by Rainbow School
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お願い

ブログに書かれているメッセージの発信主体と、私(このBlogの管理人)とを同一視しないでください。私は単にパイプ役を果たそうとしているだけであり、ごく普通の人間です。それもどちらかと言えばヘナチョコの。私に興味をお持ちになっても、裏切られた思いになるだけです。

 

それよりも、メッセージ内容そのものに関心をお持ちになってください。メッセージが繰り返し語って来たのは、自分の内に光を見い出しなさいということと、自分の意志で行動しなさいということです。あなたに響く言葉が、もしもメッセージの中にあったなら、それは、今このタイミングに、ドンピシャリで天が直接あなたに送ったものと解釈してください。

御礼

先週の「ブログ掲載休止のお知らせ」の後、何人かの方から慰労のお言葉を頂戴いたしました。中には、海外在住の方からのものもあり、届くところには届くんだなぁとびっくりいたしました。時間を割いて、労いのお言葉をお寄せくださった方々、また同様の思いでおられる多くの方々にも改めて御礼申し上げます。

稚拙な文にも関わらず、これまでお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

共に学んで来てくださった皆さんへ ― 掲載休止のお知らせ

この『気づきの啓示板』は、2012年の4月2日に第1回めがスタートしました。ということで、4月1日の今日でちょうど7年が経過したわけです。書き始めた頃にはさしたる目的があったわけでもなく、わずか10行にも満たない文章量でしたが、途中で何回かの感覚的な変化があり、どんどん体裁が変わって行って、最後は今のような形になりました。

 

実は一年くらい前にも、またもや感覚的な変化があったのですが、その感じをうまく言葉で表現することは出来ません。しかし、なんとなく「もう終わりかなぁ」とは感じていました。それからは、週1回のペースでメッセージを掲載して行くことの義務感と、「終わりかなぁ」と思うことのせめぎ合いの中で、取り敢えずは頑張って掲載を続けて来ました。

 

一時は、「一生続けよう」という気にもなったのですが、それが2週間ほど前に、突然「止めよう」に変わりました。その時、この4月1日で、ちょうど7年を終えることに気がつきました。「そうか、7年経ったのか。こりゃあいい」と思いました。7は神秘数で、一つの段階的終了を意味します。それが分かったら、なんだか気持ちが開放感で満たされて、晴れ晴れして来ました。

 

この一年間ほどは、1回分を仕上げるのに3日くらい掛かっており、やっと掲載を終えてほっと一息つくと、もう次のテーマを探さなくてはならないのです。書く前には、完全に一人きりになって「今、このタイミングで、人々に有益な、最も適切なメッセージをお授けください」とお願いしてから、インスピレーションがやって来るのをじっと待ちます。ですが、すんなり事が運ぶことは滅多にありません。

 

最初の1ブロックが固まるまでがとにかく苦しい。2時間、3時間経っても何も浮かばない時には、焦る気持ちも出て来て、余計に混乱してしまいます。そんな時に無理やり言葉をひねり出しても、後で修正されてしまうのがオチです。時には、一日掛かって書いた文章がそっくりゴミ箱行きなんてこともあります。だんだんコツを掴みかけて来てはいるのですが、最後まで、上手い方策は見つかりませんでした。これが私の限界なのでしょう。

 

けれども、この7年間で、私は多くの「智恵」を授かりました。この予期せぬ仕事を設定されたことによって、私は大いに鍛えられました。それは、私にとっては一つの行でしたが、その成果のおすそ分けを、世の中に出すことも出来ました。このブログの読者数は非常に少ないのですが、今まで熱心に読んでくださった人たちは、共に学習を続けて来た同志であると、私は思っています。

 

しかし、友よ。机上での学習の段階はもう終わりです。『虹の学校』も、次のステージへと向かう時が来ました。これからは、あなた自身が、実践的な生き方を通じて、周囲の人たちに、高い波動を投げ掛けて行くのです。いつまでも、他の誰かを通じて得られるメッセージに期待し続けていてはいけないのです。自信を持って、自分自身の内なる声に耳を澄ましてください。あなたには、それが出来ます。それでこそ本物。あなたは本物となります。

 

10年前、私は、そろぞれの接点が全くない3つのチャンネルから、自分の将来の役割について、同じことを聞かされました。いわく「“生き方”を説く人」になるというのです。「生き方」だってぇ? それを聞いた時には、全くわけが分かりませんでした。私は50代半ばを過ぎておりましたし、カミさんを亡くした直後で、仕事はないし、鬱だったし、そんなものがあればこっちの方が聞きたいと思っていました。

 

しかし、背中を押されるようにして始めた『虹の学校』の活動と、この『気づきの啓示板』ブログが4年めを迎えた頃になると、いつの間にか、本当に「生き方」についてを語り出している自分がいたのです。その時になって、自分が大変な誤解をしていたことに気づきました。「“生き方”を説く」というのは、この世的な「生き方」ではなく、霊的な「生き方」のことだったのです。

 

若い頃は、私も人並みに社会的な成功を夢見ていました。そして、そのための必死の努力もして来ました。ですが、何をやっても挫折の連続で、ついぞ報われるということはありませんでした。しかしその体験が、今になって大きな意味を持っていたことに気がついたのです。つまり、それは「チャンネルを変えろ!」という示唆を得ていたのですね。表側と裏側の。

 

実は、表が裏なのであり、裏が表なのだということです。これは、古代より言われて来た「真理」の一つなのですが、多くの人と同様、私も言葉としては知っていても、その意味を〈実感として〉掴んでいたわけではありませんでした。実に、ここがポイントで、霊的世界を全否定する人はもちろんのこと、肯定する人であっても、99.99パーセントの人が誤解している部分なのです。

 

どういうことかと言いますと、霊的世界を肯定したり大いに興味を抱く人であっても、その視点は、〈こちら側から、あちら側を覗き見る〉という立ち位置を、どうしても捨てきれないのです。すると、本籍地はあくまで「この世」に置いた中で、向こう側を見ようとするのです。そのため、そこから垣間見える世界は、不思議ワールドであったり、オカルトであったり、全部が、いわゆる超「常」現象になってしまうのです。

 

これが、人智を超えた特別な「価値」に見え、人々にエキサイティングな興味を抱かせるのです。嘆かわしいことには、ここに「この世」的な成功のスケールを当てはめて人々を誘う、自称「霊能者」がワンサカといるのです。けれども、これらは、全くの本末転倒と言わねばなりません。なぜならば、そうした視点は、エゴのために霊的パワーを利用するという、自分の「カルマの強化」にしかなっていないからです。

 

ですが、このことを、多くの人は理解できません。逆に言えば、それほど「この世」的な成功を夢見させる「カルマ」の力は、絶大だということです。そもそも、「この世」に生まれた目的を、〈霊的向上を目指すため〉と捉えている人は非常に少ない。加えて、そのためには〈得るのではなく、捨てるのだ〉となったら、その道に飛び込むのには、大変な勇気を必要とします。まさに、天と地が引っ繰り返るほどの、価値観の大転換です。

 

そこで、アセンション出来る人というのは、10万人に1人とか、100万人に1人となってしまうのです。いったい何がそれほど難しいかと言えば、高みを目指して、階段を昇る努力をひたすらするということではないのです。むしろ逆、階段をすっかり降りてしまうことだったのです。これが、〈生きることとは、社会的存在であり続けること〉と刷り込まれている現代人には、もの凄く難しいハードルなのです。

 

この『気づきの啓示板』で繰り返し語られて来たことの一つは、この〈社会的存在が自分だ〉という思い込みが、実は錯覚でしかないということに気づいてもらうことでした。そして反対に、これも繰り返し語られて来たことは、あなたの本体(非肉体的なもの)は、いついかなる瞬間であっても「自由」なのだということです。これこそが、まさに天と地が引っ繰り返る逆転なのです。

 

