by Rainbow School
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私の役割?

週1回のペースで投稿をするようになって9ヵ月余りが過ぎました。今は月曜日に投稿する原稿を、その前に2日間かけて書いています。全文を先ず1日でザーッと書き、2日目に文章を手直ししています。このペースにも馴れ、エネルギーの使い方がうまくなったせいか、以前のような疲労困憊という感じはなくなりました。毎回が冷や汗ものながら、今のところまだ続けられています。

 

原稿を書く前には、いつも「どうぞ、人々に有益となるメッセージをお授けください」とお祈りしてから始めています。ですが、書き出すまでの苦しさは、以前とあまり変わりません。いつも、ある畏れを感じながら事に当たっています。チャンネルがうまく開かれないんじゃないか、ちゃんと伝えられないんじゃないか、誤りを犯してしまうんじゃないか、という緊張感が拭いきれません。

 

3rd ステージに入って大きく変わった点は、ご覧いただいている通り、文章量の長さです。自分でもびっくりです。長文が好まれないというのはよく解っているのですが、情報ソースとしては「しっかり伝えたい」という想いがあるようです。この、文章が長い、くどい、同じことの繰り返しが多いというのは、高次元の存在から来るメッセージに見られる、共通した特徴なのです。

 

よく、「あんな長い文章を書いて疲れないの?」と言われるのですが、文章量の長さは別に苦ではありません。次々に入って来ますから。それよりも、チャンネルを開いて、トランス状態を維持し続けるというのが難しくとても苦しい。一人になってグーッと集中しなければいけませんし、その時の自分の心の状態や健康状態にも影響されるので、瞑想をして、事前に調整することが必要です。

 

また、満腹状態ではまったくダメですし、逆にお腹が空き過ぎてもうまく入ることができません。近くに人がいると、その念が入って来るのでこれもダメです。ザワザワした場所では吐き気がしてきますし、テレビが点いていたりすることは、もちろん論外です。そうすると、必然的に、世間とは離れて孤独の中に身を置かなくてはならなくなります。

 

私はこれを、「自分の役割」だと勝手に想って、自分を鼓舞して、やっとの思いで切り抜けているのですが、ふとした時に魔が射して、「自分は何をやっているんだろうか?」という思いに囚われ、沈むこともしばしばです。自分を理解して貰いたいとは思いませんが、「自分の役割」という想いは、実は「錯覚ではないか」という畏れが、今もって完全には消えないのです。

 

私はテレパシー能力は高くはありません。オーラは見えませんし、声も時々しか聞こえません。スプーンだって曲げられません。でもインスピレーションは入って来ます。波動についてもかなり敏感な方だと思います。今までに3人の方にリーディングをしましたが、その3件はいずれもお酒を飲んでいた時で、問わず語りで自然と出て来たものです。ですから、頼まれたからと言って出来ません。

 

この『気づきの啓示板』は、インスピレーションが来た時にメモを取っておき(すぐに忘れてしまうので)、後でそのメモを頼りに、その時の感覚に再びアクセスして、背後の概念を拾いそれを言語化するというプロセスを踏んでいます。ということで、インスピレーションを、自分が持っている知識と、論理展開と、時々やって来るジョークの神様のヘルプで補っているのです。

 

このやり方が、結局、自分の自信のなさ、畏れというものに繫がっています。チャネリングのスタイルにはいろいろとあるようなので、自分のやり方にも、もっと自信を持っていのかも知れませんが、『セス』や『神との対話』シリーズや『アセンション〜宇宙からのメッセージ』などを読むと、そのテレパシー能力の高さや、内容の素晴らしさには圧倒されてしまいます。

 

以前よりは多少よくなりましたが、自信の “信度” はいまだ4弱くらいです。この『気づきの啓示板』では、しばしば「自分を信じろ」ということが言われているのですが、自分を信じ切るというのは、本当に難しいものだと思います。もしかしたら、「自分を信じろ」というメッセージは、他ならぬ、自分に対していちばんに向けられた言葉なのかも知れません。

 

今、図らずも書いたように、このブログで語られている内容と、私個人という人間は別ものです。私は至って下世話、かつ未熟な人間です。ブログでは、一人称に「私」を用いているのですが、この「私」は、自分でもあるし情報ソースでもあるし、その境い目は、遠近両用眼鏡の「バリラックス」のようなもので(たとえが古過ぎ?)、自分でもよく分かりません。

 

今まで、ソースが自らを名乗ったことは一度もありません。私は、たぶん「あれ」だと思っているのですが、「あれ」が途中で入れ替わりに入って来ます。その瞬間の感覚は解ります。左前頭葉に繫がった感覚があるし、身体が熱くなる。そして何より、嬉しくも悲しくもないのに涙が溢れて来る。これが高次元の存在と接触した時の特徴なのです。

 

このことに関連して、最近、私は次のメッセージを貰いました。

「感動は、感情の延長上にあるのではない」

なるほど、と思いました。

このことについては、また別の機会に解説するつもりです。

 

3rd ステージに入ってから、ハッキリ解ったことがあります。これはみなさんにも、様々なメッセージに接した時、その情報が高次元からのものか、低次元からのものかを見抜く際の参考にしていただきたいのですが、チャネラーが高次元の存在と繫がるためには、先ず何より、その人が次のようでなければなりません。

 

・恐怖の予言には目をくれないこと

・オカルティックな方向に走らないこと

・自分のエゴを徹底して滅すること

・大仰なことを言わないこと

・無条件の愛の人になること

 

これらをなぜ破ってはいけないのかは、すべて「波動の法則」によって説明がつきます。「波動の法則」の一つに、同じレベルの波動は引きつけ合うというものがあります。「あの人とは波長が合わない」という言い方がありますが、これは正に「波動の法則」を映していて、波長が合うもの同士(それは人間だけに限らず、物や情報を含みます)が引きつけ合うのです。

