by Rainbow School
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ボディ・ワーク
ブライアン・ワイス氏の著書の中に、自分の「前世」を想起する手段の一つとして、「ボディ・ワーク」というものが出て来ます。これは著者自身が整体を受けている時に「前世」を想い出した体験から、それを「前世想起」の一つの有効な手段として位置づけたものです。

確かに、整体などの「ボディ・ワーク」の中にはリラックス効果の非常に高いものがあり、それが自然な「瞑想」状態へと意識を移行させ、そして「前世想起」を誘発させることは充分に考えられます。

先日お会いした女性は、アロマティック・マッサージを受けている時に「前世」の一端を想い出したと仰られていました。これもなるほどと思いました。嗅覚をつかさどる鼻は顔の真ん中にあって、視覚情報などとは違い左右の神経がクロスしていません。そして脳の中枢部に直接作用することが知られています。

また「瞑想」をしておりますと、まざまざと匂いを感じることがあるのです。このことから、匂いというものが、「前世想起」にかなり役立つかも知れません。これは面白いテーマですし、今後の研究課題でしょう。

さて私の場合は、別の貴重な体験をしました。「ボディ・ワーク」をした結果、トラウマが出てきてしまったのです。いったんトラウマが誘発されると、それを落ち着かせるには1〜2ヵ月掛かります。

「前世想起」も「トラウマ想起」も、ともに過去の記憶(および感情、感覚)を想い出すということでは変わらないのですが、記憶には、幸福感に満ちた記憶と、封印してしまった辛い記憶もありますから、「ボディ・ワーク」も慎重にしなければなりません。

これも今後の課題でしょう。

*10月13日に、多摩市関戸公民館で「前世想起」に関するセミナーを行います。ご興味のある方はお出かけください。
不干渉と無関心
子供も中学校に進学するころになると、親から離れた自分独自の活動範囲が拡大し、しだいに自我も確立されていきます。親としては、喜ばしいような、淋しいような、そんな時期が訪れるようになります。

このような時期が来たら、親は過干渉をやめなければなりません。変な遊びを覚えていないだろうか、悪い友達に捕まっていないだろうか、勉強はしっかりしているだろうか、と心配になるのは、親としては当然です。

しかし、目標は巣立たせることにあるわけですから、羽ばたき始めた子供を親の意思であれこれコントロールしようとすることは、生物としては不自然です。むしろ親離れし始めたことを喜んで、自分の子離れも早くして行った方がいい。

でも、無関心ではダメですよ。不干渉と無関心は違う。無関心は愛が無いということ。愛の反対は憎しみなのではありません。愛の反対は無関心です。愛も憎しみも、どちらも関心があるということでは同じ。ただそのベクトルが逆向きだということだけです。
仕事につけない若者たちへ
心の問題がうまく処理できずに、学校を中退してしまった。初めて就職した会社が肌に合わずにすぐに辞めてしまった。その後、再就職しようにも、学歴がない、経験がない、それだけで門前払いされてしまう。ああ、あの時どうしてもっと踏ん張って耐えなかったのだろうか? 

自分が情けない。この先どうしたらいいのだろう。自分はどうなるのだろう? 宙ぶらりんのまま、焦りの気持ちを募らせている人もきっと多いことでしょう。私の20代は、これとまったく同じ状態でした。その後、駅で拾った新聞の求人欄から端緒(たんしょ)が開かれて行ったという話は前に書かせていただきました

「『経験者優遇』って、誰だって最初は未経験じゃないですか? やらせてみなきゃ、解らないじゃないですか? 先ず『経験』の場を与えて下さい」
そう言って、食い下がった時もあります。しかし、聞き届けられたことはありませんでした。今の時代はもっと無理でしょう。

私が、このような困難な状況に今ある方にアドバイスしたいことは、「とにかく端緒を開け」ということです。それと、仕事においては「業界」が大事だということ。この二つを組み合わせますと、「業界」で「とにかく端緒を開け」ということになります。

仕事をした経験がありませんと、この「業界」ということの意味が解りません。しかし、仕事というものは「業界」単位で廻っているものなのです。「業界」の中で取引関係が起き、情報が交換され、人材交流もあり、金銭授受と相場観というものが形成されていきます。

逆に言いますと、「業界」から外れてしまったら、とたんにこれらと縁がなくなるということを意味します。それはそれでまた別の人生があるのですが、未だ経験に乏しい若い方々は、先ず、どんな隅っこでもいいですから、自分の適性に合った「業界」に入ることを考えてみてください。