ところが人間は、実は表と裏が逆転しているのだということに気づきませんし、その意味も理解できません。そこで皮肉なことに、「社会的存在」であろうとして、自分で自分の自由を奪い、自分で自分を苦しめ、自分で自分を不幸にさせているのです。でも、「実は逆転しているのだ」ということにさえ気づけば、茶番劇ももっと有意義な演じ方ができますし、また、そういう人が増えれば、地球人は今度こそ、このカルマを清算できるのです。

 

もういい加減に、あなた方はこの逆転の「真理」に目覚めるべきです。あと20年。あと20年の間に、目覚める人から目覚めて行って欲しいのです。

そこで今日は、締めくくりのメッセージとして、今後の行動の指針にしていただくためのポイントをいくつかお伝えしておきます。

 

◉あなた方は「多次元的存在」

ここで言う「次元」は、何度も言って来たように、数学的次元を指すものではなく、宇宙全体を成り立たせているところの「振動するエネルギー体」を、振動数別に大きく7つに分けたものです。正式には「霊性密度」と言います。この振動数の違いは、階段状(算術級数的)ではなく、渦巻状(幾何級数的)に変化しているのですが、それを便宜的に7段階に分けて、各段階を「次元」と言っているのです。

 

7段階の階層は、音階のドレミファソラシに対応していることから「宇宙鍵盤」とか「オクターブ」とも呼ばれます。この他、虹の7色と対応して説明されたり、チャクラとの関係や、日月火水木金土の惑星との関係で説明されたりもしています。このように「7」という数字は、様々なところで見られる神秘数になっているのですが、そこで示していることは、宇宙の巨大構造というものは、実はたった一つの「振動するエネルギー体」の、振動数の違いだけで全てが成り立っているということです。

 

さらに注目すべき点は、人間は、この全ての次元(霊性密度)を、同時に所持している存在だということです。つまり、成り立ちにおいて、人間と大宇宙とは相似形を為しているのです。これが、ヘルメスが説くところの「下なるものは上のごとく、上なるものは下のごとく」の意味なのです。大宇宙(マクロコスモス)と人間(ミクロコスモス)とは、基本的に同じだということです。

 

大宇宙を大海に喩えれば、あなたは一滴の雫です。ほんとうに小さな小さな一滴の雫ではありますが、しかしその一滴の雫が集まって、大海を構成しているのです。しかもその一滴の雫は、間違いなく大海の同じ成分を有しているのです。そこで、もしも大海を「神」と呼ぶのであれば、「神」はあなたの外側にあるのではなく、紛れもなくあなたの内側に存在すると言えるのです。これが、異端とされて来た実は真実の神学なのです。

 

◉意識もまた多次元に存在する

さて、「多次元的存在」というものを別の視点から眺めてみましょう。それは「意識」です。あなた方の「意識」は、決して一種類ではありません。起きている時の意識と、眠っている時の意識、またウトウトしている時の意識には、明らかな違いがあることをあなたもお認めになるでしょう。実は、あなた方の「意識」は、これだけではなく多層階に渡ってあるのです。

 

それは、「存在」の階層構造と基本的に同じなのです。勘の言い方は、先ほど、大宇宙はたった一つの「振動するエネルギー体」の振動数の違いだけで成り立っている、と言った部分にピン!と来ることでしょう。そうです。「存在」と「意識」とは、実は同じものなのです。えっ、「存在」と「意識」が同じだってぇ? これは、地球に普通に暮らしている方からすれば、驚くべき結論であることでしょう。

 

今までに、そんな説明は聞いたことがないでしょうし、意味もまるで解らないでしょうから。あなた方の常識とは全く違いますからね。でも、こんな例を考えてみてください。あなた方は、宇宙が138億年前のビッグバンから始まったと聞かされます。すると「そういうものかなぁ」と思って、もし宇宙の誕生から今までを1日の時間にしたら、人類誕生は23時59分34秒過ぎだ、などと言って済ましています。

 

でも、ここにはパラドックスがいくつも隠れていることに気づいていません。仮にそのように始まったとして、始まる前はどうだったのでしょうか? 素朴な疑問です。また、空間が膨張したと言って、その模式図を描いたりしていますが、外側に描かれている “場” はいったい何なのでしょうか? あるいは、138億年前に誕生したという「存在」については、いったい誰がそれを「認識」出来たと言うのでしょうか? もしも「認識」出来る主体(それも存在)が無かったとしたら、「在る」ということの「認識」は不可能です。

 

よって、こう考えるしかありません。「存在」と「認識」とは、同時に、パラレル(並行的)に誕生したのです。当たり前です、元々が同じものなのですから。そして、それは「無」から誕生したのではなく、別の宇宙から絞り出されたのです。宇宙は、我々が認識できる「この宇宙」だけではありません。無数の別の宇宙があるのです。このようにして、宇宙は明滅を繰り返しながら、永遠の無時間を生きているのです。

 

◉自分の「意識」を意識して生活する

話を人間の「意識」に戻しましょう。人間が「多次元的存在」であるということは、「意識」もまた多次元に渡って存在するということなのです。ごく大雑把に言って、人間の意識は、三次元(心)、四次元(魂の下層)、五次元(魂の上層)の間で、たえず揺れ動いています。本当は、全部の「意識」を同時に働かせているのですが、フォーカスを与えている中心点がどこか一部に偏るのです。

 

*この他に、一・二次元、六・七次元の意識もあるのですが、通常の状態では知覚できません。

 

それはちょうど、アナログ式のチューナーの針を動かしているようなものです。あなた方は三次元的な「意識」だけではなく、四次元的な「意識」や、時に五次元的な「意識」をも活性化させています。そういう瞬間があるにも関わらず、普段そのことを全く意識していません。それは、そのような理屈を誰からも聞かされたことがありませんし、また多次元に渡ってある「意識」に、意識的にフォーカスを当てる訓練も積んでいないからです。

 

そのため、せっかく直感やインスピレーションを得ても、これを「気のせいだ」と思ってみんな無視してしまいます。その代わりに、肉体が知覚する三次元的な「意識」にだけは素早く反応し、そこで得た「認識」が本当の現実だと、強く思い込んでいるのです。近年、静寂な時が失われたせいで、この傾向がますます強まっています。しかし、事実は全く逆で、それらは全て幻なのです。本当のあなたの「認識」は、肉体的な知覚を超えた領域にあるのです。

 

なぜかと言えば、肉体的な知覚によって生じた「意識」は、肉体の消滅と同時にみんな消えて行ってしまいます。ところが、その体験から解釈した「認識」の一部は、四次元的「意識」や五次元的「意識」に変換されて蓄えられるのです。これが、いわゆる「カルマ」となり、あなたの「霊魂」にアイデンティティを付与します。そして、この「カルマ」を清算するために、また地上に輪廻転生して来るのです。

 

ですから、このメカニズムをよく知った上で生きれば「生き方」が違ってくるのです。確かに「この世」は生きにくい。不正や、不条理や、暴力が横行しています。けれども、あなたが自ら望んで誕生して来たことです。そこには目的があるのです。ですから、地上世界を全否定してはなりません。地上でしっかり生きながらも、三次元的な「意識」には出来る限り囚われることなく、いつも五次元的な「意識」を働かせながら行動して行く、ということが大切なのです。

 

そして、それは可能です。例えば、草取り一つする時でも、三次元的「意識」にフォーカスを当てるのではなく、五次元的「意識」にフォーカスを当てながら同じことをしていくのです。そうすれば、あなたの「意識」には五次元的エネルギーが流れ込み、あなたをハッピーにしてくれます。幸福とは、条件ではありません。幸福だと感じている「意識」状態です。あなたの「意識」がそうなれば、周囲の景色がきっと輝いて見えるはずです。

 

三次元的「意識」が生み出す感動と、五次元的「意識」が生み出す感動は、全く異質なものです。この違いを、よ〜く感じ取って区別しなさい。三次元的な感動は「感情」が生み出した感動です。けれども、五次元的な感動は、本質と出会った際の「魂」の震え(バイブレーションの共鳴)なのです。「これだ!」「ここに真実があったのか!」という。あなたにも、きっと経験がおありでしょう。嬉しいわけでも悲しいわけでもないのに、ただ涙が溢れ出て来たということが。

