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霊能と霊能者について

世間には、様々な霊能(超能力)を主張する、自称「霊能者」がたくさんいらっしゃいます。しかし、「霊能」とはどういうものかということについても、また「霊能者」にもピンからキリまでいるということについても、その実体や詳細についてはあまり知られておりません。いや、まったく知られていないと言った方がよいくらいでしょう。そのため、この分野には、21世紀に入っても、未だに中世と同レベルの混乱状況が続いています。

 

20世紀の後半から、理論物理学や宇宙天文学が急速な発展を見せ、今や超ミクロの世界と超マクロの世界が一体のものとして明らかにされつつあります。これまでの「現象を追う科学」が、いよいよ「因の科学」に迫ろうかという段階に至っているのです。もう中世の時代ではありません。宇宙の構造について本当の知識が必要な時期にきているのと同様に、この分野にも本当の知識が必要となっているのです。

 

先ず、「霊能」というものは特殊な能力ではない、ということを知っていただきたいと思います。それは、誰にも備わっているものなのです。人間は本来、誰もが超能力者なのです。なぜなら、そのようにして創造されたのですから。ただしその能力には、人によって差があります。駆けっこを思い浮かべてください。早い人、遅い人、いろいろいるでしょう。それらと何も変わりがありません。

 

生まれつき足が早く、子どもの頃から大会に出場すればいつも一等という人もいれば、高校までの部活ではそれほど目立たなかったのに、その後よき指導者についてオリンピック選手にまでなったという人だっています。また、将来を嘱望されていたのに、悪い連中に捕まってしまい、曲がった道へ入ったという人だっています。それと、何ら変わりがありません。

 

つまり「霊能」は、人間がいろいろ持っている能力の一分野に過ぎないのです。それなのに、「霊能」だけが特別扱いされているのは、他の能力の多くが、いわゆる「五感」に基づいて構築されているのに対して、「霊能」は「五感」を超えた能力(いわゆる「第六感」以上)であるためです。大半の人々は、この分野についての知識が全くと言っていいほどありません。そこで、特殊な感じがするというだけなのです。

 

ところが、これは知られていないことですが、本人が通常の能力だと思ってやっていることでも、実は「第六感」以上の助けを借りてやっているという場面が少なくないのです。最近では「Zone に入る」という言い方をするようですが、いわゆる「神懸かり」という心境です。何かに没頭して作業をしている時に、信じられない力が湧く。ふとした瞬間に光が射したようにインスピレーションが入る。これらはみな、あなたが超能力者になった瞬間です。

 

超能力を意味する、英語の「psychic(サイキック)」、略して「PSY(サイ)」などと使われることも多いですが、この語源は、古代ギリシア語の「Ψυχή:Psyche(プシュケー)」から来ています。プシューというのは、息を吐く時の擬声語で、元々は「呼吸」を意味しました。それが、以前にも書いたように、息→生き→生命→魂→精神→心、といった概念にまで拡大使用されて行ったのです。

 

このような、言葉の成り立ちを見ても、「霊能」は決して特殊能力ではないということがお解りいただけるでしょう。泥(それは宇宙にあまねく存在する元素)をこねた(組み合わせた)人形に、息(SOUL 及び生命エネルギー)を吹き込んで人間が出来たという「神話」は、本当のことを模写したものなのです。ですから、人間は本来、誰もが超能力者なのです。

 

それなのに、なぜ、能力差が存在するのでしょうか? これには三つの理由があります。一つは先天的なものです。先天的ですから、DNAに秘密があります。しかし、そういうDNAの配列を、両親を選んで、組み合わせを決めて誕生して来たのはその人自身、つまりその人の「魂」です。ですから、先天的な違いというのは、元を辿れば、「魂」の成長段階や役割に違いがあったということになります。

 

