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今の経済システムからの解放こそが、経済再生への道

又吉直樹さんがレギュラーを務めているEテレの番組に『オイコノミア』というのがあるのをご存知でしょうか? この奇妙なタイトルは、古代ギリシャ語の「οικονομία」から来ていて、これが後に英語の「Economy」になったということなんですね。というわけで、『オイコノミア』は、又吉さんがガイドする経済教養番組という内容になっています。

 

「οικος 」は家を意味し「νομία 」は規則・管理を意味することから、元来は「家政術(management of a house government)」の意味だったようです。英語で言う「Economy」は、これを集団的社会のマネジメントに拡大解釈して行ったんですね。ですが今、元々の意味を改めて知ることはとても重要だと思います。なぜなら、「経済」というものは、本来は家庭の幸福を願ってあったと考えられるからです。

 

日本語の「経済」という言葉も、明治期に「Economy」の訳語として使われるようになり、これが定着したということなのですが、この語は、中国由来の「經世濟民(けいせいさいみん)」<世を經(おさ)め、民を濟(すく)う>から造られたもので、「オイコノミア」と同じように、やはり「人々の幸福を追求する」という、下からの積み上げの意味合いが多分にあったと思うのです。

 

ところがどうでしょう。今はまったく違います。庶民の側には、まだ「経済」という言葉に「自分たちの暮らし向き」を仮託する意識が残っていますが、実際に動いている今の「経済」活動は、庶民を無視するどころの話ではなく、庶民の血を絞り上げる「強欲」を基本に置いて営まれています。大企業が儲かれば、その雫が中小零細企業にも滴り落ち、個人にも回るんだという理屈なのです。

 

2014年11月の衆議院選挙では、自民党が「アベノミクス解散」と言い、公明党が「デフレ脱却推進解散」と言って、与党はどちらも『経済再生』を強調して大勝しました。それを信じて投票した方もきっと多かったのではないでしょうか。でもその後、3本の矢、新3本の矢、合計6本の矢がどうなったのか、2パーセントのインフレ目標がどうなったのか、日銀の3倍ものマネーサプライがどこに消えたのか、誰も何も言わなくなったじゃありませんか。

 

有権者は、この当時のことをちゃんと思い出してみるべきです。公約を信用して投票し、公約が実現できなかったら、今度は別の人に投票する。有権者の投票行動というのは、それしか出来ないのですから。

 

国内での困った問題を、外敵を強調することで眼を逸らさせ、みんなチャラにしてしまう。これは権力者が使う常套手段です。何度も同じ手に引っ掛かってはなりません。『経済再生』のスローガンで当選し政権を担ったのであれば、有権者はその成果をちゃんと問うべきです。

 

91年にバブルが崩壊してから、すでに25年が経過しています。その間、日本経済はどんどん落ち込み、日本は借金のみを膨大な額に膨らませて来ました(これがみな、後の世代への負のプレゼントになるのです)。政府は嘘ばかりついていて、都合の悪い数字は出しませんが、日本の相対貧困率は、対米追随の成果により見事にアメリカに次ぐ第2位にまで躍進(?)しました。80年代には、「Japan as Number One」とまで言われた国がです。

 

でもこの貧困は、「見えない貧困」と言われています。なぜ見えないのでしょうか? それは「貧困」の実態が、昔と今とでは大きく異なっているからです。一昔前の「貧困」イメージはと言えば、飢餓と病気でした。ところが今はそうではありません。飢餓はむしろ肥満に変わり、病気は薬漬けに変わっている。これで解るように、現代の「貧困」とは「不足」なのではありません。良質な暮らしが営めないことなのです。

 

良質な暮らしが営めない原因は複合的です。雇用が不安定。賃金が安い。家を持たない人は家賃に多くの生活費を取られる。ダブルワークや長時間労働をしなければ生活費が稼げない。働く時間以外の時間を確保することが難しく、質の良い食事や睡眠を取ることが出来ない。コミュニティが崩壊し孤立している。伝承文化や知恵に無知。以上から、精神的な安定を維持し続けることが難しい。

