by Rainbow School
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健康食品
健康食品のコマーシャルが凄いですねぇ。この市場が大きいので、新興企業だけではなく、大手企業で健康食品市場へシフトする企業も目立ちます。タレントさんも健康食品のコマーシャルに出ることは、きっといい稼ぎになるのでしょう。

実は私も一時期、サプリメントに夢中になった時期がありました。アトピーの治療のために、毎日片手に山盛りになるほど飲んでいました。アール・ミンデルの『Vitamin Bible』を座右に置き、調べまくっていたのもこのころです。

でも今は、風邪をひいたときにビタミンCをちょっと飲むくらい。人間は、粗食で、少々飢えているくらいがちょうどいいと知ったからです。 反省。
皆さんは、コラーゲンが肌にいいとなったら「よしコラーゲンを摂らなくちゃ」って、単純に思っていませんか? でもこの根拠、かなり怪しいんですよ。

生体というのは化学工場になっていて、体を維持するために必要な栄養素はいったん食物をバラバラに分解してから、再構成して体に取り込んでいます。だからコラーゲンを飲んだからといって、そのままコラーゲンとして吸収されるというわけではないのです。それを構成するために必要なものは、一応揃っているというだけです。

ですから基本は、粗食で充分なのです。
粗食からいかにエネルギーを頂くか、それを再構成するか、については生物学や生体科学を超えた別の要素があると私は考えています。
親から受けた傷を抱え続けているのだとしたら
心に、制御できないわだかまりを持っている人の多くは、幼少時に親から受けた傷が遠因になっている場合が少なくありません。その傷を大人になっても抱え続けているために、新しい体験にも、無意識に何かしらの関連した要素を見つけ出し、パニックを呈して心の制御が不能になってしまうのです。

考えてみれば、これはとても損なことです。いま生きて、そこで生じている様々なトラブルや苦悩は、本来必要がなかったものだからです。言ってみれば、自分で自分の苦しみをつくり出していたのです。もし、幼少時の傷がなければ、味わわなくていい辛さだったのです。

ですから、幼少時に親から受けた傷は、できるだけ早く手放した方がいい。早く捨てて、笑って話せるようにしましょう。それに、本人は「とても他人には話せない体験」と思っていても、周囲の人間は案外他人の話など関心がないものなんですよ。みんな、自分のことで精一杯なんです。

親が生きているのなら、思い切ってぶつかって訴えかけてもいいと思うのです。そうすることで、とりあえず抱え続けるという状態を断ち切ることができますから。直接対峙することが出来なかったら手紙を書くのもいい。もし親が亡くなっていたら、出さない手紙を書くのも有効です。誰も居ないところで大声を出すのだっていい。工夫して、手放すことをやってみましょう。
落ちこぼれは経営者を目指せ

TAKEちゃんという知り合いから、10日間の臨時のアルバイト仕事を貰いました。

いやぁ、助かった。これで喰いつなげる。6年ぶりくらいに電話したら、急にそういうことになりました。ハローワークに行って仕事を探してもダメな時はずっとダメだし、ひょんなことからあっさり決まることもあるんだよね。不思議だなぁ。
TAKEちゃんと知り合ったのは彼が22・3歳のころ。私は27歳でした。TAKEちゃんは族をしていて、かの有名なブラックエンペラーに所属し、少々「やんちゃ」をやっていました。ろくに学校にも行っていませんから、いわゆる「学」というものはありません。しかし彼は20年前から、経営者です。
TAKEちゃんは、「俺なんて何にもできない。店やってなかったら運転手くらいしかできない」と言うのですが、私が知らない分野のことをよく知っていていつも驚かされます。TAKEちゃんには、節目節目でずいぶん助けてもらいました。
私がある事業を整理したときも、整理屋さんに見積りを頼んだら120万くらいと言われ、もうそんなお金はないしほとほと困ってしまった。それでTAKEちゃんに相談したら「●●さん、そりゃダメだよ」と言われ、色々手を尽くしてくれて、−120万の筈が、+30万円くらいになった。大変な違いです。いろんな裏道があるんだなぁ、とそのときはえらく感心しました。
でも考えて見ると、TAKEちゃんは族をやりながらも、何か違っていたんですよね。とても素直で、何よりもすごく優しかった。だから今も愛妻家です。それに、自分がどう生きていくかということを、必死に考えていた気がするなぁ。座学というものはないけれど、実地でつかんだ哲学を持っていて、話していて「なるほどォ」と思わされることが多々あります。
だからね。落ちこぼれで来た人には、経営者を目指して欲しいんですよ。今の時代は、搾取の構造が固定されてしまって、その中に一度落ちると、なかなか這い上がれません。パート労働者は単なる使い捨ての駒で、スキルなど磨くことはできません。ですから、経営者を目指して欲しい。そうすれば、同じアルバイトをやるにしても、視点が変わって来ると思うんですよ。
電磁調理器
生家の台所が改修され電磁調理器になってしまいました。鍋も底が平らでぶ厚いあの専用鍋に変わったせいで、振ることができません。そして何よりイヤなのは、あのブーンという振動音。スイッチを入れた後、3メートルばかり離れているのですが、怖いです。これじゃ料理ができません。(笑)


