by Rainbow School
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Q.摂食障害(過食嘔吐)との付き合い方について

Q.現在30歳。一人暮らしを始めた18歳の頃から、過食嘔吐を毎日繰り返すようになり、今に至るまで続いています。思えば、幼少時から小太りな体型をからかわれることが多く、自分の体型にコンプレックスを抱いていました。そのため、とにかく痩せたいとの思いが強く、小学生の頃にはすでにダイエットを色々と試していました。

 

そのような時に、『気づきの啓示板』のバックナンバーを読み、過食は心の問題、愛への渇望感が原因と指摘されていることを知りました。頷ける部分もあり、今は、自分なりに愛を乞う側から、愛を与える側になろうと意識転換を図っているところです。過食嘔吐に対するお考えや、この先の改善に向けた心の在り方など、ご教授頂ければ幸いです。

 

*質問者からは、もっと詳しい経緯等もお聞きしていますが、差し支えない範囲で、質問内容を整理させていただきました。今回のご相談は「摂食障害」に関するものでしたが、回答は「心」のトラブル全般について言えるものになっています。文中にもありますが、「摂食障害」というのは、「心」のトラブル全般の、顕れ方の一つなのです。ですから、別の顕れ方で悩まれている方も、そのように置き換えて読んでいただければ、きっと役立つヒントが得られると思います。

 

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A.先ず、あなたが、ご自分がいま置かれている状況の背後には、霊的な課題があると考えていらっしゃることに対して、敬意を払い、感謝申し上げます。そうでなければ、上記のテーマについて、わざわざこの『気づきの啓示板』に、質問をお寄せいただくことはなかったでしょうから。

 

霊的な課題。確かにその通りなのです。しかしそれは、過去世がどうとか、何かに取り憑かれているといったオカルティックな話ではありません。あなたとは何か、あなたが生きるとはどういうことか、といった本質的な問い掛けがそこに含まれているのです。あなたは、「摂食障害」という体験の機会を得たことによって、今、その扉を開けたのです。ですから、いつも言うように、そのギフトに感謝してください。私も、あなたが下さったギフトに感謝します。

 

「心」のトラブルの原因はその奥にある

あなた方、人間は、ご自分がどういう存在であるかということを、よく解っていません。たとえ専門家と称する人であっても(例えば、医者、心理学者、哲学者、宗教家、カウンセラー等)、非常に限定的なところでしか人間というものを捉えていないのです。人間は、多次元的存在であるということを、多くの人は知りません。中には気づいている人もいるのですが、大勢の声に掻き消されてしまっているというのが現状です。

 

多次元的存在とは、(解りやすい言い方と範囲で言えば)あなた方が「魂」と「心」と「身体」が合わさった存在だということです。この3つは(地上界においては)互いに密接に関連し合っているのですが、そのように捉えている人は、まず殆どおりません。現代の主流的な考えは、「脳」が「心」と「身体」を支配しているのであり、「魂」の存在などは認めない、という立場に立っています。

 

そのため、「心」のトラブルを、物質的器官である「脳」の機能障害と捉え、これを薬(という同じく物質)によって治療しようという試みがなされています。しかし、よく考えてみてください。「心」は物質でしょうか? 物質ではない「心」を、物質によって果たして治療できるものなのでしょうか? ここには、本末転倒があります。解決策としては、本質からあまりにも遠すぎます。

 

そうではなく、「心」のトラブルなのだから、「心」に直にアプローチしようという考えも当然ながらあります。カウンセリングや自助グループなどの試みです。薬物治療よりは、これで本丸にグッと近寄りました。しかしそれとても、効果が上がっているとはとても思えません。なぜなのでしょうか? この視点では、「心」のトラブルは「心」に問題があると捉えています。ですが、そうではないのです。

 

その奥に、もう一段階ある。いかにも問題を起こしているように見えている「心」は、実は「原因」ではなくて「結果」なのです。

どんな問題も、問題を起こしているその根本原因を突き止めて、これに向けて対処しなければ解決はしません。今回は、その視点を提供しています。

 

