by Rainbow School
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光への道に、早道はあっても近道はない

「光への道」とは、人が、霊的完成へと至る道のことです。霊的完成が解りにくければ、人間完成への道と言い換えてもよいでしょう。人間、誰もが霊的存在なのですから、結局は同じことです。人は、それを意識するしないに関わらず、すべての「魂」が「光への道」を歩んでいるのです。

 

「光」は、「魂」が目指す最終ゴール。人は、何度も輪廻転生を繰り返しては、ちょっとずつ成長し、そこを目指すのです。「解脱」とか「覚り」というのは、その過程で通過する一つの段階。ニルヴァーナ(涅槃)は、そこに至った際に味わう感覚世界です。そして、ここに至るプロセスを強調したものが、老子が説くところの「Tao(道)」です。

 

このように、宗教は、どれもが基本的には「光への道」を案内しようとするものだったのです。けれども、組織化する中で、しだいに人間のエゴが膨らみ、全体像を見失う中で一部分だけをとらえた教義に固執し、ついには我のみが正しいという、歪んだ主張を互いにするようになって行ったのです。

 

あなた方の社会は、古い寓話や古い教えを過大評価する傾向があります。これだけの長期間、言い伝えられて来たのだから、きっと意味があるのだろうと思うのです。しかし、古さと真理とはイコールではありません。霊的世界には時間がありません。無時間かつ永遠です。ですから、どの時代にあっても真理への扉は開かれています。そしてそれは、不変かつ不偏かつ普遍なのです。

 

考えてみてください。いついかなる時代にあっても、どんな肌の色であっても、どんな民族でも、どんな言語でも、またそれを信じようが信じまいが、変わらず通用する法則こそが、「真理」の筈ではありませんか? 我が教えだけが正しくて、他はみんな邪宗、邪教。我が教えを信じる者だけが救われて、不信心者はみな地獄行き。そんなものが「真理」である筈がないではありませんか。

 

なぜ「光」なのかと言いますと、目指す先にあるものを、「光」として知覚するからです。しかしこれは、眼で見る「光」とは違います。こういった経験がありませんか? 眼を閉じていたのに瞬間的に眩い「光」が見えた。眠っている時に夢で「光」を見た。これらはみな、眼球という感覚器を経ずに知覚した「光」です。このように、五感を超えた感覚器(第六感)が、“あるもの” を「光」として感じるのです。

 

この “あるもの” は、中心太陽とか、Essenceとか、根源などと呼ばれています。しかし、みなさんに馴染みの言葉を使えば、それは「神」です。「神」を光として感じるのです。個々の「魂」は、「神」から別れて、地上世界を含む様々な旅を経験し、最後の最後にはまた「神」の許へと帰ります。こうして「魂」は「光」と合体し、それ自身が「光」となるのです。

 

*アマテラス(天照大神)というのは、その意味

 

さて、この「光への道」が、人生の本質だと解る(それも頭で解るのはなく、心身の隅々まで浸透し、完全に一体となってしまう境地に至る)までにはたいへんな時間が掛かります。しかも、そこに至るまでには、二つの大きなハードルを乗り越えなくてはならないのです。最初のハードルが「低級我の放棄」、そして二つめのハードルが「カルマの受容」です。

 

「低級我」というのは、いわゆるエゴのことで、地位や名声や金品を欲する気持ち、また他者を支配したり傷つけたり馬鹿にしたりする気持ちを起こす我(われ)です。これは、根源から離れて、「魂」が個別化した際に獲得した、意思と行動の自由を、先ずそのように使い出したということであり、霊性の発達段階では未だ幼稚園児の段階にあります。

 

しかし、あなた方の社会は、このエゴをベースに動いており、ほとんどあらゆるシーンにおいて、エゴを刺激し、揺り動かし、これを集めることに、実に多くの人たちが心血を注いでいます。そして、政治の世界でも、経済の世界でも、より強いエゴを発揮する人が、各分野の頂点に立つような仕組みを創り出し、これを肯定して憚りません。

 

人間は、本来的に悪人というわけではなく、すべての「魂」の奥には、例外なく「根源」の意識を宿しています。けれども、一握りの極めて強いエゴを持つ人々が、政治、経済、金融、マスコミ、教育、医療などの各分野の頂点に君臨し、世の中を支配しているので、一般の人々はその価値観の中に否応なく巻き込まれて、自分を見失っているのです。

 

視点を宇宙に移して地球を眺めれば、それは、人類の奴隷化、家畜化への道に他ならないのですが、支配者の巧妙な策によって、その企みに気づくことなく、人々は自ら進んで奴隷化、家畜化への道を歩んでいるのです。そして、その状況にどうにも耐えられなくなった「魂」たちが、いわゆる心の病に罹ったり、自暴自棄になったり、自殺したりしているのです。

 

