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孤独を楽しむ

「孤独」と「独りぼっち」は違います。この二つを混同しないようにしましょう。辞書で「孤独」を引くと、〈独りぼっちでさびしいさま〉と出ていたりして、世間一般でも同じように捉えられていますが、この二つは、次元を異にするものです。この違いを、しっかり認識することが大切です。

 

「孤独」というのは、「孤として独立した存在」という意味であり、人間存在論の、根元的あり方を示したものです。それは単に「状態」を示した言葉であって「孤独」それ自体は善でも悪でもありません。また、根源的あり方ですから、誰もこれは否定できません。否定しようとしても無意味ですし、不可能です。よって、「孤独」から逃れるということは、人間には出来ません。

 

けれども、よ〜く考えてみてください。「孤独」であるからこそ、人間には「個性」というものが生じているのです。「孤として独立した存在」でなければ、「個性」は生じません。つまり「孤独」とは、「個性」を保証する条件なのです。なんて素晴らしいギフトだとは思いませんか。「孤独」な存在だからこそ、あなたは、「自分」という認識に立てるのですよ。

 

でもこれに「感」を付けて、「孤独感」ということになると意味は違ってくる。「孤独」は存在論ですが、「孤独感」は感情を示した言葉です。そこで、「独りぼっち」にちょっと近くなる。それでも両者は同じではありません。「孤独感」というのは、あくまで「孤独」な存在ということへの「感じ方」。その中には、「独りぼっち」という感情もあるかも知れませんが、それが決して全てではありません。

 

さて、「孤独感」と言ったときに、あなたはどのような情景を思い浮かべるでしょうか? 頭を垂れ、沈痛な表情で膝を抱えてうずくまっている人でしょうか? あるいは、気にかけてくれる人が誰もおらず、閉め切った部屋に一人さびしく暮らしている人でしょうか? 確かに、それらも「孤独感」の一断面です。そして、そのまま息を引き取ってしまうことを、世間では「孤独死」と呼ぶ!

 

でも、ちょっと待っていただきたい。このネーミングはすご〜〜〜く変です。「孤独」というのは、人間存在論における根元的あり方ですから、死ぬときは、全員が最期は「孤独死」です。たとえ心中したとしても、相手の死を、自分が死ぬことは出来ません。自分の死は、自分しか味わうことは出来ないのです。ですから、全員が「孤独死」します。これは疑いようのないセオリーです。

 

世間が「孤独死」という言葉に込めたものを、もしも、より適切に言うとしたら、それは「独りぼっち死」です。「孤独死」と「独りぼっち死」とはまるで違う。この区別はとても重要です。別に言葉遊びをしているわけではありません。「孤独」と「独りぼっち」とは全然違うもの、次元を異にするものなのです。

 

山の頂きに登って、雲間からパーッと朝日が昇る瞬間を見る。あるいは、夕凪の向こうに赤々と染まった夕陽がゆっくりと落ちるの見る。それらを前にじっと佇むシーンを想像してみてください。それを、たった一人で眺める時と、恋人と肩を並べて二人で眺める時と、気の合う仲間と大勢で眺める時とでは、そこで感じ取るものがみな違って来るのではありませんか?

 

心が迷いに迷った時、「ひとり旅」に出掛けるという人は多いです。でもなぜ「ひとり旅」なのでしょう? それは「孤独」と向き合いたいからです。「孤独」になりたくて人はそうする。あえて「孤独」になることを通じて、また「未知」のものに触れることを通じて、己の生き方を見つめ直したい。だから、人は節目節目で「ひとり旅」に出る。いや、人生そのものが、ずっと「ひとり旅」なのだ。

 

ムシャクシャした気分の時に、思わずこう言いたくはなりませんか? 「私のことは、ほっといてちょうだい!」。また、手のつけられないほど荒れた状態の人に対しては、みんなこう言うでしょう。「しばらく、そっとしておきましょうよ」。どちらも、「孤独」が、最高の「癒し」になることを知っているのです。