 

◉「瞑想」を習慣化し、高い波動を固定する

そして、このような「意識」をコントロールする訓練が、いわゆる「瞑想」なのです。ですから「瞑想」は、霊的向上を目指す者にとっては、必須の生活習慣です。「瞑想」習慣を日常的に取り入れて習熟すれば、「意識」のコントロールが次第に出来るようになり、「心」の暴走にも悩まされることがなくなります。そして、やがては、内なる真実の声に、耳を傾けることが出来るようになることでしょう。

 

でも、そうなるためには、何より静寂の中に身を置かなくてはなりません。小川のせせらぎを聴いたり、月夜に鈴虫の鳴き声を聴いたりしていた時代とは違って、現代社会ではこんなことすら非常に難しいのです。街もお店も絶えず騒音で溢れ返り、メディアはひっきりなしに暴力的で刺激的な情報を垂れ流しています。多くの人は、もう麻痺してしまって解らないのでしょうが、これらの波動はもの凄くザラザラ、トゲトゲしているのですよ。

 

それらの粗雑なバイブレーションに休みなく晒されて、今や現代人の心はズタズタに傷ついています。結果として湧きあがる不安感を、なんとか埋めようとして、さらに情報の虜になって行くという悪循環。しかし情報は、決して心のスキマを埋めてはくれませんよ。むしろスキマに入り込んで、傷口を押し広げます。あなたの心のスキマを埋めてくれるものはただ一つ。その奥にある、心を超えたチャンネルだけなのです。どうか、そこに目を向けて欲しい。

 

チャンネルが開いた時、あなたは、自分にも周囲にも、高い波動を送り出せる存在となっています。「何を為すか」は問題ではありません。「どのように為すか」が重要なのです。あなたは、あなたの特性を活かし、ご自分が出来ることをすればそれでよいのです。全てのことを、自分一人で出来る人間は誰もいないのです。誰もが支え合って存在しています。その時に、自分が為す行為に、いつも高い波動を載せて行うということが、何よりも大切なのです。

 

そうすれば、その波動が、周囲の人々に影響を与えます。全ては「波動」です。「波動の法則」によって展開しています。あなたが高い波動を出せば、周囲に高い波動が伝播し、あなたが低い波動を出せば、低い波動が伝播して行くのです。実に簡単な理屈です。しかし人間は、その簡単な理屈を知りません。そのため、故意に、刺激的な「低い波動」を出す者たちによって、コントロールされてしまっています。

 

◉激動の時代を、高い波動で生き切る

これからは、これまで以上の激動の時代に突入します。その時に、あなたを狙う罠に、簡単に引っ掛からないようにしてください。と言っても、怖れることはありません。むしろ「怖れ」そのものが罠なのですから。不正や、不条理に対しては、黙認するのではなく、きちんと向き合い声を挙げてください。でも、闘争は勧められません。なぜなら「闘争」そのものが、波動を低める罠なのですから。

 

ひとから、どんなにバカにされても、蔑まれても、罵倒されても、叩かれても、蹴られても、あなたは、どこまでも「愛」に生きてください。『北風と太陽』のあのイソップ寓話を思い出しましょう。闘うのではなく、愛のエネルギーによって、固まった結び目をほどくのです。ご自分の底に流れる、この力を信じてください。

 

この道を歩く者には、この世的に言って良いことは少しもありません。むしろイバラの道です。けれども、あなたは既にご存知のはずです。自分が、そうせずにはいられないことを。そのイバラの道を行くことが、自分の最高の喜びであることを。

 

最近になって、私も、7歳の時に突如内側から沸き上がった言い知れぬ感動とともに「自分はブリッジの役割を果たすぞ」と誓った日があったことを思い出しました。「ブリッジ」などと言う言葉はもちろん知りませんでしたが、その時、そのような概念がまざまざと浮かんだのです。そしてまさに、気がつけば、「虹の架け橋」の仕事を、50年後に、導かれるようにして私はしていたのです。

 

すべては、このためにあったのですね。その役目が、どれだけ果たせたかは判りません。けれども、とりあえずは、インターネット上でお話し出来ることは、これまでのメッセージを通じてすべて伝え切りました。7年前に、S.O.さんとした約束も、これで果たせたかな?と思っています。いつか、このブログのメッセージを、テーマ別にまとめてくださる方が現れないかなぁとも思っております。どなたか手を挙げてくださいませんか?

 

身近な人に「終了」を告げましたら、何人かの方から、月1回でいいから、それがダメなら気が向いた時でもいいから、続けて欲しいと言われました。そこで、一応「休止」としておきましたが、同じ形式での再開はたぶんないだろうと思います。質問があればお受けします。今はとにかく少し休みたいです。休んでから、次のステージに進みたいです。この次には、もう少し、自分が楽しんで出来ることをしたいです。

 

最後に、これまで私を支えてくださった皆さんに感謝の意を捧げたいと思います。特に、私に健康体操を伝授してくださったYさん、また体調不良の時に治療をしてくださったもう一人のYさんには格別の謝意を。あなたたちとの出会いがなければ、とても続けられませんでした。そして、相談事に乗ってくださったり、お金や食べ物を恵んでくださった多くの方々にも。また励ましのメールをくださった方々にも、接触のあった全ての人にも御礼を言います。

 

ありがとう。皆さんの励ましによって生きて来られました。

後から来た者が先になる

今年の夏頃から、この『気づきの啓示板』へのアクセス数が急に増えました。と言っても、全部の数はやはり少ないのですけれど。宣伝っぽいことは何もしていないので(むしろ隠れるようにしているので)、影響力のあるどなたかが紹介してくださったのかも知れませんね。そのうちの何割かの方たちは、引き続きバックナンバーを熱心に読んで下さっているようです。ありがたいことです。

 

私はいつも、最後は排斥され、時に罵倒され、いじめられて孤立し、周囲の人たちの無理解というものに、子どもの頃から悲しい思いをして来ましたので、たとえ少人数でも、私の話に耳を傾けて下さったり、セミナーに来て下さったりする人がいることはとても嬉しいです。すべては、今あるための出来事であったと、その計らいに納得し、責任感に身が引き締まる思いでいます。

 

アクセス数のことは気にしないようにしています。ですが、投稿の際に、前日のアクセス数というものをイヤでも目にします。投稿スペースの横にそれが表示されるようになっていますので。それで時々、エッとびっくりすることがあるのです。これまでにも、そのようにして、階段を昇るように何段階かの突然の上昇というものがあり、読者が少しずつ増えていきました。

 

その突然の変化というのは、私にとっても同様で、ある日を境に、急に感覚的なものが変わるのです。その変化が、気持ち的にどんどん楽になって行けば良いのですが、ますます重苦しく、辛くなって来ています。以前は4、5時間で一篇が書けていたのですが、今は丸々2日、下手をすると3日を費やすこともあります。その間、集中力を切らさず、憑依状態を維持し続けるのは大変です。いつも逃げ出したい気持ちを半分抱きながら、なんとか凌いでいるというのが実情です。

 

なぜそんなに時間が掛かるのかと言いますと、一つには、一つ一つの言葉を選択するのに何回も試行錯誤を繰り返しているためです。自分は文章が下手なので、出来る限り破綻のないように、スッと読んで頂けるようにと、幾度も書き直しを行っています。ちょうど絵描きさんが、何度も筆を重ねるような感じでしょうか。「よし、これでいい」となるまでに、もの凄く時間が掛かってしまいます。

 

もう一つは、以前のようにはインスピレーションが入って来なくなったことです。左前頭部に感じていた、繋がっているという感覚が無くなってしまったのです。これには動揺しました。しかしこれまでにも、およそ半年スパンで次々と感覚的な変化が起きていたので、もしかしたら、入っては来ているのだけれど、その感覚が変わったというだけのことなのかも知れないと思い直し、勇気を鼓舞して続けました。

 

そのような時に、ホワイト・イーグルから、ずばり次のようなヒントを頂いたのです。「新しいことを知らせる時には、レコード板に新しい溝を刻まなければならないが、その者(霊媒)が既に理解している時には、われわれとしてはそちらの方向に針を押し出すだけでよい」と言うのです。そして、「霊媒を使えるようにするまでにはとても苦労する」とも語っていたのでした。

 

*レコード板を知らない世代には、この喩えは、聞いても解らないかもネ?