同じ人間であるのに、DNAの配列に「霊能」差が生じているのは、人類の創生にその秘密があります。多くの人類学者が主張し、教科書で教えられている「人類誕生の物語」は正しくはありません。人間は、類人猿から進化したのではありません。これも神話に書かれているとおり、霊魂が堕落し(振動数を下げ)、楽園から追放された(流刑にあった)ことによって物質化し、肉体を持った「人間」というものが誕生したのです。

 

これは、わずか数世代で成し遂げられ、五色人(それぞれ黒、白、黄、赤、青色の肌を持つ人類)が、ほぼ同時期に地球上に誕生しました。しかしその後、人類を奴隷にして支配したい者が現れ、そのために「第六感」以上を切断された改造人間が、支配者層によって新たに創造されたのです。やがて「第六感」を持つ者と、持たない者との混血が進み、今のような能力差が生じるに至ったのです。

 

さて、二番めの理由は、今も少し触れたように、その人の「魂」の、成長度合いと役割に違いがあるためです。すべての「魂」は、ただ一者から生じ、地球人として地上に誕生した「魂」は、ここで「愛」についての実地学習体験を重ねながら、元の一者へと還る旅を続けます。その際に、輪廻転生を何度も繰り返す中で、先を歩む者、早く行く者と、遅れる者、遅い者との差がしだいに出て来るのです。

 

そして、三番めは、訓練です。いま言ったことを、自覚しながら生きるのと、知らないで生きるのとでは、「魂」の進み方が違って来るのです。今の自分にサイキックな能力は何もないと感じておられる方でも、訓練によって、切断された「第六感」を回復させることは可能です。ただし、これを「超能力開発」とは捉えないでください。実体は、「本来の自分に帰る」というただそれだけのことなのです。

 

*「超能力開発」は、決して誉められたものではありません。むしろ避けるべきもの、慎重に取り組むべきものです。その理由は、次に書くことから解っていただけるでしょう。

 

私たちの大半は、いま生きている、この物質世界が宇宙のすべてだと思い込んでいます。ところが、最新の研究成果によれば、物質的宇宙は、全宇宙のたった5パーセントに過ぎないという結論が導き出されているのです。あとの95パーセントは、どうやら物質ではないもので構成されているらしい、というところまで来ているのです。このことは、もっと詳しい数字で、前回にも触れました。

 

この「物質ではないもの」が何かについては、現代科学の学問上では未だ「謎」とされているのですが、「霊的な世界」と言って間違いはありません。その際に、注意しなければならないのは、この「霊的な世界」なるものは、決して「物質世界」と対峙するような形で存在しているわけではないということです。コインの裏表のような、「この世」に対する「あの世」ではないということですね。

 

実際には、宇宙全体が「霊的な世界」によって包含されているのです。それは無時間、無空間の、非局所的な世界です。その宇宙の中に、振動数の揺らぎが生じ、それによって塊りが生まれ、さらに振動数が下がることによって半霊半物質化して行き、ついには物質が現れるという、振動数によるヒエラルキーが構成されているのです。そういう全体構造の中で、物質化したものはたったの5パーセントに過ぎないということなのです。

 

ちょっと専門的になりますが、非局所的な、振動するエネルギーの海の中に、局所的な場が誕生するのです。私たちが「物」だと思って目にしているものは、局所的に出現した原子が、主張する縄張りのようなもので、物質の間はスカスカであり、その間にも実は「霊的な世界」が満ちているのです。これらの総量を計算すると、ざっと物質が5パーセント、半霊半物が25パーセント、霊的エネルギーが70パーセントになるということです。

 

さて、前回までの話を思い出してください。半霊半物界というのは、第4霊性密度(4次元)の領域(この振動数の帯域)です。そしてここは、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈する世界、別名「地獄」だということを申し上げたと思います。しかしこれは方便であり、実際には「地獄」というものはありません。これは、ロバート・モンローが言ったように、様々な「信念」体系を持ったグループが集まる帯域となっているのです。

 