 

そうすしますと、いま挙げた五条件に、もしも反することをしたとしたら、どうなるでしょうか。そのチャネラーは、恐怖を集め、オカルトを集め、エゴを集め、嘘つきを集め、愛なき人間たちを集め、それらの念を、自分の所に引きつけることになってしまいます。

 

人間社会というのは、欲得が支配する世界ですので、そこを刺激すれば(たとえば「引き寄せの法則」をエゴの道具に使う)多くの人々の注目を集めることが出来ます。しかしそんなことをすれば、誰にとっても不幸しかもたらしません。エゴの増幅が始まってしまうのです。そのチャネラーも、きっと顔つきが悪くなり、肌は黒ずむか青白くなって精気を失い、しまいには病気になってしまうことでしょう。

 

以前、シンクロニシティの話をしようとして、自分の身に起きた現象を例として挙げたことがあります。数日して、お会いしたある方から、その事例が「面白い」と言われて、私は「しまった!」と思いました。私としては、その裏にある「真理の法則」を読み取って欲しかったのですが、その方には、不思議現象に対する興味しかもたらさなかったのです。

 

もっともっと用心しなければと反省しました。自分をどこまでも Pure にしていく必要があるのです。これを疎かにしてしまったら、高次元の存在とは繋がれないし、情報も入って来ません。その理由は、もうお解りでしょう。これも「波動の法則」の支配を受けるからです。けれども、この Pure ということと、次に述べることを取り違えてはなりません。

 

「美し過ぎる世界」には要注意です。実は、私がいちばん吐き気を催すのは、スピリチュアルな世界、とりわけ「美し過ぎる世界」なのです。スピリチュアルなことに興味をもたれる方の多くが、誤解をしています。「美しい世界」が神の世界なのではありません。「ありのままの世界」が神の世界なのです。それは、自然を見れば一目瞭然ではありませんか?

 

美しい景色だけが自然ではありません。大災害をもたらす脅威も自然の一面なのです。光当たるところ、必ず影あり。それが自然というものであり、宇宙の真の姿です。聖地、聖所、聖なる言葉、聖書、聖人、賛美歌、等々。あまりにも「美し過ぎる」演出をされたものは、すべて人間が拵えた歪みです。自然を映してはいません。それは「美し過ぎる」という、実は汚れなのです。

 

「美し過ぎる」ものが、なぜいけないのか、解りますか? 「美しさ」を、真、善と規定する者は、反対側に「醜さ」を規定します。「美しさ」というのは相対尺度ですから、反対のものがなければ際立ちません。そうすると、自分たちが信じるものは美しいが、それ以外のものは醜いという発想に、だんだんとなっていくのです。美と醜、善と悪というものを分けてしまうのです。

 

組織宗教は、正にそれを利用しました。人間、誰の心の内にも、善悪や美醜の両面が存在します。しかし、自分の中の悪や醜い面は誰しも見たくない。なぜなら「神とは絶対的に美しいもの」だから。そうなった時、悪や醜い面を、自分たち以外の人間にすべて押っ被せてしまえば、自分たちは「美しい」側の存在として、神の寵愛を受けられる、としてしまったのです。

 

そうではありません。すべて「ありのままの世界」が神の世界なのです。ですから、あなたが「ありのままの自分」を発見できた時、妙な頑張りなどはしなくてもよいのだと気づいた時、自分を認め相手も認めた時、あなたは神の世界に入ります。そして、そのすべてをもって「美しい」と言う時には、ファウストが言ったように「この世は美しい!」と言えるのです。

 

神の世界は、遥か遠くにあるのではありません。ましてや祭壇上やシンボルの上にあるのではない。あなたのすぐ横にあるのです。あなたが今、目にし、聞き、触れるところのすべてが、すでに神の世界なのです。そしてあなたも、神の世界の重要な一部だということ。それを、美しいと感じられるかどうかは、結局、あなた次第なのです。

 

ですから、ご自分を、美しいものにしなさい。ありのままを認め、正直に、素直に、朗らかに、周囲の人々に誠を尽くして生きなさい。どこまでも Pure でありなさい。そうすれば、周囲にあふれるものすべてが、美しく輝いているのを見ることになりますから。

私の本望

3rd Stage に入ってから、週1回のペースで投稿をしようと努力はしているのですが、どうもしっくり来ません。新しいメッセージは、以前のようにはもう降りて来ず、すべてを書き切ってしまった感じがします。言い方を変えたり、視点を変えたり、何かと何かを組み合わせたりということはあったとしても、今の自分にとって、新しい発見はもうないのです。

 

2nd Stage に書いてきたことも、そもそも新しいことなど何一つなく、古代からずっと言われて来たことの、現代語による、インターネットを利用した、今の時代にも適合した書き直しでしかありませんでした。その時々の自分にとっては、それが「発見」だったのです。そして、それをすることが、自分の一つの役割であったわけですが、その段階がきっと終わってしまったのでしょう。

 

このブログをたまに訪れるという方から、よくこんなサジェスチョンを受けることがあります。「知らなくてもいいようなことまで別に書かなくても、普通の人が解るような平易なことに絞って書けば、もっと読まれるだろうし、人気も獲得できるのに‥‥」と。親切心でそう仰ってくださっているのでしょうが、そういう次元でやっていることじゃないんです。

 

人気ブログにしようとか、アクセス数を上げようとか、アフェリエイトで稼ごうとか、そんなことには全く関心がありません。日ごろ「この世の常識を打ち破れ!」と言っている私が、どうしてこの世の尺度に乗っかることを選びましょうか? そんなことをしたら、自分で自分を裏切ることになってしまいます。たまに訪れるという方には、そこを解っていただけないので悲しくなります。

 

