by Rainbow School
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ポスト資本主義、ポスト宗教、ポスト・ポストアトランティス期

資本主義の崩壊が近づいています。信頼できる分析家の多くがその警告を発しています。米ドルの覇権の終わりについては、20年も前から繰り返し言われて来ました。ですが、一向にそれが現実化せぬまま今日に至ります。専門家はあれやこれやと理屈を説明しますが、要はモルヒネを打ち続けて延命を図って来たということです。その結果、資本主義そのものが、今や巨額な粉飾で膨らんだ風船のようになってしまっているのです。

 

風船は、どこまでも膨らませられるというわけには行きません。ほどほどのところで息を吹き込むのを止めればよいのですが、吹き続けていればいつかはパーンと破裂します。それが、無理に延命を図って来た分、より大きく膨らませて来た分、次の崩壊は、かつてない凄まじい破裂音となって鳴り響くだろうと予測されているのです。

 

今、冷静になって世の中を眺めて見ますと、非常におかしな現象がたくさん起きていることが判ります。片方に貧困世帯の増加という問題がありながら、投資熱は盛んでずっと株高が続いています。職を探しても正規雇用にはなかなかありつけないというのに、もう片方では人手不足だと言っています。環境問題が深刻な気候変動を惹き起こす事態にまでなっているというのに、資源開発という地球破壊は止みません。

 

こうした矛盾点は、数え挙げたらきりがありません。これらはみな、資本主義を延命させたいという無理が、無理に無理を重ねた結果、現実との著しい乖離を引き起こしているということの表れなのです。言ってみれば、激震前の予震のようなものです。それでも気づこうとしないのですから、地球人というものは、いやはや‥‥。

 

政治をあずかる者、経済をあずかる者に、もはや全体を俯瞰して見るだけの余裕がないのです。乖離が大き過ぎて、全体を見ようとしたら、股裂き状態になってしまう。そこで、自分たちが歩んで来た路線をゴリ押しするしか、もう手段が無くなっているのです。

 

「これからはグローバル経済だ、新自由主義だ」と言い始めていた95年から2000年代初頭にかけては、乖離はまだそれほど目立たず、資本主義の枠内にそれを吸収できました。ところが、今やあらゆるところで矛盾が吹き出し、市民生活を目に見える形で脅かすまでになりました。世界中が、そういう悪くなる一方の現実を直視するのか、それとも、これまで通りに権力者の言葉を信じ続けるのか、というせめぎ合い段階に至っているのです。

 

欧米では反グローバリズムの大きなうねりが起き、既成政党によるこれまでの政治を市民運動が揺さぶるまでになっています。日本は島国であり、世界情勢に関する情報にうといことや、政治的無関心が広く蔓延しているために、こうした事態はまだ起きていません。がしかし、日本でも、人類の支配構造の真の姿というものに気づき出した人たちが、ここへ来て随分と増えて来ました。

 

私がこのブログを書き始めた頃は、闇の支配者を「欧米の二つの貴族」といった言い方でボヤかして書いていました。ですが、今やこれらの名前が、ネット上で大っぴらに語られるまでになりました。この間の変化にはもの凄いものがあります。私がボヤかして書いていたのは、それがまだ市民権を得ていないということもありましたが、それよりも「暴く」という視点に意識を傾注したくなかったからでした。

 

「知る」と「暴く」とでは、近いようでいて、意識の置き方がかなり違うと思います。「暴く」というと、どうしても、やっつけてやろう、とっちめてやろうという思いがそこに付け加わってしまうのではないでしょうか。「○○の正体」といった言い回しも、ネット上でよく見かけます。そうしたものは一見、正義や善のように見えますが、本質を問えば、所詮は同列なのです。

 

闇のグループの存在や、企てを、世の人々に知らせたいとの熱意は解りますし意義もあることです。でも、方法論が間違っているのではないでしょうか。北風で外套を吹き飛ばすことは出来ないのです。やはり、暖かな日の光を当てることがいちばんです。ピューピュー北風を吹き散らしたら、その風に触れた人たちはみんな凍ってしまいますよ。そしたら、見事、闇の手先を果たしたことになる。「おう、よしよし。よくやった!」ってね。

 

