by Rainbow School
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真理の世界は彼岸ではない

宇宙の真理は一つです。真理というのは、何かを成り立たせている根源的な理法(Fundamental  Theory)のことを言います。何かを成り立たせている背景には、必ず成り立たせている理由と法則があるのです。秋に庭に埋めておいた球根から、春先になって芽が出て花が咲く。このような現象一つとっても、そうなる理由と法則があってそうなっているのです。

 

では宇宙全体を考えたらどうなるでしょう。宇宙が成り立っているということは、そこにも成り立たせている理由と法則があるということです。そして宇宙は一つなのですから、当然、真理は一つということになります。理論物理学ではマルチ・ユニバース(複数の宇宙)という考え方も提唱されていますが、Multi-universe を包む全体を考えれば、やはり一つです。

 

仮に真理が二つあったとしましょう。AとBです。Aは我こそが真理だと主張する。BはBで、我こそが真理だと主張する。そうすると、AからすればBは真理ではないということになり、BからすればAは真理ではないということになって、矛盾が生じます。結局、AもBも包含するCを立てなければいけなくなり、結論は、やはり「真理は一つ」というところに帰着するのです。

 

既成宗教が犯してきた間違いは、そのほとんどが「我こそが真の道」と言って憚らないことです。そして我以外は邪宗、邪教だと言って攻撃してきました。これがどんなに欺瞞的な言葉であるかは、いま言ったことを考えていただければ容易にお解りでしょう。どんな道を通ってもよいのです。どんなルートを通っても、頂(いただき)は常に一つです。

 

あなたが富士登山をするとしましょう。先人たちが作った歩きやすいルートが、吉田ルート、須走ルート、御殿場ルート、富士宮ルートと4つある。あなたはこの中のどの道を選んでもいいし、あえて選ばなくてもいいのです。選ばずに、人跡未踏の道を、自分で開拓して行っても構わない。でも変わらないものがある。それは頂上は一つということです。

 

頂上は、どんな人にも頂上であり、そこに今あり、燦然と輝いている。これは素晴らしいことだとは思いませんか? どんな人も差別したりしていないんですよ。お前は来るなとは決して言わない。いつでもそこにあるんですよ。「さあ、どうぞ、いらっしゃい」と。

 

ただ「ある」ということを、意識して生活するかどうか、山登りをしてみようという気になるかどうか、そして実際に登り始めるかどうかで、歩みに差が出てきます。山登りにまったく興味がない人にとっては、目の前に後光が射す山が聳えていても、その人の目にはそれがありがたいものだとは、ちっとも映らないのです。でもその人だって、いつかは山登りを始めるのです。

 

私たちは宇宙の一員です。ということは、最初から真理の中にいたのです。以前にザルの例えを書きましたね。ザルで水を掬いに来ても、みんなジャージャーとこぼれてしまうんだと。ではザルを水で満たすにはどうしたらいいのか。それはザルごと水に沈めることだ、と書きました。実はこの話には、まだ続きがあったのです。

 

ザルは、最初から水の中に沈んでいるんです。ですから、自分の身を水の中に沈めるというのは、そんな断崖絶壁から湖に飛び込むというような、格別の勇気を必要とするものでもない。ただ、そこに気づくだけでよかったのです。

 

山は、いつでも目の前にあるんだと。自分は、その頂上に至る地平に、今まさに立っているんだと。

 

真理の世界というのは、彼岸(向こう岸)にあるのではありません。この世があって、あちら側にあの世があるのではないのです。あの世の中にこの世が最初から含まれている。この世というのは、物質的世界から霊的世界までを含む、すべての宇宙の、ごくごく限定された世界に過ぎないのです。私たちは最初から、真理の海の中に生かされているのです。

 

それなのに、どうしてこの世は、こんなにも混乱しているのでしょうか? それはこの構造に気づく人があまりにも少ないからです。みなさんから見れば、霊的世界というのは、とても不思議なものに思えるでしょう。でも多次元的世界にいる者たちからすれば、人間たちの方が不思議です。

 

人間たちは、どうして争いごとを止めないのでしょう。争いごとが決して幸福をもたらさないということはみんな分かっているはずなのに、せっせとそっちへ向かおうとする。あまつさえ、そういう人を賞賛する文化まである。平和を希求する人を「平和ボケ」と言って揶揄する人すらいますが、全世界の人が「平和ボケ」になったら、どんなに素晴らしい地球になるでしょうか。

 

全世界の富の半分を、わずか62人の大富豪が握っています。その一方で、貧困に喘ぐ人々の数は減るどころか、むしろ拡大しているという矛盾。一生かかっても使い切れないほどのお金を、大富豪たちが貯めこむ理由は、一体どこにあるのでしょうか? お金というのは、経済循環のための単なる道具です。動かないお金を分け与えて動くようにしたら、人々にどんなに笑顔が戻るでしょうか。

 

宇宙から見れば、人間たちの行動はとても不思議です。どうしてこんな簡単なことすら解らないんだろうか、と思うのです。競争をして、奪い合って、勝ち負けを作って、それで勝ちほこる人と負けて悲嘆にくれる人を分けて、みんな心をズタズタにして、それでも奴隷のようになって働いて、そして人生が解らない、生きる意味が見つからないと言っている。

 

宗教家ですら、この世における「成功」という幻想をエサに、霊的世界のドレッシングをかけて、「さあ、お食べ」「うちしか、こんなにおいしいものはないからね」と言っている。まったく不思議です。

その何が面白いのか、楽しのか、ハッピーなのか。

 

あなたの視点を、ずっとずっと上に上げて行って、宇宙にまで引っ張り上げて、地球に暮らす人間たちの姿を見てご覧なさい。今日もドタバタと、どうでもいいことに血眼になって騒いでいる人たちの姿が見えませんか? 内閣改造?あなたに何か関係がありますか? 松井一代さん?あなたに何か関係がありますか? 謙さんの不倫?あなたに何か関係がありますか? 

 

自分には何の関係もない、どうでもいい話にばかり振り回されて、しょっちゅう目をキョロキョロさせていたら、目の前にある山になど、気づくはずがないではありませんか。本物と偽物を見分ける目が、育つ筈がないではありませんか。自分が何者で、どこから来て、どこへ行くのか、解るはずがないではありませんか。

 

人間たちよ、目を覚ますのです。この集団催眠状態から抜け出すのです。気づいた人たちから、先ず歩み始めなさい。山はいつでも、変わらずにある。あなたのすぐ横にある。あなたが気がつき、登り始めるのをいつでも待っている。