どうしてこのようなものを人々が欲しがるのかが、私にはどうも解りません。認知症の高齢者が居て火事が心配とか、天板が平らで掃除が楽だと言うのですが、肝心の料理で火を操れなかったら、チャーハン一つ出来ないではありませんか。


それに、火から電磁調理器に移行したことを知っている世代は「ああ、便利になった」と言うでしょうけれど、最初から電磁調理器で育った次世代は、火で調理をする技術を失ってしまうと思うんです。そのうちキャンプに行くのにも、電磁調理器と発電機を持って行ったりしてね。


オール電化にして、電力の供給がストップしたら、即、煮炊きができません。一体どうするのでしょう? そう言うと「その時は、その時だ」と意に介さない人がいるのですが、きっと私などとは、求めているものが全然違うのでしょう。


人類はこれまで、生存のためにずっと火を操って来ました。そこには単に熱エネルギーを取ること以上の意味があると思うのです。焚き火や囲炉裏は、なんとなく心を和ませるでしょう? そういうものをあっさり捨ててしまえるという感覚が、私にはどうしても解らないのですが‥‥。

「○○障害」って、本当に病気なの?
私が最近、よくない風潮だなと思っていることに「○○障害」という言葉の浸透があります。認知障害、健忘性障害、気分障害、不安障害、人格障害、適応障害、発達障害、睡眠障害、摂食障害、性同一性障害、身体表現性障害、虚偽性障害、解離性障害などなど。

今や世の中は「障害」だらけといった感じです。そして、よく聞く「こうした障害を持った人が増えている」という言い回しも、「本当かな?」と思ってしまいます。
そのように「診断される人」が増えているだけではないでしょうか?

そんなことを言ったら、私など、記憶力障害、ヘナチョコ障害、漢字の書き取り0点障害、地理歴史まるでダメ障害、パーティで壁に突っ立ている障害、facebookやTwitterができない障害など、恥ずかしい精神障害がいっぱいある。

思考や心はたえず揺れ動くもので、いつでも元気ハツラツという人は、そう多くは居ません。今はつながりを無くした社会なので、少し心が動揺するとそれをケアしてくれる人が周囲におらず、不安感でいっぱいになります。世の「障害」流行りは、そのレッテル貼りの中に逃げ込んでいる気がします。

歴史上の天才とか才人という人をみると、意外と今でいうところの「障害」を持った人が多いんですよ。つまり「障害」というのは、何かの「才能」とのトレードオフ(引き換え)である場合が少なくありません。

「○○障害」というレッテル貼りは、こうした事例を無視して、なにか「こうであらねばならない」という強迫観念のもとに作られている感じがするのです。
いつまでも美しく
扉をたたく人』(原題は“The Visitor”)という映画をBSで観ました。これが思わぬ拾い物で、なかなか深い味わいがあります。ちょっと魂を揺さぶられました。主人公は妻に先立たれた大学教授で、空虚な日々を送っています。そこに予想もしない変わった訪問者が現れることから、この人の内面が変わり始めるのです。

ストーリーも展開も小道具もなかなかのものでしたが、私がゾクゾクっとしたシーンがあります。主人公のウォルター教授が、モーナ役のヒアム・アッバスをデートに誘った場面です。モーナは黒っぽい服の胸元に大きな宝石が一つ付いたネックレスをつけてくる。シンプルな装いですがそれがチャーミングで、ウォルターも思わず「ステキだよ」って言うんです。

ウォルター役のリチャード・ジェンキンスはハンサムじゃないし、顔はあばただし、頭の後ろだって薄くなっている。ヒアム・アッバスも中年のオバさんで、黒髪をしたアラブ系の顔をしている。でも二人ともカッコいいんですねぇ。目の輝きが違う。年齢を受け入れているというのかな? 自分を魅力的に見せる術を知ってるんです。

女の人は、いつまでも若々しく美しくありたいと思うのだろうけれど、その目指す方向が今は間違っていると思うんですよ。テレビや雑誌を見れば、そこに付け込んだ商品や商売があまりにも多過ぎます。古くなった土台の修復をしないで、壁の塗り替え作業ばかりしている。そんな感じがします。

