by Rainbow School
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迷った時こそ、直観に従って生きる

何か迷いが生じた時に、人はその判断を自分以外の誰かにして貰いたくなります。ことに日本人は、その傾向が強いように思います。自分の考えを持たない、はっきり主張をしないということが半ば習慣づけられていて、自立性が薄いというか幼い。教育のせいなのでしょうが、人の顔色をみる、忖度する、空気を読む、出る杭は打たれるといった思想が、なにか体に染み付いてしまっていますよねぇ。

 

「和」の精神そのものは良いのですが、運用を間違えると困ったことになりかねません。声の大きい人や他者を操る力に長けた人の後を、訳も分からず一斉にドドドーッと付いて行き、押し合いへし合いで崖から転落という事態になりやすい。そうではなくて、それぞれの考えや主張をしっかりと持ちながらも、互いに学び、フレンドリーに付き合うことは可能ですし、それが本当の「和」です。

 

しかし、日本人がそうなるにはまだまだ時間が掛かりそうです。私はカウンセリングというものをしていないのですが、時に個人的な相談を持ちかけられることがあります。しかしその場合でもジャッジは決してしません。それで、相談者からはガッカリされるのですが、その人にとっていま何がいちばん大切かを考えたら、とてもじゃないけれどそんなことは出来ない。

 

目の前に相対した人の心の状態は直ぐに判ります。書かれた文章からも判る。けれども、知ったことを何でも言ってしまえばいいというわけではありません。ですから、カウンセリングというのはさじ加減が非常に難しい。自分で考えない、内観してみる習慣を持たないことに慣れた人というのは、権威筋の言ったことを丸ごと信じてしまう傾向がありますから。しかもそのことに自覚がない。でもそれを繰り返していては、「魂」の成長はありません。

 

みなさんの中には、世界の動向や、自分に関する運命というものが予め決まっているのではないかと思っておられる方がたくさんいらしゃいます。そこで、占いや予言やスピリチュアル・カウンセリングといったものが流行るわけです。確かに、今世はこういう課題を持って誕生しようと、自分で計画して来たものが各人にはあります。しかしどう生きるかは全くの自由意志によるのです。

 

何度も言って来たように、あなたの人生はあなたが「創造」しているのです。日々の思考、言葉、行動によって。予め決まっている運命を、ただなぞって生きているわけではありません。あなたという存在は、いわばあなたの彫刻作品なのです。ですから、そのことをよく自覚して、権威筋のご託宣に振り回されることなく、材料としてそれを彫刻に取り入れるかどうかを、ご自分で判断しなければなりません。

 

また、世界の運命ということについても、それらは人々の集合意識によってどうにでもなるのであって、予め決まったものではありません。今も「恐怖の予言」というものをされる霊能者がおられるのですが、その人は霊界の真実を知らないと言わざるを得ません。宇宙の総体は一つです。その一つを「神」と呼ぶならば、恐怖の予言に慄(おのの)くのも「神」ならば、実現させるのも「神」ということになってしまいます。そんなバカな話はありません。

 

高次元の霊的存在が、「恐怖の予言」を誰かに下ろすことなど、絶対にありません。あり得ません。ただし、人類の間違った行動を是正するよう警告することはあります。

 

「恐怖の予言」をすれば、それを信じた人は怯えます。すると、その人は「当たって欲しくないな」と思いながらも、そこに意識を向けてしまいます。このような、不安に駆られた意識がたくさん集まれば、さてどうなるでしょう? その集合意識が、現実というものを望み通りに「創造」する方向へと動かします。その結果、予言が的中ということになるか、ならないにしても社会に混乱が生じることになります。

 

さて、そうなって、ほくそ笑むのはいったい誰でしょうか? よくよく考えてみてください。「神」の名を語って予言する、低次元の存在だということが判りませんか? このことを、もういい加減みなさんは学習すべきです。何度も何度も同じ過ちを繰り返してはなりません。世界の動向は、全て人類の意識の動向に掛かっているのです。あなた方の意識のあり方しだいなのですよ、友よ。解りますか?

 

そこで、外からしのび寄って来る、真実ではない情報に振り回されないためにはどうしたらよいかということです。本物は、いったいどこにあるのだろう‥‥?