あのね、あなたたちが思っている以上に、闇は狡猾なんですよ。遥かに頭がいいんです。人の心理を操ることなんて朝飯前。だから、「正義」はダメだと、何度も言って来たのです。彼らは、そこを巧みに利用して来る。「正義」を掲げた途端、その人は「光」から遠ざかってしまいます。そして、「闘争」という闇の領域に引っ張り込まれるのです。

 

彼らのことをサタニスト(悪魔崇拝主義者)の狂人と呼ぶ人がいますが、そうじゃないのです。それはやはり、この世的な見方の域を出ていません。闇の奥には、確かに魔がある。ですが、闇が魔を崇拝しているのではないのですよ。逆です。魔はれっきとした実体ある存在で、魔が闇を操っているのです。まっさか⁉ そう、そのマサカ(この場合は「魔逆」)です。

 

これで、魔→闇→影→裏→表へと、指令が一直線に伝わる。これが黒ルートのハイアラーキ(ヒエラルキー)です。では「魔」とは何か? そのような想念エネルギーを持った霊的存在、それが「魔」です。あなた方はどうしても物質世界をベースに物事を考えてしまいますが、一度、物を全部外して、物質は無いものと考えてみてください。そうすれば、魔→闇→影→裏→表が、同質の想念で一直線に繋がっている理由が解るでしょう。

 

物質界というのは、想念エネルギーが、振動数を下げて物質に実体化した世界なのです。そこに住む我々は、それが現実でありすべてだと思っています。でも、そうではないということです。昔から言われているように、現実だと思っているものが幻であり、幻だと思っているものが実は真実の世界だということ。これが解れば、「闇」に関する謎もすべて解けるのです。

 

大事なことは、闇を「暴く」ことではありません。そういう「人類支配の構造」を知り、ではどうしてそのような構造が出来上がってしまったのかという、人類に巣くっている根本原因を明らかにすることです。それでこそ、反省というものが起き、今までに経験した多くの悲劇を超えて、人類が、次の段階へと本当の進化を遂げることが出来るのです。

 

「人類支配の構造」は、大きく二つの面から成り立っています。一つはピラミッド構造(ヒエラルキー)です。ピラミッド構造であるがゆえに、ごく少数者によって全体が完全支配されてしまう。しかも、各階層に属する人々は、自分が属する階層のことしか知り得ません。その結果、全体の支配構造をよく知らないまま、今の状態を当然と思う洗脳支配が可能となっているのです。

 

もう一つは心理面です。ピラミッド構造を補強するために、より上位に居る者が偉いんだ、より優れているんだという思想を、あらゆる機会を通じて植え付けたのです。それによって、少しでも階層を上がりたいというモチベーションをエサに、社会のあらゆる面にこれを適用しました。その結果、人類の大多数は奴隷労働を当然のごとく強いられ、一部富者にのみ特権が与えられるようになったのです。

 

しかし、いま言った二つを、さらに遡って原因を探りますと、結局は、人類の創生に関連した「分離」と「合一」というアンビバレンツな問題に行き着くのです。人間という存在は、誰しもが、一つの「それ(=神)」から分かれた「魂」をベースにして、肉体を得て地上に誕生しました。そして、地上で様々な体験をすることで、霊性を成長させ、また元の「それ」へと帰還する旅を続けるています。

 

*アンビバレンツ(独:ambivalenz):相反する両極の気持ち

 

その時に、神から分かれたことによって、「自分は自由なんだ」という晴れ晴れした気持ちと、「一人じゃ寂しいよォ」という両極の気持ちのアンビバレンツが生じました。また、このアンビバレンツは、他者との関係において、自分以外の誰かを「愛することで、一緒になりたい」という欲求と、「支配することで、一緒になりたい」という欲求のアンビバレンツも育てることになったのです。

 

すると、「支配」から「愛」への両極の間に、段階的な「関係性」の在り方というものが生じます。すなわち、他者を暴力を使って支配したい → 隷属させて支配したい → 愛の名を語って実は支配したい → 条件付きで愛したい(情愛) → 無条件に愛したい(博愛)→ 完全なる奉仕の人となる、といった具合に。結局、この段階を体験学習していくことが、地球に生きる人間共通の、究極のテーマとなっているわけです。

 

*この最終段階を神秘学では「キリスト愛」と言っています。(キリスト教とは関係がありません)

 

