by Rainbow School
<< December 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 不正直であり続けることは、自分の身体を傷つける | main | 私の役割? >>
アール・ブリュットは、人が「自由」であることの意味を教えてくれる

アール・ブリュット(art brut)」とは、フランス語で「生の芸術」の意味。正規の美術教育を受けていない人たちが創り出す、自発的で、ありのままの表現活動を総称してそう呼ばれています。これを英語に訳した言葉が「アウトサイダー・アート(outsider art)」です。「アール・ブリュット」というと、障害者が創る芸術のように思われていますが、元来はもっと幅広い意味のようです。

 

日本では、戦中・戦後にかけて、裸の大将こと山下清さんが注目されましたが、今日のような開かれた状況を創った嚆矢は、なんといっても「ねむの木学園」の宮城まり子さんであったと思います。今では、同様の取り組みをしている施設が全国にいくつかありますが、宮城まり子さんが始められたころは、本当に異端の取り組みという感じでした。

 

先日、草間彌生さんの『わが永遠の魂』展を観に行って来たのですが、宮城まり子さんも草間彌生さんも、昔はもの凄く叩かれたんですよ。他人と違ったことをする人、しかも今までになかったことをする人(特に女性)は、日本では必ず叩かれるんです。「和」や「空気」を乱すものは決して許さないぞ!というのが日本の風土。そこで、「忖度」という制度?が自然と誕生しちゃう。

 

でも少しずつですが、変わって来ているのはいいことです。ただ草間彌生展が大盛況だったのも、結局は有名人になったからというのがあるのかなぁ? 展覧会場で、あっちでもこっちでも、草間彌生作品をバックに、スマホでパシャパシャ自撮りする人が居るのには、全く閉口しました。うるさくって鑑賞どころじゃない。みんな、いったい何しに来てるのかな?

 

私は「障害者」という言葉が嫌いです。「支援」という言葉も嫌いです。ですから、〈世の中には「障害者」という人がいて、そういう人は「支援」してあげなければいけない〉という、今の社会の風潮や常識にはウンザリするし、クソくらえと思っています。「良いことの押し付け」が、人間を不自由にさせ、幸福を奪っているということに、人はなぜ気づかないのだろうと思います。

 

私は、「障害者」など、どこにもいないと思っています。あるのは「個性」だけです。もし、どうしても「障害者」という言葉を使いたいのであれば、人間は全員が「障害者」だと思います。

 

私だって、目がよく見えない。一日中、激しい耳鳴りがしている。アレルギー体質で、花粉症とアトピー性皮膚炎とリウマチがある。右肩が痛くて腕が背中に回らない。人混みにいると吐き気がする。友だちがいない。パーティーでは隅っこでお地蔵さん状態。市役所の申請書がうまく書けない。高い所が怖い。スピードが怖い。そして何より変な人! 宇宙人。

 

でも、これって「障害」なんでしょうかねぇ? 怒りんぼだったし、ひとりぼっちだし、パニック症候群にもなったし、鬱病にもなったし、金欠病にもなった。あ、金欠病は今もだ。これって「障害」なんでしょうか? 

 

もし「障害」というものがあるのだとすれば、その基準を定めなくてはならなくなります。腕が背中に回らない。それのどこまでが「正常」で、どこからが「障害」になるのでしょうか? 背中の中段くらいまで上がればいいのでしょうか? それとも背中で反対の手の指先と触れなければ「正常」とは言えないのでしょうか? いったいその基準は、誰がどうやって決めるのでしょうか?

 

エベレストは富士山よりも高いから、それだけ優秀なのでしょうか? 全国にある、通称「◯◯富士」は、富士山のまがいものだから、それは「障害者」なのでしょうか? 四つ葉のクローバーは三つ葉じゃないから、「支援」すべき「障害者」なのでしょうか? そんな区別は、みんな人間がしていることであって、それぞれは、ただ自分を生きているだけです。

 

宇宙には、「障害」など何ひとつありません。みんな、ただあるようにしてある。金星や火星は樹木一つないからといって、ではそれは(地球と比べて)「障害者」惑星なのでしょうか? そんなバカな話はありません。ものに基準を設け、物差しを作り、判定し、優劣をつけ、優が劣を支配して当然、などと考えているのは、宇宙の中で人間だけです。

 

「アール・ブリュット」は素晴らしい。胸を打つ感動があります。でもその素晴らしさを、「障害者なのに、あれほどの作品を生み出せる」と、みんな捉えてはいないでしょうか? この前半部分は要らないのですよ。ただ「素晴らしい作品だ」だけでいいんですよ。「感動した」「凄い!」だけでいいんですよ。それがアートというものだから。

 

前半部分をどうしてもくっつけたい人というのは、結局、ピカソだ、ゴッホだ、マティスだ、草間彌生だと、ブランド名をくっつけてからアートを観たい人と同じなんですよね。自分の中に湧き上がる感動を味わいたいんじゃない。有名なものに触れて、ただパシャパシャやりたいだけなんだよね。つまり、自分というものを信じていないんだ。

 

アートとは何か? それは「宇宙の真理」の表現。そこに「宇宙の真理」を表したものです。ですから、「宇宙の真理」を、言葉や、音楽や、色や、形や、身体を使って表現しようとする人、表現したいという欲求を持つ人は、みんなアーティストです。年齢も性別も、ましてや知能など、なんの関係もない。ただ個性があり、そして個性的表現があるだけ。

 

