by Rainbow School
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情操教育2
格差社会が教育にまで降りて来ている。これは厳然たる事実です。
「立志伝」というのは、貧乏の中から身を起こすという物語なのですが、今や「立志伝」が成立しにくい世の中になってしまいました。
親の年収や地位によって、子供の将来が決まってしまう。このようなことでよいのでしょうか?

一方、「情操教育」は本当に無用の長物なのでしょうか?
私はそうは思いません。
格差の問題は、制度を変えなければ完全な解消は難しいですが、格差の構造の中に嵌(はま)り込まないことも大事だと思います。

そのためには「情操教育」がもっとも有効な手段になる筈です。
なにもピアノやバレエを習わせろと言っているわけではありません。

自然の成り立ちを知り、自然に感謝し、慈しむ心を養うこと。体験、冒険、好奇心、一歩踏み出す勇気を持つこと。他の人と助け合うこと。工夫をして、生きる力を身につけること。これらを日常生活を通して学習して行くことが「情操教育」だと思います。

ハンバーガーとテレビゲーム漬けは、現代の「パンとサーカス」であることに気づいてください。
衆愚政策にもう取り込まれない。そのことが、これからを生きる上で、増々重要なものになっていくことでしょう。

*今年も一年、生き延びることができました。
応援してくださったり、励ましてくださったりした方、どうもありがとうございました。
今年は自分にとって変化の年でした。このブログも、もう少し優しい言い回しができないものか、と反省することも多いのですが、まあそれが今の自分の実力でしょう。
来年はもっと成長していけるように努力します。
どうか皆様もお体を大切に、すこやかな新年をお迎えください。
年収1億円を稼ぐ
電車に乗ったら、窓のところに出版社の広告がありました。
「年収1億円を稼ぐ」という文字と「7万部突破!」という文字が誇らしげでした。
売れるんでしょうねぇ、この手の本。

「1億円」というのが一つのキーワードなのかも知れません。他にも「1億円」を謳った本がたくさんあるようですね。
私が子供のころなら「100万円」だったかも知れません。中国では改革・開放経済に転じた初期に「万元戸」という言葉が大流行りしました。

「7万部突破!」ということですので、計算してみました。
1億円 × 7万人 = 7兆円
うわぁ、凄い! こりゃ大変だ。
本を読んだ人がみんな1億円プレイヤーになったら、経済効果は計り知れません。
こうなりゃ100万部を突破して、日本の国家予算を超えて欲しいと思います。

でも勿論そんなことにはなりません。
なぜかというと、お金持ちになるということは、まだ気づいていない人からお金を奪って集めることだからです。もし全員が気づいてしまったら、カモにする相手がいなくなってしまいます。
それに自分だけが掴んだ金持ちになる方法を、他人に教えるバカがいるでしょうか?

私が「ブルージンズの法則」と名づけた法則があります。
西部開拓時代、ゴールドラッシュで大もうけした人は誰か? リーバイス(Levi's)ジーンズで知られるリーバイ・ストラウス社です。
リーバイ・ストラウス社は、金鉱掘りに目が眩んで集まった人々に、虫除けの効果があるインディゴ・ブルーの染料で染めあげた作業着を売った。これがバカ売れしたのです。

ゴールドラッシュで一攫千金を為した(居るのかな?)人の名前はいま残っていませんが、リーバイスは残っています。
もうお解りでしょう? 儲かるのは著者と出版社だけです。
でも引っ掛かる人が後を絶たない。

今の時代、金持ちになるということは、他から奪うことと同義です。
血眼になってそれを追い求めている人を、私は好きになれません。
ファッションセンス
ある著名な市民活動家の講演会に行ってきました。
会場は満員の盛況でしたが、その場に一歩踏み込んだ瞬間、私は愕然としました。来場者のファッションに色がないのです。全体がグレーでどよーんとしています。
まあ私も人のことは言えないのですが、もう少しオシャレに気を配った方がよいのではないでしょうか?

