by Rainbow School
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過去世において僧院で暮らしていたという人へ
私と縁が生じる人の中には、私が見て、過去世において僧院で暮らしていたという人が少なくありません。こういう人には一つの特徴があり、「人が肉体だけの存在ではなく、霊的存在でもある」という点に関しては、一般の人よりはすんなり理解されています。

けれども、僧院で暮らしていた名残りから、「ねばならない」という思考や、タブー意識が非常に強い傾向を持っています。特にそれが性的な面に出る傾向も強い。しかしそれらは内的な欲求とは真逆で、解放されたい「魂」と、それを押さえつけようとする表層的な意識との間で、葛藤を起こしているのです。簡単に言えば、余計な知識に縛られて、素直になれないんですね。

僧院で暮らしていたときに、「ああしなさい、こうしなさい」「あれをしちゃダメ、これをしちゃダメ」ということを、徹底して仕込まれた。それに従うことは、ピラミッド構造の上下関係を持つ僧院内では直接的な評価につながるわけで、努力すればするほど霊的に高まるのだ、とずっと信じ込んで来たわけです。今世で生まれ変わっても、そのクセがなかなか抜けない。

誰かが言ったことに従う、特定のものを正しいと信じ込む、それを守り抜く、という強い信念で自分に蓋を被せてしまっているために、「魂」というものは本来「自由」なのだということが、実感として理解できないのです。「自由なんだよ」と言うと、「え、自由って何?」と途方に暮れてしまうのです。

「自由」ということを、まるで糸の切れた凧のように思っているのです。人を自由にしたら何を仕出かすか分らない。だから「ああしなさい、こうしなさい」「あれをしちゃダメ、これをしちゃダメ」と、口やかましく規制すべきなんだと。そうしない限り、人間も社会も大混乱に陥ってしまうのだと。

そのように考えている人は多いです。しかしそれは表層的な考えであって、もっと深い部分では真逆だということ。個々の「魂」というものは、深いところではみな一つの「宇宙意識」とつながっており、等しく「宇宙の法則」の支配を受けているのです。ですから、「魂」が希求する「自由」に従えば、自ずとそれが「宇宙の法則」に合致したものとなるのです。

この理屈がお解りでしょうか? 自分で自分に掛けた縛りを解いて、内側にある「魂」の叫びをよく聞き、「自由」に振る舞えばそれでいいのだということが。それがいちばん理に適ったものだということが。全人類が、「魂」の自由に生きれば、この世には大秩序が訪れ、平和が実現するのです。そうさせないのは、小賢しい人間の間違った思考なのだということです。

本来、宗教とは、人間の霊性の分野を扱って、それに貢献するためのものでした。しかしそれが、僧院において「魂」を縛り付けるような、真逆のことを教えていたのはなぜか。これには二つの理由があります。一つは、民衆がまだ無学の時代に、とりあえずの便法として必要だったこと。もう一つは、僧侶集団の権威づけや、政治的、金銭的野心からです。

過去世において僧院で暮らしていたという人で、今世、私と縁が生じた人(このブログも)は、ご自分の中で「ねばならない」やタブー意識が抜けないまでも、「それで果たしていいのかなぁ?」と、うっすらとした疑問を持っていた人なのです。ですから、そういう方に改めて言いたい。あなたは「自由」なんだと。「魂」が命じるままに「自由」に生きろ!と。

過去世、ご自分が僧院で暮らしていたという感じを持つ方に、お勧めしたい映画があります。フレッド・ジンネマン監督、オードリー・ヘップバーン主演の『尼僧物語』です。尼僧となって社会に貢献したいと強く願っていた女性が、最後は自分の足で力強く歩き出すという物語です。僧院の暮らしの細かい描写も非常に丁寧です。ぜひ、ご覧になってください。