サイキックな能力が出て来た(あるいは生まれつきある)と主張する人の大半は、この第4霊性密度(4次元)領域に波長を合わせることが出来るのです。それは、第3霊性密度(3次元)の領域にいる人間から見れば、通常の人にはない「超能力」のように見えます。そこで、「超能力」を有り難がる人と、「超能力」をウリにしたい人との需要と供給がガッチリ噛み合い、オカルティック・ワールドが、商売としてあちこちに成立するのです。

 

その中には、法外なお金を取って「霊視して上げるよ」と言ったり、「あなたには悪い霊が憑いているから」と言っては、「除霊して上げますから、ハイ、○万円」と言ったり、「この石を持てば幸福になれるよ」と説いたりする人もいるのです。また、「何月何日に大地震が来るぞ」「巨大隕石が衝突するぞ」などど言っては、大衆を震え上がらせる人もいます。

 

しかし、これも何度も言いましたが、高次元(第5、第6霊性密度)の存在が、そのような脅しをしたり、悪さをしたりすることは、絶対に絶対にありません。なぜ「絶対に」と言い切れるのか? 脅しや悪さをするようなレベルにある「魂」が、第5、第6霊性密度に上がることは、そもそも不可能だからです。霊界というところは、純然たる階層構造(その階層は、振動数=霊性の違いによる)から成り立っているのです。

 

あなた方に認識していただきたいのは、霊能の有無と、霊性の高さとは何の関係もないということです。ここを間違ってはいけません。駆けっこの早い人がみんな人間性が高いのかと言えば、決してそうじゃない。それと一緒です。霊能は、単なる一能力に過ぎないのです。けれども、アスリートとして抜群の能力を持ち、かつ人間性も高いという人が稀にいるように、霊能と霊性の高さが一致した人がごく稀にいるというだけの話です。

 

では、先の例に挙げたような霊能者は、いったい何とつながって、どんな情報を下ろしているのでしょうか。多くの霊能者は、第4霊性密度の存在とつながって、その言葉を下ろしています。第4霊性密度には、地上世界と同じように、ある「信念」を持った特定グループや宗教団体が数多くあって、こことコンタクトした霊能者が、それを「神」の言葉として称して、信者さんたちに下ろしているのです。

 

それは、その霊能者に、そういう自覚がないから出来ることです。本当に「神」の言葉だと思っているのです。驚くべきことに、自称「霊能者」の大半は、霊界の構造のことも、真理の法則についても、何も知識がありません。ましてや、人間の心理やそのケアについての技量も習熟しているわけではありません。ただただ、自分の感覚だけでやっているのです。けれども、一般の人も同様な無智の中にありますから、それでお互いが成り立っているのです。

 

こうした現象がちっとも是正されないのは、やはり、人々がまだ、「この世」に意識を留めたまま、「この世」の視点から、物資的世界を超えた不思議世界を垣間みようとする意識が抜けないためです。そうすると、このような人たちにとっては、第4も、第5も、第6霊性密度も、まったく区別がつかないわけですね。全部をひっくるめて不思議ワールドなわけです。

 

むしろ、高い次元の言葉ほど、当たり前に見えてつまらなく思え、素通りしてしまう。それよりも、4次元の話の方がずっとエキサイティングだし刺激的です。大地震とか、株価とか、UFOとか、古代ロマンとか、憑依とか、スプーン曲げとか、夢を叶えるとか、お肌スベスベとか。それで、残念ながら「光への道」を本当に歩もうとする人は、極めて少数になってしまうのです。

 

これで、なぜ「超能力開発」が誉められたものではないのか、もうお解りでしょう。オカルティックなものに興味を持った人は、すぐにその領域の虜にされてしまいます。それは、その帯域の波長(振動数)に、自分の波長を合わせてしまうということです。そのように誘導することで、支配を目論む輩がいるのですよ。彼らは、そうして集まる人々のエネルギーを吸い取って生活しているのです。