さて、そのことが解りますと、今、権力者や闇の支配者となっているところの「魂」は、この「愛」の学習段階においては、未だ小学校にすら入学していない、幼稚園児の段階にあるのだということがお分かりでしょう。そのように、起きている現象そのものを見るのではなく(つまり巻き込まれることなく)、全体を俯瞰して見ることが大切です。あなた方は、保母さん保父さんの視点に立たなければならないのです。

 

彼らは、まだ「愛」ということへの、初歩の気づきすらもないのです。ですから、これを暴いてやろう、叩いてやろうなどとと思ってはいけません。そんなことをすれば、幼稚園児同士の喧嘩になってしまいます。人類の不幸は、そういう未熟な段階にある「魂」に、人類全体が支配される構造を創り、是認し続けて来たことです。その誤りに気づくことが、いま置かれた、人類全体の喫緊の課題なのです。

 

悪を為す人は、放っておいても、カルマの法則によって、いずれは自分がその報いを受けます。そうなる前に、少しでも早く気づいて貰えるように、愛の波動を送ってあげるというのが、保母さん保父さんの視点ではないでしょうか。闘争心を燃やせば、その波動が周囲に広がってしまいます。あなたが先ず「愛の人」になって、温かな波動を周囲に出していただきたいのです。

 

ではなぜ、そんな逆転のような支配構造が、人類の上に成立できたのでしょうか? それは、一人ひとりの中に眠る「分離」意識のかけら、つまりエゴの部分が支配者たちによってくすぐられ、これを道具に、人々がコントロールされてしまっているからです。みなさんは、ここに気づかなくてはなりません。自分自身の不徳に。騙される下心があるから、騙す人が成り立っているということを。

 

見てごらんなさい。今や支配者は、お金と地位をチラつかせ、闘争を煽ることでしか、取り巻きを信じ込ませられなくなって来ているのが分かりますか? 完全な末期症状です。それでしか人心を繋ぎ留められないから、そうしているのです。これらは強力な接着剤に見えて、実はとても脆弱なんですよ。もしそれらが無くなれば、たちまち逃亡と責任のなすり付け合いが始まりますから。本当に強い人というのは、純粋さと愛だけで人を惹きつける人です。

 

資本主義というものは、今の社会の根底を為しているものだけに、その崩壊は全世界に計り知れない打撃をもたらすことでしょう。しかしその過程で、お金や、銀行や、株や、民主主義や、医療制度や、教育や、マスコミや、戦争や、政府や、裁判所や、政治家や、有識者や、多国籍企業や、国際機関など、今まで信じて疑わなかったものが、実はことごとく茶番劇に過ぎなかったことに気づくことになります。そして、少しだけ目覚める。

 

そのプレリュード(序曲)が、すでにあちこちから聴こえていますよ。今はまだ、社会の表しか知らない人、裏まで知った人、裏の裏の影まで知った人、影の奥の闇まで知った人と、大変な温度差があり、ちっとも話が噛み合わないという状態です。ですが、資本主義の崩壊は、どの人の上にも例外なくやって来ます。さて、そこからです。重要なのは。

 

ポスト資本主義(資本主義後)の社会を、どう形づくっていくかということが、その後の人類の命運を左右することになるのです。これは、改築や増築では済まされませんよ。土台を全部ぶっ壊して、ひっくり返して、一から建て直さなければならない大変革事業となるのですよ。

 

例を挙げましょう。いまビットコイン(仮想通貨)なるものが登場して市場を賑わわせています。これは、果たして今までの「お金」を変革するものになって行くのでしょうか? なりません。ビットコインが既に投機商品になっているのを見れば明らかです。これでは、物珍しい投機市場が新たに出来たというだけであって、「お金」に対する考え方自体はまったく変わっていません。

 

ポスト資本主義に求められる変革とは、このようなものではないのです。「お金」とは何なのか、というところに立ち返って、まったく新たな仕組みが再構築されなければならないのです。

 

「お金」は単なる道具です。経済を円滑にするための仲介品です。ところが、「お金」に利息が付いたり、「お金」が「お金」を生む仕組みを作ったり、「お金」を発行する権限が私企業に独占されていたりするところから、「お金」がモンスターに化け、この仕組みを握った者たちが世界を支配し、大多数の人々が「お金」の奴隷にされてしまった。しかも、それが当然と思わされて来たのです。

 

