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生命の成り立ちへの誤解とは?

8月13日に掲載の『個人のカルマと人類のカルマ』に関して、次のようなご質問をいただきましたので、以下に回答いたします。

 

Q.これまで人類が積み重ねてきたカルマには大きく三つがあり、一つは「富への執着」、二つめは「他者支配への欲望」、そして三つめが「生命の成り立ちへの誤解」という記述がありましたが、三番めの意味するところについて、もう少し詳しく教えてください。

 

A.ここで挙げた三つは、強いて分ければということであって、元をたどればみんな同じであり、全てが人間のエゴに起因しています。しかしそのエゴも、なぜそれが生じているかと言えば、人類の創生に関係した根源的な問題にまで辿り着くのです。それは、一人ひとりがみな独立した「魂」であるということ。そして、そこから発した「分離」と言う意識の、行使の方向性の誤りにあるのです。

 

一人ひとりの「魂」は、みな一者から生じました。この一者を、人類は「創造主」とか「神」と呼び習わしました。ですから、これを突き詰めれば、自然と、私の中には「神」が宿っているということになるのです。そして、すべての人にもそれが言えるわけですから、人類はみな兄弟ということも解ります。このようにして、「分離」を起点として、再び一者に還って行くことが、地球における「愛」の学習となっているのです。

 

つまり、一者から「分かれた」ということは、人間に、「自己とそれ以外」というものの、両方の『認識』を育むに至ったのです。バラバラに「分かれた」からこそ、存在の多様性というものを知ることができ、存在の多様性があるからこそ、「愛」の学習ができ、そして、これらの仕組みを創った宇宙の創造主についての思索も同時に可能となったのです。

 

しかし、この肝心な点を、永らく人類は理解して来ませんでした。いま言ったような説明の仕方を受けたことが、これまで殆どないのです。宗教ですら、間違ったことを伝え続けて来ました。その結果、「分離」意識を、優劣、支配、排斥、闘争という、「愛」とは真逆のベクトル方向で発達させ、ひたすら行使し続けて来たのです。しかもこの逆ベクトルが、未だに人間社会では賞賛されているという状態です。

 

さて、ご質問の「生命の成り立ちへの誤解」という点ですが、確かに、三つの中ではこの点はあまり語られて来ませんでした。しかし逆に言えば、この点に関しては、それくらい逆ベクトルを向いていることへの認識が薄いということでもあります。「富への執着」や「他者支配への欲望」が、なんとなく「いけないことだなぁ」というのは解る。でも「生命の成り立ちへの誤解」とはどういうことなのか?

 

これは、このブログ上で繰り返し語って来た「生命」というものと、今の人類全般が考えている「生命」というもののギャップを考えていただければ、自ずと解ることですが、ひとことで言えば、今の地球人類が考える「生命」の認識は、非常に狭い概念に留まっているということです。それは、適用範囲ということにおいても、また時間概念においてもです。

 

今まで繰り返し語って来たのは、「生命」とは「宇宙」の代名詞であるということ。「宇宙」の代名詞には他にもたくさんあります。宇宙とは「愛」である。宇宙とは「エネルギー」である。宇宙とは「ヴァイブレーション」である。宇宙とは「智慧」である。宇宙とは「無常」である。宇宙とは「永遠」である。これらはいずれも正しく、一つのものを、それぞれ別の機能面から見た認識なのです。

 

その中に、「生命」というものもあるのです。「生命」とは何か? 「宇宙」そのものが「生命」なのだということ。これが解れば、「生命」の永遠も、循環も、みな支え合っていることも、進化ということも、なぜ愛なのかということも解る。ところが、この根本を、地球人類はまるで解っていないのです。「生命」を持つ存在は限られており、誕生と死があると思っているのです。

 

しかし、そうではありません。鉱物にだって、水にだって、空気にだって、「生命」はある。みなさんがそう認識していないだけであって、全てに「生命」があるのです。私が、地上で言うところの死を迎えたとしましょう。地面に放ったらかしにしておけば、肉の大半は獣や鳥に喰われ、残ったものも土に返って、それを栄養分としてそのうちそこに草が生えるでしょう。そのようにして「生命」は繋がれ、廻っているのです。

 