「でも、一人でも多くの人に伝わった方がいいわけでしょ?」と。そりゃそうです。でも「知る」ことと「解る」ことは全然違う。私が歩んでいる道は、「真理」の探究です。洞窟探検を想像してみてください。奥を目指そうとすれば、どんどん穴は狭くなります。振り返っても、入り口は見えない。もう引き返せないかも知れない。それでも奥を目指す勇気を持つかどうかです。たまに訪れるという人は、最初から奥を目指す気などないのです。物見雄山です。

 

もう一つのたとえを言いましょう。これも前に書いたことなのですが、たまに訪れるという人は、ザルで「真理」という水を汲みに来ている人なのです。「こりゃあいい水だ」と、水を汲んでマイホームに持ち帰ったとしても、隙間からジャージャー水が零れ落ち、帰った時にはザルの中にはゴミしか残っていない。ザルを水で満たすには、ザルごと池に沈める必要があるのです。

 

誤解しないでくださいね。このブログに毎日来てくださいと言っているわけではないんですよ。どうされるかは、もちろんあなたの自由だ。ここで言いたいことは、受け取る準備が出来た者にしか、言葉は届かないということなんです。ですから、方便を使って間口を広げても、何の意味もない。そんなものは、過去の宗教がさんざんやって来たことです。その結果、どうなったか? 今を見れば明らかではありませんか?

 

『虹の学校』はそんなものは目指さない。10万人に一人、いや100万人に一人、共感してくださる人がいれば、それで結構なんです。そしてそれは、私がどうこうしなくとも、天がジョイントしてくださる。ドンピシャでアレンジしてくださるのです。私は、ただ私の役割だけに邁進していればいい。

 

「真理の法」と己の「生き方」を求め続けて、50年間、私は彷徨い続けました。20代は不安だらけの根無し草。事業に失敗したり、アルコールに溺れたり、妻に先立たれたり、鬱病になったりもしました。多くの、恥ずかしいことや馬鹿なことをやって来ました。怒りや悲しみに感情を奪われて、どうしていいかも分からない、捨て鉢な気持ちにも何度もなりました。

 

そのような経験があって、本当はピュアで、探究心があって、友愛の精神に溢れた人なのに、この世があまりにも逆行しているために、その尺度で判断され、反対に傷つき、苦しみ喘いで、自分の居場所を発見できない人が、数多くいるのではないかと思うようになったのです。

 

『虹の学校』は、そのような人に、「そのままでいいんだよ」「あなたの才能を活かせる道はあるんだよ」と言ってあげたいのです。

 

そのために、第一に、「ただ今の世間常識というものが、いかに宇宙の法則から外れているか」ということを知ってもらうこと。だからそれに従う必要などないということ。第二に、「心」の本体とは何であり、どうすれば「心」を制御できるのかを身に付けてもらうということ。その上で、第三に、ご自身の「魂」と会話する技術と感覚を掴んでもらうことを目標にして来ました。

 

このブログで書いてきたことは、結局それらを手を変え品を変えやって来たということです。私が50年掛かった苦闘の段階を、それらを示すことよって短縮できれば、後に続く人は、私よりもずっと早く、かつ私を追い越して、さらに先に進めるだろうと思うからです。(「後の者が先になり、先の者が後になる」マタイ伝:20章16節)今世の私の役割は、それです。

 

私の師は、地上にはおりません。一時、秘儀や秘教といったものがどこかに隠されてあるのではないかと、必死に追い求めた時期もありました。しかしそんなものはなかったのです。秘儀や秘教と言われるものがないというのではなく、隠されたものなど何もなかったということです。天は隠し事はしないのです。要は、準備がない者には、求めても、もたらされないということだけだったのです。

 

つまり、その人のエゴを取り去った度合いに応じて、適切な情報がもたらされる。もっと正確に言うと、宇宙意識の情報というものはどの魂にも分け隔てなく降り注いでいるのですが、エゴが邪魔をして、秘教的な情報をレシーブする(受け取る)ことが出来ないということだったのです。

 

ですから、「道」を歩もうとする者は、次の準備に向けて、常に鍛錬を(楽しんで)欠かさないようにしなければなりません。「そんなことをしてどんな得があるのか?」と考えるような人には、いま言ったことは、全くの無価値のものでしかないのです。それは仕方がありません。10万人に一人、いや100万人に一人でいい。そこに価値を見出す人に、私のささやかな言葉が届けば、それで私は本望なのです。

 

●わが祖父の「辞世の歌」:今成護久

 

今と成り

なにをかいわんのちのよを

護るも久し

法の印を

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死が真近の今となってしまっては、

後の世の中のことを言ってみても、

今更どうなるものでもない。

でも自分は、法の印というものを、

これからも永久に護っていくぞ。

 

自分の名前の今成護久と、寺(快慶院)の俗称であった「法印さま(法印というのは、宇宙の理法のしるしが確かに現れているの意味)」を、洒落っ気で盛り込み、辞世の歌としている。この時はすでに全盲であったため、字が少し曲がっている。

「気づきの啓示板」2nd stage 終了のお知らせ

これまで、4年10ヵ月に渡って掲載して参りました「気づきの啓示板」の 2nd stageを、本日をもってひとまず終了することに致しました。今年に入って感覚的な変化が2度あり、一時はハッキリとしたチャネリング感覚を持って書いていたのですが、夏以降はその感じが失なわれてしまいました。

 

*チャネリング感覚が出始めた以降が 2nd stage で、それ以前が 1st stage

 

エネルギーの使い方に馴れて来て、そういう引っ掛かるような感じが失くなったのか、それとも上からのメッセージが、もう下りて来なくなったのか? 両方なのでしょうが、おそらく後者の方が強いでしょう。私もすでに充分語ったという感じがして、この辺が潮時だと思いました。

 

身近なメンバーに相談したところ、「少しお休みを入れて、様子を見れば?」と言われ、10月からは土日祝祭日にお休みをいただいて、当面続けるということをやってみましたが、失われた感覚は戻らず、このまま今のスタイルで続けていても惰性でしかないように思えてきました。