色々な理想のイメージもあることでしょう。しかし、未経験者の若者の理想をただ黙って聞くほど、仕事の現場は甘くはありません。ですから、それは取りあえず封印して、「業界」に滑り込む場所を確保してください。人生においては、耐えることも必要です。

たとえどんな下働きだろうと、真剣に取り組む価値があります。学べるものがあります。「こんな下働きはイヤだ」と思って拒否するよりも、「ここから必ず何かを掴んでやる」と取り組んでいれば、辛いことも楽しくなり、そのうちコツや勘や技術が身に付いて、次のステップが見えていくようになります。

ですから、諦めずに、思い定めた「業界」で「端緒を開く」ことにフォーカスしてみてください。チェーンや大企業は避けて、中小、零細、個人のオーナーをターゲットにしてください。(チェーンや大企業は現場に裁量権がなく、採用に関しても学歴や経験を見て機械的に判断してしまうので、可能性がほとんどありません)

中小、零細、個人のオーナーは、個性がはっきりしていますので、ぶつかる可能性もあります。しかし自分がしてきた苦労も知っていますので「学歴や経験なんて関係ないよ」という人も居るのです。ぶつかることを怖れていては、一歩が踏み出せません。あなた次第では、可愛がってもらえる可能性だってあります。

そこで三年踏ん張れば、履歴書の経験欄に、堂々とそのことを書くことができるじゃありませんか。
物のない貧困、お金のない貧困 2
前置きが長くなってしまいました。NHKの「BS世界のドキュメンタリー」『アメリカ 冬の時代 〜転落する中産階級〜』を観て感じたことを書こうとしていました。この番組には、オレゴン州ポートランドで生活支援を求めて来た8つの家族が登場します。

私が先ず驚いたのは、みんな素晴らしいオシャレな家に住んでいるということです。インテリアにも凝っていますし、質の良いソファに座ってインタビューに答えている。玄関開けたら、もうドン付きまで見通せるほどに狭いわが家とは、大違い。(それでも家があるだけ幸せです)

それと、8家族中6家族が著しい肥満だったのです。ご承知のようにアメリカ人の肥満は日本人とはケタが違います。これではお腹がすいたら大変だろうなぁと思いました。こういう素晴らしいインテリアの家に住んで、たらふく食べて来た人が「貧困」だというのです。

やせ細っていて家もない、食べ物もないという「貧困」イメージでいると、その落差にびっくりさせられます。これが現代アメリカの「貧困」事情なのです。

いったい何が原因かと言いますと、「失業」です。「失業」したためにローンが払えなくなり、そのままでは家を追い出されてしまう。次の仕事を探しているけれども、どこもやとってくれない。その状態が長く続いて、とうとう食べ物にも不自由してきた。そこで、市の支援を求めて来たというわけなのです。

これは物のない貧困とは違います。お金のない貧困なのです。周囲に物は溢れかえっていて、空き家もたくさんある。食料だってあるところにはあるのに、お金がないとそれらを得ることができないのです。あなたはこれを「おかしい?」と思いますか、それとも「そんなの当たり前じゃん」と思いますか?

私は「おかしい?」と思います。分配すればいいことなのに、それが分配されない仕組みになっている。世の中は「お金」に完全に支配されていて、みんなが「お金」のドレイになってしまっている。しかもドレイになっていることにすら気がつかない。ドキュメンタリーに登場した人たちは、「これがアメリカン・ドリームなのか」と嘆くのですが、でもそこにエゴはなかったでしょうか?

制度に問題があることは確かです。しかし無自覚のまま制度に浸りきっている面も反省しなくてはなりません。日本では戦時中、食べ物がない時代に、多くの家庭が庭に芋など植えて糊口をしのいでいました。現代人は、もうそれをする知恵も、バイタリティーもなくなっています。困ったら即コンビニへ。こういう無自覚な依存を減らして、我々は生きる力を取り戻さなくてはなりません。
「心の病」にもの申す 2
あるテレビ番組で、統合失調症(昔で言うところの精神分裂病)や、双極性障害(昔で言うところの躁鬱病)と診断された方々7人ほどが集まって座談会を行っているのを見ました。テーマは「精神疾患とどうつきあうか?」というものです。