奇しくも、その講演の中で「社会運動のマンネリ化」ということを講師の方が話されました。でもその指摘が、いったいどれだけの人に響いたでしょう?
講演終了後の質疑応答の場面になると、質問者は自分がいま直面している問題を銘々勝手に話すばかりで、全然質問になっていないのです。

10年ほど前になりますが、一時期こうした社会運動の集まりにかなり出ていたときがあります。どういうものか勉強したかったからですが、しばらく続けるうちに、市民活動家という人たちは議論ばかりしていてちっとも具体的な行動をしない人たちだ、と認識するようになりました。

それから10年経って、印象がほとんど変わっていないことに愕然としました。
もっとも、一緒に聞きに行ったその方面に詳しいKさんの話では、「もう随分様変わりして来て、こんな旧態依然とした雰囲気のところはあまりないよ」という話でしたが‥‥。

一つの考え方として「ファッションなんてどうでもいいよ」という考え方があります。
実は、私の本音はそれに近いのですが‥‥。
でも、レストランになぜドレスコード(服装規定)があるかを考えてみると、お客もまたそのレストランのインテリアの役割を果たしていることに気がつくでしょう。

つまりファッションというのは、周囲への気配りでもあるということです。
私はこう思います。
ファッションセンスのない人は、生活センスもない。生活センスのない人は、社会センスもない。社会センスのない社会運動は力になりえない、と。
脳科学者に「心」の問題が解決できるか?
さる脳科学者の方が、心の悩みを解消するには実に簡単で、次のことに気づけばよいのだと語っています。それは、
「心」というものはない。だから「悩み」は幻想。よって「悩む」必要性はない。
と言うのです。

なぜ「心」がないのかと言えば、それは概念に付けられた名前に過ぎないからだ、とその人は主張します。
犬という犬はいない、ということと同じです。私が飼っているポチとかタローという特定の犬はいたとしても、一般名称としての犬は概念に付けられた名前に過ぎない。よって犬という犬はいないのだ、というわけです。

その通りであることに、間違いはありません。
でも、だからといって「心」がない、というのは詭弁です。論理の摺り替えです。
一般名称の「心」という概念に相当するものがないのだとしても、それぞれの人には「心」<のようなもの>が依然としてある。

それに、<「心」という概念に相当するものはない>とたとえ理解したところで、いま現に「悩み」の渦中にある人たちの「悩み」が、それでスッキリ消えるとは思えません。

心の問題を訴える人が増えて、「いったいどうしてなのか?」「どうしたらいいのか?」とみんな分からなくなっています。
そのため、その答えを脳に求めようとして、脳科学者が急にもてはやされるようになってきています。しかし、どうやったところで、脳科学者に「心」の本当のことは解りません。

なぜなら、彼らは物質主義の領域から決して出ようとはしないからです。
「心」そのものが、目に見えないものなのに、目に見える「脳」から答えを導き出そうとすることに、最初から無理があるのです。
目に見えないものには、目に見えない領域の法則というものがあります。

「心」の「悩み」を解決するには、この法則に則った上での、個別で具体的なケアが必要なのです。
K子ちゃんの悲劇
私の実家の隣りに、K子ちゃんという女の子がいました。
私と同い年だったのですが、K子ちゃんは聾者であったため、小学校入学の年には家族と別れて、寄宿舎のある遠くの聾学校へ行ってしまいました。それ以来、一度も会っていません。

ですから、K子ちゃんに関する思い出といえば、それより幼い頃に、私を「むーひゃん、むーひゃん」(“ちゃん”が言えずに“ひゃん”になっていた)と呼んでいたその記憶しかありません。
K子ちゃんのお父さんも、片足が義足の障害者でしたが、数年前に亡くなりました。

先日、実家に帰ったおり、そのお隣に見慣れない男性がいて庭木の剪定をしています。「こんにちは」と呼びかけたのですが、こちらを振り返りません。
後で姉に聞いたら、K子ちゃんの旦那さんで、彼もまた聾者だということでした。少し離れたところに所帯を持って住んでいるけれども、一人暮らしのK子ちゃんの母親を心配して時々やってくるのだ、ということでした。

「そうか、結婚して幸せな家庭を築いたんだね」と思ったのですが、その後の話に衝撃を受けました。なんとK子ちゃんは糖尿病を患って、5年ほど前に失明してしまったというのです。そして、その悲劇をさらに上塗りするような不幸が‥‥。
K子ちゃんは「手話」ができないというのです。

