「怒り」を見分ける
2013.11.30 Saturday
突然、そばにいた人から「怒り」の矛先を向けられびっくりしたことはありませんか? 「なんで私があんなこと言われなきゃならないの?」と。それが自分よりも立場が上の人だったりしたらやり返すわけにも行きません。くやしさで一杯になったり、逆におびえて落ち込んだり。
しかしここで、自分の感情を大きく動かしてしまっては元も子もありません。なぜなら、元々そうする必要がなかったものだからです。たまたまきっかけがそのように生じただけで、後に続く感情は、自分の中でこしらえたもの。自分で自分を悩ます必要はまったくないのです。
そんなこと言ったって、あの人の言い方ときたら本当にヒドいんだから、と納得いかないかもしれません。でもね、その「怒り」は本当にあなたに向けられたものだったのでしょうか?
私が観察していて、「怒り」の7〜8割は、自分自身の欲求不満の、他者への投影(プロジェクション)です。1割が、元々支配的な性格を持った人の、未熟なコミュニケーション手段。残り1〜2割が、愛情のこもった指導といったところではないでしょうか。
ですから投影の「怒り」を受けた場合には、運が悪かったくらいに考えた方がよいのです。これを昔から「きっと虫の居所が悪かったんだね」などと言っていました。つまりその場に居たあなたはきっかけに過ぎず、「怒り」の真犯人は「虫」だったというわけです。ですから「虫」は無視していまいましょう。
当事者から離れ、「怒り」に駆られた人をあたかも外から観察するようにして見ますと、その人の「怒り」が自分の欲求不満の投影であるかどうかが、解るようになります。そしてそれが解ったら、「怒り」を返さずに許してあげましょう。
その人も学習途上なのです。解ったあなたから先に、その試験を卒業してしまいましょう。自然にそれができるようになったとき、あなたはもう以前のあなたではありません。大きく成長しているのです。