自分のことを話すのは気が引けます。ですが、「虹の学校」を始めてからこの4月で8年め。8年といえば《オクターブ》ですので、この機会に、今までのことやこれからのことを書いておこうと思います。
昨年、このブログを休止すると宣言しておきながら、今もポロポロと不定期でメッセージを載せたりしていて、何となく再開したような感じになっていますが、再開したわけではありません。あのステージは、やはりあれで終わりです。今はステージが変わって、自分としては「アート」のつもりでやっています。本当は絵を描きたいのですが、その気分がまだ充分に煮詰まっておらず、苦手な文章を駆使して取り組んでいるといった感じです。
昨年、休止宣言をしたのは、毎週月曜にメッセージ掲載という義務を自分に課して続けていたところ、「お伝えしたいこと」よりも「義務感」の方が勝って来て苦しくなり、限界を感じたためです。と同時に、定期掲載を義務づけたことで読者も徐々に増えていったのですが、一方で、新たな「依存」を作り出してしまったことに気づかされました。迂闊でした。考えもしませんでした。そこで大いに反省し、この辺で流れを変えるべきだと判断したのです。
そうして暫く休んでみると、以前とはまた違った感覚が芽生えて来ました。もう全部語り尽くしたと思っていたのに、「因の科学」については、やり残していたな、という気が復活して来ました。それともう一つは、もっとポエティックな表現をしたいと思ったのです。詳しく語るのもいいのですが、時には短い言葉の方がハートに突き刺さることもあります。そこで、読者のことは考えずに、自分の「アート」表現として、書きたい時に勝手に書くということにしました。
その結果、前よりもずっと楽になりました。今は一件の記事を書いてアップするまでにだいたい3日くらい掛かっています。その間、自分の意識を High に持ち上げて、それをずっと維持し続けなければならないのですが、以前ほどは疲れなくなりました。でもやっぱり、始める前には緊張してしまい、「よし、やるぞ」という気分に混じり「イヤだなぁ」という気分が湧いて来ます。
書き出す前には、以前と同じように「今このタイミングで、人々にお伝えすると Good なメッセージは何でしょうか?」と尋ねてから始めるのですが、そのあとは、これを言っちゃって果たして理解されるだろうかとか、文章量とか、余計なことは考えずに、もう好き勝手にやっています。ですから「もし興味があれば、どうぞいらっしゃい」といった感じです。
インターネット・メディアもこの7年で大きく様変わりし、今は「YouTube 」が主流です。しかし私はそれをする気はありません。「映像」というものは確かに分かりやすいのですが、その分かりやすさがクセモノです。これまでのテレビがそうであったように、インターネットTVもまた、「洗脳」にはうってつけのツールになり得てしまいます。私はそれを望みません。
私の使命は、第一にあらゆる「洗脳」の破壊です。
そしてその後に、「あなたは誰か」ということを思い出していただくように、あの手この手を使ってガイドして行くことです。
およそ外から来るあらゆるものは「信じ」てはなりません。
「信じ」た瞬間、そのコントロール下に堕ちたということ意味します。
そこに「真の自由」への解放はないのです。
あなた方は、「深奥の自分」を頼みとする自分にメタモルフォーゼしなければならないのです。いいえ、それは義務というよりも、そうすることを誓ってみんなこの世に誕生して来たのです。ですから、思い出すだけでよいのです。ありのままでよいのです。そこに、なんの努力もいらないのです。
あなた方は、いずれ、その高みに必ず到達します。地上への旅路は片道切符ではありません。みんな帰りの切符を携えたうえで地上に降りて来ています。帰りの切符というのは「死」の意味ではありませんからね。誰もが、いずれ必ずアセンションに至るという意味です。それは保証します。
みなさんは、最終的に「旅など必要なかったんだ」と気づくための旅に出て、「最初から救われていたんだ」と気づくために救いを求め、「ガイドなど不要だったんだ」と気づくまでのガイドを、いま私がしているのです。
ここを理解してください。あなたがそのことを、頭ではなく、感覚として、全身の細胞として理解する日が来るまで、あなたから「不安」は消えません。「安心」とは、物質的な充足でも、状況的な安定でもなく、「心のあり方」だからです。
その領域に到達するまで、あなた方は、自分の外側にある情報を追い求め続けることでしょう。でもその時にも、自分がそれを発見したんだ、このタイミングで天によってそれが自分に手配されたんだ、と考えてください。実際にそうなのですから。これを習い性にしていけば、ちょっとずつ、ちょっとずつ、今までと違う新しい感覚が身に付いていきますから。
私が、本名も明かさず、半ば隠れるようにして活動をしているのは、みなさんのその固有の「気づき」を邪魔することがあってはならないと考えるからです。私など、単なるパイプ役。主役はいつだってあなたです。
ですから、私という人間になど興味を持たないでください。いつぞや「もっとご自分のことを紹介してくだされば、より親しみが持てるのですが‥‥」というメールを、ある方から頂戴しました。お気持ちはありがたいのですが、自分への親しみを持ってもらいたくてこの活動をしているわけではありません。むしろその部分は徹底的にゼロにしたいのです。
ということで、これから書くことは、今のこのタイミングで少し語っておいた方がいいかなと直感したまでのことで、別に方針転換したというわけではありません。聞きようによっては、何か「自分は特別だ」と主張しているかのように受け取られるかも知れませんが、そのようなつもりはありません。それは、これまでの7年間をもってご容赦ください。