実は、私が子供のころの聾教育においては「手話」ではなく、「読話(どくわ:相手の口の動きを見て、話の内容を理解する)」と「口話(こうわ:口で話す)」が推奨されていたのです。
「手話」では障害者だと一目で判ってしまうので、できるだけ健常者に近い能力を備えるべきだという考えがあり、「読話/口話」が聾教育の基本になったのです。

20世紀の時代、聾教育におけるこの「読話/口話」術は世界中で過大に評価され、実行されました。しかし「読話/口話」では思ったようにうまくコミュニケーションできないということで、70年代に入ると聾者の反発を招き、今日のような「手話」中心に転換するようになったのです。
K子ちゃんはまさにこの前の時代の、犠牲になってしまったのです。

ご主人と、今どのようにコミュニケーションしているのでしょうか。
ほぼ寝たきりだというのですが、久しぶりに聞いたK子ちゃんの近況に、胸が痛くなりました。
情操教育
どういうわけか、最近は「情操教育(じょうそうきょういく)」という言葉をあまり聞かなくなりましたね。
ウィキペディアをみますと、「情操教育とは、感情や情緒を育み、創造的で、個性的な心の働きを豊かにするための教育、および道徳的な意識や価値観を養うことを目的とした教育の総称」とあります。

私が子供のころには、その大切さがまだ叫ばれていました。
余裕のある親たちは、 そこで自分の子供にピアノやバレエや絵を習わせたりしていました。
小さいころから芸術に触れさせ、情操を育む機会を持たせようとしたわけですね。
でもそれが無くなってしまったのは、いったいどうしてでしょうか?

一つは「進学塾」にとって変わられたということが大きいのでしょう。自分が中学生だったころには、まだ「進学塾」に行くような人はクラスに数人しかいませんでした。
そういう人が出て来たということを初めて知ったとき、ちょっと脅威を感じたことを覚えています。その友達が、自分の知らない世界に行ってしまったように感じたのです。

もう一つは、お稽古事がプロフェッショナルを目指す人の訓練場になったということも大きいのでしょう。
今は、その道のプロになるためには小さいころからの訓練が欠かせません。そのことが広く認識されてきて、芸術にしてもスポーツにしても、幼少の頃からプロになる人となれない人がふるいに掛けられるようになりました。

つまりどちらも、「情操教育」よりも、具体的な「未来の成功」の方が重んじられるようになったということを示しているのだと思います。
どのような結果、効果があるのかよく解らない「情操教育」などよりも、「未来の成功」の実利に目が向く。これは致し方ありません。

そして実際に、スポーツ界のヒーロー、芸術分野のヒーロー、実業界のヒーロー、といった人たちは、そういう幼少時からの訓練を経て、ふるいに掛けられて残った人たちの中から現れて来ました。
この勝ち残った人たちのサクセス・ストーリーを知ったことで、親たちは増々戦略的な思考を強めていきます。

古い話ばかりで申し訳ありませんが、自分が子供のころには、スポーツで頂点を極めようとした時に、クラブチームに所属するというシナリオはまだ一般的ではありませんでした。
水泳競技のテレビ中継で、上位入賞の選手の所属をアナウンサーが「イトマンスイミングクラブ」と読み上げるたびに「あれ、なんだろう?」と思っていました。

他の選手は学校名なのに、どういうわけか上位入賞者はみんな「イトマンスイミングクラブ」だったのです。この時代に一世を風靡した水泳クラブです。
私は田舎者でしたから、クラブチームなんてものがあること自体知りませんでした。
でも今は違います。サッカーにしろ、フィギアスケートにしろ、モータースポーツにしろ、クラブチームに所属しなければ未来が開かれません。

しかしそのことで、大きな問題が起きているのではないでしょうか?
経済的に余裕のある家庭の子女や、その道の二世、三世といった家柄の生まれでないと、社会的な成功が難しいということです。
チャンスは平等などと言いますが、全然平等だとは思えません。生まれ落ちたときから、線引きされている。そういう社会が形成されてしまったと思います。(つづく)
トニー谷さんの「イヤミ」
トニー谷さんという人物をご存知ですか? 戦後、一世を風靡したボードビリアンで、赤塚不二夫さんの漫画『おそまつくん』のキャラクター「イヤミ」のモデルとなった人物です。出っ歯と「シェー」は赤塚不二夫さんのアイデアなのですが、口髭と「ざんす」言葉は、トニー谷さんからのいただきざんす。

