by Rainbow School
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遊びを発明させて貰えなくなった現代の子ども
私には、美少女キャラとか、アキバ系アイドルとか、コスプレとか、今の若い人たちが持っている共通感覚というものが解りません。いったいどこがいいのかなぁ? 私にはみんな同じに見えるのですが、解っている人同士は、微妙な違いを嗅ぎ分けて楽しんでいるんでしょうねぇ。

こうした感覚は世界中に広がっていて、「Cool Japan」の主要な輸出産業にまでなっているというんですから、凄いことだと思います。何が凄いかって、民族や言語の違いを超えた世界共通の感覚が育っているということに驚かされるんです。これは世界同時革命と言ってもいいんじゃないかな?

で、どうしてこういう共通感覚が育ったのかと考えていて、ピン!と来たのが、テレビゲームと、トイザらスと、インターネットの存在です。私の幼少時代にはこれらは無く、全部の体験がありませんでした。ですから、子ども時代の体験というのは地域によって全然違ったし、一人ひとりバラバラでした。今の状況と比べたら、まるで石器時代のようなものです。

子どもの仕事は遊ぶことですから、そこでどうしたかというと、「遊び」というものを自分で創っていたわけです。野っ原で虫を捕まえたり、隠れ家を作ったり、石けりやケンケンをしたり、空き缶や割り箸や輪ゴムを利用したり、木を削って何かを作ったりと、とにかく毎日が「遊びの発明」で忙しかった。

ところが、ファミコンと、ビックリマンチョコの登場以降、子どもたちの「遊び」が激変しました。従来の「遊び」があっと言う間に駆逐され、みんな博物館行きにされてしまいました。今や50年前の「遊び」は絶滅危惧種。どこかで「遊び」の伝統保存会の活動をされている方もたぶんおられることでしょう。

それくらい、従来になかった新しい「遊び」が、子どもたちを魅了したのです。自分たちで一々工夫したり発明したりしなくても、それらには魅力的な仕掛けがあらかじめたっぷり用意されていて、それに乗っかれば楽しい時が過ごせるようになったのです。

それによって何が起きたかといいますと、子どもの「遊び」というものが、完全に「市場化」されてしまった。そこに「産業」というものが見つかったわけですね。ということで、子どもは、一気に商業主義のターゲットにされてしまいました。

今や「遊び」だけじゃありません。「勉強」も「スポーツ」も「習い事」も「食べ物」も「精神医療」までもが、子どもを「市場」と見なしています。親は共稼ぎになってしまいましたから、子どもと関わっている時間が保てない。そこで必然的に、そういう外部サービスに子どもを預けるようになって行きました。

こんなことで本当にいいんでしょうかねぇ? パチンコをしている人は、自分はパチンコで遊んでいると思っていますが、本当は遊ばされているということに気づいていません。パチンコ産業からすれば、客は市場でありターゲットなのです。それと同じことが、今の子どもたちの世界にも出来上がっている。

それは「遊び」なんでしょうかねぇ? 単なる「ヒマつぶし」に過ぎないのではないでしょうか? 「遊び」というのは、誰かに与えられるものではなくて、自分から「発明」するものではないでしょうか? 「発明」の部分にこそ「遊び」があるんじゃないでしょうか?

もう自分で「遊び」を発明させては貰えなくなった、現代の子どもたち。「遊び」は、全部その道のプロが作って売っている。与えられるものばかりに馴れてしまったら、一人遊びができない大人になってしまうと思うんですよね。なんとかしてあげなくちゃ、と思うんですがねぇ。私の方が時代錯誤で、古臭いんでしょうかねぇ?