないというものです。
この本が書かれたのは1956年とのことですが、本質を突いていて、今読んでもいささかも古びたところがありません。それどころか50年後の社会状況を完全に見通していたかのようです。もしかしたらフロムも「語り手」の一人であったのかも知れません。
フロムは、資本主義が「愛」を成り立たせにくくしていると言います。資本主義では、欲求は何でも「商品化」され、「愛」もまた「商品化」の対象にされてしまう。まさしく現代がそうではないでしょうか。出会いも、結婚も、出産も、子育ても、教育も、そして死んで墓場に至るまでもが「商品化」されています。
このような「商品化」に慣れてしまいますと、いつしか人はそれが当たり前だと思い込み、技術を習得する意欲も、知恵も失ってしまいます。すると、失った技術を埋めるサービスがまた新たに考案され、とうとう人はサービスなしでは何も行動できないロボットになってしまうのです。
周囲を見渡してみてください。食事も、育児も、介護も、教育も、お掃除も、何から何まで「商品化」され、人々は深く考えることもなく、それらに飛びついています。大衆はそれを「進歩」というのですが、実は著しく「退歩」していることに、全く気がついていません。
出会いや結婚は、「商品化」のプロセスで買えたとしても、夫婦間や家庭生活での「愛」を育む技術は、どこにも売っていないし、買えない。これが、離婚が急増している要因の底にある問題だと思います。つまり、「愛」は技術であり、習得して掴むものだという考えが、現代人にはそもそもない。
だから、生身の人間より、アニメが、フィギュアが、コスプレが、メイドカフェが、いいわけです。サービスをお金で買えますし、自分が傷つく心配もありませんから。
『モテキ』の藤本幸世くんは、そういう現代社会にあって、生身の人間と接触しようと必死にもがいている、愛すべき青年なのかも知れません。