by Rainbow School
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LGBTとレインボーフラッグ

LGBTというのは、Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender の頭文字をとった用語です。10年ほど前からこの言葉が徐々に浸透し始め、今日では、性的マイノリティの代名詞のようにして使われるようになりました。でも私は、このマイノリティという考え方は好きではありません。マイノリティなど、この世にはいないと思っています。あるのは個性だけだと思っておりますから。


さて、このLGBTのシンボルがレインボーカラーなのをご存知ですか? アピール行進の時には、たくさんの人が虹色のフラッグを掲げたり、虹色のTシャツを着ているのを見ます。なぜレインボーフラッグがLGBTのシンボルになっているかと言いますと「いろんな色があるよ」ということで、個性というものを強調しているのです。そしてこれは、「虹の学校」の理念と全く一緒なのですね。

 

ご存知のように、虹色は、白色光がプリズム効果によって波長の長短別に色分解された際に得られます。雨後の空に虹の架け橋が見られるのは、空気中の水滴内に光が入り、その反射光が波長の屈折率の違いによって虹色に姿を表すのです。「虹の学校」という名は、分解されたこの様々な色が集まることによって、元の白色光に還る、という意味合いを持っています。その「光への道」を歩む学習を、互いの個性を補い合いながら、共にここでして行こうというわけです。

 

LGBTの方たちは、これまで、何かと肩身の狭い思いを経験されて来たことと思います。けれども、「虹の学校」はみなさんを歓迎します。それは、理念が同じということもありますが、それだけではありません。今日は、「愛」のかたちの多様性ということに関して、一般にはあまり言われていない、霊的世界からの話、「魂」の世界からの話をすることにいたしましょう。

 

先ず最初に申し上げたいのは、相手を傷つけたりすることでない限り、どんな性的な愛し方も、あり方も自由だということです。あなたには、恋愛に関して、宇宙から自由意志が与えられています。ところが、この点をめぐって、最も強いタブー的視線を投げ掛けるのが、他ならぬ「神」を扱っている筈の宗教なのです。しかしそれらは、歪んだ宗教的なドグマに過ぎません。この一点を見ただけでも、宗教というものが、いかに人間を抑圧して来たかが分かります。

 

また、LGBTに関連づけて、男女が結婚しないと子どもが生まれないとか、このまま少子化が続けば国力が衰退するといったことを言う人もいるのですが、人間は、子ども製造マシンではありません。また、労働ロボットでもありません。しかもこれらの発言は、その立場にいる人たちによるご都合主義なのです。子どもが生まれないのは、希望のない社会だからですし、地球環境と、人類にとっての大問題の一つは、以前から言われて来たように人口爆発です。

 

いま上げた二つの問題視視点は、どちらもLGBTというものを表面的にしか捉えていません。しかし、奥にはもっと普遍的な課題があるのです。その課題が解れば、LGBTというものが、単に個性に過ぎないということが解ります。そして、もっと奥には、すべての人間に共通した「愛」の学習という大テーマがあるということも解って行くでしょう。

 

次に言うことは、LGBTを嫌悪する人たちにとっては、トンデモ話に聞こえるかも知れません。しかし、これが人間の本質なのです。人間とは、輪廻転生するものなのです。その人の本体は、あくまで「霊魂」にあり、肉体は、転生のたびに着替えるドレスのようなものです。このドレスは、次にどの両親を選ぶか、どういう境涯を選ぶかを含めて、中間生(霊界)にある間に、前世のカルマを考慮した上で、指導霊と相談しながら、自分で決めて誕生して来るのです。

 

ですから、その中にはジェンダー(性別)の選択も含まれています。霊的な完成とは、男性性も女性性も充分に体験し尽くした先にあるのです。そうすることによって、両方の性が解り、一つの「霊魂」のバランス、中庸が図られて行くのです。ですから、過去世の体験から、どんな男性にも女性っぽい面はありますし、どんな女性にも男性っぽい面があります。そして、今世で選んだ性別については、普通は、しぶしぶであっても受け入れて行くのです。

 

ところが、こういう場合はどうでしょう。ずーっと男、男、男で生きて来て、今度こそは女性も経験しなくちゃなと、一大決心して生まれて来たものの、いざ生まれてみると、どうもドレス(身体)の感じがしっくり来ない。あるいは、その逆パターン。こんな場合には、その人は自分のジェンダーに強い違和感を持つかも知れません。また、前世でもレズビアンやゲイだった人の中には、今世でもそれを継続したいと思う人がいるかも知れません。

 

いずれにしても、そこには過去世から引き継いだ原因があるのであり、LGBTの方たちは、そこを掘り下げて考えてみることが大切です。必ず、今世での大切な学びがあるはずです。ただしその時、今のご自分を否定なさらないでください。いろんな道があるのです。最後の最後は、どんな「霊魂」も中庸に行き着くのです。だとすれば、最初から真ん中付近を行く道があってもよいわけですね。

 

