by Rainbow School
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正直に生きるということ

今の国会で行われていることを見ていると、つくづく、これが人間なんだなと思わされます。「地球人は、霊的レベルからみれば、未だ小学校入学の域にも達していない」。これは、霊界のマスターたちがしばしば漏らす嘆き節です。ですから、今の国会を、大人たちがやっていることではなくて、幼稚園内での出来事だと思えば、この尋常ではないドタバタ劇も理解ができます。

 

どの人が嘘をついているかなど、ピュアな視線で見れば、誰にでも直ぐに分かること。ところが、嘘が見逃されるどころか、嘘がバレているというのに、嘘に嘘を重ねることが是認されてしまうという異常さです。駄々っ子のグループにくっついていけば飴玉が貰え、逆らったらイジメられる。みなさんは、これを園児としてではなくて、保母さん保父さんの視点に立って見てくださいよ。

 

何度も言って来ましたが、騙す人と騙される人は、持ちつ持たれつの関係です。騙される人がもしも一人もいなければ、詐欺師という商売は成り立ちません。人が詐欺の被害に遭ってしまうのは、詐欺師が繰り出す甘言に、心惹かれる部分があるからです。つまりは、自分の中に眠るエゴが刺激され活性化されるからこそ、そこに同調というものが起こり、持ちつ持たれつの関係が成立するのです。

 

今の国会を見て驚くのは、嘘を是認してしまう人の、あまりの多さ。この人たちは「嘘をつく」ことの過ちよりも、もっと大切なものがあると考えているのです。「正直である」ということを、単に方便のようなものとしか捉えていません。「正直」は単なるポーズでしかありませんから、「真摯に受け止め」とか「丁寧に説明する」とかの紋切り型の「嘘」を、平気でまた言えるのですね。

 

あなた方の殆どは、「嘘をつく」ということを、もっぱら他者に対しての作為として捉えています。けれども、霊的世界から見た場合はそうではありません。霊的世界から見た場合、その人の生き方として最もしてはいけないことは、「自分に嘘をつく」ことなのです。何より、これが最悪。そして、その怖さというものを、殆どの人が知りません。ですから、嘘に嘘を重ねて、自分を裏切り続けても平気でいられるのです。

 

多くの場合、「自分に嘘をつく」ことは、「他者に嘘をつく」ことと同時に行われています。しかし、他者についた嘘の場合には、他者の誰かがその嘘を見抜いたり、無視したりすれば、嘘は暴かれてしまって成立しません。ところが、自分についた嘘はそういうわけにはいかない。この嘘を暴く方法は一つしかないのです。それは、自分自身で暴くこと。つまり懺悔することです。

 

これが、未だ幼稚園の域にいる人には出来ない。「嘘をつきました。ごめんなさい」この一言が言えない。こんな簡単なことが、今の霊的レベルの人間には難しいのです。一度ついた嘘がバレるのが(それこそ自殺することよりも)怖い。そこで、嘘に嘘を重ねて雪だるまのようにして自分を保護しようとする。でもそれは、自分を自分で縛り付ける手枷足枷になってしまっているということに、本人は全く気がついていないのです。

 

この人は嘘をついている。大抵の人なら誰でも判ります。ところが有識者の中にも国民の中にも、これを是認してしまう人たちが大勢います。なぜでしょう? この人たちもまた「嘘をつく」よりも大切なことがある、との信念を持っているのです。それは、今の内閣が打ち出している、特定の国や集団に対する敵視政策です。これが、同じように、誰かを敵視し、貶めたいと願っている人々の感情面に火を点けて、燃え上がらせているのです。

 

つまり、その部分で、波長がぴったりと合っている。ですが、霊的に見てこれほど低いレベルの生き方はありません。人が、この物質世界に生まれて来た目的は、「分離」を超えた「融合」を再体験するためである、と繰り返し語って来ました。けれども、そのスタートラインにすら着けない人たちがいるのです。分離、敵視、闘争という感覚から、いつまでも脱け出ることが出来ない。

 

そして、最も倫理道徳観の薄い者が道徳教育の必要性を叫び、私利私欲で国を私物化しようとしている者たちが愛国を叫んでいる。ここまで来ると、もうジョークとしか思えません。ですから、倫理道徳も、愛国も、正義も、無用だと何度も言ってきたのです。そんなものは、為政者の道具に都合よく使われてしまうだけ。問題は、霊性にあるのです。霊性が高くなれば、そのような縛りは自ずと不必要になるのです。

 

