by Rainbow School
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トンネルを脱け出す時

鬱の長い長いトンネルに迷い込んでいた頃のことです。出口を求めて必死になって読んでいた本の中に「いつか必ず、天から一本のロープが下りてくる」という一文を見つけました。そこに私は傍線を引き、何度も読み返しては、心に言い聞かせました。ロープ、ロープ、ロープをちょうだい。お願い、ロープを下ろして、今すぐに。もうそれしか、すがるものがないんだよ。ねえ、助けて!

 

鬱の期間は、結局、5年くらい続きました。もともと痩せた体型なのに体重がさらに5キロも減り、食べ物の味が全くしなくなったのにはびっくりしました。食欲はないし、当然性欲もない。とにかく意欲がない。朝、部屋が明るくなって目覚めると、「ああ、今日もまた生きなくちゃならないのか‥‥」と思い、ガッカリしました。そして夕方、暗くなって来るともうたまらず、お酒を呑んでは早く酩酊したく毎日でした。

 

さて、期待のロープは下りて来たのでしょうか? いいえ、下りて来ませんでした。求めても求めても、下りて来ませんでした。やがて、そんな一文などとうに忘れてしまった頃になって、私は徐々に、鬱々とした気分から解放されている自分を発見しました。そして、今頃になってやっと気づくのです。あの一文との出合いこそが、まさに天からのロープだったのだと。

 

天の計らいはまことに奥深く、通常の人智を超えたものです。ですから、それが示された時には、人は気づかないし、気づけない。でも、一年経ち、二年経ち、五年経ち、十年経ち‥‥した時に、「そうか、あの時のあれは、こういう意味だったのか」と、パッと気づく瞬間が訪れます。そうなった時に、あなたは、ご自分の成長というものを、深く実感できることでしょう。

 

そして、さらに言えば、その全てが、天(神)のご計画のうちにあるのです。そこで、しばしば、「全ては完璧」と言われているのです。

 

と聞いても、おそらくはチンプンカンプンでしょう。何か騙されたような気がするでしょう。私が、ロープが欲しくて欲しくて、悶え苦しんでいた時には、ロープはやって来なかった。けれども、忘れてしまった頃になって、実はそこにロープがあったのだと気づいた。ここに、その魔法の、答えがあります。

 

救いを求めていた時の自分は、「悶え苦しんでいる自分」というアイデンティティに、しっかりと抱きついていて離れなかったのです。自分では、必死になって救いを求めているつもりでした。でもその両手は、自分を抱きしめるためにふさがっていたのです。ですから、ロープなんて掴めなかった。いいえ、そこにロープがあったのに、眼に入らなかったのです。

 

ですから、苦しい自分を抱き続けることを止めた時に、一切を諦めた時に、もうどうでもよいと思った時に、自分と闘うのを止めた時に、全てはなすがまま、あるがままだと思った時に、両手が空いて、まるで電車の吊り革を掴むように、無意識のうちに、その手にロープを持たされていたのです。これが、何度も言ってきた「持ち替える」ということの意味です。

 

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バンジージャンプに挑戦するときのように、全てをお任せする気分で、空中に飛び出してご覧なさい。あなたは落ちない。決して落ちない。それどころか、自由に、イキイキと、あなたは飛行する。全てが、「神のご計画」というセーフティネットの上に載っかっているから。そこから落ちることは絶対にない。あり得ない。もし落ちることがあるとすれば、別の宇宙があるという矛盾だから。

 

他人に話せない「悩み」というものを、あなたは持っていますか? いくつですか? 一つ、二つ、三つ? いや、もっとかな? 鍵のついた箱の中に大事にしまっているのかな? それを解いて、その「悩み」とやらを、思い切って誰かに打ち明けてご覧なさい。他人に言えないようなことが言えるようになった時、それはもう解けているということだから。「持ち替えた」ということだから。

 

何もかも、大したことではない。あの時こうであればという思いも、死ぬほど恥ずかしい体験も、屈辱にじっと耐え忍んだ日々も、冒したことの罪の意識も、全ては Passing。Bashing されたことも Passing。重要なのは、今のあなたの思いだけ。それらの体験は、あなたの「思い」が、どのように変化し、成長していくかを計るための、テーマパークとしてあるだけのことだから。

 

そう聞いても、納得がいかないでしょう。中には怒りだす人もいるかも知れないね。それは、あなたの今の「思い」だから、それでもいい。

 

でも大事なことを言っておくよ。よく「この罪を、一生背負っていく」という人がいるのだけれど、そんな必要はないのだよ。冒したことは冒したこと。それによって、誰かを傷つけたり、自分が傷ついたりすることがあったとしても、その体験から学び得たものを、次には愛のエネルギーに変えて、周囲に与え歩く自分に変身すればいいのだよ。アングリマーラのように。

 

そんな馬鹿な。それじゃあ、どんな極悪人でも、罪を許されると言うのか。私利私欲のために、市民から富を奪い、傷つけ、嘘をつき、それでもなおのさばっている権力者も、罪を問われないでいいと言うのか。たとえ人を殺しても、罪の意識を持つ必要などなく、平気な顔をして世間を歩いていりゃいいと言うのか。それじゃあ、殺された者の遺族の気持ちはどうなるんだ!