これは「地球のカルマ」と言ってよく、このために、あなた方地球人は、一面では進化しながらも、それを霊性の向上に振り向けることが出来ず、同じ過ちを何度も何度も繰り返しているのです。しかし、今度という今度こそは正念場です。今の世の中がメチャクチャに見えるのは、隠されていた闇、見過ごされて来た矛盾が光に照らされ、吹き出しているからに他なりません。

 

あなた方は、この全体の構造をしっかりと把握しなくてはいけません。どんなことにも原因があります。いま起きていることの、目の前の些事にばかり囚われてはなりません。そんなものは所詮うたかた。消えていく泡沫。それらは、支配者のめくらましです。視点を宇宙に置きなさい。宇宙から地球を眺めてみれば、事の裏の、裏の裏の、その奥の、そのまた奥の因が解るから。

 

何度も言ったでしょう。自ら進んで騙される人がいるから、騙す人が君臨できるのです。どうして、そんな人間を信奉するのでしょう? どうして、わざわざ低い霊性に近づき、自分の中に在る「根源」を欺くのでしょう? われわれには理解できません。なぜ、自分を信頼しないのですか? なぜ、自分の内なる「神」の声に耳を傾けようとはしないのですか?

 

「地球のカルマ」に振り回され続けるのは、もういいかげんに止める時です。そのためには、先ず気づいた人から、このレールを降りるのです。視点を宇宙に上げなさい。不安と混乱の中で、われを忘れて、ちょこまかと忙しく動き回っている人々の姿が見えませんか? 地球人というのは、なんと馬鹿げたシステムを創り出し、その中で右往左往していることでしょう?

 

この「地球のカルマ」というのは、個々人のカルマや、土地々々に染み付いたカルマの集合体なのです。ですから、レールから降りる人が増えれば(つまり、霊的次元にまで遡るこの因果の構造に気がつき、素朴な生き方に回帰する人が増えれば)、「地球のカルマ」も変わるのです。そこに希望を見出してください。

 

「カルマ」というものは、宇宙の法則ですから、誰もそれから逃れることは出来ません。しかし、恐れる必要はありません。自分が蒔いた種は自分が刈る。ただそれだけのことです。善い種を蒔けば、善い実りを得て、悪い種を蒔けば、それ相応の償いをすることになる。このことで、宇宙を支配している因果の法則が解り、霊的成長の機会となるのです。

 

みなさんが誤解している言葉に「浄化」というものがあります。「浄化」とは「カルマ」を受けることなのです。払うことではありません。受けることで「浄化」するのです。ですから、よくカルマを取ってあげるとか、払い清めてあげるとか、守護霊を授けてあげるとか、チャクラを開いてあげるといったことを言う人がいるのですが、そんな芸当は誰にも出来ません。

 

すべては、自分が体験することによってのみ、掴んでいくのです。だってそうでしょう。自分が体験しなければ、自分の学びにならないじゃないですか。けれども、多くの人がそれを避けようとする。悪事を働いても言い逃れをしたり、カルマを誰かに取って貰おうとしたり、ありがたい何かを授けて貰おうとしたり、いつも近道を行こうとする。

 

でもね、はっきり申し上げて、「光への道」に近道などありません。自分が蒔いた種は、自分が刈り取って進む以外にないのです。それが「神」の愛というものです。全き公平なる愛です。この意味が解りますか? 宇宙にえこひいきはないんですよ。授けて貰わなくたって、守護霊はちゃんと最初から全員についています。その守護霊さえも、えこひいきはしませんよ。なぜって、それが愛だから。

 

「光への道」に、近道はないのです。でも早道はある。早道とは何でしょうか? 「カルマ」を一つ一つきちんと受けていくことです。それが早道になる。だから、「カルマ」を受けることが「浄化」なんですよ。それなのに、「カルマ」を恐れたり、逃れようとしたり、無視したりして、自分が蒔いた種の意味に気づこうとしなかったら、どうなるでしょうか?

 

ゴールはますます遠くなります。近道を行こうとすればするほど、「カルマ」は積み増しされ、まるで雪だるまのように膨れ、その重さでヨッチラヨッチラ、近道どころか逆に遅道になってしまうのですよ。そしていつかは、その重い「カルマ」を一気に清算しなければならない時が来ます。

 

バブル崩壊とは何ですか? 欲得に駆られた人が、そのエゴを雪だるまのように膨らませてしまったから、いちどきに清算しなければならない瞬間が訪れるということでしょう? 毎日毎日、つましく少額を清算していれば、バブル崩壊などあり得ないわけです。

 

これと同じで、あなたが日々の生活を、自分のエゴに気づきながら、そのつど修正し、そして来た「カルマ」清算の機会はしっかりと受け止め、背後にある意味を考え納得し、それにめげることなく、素直に、正直に、朗らかに、親切に過ごしていけば、それがいちばんの早道なのです。「真の聖者は、素朴に生きる人の中にいる」と言われるゆえんです。

 

近道はみちくさの道。倦まず弛まずコツコツと行くのが、結局は早道なのです。