 

これには驚きました。私はずっと、自分がアクセスにあくせくしているのだと思っていました。ところが、そうじゃなかったのです。上の存在の方が苦労していたんですね。目を付けたこいつを、どうにか使えるようにしてやろうと、向こうが試行錯誤していたのです。それを知った時に、「なるほど」と深く納得し、指導に当たる存在の忍耐というものを知ったのでした。

 

とにかく、そんなこんなで、このワークを継続することが、自分にとって今は非常な難行苦行となっています。「苦行はダメだよ」と書きながら、自分では苦行にしちゃっているのですから情けないです。未熟です。ですが、そこを出来るだけ出さないように、今という時代における、自分の役割を信じて、爽やかな風と、暖かな光を、毎週お届けしたいと思っているのですが‥‥ネ。

 

さて、タイトルの「後から来た者が先になる」は、混んだエレベーターに乗り合わせた際によく見られる現象(先に乗り込んだ人は、後から来た人を入れてあげようと苦労しているのに、降りるに時は後から来た人の方がサッサと先に出て行く)‥‥を、別に言ってるわけじゃあないです。これは『マタイによる福音書』(19章30節)にある「多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう」をもじったものです。

 

私としては、基本的には、旧約・新約の各『聖書』というものがどうしても好きにはなれません。歪みがあり過ぎるからです。ですが、このブログでも何度か『聖書』の中にある言葉を引用しています。それは、その言葉が、比較的よく知られているということと、中には真理を突いた言葉もあるからで、決して『聖書』に権威を置き、その内容を解説しようとしているわけではありません。念のため。

 

この『マタイによる福音書』(19-30)は、天国に行く(『虹の学校』流に言えばアセンションする)ことを目指して、以前からずーっと頑張ってきたような人の多くは、天国行きが後回しになってしまうのであり、そうではなくて、むしろぽっと出のような、new comer(新参者)の人の方が、先にアセンションすることになるだろうね、ということを言っているのです。

 

えーーーっ!と、ある意味で、これは衝撃的発言ですよね。これじゃまるで、本当に混雑時のエレベーターと同じことになってしまい、ひどく理不尽なように思えませんか? それで、『マタイによる福音書』では、それがどういう意味かということを解説するために、次の章に、喩えとしてぶどう園での日雇い仕事の話を持ち出して来るのです。

 

それはこんな話。夕方近くになっても仕事にありつけない人がいた。ぶどう園の主人は、その人を雇い入れ、作業終了後にみんなと同じように1デナリオンの報酬を支払ったというのです。これで、朝から働いていた人は怒っちゃった。「そんなの不公平じゃないか!」って。すると主人が言うのです。「私のお金を私がどうしようと、私の自由じゃないか。それをあなたは妬むのか」と。

 

この喩え話をした上で、もう一回「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」(20-16)とわざわざ強調しているのです。

 

う〜ん、でもこの喩え話は、うまくいっているとは思えませんねぇ。一応、最初に「これは天国の喩え話だよ」と断ってはいるのですが、「仕事」と「報酬」ということを、(それは、誰もが解る身近な概念に置き換えて、ということだったのでしょうけれど)どうしても地上世界の論理で見てしまいますから、喩え話を聞くほど、却って訳が解らなくなっていってしまいます。

 

あなた、解ります?

 

ぶどう園というのは「天国」の喩えですから、そこの主人というのは「神」のことです。その「神」は、「みんなに等しく1デナリオンを与えることを、私は決めているんだよ」というわけです。この場合の「お金」とは、もちろん、愛とか救いとか祝福ということを言っています。ですから、そこに一切の不平等は無いのです。でもそれを不公平だと感じるのは、先に「仕事」に着いた者が、「報酬」を「労働」の対価だと考えていたからです。つまりは「契約」です。

 

早くから来た人は、「朝から夕方までちゃんと働くから、その分の報酬はきちんと頂きますからね」と思っている。そこへ、夕刻近くに来て、たった1時間くらいしか働かない人も同じ報酬を受け取ったものだから、「神」に文句を言ったわけですね。「よう、神さんよ。そりゃ、ねえだろう。俺は、朝からずっと働いていたのによ。後からちょこっと来たこいつにも同じ金額だなんて」。

 

もう、なぜ「多くの先の者が後になる」かがお解りでしょう。決して全員がそうなるとは言っていないのです。(多くの)と言っている。そうなりがちな傾向があるよ、というわけです。熱心な信仰者ほど、「自分はこれだけ信じているんだから、これほど熱心にやっているんだから、きっと神の祝福を貰える」と考える。そして、後から来る新参者には、先輩風を吹かす。

 

でも、ぶどう園の主人は、つまり「神」は、そんなの関係ないよ、というわけです。「私は、誰にも同じ報酬を(つまり祝福を)与えるんだよ」と。でも、その「受け取り方」に違いが出て来てしまうということです。同じ1デナリオンでも、「ああ、ありがたい」と思う者もいれば、「これほど信仰しているのに、これじゃ少ない」と思う者もいれば、「あの人に比べて、自分は損をしている」と思う者さえもいる。

 

もし、あなたが「神」の立場だったら、より熱心な人に、より古株の人に、より多くの報酬を与えますか? だとしたら、随分と狭量な神様ですねぇ。

 

でも、あなたなら、きっとそんなことはしないでしょう。どの人にも、分け隔てなく、慈愛の目を向けることでしょう。そして、人間社会を見て「おやおや、まあなんと、困ったものだねぇ」と、時々こぼすのではないでしょうか。さて、今度は地上にいるあなたです。そんな「神」の想いを汲むには、どう生きたらいいと、あなたなら考えますか? そう、その通り。いつも言っているそれですよ。

 

最近になって、「後から来た者が先になる」には、もう一つの意味があることに気づきました。これはインスピレーションで入って来ました。すべては波動です。波動の法則です。『虹の学校』だって、5年前よりは大きく成長しているのですよ。宇宙の真理への理解が、ずっと深まっているのです。ということは、後から来た人は、今のこの波動を受け取る用意が出来ている人、合っている人ということになります。

 

ですから、「後から来た者が先」になってしまうのです。先日、初期の頃からずっと残っていて下さるごくごく少数の方の前で(99パーセントの方は、早々に去って行かれます 。•́︿•̀。 )その話をしたら、「じゃあ、あたしたちはどうなんだ」と突っ込まれ、「それは‥‥、共に成長して来たということです」と、冷や汗をかく想いをしたんですけれどネ。あ、イヤ、それは本心ですよ。

 

結局、生きることが、すでに学校なんです。何も、必ず『虹の学校』に来て学ばなくちゃならない、な〜んてことは微塵もない。日々、体験する出来事、苦悩、辛さ、そういったものが激しければ激しいほど、あなたの「心」というものが耕やされ、鍛えられていっているわけです。そんな時に、どういうわけか『虹の学校』に縁が生じて、モヤモヤしていたことの理由が、まるでパッと灯りが点ったように解る。

 

それで、いいわけなんです。その一瞬でいい。そこに価値がある。

その後、また別の道に行ったっていいんです。

 

結局、時間というものは無いのです。

言い古されたことですけれど‥‥。

そして、相変わらず意味が解らないでしょうけれども‥‥。

 

「後から来た者が先になる」というのは、この世の時間軸概念の中で見た時に、そう見えることもある、というだけのこと。周囲に起こる出来事は、すべて、あなたにとってのグッドタイミングで動いているのです。でもその意味は、受け取る側のあなた自身のあり方と、解釈によって変わってしまうということ。グッドタイミングを、生かすも殺すもあなた次第。

 

ですから、捕球の仕方を、日頃からよく練習して起きなさい。

ふいに来た豪速球も、しっかりと受けとめられるように。

今この瞬間の気づきが、あなたを変えるんですからね!