LGBTの方たちの中には、芸術面や美的センスにおいて、特異な才能を発揮される方が多くいらっしゃいます。これはなぜかと言いますと、普通の人よりも、それだけ宇宙的感覚が解るということなのです。地上的な男女別を超えているので、宇宙感覚(全部は一つ)により近いのです。だから、芸術的センスがあるのです。もしかしたら、それを伝えるのが、その人の使命なのかも知れません。

 

さて次に、人間としての普遍的な課題です。ノン気(ストレート)の人たちは、LGBTの人たちを見る際には、どうしても性愛の面ばかりに注目してしまいがちです。そして、違和感を持たれるでしょう。しかし、ノーマルと言われている人も、身体的な愛情表現のみを「愛」と言っているわけではないことに気づいていただきたいのです。つまり、その先にあるものは、LGBTの人たちもそうでない人たちも、何ら変わりがないのです。

 

「愛」にも、大きく三段階があるのです。性愛、情愛、そして真の愛です。これは、人間というものが、霊・魂・体の三層で成り立っている多次元的な存在であることから、それぞれに対応した「愛」のかたちというものがあるのです。

 

図を見てください。肉体的な愛が「性愛」、魂的な愛が「情愛」、そして霊的な愛が「(真の)愛」です。以前にも書きましたが、古代ギリシャではこれを明確に区別していて、それぞれエロス、フィリア、アガペーと名づけていました。

 

(図の補足説明:地上世界(3次元)では、人間は霊・魂・体を同時に有する多次元的存在として生きている。しかし、霊・魂を意識していない人は、体を持つ自分のみが自分だと思い込んでしまっている。けれども、魂の意識や、霊性が向上していけば、地上にあっても、その人は、霊・魂・体それぞれに応じた「愛」の認識に至れるのである。)

 

若い男女が出会って結婚したとしましょう。最初は「性愛」に大いに興味があって、この経験を重ねて行くでしょう。そのうちに子どもが生まれて家族が出来ると、今度は「情愛」がしだいに深まって行くでしょう。そしてもっと歳を取って、子どもが独立してしまうと、しだいに博愛的なものが芽生えて来て、遂には自然の何にでも愛おしさを感じるという「真の愛」の心境にまで達するでしょう。

 

もちろん、そうならない人もいます。というか、残念なことに、そうならないで一生を終わる人の方が圧倒的に多いです。だからこそ、そこに「愛」の学習が隠されているのですね。最初は、「性愛」の関係だけだったかも知れないけれども、しだいに「情愛」が芽生え、遂にはそこから「情」が取れて「愛」だけになる。「真愛」という言い方はあまりしませんが、これがさらに進むと、「真愛」が「神愛」と合体してしまうのです。これが「愛」の最終ゴールです。

 

ということで、フィリアからアガペー段階への「愛」の学習については、ストレートの人も、LGBTの人たちも、何ら変わりがないわけです。ただちょっと違うのは、最初のエロス段階だけ。霊的世界から見れば、地上でしか経験できないエロス体験も十分にした上で、さらにフィリア、アガペーへと昇華して行くことが最も重要なことなのです。何度も言うように、あの世に持って行くのは、また持って行かされるのは、その人がした経験に伴う心情と理解だけなのですから。

 

みなさん方は、学校で、アリストテレスやプラトンやピュタゴラスらの古代ギリシャの賢人たちを「哲学者」と習われたと思います。ですが、これは誤りです。彼ら賢人たちは哲学者ではなく、あの時代の「メッセンジャー」でした。賢人たちは、秘教学校を作って、「宇宙の真理」を弟子たちに教えていたのです。けれども、後の時代になって、その奥義を理解できない人たちが、「ギリシャ哲学」の名称で括ってしまったのです。

 

ですから、そこで説かれていたことは、現代に合わない、古臭い、カビの生えた理論なのではなく、時を超えた、宇宙の普遍的真理であることを知っていただきたいと思います。「性愛」を伴わない精神的な恋愛を「プラトニック・ラブ」と言っていますが、これも誤解です。「Platonic love」とは、「プラトン的愛」という意味。つまりは、エロス(体)、フィリア(魂)、アガペー(霊)へと昇華して行く「愛」のことです。これを、プラトンが正しく説いたのです。

 

さて、これまで言ったことが解れば、LGBTの方たちを指して、宗教的倫理に照らしてどうとか、人口減少がどうとかといった問題視発言を行うことが、まったくうわべしか見ていないということが解ったでしょう。誰かが誰かを裁く、などということがあってはなりません。神は誰も裁きません。全員に、等しく、自由意志が与えられているのです。その自由意志を、どう使うかはあなたしだい。

 

多様な「愛」のかたちがあることを先ず認めて、そして、ご自分の「愛」の機会を通じて、各人が各様のエロス、フィリア、アガペーを経験、学習して行けば良いのです。その先に、虹色の個性が集まって、白色光となって輝く、全き「愛」の理想世界があることを信じ、思い描いて、どの人も、今日一日を元気よく生きていただけたらなと願っています。