by Rainbow School
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世界は狂人によって支配されている
12月26日、ニューヨークの株式市場では、ダウ平均株価とNASDAQ指数がともに過去最高値を更新したのだそうです。これによって、ウォール街にお勤めの人たちには、総額910億ドルという巨額なボーナスが支払われるのだとか。えーと105円を掛けると‥‥9兆5500億円か。どっひゃー。

ついこの前、10月17日にはアメリカ政府がデフォルト(債務不履行)に陥るのではないかと騒いでいたというのに‥‥。一体この落差はなんなのでしょう? 裏情報では、アメリカ政府のデフォルト危機回避には、中国と日本のマネーが使われたということなんですけれど‥‥。

オバマさんが大統領になったのは2009年。2008年にはリーマンショックが起きて、オバマさんにはその後始末が期待されていましたが、彼は政府の金を投入して、金融危機を起こした真犯人達を救済してしまいました。しかもジョージ・ブッシュ政権時代の金融担当の閣僚をそのまま引き継いだのです。

オバマ大統領がマペット(操り人形)と言われる由縁です。大統領就任演説は素晴らしかったけれども、グリーンエコノミーはシェールガス革命に駆逐されてどこかへ飛んで行ってしまった。グァンタナモ刑務所はそのままだし、アフガンからの撤兵も実現していない。そして、シリアへは軍事攻撃を行おうとまでした。

ジョン・レノンが、かつて「世界は狂人によって支配されている」と語ったことがあります。おそらく、ビートルズが世界的な大スターに育って行く中で、巨額のマネーに引き寄せられて彼らに近づき、やがて乗っ取り、牛耳って行く存在を、ジョン・レノンは真近に見ることになったのでしょう。

国が債務不履行寸前に追い込まれたのに、どこからか調達したお金で、過去最高の株価を演出し、巨額のボーナスを得る一部特権階級がいる。そういう人たちが裏から国を動かしているのです。自分達が行った金融詐欺で、多くの人々をホームレスにしてしまったというのに‥‥。まさに狂人としか言いようがありません。

*びっくりです。いつのまにか、1ドル105円にまで「円安」が進んでいたんですねぇ。これを喜ぶ一部の人たちがいる。そして「円安でよかった、よかった」とマスコミを通じて人々にも信じ込ませる。でも冷静に考えて、いったいぜんたい自国のお金の価値が下がったことを喜ぶ人がどこにいます? 

みかんとリンゴを交換するとします。私がみかんで相手がリンゴ。以前は、みかん2個でリンゴ3個と交換だったのに、今はみかんを5個渡さないとリンゴ3個が貰えないんです。価値が下がるとはそういうこと。普通に考えればヘンですよ。それを「市場」と称する世界の専門家がみんな高く評価し、マスコミでそういう考えを垂れ流しているんですからね。向こうが狂人なのか、私がバカなのか。
誰にも言えない秘密のこと
あなたは、「誰にも言えない秘密のこと」を持っていますか? 小学生、中学生だったころの私にとっての「誰にも言えない秘密のこと」は、「夜尿症」でした。母親のヒステリックな形相が恐ろしくて、いつの頃からか、失敗を隠すようになっていました。

そのためいつも濡れた下着を着けていて、自分がおしっこ臭く、それを学校でも悟られまいとしてビクビクしながら暮らしていました。

でも、今はそれが言えます。秘密ではなくなったのです。さすがにこの齢で「夜尿症」はなくなりましたが(あ、ちょっと前、前立腺が痛くて時々失禁してました)、もうどうでもいいと思えるようになった、というのが大きいです。

以前、肝炎を親からうつされたと、私に切々と訴える女性がおりました。彼女はその「誰にも言えない秘密のこと」をそれまでずっと抱え続けて来たというのです。ところが、その後検査を受けてみたら、その事実はまったく無かったのです。肝炎への感染は、彼女の単なる思い込みに過ぎなかったのでした。

「肝炎を親からうつされた」という激しい思い込みは、親への屈折した気持ちを抱き続ける彼女が、創作したストーリーだったのです。それとは違い、私の「夜尿症」は事実でしたが、しかしその後の展開については似たようなものです。無かったことにこだわり続けるか、終わったことにこだわり続けるか、の違いだけです。どっちも「今はない」ことなのです。