よくある質問

セミナーなどでよく訊かれる質問をまとめてみました。

 

Q.あなたは霊能者なのですか?

 

A.いいえ、霊能者ではありません。人間誰しもが持っているという意味においては、私にも少しは霊感があります。しかし、いわゆる「霊能者」と言われる人のような特別な能力は所持していません。アカシックも読めませんし、予言もできませんし、オーラも見えませんし、スプーンも曲げられません。どちらかと言えば、劣等意識の強い「0能者」で、へなちょこ人間です。

 

メッセージの語り手と、私とは全くの別人です。私も、日々、反省と忍耐と努力を重ねる、ただの一人の求道者に過ぎません。

 

Q.宇宙と繋がったメッセージを下ろしているとのことですが、なぜそんなことが出来るのですか?

 

A.最初から出来たわけではなく、徐々に鍛えられたのです。上からによって、用いられるように。この『気づきの啓示板』も、最初のころと今とでは、レベルやスタイルがまったく違って来ているのがお分かりいただけると思います。途中、一段また一段と、階段をジャンプするような感覚的な変化があり、その度に内容が変化していきました。

 

いちばん最初は、「神」という言葉を出すことにもかなりの抵抗感がありました。しかし今では平気です。初期のものは未熟で恥ずかしいのですが、変化の過程をありのままに見ていただいた方がよいと考えて、そのままにしてあります。誰もが同じことが可能だということを、敢えてみなさんにお伝えするためにも。

 

Q.具体的には、何と繋がっているのですか?

 

A.ソースが何であるか、またどの霊性密度にいる存在なのかも、今のところ、私には分かりません。これは私のテレパシー能力が低いせいでもありますが、ソースにとっては、名前を明かすことが別に本意ではない、という面もあると思います。どうも複数おられるようで、男口調になったり、女口調になったり、軽いノリでジョークを言ったりと、様々です。

 

Q.どのようにして、このメッセージを書いているのですか? これは自動書記のようなものですか?

 

A.いいえ、自動書記ではありません。私のコントロール意識は失われておらず、ボーッとした感じではありますがちゃんと起きております。そのため、タイピングしたメッセージ内容が、果たして自分の考えなのか、上からのものなのか、区別が判然としません。そのことに、これまでの間ずっと葛藤があり、コンプレックスも感じています。

 

自分の場合、声が聞こえるわけでも、文字が見えるわけでも、イメージが浮かぶわけでもありません。何かもやっとした概念があり、それを、自分の引き出しにある言葉から、適当なものを選び出しては、彫刻のように創り上げていくといった感じです。

 

この、言葉を選び出すという作業が非常に忍耐のいるもので、自分の未熟さ、無能ぶりがさらけ出されるのでとても恥ずかしいです。そのため、文字校正以外では、自分がタイピングしたものを読み直すことはありません。その場限りで、全部、忘れるようにしています。

 

構成のようなものは一切考えておらず、いきなり書き始めます。呼び水のために、自分のことや、身近な出来事や、社会現象を先ず取り上げることが多いです。とにかく、最初の1ブロックが書き上がると、後からは、次から次へと次のブロックの概念がやって来ます。

 

よく「長過ぎる」というお叱りを受けるのですが、長く書こうと思っているわけではありません。やはりシンドイですし、私も出来れば短い方がいいのですが、後から後からモヤモヤがやって来るのです。きっと、しっかり伝えたいという思いが、上の存在たちにはよほど強いのでしょう。

 

そうやって、連携パスのようにブロックを繋いでいくと、だんだんと自分の波動も上がって来て、ついには憑依したような言葉が出て来ます。この状態の時の一人称は「わたし」と書いており、前半の「私」とは区別しています。これはハッキリ分かれるというよりも、どちらが優勢にあるかという違いです。私には明確な区別がつきません。

 

ですから、ニールさんの『神との対話』シリーズを読んだ時には大変な衝撃で、その内容もさることながら、どうやって「自分」と「神」との言葉を分けて記述できたのかと、驚嘆しました。(一度だけ、同じような感覚になったことがあります。)

 

そのようなわけで、コンプレックスと恥ずかしさを抱えながら継続している作業なのですが、最近になってようやく観念したと言いますか、自分は自分、自分がやれるスタイルでやるしかない、これが自分の役割、と思うようになりました。

 

考えてみますと、自分にさしたる「霊能」が無かったことは、今世におけるギフトであったかも知れません。もし「霊能」があれば、「霊能」に溺れて錯覚し、「真理」探求の姿勢を持てなかった可能性が大です。そう考えると、私は、この私の今世の役割を、徹底していく他はなさそうです。

 

これからも、出来るだけ慎重であり続けます。どう受け止めるかはみなさん次第です。批判もどうぞなさってください。それは自由です。みなさんの今後の人生の気づきに、霊性の向上に、このブログのメッセージが少しでもお役に立てれば幸いです。

 

Q.なぜ、普通の人が知り得ないことを知っているのですか?(2018.8.12 追記)

 

A.私がお伝えしていることに、目新しい情報は殆どありません。古代より伝えられて来た普遍的真理を、現代の言葉で、現代のツールを使って、現代人のハートにも響くように、焼き直しして語っているだけのです。ですから、お伝えしている情報はみなどこかに原典があるのであり、皆さんが直接お知りになることも可能です。

 

宇宙には、あらゆる情報が詰まった書庫、通称「アカシック・レコード」があります。この書庫から自由に情報を取ったり、また高次元の存在が語り掛けて来る言葉を受信できるという能力を持った人が、いつの時代にも少数ながらおられます。そして、そのようなプロセスを経て地上に下された言葉が、すでにたくさん公開されているのです。

 

私自身にはそのようなテレパシー能力はないのですが、どこにどんな情報があるかということを(上から)タイミングよく知らされ、それによって知識を増やして来ました。また、私には本物とニセモノの違いが直感的に判ったほかに、異なった場所にあるAという情報とBという情報の関連性や構造的位置づけといったことが、パッと絵が浮かぶようにして分かったのです。

 

そのようなことで、だんだんと、普通の人の目にはなかなか触れない、隠れた、深部にある、本物の智恵が、自分に届けられるようになりました。しかしながら、残念ではありますが、世に溢れる、この分野の情報の99パーセントは、どうでもよいことか、ニセモノか、あなたを魔界に引きずり込もうと狙っている情報ばかりです。それは、人類の段階がまだそこに留まっているから。

 

智恵というものは、その人の成長度合いに応じて届けられるものです。小さな器にいくら水を注いでも、大半は零れてしまいますからね。ですから、今あなたが、このメッセージに目を留めて下さったというのは偶然ではありません。あなたの器の準備が整い、レベルが合って、そうしたタイミングが訪れたということを示しています。ですからどうぞ、ここを踏み台になさってください。

 

虹の学校は、あなたのような真の智恵を求めている方に、もう右往左往しなくても済むように、早道の場を提供してあげたい。そして、純粋であるがゆえに躓いてしまった人たちを、「大丈夫だよ」と励ましてあげたい。そのために、道しるべとなる言葉を、現代人のハートにも届くように語り直すことが、今世の自分の使命だと考えております。

 

Q.この『気づきの啓示板』ブログには、どうしてコメント欄がないのですか? またFacebookなどのSNSを利用されていないのはどうしてですか? 読者が少ないと書かれていますが、利用すれば、もっと多くの人に届けられると思うのですが。

 

A.そうすることの意義を感じていないからです。アクセス数を上げることには関心がありません。そんなことをしたところで、結局は、「波動の法則」によって、ある程度似通った波動の人のところにしかメッセージは届かないのです。また、もし自分が、名声や金銭などの誘惑に負けてしまったら、たちまちにして、上から見放されてしまうことでしょう。

 

