by Rainbow School
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他者に支配されない生き方

みなさんは、今のご自分の心を、自分で自由に選ぶことができます。これがいわゆる「自由選択」というもので、それは天から与えられた、これ以上ないギフトなのです。このことは、これまでにも何度も語ってきました。この意味とメカニズムをよく理解し、宇宙の法則に合致した生き方を選択することが、自分で自分を支配するということです。言い直せば、他者に支配されない生き方です。

 

ところが、ほとんどの人が、このメカニズムをよく解っていません。自分の意識が意識化されていない状態で生活しているのです。先日もこのようなご相談がありました。夫婦関係がうまくいかずに困っているが、ご主人にどうもコミュニーケーション障害の疑いがあると言うのです。私は即座に、そのようなレッテル貼りは、お互いに何の益ももたらさないと申し上げました。

 

ご主人に、もしそのような診断を伝えたら、ご主人は「俺ってコミュニーケーション障害者なのか?」と思うでしょうし、奥さんの方は「こういう障害を持つ夫と暮らし続けていくにはどうしたらいいのか」という発想から逃れられなくなってしまうでしょう。あるいは、ご主人が怒って、「バカにするな。おかしいのはお前の方だろう」とやり返してくるかも知れません。

 

このような、誰かが誰かを診断する(言い換えれば「裁く」)という行為が、今や世間広く、当たり前のように行われていて、「◯◯障害」という新語がどんどん発明されている状況です。そしてなんと、このような新語を仕入れることが、現代人の教養であるかのような錯覚がまかり通っています。これは実に由々しき事態です。

 

人は、よく解らないものに対し名前を付けると、それだけで解ったような気になってしまうものです。典型例は、お医者さんの診断および病名の付与です。多くの人たちが、自分を「◯◯病」だと診断して欲しくて、せっせと医者通いをしています。現代のお医者さんとは、病気を治す人ではなく、病名を探して付ける人になっています。

 

ですが、あらゆるレッテル貼りは、対象物の本質を、本当に余すところなく表現しているのでしょうか? 夫を、妻を、子どもを、「◯◯障害」という枠組みに嵌める。それは、その人の本質なのでしょうか? いいえ、そのように見る人の、見たい人の、創り出した意識です。対象物に意味を与えたのは、その人が決定したレッテルです。つまり、「問題」はその人が創っているのです。

 

このことを、人は全くと言っていいほど意識していません。ですから、自分がいま感じている諸問題は、すべて外からやって来ていると信じ込んでいます。わたしがこうなったのは、あの人のせい。正しく評価されないのは組織のせい。恵まれないのは社会のせい。不安にさせられているのは隣国のせい。世の中をメチャクチャにしているのは◯◯人のせい。

 

そして、これを声高に叫ぶ人たちで世の中が溢れかえっている。みんなが、己の満たされぬ感情の捌け口を、自分以外の誰かにぶつけている。そして何より、政治の指導者である人間とマスコミが率先してこれを行っています。しかしここで、根本的な点を指摘しておきます。「関係」は、片方だけでは作れない。「関係」とは、AとBとの「間(あいだ)」に生じるものなのです。

 

この自明の理を、多くの人が理解していません。自分のことは自分にはなかなか見えないので、みんな相手ばかりを非難しています。相手が悪いから、ちっとも「関係」が改善しないんだと思っているのです。ですが、そうではありません。「関係」とは、常に「間」に生じるものです。この「間」は、キャッチボールをする時と一緒で、自分が想うもの、願うものがそのまま返って来るのです。

 

私が『世界入りにくい居酒屋』やコウケンテツさんの食の旅番組、『世界ふれあい街歩き』や関口知宏さんの旅番組が好きで「いいなぁ」と思うのは、初対面の人どうしがすぐに打ち解けて、お互いの文化の話に花が咲き、互いに学び合っている点です。もしも、世界中がこうだったとしたら、なんとステキだろうとは思いませんか?

 

でもなぜ、そんな「関係」がすぐに構築できるのでしょうか。それは番組を見ての通りです。相手を疑っていないからです。胸襟を開き、子どものような好奇心を前面に出して、遠慮なく話し掛けて行っているからです。だから、それに応じた球がすぐに返って来るのです。

 

関口知宏さんやコウケンテツさんが、もしも銃を腰に下げ、疑いの眼で旅先の人を見て、ファイティングポーズをとりながら飛び込んでいったとして、同じことができると思いますか? この当たり前のメカニズムを、どうして夫婦関係や、親子関係や、職場の人間関係や、外交に当てはめてみようとはしないのでしょうか?