あなたが問題視しているものは、あなたの表現

「過食/嘔吐」を繰り返す型の摂食障害のメカニズムについては、たくさんの書物も出ておりますし、あなた自身も、既に分析されて解っていらっしゃると思います。簡単に言えば、心に満たされないものがあるので、その代替行為として、食べ物で満たそうとする衝動が生じるのです。しかし一方で、このまま「過食」を続けていては、健康に悪いとか、太って醜くなるという強迫観念もあり、そこで、食べた物を吐くということで、帳尻合わせをしようとしているのです。

 

ここで、先ず把握していただきたいのは、抑えきれない心の衝動というものが、あなたの奥底にある「今の満たされなさを、満たしたい」という叫びの、実は「代替行為」として生じているということです。解りやすく言えば、心がいつも空腹なので、とりあえずお腹をいっぱいにすることで、仮の満足を得ようとするのです。いわゆる中毒症(addiction)は、みなこうした手っ取り早い行為の中に生じています。

 

あなたの場合、それが「過食/嘔吐」という表現に出ているために、どうしてもそこに注目が行ってしまうとは思うのですが、真の問題はそこではないということです。それは、「表現行為」のバリエーションの一つであって、人によっては、〈買い物をし続ける〉とか、〈ビデオゲームにはまる〉とか、〈自分の身体を傷つける〉とか、〈刺激物や薬物の虜になる〉とか、色々な出方をして来るのです。

 

さて、それを聞いて、どう思われたでしょうか? 実にありふれたことだとは思いませんか? あなたは、今ご自分が「摂食障害」というところにフォーカスを絞っているために、そのことで頭の中がいっぱいになっていると思います。ですが、人間というものは、多かれ少なかれ、このような傾向をみな持っています。ただそれが、度を超して、普通の生活にすら支障が出て来たときに、世間では「◯◯障害」とか「◯◯病」といったレッテル貼りをしているのです。

 

ですから、そこで第一番めに気づいていただきたいことは、あなたが「◯◯障害」だと思っていることは、みな程度問題なのであって、あなたが「障害」のレッテルを貼らなければ、それは「障害」ではないということです。逆に言うと、あなたが「障害」にしてしまえば、何だって「障害」になり得る。例えば「猫舌障害」とか、「異性にモテない障害」とか、「前屈して手が床に届かない障害」とか。私などは、さしづめ「障害のデパート」でしょう。生涯が障害です。

 

現代人の不幸は、人間どうしの「ふれあい」がますます希薄になっていく一方で、膨大な「情報」だけが飛び交い、人々が、知らず知らずのうちに、これがスタンダードだという「情報」を「信じ込む」ようになってしまったことです。そこでは、人間には「◯◯障害」というものがあり、誰もがこれを発症している恐れがあり、それは治療すべきものであり、支援すべきものだ、という了解事項がすでに出来上がってしまいました。

 

しかし、それが何をもたらすかということを、この際に、よく考えていただきたいと思います。あなたが、「◯◯障害」についての知識を深めれば深めるほど、あなたの視点とレッテル貼りはますます強化されていきます。その陰で、そのトラブルを「市場化」したい人たち、「産業化」したい人たちにとっては、目論見通りの社会が実現していくのです。

 

百歩譲って、それが正しいことだとしましょう。ではなぜ、「◯◯障害」の人が減らないのでしょうか? なぜ、次から次へと、新しい「障害」が作り続けられているのでしょうか? 同様に、医療の高度化と言いながら、なぜ病気が減らないのでしょうか? なぜ、毎年々々、医療費が増え続けるのでしょうか?

 

話が横道に逸れたので戻します。第一の視点は、あなたが、ご自分を「障害」視しているからこそ、「障害」が発生しているということです。そしてこのことは、解決のための第一の視点であると同時に、実は究極的な回答をも示しているのです。ただ、そう言ってしまうと、現在、問題の渦中にある人にとっては空を突くような話なので、今は、ご自分の思い込みが、症状を悪化させてしまうことになる、ということを覚えてください。

 

しかしこの見解には、納得がいかない方もきっと大勢おられると思います。でも私も、パニック障害になりましたし、鬱病にもなりました。それは、確かに、具体的な不調が心身に現れていたのですが、いま考えると、やはり自分でそれを強化していたという点があったことは否めません。ですから、先ずはそこに気づくということが、こうした問題を手放すきっかけを与えてくれることになります。

 