 

この4年間は、別に意図したわけではないのですが、結果的にこのブログに全精力を傾けるようになってしまい、「虹の学校」としての他の展開がほとんど出来ませんでした。それはそれで、必要なプロセスであったわけで、私も大きく成長できたと感じているのですが、もう疲労困憊ですし、「次の段階が来たよ」という声も聞こえるのです。

 

1段目、2段目のロケットが燃え尽きて、3段目の人工衛星を軌道に乗せるためには、今のままではパワーが足りません。自分自身の stage をもう一段階上げる必要があると感じています。そのためにも、これからしばらくは、自分自身の「行」に専念したいと思います。

 

振り返れば、最初の読者は30人くらいでした。今はその20倍くらいにはなっているようです。日めくりカレンダー替わりに読んで下さっている方もおられて、その人たちの見えない応援に支えられて今日まで続けることが出来ました。駄文も多かったと思いますが、飽きずにお付き合い下さった方々、どうもありがとうございました。

 

皆さんは、共に成長をして来た、同士だと思っています。同士の皆さん、思索の時期は終わりました。もう充分です。すでに皆さんの中には、これまで説かれることのなかった「宇宙の法則」の神髄が入っています。今後は皆さんのフィールドで、実践的な活動にチャレンジして行っていただきたいと思います。

 

皆さんが、明るく、楽しく、元気よく生きれば、それだけで、自動的に周囲の人々まで、明るく、楽しく、元気よくしてあげることが出来るのです。それが「波動の法則」です。もう皆さん、よくお解りのことです。

 

知らない人が聞いたら「そんな馬鹿な?」と言うかも知れませんが、いくら制度をいじったところで、社会を変えることは出来ないのです。制度を作るのも人間なら、運用するのも人間であり、結局、人間の質が変わらない限り、必ず制度を悪用し、人々を苦しめる輩が登場するのです。

 

ですから、皆さんが、明るく、楽しく、元気よく生きれば、その純粋で高い波動が周囲を振るわせ、周囲の環境や人々を、高い波動で固定することに繫がるのです。これは確実ですし、あなたが思っている以上に凄いことなんですよ。

 

そんなもの信じられないという方は、逆を考えてみればいい。目を吊り上げた政治家、口から泡を飛ばす評論家、周囲を蔑んだ目で見る有識者、俺は大将だぞと威張る企業経営者、どよ〜んとして生気のない教育者。これらはみな、自分と同じ低い波動を集めることに一役買っているんですよ。

 

だから、あなたは、そんな罠には落ちないように。

 

もし何かのヒントが欲しくなった時には、このサイトの下段にあるキーワード検索に言葉を入れて調べてみてください。もしかしたら有益な情報が見つかるかも知れません。途中から「気づきの啓示板」を発見した方も、そのように活用していただければ幸いです。もし、どうしてもこれを訊きたいという質問がある方は、質問コーナーにお寄せください。

 

バックナンバーは、過去に書かれたものではありますが、それは過去の情報ではないんですよ。あなたが今読む時、それは、今その瞬間に、あなたの前に立ち顕れたということなんです。もっと言えば、あなたの「魂」が、今まさにその瞬間を、部品を集めて創ったのです。ドンピシャのタイミングで。このことが理解できれば、あなたの人生は何倍も豊かになります。

 

*これは、量子力学の初歩の初歩。

 

今後は、義務感に縛られず、インスピレーションがある時にだけ不定期で投稿することになります。がしかし、なるべく月曜日の定期掲載を心がけるようにいたします。今まで支えて下さって、どうもありがとうございました。

それでは、ごきげんよう。

God bless you.

今日から三連休

1日、2日の土日を休んでみて、「こんなに楽なのか!」と思いました。

それを『虹の学校』メンバーのHさんに話したら、「人間、すぐに楽な方向へ走るからねぇ」ですと。

ハイハイ。悪うございましたねぇ。

ということで、今日から三連休。もっとイージーに走りますよ〜だ。

Oさんの『アセンション 宇宙からのメッセージ』のこと(2)

Oさんは、「そうして下さるのはありがたいですが、あなたはご自分のことを第一にされてはどうですか?」と言って来たのです。まったくつれない返事でした。もっと盛り上がるような展開を期待していた私は、肩すかしをくらって、ヘナヘナと力が抜けてしまいました。Oさんは、自分の役割は終えたとしてブログを終了されたと伝え聞いていたのですが、正にその通りのような反応だったのです。

 

しかしその時点での私は、未熟でまだ意味をよく解っていませんでした。しかし今は、その意味も、感覚的なものも解ります。私も4年半、毎日このブログを書いて来たのですが、振り返ることはしませんし、何を書いて来たかもディテールはよく覚えていません。未練もありませんし、過去のことは、もう「終わった」という感じなのです。しかし当時の私は、Oさんのメッセージに未練を持っていたのです。

 

そうこうしているうちに、頭を殴られるような出来事がありました。これも「虹の学校」の縁で出現した人なのですが、まだ20代のAさんは、生まれつきの強い霊媒体質を持っていて、とてつもないエネルギーを周囲に発していました。このAさんを前にして、Oさんとのコンタクトの一件を何気なく話したら、直ちにAさんから「それは今成さんの解釈が違う」と指摘されてしまったのです。

 

「今成さんの役割は、Oさんを世に出すことではなく、自分の言葉で自分が語ることだ」と、強い語調でAさんが言いました。それは、私が考えもしなかったメッセージで、若いAさんから、まるで殴られたような衝撃を貰いました。そして時を同じくして、再びKさんから、さらに衝撃を受けるメッセージを受け取ることになったのです。

 