 

「平気な顔をして歩いてりゃいい」とは言っていないよ。「愛の人に変わればいいのだ」と言っているのだよ。そして、それこそが、生きている目的なのだよ。

 

でも、あなた方の社会ではそうしない。罪を冒した者は、罰を受けるべきだと言う。しかし、長年そうやって来て、うまく行ったのかな? 殺人者に死刑を執行することは、罪には当たらないのかな? 市中で人を殺したら殺人鬼で、戦争で人を殺したらヒーローになれるというのは、一体どういう理屈なのかな? 戦争を早く終結させるために、原爆を使用したという理屈は、ありなのかな?

 

あなた方の「罪」と「罰」の考え方は、ご都合主義でしかない。いいかい、宇宙には「罪」も「罰」も無いのだよ。よく考えてごらん。あなた方を創ったのは神なのだよ。あのあなたも、このあなたも、全部がわたしなのだよ。そのわたしが、片方で「罪」を冒し、もう片方でそれを「罰」するなんてことがあるだろうか? もしあるとしたら、何のためにそんなことをするんだい?

 

馬鹿げているよ。「罪」と「罰」の考え方は、あなた方が、「感情」というものの落としどころを考えた際の、発明品だよ。あんまりいい発明じゃないがね。それは、神の発想ではなく、人間の発想さ。そしてあなた方は、その発明品を、神が考えたものとして、文字通り、神に「罪」をなすりつけたのだよ。「原罪」という名でね。しかし、そんなものは無い。あるはずがない。

 

いいかい、何度でも言うよ。あなたも、あのあなたも、このあなたも、全部がわたしなのだよ。みな愛しいわが子なのだよ。いつも全部を見ているのだよ。愛さない者は、この宇宙に一人もいないのだよ。だから、その根源に気づきなさいと言っているのさ。愛の人に変わりなさい、と言っているのだよ。それが、本来のあなたなのだから。

 

この者(私)も、鬱でどん底にある時に、追い打ちをかけるようにして妻が死に、妻を死なせてしまったのは、自分のせいではないかと、しばらくは「罪」の意識にとらわれていたのだよ。だから、わたしが喝を入れて、怒鳴りつけてやったのさ。「何をグズグズしている!」って。そうやって、ビンタで叩き起こして目覚めさせたんだよ。そうでなければ、わたしの手足として用いることが出来なかったからね。

 

その時は、彼もショックの様子だったがね。でもわたしは、耐えられない試練は与えないのだよ。どんな人にも、決して。彼が耐えられると知っていたから、そうしたのだよ。どうしてかって? そうすることを、あらかじめ決めて来たのは、彼自身だからさ。それでも彼は信じなかった。なかなか自分を信じようとはしなかったよ。つまりそれは、わたしを信じなかったということに他ならない。

 

だから、ここに至るまでに、何年も何年も掛かってしまったよ。何度もメッセージを送っていたのにね。でも最近になって、ようやくちょっとは分かって来たようだがね。わたしが、常に傍にいたということと、自分の役割というものを。あの辛い体験、屈辱に耐えた日々、それらが全部、自分自身による計画だったことが。つまりは、神の計画だったことが。

 

贖罪の気持ちを持ち続けることは、一見、貴いことのように思えて、でもそれは、ある種のエゴなんだよ。なぜかというと、自分が引き受けなくてもよいものを、自分が「引き受けねばならない」と思う独善に陥っているから。いいかい、誰もが、等しく、わが愛する子たちなんだよ。その一人ひとりが、自分の生き方を、自分で選んでいるのだよ。あなたも、あのあなたも、そのあなたも。

 

そこでは、どのように死ぬかということも、その人の生き方なんだよ。あなた方の世界では、死んだら終わりという思想が深く染み付いているので、それが、Re-born だということが理解できない。でも、Re-born しない人は、一人もいないのだよ。誰もが、死ぬことを〈自分で〉選択して、生き直すことを選んでいるのだよ。だから、そこに介入する必要はないし、そもそも介入することなど不可能だ。

 

けれども、人間の世界では、「感情」が支配的だから、そのような無意味なことに、意味を見出そうとして、自分が創造した「思い」をいつまでも抱き続けているのだよ。でもね、その人の死は、その人のものなんだよ。あなたのものじゃない。その人が、Re-born することを選ぶことによって、完結したんだよ。だから、親しい人の死に接した時、あなたがするべきことは別にある。

 

それは、その体験から学んで、新しいあなたを生きることだ。生きながらにして Re-born することなんだよ。全き愛の人に生まれ変わることなんだよ。

 

そして、それは、あなたなら出来る。

 

信じられないって? 信じなくていい。でもね、こうして、あなたは今このメッセージを読んでくれているね。他のコメントにも、熱心に眼を向けてくれていたことを知っているよ。わたしのメッセージに出合い、かつ受け留めてくれる人は極めて少ないのだよ。その少ない出合いが、どうして起きたんだろうね。全ては、計画通りに進んでいるということさ。

 

言葉は、与えられ時には、その意味が解らないものなんだよ。あんまりいい喩えじゃないが、オレオレ詐欺だって、後から、その言葉の真の意味が判るわけだろう? だから、今はメッセージの意味が解らなくても、また暗いトンネルの中にいたとしても、決して希望を失っちゃいけないよ。あなたの努力は、絶対に徒労には終わらないから。

 

天の計画は、あまりに精緻で深遠で、求めていた答えは、あなたが思いもよらない方法でやって来るから。そして、気がついた時には、いつの間にかトンネルを脱け出ていた自分を発見する。そういうものなんだよ。その時になって、あなたはハタと膝を打つ。

 

そうか、あの時の言葉の意味はこれだったのか、と。