「お金」が、全世界を牛耳っていますから、結局は、政治も、医療も、マスコミも、教育も、その他諸々が、全部この論理の下で動いている。この、諸悪の根源にある考え方と仕組みを、全部ぶっ壊してチャラにして、人々がみな仲よく、安心して、幸せに過ごせるにはどういう社会であればいいのかというところから、人類は再出発しなければならないのです。

 

奪い合う経済から、分かち合う、支え合う経済への根本的な転換です。

 

そうすれば、政治は苦しむ人を出さない、困っている人は助ける、そしてみんなが安心して暮らせる社会づくりを目指すようになるでしょう。医療は患者を作り出す医療から、救ける医療になるでしょう。また教育は、それぞれの人の個性を尊び、伸ばして活躍できるようにしてあげる恭育になることでしょう。

 

そのようにして、他者のために役立つことが自分の本当の喜びであり、真の幸福であるということに、人類は気がつくようになるでしょう。

 

なぜ、このような大変革が、これから必要とされている(予定されている)のか、なぜ小手先の変化ではもう済まされないのかと言いますと、これから来る資本主義崩壊のタイミングと、ポスト・ポストアトランティス期の始まりとが重なっているからです。重なっているというよりも、そうなることが必然だったと申し上げた方がよいでしょう。

 

現在の大西洋(Atlantic Ocean)上にあったアトランティス大陸は、数度の水没を経て、今から約1万2,000年前に完全に姿を消しました。それからの1万2,000年間が、ポストアトランティス期だったのです。そのポストアトランティス期の終盤に、今いよいよ差し掛かって、世界はアトランティス時代のカルマを再び体現しようとしています。

 

アトランティス時代の終盤には、一部特権階級のエゴと堕落、科学技術の発達のし過ぎから来る自然界との遊離と、大衆の無気力が、社会全体を覆い尽くしていました。今の状況は、それとそっくりです。そして益々酷くなる。これは、知ってか知らずか、アトランティスを滅亡に導いた「魂」が現代に多数生まれ変わり、同じ欲望を抱いて活動し、これに大衆を巻き込んでいるためです。

 

ですから、このカルマの清算が、今まさに行われつつあります。カルマの清算というものは、ある日突然訪れるというものではなく、幅を持って徐々に進行して行きます。しかし、宇宙の永遠からすればそれは一瞬の出来事。人類は、このカルマの清算を終えて、次の時代、つまりポスト・ポストアトランティス期に移行します。これが、『ヨハネの黙示録』で言われるところのニュー・エルサレムです。

 

それともう一つ。今という時期は、過去2,600年間続いた「宗教の時代」が終わりを迎えようとしている時期でもあるのです。宗教は本来、物質世界を超えた霊的世界に真理があることを人々に伝えようとして興ったものでした。しかし、組織宗教が幅を利かせるようになると、それぞれがみな勝手な救済理論や天国についての物語を説き始め、自分たち以外は邪宗・邪教と言って互いに攻撃し合うようになったのです。

 

それがどれほどおかしなことであるか、どれほど“宗教的”ではないか、少し距離を置いてみればすぐに解ることです。それなのに、組織宗教の内部にいる人たちにはそれが解りません。それが宗教の恐いところです。宇宙は一つ、真理は一つなのです。真理が二つも三つもある筈がありません。どんな人にも普遍性を持ったものしか「真理」ではあり得ないことは、自明ではないでしょうか。

 

よって「真理」は、宗教になる必要などいささかもないのです。「真理」は「真理」なのです。どこにでも普遍的に存在し、揺るぎない法であるがゆえに、誰が何と言おうが、それは「真理」であり続けるのです。来たるニュー・エルサレムの時代には、人類は、この点にも目覚めることになります。そうなれば、全部の「魂」が、共通の基盤に立っていることが解るので、本当の愛、キリスト愛に目覚めることになるのです。

 

お解りいただけたでしょうか。いま書いたシナリオは、霊的世界ではすでに実現していることです。あとは、地上でのみなさんの奮闘を願うばかりです。いま世の中で起きていること、そしてこれから起こることを、どうか宇宙的な視点で見てください。そして、この大変換期をジャンピングボードにして、あなたの使命達成に向けて邁進してください。

 

天はいつもあなたを見守り、あなたの活躍を応援していますよ。