私の「夜尿症」の話など、他の人にとっては所詮どうでもいいことです。だとしたら、それにこだわり続けている自分はバカみたいです。自分で自分を規制しているのです。そのことに気づいたので、「いい経験だった」と思えるようになったのです。

あなたがもし今「誰にも言えない秘密のこと」を抱えているとしたら、それはまだ自分を解放できていないという証拠。そんなもの、自分が思っているほど、他人は気にしていませんよ。先ず、親しい友人に打ち明けてしまいなさい。今よりずっと楽になれますから。

最後に映画をご紹介します。『あなたになら言える秘密のこと』というスペイン映画。単館系がお好きな方ならきっと感動を覚えるでしょう。ここで語られる秘密は、ちと重いですけど。
ネガティブループを断ち切る
今日は、少し厳しいことを書きます。体調が優れない状態がずっと続いていて、それがもし心配なら、お医者さんに行けばいいです。よく調べて原因を特定して貰ったらいい。しかし検査をしても特に問題がない、あるいはご自分の生活習慣に問題があると解ったなら、直ちに自分を変えて行くアクションを起こしてください。

私は時々、「この人は本当に自分の不調を治す気があるのか?」と思うことがあります。好んで、その不調状態を選択しているとしか思えないのです。「そんなバカな」と思われるかも知れませんが、いくら言葉を尽くしても手放すことをしない。そういう人たちが大勢いるのです。

原因不明の不調から脱する方法は「手放すこと」に尽きます。極めてシンプルかつ簡単なことなのに、それを解ろうとしないし、やろうともしない。そして相変わらず周囲に「ここが痛い、気分が優れない」と言い続け、その解決策を外に頼り続けている。しかしあなたの不調は、あなたがご自分を癒し、ご自分で治して行くしかないのです。

そのことに先ず気づいてください。そしてご自分が、「ここが痛い、気分が優れない」と始終言い続けることによって、どれだけ周囲の人たちにネガティブな波動を送り続けているかにも、気づいてください。お解りですか? その現実はあなたが創り出しているんですよ。そしてその跳ね返りを自分がまた受けるのです。

そのネガティブループを断ち切ってください。「今日でもう止めます。卒業します」と宣言してください。あなたがハッピースマイルを心掛ければ、周囲もハッピーになり、それがあなたに跳ね返って来ます。これ以上ない簡単な理屈です。なぜそれをいつまでも解ろうとしないのか‥‥。

さあ、今日から改めましょう。心の中で「ハッピー、ハッピー」「スマイル、スマイル」と言い続け、いま出来ることに直ちにチャレンジしましょう。それが人生を分けます。
勉強しろ
小学生の子供と知り合いになりました。両親共稼ぎで、学校が終わって家に帰っても、独りぼっちで過ごすことが多いようです。

「家に帰ってから何しているの?」と聞くと、
「置いてあったご飯を食べてから勉強する」と言います。
「へえ、勉強してるんだ。えらいねぇ」と言うと、
「お母さんが『勉強しろ』ってうるさいから」と言います。

それを聞いて、世のお母さん(お父さんも)というのは、昔から変わってないんだなぁと思いました。

私の両親は、私に「勉強しろ」とは一言も言いませんでした。私も妻も、自分の子供に「勉強しろ」と言ったことは一度もありません。
「だから、お前のような人間が出来上がるんだ」と言われれば、返す言葉はありませんけど  (´`@)…。

でも「勉強しろ」の前に、勉強するとどうなって、勉強しないとどうなるのかが示されないと、子供も納得できないと思うんですよ。「勉強しろ」という親は、果たしてそれがきちんと説明できるんでしょうか?

え? 勉強すると成績がよくなる? はあ、それでいい中学、高校に行ける。ハイハイ。そのあと、いい大学に行ける。ごもっとも。それでいい所に就職できる。

本当ですか? その考えは古過ぎやしませんか? 大学出たって就職先がない時代ですよ。第一いい所ってどこなんですか? 今あなたがいい所だと思っている所が、20年先も存続している保証はありますか? 公務員? アメリカでは自治体も破産しているんですよ。国家だってこの先どうなるか分からない。

「勉強」が不要と言っているんじゃありません。「勉強」は大事です。でもそれが、自発的に行われるのでなければ意味がありません。もしそれが本当に必要なことなら、人は放っておいても勝手に「勉強」します。運転免許証が欲しいなら、いやでも交通法規を「勉強」するじゃありませんか。

