by Rainbow School
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誠実さを、どこまでも

還暦をとうに過ぎ、今までの人生を振り返ってみると、なんとまぁ自分は「ちゃぶ台返し」ばかり繰り返して来たんだと、半ば呆れます。カッとなると制止が効かず、一瞬にして、それまで築いたものを何もかもぶち壊して来ました。やけのやんぱちです。おかげで「成功」といったこととは無縁で、そのつど立場を悪くしては孤立し、地を這うような生活を送って来ました。

 

はて、どんなことが原因で、そんな「ちゃぶ台返し」ばかりして来たのかと改めて振り返ってみると、そこに共通項があったことに気がつきました。誠意でやったことを仇で返された時、理不尽さを強いられた時に、やけのやんぱちが爆発していました。自分にはそれらが耐えられませんでした。立場が悪くなるということは解っていても、「もう嫌だぁ!」と思う衝動がそれを上回ったのです。

 

そこで、ついクイっと「ちゃぶ台返し」をやってしまう。でも「ちゃぶ台返し」をやったら、その人は間違いなく今の立場を失いますね。ですから、人が保身に走るという心境はよ〜く解る。けれども「保身」には「おしん」が必要で、自分には、その手の「おしん(辛抱)」は出来ませんでした。誠実でありたい、正直でありたい、純粋でありたいは、子どもの頃からの、自分の理想だったのです。

 

しかしそれは、世の中的には殆ど通用しない。通用しないどころか、誠実さを仇で返される、正直さを誤解される、純粋さを罵倒されることもしばしばです。でも、それは仕方のないこと。世の中の中心が、エゴを主体に動いていますから。エゴの眼鏡を掛け慣れた人には、誠実さ、正直さ、純粋さというものは見えません。きっと裏に何かがあると、勝手に想像(創造)して、自分のエゴと同質のものを相手に見出してしまうのです。

 

最もひどいのが政界。誠実さ、正直さ、純粋さとはおよそ無縁。そして、政界に負けず劣らずひどいのがスピリチュアル業界(?)。エゴまみれの魑魅魍魎が跋扈し、人々を騙し、欺き、奪い、金と権力の亡者となり、派閥を作っては闘争を繰り広げ、誠実、正直、純粋であろうとする者たちをみな木っ端微塵に打ち砕いてしまう。それを「聖なる」という枕詞のもとに行うのですから、一般社会よりもずっとタチが悪いですね。

 

私も、あること無いこと陰口をきかれ、どれほど罵倒されて来たことか。こんな世の中なら、「いっそもう死んでやれ!」と何度思ったことか。(その時分には、まだ「死んでも、死なない」ということを知らなかったんですけどネ。)自分には、「罵倒観音(馬頭観音をシャレたつもりなんですけどネ)」が憑いているのかと思ったくらいですよ。昨年は、幸い罵倒されることなく過ぎましたが、でも二度ほどチト悲しい思いはしました。

 

しかし、随分後になって、自分のこの不運は、不運だと思う気持ちは、自分の「純粋さ」がまだまだ足りないせいだと考えるようになりました。昔から、物欲、金銭欲、名誉欲といったものにはほとんど関心がありませんでした。ですから、そういうものがあるということがとても不思議に思えます。でも、自分を「認めてもらいたい」という気持ち(認知欲求)は、強くありました。

 

ところが、どこへ行っても認められません。自分を理解してくれる人がいない。この事実は、私をひどく落胆させました。やがて生活の困窮もあって、自分の中に、成功者や能力の高い人を妬む心が生じていきました。その後、いろんなエゴを徐々に手離していく中で、嫉妬心だけは最後まで消えませんでした。それがとても恥ずかしく、自分にとってその克服は最後の難関となりました。

 

けれども、自分の不運は、自分の「純粋さ」が足りないせいだったと気づいた時、これまでの不運は、あらかじめ自分がぜんぶ設計して来たものであり、そして自分が望む通りに「ちゃぶ台返し」を繰り返していたのだと理解しました。なぜならば、もし自分が、何かのチャンスで「成功者」にでもなっていたとしたら、こんなことは今、絶対にしていないだろうと言えるからです。

 

私は「成功者」のお手本にはなれません。でも「落伍者」のお手本にはなれる。それが、いま自分がかろうじて出来ることであり、自分の役割なのだと、己に言い聞かせています。これまで繰り返してきた数々の失敗、恥ずかしいこと、幼少時の体験や、家族とのことや、鬱になったりパニックになったり、罵倒されたりして来たことが、そのために今ぜんぶ役に立っている。

 

それは、自分で自分に贈った得難いギフトです。

 

私は、「こうすれば成功者になれるよ」ということは言えません。でも、私と同じように、「自分は社会の落伍者ではないか」「取るに足らない人間ではないか」「生きるに値しない存在ではないか」と思い込んで来た人に対しては、確信をもって言える。「そんなことはないんだよ」と。力強く言える。「あなたは、そこにいるだけで、素晴らしい存在なんだよ」と。心を込めて言える。

 

「ちゃぶ台返し」は、私に不運の連続をもたらしましたが、でも私は、誠実でありたい、正直でありたい、純粋でありたいという理想を、ついに一度も曲げることは無かった。いつもカッとなったりして、やり方は上手くなかったかも知れませんが、私は、私が自分に課したテストを、そうやって潜り抜けて来ることが出来たのです。そして、今がある。

 

ですから、同じように、純粋さを希求する人たちに言ってあげたい。その道のりはたいそう辛いだろう、困難なことだろう。時には、誠実さを仇で返されたり、正直さを誤解されたり、純粋さを罵倒されたりすることもあるだろう。でも、くじけちゃいけないよ。そんな時には、誠実さを今の二倍にしなさい。正直さを五倍にしなさい。純粋さを十倍にしなさい。

 

理解されない時こそ、もっともっと励みなさい。そのようなあなたを受け止めてくれる人は、必ずいる。ほら、ここにだって。友よ、あなたに言おう。それが光の道なのだよ。それこそが真髄なのだよ。あなたは、どんどん近づいているよ。もう、他人の目を気にしたり、他人の言動に惑わされるのはやめなさい。あなたは、あなたなのだから。

 

先ずはオープンハートであること。そして、素直で、正直で、誠実で、純粋である自分を強くイメージしていつも生きなさい。そのことに揺るぎない確信を持ちなさい。そうすれば、あなたは、やがて無条件の愛の人に変わるから。