意識化していない意識の働き

次に、いま起きている心身の実際の不調と、あなたが、自分ではあまり意識化していない意識、つまり潜在意識に畳み込まれた、心の飢え、渇きとの関係を見てみましょう。人間の身体というものは、非常に複雑な機構を持ったいわば化学工場であり、電子回路であり、動力機関でもあります。これらはすべて、特別に意識せずとも、普段は、潜在意識がその活動をコントロールしてくれています。

 

ところが、潜在意識には、顕在意識(自分が意識している意識)のもとでの経験も、蓄積されていくのです。その中に、強い不安や、怒りや、悲しみや、自己否定感などがあった場合には、潜在意識の自動コントロール機構(ホメオスタシス)がそれらのノイズによって狂わされてしまい、微少ホルモンの分泌や神経回路の正常な働きを阻害してしまうのです。

 

この結果、体調がなんとなくおかしいという感じになり、最初は「なにか変だな?」と思う程度だったものが、この情報が心にフィードバックされて、今度はしだいに心が塞ぐようになり、この塞いだ心がさらに体調を悪化させるということで、スパイラル状の下降が生じてしまうのです。ここでお気づきのように、「障害」という名の思い込みは、この下降局面にターボを掛けることになってしまいます。

 

では、どうしたらよいのでしょうか? これも、勘のいい方はすぐにお分りでしょう。そうです、ターボを逆向きに掛ければよいのです。自分はすこぶる健康だ。今日も清々しい。寝床があって、食べるものがあって、これ以上何が必要だろう。足りないものなんて何もない。私は私だし、宇宙は私という存在を認めている。だから私は生かされている。ああ、なんてハッピーなんだろう。

 

そう思い込めば、思い込めれば、心と身体とのフィードバックが、上昇方向に回転し始めることになります。つまり、スイッチを逆方向に入れ替えればよい。と、理屈は極めて簡単なことなのですが、ところがこれがなかなか出来ない。なぜ出来ないのか? それをトコトン突き詰めて考えてみれば、今の自分が、いかに幾重もの「とらわれ」に縛られているかに気づけるのではないでしょうか?

 

・元気ハツラツとしている自分の姿など、とても想像できない。

・自分の容姿や体型はお世辞にもいいとは言えないし、自分は劣っている。

・他の人と比べて、自分には特別な才能など何もない。

・自分には、経済力もなく、将来がまったく見えない。

・自分は、誰からも認められないし、誰からも愛された経験がない。

・生きている意味というものが、何も見出せない。

 

自己表現の転換をめざす

この不足感、未充足感、自己否定感の強い「とらわれ」が、すなわち、心の渇き、飢えなのですよ。解りますか? なぜなら、あなたの本質(魂)は、自分が「自由」であることを知っているから。「魂」は「私は自由だ!」って叫んでいるのに、それが檻の中に閉じ込められた状態にあるから。だから、あなたは叫ぶ。そして「私はこうよ!」と「表現」する。あまり誉められたものではない「表現」方法によって。

 

過食という行動に出たり、買い物をしまくったり、アルコールをガンガン飲んだり、パチンコにハマったりして。「ねえ、見て見て!」「ここに私がいるのよ!」って。「誰か、私を愛して」って。「こんな私を理解して」って。でもね、あなたを檻の中に閉じ込めているのは、いったい誰なんだってことに気がつかなくちゃいけないね。それは、あなた自身なんだよ。あなたが創った「とらわれ」なんだよ。

 

今まで、いろいろなことがあっただろう。辛い体験もしただろう。悔しい思いもしてきただろう。そのことはみんな知っているよ。理解者がいないって? 冗談じゃない。あなたは一人ぼっちじゃない。それどころか、一人ぼっちであったことなど、いまだかつて一度もない。そのことは、わたしがいちばんよく知っている。なぜなら、わたしがあなたを創ったのだから。

 

いいかい? 錯覚しちゃいけないよ。以前に、「人間とは、表現せずにはいられない存在だ」と書いたことがあるけれど、覚えている人はいるかな? 「表現」活動とは、地上で生きること、そのものなんだよ。花だって、虫だって、空だって「表現」しているじゃないか。つまり「表現」=あなたの「体験」だ。あなたは、どのみち「表現」せずにはいられない。だから、どんな「表現」をしているかが、あなたという存在を自己規定するのだよ。