 

しかし、21世紀という時代、新しい神学が必要とされる時代に既に入ったのですから、これからは逆に見て欲しいということです。宇宙のすべては、先ず「霊的世界」というものが先にあり、そこに包含される形で、半霊半物界と、物質界がちょこっとだけある。その全体構造が俯瞰して見えれば、半霊半物界(オカルト世界)とつながって下ろされた言葉が、いかに中途半端なものであるかが、想像できるのではないでしょうか。

 

高次元の存在たちは、つねに、自分たちの手足となって働いてくれるメッセンジャーを求めています。そして、一人ひとりの成長を見守りながら、早くパイプ役になってくれないかなぁと期待しています。

 

そう、それはパイプ役。パイプに成り切るには、いかに「自分」を滅するかが問われるのです。エゴや、特定の信念や、オカルト的興味やらが残っていたのでは、先ずもってまったくお話になりません。それらを滅した上で、メッセンジャーにはさらに二つの資質が問われるのです。その人の「霊性進化」の度合いと、ツール(パイプ役)としての技量です。

 

「霊性進化」の度合いは、伝える内容のレベルを決定づけます。パイプ役になる者は、自分の振動数を上げて上に近づき、他方、高次元の存在たちは、振動数を下げてこちらと握手しようとして来ます。その握手地点を出来るだけ高いポイントで行うためには、パイプ役となる者が、つねに高い霊性を目指し、かつそれを保つように、自分を律して生きなければならないのです。

 

一方、技量というのは、例えば、言葉でメッセージを伝える役ならば、語彙の豊富さや、構成力、文章力、語り口などの影響が、メッセージに如実に反映されてしまうのです。ある「概念」が下りて来たときに、それを地上の言葉に置き換える方法は何百、何千通りとある。それをどうするかによって、個性が出てしまうわけですね。同様に、絵描きならば絵の技量、音楽家ならば音楽の技量、料理人ならば料理の技量に表現が左右されてしまうということです。

 

そこで常々、「完全なる奉仕の人となれ」と言っているわけです。しかし、いかに厳しく律したとしても、地上にある者は、所詮は「人間」であることを、メッセージを送る者も自覚し、メッセージを受け取る者も考慮することが大切です。いま述べたようなメカニズムから、どんなメッセージにも、必ず「歪み」が入るのです。ですから、どんなメッセージも、これを単純に絶対視したり、丸呑みしたりしてはいけません。

 

また、メッセンジャー本人を神格化してもいけません。イエスにしろ、ブッダにしろ、(決して貶めようというわけではないのですが)その時代のメッセンジャーの一人に過ぎないのです。同様に、言行録やリーディングによって書かれた聖書や聖典の類も、決して絶対視してはなりません。後世、人によってまとめられた書物というものは、「歪み」だらけなのです。なぜなら、それは「組織」の合意を経て表されたものなのですから。

 

あなた方には、先ず、本物と偽物を見分ける眼、霊的に高いものと低いものを嗅ぎ分ける鼻が必要です。どんなメッセージも、「これは、いま自分のために、自分に向けて届けられたものである」と読むことが大切です。実際にそうなのですから。すべてはグッド・タイミング。これを、あなたはまだ不思議現象だと捉えますか? いま言ったばかりでしょう。私たちのベースにあるものは、非局所的、無時間、無空間の世界なのだと。

 

それを、「この世」的に見ると、グッド・タイミングに見えるというだけの話です。この理屈が、解りますか? すべては、自分が創造しているのですよ。あなたの創造の瞬間に、いま必要な言葉が、オーダーメイドで用意されるのです。ああ、なんて素敵なのでしょう。だから、あなたは自分を信じて、より善き人となりなさい。瞬間、瞬間で受け取るギフトを、余すところなく受け取りなさい。

 

それが、あなたを成長させる。友よ、待っているよ。あなたの活躍を。