 

真実は我が内にあり、これです。発想の逆転。真実はあなた方の内にある。そのように、あなた方は最初から造られているのです。これぞ、まさしく神秘。神秘とは、不思議現象のことではありません。逆転こそが真実だということ。この世にあくまでこだわっているから、霊界から漏れ出て来ることが不思議に見える。でもそうじゃない。逆なんですよ。不思議など、どこにもないのです。

 

図を見てください。瞑想をしていると、時に、自分が宇宙にぽっかりと浮かんだような感覚になる場合があります。

 

これは、いつもはフル稼働させていた顕在意識が、瞑想によってグーッと縮小していき、その分だけ、普段は蓋をしていた超意識(宇宙意識)が浮かび上がって、知覚能力を回復するようになるためです。いわゆる第六感のチャンネルが開くのです。

 

さて、あなたは宇宙の中に浮かんでいます。しかしこの時、宇宙は決してあなたの外側にある別のものではなく、あなたも宇宙の一員であることが容易に自覚されるでしょう。全宇宙を構成している「霊(Spirit)」は、あなたの中にも満遍なく浸透しているということです。この宇宙という言葉を、「神」に置き換えてみてください。するとどうなるでしょうか?

 

私は神の内にいる。神は、私の内をも貫いている。この私も、神の一部なのだ。そう、私と神とは一体なのだ。この感覚に満たされます。

そして、私以外の宇宙には他者も自然も含まれるのですから、こうなります。

私と他者とは一体である。私と自然とは一体である。

ゆえに、自分が為したことは、自分に返る。

 

このような「霊(Spirit)」の広い世界の中に、振動の低い、限定された領域の物質世界(地球での生活)が存在しているのです。いま我々はそこに住んでいます。けれども、実体は多次元的存在なのであり、本当は自分が霊主体従であることを悟る、真実は霊的世界にあって、こちら側は映し絵であることに気づく、というのが「目覚め」なのです。そして、この逆転こそが「神秘」の本当の意味なのです。

 

*ここで言う「次元」は、数学的次元を指すのではなく、振動数の違いによって段階的に7つに分けた「霊性密度」のことを略して「次元」と言っています。

 

三次元世界(第三霊性密度)にあくまで留まったまま、不思議現象を追い求めることが「神秘」ではないのです。不思議体験をすることが「神秘体験」ではないのです。逆転の世界に身を置けば、不思議などどこにもないということが解る。真実は逆さまだったということに気づく。しかし、99.99パーセントの人はそんなことは思いもよらないので、これが「神秘」となっているのです。

 

しかも宗教は、意図的にこれを捻じ曲げて来ました。宗教もまた、三次元世界に留まったまま、不思議現象を追い求め、これを「神秘」と位置づけたのです。なぜなら、不思議などどこにもない、人はすべて等しく神の一員なのであり、すべての人の内に神がいると語ってしまったら、宗教が不要になってしまうからです。そのため、真実を語る者はつねに異端扱いされ、正統派の宗教から弾圧の憂き目にあって来ました。

 

いま図とともに示したことは、比喩ではありません。瞑想をすれば、それが実感され易いということを示しただけであり、普通に生活している時にも、変わらず人はみな多次元的存在なのであり、霊主体従を意識した生活を送ることが望ましいのです。しかしながら、多くの人は、あまりにも物質的な生活に埋没しており、またこのような知識も今までもたらされなかったので、なかなか目覚めることが出来ないのです。

 

ここで冒頭の話に戻りましょう。迷いが生じた時にはどうすればいいのか? 直観に従えばよいということです。直観はあなたを裏切りません。あなたの内にはつねに神がおられるし、あなた専属の高次元の存在も、いつもあなたを正しい方向へ導こうと応援してくれています。そして素晴らしいことには、各人それぞれがバラバラに直観に従っても、必ず同じ一つのものに行き着くということ。

 

これが、宇宙の法、『The Law Of One』です。

 

バラバラに「神」に触れようとしても、それは到底叶わないと考え、またそう思い込ませて、人々をある特定の教義に従うようにさせる。すると、たくさんの教義同士がぶつかって、世界はバラバラになってしまう。逆に、各人がバラバラに内なる「神」に従えば、誰かに「支配」されることなく、世界は一つのものになるのです。これも、まさに「神秘」です。

 