それは、私のマスターからのメッセージで「なにをグズグズしている!」という叱責の言葉でした。そして「己自身が先ずアセンションすべきだろう」と言われてしまったのです。結局、Aさんの指摘と同じでした。この時のことについては、以前にたぶん書いたと思います。以上のような経緯があって、今の私があるのです。ですから、Oさんの『宇宙からのメッセージ』が、私の扉を開く大きなきっかけとなったのです。

 

Oさんとのコンタクトの一件については、すべてこちらのことで、Oさんに直接会ってお聞きしたことではありません。したがって責任はすべて私にあり、これを書くことで、Oさんにご迷惑が掛からなければよいけれど、と思っております。今日書いたことを、どのように受け取っていただいても結構ですが、誹謗や中傷に関しては、ひとえに私に向けていただきたく思います。

 

しかし、今になって思うと、KさんとAさんによって気づかされてから、結果的に、私なりに、Oさんのメッセージの後をバトンリレーすることになったのではないか、と思うのです。それを考えると、Oさんが2008年の10月で、ピタッと連載を止められた意味もさらによく解るのです。私も「もう充分」と思った時には、ピタッと止めるかもしれません。

 

これも振り返って思うことなのですが、なぜOさんの『宇宙からのメッセージ』に、2012年になるまで気がつくことがなかったのか? これは要するに、自分の器が、まだ出来ていなかったんですね。受け取れるだけの準備が出来ていなかった。これ以降、節々に、あるものとの出会いが段階的に起きて行ったのですが、それらを考えると、すべてが完璧に用意されていたということがしみじみ解るのです。

 

私の役割は、橋渡しをすることだと思っています。理解が難しい間柄を取り持つことです。子どもの頃から、その意識が強くあって、ビジネスをしていた時期も、結局やっていたことは橋渡しでした。今は、宇宙のメッセージを人々に伝えるとか、芸術と科学の間をつなぐとか、難しい概念を簡単な言葉に置き替えるとか、才能を持った人たちをつなぐことが役割です。

 

私は特別な知識を持っているわけでも、霊能が特に強いわけでもありません。ただ、一見なんのつながりも無さそうな複数のもの(本のある部分とか、人物とか、映像とか、格言とか、アートとか、科学とか)の中に、共通項を見つけるのは大得意なのです。「あ、これは、◯◯と同じだ」とパッと解る。記憶力は非常に悪いのに(カミさんの誕生日を間違って、もの凄く怒られたことがあります)、なぜかそういうことだけは、明かりがポッと点るように思い出す。

 

これも、結局、ブリッジです。このブリッジを、虹色を使って大空に掛けたい。これが私の願いです。世間から見れば、ささやかなものに過ぎないかもしれませんが、私を必要としている人のお役に少しでも立てれば幸せに思います。(終)

Oさんの『アセンション 宇宙からのメッセージ』のこと(1)

このタイミングで、Oさんのことを書いておこうと思います。Oさんは、2001年から2008年10月までの間、『アセンション 宇宙からのメッセージ』というサイトを発表されていました。ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんね。でも、いまリンクを貼ろうと探してみたのですが、見ることができなくなっていました。

 

私が、このサイトのことを知ったのは、2012年ころだったと思います。ですから、その時にはすでに連載は終了していました。このサイトに辿り着いたのは、ほんのちょっとしたアクションからだったのですが、宇宙に偶然はないということで言えば、やはりそのように導かれたとしか思えません。一読してたちまち魅了され、その内容に非常に驚かされると同時に、深い感銘を覚えました。

 

そのころの私は、今よりもずっと未熟で、宇宙のことをまだよく解ってはいませんでした。しかしOさんの『アセンション 宇宙からのメッセージ(以下、『宇宙からのメッセージ』)』は、その扉をこじ開ける働きをしてくれたのです。このサイトは、チャネラーであるOさんが、高次元の複数の存在から下ろして来たメッセージを記述したもので、その波動の高さには特筆すべきものがありました。

 

世界中で、メッセージを発している方は今もたくさんおられますし、これまでにも人類は多くの素晴らしいメッセージを受け取って来ました。Oさんの『宇宙からのメッセージ』は、それらに匹敵する、いやそれ以上の高い霊性を持った、かつ正確な記述がなされた、稀に見る内容のものだったと思います。

 

市井の科学者である故大橋正雄さんのことを知ったのも、このサイトを通じてです。大橋正雄さんの著作を何点か購入して読んでみて、「こんな人がいたのか!」と驚嘆するとともに、宇宙に関する科学的な知識を、飛躍的に深めることにつながりました。

 

最初に『宇宙からのメッセージ』を知ったころには、まだメール受付のボタンがあって、一度メールを送ってみましたが、返事はいただけませんでした。残念に思いましたが、きっと傷つき、疲れてしまわれたのだろうと推察しました。というのは、大多数の人は、高い波動を読み取ることができないために、興味本位に扱ったり、時には揶揄や非難の対象としてしまうからです。

 

この『宇宙からのメッセージ』には、来るべき「アセンション」の時期に際して(当時は、2012年の12月がその転換点のピークと言われていた)、「アセンション」とはそもそも何かということと、それに向けて人類がどのような心構えや行動をとっていったらいいかということが、現代の言葉づかいで丁寧に述べられています。

 

当時を振り返れば、霊能者と称する方々の多くが、この時期に向けて、盛んに「恐怖の予言」をしていたことを思い出されるのではないでしょうか。これは「恐怖」を与えたほうが。大衆の注目を集めやすいからです。けれども『宇宙からのメッセージ』には、そういったものが一切ありませんでした。だからこそ本物と言えるわけですが、本物を見分けられる人は、どんな分野でもごく少数なのです。

 

すでに2012年という時期は過ぎてしまいましたが、ではこの『宇宙からのメッセージ』には、もう読む価値がないのかと言えば、そんなことはありません。「真理」は、普遍かつ不偏で、いつの時代でも不変なのです。それとこの中には、人類創世に関する秘密や、ボディワークの仕方に関するアドバイスなどの有益な情報が記述されている他、多くの貴重な示唆を含んでいます。

