by Rainbow School
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コンピュータ社会

私はふだんiMacというデスクトップのパソコンを使っています。そのiMacが、昨日突然故障してしまいました。そこで対策を練ろうと、横に置いてあるWindowsのデスクトップのスイッチを入れたのですが、こちらも起動しません。同じ日に2台が壊れてしまいました。

2ヵ月前にはEeeというB5ノートも壊れ、いま使用できるのはWindowsのA4ノート1台しかありません。ふだん何気なく、当たり前のように使っているパソコンですが、壊れてしまうと本当に困ってしまい、現代というのはつくづくコンピュータ社会なんだな、ということを思い知らされます。

今や社会のシステムが全部コンピュータのネットワークで構成されるようになっていますから、これが大規模にダウンしてしまったら、きっと大変な混乱を引き起こすことになるのでしょう。
コンピュータは機械ですから壊れない方がおかしい。そのことを肝に銘じ、頼られなくても生きていけるような備えが必要だと感じた出来事でした。

心根
「やさしい心」と「心根がやさしい」とはどう違うのでしょう?
心は、コロコロと転がってとりとめもないものだから「ココロ」と言う。そんな説もあるくらいですから、心というものは始終変化します。
いっとき「やさしい心」を示しても、暫くしたら、その心を失ってしまうかも知れません。

でも「心根がやさしい」は、根っこがやさしいと言うのですから、そこから伸びる枝、葉、咲く花はいつでもやさしい。状況に応じてコロコロ変わるということがもうありません。
どうしたらそうなれるのでしょう?

「心」は、「魂」というソフトウェアが、「脳」というハードウェアを使ったときに生じるアウトプットです。
ですから、ソフトウェア自体をやさしいものに変えること。つまり「魂」を磨けば、「心根のやさしい人」になっていくということですね。
睡眠
暑くて寝苦しい日が続いていますね。
睡眠は一般に言われている以上に、霊的にみて大きな意味があります。
人は、夜眠ることによって霊界に戻り、そこで日中の歪みをとったり、生体エネルギーを補充したりして、体の回復を図るのです。

日中のストレスをそのまま日中に解消できる人はいいのですが、それができない人は、夜眠っているときにたっぷり夢をみて、歪みを取り去る必要があります。
日中ストレスを解消できず、夜も眠れないとなると、昼間に体が眠るようになっていきます。この状態が病気です。つまり気が巡らない、気が滅入るのです。

ですから、充分に眠れるような対策をとってお過ごしください。
先祖
お盆のシーズンになりました。
親は、いちばん近い先祖なのです。
居場所

働ける場があるというのは、それだけでありがたいですね。

誰かが自分を待っていてくれるということですから。

既成宗教
お盆シーズンになって、お墓参りに行かれる人もきっと多いでしょうね。
このように死者の霊は弔うのに、でも多くの人はなぜ「宗教」を嫌悪するのでしょうか?
新興宗教は特に毛嫌いされますが、既成仏教も、元を正せば新興宗教だったわけです。法然、親鸞、日蓮、空海、みんな最初は新興宗教でした。

そうすると何百年も経って既成化してしまえば、世の中に受け入れられるということなのでしょうか?
それも確かにあるでしょう。でももっと本質的なことは、既成宗教が無力化したことだと思います。

既成仏教は檀家制度のもとに、お葬式と法事だけを行うサービス業になりました。神道は、正月や縁結びや受験のときにお願い事だけをする場になりました。既成宗教はどこも「教え」を説かなくなったわけですね。
「教え」を説く力が無くなった、つまり無害化したので、人々は抵抗なく近寄れるようになったという訳です。

そこに、神仏を自分のために働かせようという現代人のエゴがフィットして、需給のバランスが取れるようになった。
仏教が単に葬式仏教になり、神道がおねだり宗教になったことで、皮肉にもこうした既成宗教が生き延びれるようになったわけです。

しかしこれは、宗教側の怠慢です。既成宗教は現代に通じる言葉で「教え」を語ろうとはしません。
心の問題、霊の問題は、世の中がいかに変化しようとも、必ずあるものです。今はそのケアの一部を心理カウンセラーが担っていますが、しかしそれで足りるものでしょうか? やはり宗教によらず、霊魂を語る、現代に通じる言葉が必要だと、私は思うのです。
心の灰汁
スープストックを取るときにアクが出ます。このアクは2段階で取るのをご存知でしょうか?
最初は強火で湯を沸き立たせ、骨や肉の表面についた血や汚れが浮き上がってくるのを取ります。しかしそのままにしているとスープが濁ってしまいますから、次に弱火にして沸騰させないようにしながら、今度は骨や肉の内側から滲み出て来るアクをていねいに掬います。