意識も、肉体と一緒に脱ぎ捨てる部分もありますが、死によって全部が消滅するわけじゃない。感情面や体験によって認識したことはカルマとなり、霊界に戻ってもそれを所持し続けます。そして、そのカルマを刈り取るために、また地上に生まれ変わるのです。このようにして「魂」の旅は続くのです。物質的にも、また意識という点においても、失われるものは何もないのです。「生命」は永遠なのです。

 

ところが、みなさんにはそれが解らない。いいえ、深いところでは解っているし、7歳位まではみな記憶していたのですが、大人になってしまうと、もう容易には思い出せない。そして、それと入れ替わりに、地上の論理を信じるようになって行くのです。死後の世界などない。死んだら無だ。生きているうちが花なのさ。だから、他人のことなど知ったこっちゃ無い。己の欲望を第一に生きるんだ。

 

*周囲に小ちゃな子がいたら「あなたはどうして生まれて来たの?」と訊いてみてください。ちゃんと説明しくれる子がいますよ。

 

この、「生きているうちが花」という捉え方、心臓が動いて息をしている間だけを「生命」と捉える考え方が、近年になって急速に拡大しました。昭和30年頃までは、亡くなる人の8割は自宅で息を引き取り、病院で死ぬ人は僅かでした。しかし今は、逆に8割の人が病院で亡くなります。そこでは、1分1秒でも長く生存していることをよしとする価値観が、暗黙の了解として、医師、患者、家族の間に出来上がっているのです。

 

これを読んでくださっているみなさんに言っておきますが、人間は、死のプロセスに入りますと、それ相応の準備を始めます。それは、苦痛を無くして、順調に霊界に帰還して行けるようにと、予め人間にプログラムされた道程なのです。ところが、1分1秒でも長く生存していることをよしとする現代の医療体制が、このプログラムの自然な進行を妨害し、却って死に逝く人に苦痛を与えているのです。

 

そして、死のプロセスや、死後世界のことを何も知らない無智な人々が、この、まさに道程にある「死に逝く人」の言動を見て、それを理解できずに、譫妄(せんもう)などという言葉を与えては精神障害扱いしている有様なのです。そして、いよいよ息が途切れると、待ってましたとばかりに葬式ビジネスが動き始め、型通りに葬儀が行われ、型通りに僧侶がお経を唱え、型通りに参列者がお悔やみを述べご焼香して終わりとなるのです。

 

これのどこに、生命の尊厳があるでしょうか? 誰もが、死を出来るだけ遠ざけようとする。誰もが、出来るだけ死に向き合わないでおこうとする。そして死を、専門家と称するビジネスにアウトソーシングして、総てお任せしてしまう。己の命を‥‥。いいですか。死に向き合わないということは、生にも真剣に向き合わないということなんですよ。せっかくの機会を、人間はいったい何をやっているのか。

 

わずか半世紀前には、殆どの人が持っていた「寿命が尽きるまでは、精一杯生きさせていただこう」といった慎ましやかさはとうに失われ、今や1分1秒でも長生きすることに、誰もが血眼になっています。そして、「生命」の本当の意味というものを知らないから、傲慢な人間たちの中には、自分たちが「生命」をコントロールすることが出来ると思い始め、これを実行に移す人が出て来ました。

 

臓器移植、遺伝子操作、クローン技術、万能細胞といった先端技術が注目を浴び、夢の医療の実現といった言い方もされています。これらにスポットライトが当たるのは、そこにビジネスが絡んでいるからなのですが、このようにして、知らず知らずのうちに、人間の価値観がさらに塗り替えられて行こうとしているのです。今のこの進展状況は、アトランティス末期に起きたこととそっくりです。

 

アトランティス文明は、紀元前20万年前くらいから2万年前くらいまで続きました。最初は、Oneness を体現した生命体が住んでいたのですが(それゆえ、永く続いたのですが)、B.C.5万年ほどからアトランティス人たちにエゴが芽生え、次第に堕落し始め、科学秘術の誤用によって大地震と津波を引き起こし、遂には大陸もろとも水没してしまったのです。その元あった海域に「Atlantic Ocean(大西洋)」の名が付けられています。

 

