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ロベール・クートラスが遺した6000枚のカルタ
NHKの『日曜美術館』を観ていて、ロベール・クートラス(Robert Coutelas、1930 - 1985)というフランスの画家のことを知りました。「うっ、これは!」という電流が全身をピピピと走り、「どうしても観に行かなくては」という気になって、花粉症の鼻水をすすりながら強風の中やっと行ってきました。

思った通りでした。彼もまた、先日紹介した歌手のボブ・マーリーと同じく「選ばれた人」であったのです。優れた天分を持ち将来を嘱望されながらも、画廊のシステムに乗ることを拒否。貧困生活に甘んじながら、後半生をただただ小さな「carte(カルト)」(英語でカード、ポルトガル語でカルタのこと)の制作に没頭したクートラス。

その数、6000枚。カンバスを買うお金もなく、街で拾ってきたボール紙や、ポスターの裏などに描いていたわけですが、彼はそれを「親方の獲り分(Réserve du patron)」と呼んで、売ることをしなかった。それが、日本人の岸真理子・モリアさんの手に託されて、今こうして我々は纏まったものを観ることができるのです。

会場はいっぱいで、図録も売り切れのために手にいれることができなかったのですが、彼の絵には、どこか日本人の琴線を揺さぶる要素があるのかも知れません。暮らしは貧しかったにもかかわわず、彼の絵には苦悩の色がないのです。あるのは子どものような無邪気さとユーモア、そして懐かしさとかわいらしさ。

クートラスは、自分の世界を生きていたんです。この世的には恵まれず、貧困に喘いでいたとしても、そんなものはどうでもよかった。現にこうして、彼が遺した作品を通して、我々はいま彼とつながっている。そこに彼の狙いがあり、彼はちゃんと成功したんです。純粋な魂は時代や民族を超えて通じるということを証明したんですね。

友人であった画家のヤンケルは言います。
「クートラスはロマネスク時代の存在なんだよ。彼は12世紀に生きればよかった。今の時代はこうした孤独な夢想者、天才的な職人、そして心底からの詩人なんか見向きもしないんだ。われわれの時代は、詩人たちを必要としていないのさ。」

その通りなのでしょう。
しかし、クートラスはそうしたものを超えていた存在であったことが、私には解ります。それは彼が、20代の頃に石工をしていたということや、描いているものがイコンでありながら無神論者であったということに顕れている。それは無神論者ということではなくて、キリスト教成立以降の、ニセモノの宗教にはくみしなかったということだと思うのです。

おそらく彼は、ユダヤ教ファリサイ派の神殿建築に携わったアーティストの魂なのでしょう。そして、知っていたのです、真理を。

岸真理子・モリアさんがこう書いておられます。
「クートラスにとって芸術は、 聖なるものの探求だったかもしれません。そんなふうに思うのは、彼の言う、“patron”が、神様のことの様な気がするからです。究極の無神論者だったとも言えるクートラスが、存在の深みからほとばしり出た作品には、聖なるものが宿り、それが人の心の聖なるものに、生命に直接語りかけてくれると信じていたからです。 神々から神々へと言えるでしょうか。」

ロベール・クートラス展 〜3月15日(日)まで 渋谷区立松濤美術館