 

*宇宙を形づくる「理屈」は不変という意味です。一方、宇宙の「表現」は常に変化しているのです。つまり、「宇宙は常に変化し続けているということだけが、ただ一つの変わらないこと」と言うことが出来ます。

 

そしてもう一つ。この『宇宙からのメッセージ』には、非常に特異な役割がありました。それは、1万年以上前に、このアセンションの時期を見越して、他の星から転生して来た「魂」(ETソウル:分りやすく言えば宇宙人)に対し、決起を促す内容になっていたのです。そういう同類を探し出す機能を背後に持っていたのでした。

 

彼らは「ライトワーカー(光の仕事をする人)」と呼ばれ、地球のアセンションを手助けするために、自ら志願して地球人に転生して来た「魂」なのです。ところがその後、地球人としての転生を何度も繰り返し、地球人のあり方を学んで行くうちに、本来の目的をすっかり忘れてしまい、いわば地球の波動に巻き込まれてしまったのでした。

 

そういう「魂」に対して、「光のエネルギーがどんどん強くなっています。宇宙全体が応援しているのですから、もう傷つくのは止めて、あなた本来の目的を思い出しなさい。そして思い出すだけでなく、具体的な活動を始めなさい」という、呼びかけの内容を持っていたのです。以上は、O教授が聞いたら「証拠を示せ!」と怒鳴りかねない内容ですが、まあ、どのように思われても結構です。

 

この「呼びかけ」は分っていたのですが、その時期には、自分が「ライトワーカー」の一員であるという自覚はまだありませんでした。何しろ、Oさんの『宇宙からのメッセージ』に遭遇したタイミングが、終了してから4年も経っていましたし、既に多数の「ライトワーカー」の方たちが反応して、活動を始めていると思っていました。

 

それに当時の私は、人生に破れ、大いに傷つき、自信を失っていた時期でもありました。けれども、内容に惹かれた私は、ここに書かれてあることを、完全に自分のものにしたいと思い、全ページをコピペして整理し、印刷してじっくりと読んでいきました。読めば読むほど興味深く、このままにしておくのは惜しいという思いが募って来て、体裁を整えて100部くらいを印刷し、希望者に頒布したいと思うようになりました。

 

そう思ってから、誤字脱字をチェックし、句読点を打ち直したり、文体が入り交じっているところは統一したりという編集者としての作業を2回行いました。そんな折、「虹の学校」の縁から、素晴らしいテレパシー能力を持った人物が出現し、私はこのKさんを通じて、Oさんとコンタクト出来ないかと思いついたのです。

 

なぜそうしたかったかと言いますと、文章に多少手を入れさせていただくことと、希望者に頒布することの許可をOさんにいただきたいと思ったのです。そこで、ある日の午後、私とKさんの他に2名のオブザーバーを入れて、計4名で特別なセッションを行いました。

 

Kさんのテレパシー能力、チャネリング能力というのは、全く舌を巻くもので、私もこれまで何人ものチャネラーに会って来ましたが、ずば抜けた素質と正確さを持っていました。ですから、この試みは必ず成功すると思ったのです。

 

案の定、セッションが始まって、すぐに反応が返って来ました。「この場の会話に、Oさんが参加したがっている」と、Kさんは言いました。そしてそのあと、私の全く予想だにしない答えが返って来たのです。(つづく)

 

*チャネリング能力にも、人それぞれの個性があって、やり方も得意分野も違います。私はこのようにして文章を記述するのは得意ですが、テレパシー能力は高くありません。それでKさんにお願いしました。

10月から土日・祝祭日のお休みを、お許し願いたく思います

昨日掲載のショート・コントは、「意味がわからん」というお叱りのメールをいただきました。どうもすみません。ジョークの意味の解説をすることくらい野暮なことはないので、いたしません。やっぱり、すべっちゃったかなぁ。

 

当『気づきの啓示板』ブログにアクセスして下さっている皆様、拙文にお付き合い下さいましてありがとうございます。このブログを書き始めてから、来月の1日で4年半となります。そこで、これを機に、ブログ更新のペースを落とすことをお許し願いたいと思います。

 

このブログは、当初は自分への課行として「毎日書く」ということを、あえて自分に強いて始めたものでしたが、幾度かの転換点があって、内容も表現もしだいに変わり今日のようになりました。いちばんの変化は、「宇宙から届けられる情報を、言葉に翻訳し、メッセージとして記す」ということを、自分自身が意識して行うようになったことです。

 

私の場合は、言葉が聞こえるわけでも、自動書記の状態になるわけでもなく、もやもやしたある概念が塊として先ずあり、そこから、適切な言葉を当てて文章をズルズルと引っ張り出すという感じで書いています。そのため、一語一語ピッタリする言葉を探すまでにかなりの時間を要し、その間ずっと意識をチャネリング状態に置いておかなければならないので、大変な集中力を必要とします。

 

途中で、電話や来訪者があったりして夾雑物が入ると、そこでリンクが切れてしまう場合があり、そうなるともう全く言葉が浮かびません。その結果、気持ちに焦りが生じて、非常に苦しくなってしまいます。それと、最初にリンクをつなぐまでが難しい。自分のバイブレーションを高めて、ソースが発するそれとが同調しないと、流れ込んで来ないのです。

 

そのため、その日の体調や、気分や、室温や、静けさや、お腹の減り具合といった、ちょっとした要素にも影響を受けてしまいます。今のところは、これをまだうまくコントロールすることが出来ていません。ということで、午前中の2〜4時間をタイピングに当てているのですが、これが今では自分の仕事になってしまい、午後は家の修繕作業をしているために、それ以外の活動が何もできません。

 