 

憲法第二十五条(生存権)には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と謳われています。けれども、「文化的な最低限度の生活」というものがどういうものかは示されていませんし、憲法が制定されてからもう70年も経っているわけですから、「文化的生活」の意味を、もう一度考え直さなければならない時期にあると思います。

 

今はこれが、生活保障費というもっぱら「お金」に換算されて考えられているのですが、重要なのはそこではありません。その証拠に、災害復興で仮設住宅を作り生活費を支給しても、自殺されたりする人がいるのです。重要なのは「お金」ではありません。何らかのコミュニティに所属し、働くことを通じて、自分が役立っているという「実感」が持てることにあるのです。

 

これが、現代の「文化的な最低限度の生活」というものです。その基盤の上に立って、自分の身体をいたわり、心を平静にし、汚染されていない食料を手に入れ、手の籠った質の高い食事を作って摂り、清浄な空気を吸い、身体を動かし、自然や芸術にいそしみ、周囲の人々と和し、正直に、そして朗らかに生きることが、「良質な暮らし」を営むということです。

 

ところが、いま言った「良質な暮らし」はおろか、その前提となる基盤すらもが脅かされているのが現状の社会です。バブル崩壊から四半世紀。もういい加減、「経済成長が、人々の幸福をもたらす」という幻想を、人間は捨てるべきではないでしょうか? 今日にあっては、「経済成長」とは、一部の富者をますます金持ちにし、庶民を奴隷化することであると、気づくべきではないでしょうか?

 

そもそも、農産品にしろ工業製品にしろ、生産性は年々飛躍的に向上しているというのに、長時間労働がどうしてなくならないのでしょうか? 世の中に、物はたっぷりあるというのに、どうして貧困が拡大しているのでしょうか? おかしいとは思いませんか? 何かが決定的に間違っているとは思いませんか?

 

その直接的な理由は、労働者の賃金が(世界的規模で)抑制されているからです。生産性の向上分を、企業や投資家がみんな取っていってしまうのです。そのため、生活がギリギリ、カツカツという人がどんどん増えている。生産物は非常な勢いで増加していても、それを買える人というのは増えないのです。

 

するとどうなるでしょう。物は売れずに、常時、物余りになります。物価は下がり、限られた市場を巡って企業同士が争うものですから、力のない中小零細企業は戦いに敗れ、寡占化、独占化が進行して行きます。こうして寡占化、独占化を成し遂げた企業は、市場の支配権を握ってしまうので、賃金についても自社基準を業界スタンダードにしてしまえるのです。

 

これが、みなさんがいま見ている世界経済の動向です。そして競争が、国を超えて、全世界を同時に市場とみなす時代になりました。ファストフードにせよ、小売店チェーンにせよ、ファッションブランドにせよ、ネット通販にせよ、コンピュータにせよ、医薬品にせよ、日用雑貨品にせよ、およそありとあらゆる分野で、世界標準が生まれ、多国籍企業による寡占化、独占化が進行しています。

 

このような中で、労働者は絶望的に無力です。生産性が上がり、物は溢れかえっているというのに、貧困者が増え続けているという理由が、これなのです。つまり、今のこのシステムの基で「経済成長」を言うことは、富者をますます富ませることを意味するだけだということ。そして、全体を俯瞰してみれば、これが、人類の奴隷化、家畜化に他ならないということがお解りでしょう。

 

誰も彼もが疲れています。心を病んでいる人もいる。そうでない一部の人は憑かれている、今のこのシステムに。見えない貧困というのは、何も物理的次元だけのことではないのです。今の経済システムの裏側に存在する「強欲」の波動が、人々の精神を無意識のうちに疲れさせているのです。これこそ、もっと深刻な「見えない貧困」を社会にもたらしています。

 