それに、「気づき」は純粋に個人的な体験です。このブログに掲載しているメッセージは、共通した何かをお知らせしようというよりも、それぞれの方のドアノッカーの役割を果たしているに過ぎません。「気づき」というのは、あなたが、自分の中に元々あったものに気づくのです。またそれは、その人の霊性の発達段階に応じて顕れるものなのです。

 

コメント欄を活用したり、Facebookなどを用いれば、読者の方々が、自分の想いを言えることができ、それはそれで別の「気づき」にもなり、活性化することでしょう。しかし、今のインターネット状況では、デメリットの方が大きいと考えます。

 

多様な個人的な体験が行き交うことによって、そこに軋轢が生じることは、どうしても避けられないでしょう。それは、私が望むところではありません。また、私自身も、そうした軋轢の影響を受けてしまい、それ以降のメッセージの受信が困難になってしまうことでしょう。高次元の存在からのメッセージは、静寂の中にしか下りることがないのです。

 

ここで大切なことを申し上げます。現代人の不幸は、「情報」の虜にされてしまっていること。「情報」の虜になっている限り、霊性の向上は望めません。入り口にすら立てない。重要なのは「情報」ではなく「感覚(feel)」なのです。「智」は外にあるのではなく、あなたの中にすでに備わっています。その「智」の扉を開くためには、「情報」はむしろ遮断しなければならないのです。

 

古代人の霊性が高かったのはなぜでしょうか? 自分の「感覚(feel)」を大切にし、森や、海や、花や、水や、風と共に生き、それらと会話が出来たからです。現代人に欠けている勇気は、何よりも「情報」を捨てる勇気、そして「お金」を捨てる勇気、「孤独」になる勇気です。

 

Q.貧乏だということですが、セミナーなどの料金をもっと上げられてもいいのではないですか?

 

A.貧乏というのは相対的なもので、世間的に見れば確かに貧乏ですが、それを惨めには感じておりません。むしろ自由です。貧乏である原因は単純で、金銭が得られるような仕事を殆どしていないためです。それに割く時間があったら、『虹の学校』の活動に一身を捧げたいと、ある時期を境に決心しました。

 

また同時に、宇宙の仕事には付加価値を求めない、とも決めました。なんとなれば、「宇宙」は誰のものでもなく、「真理」はタダだからです。それと、私がすでに年金生活者であり、月に8万円弱をいただけているので、それで充分だということです。しかし、もし年金が破綻したりすれば、お恵みをいただかなくてはならなくなるかもしれません。

 

ということで、「清貧」を気取っているわけではありません。私は「清貧」思想は嫌いです。霊性の高さと、貧富とは、何の関係もないと思います。イエスが「貧しき者は幸いである」と言った意味は、貧しい人の方が困難に遭う機会が多い(つまり、それだけ「気づき」のチャンスが多い)という意味で言ったのです。貧しくても、「気づき」がなければ、どうしようもありません。

 

Q.生徒さんは、何人くらいおられるのですか?

 

A.生徒という人はおりません。「虹の学校」は先生も生徒もなく、みな等しく宇宙の子です。あなたを指導してくださるマスターは天上界にいて、その「聖徒」となるかどうかはあなた次第です。あなたが「聖徒」であり続ければ、マスターはいつでも援助の手を差し伸べてくださいます。しかし、少しでも道理に反するようなことがあれば、静かに去って行かれることでしょう。

 

Q.どうして駄洒落とかが多いのですか?

 

A.ジョークは神様の発明品、とだけ答えておきましょう。

1月1日のミステイクについて

この原稿は、4月8日に書いております。

本年1月1日のブログ更新をミステイクしました。前日の12月31日に原稿を作っていたのですが、「もう辞めたい」という思いが強く沸き出し、混乱した意識状態のままに原稿をアップしてしまいました。数日してから削除したのですが、その混乱の理由が後になって解りました。

 

12月31日の正に丁度その日に、ある方が、私に向けて「辞めよう、辞めよう」という強い念を終日送っていたのです。なぜそれが分かったかと言いますと、その方から、1月1日にその主旨のメールを直接頂いたからです。それがあったことで、この方の「辞めよ」の念を拾ってしまい、混乱を来したことが解りました。

 

アクセスはミスしてしまいましたが、この経験は、私にとって逆に自信を深めることになりました。なぜかと言いますと、霊界通信が確実に行われているという確証を抱くことが出来ただけではなく、波動の高低の違いによる影響というものも感覚的に掴む経験が出来たからです。また、「ただただ奉仕に生きよう」という自分の決意がいっそう固まりました。

 

ということで、「一見悪いように見えることもよいこと」「全てはタイミングであり、ご計画のうちにある」を、またしても身を以て体験する結果となりました。この経験をもとに、これからも精進して行きたいと思います。どうぞ、よろしくお付き合いのほど、お願いいたします。

私の役割?

週1回のペースで投稿をするようになって9ヵ月余りが過ぎました。今は月曜日に投稿する原稿を、その前に2日間かけて書いています。全文を先ず1日でザーッと書き、2日目に文章を手直ししています。このペースにも馴れ、エネルギーの使い方がうまくなったせいか、以前のような疲労困憊という感じはなくなりました。毎回が冷や汗ものながら、今のところまだ続けられています。

 

原稿を書く前には、いつも「どうぞ、人々に有益となるメッセージをお授けください」とお祈りしてから始めています。ですが、書き出すまでの苦しさは、以前とあまり変わりません。いつも、ある畏れを感じながら事に当たっています。チャンネルがうまく開かれないんじゃないか、ちゃんと伝えられないんじゃないか、誤りを犯してしまうんじゃないか、という緊張感が拭いきれません。

 

3rd ステージに入って大きく変わった点は、ご覧いただいている通り、文章量の長さです。自分でもびっくりです。長文が好まれないというのはよく解っているのですが、情報ソースとしては「しっかり伝えたい」という想いがあるようです。この、文章が長い、くどい、同じことの繰り返しが多いというのは、高次元の存在から来るメッセージに見られる、共通した特徴なのです。

 

よく、「あんな長い文章を書いて疲れないの?」と言われるのですが、文章量の長さは別に苦ではありません。次々に入って来ますから。それよりも、チャンネルを開いて、トランス状態を維持し続けるというのが難しくとても苦しい。一人になってグーッと集中しなければいけませんし、その時の自分の心の状態や健康状態にも影響されるので、瞑想をして、事前に調整することが必要です。

 

また、満腹状態ではまったくダメですし、逆にお腹が空き過ぎてもうまく入ることができません。近くに人がいると、その念が入って来るのでこれもダメです。ザワザワした場所では吐き気がしてきますし、テレビが点いていたりすることは、もちろん論外です。そうすると、必然的に、世間とは離れて孤独の中に身を置かなくてはならなくなります。

 

私はこれを、「自分の役割」だと勝手に想って、自分を鼓舞して、やっとの思いで切り抜けているのですが、ふとした時に魔が射して、「自分は何をやっているんだろうか?」という思いに囚われ、沈むこともしばしばです。自分を理解して貰いたいとは思いませんが、「自分の役割」という想いは、実は「錯覚ではないか」という畏れが、今もって完全には消えないのです。

 

私はテレパシー能力は高くはありません。オーラは見えませんし、声も時々しか聞こえません。スプーンだって曲げられません。でもインスピレーションは入って来ます。波動についてもかなり敏感な方だと思います。今までに3人の方にリーディングをしましたが、その3件はいずれもお酒を飲んでいた時で、問わず語りで自然と出て来たものです。ですから、頼まれたからと言って出来ません。

 

この『気づきの啓示板』は、インスピレーションが来た時にメモを取っておき(すぐに忘れてしまうので)、後でそのメモを頼りに、その時の感覚に再びアクセスして、背後の概念を拾いそれを言語化するというプロセスを踏んでいます。ということで、インスピレーションを、自分が持っている知識と、論理展開と、時々やって来るジョークの神様のヘルプで補っているのです。

 