今、世界はそれとそっくりの状況を辿りつつあります。これは、1910年頃からアメリカ合衆国を中心にしてアトランティス人の生まれ変わりが多くなり、これらの「魂」をもつ人々によって、アトランティス人のカルマの清算であるところの辿り直しが、現在進行中であるためです。それゆえ、核爆弾も、武力による世界支配も、個人主義も、グリード(強欲)も、退廃も、みなアメリカ発によって世界に広がっているのです。

 

*世界各地で大規模な水害が多発しているのは、つまるところ、このアトランティスの辿り直しが、末期の段階に入り、カルマの清算が現れ出ているということです。結局、水というのは、浄化作用ですから。

 

日本人には、古来より、循環的な生命論や、自然との調和的生き方が、代々備わっていたのですが、アメリカによる戦後70年間に及ぶ植民地支配によって、このような思想は駆逐され、世代も交代し、すっかりアメリカナイズされた価値観に置き換わってしまいました。それは、アメリカ発のアトランティスのカルマが、東へ東へと廻って、東の端の日本で最終局面を迎えるに至ったということです。

 

地球人類の「生命の成り立ちへの誤解」という面に関しては、もう一つ大きな要因があります。それは、『創世記』の第1章26節、27節にある次の文言を、西洋人が誤って解釈したことによります。西洋文明の根源にあるものは、つまるところ、旧約、新約の『聖書』なのです。

 

1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地を這うすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。

1:27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

 

『聖書』に記述されたこの文言から、二つの重大な誤解が生じました。一つは、人間は神に似せて創られたのだから、神の姿は人間に似ているはずだと、逆に捉えたのです。つまり、「神」を自分の外側に置いて、人格神のように考えたのです。西洋の物語に登場する「神」が、しばしば白い顎鬚を生やし、杖をついたお爺さんに描かれているのはその為です。

 

しかし、真実はそうではありません。ヘルメスが「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるものの如し」と言ったように、マクロコスモス(大宇宙=神)とミクロコスモス(小宇宙=人間)とは、同じホロニック構造にあるということが、その意味なのです。解りやすく言えば、共に、物質界と霊界とをブリッジする多次元的存在だということです。(う〜ん、あんまり解りやすくなかったかな)

 

もう一つの誤解は、神が、人間に「地球上の他の生命存在の支配権を与えた」という部分です。これに加えて、人間は神の似姿に創られた特別な存在なのだから、自然の王、生命の王として振舞ってもよいのだと解釈したのです。これによって、西洋人の中には、自然は人間の為に供せられるべきものだ、人間は自然に対し何をしてもよいのだ、という傲慢が生じたのです。

 

しかしこれも、マクロコスモスとミクロコスモスのホロニック構造を考えれば、それが誤解であることはすぐに解るはずです。マクロコスモスであるところの「神」は、確かに全宇宙を支配しています。しかしその「神」が、我欲のために、宇宙の生命を好き勝手にいじるでしょうか? いったい何のために? 自分が創造主なのにね。結局、西洋人たちは「支配」というものを誤って捉えているのです。

 

人間にとって、地球とは、生存を保障してくれる環境です。地球は、人間にとって、いわば揺り籠なのです。その揺り籠をメチャクチャにしてしまう赤ちゃんがどこの世界にいますか? それなのに人間は、温暖化で北極の氷が溶けたと聞けば、これで北極海の油田開発が容易になるぞ、シベリア開発も出来るぞと、さらなる生存環境破壊を考え出すのですから、もうどうしようもありません。まさに点ける薬がない。人類のカルマです。

 

結局、人類は、「生命」とは何かを知らない。そこに、富と支配への欲望がひっついて、いつまで経っても懲りない、水没まで進むカルマの連鎖を、何度も繰り返しているのです。

そこで、あなたにお願いしたいのは、あなたが先ず、この「生命」の成り立ちというものへの誤解を解いて欲しいということです。

 

「生命」とは、宇宙の全てを言うのです。全てが「生命」なのであり、それが組成を変え、バトンリレーして行くことによって、全体の永遠が成り立っているのです。あなたの「生命」を支えてくれているのは、他の「生命」です。ですから、そのことに思いを馳せ、感謝して、いつも周囲のものを、慈しんで見てください。その視線が、つまるところ「愛」なのですから。

 

「生命」と「愛」とは、同義語なのです。