重要なのは、本人がその必要性を認識すること。あくまで自分のために、ね。親ができることは、そこに気がつくような環境を整えてあげることだけです。
「なんで勉強してるの?」「お母さんがうるさいから」では、「勉強」が自分のためではなく、お母さんの顔色を満足させるためになってしまいます。

それが「子供のためを思って」していることなのでしょうか? 自分のエゴの満足のためではありませんか。いっときそれで満足したとしても、将来、子供が大人になって「あの時、母さんが『勉強しろ、勉強しろ』とうるさく言ったから、私は母さんのために勉強したんだ」とあなたを責めるようになったとき、それに耐えられますか?
「世襲制度」考
病院にお勤めの方から、とても面白い話を聞きました。その病院にヤクザやさんの幹部が入院したのだそうです。ヤクザやさんの世界は、親分子分の関係が厳しい世界。連日、その人の舎弟というか子分というか、そういう人たちがお見舞いやら、身の回りの世話でやってくる。その人たちから聞いた話ということです。

なぜ、ヤクザやさんの商売が廃れないのか、ずっとのれんを守っていけるのか? それは、「世襲制度」ではないからだというのです。「なるほど!」と思いました。組長が急死した場合は一時的に奥さんが継ぐこともあるようですが、跡目が組長の子供に自動的に行くわけではない。ヤクザやさんの世界は基本的に実力主義なのです。

面白いですねぇ。そうやって考えてみますと、伝統的に「世襲制度」を採っているのは、芸能、職人、王侯貴族など。逆に伝統的に採用しない代表がバチカンです。どうも、世の中の変化に対応して行くことがより重要な世界では「世襲制度」はタブーで、逆に変化させてはならない世界では「世襲制度」がよいようです。

会社の「世襲」がしばしば失敗するのはそのためでしょう。老舗ののれんを守ってきた大店(おおだな)というのは、たいていは婿養子です。血の系譜は娘で図りながら、時代時代に合った頭脳に入れ替えることで存続を図ってきた。『夫婦善哉』はその典型的な例ですね。実の息子は放蕩でどうしようもなく、外から来た婿養子に追い出されてしまいます。

さて、どっちも大事だという世界もあります。王侯貴族や宗教界です。王侯貴族では血の系譜が何よりも重要です。しかしそれでは世の中の変化に対応できなくなってしまいますから、政治は他の人が行う摂政制が採用されて来ました。一方、宗教界はやはり時代の変化を読み取って行くということが重要ですから、「世襲」はうまくいきません。

さてそこで問題になるのが、「霊能」の系譜です。バチカンをはじめとした多くの宗教は、伝えるべきものを「儀式」に集中したことによって、「世襲」にあまり意味がないようにしていきました。ところが、「霊能」で売ったところは、その「霊能」がどのようにして引き継がれるかが大問題となります。

信者としては、そこに「血の系譜」を見たい。なぜなら、「血」は神聖なものに思えるから。そこに人知を超えたパワーが秘められていると思えるから。どこの馬の骨とも判らない者の「知の系譜」ではダメなのです。このようにして、教祖の偉大な「霊能」で売った教団は、必ず跡目問題が生じて来ます。

さて翻って、政治の世界はどうでしょう? 政治くらい世の中の変化に敏感であらねばならない世界はない筈です。ところが、ここが事実上「世襲制度」になってしまっています。いったい彼らが代々伝えなければならない「伝統」とはなんでしょうか? 「血」でしょうか? 「秘伝」でしょうか? 「技」でしょうか?

それは「地盤」だけではないでしょうか。つまり既得権益です。
政治の世界が腐り切るのも道理です。民主主義の理想など、何も機能していません。
「平和のために暴力が必要」という主張に正当性はありません
シリア全土がガレキの山になろうとしています。第二次世界大戦後としては最も悲惨な状況になりつつあるという話も聞かれます。たとえ内戦が終結したとしても、破壊された市民生活を再興するために、いったいどれほどの時間と労力とお金が必要になるのか、見当もつきません。

これは、地震や津波などの自然災害で起きた破壊跡ではないのです。人間同士が起こしたことです。自然災害の脅威だけでも日々増大しているのに、それにさらに人間が追い打ちを掛ける。まったく馬鹿げたことをしています。