 

多くの人が、自分の今の意識は、実は自分が選んでいるのだということを意識していません。これを、「肉(身体)に埋没した状態」と言います。五感がキャッチした、外からやって来た情報に、ただ反応しているだけなのです。けれども、自分の意識は自分が創っているということを意識する習慣をつけるだけで、あなたは自分を劇的に変えることができます。

 

たとえば、あなたが誰かに殴られたとしましょう。殴られた箇所には瞬間的に痛みが走ります。でもその直後の気持ちを、あなたは自由に選ぶことができるのです。「コノヤロー!」と反射的に殴り返すこともできますし、その場に蹲って泣くこともできますし、「さあ、もう一発殴れ」と言ったっていいですし、微笑むこともできますし、有り難いなぁと思うことだってできるんです。

 

その意識の選び方いかんで、あなたが経験する現実が、まったく変わってしまうのです。もう一つの例を言いましょう。職場で、イヤだなと思う仕事を命令されたとします。どっちみちそれはやらなくてはならない。だとしたら、イヤイヤするよりも、その体験を通じて絶対に何かを掴んでやろうと、気持ちを切り替えてやった方がずっといいし、実際それはできるのです。

 

ここで、あなたを劇的に変える重要なポイントをお教えしましょう。どんなことでも、それを、あなたが自分でハンドリングしているという意識を、常に持って行動することです。あの人からこう命令された。これをやらされた。こんな目に遭わされた。このようなパッシブな気持ちは一切捨てて、どんな時も、その中にアクティブに自分が関われる要素を見出してください。

 

探せば必ずあります。たとえば、人付き合いが苦手なのに大勢の人の接客を頼まれたとしましょう。「いやだなぁ。うまく話せるだろうか、粗相なくできるかどうか心配だ」と思う。これを、「よーしこの機会だ。人間観察をして、客の行動にパターンがないかどうか、一つ分析してみよう」となれば、その体験が、その後のあなたにとって、貴重な肥やしになるかもしれません。

 

このように、何事も表向きは「ハイハイ」と聞いておいて、内心では全部を自分がハンドリングする要素に変えてしまうのです。これが、自分で自分を支配するということです。そうすれば、「今を生きる(be here now)」ことの感覚があなたにしだいに入って来て、あなたの人生がハッピーなものに変わっていきます。そして実際、その方が仕事がうまくいき、感謝だってされることでしょう。

 

さてメカニズムが解ったところで、冒頭に示した「宇宙の法則に合致した生き方」とは何でしょうか? これは、愛を与えれば愛が返って来るということです。逆に言えば、憎悪を与えれば、憎悪が返って来るのです。さて、あなたはどちらを望むでしょうか? 当然、前者でしょう。‥‥と言いたいところですが、世の中はまるでそうなってはいません。

 

その理由は、「宇宙の法則」を知らないということもありますし、自分の意識を意識化できていないということもあります。でももっと大きな、根本的な原因があります。それは、あなた方の選択行動に影響を与えている動機が、ほとんど「恐怖」から出発しているということです。「愛」と「恐怖」とを比べたら、「恐怖」の方が、100倍ものモチベーションを与えることができるのです。

 

所有欲は失うという恐怖から生じ、金銭欲は貧困への恐怖から生じ、戦争は攻撃されることへの恐怖から生じ、医療保険は病気や死ぬことの恐怖から生じ、健康食品やスキンケアは老化への恐怖から生じる。そしてそれらに備えれば「恐怖」から逃れられると、みんな思っています。いや、思わされている。社会のシステムが、すべてそのような「恐怖」をモチベーションとして構築されているからです。

 

こんな状況下で、「愛」に基づく選択行動をとる人が、いったいどれだけいるでしょうか? 本当にお寒い話です。でも、だからこそ、ご自分の意識の意識化に取り組んでいただきたいのです。人間の選択行動をプッシュするものとしては、「恐怖」が圧倒的な優位にあります。しかしそれを利用し、大衆を支配しようと企む人たちの尻馬に、やすやすと乗ってはいけません。

 

たとえ1パーセントが支配しようとしても、99パーセントが「No!」と言って従わなければ、それは成立しないのです。長い長い歴史の中で、人類はこれまで、一度たりともそれができませんでした。しかしそれを、今度こそ乗り越えることが、人類に向けられた大いなる課題です。

 

核の惨劇は、一度経験すれば充分ではないでしょうか?

原発事故の災厄は、一度経験すれば充分ではないでしょうか?

ナチズムの集団洗脳は、一度経験すれば充分ではないでしょうか?

戦争したがりの人たちが、国民をどのように誘導していったかは、一度経験すれば充分ではないでしょうか?

世界大戦は、二度も経験すれば、もう充分ではないでしょうか?

政府は必ずウソをつく。マスコミは真実を伝えない。これも、もう充分に経験したのではないでしょうか?

 

ああ、愚かな人たちよ。

世界を、人類を、我欲のために、破滅にまで導きたい人がいることは確かです。

でも、なぜ、そういうリーダーたちに好んで着いて行こうとするの?

着いて行き、わざわざ心を不安と怒りでいっぱいに満たし、

わたしが与えた、愛の輝きを棄てようとすることを選ぶの?

99パーセントが着いて行かなければ、1パーセントはどうすることもできないのですよ。