そのため、過去1年間はセミナーをお休みいたしました。しかしこの辺で、そろそろ転換を図るべき時に来たと感じました。とにもかくにも、課行を4年間続けて来て、自分自身にとっての成果というものに手応えを感じたということと、お伝えしたいことはもう相当語ったという感じがしております。そこで、ブログ更新のペースを落として、次の活動に移行したいと考えました。

 

これまでの4年半は、いわば助走期間で、内なる学習を続けながら、先にある展開の準備を地道にして参りました。幸いこれまでの活動を通して、縁が芽生えた方の中に、非常に優秀な特異な才能を持った方が何人も顕れました。今後はこれらの方々と共に協力し合って、ささやかではありますけれども、虹の理想を築く活動をして行きたいと思っております。

 

詳細はこれから煮詰めて参りますが、来春までにはリニューアルした『虹の学校』をお見せしたいと考えております。また、当ブログに関しましては、とりあえず、土日・祝祭日の投稿をお休みさせてください。従って、10月は3日からのスタートとなります。

 

『虹の学校』が紐解くものは、芸術、科学、神秘、そして愛です。みなさまの共感に支えられて、私たちの活動も生かされます。どうか今後ともご支援くださいますように。そして出来れば、あなたも虹の隊列に加わってください。よろしくお願いいたします。

子どもの頃の感覚を思い出す

この夏、墓参りに実家へ行って来ました。実家には姉とその息子が住んでいるのですが、私は彼らから離れて、ふた間先の部屋に、電灯を消して、ひとりぽつねんとしているのです。ちょうどオリンピックをやっていて、「見なくていいの?」と言われたのですが、スポーツ選手(人間)には興味があっても、スポーツには今は全く興味がありません。私には、そうしていることの方が心地よいのでした、

 

そうやって、隅っこの方でじっとしていた時に、「ああ、そう言えば、子どもの頃もこうだったんだ」と、50年前の感覚を思い出しました。自分は、ただ静かに瞑想していたかったんだ。それが解ったとき、堀文子さんが仰っていた「子どもに返ることが、修行」というあの言葉には、言葉以上の深い意味があるということを、瞬間的に理解したのでした。

 

私は姉二人の三人きょうだいの末っ子で、そう言うと「可愛がられたでしょう?」とよく言われたりするのですが、この姉が二人とも強烈な人で、そこに若い頃はヒステリーだった母親を加えて、強い女三人に、いつも「ああしろ、こうしろ、こうでなければいけない」と、生活行動全般を強要されながら育ちました。

 

加えて、親戚の従兄弟には蔭でずっとイジメられ続け、ストレスから夜尿症になり、この夜尿症は中学を終えて学業のために家から脱出するまで続きました。10歳の時には、海で溺れて仮死状態から蘇生するという経験をし、これがマスコミの餌食になって生きるのがイヤになり、自殺を考えるようになりました。

 

今ふりかえってみると、自分はただ静かに思索をし、創造する時を楽しみたかったのです。でも、周囲に理解者はゼロだったのです。学校も教師も、実に下らないと思いました。どうしてみんな、勝手に考えた理想の型のようなものに、子どもを押し込めようとするのでしょうか? どうして、自由にはしてくれないのでしょうか?

 

今はその理由が解ります。大人たちは、成長するにつれて自分がどんどん「不自由」になって行ったことの、その復讐を、次の世代の子どもたちにしているのです。(前の世代には、もう出来ませんからネ)ああ、なんという馬鹿な大人たちでしょう。

 

ある時、田舎の駅舎を出たとたん、街を隠れながら歩いていた、自分の子ども時代を思い出し、それは遠くギリシャ、ローマに生きていた頃に、隠れながら辻説法を行っていた前世につながっていることまで思い出しました。(このことは以前に書きました)そして今回、子どもの頃に頭の中が爆発しそうだったことの理由も理解できたのです。

 

それは今と同じ。頭の中で、ブツブツと呟き続ける声だったのです。この声が、どこから生じるのか、子どもの時にはそれが分らなかったのです。常にあるデジャヴの感覚。目を閉じると見える紫色のもや。電信柱の上を飛行する鮮明な夢。一度、これらのことを同級生と話したことがあるのですが、自分は「おかしい」と悟り、それからは口をつぐむようになりました。

 

あの頃の自分が、今の自分に出会えていたら、どんなによかっただろうと思います。今の私は、変わった奴だからといって排斥はしないし、理想型を押し付けないし、それらの現象を全部説明して上げられるし、エネルギーのコントロールの仕方もアドバイスしてあげられたことでしょう。でも、そうならない環境を敢えて選んで自分は誕生した。その意味も、今なら解ります。

 

成長するにつれて、どんどん「自由」を取り戻していった自分の体験の、その意味を、私は次の世代の子どもたちにしてゆきます。それが今世の、私のミッション。

精神がクタクタの時

今年に入りチャネリング状態に意識を集中して書くようになってから、このブログの内容も大きく変わりました。一見して顕著なのは、文章量が増えたことと、ジョークが出なくなったこと(;´_`)。ジョークだけを楽しみにしていらっしゃるという方(それ以外の話はツマランという方)には申し訳ないです。すみませんねぇ、ジョークの神様がもう下りて来なくなったんですよ。

 

メッセージを伝えて来るソースには複数があるようですが、今のところ、ほぼ特定できたのは一つだけです。チャンネルの保ち方の感覚はだいぶ分って来ましたが、エネルギーの使い方については、上手にコントロールできるというレベルにはまだ至っていません。そのせいで、時に、精神がクタクタに疲れ切っていて、まったくチャンネルが繫がらない日があります。

 

こんな時は、焦りを感じて逃げ出したくなります。以前に、信頼できる霊能者のTさんが「自分のエネルギーが50%以下に落ちたとき、体力のない時には、自分はセッションをしない」と仰っていた意味が、今になってよ〜く解りました。メッセージが降りて来ないし、自分の考えが混じってしまって、正確さと安定が保てないんですよね。

 