赤塚不二夫さんがどうして「イヤミ」という名前を付けたかは定かではないのですが、モデルとなったトニー谷さんは、本当にイヤミな人物だったようです。

番組名は忘れてしまいましたが、トニー谷さんの一生を振り返るドキュメンタリーがあって、そこで柳家金語楼さん(この人も同時代に国民的な人気を誇った)が、「あんな奴、二度と仕事したくない」(言葉は正確ではありません)と怒りを露(あらわ)にして語っていたくらいですから、きっと度を超したものがあったのでしょう。

ウィキペディアには、そのあたりのエピソードも載せられていますが、トニー谷さんは芸風だけではなく、実生活においても、同僚を小馬鹿にしたりコキ降ろしたりといったことを平気でやっていたようです。
どうもその背景には、子供時代の不幸な生い立ちが、大きく影を落としていたのではないかと思われます。

ボードビリアンとして大変な才能があり、音楽センスもよかったのに、周囲の人間と良好な人間関係を築くことができなかった。むしろ他人から憎まれるようなことばかりをしてしまった。
これは単に傲慢では片付けられない、トニー谷さんが持っていた「業」そのものだと私は思います。

人気絶頂期に、長男の誘拐事件などがあったりして辛い時期も経験されていますが、前回書いた近藤真彦さんも母親の遺骨が墓から盗まれるという事件を経験されている。
予期せぬ不幸に襲われても、その後の対処と展開が違ってくるのは、やはり持って生まれた「業」の違いでしょう。そこで気づくか気づかないかです。

そんなトニー谷さんが、最晩年、肝臓癌を患って病室のベッドに居たときの肉声というのが残されていて、このときの言葉がとても印象に残っています。
「自分は、幸福が何かってずっと追い求めてきたけど、すぐ近くにあったんだなぁ」

私の記憶もいい加減なので言葉は正確ではありませんが、そんなことをしみじみと語っていたと記憶しています。
まるでメーテルリンクの『青い鳥』のお話そのものです。
「なんでもっと早くに気がつかなかったの?」と言いたくなるところでしょうが、それでも、私は生きているうちに気づけてよかったなぁと、そう思うのです。
古市憲寿さんへの2つの異論
一人息子が久しぶりに帰って来て、
「道を誤ったなぁ。俺も東大へ行って、社会学者になればよかったかなぁ」
と突然言うのです。
「なにバカなこと言ってんだい、偏差値46の男が」
と言い返して、二人で笑ったんですけれど。

息子がそう言うのは、同世代の気鋭の社会学者、古市憲寿(ふるいち・のりとし)さんに最近随分ご執心なようだからです。
古市さんは、前に私がブログにも書いたNHKの『僕らの楽しい資本主義』という番組にご出演されていました。そこでは、彼の変わった「会社生活」も映されていました。

さてそういうわけで、息子から『絶望の国の幸福な若者たち』と『僕たちの前途 』という2冊の本を借りて読んでみました。
私も、今の20代だけではなく、30代、40代、それぞれの年代にとって現代社会がどのように見えているかがとても興味があります。解らないし知りたいからです。

同年生まれの我が息子が古市さんの著作にご執心なのは、きっとそこに共感できるものがあったからなのでしょう。
でも私には、都会のマンションで生活している若者が室内にこもって考えた研究、という感じが強くして、仕方ありませんでした。
息子だって東京育ちです。その意味で、同じ感覚なのかも知れません。

それが悪いと言っているわけではありません。
社会学者としての古市さんの分析に対してあれこれ言えるような知性を自分は持っていませんし、やっぱり頭のよい人だなぁと思います。
でも2つの点で、異論があります。(もしかしたら、私の理解が足りないのかも知れませんが)

一つは、幸福感の定義といったようなものです。古市さんは20代ですので、当然バブルも高度成長期も、その前の貧乏だった時代も、実感としてご存知ではありません。そこで統計資料を駆使して、現代の若者と70年代くらいの若者と、どっちが豊かだったかという比較をされているのですが、これがちょっと違うと思うんです。

物が「ある時代」から「ない時代」を見ますと、「ある時代」の基準で考えますので、どうしても不便とか今より豊かではなかったという判断をしがちです。
でも「ない時代」には、「ある時代」が未経験ですので、今のその状態が不便であるとか、貧しいとかは思わないのです。「ない」のがみんな当たり前だったからです。