このやり方が、結局、自分の自信のなさ、畏れというものに繫がっています。チャネリングのスタイルにはいろいろとあるようなので、自分のやり方にも、もっと自信を持っていのかも知れませんが、『セス』や『神との対話』シリーズや『アセンション〜宇宙からのメッセージ』などを読むと、そのテレパシー能力の高さや、内容の素晴らしさには圧倒されてしまいます。

 

以前よりは多少よくなりましたが、自信の “信度” はいまだ4弱くらいです。この『気づきの啓示板』では、しばしば「自分を信じろ」ということが言われているのですが、自分を信じ切るというのは、本当に難しいものだと思います。もしかしたら、「自分を信じろ」というメッセージは、他ならぬ、自分に対していちばんに向けられた言葉なのかも知れません。

 

今、図らずも書いたように、このブログで語られている内容と、私個人という人間は別ものです。私は至って下世話、かつ未熟な人間です。ブログでは、一人称に「私」を用いているのですが、この「私」は、自分でもあるし情報ソースでもあるし、その境い目は、遠近両用眼鏡の「バリラックス」のようなもので(たとえが古過ぎ?)、自分でもよく分かりません。

 

今まで、ソースが自らを名乗ったことは一度もありません。私は、たぶん「あれ」だと思っているのですが、「あれ」が途中で入れ替わりに入って来ます。その瞬間の感覚は解ります。左前頭葉に繫がった感覚があるし、身体が熱くなる。そして何より、嬉しくも悲しくもないのに涙が溢れて来る。これが高次元の存在と接触した時の特徴なのです。

 

このことに関連して、最近、私は次のメッセージを貰いました。

「感動は、感情の延長上にあるのではない」

なるほど、と思いました。

このことについては、また別の機会に解説するつもりです。

 

3rd ステージに入ってから、ハッキリ解ったことがあります。これはみなさんにも、様々なメッセージに接した時、その情報が高次元からのものか、低次元からのものかを見抜く際の参考にしていただきたいのですが、チャネラーが高次元の存在と繫がるためには、先ず何より、その人が次のようでなければなりません。

 

・恐怖の予言には目をくれないこと

・オカルティックな方向に走らないこと

・自分のエゴを徹底して滅すること

・大仰なことを言わないこと

・無条件の愛の人になること

 

これらをなぜ破ってはいけないのかは、すべて「波動の法則」によって説明がつきます。「波動の法則」の一つに、同じレベルの波動は引きつけ合うというものがあります。「あの人とは波長が合わない」という言い方がありますが、これは正に「波動の法則」を映していて、波長が合うもの同士(それは人間だけに限らず、物や情報を含みます)が引きつけ合うのです。

 

そうすしますと、いま挙げた五条件に、もしも反することをしたとしたら、どうなるでしょうか。そのチャネラーは、恐怖を集め、オカルトを集め、エゴを集め、嘘つきを集め、愛なき人間たちを集め、それらの念を、自分の所に引きつけることになってしまいます。

 

人間社会というのは、欲得が支配する世界ですので、そこを刺激すれば(たとえば「引き寄せの法則」をエゴの道具に使う)多くの人々の注目を集めることが出来ます。しかしそんなことをすれば、誰にとっても不幸しかもたらしません。エゴの増幅が始まってしまうのです。そのチャネラーも、きっと顔つきが悪くなり、肌は黒ずむか青白くなって精気を失い、しまいには病気になってしまうことでしょう。

 

以前、シンクロニシティの話をしようとして、自分の身に起きた現象を例として挙げたことがあります。数日して、お会いしたある方から、その事例が「面白い」と言われて、私は「しまった!」と思いました。私としては、その裏にある「真理の法則」を読み取って欲しかったのですが、その方には、不思議現象に対する興味しかもたらさなかったのです。

 

もっともっと用心しなければと反省しました。自分をどこまでも Pure にしていく必要があるのです。これを疎かにしてしまったら、高次元の存在とは繋がれないし、情報も入って来ません。その理由は、もうお解りでしょう。これも「波動の法則」の支配を受けるからです。けれども、この Pure ということと、次に述べることを取り違えてはなりません。

 

「美し過ぎる世界」には要注意です。実は、私がいちばん吐き気を催すのは、スピリチュアルな世界、とりわけ「美し過ぎる世界」なのです。スピリチュアルなことに興味をもたれる方の多くが、誤解をしています。「美しい世界」が神の世界なのではありません。「ありのままの世界」が神の世界なのです。それは、自然を見れば一目瞭然ではありませんか?

 

美しい景色だけが自然ではありません。大災害をもたらす脅威も自然の一面なのです。光当たるところ、必ず影あり。それが自然というものであり、宇宙の真の姿です。聖地、聖所、聖なる言葉、聖書、聖人、賛美歌、等々。あまりにも「美し過ぎる」演出をされたものは、すべて人間が拵えた歪みです。自然を映してはいません。それは「美し過ぎる」という、実は汚れなのです。

 

「美し過ぎる」ものが、なぜいけないのか、解りますか? 「美しさ」を、真、善と規定する者は、反対側に「醜さ」を規定します。「美しさ」というのは相対尺度ですから、反対のものがなければ際立ちません。そうすると、自分たちが信じるものは美しいが、それ以外のものは醜いという発想に、だんだんとなっていくのです。美と醜、善と悪というものを分けてしまうのです。

 

組織宗教は、正にそれを利用しました。人間、誰の心の内にも、善悪や美醜の両面が存在します。しかし、自分の中の悪や醜い面は誰しも見たくない。なぜなら「神とは絶対的に美しいもの」だから。そうなった時、悪や醜い面を、自分たち以外の人間にすべて押っ被せてしまえば、自分たちは「美しい」側の存在として、神の寵愛を受けられる、としてしまったのです。

 

そうではありません。すべて「ありのままの世界」が神の世界なのです。ですから、あなたが「ありのままの自分」を発見できた時、妙な頑張りなどはしなくてもよいのだと気づいた時、自分を認め相手も認めた時、あなたは神の世界に入ります。そして、そのすべてをもって「美しい」と言う時には、ファウストが言ったように「この世は美しい!」と言えるのです。

 

神の世界は、遥か遠くにあるのではありません。ましてや祭壇上やシンボルの上にあるのではない。あなたのすぐ横にあるのです。あなたが今、目にし、聞き、触れるところのすべてが、すでに神の世界なのです。そしてあなたも、神の世界の重要な一部だということ。それを、美しいと感じられるかどうかは、結局、あなた次第なのです。

 

ですから、ご自分を、美しいものにしなさい。ありのままを認め、正直に、素直に、朗らかに、周囲の人々に誠を尽くして生きなさい。どこまでも Pure でありなさい。そうすれば、周囲にあふれるものすべてが、美しく輝いているのを見ることになりますから。

「気づきの啓示板」2nd stage 終了のお知らせ

これまで、4年10ヵ月に渡って掲載して参りました「気づきの啓示板」の 2nd stageを、本日をもってひとまず終了することに致しました。今年に入って感覚的な変化が2度あり、一時はハッキリとしたチャネリング感覚を持って書いていたのですが、夏以降はその感じが失なわれてしまいました。

 

*チャネリング感覚が出始めた以降が 2nd stage で、それ以前が 1st stage

 

エネルギーの使い方に馴れて来て、そういう引っ掛かるような感じが失くなったのか、それとも上からのメッセージが、もう下りて来なくなったのか? 両方なのでしょうが、おそらく後者の方が強いでしょう。私もすでに充分語ったという感じがして、この辺が潮時だと思いました。

 

身近なメンバーに相談したところ、「少しお休みを入れて、様子を見れば?」と言われ、10月からは土日祝祭日にお休みをいただいて、当面続けるということをやってみましたが、失われた感覚は戻らず、このまま今のスタイルで続けていても惰性でしかないように思えてきました。

 

この4年間は、別に意図したわけではないのですが、結果的にこのブログに全精力を傾けるようになってしまい、「虹の学校」としての他の展開がほとんど出来ませんでした。それはそれで、必要なプロセスであったわけで、私も大きく成長できたと感じているのですが、もう疲労困憊ですし、「次の段階が来たよ」という声も聞こえるのです。