齢をとって肉体が衰えていくことは仕方のないことです。しかし内面は成長させ続けることができるわけですから、内面の成熟を目指すことに力点を移してみてはどうでしょうか。そしてそれは、必ず表面に現れます。表面を取り繕うことばかりに心をくだいていては、むしろ内面の成熟を妨げてしまいます。

内面が輝いている人の方が魅力的だし、私は好きだけどなぁ。
夜尿症
中学校を卒業するまで、私を支配した大きな悩みは「夜尿症」でした。誰にも打ち明けることのできない秘密の悩みです。大人になってからも長いことそれを言えませんでした。私の性格の大部分はこのことに影響され形づくられたと言っても過言ではありません。それはまた、母に対する思い出とも重なってくるのです。

しかし考えてみれば、他の人にとってはどうでもいいことなんですよね。しかも過去のこと。
結局、思い込みのパターンが子供時代に作られて、自縄自縛に陥っていたのです。そのことが解ってから、他人にも話すことができるようになりました。

先日セミナーでそのことを話したら、終了後、ある女性が「私もそうだったんです」と言ってきました。その方は両親が離婚し、母親とは2歳のときに生き別れになった。その後、祖母の家で育てられたというのですが、6歳まで「夜尿症」が止まらなかったと言います。

「6歳ならいいじゃん、普通だよ。僕なんて中学卒業までだよ!」
なーんて、「夜尿症」自慢をしても仕方ないんですがネ。

その方が言うのには、6歳のときに祖母が亡くなって、お葬式に来た母親と4年ぶりに会った。そこでピタッと治ったというのです。
これは解ります。私も中学を卒業すると、ある学校の寄宿舎に入ったのですが、それでピタッと治まった。

寄宿舎に入る前は、9人部屋でしたから、また失敗するんじゃないか、秘密がバレるんじゃないかと不安で仕方がなかったのに、結果は逆でした。
結局、「家」との葛藤が大きな原因だったということが解った。私の場合は「家」を出たとたんに、スッパリ治ってしまったのです。

ですから、「夜尿症」のお子さんがいらっしゃる親御さんにお願いしたいのです。
「困ったな」「どうしてくれるの?」という顔をどうかしないでいただきたいのです。親の「困ったな」はその時の一瞬の感情だとしても、子供はその顔を読んで、一生のこととして受け取ってしまいます。

もしふとんを濡らしたら「ハハハ、やったね!」と笑顔を作って、明るく元気に、子供と一緒に後始末をしてください。親御さんだけで始末をすると、子供は負担に感じて「早く治さなければ」というプレッシャーが余計にその子を苦しめることになります。

早い話が、これも学習なんだと、理科の実験なんだと、楽しむ工夫をすれば誰も傷つかすに済むではありませんか。
「仕事」に迷ったら「役割」を考えてみよう
世間的に言ういわゆる「仕事」というものを失ってから2年が経ちました。自分が望んでそうなった面もありますが、導かれてそうなった面もあります。
今やまごうかたなき貧困世帯。しかしやることは毎日たくさんあります。ただお金になっていないというだけで、「仕事」を失ったからこそ時々田舎に帰って親の介護もできます。実にうまくできています。

何らかの理由で、仕事を失っている、あるいは仕事ができない状態にある。こういう方は「ああ仕事をしなくちゃ」「仕事を探さなくちゃ」と考えると、気持ちが焦ってかえって辛くなります。そういうときには、「役割」を考えるといいと思うんですよ。

人は一生の中で、みんな何らかの「役割」を与えられ成長をうながされます。それは段階的に進行していて、一つの「役割」が終わると、自然とそこから離れるということが起きてきます。それまで夢中になって取り組んでいたことに急に関心が無くなったり、住んでいる場所を変えたり、人の縁がガラッと変わってしまったり。

もしそうなら、それは、次の「役割」が生じる前兆です。
それがなんであるかはすぐには解らないし、なんとなく解り始めるまではしっくり来なくて、イライラが募る場合もあります。
「こうだ」と思って取り組んだことに失敗し、回り道をするという場合もあります。でもそれが後で活きてくる。

ですから「仕事」に迷ったときや、失職したときなどには、自分の「役割」というものを考えてみると気持ちが楽になります。
「仕事」というものは、「役割」を全うするための一表現形態だと捉え直すのです。実際、そうなんですから。

そうしますといい「仕事」につけてもつけなくても、いわゆる世間でいう「仕事」ができなくても、「役割」の方を継続させることができるので、変化の波にに流されることなく自分を保つことができます。