「お前らは敵だ、圧力を掛けるんだ」と隣国に言い続ける。ですが、考えてみてください。そこにも同じ人間が暮らしているんですよ。「敵だ」「圧力だ」とずっと言われ続けた側は、そう言われてどう思うでしょうか? 「このヤロー」と思うのではありませんか。そこに同じ人がいるという想像力もなければ、相手の心理も考えていない。カルマの法則も、生まれ変わりの法則も知らない。全くの無知蒙昧。まさにマスターが嘆く幼稚園レベルです。

 

宇宙の法則は、究極的には次の一言しかありません。「全部が一つ、一つが全部」。何かに迷ったら、いつでもこの原点に返りなさい。そこに答えがあります。全部が一つなのですから、誰かを傷つけることは、自分を傷つけることです。誰かを貶めることは、自分を貶めることです。誰かを敵視することは、自分を敵視することです。そんなことが、人間たちには、なせそれほどまでに楽しいのですか?

 

ここで、これを読んで下さっているみなさんには、やさしい保母さん保父さんの視点に立ってみて欲しいのです。攻撃的にふるまう人たちを、攻撃によってやっつけようとしてはなりません。攻撃を反撃によって制圧できると思っているのは、あなた方に根強く浸透した幻想です。それでは、あなたも同じ土俵の上に落ちることになってしまいます。そうして、またしてもカルマが巡るのです。

 

いつもいつも闘争に身を置いている人の「魂」は、何年経っても成長が見られません。特定のセクトに先ず身を置き、その立場からものを語るクセをお辞めなさい。それは、真のあなた自身を捨てること。自分で自分を騙し続けていくことです。土俵を上から眺めて、保母さん保父さんになりなさい。未だ気づけない、幼いAくん、Bくん、Cくんらに、あなたならどういう声をかけてあげますか? どんな愛を示してあげられますか?

 

あなた方の意識は、一つの層だけで成り立っているのではありません。「心」が創る意識の奥には、「魂」の意識があります。この「魂」の意識は、さらに奥の部分で大宇宙(つまり神)と繋がっているのです。よく「神はすべてお見通しだ」と言うでしょう。それは本当です。あなたの思考も行動も、全部神は知っている。なぜ、お見通しなのかが、解りますか? 他ならぬ、あなたが「神」だからなのですよ。

 

「神」が、あなたの中に鎮座しているから。だから、あなたがしたことは、自動的に、すべてお見通しとなるのです。ですから、なんぴとも「神」を騙すことは出来ません。不可能です。それなのに、愚かな人間は、本当の自分である「魂」の声を無視して、「心」が創るエゴによって、自分の「魂」を騙そうとします。騙すことが出来ていると思い込んでいます。そうやって、自分に「嘘」をつくのです。

 

でもこれが、どんな結果になるかを、その人は知りません。あなたの左足が左へ行きたいと思っているのに、右足が右へ行けばどうなりますか? 股が裂けてしまうでしょう。自分に「嘘」をつくということは、日々、自分に股裂きの刑を課していることと同じです。それを、身体が、脳が、細胞が、苦痛として感じないわけはありません。顔つきも、どんどん悪人顏になっていってしまいます。

 

反対に、「魂」の意識と、「心」の意識がピタッと揃った時にだけ、人はピュアになり、大霊が流れ込むので「幸福」をしみじみと実感できるのです。そうすれば、顔つきも自ずと穏やかなものになり、周囲に明るい雰囲気をもたらすようになります。それが、正直に生きるということの本当の意味であり、意義です。

 

宇宙に罰はありません。罰のように思えることも、みんな、あなたがあなたに課していることなのです。そのことを知りなさい。自分が蒔いた種は自分が刈る。これは、冷徹な法則です。例外はありません。だとすれば、よい種を蒔いてみてはどうでしょうか。よい種から、よい花を咲かせてみてはどうでしょうか。

 

このあなたも、あのあなたも、みなが、かけがえのない種を持っているのですよ。なぜって、そのように創られたのだから。その種を、陽の当たるところに置きなさい。なぜ、わざわざ、陽の当たらない影の世界に身を置こうとするのですか? まるで成長のない、エゴでまみれた世界に、なぜいつまでも夢中になるのですか?

 

今の世界を、反面教師にしなさい。ダークな世界が発する誘惑には決して屈しないように。ご自分を信じなさい。自己の「魂」の成長を目指しなさい。力強く、そして限りなく。

 

あなたは生きている。今この瞬間をまごうことなく生きている。わたしと共に。