見ていて、これこそが「現代の病理」だと思いました。みなさん、診断を受けた時には「ほっとした」と言われるのです。それまで「いったいどうしてしまったのか?」とわけが解らなかった心の状態に、やっと「Reason」が付けられる。だから「ほっとした」。この気持ちは解らないではありません。

しかしその後の言葉に、私は違和感を禁じ得ませんでした。周囲にそれを「カミングアウト」した途端、扱いが変わる。何か腫れ物に触るような目で見られてしまう。そうではなくて、一人の人間として自分を見て欲しい、とこれもみんなそう言われるのです。

しかしこれは矛盾です。名前を付けるということはイコール、区別するということです。猫と言えば猫全般を差していますが、自分の家の飼い猫をココと呼び、隣りの家の飼い猫はモモと呼ぶ。こうなると二匹は明確に区別されます。「名前あるところ、総て区別あり」です。

ですから、片方で「診断名をつけられてほっとした」、でももう片方で「特別視しないで欲しい」という理屈は筋が通りません。もし「特別視しないで欲しい」のなら、「病気」だという診断を易々と受け入れてはなりません。

私はパニック発作が起きた時期もありましたし、強い鬱も4年間ほど続きました。その時には、「どうして周囲はこの感覚を解ってくれないのだろう?」と悲しい思いをした時期もあります。しかしだからと言って、病院に行こうとは決して思いませんでした。

周囲に理解(というか、配慮)を求めるいちばん簡単な方法は、「病気」だと言ってしまうことです。これを最近では「カミングアウト」などと、大仰な名称で言っていますが、神経症の人は、自分自身でコトを大げさにし、そこにのめり込んでいると思います。意識を少し自分から離してみてください。それがいかに不自然なことであるかが見えるでしょう。

誰でも、孤独感や劣等感や敗北感や憂鬱感を感じることはあります。それが白に近いグレーであったり、黒に近いグレーであったりと、人によって違う。神経症は外部刺激に対する過敏体質であり、それは個性だとも言えます。神経症に悩む人が取り組むべきは、そこに線引きをして「病気」のレッテルを貼ることではなくて、この過敏体質を改善して行くことです。

自分が強い鬱だった当時はそこまでの理解はありませんでしたが、直感として、私には「負けないぞ。必ず克服してやるぞ」という気持ちがありました。そこで工夫を重ねた結果、時間は掛かりましたが、ひどい状態からは脱出できたのです。その工夫の過程で、たくさんの副産物としての学習をしました。それをこうして語らせていただいています。

もし私の声が届く人が居るのであれば、その方には「世の中の風潮に、安易に身を任せるな」と強く警告したいです。自分を薬漬けにする前に、心の体質改善、心の筋トレに取り組むことを考えてみてください。

*当初、このコラムには『引きこもる理由(わけ)』というタイトルを付けていましたが、書いてるうちに内容が変わってしまったので、タイトルを変更しました。訂正しますね。ゴメンナサイ。
お肌スベスベ
時々、「肌がスベスベしているね」と女性から言われます。
これ、自慢したいわけじゃありませんからネ。誤解しないでくださいね。それと、どんな場面でそんなこと言われるのかとか、勝手な想像しないでくださいね。ただの初老で、人並みですから。

でも心掛けていることが一つあるんです。前にも書いたことがあるのですが、体を洗わないということ。顔は水で洗うだけ。タオルで拭くこともしない。
「なーんにもしてへんのどすえ」と言いながら、「なーんだ、ドモホルンリンクル使っているんじゃん!」というとのは違うんです。本当に何にもしない!

私、むかし化粧品の広告の仕事もしたことがあるんですけれど、化粧品会社の戦略は、いかに塗ったり剥がしたりさせるか、ということに尽きるんです。自分で作った特性の天然皮脂は剥がさせて、それだと乾燥するからと脅して化粧水を与え、その上から人工の皮脂を塗らせる。それを石鹸でまた剥がさせて、とこれを繰り返す。

でも本当はなーんにもする必要ないんです。まあ女性はお化粧するから、メイク落としってのが必要になって来ちゃいますけどね。

それとサプリメント。コンドロイチンがいいとか、ヒアルロン酸がいいと言っていますけれど、人間の消化器官は化学工場だから、経口摂取した物はいったん分子レベルにまでバラバラに分解されちゃうんです。その上で、再構成される。要は再構成されるべき材料があるよというだけ。何も高いお金を払わなくても、それは他のもので代替出来るんです。

だから、「なーんにもしない」がいちばん。脅しや広告に踊らされないで、自然に任せるのがいちばんなんです。
あとは「体を洗わない勇気」を持てるかどうか?
でも考えて見ればおかしな話だとは思いませんか?「体を洗わない勇気」、古代人に言ったら、「なんじゃそれ?」って、たぶん笑われますよ。
抱きぐせ
「いつも抱っこしていると、 抱きぐせがつくわよ」
そう、言う人がいます。でも、その根拠は何でしょうか?「抱きぐせ」に関する統計データでもあるのでしょうか? それともたくさんの子供を育てた経験があって、抱きぐせがついた子とつかない子とで、育て方の違いとの関連でも発見したのでしょうか?

