by Rainbow School
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選択の時 ― 選挙を前にして ―

「近ごろの世の中と来たら、物騒でイヤなニュースばかりだねぇ」こんな嘆き節が、茶飲み話で囁かれるようになったのは、20年ほど前からだったでしょうか。その当時、多くの人が「なんだかおかしい」という時代変化の雰囲気を感じ取っていたと思います。それがちょっとずつ加速されて行き、今では異常気象が当たり前になったのと同様、物騒でイヤなことだらけが当たり前の社会になってしまいました。

 

経済が停滞期に入っていたということもありますが、1997年には神戸連続児童殺傷事件、2001年6月には附属池田小事件といった世間を震撼させる猟奇的殺人事件が相次いで起こり、心に巣食う闇というものに世間の注目が集まりました。同じ年の9月にはアメリカ同時多発テロ事件、2011年には東日本大震災が起きました。そして今や、毎日、全世界でテロや暴力や猟奇的犯罪が荒れ狂っているのを我々は見ています。

 

ここで留意しなければならないのは、今の35歳以下、場合によっては40歳以下くらいの人たちは、ずーっと経済不況下の時代に生きて来たのであって、物心つく頃から、物騒でイヤな世の中しか見て来なかったということです。そして今、政府も、政治家も、投資家も、企業も、金融も、マスコミも、医者も、教育者も、宗教も、何もかもが信用できない、ということをこれら若い世代は学習しつつあります。これは表面に現れない、地底のマグマのような隠れた大変化です。

 

こうした状況下にあって、個々人の「心」は、いったいどこに落ち着き先を見つけるのでしょうか? ある人は、こんな世の中には背を向けて、自分の趣味世界に耽溺する道を選ぼうとするでしょう。安全と保証を求める人は、すでに壊れ掛けている世界で、なおエリートの道を目指そうとするかも知れません。一方で、競争に馴染めない人は、厭世的気分に深く沈み込んでしまうかも知れません。

 

そして、今の時代に見られる極めて顕著な「心」の表出として、条件反射的な他者攻撃があります。誰も彼もが、一拍置くということをせずに、ちょっとでも気にくわない奴をみつけると、すぐさま罵詈雑言を浴びせ掛けています。一国の最高指導者にしてそうなのですから、あとは右に倣えです。そうやって、自分以外の他者を貶めることによって、自分の存在意義を保とうとしているのです。

 

この意識を、拡大して「国家」概念にあてはめたものがナショナリズムです。ですから、他者攻撃の願望を心の奥に持っている人は、国家主義や愛国主義思想に簡単になびいてしまいます。けれども、今の日本で「国家主義」を標榜している人たちの大部分が、実は「国家主義」とは真逆の、そして「愛国」とは真逆の、「対米追随主義」でしかないことを彼らは知りません。

 

そして宗主国であるそのアメリカとは、民主主義の名のもとに、今なお世界を蹂躙し続け、世界中の人々を貧困と恐怖と混乱に陥れている元凶なのです。そんなアメリカに追随して来たからこそ、見習って来たからこそ、日本の相対貧困率は、遂にアメリカに次いで第2位になったのです。つまり、いま叫ばれている「愛国」とは、アメリカとの心中へのゆるやかな道です。

 

でもそんなディテイルは、彼らにとってはどうでもよいのです。自分の攻撃的感情を載せられる受け皿があればそれでいい。ですから、そもそも「国家」など一つの行政単位に過ぎない、ということを考えてみようとする余裕がありません。歴史地図帳を開けば、日本においてすら国境というものが変わって来たことは明白です。戦国時代をご覧なさい。列島内にたくさんの国があったじゃありませんか。

 

もし「愛国」を言うのなら、どうして全世界の国々を愛する「愛世界国」と言わないのでしょうか? 日本だけを愛して、隣国、周辺国には敵意を剥き出しにする。これは、我が家の家族だけを愛し、隣家や町内会には敵意を抱くということと何ら変わりがありません。自分の仲間たちだけを寵愛し、それ以外は「こんな人たち」と蔑むことと全く変わりがありません。

 