この世界を支配しようと企図したグループは、人類の奴隷化と家畜化のために、「エリート」という概念を創り出しました。自分たちは表に出ずに、代わりにエリートに社会を治めさせたのです。エリートにはそれなりの報酬を与えて、かつ気分的満足を味わせる代わりに、大衆のコントロールをさせたのです。

 

そして一般人に対しては、「エリートは尊敬されるべき対象」であるという思い込みを植えつけました。これが下支えのために、教育分野にまで下され、子どもの時から優劣を競うことが奨励されていきました。間違った平等(個性を無視する)を説く一方で、自分たちの基準による優劣の判定を下したのです。そしてこの計画はまんまと成功しました。

 

今やあらゆる業界に「エリート」が存在し、一般の人々は、エリートを見ればちょっと身が竦むし、肩書きというものを非常に重んじるようになったのです。でも闇の支配者から見れば、このエリートたちも、失敗したら取り替えのきく単なる駒に過ぎないのです。当のエリートたちは、そのことを、そうなってみるまでは気づきません。

 

今までのシステムに基づく世界経済は、もう限界に近づいています。いつかは花火のように弾け飛ぶでことしょう。理由は簡単です。今のあり方が、自然の摂理、宇宙の法則に反しているからです。多様なものが互いに支え合っているのが、自然の姿です。ごく少数の者が、富の半分を独占するといういびつな姿が、そのままであり続けるわけがありません。

 

人間社会は、これまでの概念とは違う、まったく新しい「経済」の考え方に、今後早急に改めて行かなくてはなりません。それは、「強欲」から「仲良く」への転換です。もう一度、「オイコノミア」の出発点、「經世濟民」の出発点に戻るのです。「経済」は、いったい何のためにあるのか? 人類みなが幸福になるためではないのか。

 

物やサービスを買ってくれる人をとことん追い詰めてしまったら、物やサービスを売るところは無くなってしまいます。どうして人間は、いつも、ゆるやかに進む自殺の道ばかりを選択するのでしょうか。その不毛のシステムから、もう解放されるべきです。買って下さって、喜んでくれる人がいるからこそ、自分も喜べるのです。他者に為したことは自分に為したことと同じ。このシンプルな法則に気がつきましょう。

 

今までの人類を支配してきた「貪欲の法則」を、「平等の法則」に置き換えるのです。全部を平等にシェアするという考え方に、人類全体が今日から改めれば、一人一日4時間、週4日も働けば、全員が充分な生活費が得られて、かつ充分な物も得ることが出来ます。そうして残った時間を、自分の霊性の向上への学習と、楽しみに使うことができます。なぜそっちの道を選ばないのですか?

 

それだけの生産力はすでにあります。そもそも、宇宙に不足はありません。今の世の中の問題は不足ではなく、偏在にあるのです。しかも今後、AIの導入があらゆる分野で急速に進展することになります。そうなった時、問題になるのは、人間の働く場所がもうあまり残っていないということです。「働かざる者食うべからず」といった考え方は、根本から改めなくてはならなくなるでしょう。

 

これまでとは、分配の仕方を変えなくてなりません。でもその前に、人間の心が変わらなくてはどうにもなりません。お前とオレとは違うんだ。自分はエリート。皆を従える権力者である。オレの財産はオレが守らなければ。他人に奪われてなるものか。このような「分離」の概念が、極端な偏在と闘争を生み出しています。宇宙の法則は「偏在」を許しません。そうではなく、神はいつも「遍在」にあるのです。

 

どの「魂」も、根本でそのことを知っています。いま互いに殺し合うために使われている巨額のお金が、仲良くシェアすることに使われたならば、直ちに平和が実現するだけでなく、地上に天国が出現することでしょう。ですから、強欲に「心」に突き動かされるのではなく、ご自分の「魂」の声に耳を澄ましてください。そうすれば聞こえるはずです。

 

「みんな一つなんだよ」

「わたしはあなたで、あなたはわたしなんだよ」と。