直観は英語で「intuition」。この語源はラテン語で、「in」は内側、「tuition」は後見人、守護者、指導といった意味(ちなみに指導教官のことを「tutor」と言います)ですから、英語の直観は、まさに「内なる守護者による指導」という意味を持っています。この指導は、高次元の私、つまりハイヤーセルフからやって来ます。

 

似たものに「inspiration」があります。これもラテン語が語源で、「in」は中へ、「spiration」の動詞である「spire」は息を吹き込むという意味です。息を吹き込むというのはどういう意味かと言いますと、土で造った人形の中に、神が息を吹き込んだことで人間が誕生した。つまり、この「息」とは生命の根源的エネルギーを指しています。そこで、息を吐くという意味の「spirit」という単語が、「精霊」の意味になったのです。

 

ですから「spi-」で始まる言葉は、みな息に関することであり、引いては霊的なことを意味するようになりました。息とソウルが同じ言葉であるというのは、ほぼ世界共通で、ヘブライ語では「ルーアハ」、アラビア語では「エル・ルーフ」、ギリシャ語では「プネウマ」、そしてラテン語では「スピリトゥス」と言います。

 

日本でも、「息」は「生き」です。いわゆる死を迎えることを「息を引き取る」と言いますが、神がいったんその人に吹き込んだ息を、今世を終え、元の状態に引き取るからそう言うのです。人を殺すことを「息の根を止める」(根っこがどこに繋がっているかを考えて)、一度死んだように見えた人間が蘇生することを「息返る」、そしてそのまま生き続けることを「息永らえる」と言いますね。

 

また粋(すい:pure)を究めんとする生き方を「イキ」、相手の強いスピリット・エネルギーを感じることを「意気に感じる」と言い、みんな息に関係しています。

 

ということで、「in-spiration」は、神がしたように、人間の中に息を(=霊的な智慧を)吹き込むという意味です。フッと息が入って来る。これは、直観とは違って、自分以外の高次元の存在、大師や天使や守護霊などがあなたに囁きかけて来たものです。そして、いま言ったことは、感度の違いはあるにせよ、全員にもたらされていることなのです。

 

ですから、これを読んでくださっているみなさんは、直感やインスピレーションの大切さをよく認識して、そのアドバイスに従って生きるようにしてください。直感やインスピレーションは、没頭して何かの作業をしている時にスッとやって来ます。「我を忘れて」と言いますが、我を忘れている時に、つまり顕在意識を絞っている時に、直感やインスピレーションのチャンネルが繋がり易くなるのです。

 

この瞬間をおろそかにしないように、その場で必ずメモを取ってください。顕在化された意識ではありませんので、放っておくと、すぐに飛んでいってしまいます。多くの人は、気のせいで片づけたり、無視したりするので、せっかくの直感やインスピレーションを活かせないのです。メモを取っておけば、その後すぐに忘れても、メモを見ればその時の感覚が再び甦ります。

 

ただし、いま言ったことを、自分を利するために活用しようとはなさらないでください。それでは三次元世界に身を置いたまま不思議現象を求めることと、何ら変わりがありません。そうではなくて、身に起こる、良いことも悪いことも、みんな良いことと思えるかどうかが鍵です。そうなってこそ本物。そうなってこそ、直感やインスピレーションに従って生きる価値があるのです。

 

それには、少々の勇気が必要かも知れません。世俗から離れて、なおかつ世俗の中で生きる覚悟が求められます。世俗心は真実を隠蔽してしまう力があります。現代人の不幸は、世俗のものが、まるで津波のようにして次から次へと押し寄せて来ることです。ことに、須磨穂教が世界中であっと言う間に信者を増やしてからは、その傾向が一段と激しくなりました。

 

しかし、気をつけてください。須磨穂の国は、あなたを麻薬のように虜にします。自分で考える力を奪い、低次元のバイブレーションにあなたを誘って、機械の奴隷にしてしまいます。須磨穂の国の熱烈な信者となって、自分を奴隷にしてしまってはなりません。

 

あなたはあなた。そのことをもう一度考え直してみてください。一日の中に、静かに内観する時間を割いて、自分は誰なのか、自分がどう生きたいかを見つめてください。静寂の中に身をおけば、直感やインスピレーションがやって来て、あなたを手助けしてくれます。そのメッセージの方が、うたかたのように流れ行く情報よりも、あなたにとってどれほど大切なことなのか。

 

あなたをいつも見守り、お応援してくれている存在の期待に、今こそあなたが応える番です。