日本人が「愛国」を言うのであれば、他国にだって「愛国」があることを認めるべきだし、それを尊重すべきです。そこに至って、自分を愛するということは、他者が同様に自分を愛することを認めることであり、反対に他者を愛するということは、他者も他者を愛することが可能ということを認めることになります。そしてこれこそが、「Universal Love」であり、世界平和への唯一の道なのです。

 

「必要なのは対話ではない。圧力です!」

全世界を前にして、まったく何という愚かで恥ずかしい発言なのでしょう。

敵意を剥き出しにして来る訪問者に、あなたは玄関の扉を開けますか? 大人は、お金や肩書きや信念で目が曇っているので見抜けませんが、子どもは即座に見抜きますよ。この人、いい人か、悪い人か。地球人の気づきは、まだまだ遠い。

 

これから書くことに、お気を留める方は極く少数でしょう。きっと嘲笑される方もおられるでしょう。でも大事な大事な選択のステップです。あなた方は今後数十年のうちに、二段階のステップを踏んで気づいていかなくてはなりません。第一段階は「人類支配の構造」に関して、そして第二段階は、その奥にある「因の世界」の法則についてです。人類の覚醒は一挙には進みません。この二段階のステップとなります。

 

今の人類が経験している苦しみの大部分の要素は、太古の時代から繰り返し続いて来たもので、その主因は、ほんの一握りの支配者が、残りの大多数の人間を騙して、奴隷化、家畜化し、その上に君臨していることから生じています。ところがこの支配構造は非常に巧妙で、かつ支配者が表に顔を出さないために、長年に渡って「まさか、そんなことが‥‥」という事態が続いて来たのです。

 

簡単に言えば、壮大なるフィクションを人類全体が演じさせられているということです。しかし、みんな自分が演じさせられているとは、よもや気づかない。なぜなら、上から下までが完全な洗脳状態にあるからです。これがあまりにも強力なために、二段階めの気づきが起こるための、最大のネックとなっているのです。しかし一段階めの気づきが起これば、二段階めに気づくのは早い。

 

選挙で、たとえ誰を選ぼうとも、この構造は直ちには変わりません。アメリカ人は、ここ何度かの大統領選で、また議員の選挙で、このことを随分学習しました。政府や政治家やマスコミは信用できないという人が、かなりの規模に達しています。でも日本人は、まだそこまでは行っていません。何度騙されても、懲りずに今なお、政治家や国に「期待する」という感覚の人が多いのです。

 

今日、政治の行方を決めているのは、政治家や役人ではありません。政治家や役人をコントロールしている企業(なかでも多国籍企業)です。その企業をコントロールしているのは、所有者つまり株主や投資家たちです。この投資家たちをコントロールしているのが金融です。そして金融をコントロールしているのが、世にいう「闇の支配者」です。

 

このような構造の中で、配下にいる政治家たちは、自分たちや企業に都合のよいような法律を制定し、この法律を基に国家運営の基本的なシステムを構築しています。このシステムは、金融制度、軍隊、エネルギー、司法、警察、医療、教育、マスコミ等々、全産業に渡っていますから、結果として、あらゆるものを「闇の支配者」がコントロールできる仕組みになっているのです。

 

選挙制度は全くの茶番で、「民主主義」というものをさも実現しているかのようなポーズのためにあるだけで、いま言ったように、実際には「民主主義」とはほど遠いコントロールが水面下で行われているのです。選挙に「お金」が掛かるのは、「お金」の手当てが可能な人しか出馬できないようにするためであり、政治家は、結局は「お金」をくれる者の言いなりになる構造になっているのです。

 

そして、人類を支配するために考案された最大級の発明品が、この「お金」および利息なのです。「お金」が無いと生きていけないとみんなが思い込み、「お金」の魅力によって操られ、「お金」を得るためにあくせくと働き、住まいを得るためには借金をし、利息を取られ、いよいよお金が無くなれば路上生活を強いられるという風で、大多数の人間が、一生を「お金」の奴隷となって過ごすのです。

 

さて「お金」とは何でしょうか? 人類を、この発明品の奴隷にし、富を偏在化させるための仕組みです。あなたが働くと、その労働は賃金に換算されます。しかしその賃金は直ちには払われないし、雇い主に上前を撥ねられます。こうして、労働を賃金に置き換えることで、富の一部を奪い、それを集め、この「お金」を運用することで、富者がますます太る仕組みが確保されます。