それぞれの言い分はあるでしょう。しかしどのような言葉を弄しても、「平和のために暴力が必要」という主張に正当性はありません。これは国家としても、個人としてもです。
「平和」は融和によってしか実現できないのです。これは誰にも曲げられない真理です。

為政者は、「平和のために暴力が必要」ということを簡単に説きます。そしてそのことを正当化するために、「大義」をでっち上げ、人々を洗脳していきます。人々は、日頃の不満や不条理に対する捌け口がいつも欲しいので、そうしてぶら下げられたニンジンにパッと喰いつきます。

しかしそのことによって、最終的にいつも悲惨な目に遭うのは、為政者ではなくて一般大衆だということです。世界中を見渡してください。世界各地で頻発する紛争がいったいどのようにして起こったのか? そしてその結果がどうなったのか? みな、為政者が説く「正義のための闘い」「悪を善が懲らしめる」という主張からです。

でも、善の名の下に、自分たちが実は悪を為していることに気がつかない。

悪に対して対抗することが善なのではありません。それは悪の上塗りです。もっとひどい悪です。国家としても、個人としても。
本来、善も悪もありません。善を規定するから悪が生じているのです。二元論に分けてはなりません。「平和」は融和によってしか実現できないのです。
神経症の人は、正常な不安、正常な焦りを目指しましょう
いったん神経症に陥ると、周囲の「正常」な人々と、そうでない自分との落差が非常に大きく感じられるようになって行きます。そしてそのことを周囲に悟られまいとして隠すので、ますます意識がギャップに向かい、ついにはそこから逃れられなくなってしまうのです。

神経症の人に、説得や慰めがあまり効果をもたらさないのはそのためです。本人はとうに「正常」な状態を忘れてしまっていて、周囲の人々が難なく暮らしているのを見るにつけ、「それに比べて自分は‥‥」と不安と焦りばかりが募っていくのです。

しかし(説得があまり効果をもたらさないということを承知で敢えて言いますが)、周囲の「正常」に見える人々も、みな不安や焦りを抱えながら生きているのです。そんな素晴らしく快活な日常に、毎日を生きているわけではないのです。

ですから、神経症で苦しんでいる方は、完璧な自分を目指さないでください。そんなものはどこにもありません。いくら努力したところでありえないものを、目標に設定しないでください。

不安や焦りから逃れようとするのではなく、正常な不安、正常な焦りを目指してください。実際、適度な不安や焦りやストレスは、人を動かすエネルギー源になります。自分が「正常」だったときには、決して完璧だったわけではなく、適度な不安や焦りの中にいたことを思い出してください。

もっとヘラヘラ生きてください。あなたはこれまでずっとヘラヘラ生きることが許せないと思ってきたので、「やりくり」するテクニックが下手なのです。しかし人はみな、毎日を「やりくり」して生きているのです。それが「正常」ということです。

誰も見ていないところで、両手を横に広げてクラゲのように揺らして「ヘラヘラヘラヘラ」と口に出して言ってみてください。それがしっかりと自分に入り込んで、クラゲ人間になるまでやってみてください。
元気カラーを身につける
体の外見は内面の反映です。人間が作り出す「表情」は、その極めて解りやすい証拠です。沈鬱な時には表情は下を向いて暗く沈み、元気な時には上を向いて明るく輝いています。笑顔を浮かべながら怒る、なんて芸当は竹中直人さんくらいしかできません。

体調が悪い、悪いと言い続けている人を見ていますと、一種の神経症に罹っていることが解ります。周囲の人たちはそれをすぐに察知しますので、「ああ、またか」とウンザリした目でその人を見るのですが、本人だけがそれに気づいていません。

言ってみれば、自分の体調不良のとりこになっている、という状態です。
「悪い、悪い」と常に周囲に訴えていると、自分に、体調不良の言い聞かせをしているようなものですから、ますます不調が強化され、体調悪化のループから逃れられなくなってしまいます。

朝起きたら、鏡を見て「私は元気!」と言ってみてください。
「そんなぁ、だって元気じゃないんだから‥‥」
いいえ、それでも「元気です!」と言ってみてください。
一言で足りなければ「元気、元気、元気、元気」と気の済むまで。