その最高の個性的表現が、皆さんが見ている宇宙であり、自然であり、生命なんです。宇宙も自然も生命も、「そうしたい」という何ものかの「意識」が創ったものです。あなたがそこに、もし「美」を見出すとすれば、あなたは忘れていないということ。自分も、それを創った一員であることを覚えているということ。だから、あなたはアーティストにもなれるし、アートに感動もするのです。

 

「アール・ブリュット」のアーティストたちは、作品を通じて、ふだん私たちが忘れている素晴らしいメッセージを、私たちに伝えてくれているんですよ。それは、「自由」とは何かということ。「自由に生きる」とは、どういうことなのかということ。そして「自由に生きる」と、どんなに素晴らしい世界が現れるかということを。

 

私が生きてきた半世紀。振り返ると、子ども時代には、いま障害者とか自閉症と言われている人たちは、社会からは隔離されていました。その後、社会に順応させよう、社会的基準の人間に少しでも近づけようという動きが起こりました。そして今、反省に立ち、彼らの「自由」にしてあげようという発想がようやく定着しつつあります。でもまだ、全部じゃない。

 

総体では、やはり、何にでもレッテル貼りをした上で、「支援」が必要という発想が、ますます酷くなっています。それを「良いこと」だ「正義」だと考える人たちがいて、社会のスタンダードに押し上げているからです。しかも、そこに商売と利権が絡む。ですから、この人たちは、よもや自分たちが、人間を檻に閉じ込めているとは思っていません。

 

「アール・ブリュット」は、その発想に見事に風穴を空けている、と私は思います。それまでの「こうしなさい」を止めて、「自由に表現していいよ」と言ってから、「アール・ブリュット」は一気に開花した。特徴的な繰り返しパターンや、いつ終わるかと思うほどの延々と続く緻密な作り込みも、ただ楽しい瞬間を、連続させているからこそ出来ることです。

 

これぞ、まさに “ Be Here Now(今ここ)” ではありませんか? 誰にもコントロールされず、自分のインスピレーションのおもむくままに、無計画に、ただ瞬間々々を、夢中になって楽しんで、表現に打ち込んでいると、いつの間にか、もの凄い、壮大な「表現物」が出来上がっているのです。そのあり方は、何かとそっくりだとは思いませんか? そう、自然であり、宇宙であり、生命です。

 

私たちの多くは、なんと自然に逆らった生き方をしているのでしょうか? 誰かの命令に従い、目標を与えられて、計画的に、手順を踏んで、ミスのないように、確実に仕上げることが「よいこと」とされている。そして、神経をすり減らし、自分の楽しみや、家族との交流を減らしてまでも、競争をし、ライバルに勝つのが、デキる人間の生き方だと思い込まされている。

 

それで得をしているのは、いったい誰なんでしょうねぇ?

 

それでも、このように言う人がいるかも知れません。アートなんて、役に立たないじゃないか。彼らだって「支援」を受けているからこそ、そんな生き方が出来るんじゃないか。俺は、働かなきゃ喰えん、と。だとしたら、そんな価値観は古過ぎるし、洗脳がまだ解けていない。私は、アートのない世界なんて想像できないし、アートから日々、生きることの喜びを教えてもらっているよ。

 

それに、「支援」を受けていると言うけど、なんでも自分で出来る人なんて、この世にいないんですよ。あなたは、自分の食べ物を全部自分で作っていますか? 水を汲みに行っていますか? 糞尿を自分で始末していますか? 電気を起こしていますか? 布を織っていますか? 糸を紡いでいますか? 生活に必要な道具は、全部自分で作っていますか?

 

誰もが、常に誰かのお世話になって生きているんです。ことさら「支援」などと言わなくても、困っている人がいるなら助けてあげるのは当たり前です。私は茄子を作れないけど、スーパーが私を助けてくれます。そうやって、助けたり、助けられたりしながら、社会が成り立っている。それは、大自然の営みというものを見れば、明らかなこと。

 

誰にも役割があり、素晴らしい能力があるのです。その能力を、思いのままに、自由に、素直に活かせば、あなたは喜びの中に生きられるし、周囲の人々を喜ばせることも出来るのです。気負って、誰かのために何かをしよう、と考えなくてもいいのです。すべて自分のためにやっていれば、自動的に、それが周囲の人々のためにもなるのです。自然を見なさい。神はそのように宇宙を創った。

 

そうじゃないと思う人。人には優劣があり、優が劣を支配してもよいのであり、劣は矯正されるべきものであり、競争に勝たなければ優のポジションにはつけないのであり、そのためには努力が必要であり、他者を蹴落とす必要があり、嘘をついてでも、歯向かう者を謀略に嵌める必要があり、そうやって勝ってこそ、幸福になれる。

 

こう、強く信じる人によって、今の社会が作られ、その思想を吹き込まれ、運営され、自由を奪われ、奴隷にされてコキ使われ、歪められ、著しい不平等、不公平、富の偏在が起こされている。そんなふうに、神は宇宙を創らなかった。それは、自然を見れば明らかです。足りないものなど実は何もない。すべての人に分け与えられるだけのものはあるのです。

 

だから、競争などする必要もない。自分の「魂」が喜ぶことだけを、“ Be Here Now ” でやっていれば、すべての人がハッピーでいられるのです。

「アール・ブリュット」のアーティストたちは、その真理を、先取りして、現代の人々に示してくれているのです。

人は、本来的に「自由」なんだと。あなたも、私たちに続きなさいと。