 

そしてこの仕組みを維持するために、「お金」の魅力を方々で力説してシステムに誘い込み、富を巻き上げ、次にその富を使って、大衆をコントロールするのです。と聞いても、「なるほどそうか!」と思う人は少ないでしょう。ピンと来ないか、何か私が大袈裟なフィクションを語っていると思うでしょう。それほど、洗脳が隅々にまで行き渡っている。だから大変なのです。

 

でも考えてみてください。自然界に「お金」があるでしょうか? 「お金」の仕組みが存在するでしょうか? 「お金」がないのに、自然界は、互いのエネルギー交換だけで、ちゃんと全体が調和するシステムを実現し、維持しています。これが自然界の摂理です。それぞれが、自分のあるがままに自由に生きて、それでなおかつ調和が成り立っているのです。そして自然とは、神の表現物であったことに注目してください。

 

今までの「お金」のあり方に疑問を持ち、金融支配の構造の裏を知った人たちの中から、「お金」に関して新たな模索をする動きが出始めています。ドルに代わる基軸通貨とか、「お金」の価値を何をもって担保するかとか、ビットコインだとか。でも、ポイントはそこではありません。「お金」のチェンジではないのです。人類の支配者にとって、「お金」はいわば血流ですから、何があってもこの仕組みを手離そうとはしないでしょう。

 

重要な点は、その構造を支えている人類の「意識」なのです。「お金」の裏側には、人類に共通した「エゴ」というものがあって、これが今の「お金」の仕組みを根底で支えているのです。そこに気づかない限り、根本は変わらない。地球の人間たちは、「お金」が支配する「現実」という海を、自分たちは泳いでいるのだと思っています。しかしこれは、物質世界に創られた、全人類合意のもとに演じられている壮大なフィクションに過ぎないのです。

 

あなた方の本質は「肉体」にあるのではなく「魂」にあるのだと繰り返し語って来ました。あなた方が泳いでいる本当の場所は、実は目に見えない場所、霊性(つまり「宇宙の法則」)が支配している海なのです。みなさんの「魂」は、根本のところでこれに気づいています。ですから、何でも「お金」が支配する、今のような世の中との間で、始終摩擦を起こし、苦しまされているのです。    

 

なぜこんな不毛なことが繰り返されているのでしょうか? それは、人々を支配しようとしている者たちもまた支配されているからです。これが「洗脳」というものの実に奥深いところで、支配者層は、「お金」を持つことが自分の「幸福」を実現することだと信じて疑わないのです。ですが、そんなことはありません。肉体の死を迎えた後も運ばれるのは「お金」ではなくて、霊性の海に生きた体験だけなのです。これが、あなたというアイデンティティの唯一の保障です。

 

そして「宇宙の法則」は、いつも次のことを示しています。自分が為したことは自分に返って来る。自分の「エゴ」によって、多くの人々を苦しめた人には、次にその苦しみを自分が体験するチャンスが与えられます。でもこれは「罰」ではありません。チャンスです。宇宙に「罰」はありません。あるのは法則のみ。そのような山登りのルートを選んだ人には、望み通りのチャンスが与えられるというだけのことです。

 

自然界は、理想社会のあり方をいつも示してくれています。多種多様なものが存在し、それぞれがあるがままに自由に生きることで調和が取れている世界。人間はこれを見習って、もっと謙虚になって、親和と愛に生きることを目指さなくてなりません。一握りの権力者が、他の多くの人々を支配することなどあってはならないし、それは「宇宙の法則」に反していますから、必ず破綻します。

 

小さきもの、多種多様なもの、それらの集合体が「生命」なのです。宇宙も、自然界も、そしてあなたの身体も、すべてそのように出来ています。この事実に気づきなさい。小さきもの、多種多様なもの、自分とは違う個性に敬意を払いなさい。あなたを生かしてくれているものはそれらです。ご自分の身体の細胞を慈しみなさい。そして、細胞を慈しむように、隣人を、自然を、世界の人々を愛するのです。世界は一つ、宇宙は一つです。