 

他の人の人生を、自分が代わって生きることは出来ないのです。このことが解れば、「孤独」に対する見方もきっと変わって来るはずです。じっくりと本を読む時、何かの思索に耽る時、好きな音楽を心の底から楽しむ時、絵を描いたり物を作ったり創作活動に打ち込む時、目標を設定してひたすら練習に励む時、人はみな「孤独」です。「孤独」としっかり向き合っている。

 

お解りですか? 「孤独」こそが、その人を、成長させるための入り口なのですよ。人は、「孤独」を通じて、その先にある、「実は孤独というものはない世界」を見るのです。ですから、孤独な画家、孤独な作家、孤独な音楽家、孤独なアスリート、孤独な科学者、孤独な経営者、孤独な冒険者は、みな壮大な「孤独というものはない世界」を表現して来たのです。

 

「孤独」とは、人間存在の根元的あり方です。ではなぜ人は「孤独」となったのでしょうか? それは「普遍的な生命(大霊)」を知るため。「普遍的な生命」を知るために、あえて「魂」は個別化した。これが、Singular Outflow of Universal Life、つまり「SOUL」です。あなたという「魂」は、あなたという「孤独」を通して、「全体」を経験する。その行動の軌跡が人生であり、誕生から人が死と呼ぶ瞬間までのたゆまぬ変化なのです。

 

もちろん「魂」に死はありません。「魂」に死があるということは、「普遍的な生命」に死があるということになってしまいますから。「死」という言葉こそ「死語」にしなければならない。ですから、旅はその後も続きます。あなたは、この世でいう誕生と死を通じて、行ったり来たりを続けながら、「全体」を知るための「ひとり旅」を永遠に続けていくのです。

 

「孤独」を怖れてはなりません。「孤独」を敵に回すのではなく味方につけるのです。「孤独」を避ける旅は、実りなき旅です。ご自分の「孤独」にしっかりと向き合い、「孤独感」をこの上なく楽しいものに変えなさい。幼い頃、自然とやっていた「一人遊び」の感覚を、再び思い出すのです。それが、今世での、あなたの飛躍的な成長を保証します。

 

「独りぼっち」というのは、群れていなければさびしいと思う感情です。そのような思いになることも、時にはあるでしょう。でも、いつもいつも「群れていなければさびしい」と思い、そのように行動していたとしたら、あなたは自分を見失い、ますます「独りぼっち」感を強めていくことになるでしょう。なぜなら、あなたが「何者」であるかは、あなたの行動が規定することだからです。

 

現代という社会は、「孤独」に向き合うことをなかなか許してくれません。それどころか、「孤独」であることをまるで「悪」であるかのように決めつけます。いつも誰かと繋がり、群れている状態が推奨され、「支援」と称して、これをサポートするツールやプログラムやアプリやロボットが山ほど登場しています。これらに頼り切りになることによって、逆に、現代人はアイデンティティ・クライシスに陥っている。

 

体験とは何でしょうか? 自己の行動に対する反作用です。解りやすく言えば、行動=体験です。その行動が、いつもいつも何かのサポートを通じてしか得られないとなれば、そこで得る体験は次第に画一化してい ってしまいます。それでは、せっかく「孤独」に生まれた甲斐がありません。巨大システムに呑み込まれて、洗脳されて、奴隷にされて、ロボットになるだけです。

 

だから、現代人よ。もっと「孤独」になりなさい。「孤独」を見つめなさい。自分の「孤独」を誇りなさい。そして「孤独」を楽しみなさい。「孤独」を楽しめる人は、他者との出会いや、仲間といられる瞬間に、ますます大きな喜びや感謝が持てるようになるでしょう。なぜなら、その奥に、「実は孤独というものはない世界」を見出すから。あなたもそれを目指して、今日一日を、元気で、楽しく過ごしてください。

 

いつも、あなたとともに、わたしはある。