今はほとんどの人がサラリーマンですし、学校を卒業しますと即「就活」ということになってしまい、外で働かなければまるで「仕事」じゃないように思わされています。けれども家事労働だって子育てだって介護だって、みんな「仕事」なんですよね。だから「役割」と言い直せば、迷うことが少なくなると思いますよ。
イジる
お笑い芸人によって、「イジる」という言葉が一般化しました。がしかし、これは「芸」なのでしょうか?
落語にしろ漫才にしろ講談にしろ、今テレビで「芸」を見ることはほとんどできません。レベルが落ちたなぁ、と思います。これでは芸人ではなくて、下〜人です。赤塚不二夫さんが生きておられたら、さぞや嘆かれたことでしょう。

昔は「芸」を競っていました。「芸」というのは、客も教養がないと面白くはない。どこが面白いのかさっぱり解らないものです。芸人と客の関係は、そのように切磋琢磨しながら育っていきました。

でも今じゃ「よってくだんの如し」と言ったところで、なんのことか全然解らない。落語のサゲがサゲにならない。サゲの妙に「なるほど、上手い!」って膝を叩けない。(「膝を叩く」ってのもたぶん死語かナ?)
それに比べれば「イジる」は誰にでもすぐに解るわけですね。

これにはテレビの事情が絡んでいます。安い制作費で視聴率を稼げる番組を作らないと、スポンサーが集まらない。そこで一山いくらで大勢を確保出来る吉本タレントを使い、安易に番組を作る。精妙な台本なんてものも工夫しなくていい。イジられ役をひとり設定して、周囲がよってたかってイジれば、それで番組ができちゃうんだから。

「イジる」というのは、「弄る」(つまりもてあぞぶ)から来た言葉だと思いますが、「イジめ」を連想させませんか? こういうことが堂々と「OK」なんだと子供たちに刷り込んだら、大変なことになると思うんです。イジられ役のタレントというのはそれがキャラクターであって、そうすることでお金を貰っている人です。でも子供はそうじゃない。

あ、そうそう。小松政夫さんは子供のころ教室で先生から叩かれると、「イテーな、イテーな、イテぇーなー」とギャグにして周囲を笑わせていたそうです。でもそんな技が瞬間的にできるのは、天性の素質があったからでしょう。イジられて「へへへ」と笑いとばせる子もいれば、そうでない子もいる筈です。(私も、パンツ脱がされたり、さんざんされたなぁ)

お笑い芸人の方も、そういう影響まで考えて欲しいと思うんですよ。
芸人なら、どうか「芸」を磨いてください。
求めよ、さらば与えられん
求めよ、さらば与えられん。叩けよ、さらば開かれん。
最近になって、これはつくづくその通りだなぁと思うようになりました。
元気でバリバリやっている時には、通り過ぎてしまう言葉かも知れません。けれども自分は、求め続けることによって、これまで何度もピンチを救われてきました。

アトピーで苦しんだときも、うつ病で苦しんだときにも。
5年、6年、7年と求め、求め、求め続けて、その果てに奇跡的な「縁」が生じて回復をみることができました。

近ごろ、20年、30年と、うつ病やパニック障害が続いているという人の話をよく聞きます。さぞかしお辛いことだろうと思います。
しかしこれは、やはりどこかおかしいのです。そういう方たちは、虚心坦懐に求め続けているでしょうか? 自分をどこかで規定してはいないでしょうか?

自分がアトピーだったころ、リウマチも発症して体が痛く、そのため気功の道場に足繁く通っていました。しかしなかなか改善しなかったので、私は並行して別の方法を求め、そしてある薬局の先生に巡り会ったのです。それまで6年ほど苦しみ、あちこち渡り歩きましたが、それから僅か半年で9割がた治ってしまったのです。

気功道場にはアトピーの人がたくさん来ていましたが、私がどんどん改善して行くのを見て、他の人から「どうしたの?」と訊かれました。「いや実は‥‥」と言うと、みんな興味を持ちはするのですが、結局行動した人は一人も居ませんでした。

道場の気功師が留めたという面もあります。しかし不思議でなりません。本当に治したいのなら、たとえ気功師が留めようが、求めていた筈です。私はこの薬局の先生のことを延べ30人くらいに紹介したと思いますが、実際にそこを訪ねた人は、たった一人です。そしてその一人は、やはり快方に向かっています。

病気が長引くと、どうしても耳年増になってしまって「あれはダメ、これはダメ。私はこういう人だから」と言うことが多くなります。その猜疑心と自己規定こそが、病いを解放しない真の原因だということに気づいてください。病いは自分が作っているのです。「苦しい、苦しい」と言いながらも、そこから脱したくない理由が深層心理に眠っています。そこにアクセスしてみてください。