ではその時代の幸福感が何であったかというと、「将来、今よりも暮らしがよくなるイメージ」だったと思うのです。70年代には、まだそれが充満していました。
それは個人としても、社会全体としても、疑いなく持っていたもので、そこにあまり不安はなかったのです。

若者も、今のような「就職できないかも」という最低限の不安はなくて、どこの会社へ行けるかという選択の問題であったり、時には「俺は就職なんかしないぜ」というヒッピーを選ぶということが出来た時代でした。

つまり幸福感というものは、現在の所有で測れるものではなく、上昇ベクトルの角度によって規定されるものではないか、というのが私の考えです。
バブル時代には、この角度が急激に上がったわけですが、現代ではむしろ下がる方向へ傾いている。ですから、いくら物が豊富であっても、幸福感とはほど遠いのではないでしょうか?

二つめの異論は、働き方についてです。
古市さんは、ご自身が働く有限会社ゼントを一つのモデルに、これからの働き方の可能性を語っておられるのですが、それが普遍性を持つとはとても思えません。
否定しているのではありません。むしろ「働き方」に関してはその通りと思います。

しかし「働き方」とは別の、有限会社ゼントの「ビジネス戦略」は、あまりにも特殊です。類い稀なる才能の持ち主が集まっていること、成長産業の中に喰い込んでいること、B to C ではなくB to B を狙っていると公言していること。
これらは、今の大多数の若者が置かれた状況とは、あまりにも違い過ぎると思うのです。

私はむしろ、『僕らの楽しい資本主義』でイケダハヤトさんが語っていた「僕らはいいんだ、僕らはいいけれども」という言葉に共感を覚えます。
社会全体の幸福ベクトルが下り坂にあるなかで、凡人はいったいどうすればいいのか? 私はそこが重要な問題だと考えています。

●ニッポンのジレンマ
ペット公害
ここ3年ほどの間に、いま住んでいる場所の住環境が大きく変わりました。
一つには、山が切り崩されり田んぼが埋め立てられたりして大きな宅地開発が行われた結果、世帯が急激に増加したことです。それにともなって、予期せぬ事態が発生しています。
ペット公害です。

ざっと見て、今や半数の家が犬か猫を飼っています。これらペットの糞尿被害と吠え声の騒音がひどいのです。
高齢者が増えて、自分の慰めのためにペットを飼う人が多くなったというのも一つの原因でしょう。

「癒し」ということが言われます。アニマルセラピーという言葉もあります。しかし、自分の心の「癒し」のために、エゴになってはいないでしょうか?
ペットを飼われている方には、それが周囲の関係ないお宅にとってはストレスをもたらしていることも、知っていただきたいのです。

そのことをあらかじめ充分に配慮した上で、また生き物を育てているということを自覚した上で、ペットをお飼いになっているでしょうか?
自分の心が癒されないのは、ズバリ言って、他者を癒してあげたいという心が不足しているからです。「いやし」を求めるあまり、「いやしい」になってはいけません。

エゴにばかり走るからいつまでも癒されない。その道理に気づいていただきたいと思うのです。
食べ過ぎ
食べ過ぎが続いて体調を崩してしまいました。
もともと間食の習慣はなく、最近は一日2食(にじき)に食事回数を減らしていたのですが‥‥。お腹のあたりが張って重く、持病の無胃酸症の症状である、胸が締め付けられるような感じが続きます。ちょっと油断してしまいました。

きっかけの一つは外出が続いたこと。自分の時間帯ではない中途半端な時間に食事をすることになり、家に帰ってからどうしようかと迷った挙げ句、また食べてしまいました。これが3日ほど続きました。

もう一つは、乾物屋に行った際に試食用のナッツをつまみ、思わず購入してしまったことです。これが呼び水になって、パソコンを前にしながらポリポリ齧るという癖がついてしまいました。

前に、「手がお菓子に向かって勝手に伸びる」という人のことを書いたのですが、自分も見事に嵌ってしまい「ああ、これか」と気がつきました。反省。
元に戻すために、一日1食を2日続けたら、だんだん回復してきました。

やっぱり食べ過ぎはいけませんね。少し飢えているくらいでちょうどいい。
空腹を感じてから、そこで初めて食事を摂る、という原則を崩さないようにしないとね。