そして、服装を変えてください。
元気カラーの、オレンジ、黄、赤を身につけてください。
体の外見は内面の反映です。外見を変えれば、内面も変わっていくし、内面が変われば、体調も改善していきます。
学習させ意欲
OECD(経済協力開発機構)が3年ごとに行っている、学習到達度調査(PISA)の2012年版の結果が12月3日発表されました。これは世界65カ国・地域の15歳児51万人以上が参加した学力テストで、知識の量ではなく、応用力、批判的思考を重視しているのが特徴だそうです。

日本は数学的応用力が7位、読解力4位、科学的応用力4位で、いずれも前回よりランキングが上昇したとのこと。これで2006年から2回連続でランクが上がり、「ゆとり教育」の弊害から立ち直りを見せ始めたと見られているようです。

凄いのは、3分野の上位3位までを、上海、香港、シンガポールのアジア勢が占めていること。中でも上海は、3分野すべてでトップ。ちなみに数学的応用力だけを見てみますと、上海が613点でダントツ、韓国が554点で5位、日本は536点で7位、アメリカは481点で36位です。

アメリカの教育関係者はショックを受けているそうですが、世界支配における米中逆転の未来図がまるで見えて来るようです。
しかし、逆に国の盛衰ということを考えれば、その結果にも納得がいきます。

中国は経済が上り調子で、民衆の間では、我が子をなんとかエリート層に喰い込ませようという学習させ意欲が非常に高い。一方のアメリカは、一部の特権階級のみが富を独占する社会となり、もはや大衆にアメリカンドリームはない。学習させ意欲を持とうにも、貧困があまりにも拡大して、その基盤すら失われています。

PISAテストの結果が、未来の国力のポテンシャルのようなものを映し出している面は確かにあると思います。しかしそれも「何のために」というものがついて回る。アジア勢の学力が高いのは、アジアの経済成長とリンクしている面が多分にあるのでしょう。

その中で、日本の学力が回復して来たというのは、ちょっと感覚が違う気がします。日本の場合は、多くの人が、普通の教養として学んでいるのではないでしょうか? それが、暴動や略奪が起きない国民性につながっている感じがします。言ってみれば、やや成熟しているというか‥‥。
リタイアの覚悟
私は54歳のときに、リタイアを宣言して仕事を辞めました。その「業界」では、自分がもう無用だと悟ったからです。一人暮らしになって、家族を支えなければならない立場ではなくなっていた、というのも大きかったでしょう。

もちろん不安だらけでした。貯金通帳を見て、この先、生活がどうなるかと多少は計算をしましたが、まあアルバイトをすればいいさと思っていました。ところが全然計算通りには行きませんでした。全く雇って貰えないのです。

雇用の現実というものを知りました。「業界」で無用どころか「社会」から無用!と言われている感じがしました。もちろんそんなことはないのですが、それまでの頭を切り替えるのが難しい。たいていの男にとっては、仕事=社会ですからね。

こうして、3年間くらいジタバタしました。今では、仕事をしていたときに付き合っていた人とはスッパリ縁が切れました。代わりに、お友だちになったのは女性ばっかりです。まるでハーレムのよう(ウソ、ウソ)。そうじゃなくて、自分がオバさんになっちゃった。

サラリーマンをしたことがないので実情をよく知らないのですが、今は定年延長という制度になったんでしょう? 国が年金給付の時期を遅らせたいためにそれを推奨している。でも会社は、戦力でない人は早めに追い出したい。そこで、あいだの期間が宙ぶらりんになる。

サラリーマンをしていた年上の知人を見ていると、どの人も定年の時期が近づくとソワソワして、もうその話ばっかりし始めます。周囲は「ああ、またか」とうんざりしているのですが、本人は気がつかない。自分の関心が全部そこへ集中してしまっているのです。

男にとってのリタイアは、幼児の公園デビューと同じようなものです。違うのは、公園デビューのときにはお母さんが付いていてくれたけれど、老後デビューを導いてくれる人はいない。カミさんの後を付いて行くと「濡れ落ち葉」と言って嫌がられるし、セミナーへ行くと「豊かな老後のためには、少なくとも3,000万円が必要」などと脅される。

会社の「定年延長制度」などを利用した日には最悪です。それだけ老後デビューの時期が遅れるし、覚悟が定まらなくなる。いろいろ見ていると、スッパリ辞めた人の方が元気がいいようです。

「定年延長制度」なんかうっかり利用したら、いよいよそれも終わった時の不安ばかりが増して来る。あとはお決まりの、飲む、鬱、(ペットを)飼う、の生活です。