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『クートラスの思い出』にインスパイアされて
ロベール・クートラスの展覧会を観に行ってから、この人のことがとても気になって、画集2冊と、クートラス最後の恋人だった岸真理子・モリアさんがお書きになった『クートラスの思い出』と題する伝記を読みました。

『日曜美術館』のアートシーンで、岸真理子さんがクートラスのことを語る姿を見た時に、「この人には何かある」と直感しましたが、果たして、詩情豊かな文章はたちまち私を虜にし、クートラスのカルタと岸真理子さんの伝記のダブルパンチでここ数日間、ボーッとしているあり様です。

クートラスには200人以上もの、彼が言うところの「フィアンセ」が居たという。キャンバス地も買えないし、その日の食事も満足に得られないほど貧しかったけれど、Make Love を自由に生きて、また多くの女たちも彼を放っておかなかった。それは、彼の純粋さが、女たちを引きつけたのだと思う。

55歳で亡くなる数年前から、たびたび不安発作に襲われていたらしく、詳しく書かれてはいませんが、おそらく心臓に難があって急死してしまったのでしょう。こう言うと白けるかも知れませんが、彼はハート(つまり愛)に、課題があったのだろうと思うのです。それが、継父と「くそババァ」の母親と過ごした生い立ち、対する200人の「フィアンセ」という物語を紡いだのではないでしょうか。

それと、1930年生まれということもあって、戦争体験も大きく彼を左右した。フランスはドイツの占領下にあったため、生き延びるために家族は転々としなければならなず、娼婦のようにして生活する母親や、ドイツ人とフランス人とういう差別、金持ちと貧乏人という差別をイヤというほど経験し、彼には絵を描くことしか残らなかったのです。

しかしクートラスは、その葛藤を解消できたわけではありませんでした。絵に没頭することでしか、自分を生きさせるものはない。けれども、画廊の主人たちは絵を単なる商売の道具としてしか考えていない。そんな奴らに自分の絵を一枚だって売るものか。彼は、純粋さの一方で、嫉妬深くて癇癪持ちという自分を処理できなかったようです。

解るなぁ。自分もそうでした。自殺願望が止んだのはつい3年前くらいのこと。もう死のうとは思わない。たぶん以前に戻ることはない。自分の役割が解ったし、心を耕すことができるようになったから。死んだカミさんは、20代のころの私を「カミソリのようだった」と言っていた。今は刃こぼれした上に、すっかりなまくら(鈍)になっちまった! いいのか悪いのか。

クートラスだって、なまくらになる道はあったと思う。たとえなまくらになったとしても、アーティストとしての純粋性はいささかも失われなかっただろうと思う。彼には「黒い孤独の太陽」と「見えない太陽」の二つが同居していたというが、「黒い孤独の太陽」のお出ましを控えさせて、ただ「見えない太陽」の方をもっと輝かせるだけでよかったのだ。

本当はクートラスのことを書こうと思ったのじゃなくて、彼にインスパイアされ「心やさしき魂の持ち主」に対して、エールを送りたくなったのだけれど、前置きで疲れてしまったので、それは明日に回します。