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パワースポット

パワースポットへ出掛けて行って、運気を貰おう。世間では、このようなことを考えておられる方が多いようですね。今や、あっちでもこっちでも「パワースポット」を話題にしている人たちを見かけます。そのお気持ちは解ります。でもねぇ、その「パワースポット」信仰、間違ってやしませんか? さる神社関係者がこぼしていましたよ。最近は「パワースポット」巡りだけをして、本殿にお参りしないで帰る人が大勢いるって。

 

生命エネルギーが、キラキラと光り輝くように充満している、特殊な場というものはあります。それをもし「パワースポット(power spot)」と呼ぶならば、地上に「パワースポット」というものは存在します。でもそれは、多くの人が考えているようなものとは違うのです。そこは、「場(field)」なのであって、「場所(place)」ではないのです。この違いが、解りますか?

 

実際のところ、「パワースポット」とは何なのでしょうか? どうして、そのような「場」が地上に顕現するのでしょうか? その答えを知るには、先ず「宇宙とは何か?」という問いに立ち戻らなければなりません。

 

宇宙とは何か? 神秘学ではこれを三つの観点から解きます。宇宙とは法である。宇宙とは愛である。宇宙とは生命である。この三つの言い方は、一見、関連がないように見えて、どれもが正しいのです。法・愛・生命は、すべて一つのものから発した別々の機能であり、三位一体を構成しているのです。ですから、このように言うことも出来ます。

 

法は一つである。一つが法である。

愛は一つである。一つが愛である。

生命は一つである。一つが生命である。

 

一般的に「パワースポット」というのは、このうちの生命力が充満している場を指して、みなさんがそう呼んでいるわけです。でも、三位一体を考えた時、当然ながら、そこは同時に、法の場、愛の場ともなっているということに注目してください。言い換えれば、法の場、愛の場でないところが、「パワースポット」であり続けられるはずがないということです。

 

なぜ、ある特定の場が「パワースポット」になり得るのでしょうか。宇宙は、一者である創造主の被造物なわけですから、本来であれば、すべての場が「パワースポット」であるはずです。実際、そのような考えから、すべてのものに神性が宿るというアニミズム(animism)が生まれました。ですから、この素朴な考え方は、論理的に言っても決して間違ってはいません。アニミズムこそが、実は本当の一神教なのです。

 

問題は、良くも悪くも人間にありました。人間の想念は目に見えないエネルギー体であり、「波動の法則」によって、同種の波長(振動数)は引き付け合い、共鳴して強くなるという性質を持っています。ある場所が「パワースポット」になったのは、自然が造形した場に宿る精妙な波動に、古代の人々が「神」を感じて同調し、祈りと感謝を捧げることによって、その場のエネルギーがより増幅されていったからなのです。

 

そのようにして、清らかな波動が強まったことによって、天使や妖精がその場に降臨するようになり、そこが「パワースポット」となって行ったのです。ところが今はどうでしょう? 誰かが「ここはパワースポットだよ」とネットで紹介すると、ワッと人が集まります。その人たちは、いったい何を求めて来るのでしょうか? 古代人と同じく、自然に対する感謝の念と祈りを捧げるためでしょうか?

 

いいえ、そうではありません。誰もが、パワーと幸運を頂こうと、目を皿のようにしてやって来ては、騒音をまき散らし、帰りにはご丁寧にもゴミをポイ捨てして去って行く。こんな場所に、天使や妖精がずーっと居続けると、あなたは本当に思いますか? その「欲しい、欲しい」というエゴが、何百、何千、何万層にも積み重なって、今や名だたる「パワースポット」は、別の意味の「パワースポット」になっています。

 

ですから、波動が解る人というのは「パワースポット」にはおいそれとは近づきません。気分や体調がすぐに悪くなるし、思わぬお土産を拾って帰るはめになりかねないからです。同様に、どことは申し上げませんが、霊験あらたかと言われる宗教寺院や教会も、「欲しい、欲しい」というおねだり信仰の人々の念を集めて、汚れ切っているところがほとんどです。

 

なにゆえ、人々は有名な場所を求めて殺到するのでしょうか? なにゆえ、宗教者はその気持ちを利用して一儲けを企むのでしょうか? エゴにエゴが呼応し、エゴの「パワースポット」が、まるで雪だるまのように各地で膨らんでいます。

 

本当の「パワースポット」は、静謐な中にしか生じません。こんな経験はないでしょうか? 誰もいない静かな場に、ひとり佇んでいた時、涼やかな風らしきものがスッと通り過ぎたように感じた瞬間。それです。

 

「パワースポット」というのは、人間の念が創るのですよ。「場所」ではないのです。人間の念が創る「場」なのです。だったら、なぜ、ご自分を「パワースポット」になさらないのですか? 以前に言ったでしょう。あなたの身体は、モバイル神殿なんですよと。あなたの体が、神を祀る宮なんですよと。実に簡単なことです。よいですか、それをピカピカに磨いておれば、そこが「パワースポット」になるのですよ。

 

どこにでも持ち運べて、いつもあたなと共にある「パワースポット」。こんなに便利で、ありがたいものはないではありませんか。それだけじゃありませんよ。あなたが「パワースポット」になれば、あなたの周囲に集う人たちをも癒し、生きるパワーを与えてあげることも出来るんですよ。ですからね、もう「おねだり信仰」は金輪際やめなさい。どこかから、何かを貰おうとするのをやめなさい。

 

何度も言ったでしょう? 「愛の法則」のことを。「刈り取りの法則」のことを。自分が与えたものを自分が受け取るのです。おねだりをすれば、おねだりが返って来ます。「愛の法則」の第一歩は、与えることです。与えれば、与えられます。ですから、あなた自身が、「パワースポット」になりなさい。法に生き、愛に生き、生命を敬うことによって。完全なる奉仕の人になることによって。

 

そうすれば、あなたの住まい、あなたの職場、あなたが行くところ、すべてが光り輝く「パワースポット」になります。そのことを、ご自分を通じて証明してみせなさい。やがて、あなたに共鳴する人が顕れ、小さなグループが出来上がることでしょう。その人たちと助け合いなさい。そして、その共鳴のエネルギーを増幅して、さらに周囲に光として放つのです。

 

顔は天に向け、足は大地にしっかりと着ける。そのようにして、エネルギーを天地に循環させなさい。そうやって、太陽を仰ぎ、川のせせらぎを聴き、風を感じ、心をピュアにした時、あなたの「魂」は古代人と通い合い同じものになる。その時に生まれる場、それが真の「パワースポット」なのです。天使や妖精たちは、舞い降りる場をいつも求めていますよ。