 

それは、周囲が認めるとか認めないとかといったことじゃない。そんなものは関係ない。あなたが、今の自分を、どうしたいか、どうでありたいか、を決めるということなんだよ。だから、過食と嘔吐を繰り返す自分でありたいなら、それを続けたっていい。買い物をし続ける自分でありたいなら、そうしたっていい。アルコールや薬物に浸り切っている自分でありたいなら、それも止めはしない。

 

でも、もったいないとは思わないかい? どうせなら、他の「体験」、つまり「表現」をした方が、あなたの「魂」の成長につながるとは思わないかい? それに、わたしから見て不思議なのは、人間は、どうしてわざわざ自分を苦しめる体験をチョイスするのかということなんだ。人は、「魂」の世界を不思議だと言うけれど、人間の行動の方がよっぽどストレンジで不思議だよ。これこそ、宇宙で永遠に解けぬ謎! なんてね、冗談だよ。

 

さあ、もう解ったのではないかな? あなたは、自分で自分を拘束している「とらわれ」は何で、どこから生じているものなのかを、一度じっくりと内省して、炙り出してみるといい。繰り返しになるけれど、過食/嘔吐が「問題」なのではなく、それは「表現」なのだということ。そしてそれは、潜在意識の底にある「とらわれ」という真の問題の、リアクションだということ。

 

だから、この「とらわれ」を、ゆるし(ゆるすとは緩めるということ)、手放せばいいのだよ。あのとき誰かにああされた、こうされた。消えない傷、怒り、悲しみ、悔しさ。こうであらねばならない、こうあるべきという思い。不足感、未充足感、劣等感、自己卑下、自己否定。よくいうトラウマ。それらはみんな、あなたの「想い」でしかないのだよ。そして「想い」は、自由に選べるのだよ。

 

お勧めしたい具体的なアクション

ここで、あなたに、具体的なアクションをお勧めしよう。そう、まさにアクションであることがポイント。いつもいつもリアクションに終始していた、あなたの「表現」癖を、これからはアクションに変えるのだよ。あなたが、自分からアクションを仕掛けるんだ。これからは、自分の意思で、意識的に行動を選ぶ癖をつけなさい。それによって、今までの、まるで夢遊病者のような、潜在意識のリアクション癖に、ストップをかけるのだ。

 

同様に、ただ「手放せ」と言っても、今のあなたには難しいだろうね。だから、持つものを「持ち替える」ことを目指してごらん。うまく「持ち替え」られたら、前の「とらわれ」は、自動的に「手放して」いることになるから。そのために、自分がいつも「自由」であることを自覚し、これを表現しなさい。自分を解放し、「魂」の喜びの表現を見つけ出しなさい。誰にでも才能があります。そのように、あなたたちは創られたのだから。

 

ご自分をもっと信じなさい。喜びに生きなさい。朝、目覚めたら、太陽の光を浴びて深呼吸をしなさい。食事は、楽しく、美味しくいただきましょう。楽しくない食事は身になりません。そして自然の中を、身体が心地よい疲れに包まれるまでひたすら歩きなさい。「心」のトラブルを、「心」をいじってなんとかしようと思っても、その「心」自体がトラブルを起こしているのだから、うまくはいかないよ。

 

それよりも、「心」と「身体」がつねに情報をフィードバックしていることに着目しなさい。「心」はひとまず忘れて、忙しく「身体」を動かすことに活路を見出すんだ。そして、風呂掃除をする時でも、台所で洗い物をする時でも、また職場で仕事をする時でも、たとえどんな些細なことでも、自分がそれを「表現」として為し、心から楽しんでいることをイメージしていつも行動しなさい。

 

また、たとえどんな出来事に遭遇したとしても、心の中で「ハッピー、ハッピー」と唱えて、微笑んでそれを受け取りなさい。そして、それらのアクション癖がすっかり身についたら、その先に、こうご自分に問いかけてみてね。

「私は、誰なの?」

「私は、何をしたいの?」

 

それが見出せた時、あなたは、それまで、自分がとんでもない誤解をし続けてきたことに、きっと気づくでしょう。

満足は、与えられるものではなく、与えるものであるということに。

与えることで受け取ることができ、癒すことで癒されるのだから。