だから、もの凄く苦しい。もう今日こそは「ゴメンナサイ」をしてしまおう、という誘惑に駆られる。けれども、4年前に「毎日書く」ということを自分に課した以上は逃げられません。それに「毎日書く」と自分に強いたおかげで、チャネリング能力が開かれたのも事実。自分にとっては、一つの「課行/訓練」になっていたんですね。きっとこれも、ご計画による必然だったのでしょう。

 

というわけで、毎日、このようなギリギリの葛藤に喘ぎながら、今のところはなんとかやりくりしています。もう少し軽やかに出来る方法を、早くなんとか掴みたいです。

このブログの文章量が、急に長くなったわけ

この『気づきの啓示板』を始めたのは、今から4年前だったのですが、その時の文章量はわずか10行程度のものでした。わずか10行を書くのにも四苦八苦していたのです。それが途中から、しだいに長くなり、時に非常に長い文章を書くようになりました。


けれども、とりあえず毎日書くということを自分に課したため、これが大変な重荷となり、毎日が苦しくて苦しくて堪りませんでした。もう何度、止めたいと思ったか知れやしません。またこの時期には、月に2回ほどセミナーをやっていたのですが、セミナーをした後はクタクタで2日ほど寝込むという感じでした。


どうしてこんなに苦しいんだろう、疲れるんだろう、ということが全く分かりませんでした。今も毎日、3時間かけて文章を書いているのですが、ネタが無いとか、文章が書けなくて苦しいんじゃないんです。ある一定の感覚的状態をずーっと保ち続けているのが難しくて、それが非常に疲れるのです。


次の日に掲載するものを、前日の午前中に書いているのですが、午後になるともう気力が続きません。ですから、午前中に何か別の予定が入っていたり、集中して書いている時に急に宅急便が来たりすると、もうその後が続けられない。その日の気分や、天気や、体温にも影響されて、これらを調整してやりくりするのに、大変な労力を使い、毎日がヘトヘトでした。


ところが、ある時期から、その理由が解ったのです。ブログを始めた当初は、まぎれもなく自分が書いていたのですが、だんだんとそうじゃなくなって行ったのです。自分は道具で、使われるようになって行った。けれども、それを認めていませんでした。自分では、相変わらず自分で書いていると思っていたんです。


そうすると、いま書いていることに自分で驚いて、「こんなこと言っていいのだろうか?」という疑問が沸いて来るんですね。この自信のなさが、また非常に苦しい。そのような時に、あるチャネラーを通じて、マスターから激しい叱責を受けたのです。「何をグズグズしておる!」と。これには驚愕しましたが、でもその時には、言われたことの意味もよく解ってはいなかったんです。


私は、これまで会って来た「霊能者」と称する人たちに対する疑問もあって、「霊能」というものに、釈然としないものを感じていました。そのため、自分にはずっと「霊能などない」と言ってきましたし、ダジャレで「私は零(0)能者」と言っていたくらいなのです。でも、自分では、自分で書いていたと思っていた文章が、実はチャネリングしていたんだということにようやく気がついた。

 

このブログの中に、繰り返し「外のものを信じるな。自分を信じよ。」というメッセージが出て来ますが、なにより私がいちばん自分を信じていなかったんですね。そこで今年の4月1日、4周年を迎えるのを期に「メッセンジャー」宣言をすることにしたのです。それからは俄然、楽になりました。やっと感覚が掴めて来たのです。


なぜこんなにも苦しくて疲れるのかという理由が解った。要は、ソースとのチャンネルを維持し続けるのに、多大なエネルギーを消費してしまうんですね。その間、ずっとトランス状態にいるわけですが、夾雑物が入り込まないように自分の意識をコントロールして、集中し続けていないといけない。このエネルギーの使い方が、最初のころはうまく出来なかったんです。


今も、疲れることは疲れるのですが、そんなヘトヘトになるという感じはなくなりました。自分が書いているのではないということを認識してから後は、トランス状態を維持し続けることに注意を払うようになったので、タイピングのスピードが上がり、キャッチ出来る量も増え、それで文章量がグンと長くなったのです。そして内容も、明らかに高度化して行きました。


実は、私が今しているような役目をすることは、10年以上前から、複数のチャネラーを通じて預言されていました。一人のチャネラーからは「取って置かれた人」という言われ方をされました。けれども、自分ではピンと来なかったし、それを認めていませんでした。でも今は「何をグズグズしておる!」と言われた理由も、「先ず己がアセンションすべきだろう」と言われた理由も解るのです。


まったくその通りで、そうでなければ、今世での自分の役目を果たせなかったのです。そして自分の霊性が開くにつれて、自分のいくつかの過去世のことも解って来ました。キリスト教成立以前のローマ帝国時代にも、自分はメッセンジャーとして生きていて、それが理由で捉えられ、処刑されました。その痛みが、今世での活動を、長い間、躊躇させていたのかも知れません。


三段ロケットに例えれば、先ず一段目のロケットが点火されるまでに40年近く掛かりました。その間、ずっと発射準備だけをしていたわけです。でも一段目が点火されてからは、3年で二段目に火が点きました。そしてそれから3ヵ月で三段目が発射された感じです。この後、まだ人工衛星の射出と軌道に載せる段階が控えています。


私の今世での残りの役割は、大きく二つです。一つは、およそ3000年の間、人々を縛り付け、奴隷化状態に置いて来た様々な「観念」から人々を解放して、「魂」本来の生き方を提示すること。もう一つは、死ぬまでに12人の仲間を見つけ出し、養成して、「虹の宣師」として世の中に送り出すことです。後は、その人たちがやってくれるでしょう。


このブログのタイトルを『気づきの啓示板』と付けた時は、自分ではほんのダジャレのつもりでした。でも後々、本当に「啓示」になるなんて、思ってもみませんでした。結局、インスピレーションでつけたネーミングも、天の粋な計らいだったんですね。