 

1段目、2段目のロケットが燃え尽きて、3段目の人工衛星を軌道に乗せるためには、今のままではパワーが足りません。自分自身の stage をもう一段階上げる必要があると感じています。そのためにも、これからしばらくは、自分自身の「行」に専念したいと思います。

 

振り返れば、最初の読者は30人くらいでした。今はその20倍くらいにはなっているようです。日めくりカレンダー替わりに読んで下さっている方もおられて、その人たちの見えない応援に支えられて今日まで続けることが出来ました。駄文も多かったと思いますが、飽きずにお付き合い下さった方々、どうもありがとうございました。

 

皆さんは、共に成長をして来た、同士だと思っています。同士の皆さん、思索の時期は終わりました。もう充分です。すでに皆さんの中には、これまで説かれることのなかった「宇宙の法則」の神髄が入っています。今後は皆さんのフィールドで、実践的な活動にチャレンジして行っていただきたいと思います。

 

皆さんが、明るく、楽しく、元気よく生きれば、それだけで、自動的に周囲の人々まで、明るく、楽しく、元気よくしてあげることが出来るのです。それが「波動の法則」です。もう皆さん、よくお解りのことです。

 

知らない人が聞いたら「そんな馬鹿な?」と言うかも知れませんが、いくら制度をいじったところで、社会を変えることは出来ないのです。制度を作るのも人間なら、運用するのも人間であり、結局、人間の質が変わらない限り、必ず制度を悪用し、人々を苦しめる輩が登場するのです。

 

ですから、皆さんが、明るく、楽しく、元気よく生きれば、その純粋で高い波動が周囲を振るわせ、周囲の環境や人々を、高い波動で固定することに繫がるのです。これは確実ですし、あなたが思っている以上に凄いことなんですよ。

 

そんなもの信じられないという方は、逆を考えてみればいい。目を吊り上げた政治家、口から泡を飛ばす評論家、周囲を蔑んだ目で見る有識者、俺は大将だぞと威張る企業経営者、どよ〜んとして生気のない教育者。これらはみな、自分と同じ低い波動を集めることに一役買っているんですよ。

 

だから、あなたは、そんな罠には落ちないように。

 

もし何かのヒントが欲しくなった時には、このサイトの下段にあるキーワード検索に言葉を入れて調べてみてください。もしかしたら有益な情報が見つかるかも知れません。途中から「気づきの啓示板」を発見した方も、そのように活用していただければ幸いです。もし、どうしてもこれを訊きたいという質問がある方は、質問コーナーにお寄せください。

 

バックナンバーは、過去に書かれたものではありますが、それは過去の情報ではないんですよ。あなたが今読む時、それは、今その瞬間に、あなたの前に立ち顕れたということなんです。もっと言えば、あなたの「魂」が、今まさにその瞬間を、部品を集めて創ったのです。ドンピシャのタイミングで。このことが理解できれば、あなたの人生は何倍も豊かになります。

 

*これは、量子力学の初歩の初歩。

 

今後は、義務感に縛られず、インスピレーションがある時にだけ不定期で投稿することになります。がしかし、なるべく月曜日の定期掲載を心がけるようにいたします。今まで支えて下さって、どうもありがとうございました。

それでは、ごきげんよう。

God bless you.

今日から三連休

1日、2日の土日を休んでみて、「こんなに楽なのか!」と思いました。

それを『虹の学校』メンバーのHさんに話したら、「人間、すぐに楽な方向へ走るからねぇ」ですと。

ハイハイ。悪うございましたねぇ。

ということで、今日から三連休。もっとイージーに走りますよ〜だ。

Oさんの『アセンション 宇宙からのメッセージ』のこと(2)

Oさんは、「そうして下さるのはありがたいですが、あなたはご自分のことを第一にされてはどうですか?」と言って来たのです。まったくつれない返事でした。もっと盛り上がるような展開を期待していた私は、肩すかしをくらって、ヘナヘナと力が抜けてしまいました。Oさんは、自分の役割は終えたとしてブログを終了されたと伝え聞いていたのですが、正にその通りのような反応だったのです。

 

しかしその時点での私は、未熟でまだ意味をよく解っていませんでした。しかし今は、その意味も、感覚的なものも解ります。私も4年半、毎日このブログを書いて来たのですが、振り返ることはしませんし、何を書いて来たかもディテールはよく覚えていません。未練もありませんし、過去のことは、もう「終わった」という感じなのです。しかし当時の私は、Oさんのメッセージに未練を持っていたのです。

 

そうこうしているうちに、頭を殴られるような出来事がありました。これも「虹の学校」の縁で出現した人なのですが、まだ20代のAさんは、生まれつきの強い霊媒体質を持っていて、とてつもないエネルギーを周囲に発していました。このAさんを前にして、Oさんとのコンタクトの一件を何気なく話したら、直ちにAさんから「それはあなたの解釈が違う」と指摘されてしまったのです。

 

「あなたの役割は、Oさんを世に出すことではなく、自分の言葉で自分が語ることだ」と、強い語調でAさんが言いました。それは、私が考えもしなかったメッセージで、若いAさんから、まるで殴られたような衝撃を貰いました。そして時を同じくして、再びKさんから、さらに衝撃を受けるメッセージを受け取ることになったのです。

 

それは、私のマスターからのメッセージで「なにをグズグズしている!」という叱責の言葉でした。そして「己自身が先ずアセンションすべきだろう」と言われてしまったのです。結局、Aさんの指摘と同じでした。この時のことについては、以前にたぶん書いたと思います。以上のような経緯があって、今の私があるのです。ですから、Oさんの『宇宙からのメッセージ』が、私の扉を開く大きなきっかけとなったのです。

 

Oさんとのコンタクトの一件については、すべてこちらのことで、Oさんに直接会ってお聞きしたことではありません。したがって責任はすべて私にあり、これを書くことで、Oさんにご迷惑が掛からなければよいけれど、と思っております。今日書いたことを、どのように受け取っていただいても結構ですが、誹謗や中傷に関しては、ひとえに私に向けていただきたく思います。

 

しかし、今になって思うと、KさんとAさんによって気づかされてから、結果的に、私なりに、Oさんのメッセージの後をバトンリレーすることになったのではないか、と思うのです。それを考えると、Oさんが2008年の10月で、ピタッと連載を止められた意味もさらによく解るのです。私も「もう充分」と思った時には、ピタッと止めるかもしれません。

 

これも振り返って思うことなのですが、なぜOさんの『宇宙からのメッセージ』に、2012年になるまで気がつくことがなかったのか? これは要するに、自分の器が、まだ出来ていなかったんですね。受け取れるだけの準備が出来ていなかった。これ以降、節々に、あるものとの出会いが段階的に起きて行ったのですが、それらを考えると、すべてが完璧に用意されていたということがしみじみ解るのです。

 

私の役割は、橋渡しをすることだと思っています。理解が難しい間柄を取り持つことです。子どもの頃から、その意識が強くあって、ビジネスをしていた時期も、結局やっていたことは橋渡しでした。今は、宇宙のメッセージを人々に伝えるとか、芸術と科学の間をつなぐとか、難しい概念を簡単な言葉に置き替えるとか、才能を持った人たちをつなぐことが役割です。

 

私は特別な知識を持っているわけでも、霊能が特に強いわけでもありません。ただ、一見なんのつながりも無さそうな複数のもの(本のある部分とか、人物とか、映像とか、格言とか、アートとか、科学とか)の中に、共通項を見つけるのは大得意なのです。「あ、これは、◯◯と同じだ」とパッと解る。記憶力は非常に悪いのに(カミさんの誕生日を間違って、もの凄く怒られたことがあります)、なぜかそういうことだけは、明かりがポッと点るように思い出す。

 

これも、結局、ブリッジです。このブリッジを、虹色を使って大空に掛けたい。これが私の願いです。世間から見れば、ささやかなものに過ぎないかもしれませんが、私を必要としている人のお役に少しでも立てれば幸せに思います。(終)