なぜこんなことを書いたかと言いますと、感情の治め方も同じなのです。
怒りにしろ悲しみにしろ、最初の爆発は仕方がない。我慢するよりはアクを出した方がいいのです。それで周囲に迷惑を掛けるかも知れませんが、後で謝れば許して貰えます。
でもこれで終わりにはなりません。しばらくすると2段階目のアクが内側からふつふつと沸き出てきます。

このときが、自分のカルマと向き合う機会となるわけですね。
2段階目のアクを取るには、火加減に注意しながら、表面をよく見て、ゆっくりていねいにアクを掬わないといけません。
それと同じで、自分の感情を、もう一人の自分を使って外側から見て、ゆっくりていねいにアクを取っていく必要があるのです。
生命体
『悟霊の法』や『新波動性科学入門』などを書かれた大橋正雄さんという方がいらっしゃいます。すでに故人となり、今日では忘れられた存在のようになっていますが、1980年代に民間の研究者として物理学、天文学、生命科学の分野に大統一理論としての「波動」仮説を打ち立てました。

アカデミズムの世界は、権威主義、学閥主義、物質主義ですから、当然こうした無名の研究者による突拍子もない学説は受け入れられよう筈がありません。
しかしその後に物理学、天文学、生命科学などで徐々に解ってきた「新発見」は、私からすれば、やっと大橋正雄さんの仮説に追いついてきたようにしか見えないのです。それほど画期的であり、この仮説は「真理」だと私は思っています。

さてその大橋正雄さんが、「生命体」というものは「生体」と「命体」の融合だと言っておられるのです。
「命体」というのは俗にいう「霊魂」のこと。解りやすい例を考えますと、植物状態になった人間というのは「生体」だけになっていて、「命体」が抜けた状態だと言えるわけですね。何年もそうした状態であったのに、「命体」が戻るとパッと意識が回復する。それは「生命体」に返ったということです。

さすが大橋正雄さん。非常に解りやすくて面白い観点だと思います。
決意
知人で50代になってから結婚した男性がいます。その奥さんの弟のお嫁さんが癌の末期となり、小学生の一人息子を預かってくれないかと言ってきました。
弟さんとしては、仕事も看護もしなければならない状況の中で、息子までにはとても手が回らないので、助けて欲しいというわけです。

知人の男性は「僕のところも生活が大変だし、預かってくれといわれてもなぁ」と躊躇しているのですが、私は「それは計らいなのだから、喜んでお受けしなさいよ」と言いました。
50歳を過ぎて結婚ができ、さらに子育ての機会まで得られるわけですから、これが天の計らいでなくて一体なんでしょう。

過去世を見れば、その中で実の親子関係だった可能性もあります。
たとえそうでなかったとしても、子育ての機会が得られるというのは大変な恵みです。
言ってみれば「愛の学校」の一課程への入学が許されたということなのです。

人は機会を通してしか、学ぶことはできません。
経済的にも大変でしょうし、いろいろ問題も起こることでしょう。でもそれは授業料。
どこに価値を置くか? 血のつながらない子供を育てなければならない。こんなときには決意が試されますね。しかしそれは、血がつながった親子関係でも同じなのです。
ぼやき
「会社のやり方はおかしい。上の連中は何もわかっちゃいない。」
そうボヤくのは、サラリーマン共通の趣味のようなもの?
勤続何十年のベテランが、新橋のガード下で一杯やりながらボヤく分にはストレス解消で済まされます。でも20代、30代の若い世代が、始終そう呟くようではいけませんね。

そう批判していて、ではあなたに「経営」ができるんですか?
自分のアイデアを企画書にして、具体的に会社に提案しましたか? そのアイデアは「自分に任せて下さい。失敗したらこういう責任を取ります。」と言い切れるものでしたか?
そうでないとしたら、あなたも軽蔑する「上の連中」と同程度のレベルに過ぎないのではないですか?

依存しながら文句を言う。これを「身勝手」と言います。
若い人たちの会社に対する不満は、実は自分の「やり切れなさに対する叫び」なのです。それを「会社」に転嫁して語っているということに、早く気づいていただきたいのです。
この状態を続けている限り、自己実現などありませんよ。

若い人が突然経営のトップに抜擢されるなんてことは、二世でもない限りあり得ません。あなたは、今のポジションで、自分の役割を生きるしかないのです。
会社に依存するのでもなく、会社と対立するのでもなく、自分のポジションの中で他者のために尽くす。それを実践するしかないのです。

それが解れば、気持ちが楽になります。
ご自分を社員だとは思わず、会社の中に居る独立起業家だと思ってください。
そうすれば、「やり切れなさ」のモヤモヤから脱して、自己実現に一歩近づくことができます。