そもそも「抱きぐせ」とは何のことでしょうか? そして何がいけないのでしょうか?
いつも「抱っこ」をせがむようになったら煩わしいと考えるのでしょうか?
あるいは、甘えん坊の依存体質になるとでも思っているのでしょうか?

しかし、幼児が親に「抱っこ」をせがむのは当たり前のことです。それが煩わしいのなら、子供など産まなければいいと思います。動物園の類人猿を見てください。長年の動物園暮らしで抱っこを忘れてしまった親が居るのですが、そのままでは赤ちゃんはすぐに死んでしまいます。

結局、「抱きぐせ」などというものは親のエゴです。せっかく親になったのに、早くもコントロール意識が芽生えている。親の学校の第一段めを、いきなり踏み外しているのです。

そもそも人間は、他者を支配することなどできないのです。子供も同じです。赤ちゃんが何もできないからといって、錯覚してはなりません。子供ができたのは、親のあり方を学ぶためです。天からの「授かり物」というのは、このことを言っているのです。

私の経験と観察から言いますと、甘えん坊の依存体質になる人は、むしろ幼少時に親の愛情を充分に受けなかった人たちです。事実は逆なのです。愛情をたっぷり受けた人たちは、意識の深い部分に人間への信頼が形成されるので、自立がスムースに促されます。

いつまでも抱かれたままの子はいません。抱いてあげなければならない時期には、充分に抱いてあげてください。それが親の務めです。
インターネットが繋がらない。
無線LANの親機を高速のものに買い替えたところ、インターネットが繋がらなくなってしまいました。毎回苦労しているので、「大丈夫かなぁ」と心配でしたが、その心配が的中してしまいました。マニュアルを何度も読み返してトライしてみるのですがダ・メ。

困ったあげく、解決策をインターネットで調べようとしている自分が居ました。つながらなないのに‥‥。´_`)アホみたいです。「バカだなぁ」と思って格闘しながらしばらくしたら、またインターネットで調べようとしていて「ハッ」となりました。

老化現象もひどいけれど、インターネット依存症もひどいです。インターネットがない時代の感覚に、もう戻れません。このブログだってインターネットですしね。もう骨の髄まで冒されてしまったかナ?

スマホ持ってないしなぁ。スマホか3Gのタブレット端末があれば、そっち経由で調べられるのになぁ。
危ない、危ない。それはしたくない。依存症はインターネットだけで歯止めを掛けなくちゃ。第一スマホの文字は老眼で見えない。´_`)それにしても参ったぞ。

結局前日は諦めて、今朝またモデムとWiFiルーターを順番やタイミングを変えてあれこれ20回近くプラグを抜いたり差したりしていたら、突如開通。やったー!
抜き差しならないという言葉があるけど、抜き差しできるうちは諦めずに続ければ、なんとかなるってことでしょうか。
物のない貧困、お金のない貧困 1
NHKの「BS世界のドキュメンタリー」で『アメリカ 冬の時代 〜転落する中産階級〜』を観ました。番組は、オレゴン州ポートランドで、生活に行き詰った家庭を支援しているNPO団体「211」に支援の電話を掛けて来た8つの家族を取材したものです。

アメリカの中産階級の没落は1970年代から始まりました。原因は自由貿易を推進するようになったためです。そもそもアメリカの中産階級の隆盛はフォーディズム(fordism)で象徴されるように、他国に先駆けて自国内に大量生産、大量消費を可能にする生産システムが登場したことによります。

これによって労働者が高い賃金を得て、それをまた消費に廻すことで、経済全体が潤ったのです。ところが、関税を引き下げて自由貿易を推し進めますと、海外から安い商品が流入して来ます。これは言ってみれば、商品に姿を変えた他国の労働力なのです。

