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現代に「商道」はあるのか?

イ・ビョンフン監督の韓国歴史ドラマが好きで、楽しみに観ています。特段、韓流ドラマのファンというわけではないので、放送日をチェックしたりはしないし、内容に関しても詳しくありません。でも再放送を、どこかしらの局でしょっちゅうやっているんですよね。

 

チャンネルを切り替えた際にたまたま目にして、「うっ、これは?」と思ってその後、観続けるというパターン。ですから、ぜ〜んぶ、最初の数話を見逃しているの。(ノ_・。) なぜ、イ・ビョンフン監督のドラマにだけ惹かれるかというと、主人公の生き方の中に、「理想社会の実現」という意思が同時に込められているから。


韓流ドラマといえば、裏切りとか、策略とか、恨み、妬み、怒りという人間が持つネガティブな感情と、恋物語を、これでもかとてんこ盛りにして引っ張って行くというのがお決まり。ですが、そういう部分には、もう私は興味がないのです。


イ・ビョンフン監督のドラマにも、そういうドラマを引っ張っていく要素はたっぷり散りばめられてはいますが、それを超える「理想社会の実現」という意思が、全体に貫かれていることが、他のものとはちょっと違うなと思っています。


さて、いま観ている「商道(サンド)」は、イ・ビョンフン監督作品の中では視聴率がよくなく、ご本人が失敗に終わったと仰っておられるのですが、やっぱり「華がないかなぁ」と感じます。登場する女性陣に魅力的なところがなくて、恋物語がなにかとってつけたよう。ですからその部分に来ると、盛り上がるどころかガクンと下がるんです。


まあ批評はともかく、このドラマでは、後に湾商というグループを率いることになる主人公、イム・サンオクの「商道」に対する考え方と、対立する松商グループのパク・チュミョン、チョン・チスの「商道」に対する考え方の違いがドラマを運ぶ基軸になっています。


サンオクは師であるホン・ドクチュから、「商いは人なり」ということを教えられます。人の役に立ち、人を活かし、人を育てることこそが「商道」なのだという考え方です。その下では、商取引というものは、それらを動かす血管経路で、お金はそこを流れる血液のようなものなんですね。つまり、商売は手段に過ぎない、でも無くてはならないものという考え方です。


一方、松商グループのパク・チュミョンやチョン・チスの考え方はまるで違う。目標は韓国全土の制覇にあって、商売を大きくしていくことにしか関心がない。ですから商売敵に勝ってのし上がるためにはなんだってする。あらゆる謀略を企て、政治家へは賄賂を渡し、他人の財産を乗っ取り、そして必要とあれば殺人まで行う。


この松商グループの人たちにとっては、商売のプラン、今の言葉で言えば「マーケティング戦略」というものは、つねに謀略を練ることなんですね。ですから、いつもセカセカと慌ただしくしている。一方のサンオクの方も常に機を見る戦略を立ててはいて、時には松商グループの謀略を跳ね返す成果を見せるのですが、ほとんどは痛めつけられるといった苦悩の連続です。


両者は、戦略を立てるということでは同じように見え、その駆け引きがストーリーを引っ張っていくのですが、同じように見えて実は全然違う。何が違うかというと、意思決定の際の基準となるものです。サンオクには「商即人」という哲学がありますから、迷った時にはこれに照らして決定していく。そうすると、明らかに損失を出すという場面でも、決断に悔いがないのです。


これが、謀略を主体に考えているチュミョンやチスには理解できません。自分たちの思考パターンを超えているから。そのため、サンオクの行動の裏には、自分たちが窺い知らない謀略がきっとあるに違いないと考え、その対応を練って右往左往する。その結果、墓穴を掘って自滅していくのです。発想や思考方法が、自分のパターンから一歩も出られないんですね。


結局ここが、このドラマの肝だと思うのです。私も、迷った時には「この行動は、無条件の愛と共鳴するだろうか?」と考えてください、と前に書きました。それは、目の前の損得を超えた普遍的な指針なんです。でもそれに疑いを持つ人は、そのような行動は、決して取れない。


ひるがえって今の経済界で、「商即人」という考えをもった経営者が、果たしてどれだけいるでしょうか? 経済がグローバル化し、多国籍企業が世界を席巻するようになって、他者に先んじてもっと大きくもっと儲ける、他を蹴散らして市場を独占する、という松商グループと同じ考え方が際限なく広がっています。


その過程で、人がないがしろにされ、もはや財産を奪う対象としか見なされず、労働者は使い捨てにされている。いったいこれは、誰のためのものなのでしょうか? わずか1パーセントの者たちのために人々が奴隷にされているのです。

 

癌は宿主を殺してしまったら、それ以上は生きられません。そのことを、現代の経済人は果たして知っているのでしょうか? 人間というのは、つくづく馬鹿な生き物だと思います。