by Rainbow School
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新しい霊性

社会がどのような体制になろうとも、経済活動がどのように変化しようとも、科学がどのように発達しようとも、人間が霊性(Spirituality)に拠りどころを求めようとする気持ちは決して無くなりません。それは、大多数の人々が、自分の本質は「魂」にあるということを、無意識のうちにも感づいていて、その「魂」が、真に幸福な生き方を求めるからです。

 

でも世の中は、一見、霊性とは関係ないところで動いていて、普段の暮らしも、人間関係も、健康や病気に関することも、教育も、心の問題も、それぞれがそれぞれの領域で語られたり、専門家と称する人のアドバイスを受けたりしています。けれども、最後の最後は、人間、霊性です。霊性に帰着する。それは自分という存在の出発点であったのであり、廻り廻って、最後はそこに眼が向けられることになるのです。

 

それを、いったいどの時点で気づくことになるのか? 幼少時なのか、青年期なのか、壮年期なのか、老人になってからなのか、はたまた死ぬ直前なのか。死の間際になっても、結局気づくことなく臨終を迎えてしまうのか。それとも、死にそうな大病をして、あるいは身内を突然失って、あるいはすっかんピンになって、それでハタと気づくのか。

 

多くの人は、人間、最後の最後は「霊性」だと予感していても、世間の手前や、社会の常識の刷り込みや、日常の忙しさ(そのほとんどはスマホに眼を釘付けにしたりというどうでもいいこと)にかまけて、冷静に「霊性」に向き合う瞬間というものがありません。それと、もう一つの大きな原因は、その求める気持ちに、本当に応えるもの、本物がないということです。

 

いや、正確に言えば、本物はいつの時代にもあるのです。けれども多くの人は、それを発見することができない。なぜ発見できないのでしょうか? それは、自分の中に潜むエゴを捨てられないから。捨てられないから、エゴが喜ぶものを追い求める。よくしたもので(と言っていいのかどうか?)、それに応える、エゴに「霊性」をデコレーションしたスイーツが、世の中にはいっぱいあるのです。

 

それを人々はパクッと食べる。そして満足する。でもしばらくするとまた食べたくなる。結局、いつまで経っても食べることをやめない。あっちにおいしい店があると聞けばすぐに出掛け、こっちに有名パティシエの新作が出来たと聞けば行列に並ぶ。見知らぬお宅を訪問しては「あなたも絶対にこれを食べるべきよ。今すぐに!」と言う。そうして、スイーツを売っている人たちを儲けさせる。

 

そんなことしなくていいのに‥‥。自分の中にすべてがあるのに。

 

これまで、人間が求めて止まない「霊性」に回答を示し、応えようとして来たのは、まぎれもなく宗教です。しかし宗教は、いくつかの点で大きな誤りを犯して来ました。その一つに、多くの宗教は、神との交信が出来た霊能者(今の言葉でいえばチャネラー)を創始として興ったのですが、このチャネラーを、神に準ずる崇拝の対象にしてしまたのです。この図式は、新興と言われる宗教においても何ら変わりがありません。

 

逆に言えば、人間は、自分以外の誰かを、崇め奉るのが好きだということです。ここで、崇め奉られるのが好きな人と、崇め奉るのが好きな人の、ニーズが合致する。波長がぴったりと合ってしまう。両者を合致させているものが何かと言えば、お互いが持っているエゴです。「霊性」の皮を被った実はエゴ。人間には上下があって、上に立つ者が偉いんだ、尊いんだという価値観を、互いに共有し合っている。

 

ところが、これが大問題なのです。エゴを抱えている限り、本当に高い次元の真理には絶対に到達できないだけではなく(なぜなら、波長が合わないから)、支配と被支配、依存と共依存(依存者を支え続ける依存)という関係から抜け出せなくなってしまうからです。

 

Love is blind. そこに嵌まり込んだ人は、喜んで、支配と被支配、依存と共依存という関係に精を出していく。そうすることが、神に愛されることだと、ひたすら信じて。

 

騙される者がいて、騙す者が成り立つ。

本当なら、そのチャネラーはこう言わなければならなかったのです。

 

誰もが、内なる神に出会えるんですよ。

あなたも神の子。ただいるだけで、すでに素晴らしい存在なんです。

自分は、そのことに、ほんのちょっと、先に気づいただけ。

だから私は、私の役割として、あなたたちに道を示します。

さあ、歩みなさい。ご自分の道を。

 

霊能は、霊性の高さを保証するものではありません。ただの能力の一つ。それなのに、自分は霊能を持つから特別だ、人より優れているなどという、人間社会のエゴを剥き出しにした者に、みんな簡単に引っ掛かってしまう。そして創始者が死ぬと、この「特別さ」を巡って、必ず跡目争いが勃発する。「特別さ」は血に、つまりDNAに引き継がれると主張する一派と、教えをいちばんよく理解した高弟、つまり教義によって引き継がれるとする一派とに分裂する。

 

いったい人間は、何をやっているのだ。

自分の「魂」が幸福になる道を歩みたかったのではなかったのか。

自分が何者だということを知りたかったのではなかったのか。

教団の維持と、保身と、他者攻撃にばかり精を出して、それでどうするのだ。

それが、「霊性」を獲得する道だとでも、お前は言うのか。

いい加減に目覚めよ。

己のエゴを徹底して排除しなければ、高みになど昇れないことは、解りきったことではないか。

それなのに、エゴを剥き出しにしておきながら、「神よ、私を救ってください」などと言う。

みんなを愛することが、自分を救ける道だということが、なぜ解らないのだ。

こんな簡単なことが、なぜ解らないのだ。世の指導者たちよ。

 

世界中で起きている戦争は、結局、宗教か、領土・権益争いが原因となって起こっています。「最終戦争」などという馬鹿げた予言を信じ込ませる宗教まであるのです。霊性を求めたはずの宗教が、およそ霊性とは真反対な行動原理に走っている。それもこれも、盲信度合いに応じて、人間に上下の評価を与えるという、とんでもないエゴによる価値観をそこに持ち込んだためです。

 

人間が、新しい霊性に(それは古くて新しいものですが)、本当の霊性に、目覚めなければならない時が来ています。

もう既に、多くの人は気づき始めています。自分の「魂」は、喉の乾きを覚えるほどに霊性を求めている。でも、今まであった教えというのは、どうも違うようだと。本物はどこにあるんだと。

 

本物は、あなたの内にある!

自信を持って言う。甘い言葉の食べ歩きなど、もうしなくていいのだ。

なにゆえ、自分から束縛を求めに行くのだ。

あなたは自由なのだ。

自由こそ、あなたの「魂」が喜ぶ、唯一の道なのだ。

本当の霊性に目覚めよ。

だから、私は言う。

 

誰もが、内なる神に出会えるんですよ。

あなたも神の子。ただいるだけで、すでに素晴らしい存在なんです。

自分は、そのことに、ほんのちょっと、先に気づいただけ。

だから私は、私の役割として、ここに道を示します。

さあ、歩みなさい。ご自分の道を。