関税が撤廃されますと、経営者は、より賃金の安い労働力を求めて、海外に工場を移転させてしまいます。そして安いコストの商品を自国を含めた世界中に売り出すことでグローバル競争に勝とうとします。しかし自国の雇用はその分失われるわけですから、長期的に見れば、物を買えない人々が増えて行ってしまいます。

一方、海外に工場を移転させてグローバル企業となった会社は、できるだけ税金を逃れようといろいろ画策しますので、出身国に税金が落ちません。結局、企業だけが儲かり、国に税金は入らず、貧困世帯がどんどん増えて行くだけなのです。

もちろんこのようなことは、政治家も、グローバル企業も、金融界も、御用経済学者も言いません。自由貿易によって経済が活性化すれば、それが大衆の生活も豊かにすると説明してきたのです。TPPはその延長上にあり、未だにそれ式の説明がされています。

しかし、さすがにそれが嘘である。自由貿易は一部の金持ちをさらに金持ちにするだけだということが、一般の人々にもやっと解ってきて、今の資本主義体制や金融システムを「おかしい?」と思う人々が増えて来ているのです。

番組では、支援側の人がこうした経済活動の矛盾を説明した上で「倫理」という言葉を吐いたのが印象的でした。そう、まさにこれは「倫理」の問題です。経済ロジックの問題では既になくなっています。

人々を騙すような経済活動をすれば、そのツケが必ず廻りいつかは破綻してしまいます。ところがオバマ大統領は、リーマンショックの元凶となった金融機関の一部を税金を投入して救済してしまいました。潰したのではあまりにも影響が大き過ぎるという理由からです。ボッタクリ勝ちです。

一方で、貧困者や、医療保険のない人を救済するための社会的費用は、税金から出ているわけです。なんという矛盾でしょうか。一部のグローバル企業だけが儲かり、労働者はますます貧乏になる。そのことに何の後ろめたさも痛みも感じない人たちが政治や経済を動かしているのです。

(この項つづく)
「心の病」にもの申す 1
身近に「引きこもり」を抱えた家族は、きっと言い知れぬ苦悩に毎日さいなまれていることでしょう。どうしてそんな状態になってしまったのか? なんとかそこから脱出させてあげたい。そう思うのは当然です。

しかし私はこの「引きこもり」も含めて、様々な心の問題を、最近の風潮として「○○障害」と呼ぶことには反対ですし、そんなものは間違っていると思います。ここには、それを「病気」にしてしまいたい裏事情が見え隠れします。

「病気」にしてしまえば、セラピストも、家族も、さらには本人までもが、一時的にほっとする。原因をすべて「病気」のせいにしてしまえるからです。そして、いったん「○○障害」のレッテルが貼られてしまうと、今度はそれが出発点になり、「治療」というプロセスにのめり込むのが当たり前になって行く。

でもそれで成果が上がっているでしょうか? 問題は解決しているでしょうか? あっちでもこっちでも「○○障害」「○○症候群」という名称が溢れかえり、薬漬けになっている多くの人々を見て来て、由々しき事態が進行していると思わざるを得ません。

「引きこもり」は治療の出発点ではありません。問題の原因ではないのです。心の動きの結果です。そこに至る前がある。どうしてそこを直視しようとしないのでしょうか?

そもそも、肉体上に起きる変調も、ほとんどを人間は自然治癒力で治せるのです。薬はあくまで補助手段に過ぎません。ところが、病気は医者が治してくれるもの、薬が治すもの、という近代思想があまねく浸透し、それが遂に心の分野にまで押し広げられるようになってしまいました。

あなたは「引きこもり」になったことはありませんか? もう誰にも会いたくない。ほっといてくれ。そう思ったことはありませんか? 私はありますよ。しょっちゅうです。何を言いたいかといいますと、「引きこもり」に限らず、ほとんどの「心の問題」はグレーゾーンにあるのだということです。

ところが「○○障害」「○○症候群」という診断が下った瞬間、それがグレーから黒に変わってしまう。つまり、診断が「病気」をつくり出すのです。

現代人は、グレーゾーンにある「心の問題」に対処する術(すべ)を失っているのです。核家族化やコミュニティの崩壊、お手軽志向、依存体質、本能の低下などによって、心の葛藤からイージーに脱出することばかり考えている。

「○○障害」「○○症候群」のレッテル貼りが横行するのは、何かあればすぐにコンビニに走って解決を図ろうとする、現代人特有の顕われのように私には感じられてなりません。
(この項つづく)