「就社」=「就職」ではありません
2012.11.30 Friday
ニュースで、「今年の大学生の内定率63%」というのを目にしました。
これは前にも書いたかもしれませんが、新卒者の採用活動を、企業が同時期に一斉に行う、いわゆる「就活」は廃止すべきだ、というのが私の考えです。
これでは、どうしたってミスマッチは起きるし、運悪く就職浪人になってしまった人は、喩えは悪いですが「新古品」扱いにされてしまいます。何十倍、何百倍の関門をくぐり有名企業に就職出来た人だって、それが果たしてよい選択であったかどうか。実際に働いてみないことには判らない。
どうしてこんなバカバカしい方式を未だに続けているのでしょうか?
どうしてインターンシップ制度をもっと推進しないのでしょうか?
私が危惧するのは、こうした制度が根強く残る中で、若者たちの「就職観」「仕事観」というものが一色に染め上げられ、すっかり洗脳されてしまうことです。
みんなが同じ色のスーツを着るというところに、もうそれが表れています。
立場が弱いというのは解りますが、なぜ「個性を買ってください」と言わないんでしょうか?
いま就職活動をされている方に申し上げたいのは、当たり前のことなのですが、「就職」と「就社」は違うということです。
「就職」の中に「就社」が含まれるかもしれません。しかし「就社」=「就職」ではありません。
もっと言えば、「就職」と「仕事」も違うということです。
ですから、たとえ「就社」活動がうまくいかなかったとしても、それは「就職」とも「仕事」とも関係がないということです。
何を「職」とするか、どういう「仕事」をしていきたいか、これは主体的にあなたが自分をデザインして行くべき問題です。
その大きなプランの中に、新卒として「就社」を今回考えている。これなら話は解ります。
今は大企業だって潰れる時代。ブランドなど価値がない時代。平気でリストラする時代。大きい会社ほど社員は歯車にされる危険性も大きい。
そういうことを考慮した上で、「職」と「仕事」を主体的にデザインしていかなくてはならない時代なのです。
そのやり方を、いったい誰が教えてくれるでしょうか?
大企業や安定職場に、それが解っている先輩などいるわけがないじゃありませんか。それを考えたくないから、考えなくていい職場に就職したんですよ。
学校の就職課? 解っているわけないじゃありませんか。考えたくないから、考えなくていい大学に勤めているんですよ。
リクルート産業? みんなが個別に気づき始めたら、一斉に騙せなくなる。そうしたら産業じゃなくなっちゃうじゃないですか。
自分が何をしたいかがまだ解らない、ですって?
だったら、モラトリアムをすればいいんですよ。
大切なのは、自分の「職」と「仕事」を追い求め続けていくこと。
自分で考え、追い求め続けていくしかないんです。
求め続けていれば、たとえ失敗や紆余曲折があったとしても、必ず得るものがあります。
そこで、人生の意味が大きく変わってくるのです。