このことは強調しておきたいのですが、そもそもこの地球上に、「特別な人間」など一人もいないのです。でも、すべての人間が、みなそれぞれ極めてユニークな存在なのです。この違いが解りますか? そのユニークな「魂」の一つであるところの私が、今世の自分の使命として、今この活動をやっているというだけなのです。
ですから、あなたにはあなたのアジェンダがあり、使命と役割があるのであり、そこに特別な違いは何もないのです。なぜ、万人がそれぞれみなユニークかと言いますと、何十回、何百回と転生を重ねて来た中で、「魂」がみな違った体験を重ね、それぞれが違った旅路を歩いて来たからです。自然界を見てください。一つとして同じものはないでしょう? 多様性は宇宙の摂理なのです。
さて、多くの人と同じように、これまでに私は、いわゆる霊能のある方のアドバイスをその時々で受けて来ました。中には怪しい人もおりましたが、概ね良きアドバイザーに恵まれて来ました。その際、お互いに関連のない複数のチャンネルから、同じことを言われた場合には、その情報の信憑性は高いと判断していました。
そうした中で、私は、今まさに自分がしているような、将来の自分の役割について、複数の人から聞かされていました。しかしそれを、長いこと本気にはしていませんでした。その当時は、あまりにも縁遠い話にしか感じなかったからです。また、別の複数の人からは「あなたが誕生した時、天使が嬉しくて舞い踊った」と、これも同じことを言われました。
はあ? 天使? まったくワケが解りませんでした。将来の役割については、一人からは「あなたの場合は、困っている人を助けるというよりも、生き方を説く人になる」と言われ、また別の人からは「あなたは、取って置かれた人です」と言われました。「取って置かれた」とはどういう意味でしょう? それに「生き方を説く」だなんて‥‥。
処世術は自分の最も苦手とする分野でしたし、もう50代半ばを過ぎていましたし、その時はカミさんが死んだ直後でもあり、そんなものがあれば「こっちの方が聞きたいよ!」とすら思っていました。
その時分には、いまこのブログで語っているようなことは何ひとつ知らず、全然無知無知片瞑りだったのです。自分をまるで信頼していませんでしたし、愛してもいませんでした。自分は、社会不適合者のヘナチョコのポンコツオヤジだと思っていました。ですから「天使が舞い踊った」なーんてのは、どうせリップサービスの類のものだろうと思っていました。
というのも、私には、いわゆる「霊能」というものがまったく無かったからなのです。冗談で、自分のことを「零能者」だと言っていたくらいです。
けれども、霊的世界のことはそれなりに探求していましたので、友人から背中を押されるようにして「虹の学校」を始めました。しかし、いま思うと初期のころはレベルが低く、自分の中にエゴがまだたっぷり残っていました。そんな折、インターネットで S.O.さんの『アセンション 宇宙からのメッセージ』と出会い、魂が揺すぶられるほどの衝撃を受けました。「これは、自分に向けて書かれたメッセージだ!」と受け取ったのです。そして、同じように感じる人がきっともっといるに違いない、と思いました。
そこで、S.O.さんにコンタクトを取り、出版を提案したいと思いました。しかし連絡の手段がありません。そこで、テレパシー能力に優れた友人の力を借りて、S.O.さんとコンタクトを取ってもらったのです。応答はすぐに来ました。しかし、そこで返ってきた言葉に、またもや衝撃を受けることになりました。友人の口を借りた S.O.さんが、私にこう言ったのです。「そうしてくださるのは嬉しいですが、それよりも、先ずあなた自身がアセンションすることが先決なのではありませんか?」
そして、続けて「あなたがアセンションするかしないかで、意味が違って来ることは、あなたにもお解りでしょう?」と言われたのです。ガーンと頭をブン殴られたような衝撃です。「あなたにもお解りでしょう?」と言われたのですが、実のところ、ぜんぜん解らなかったのです。恥ずかしい、とにかく恥ずかしかった。加えて時を同じくして、前にも書いたように、上から「何をグズグズしている!」と強い口調で叱責されてしまったのです。ああ情けなや。恥ずかしい、恥ずかしい。恥ずかしい×都合4乗。
こうなったら、もう腹を括るしかありません。ソフトランディングなんて甘いことを考えてちゃダメなんだと悟り、ハードランディングに切り替え自分を追い込むことにしました。そのために、次の四つのことを自分に課しました。一つめはアルバイト仕事を止めることです。ひと月働いて4万、5万という収入しか得られないのであるなら、いっそのこと止めてしまおうと思いました。「仕事をして収入を得なければならない」という思い込みを、先ず断ち切ったのです。
二つめは田舎に引っ越すこと。その時期には、目を閉じるたびに農村の風景が浮かび、これは「田舎へ行け」とのメッセージかなと思い、それに従ったのです。しかしやってみて、すぐに「ああ、なんてバカなことをしたんだろう」と後悔の念に駆られました。山奥の朽ち果てた廃屋で、ひとり裸電球の下でサバ缶を食べていたら、身体がガタガタと震え出し、しばらく忘れていたパニックが蘇って来ましたし。この不安症状を乗り越えるまでには3年ほど掛かりました。
三つめは「行」に取り組むことです。私は、勇気がなく、体力も継続力もありませんでしたので、これを何としても克服したいと思っていました。そんな時に、いま『ヨーガクラス』のコーチをしてくださっている Yoko 師匠が出現したのです。彼女が考案したオリジナルのエクササイズを習い、これに熱心に取り組んでいると、体力も継続力もしだいに向上して行きました。ですから、彼女の存在なくして今の私はありません。この出会いは、天から私へのプレゼントだったと思っています。
四つめは、生活スタイルを変えることです。私が目指したのは「超人」になることではありません。ごく「ふつう」の人になりたかったのです。「超人」となって空中浮揚ができるようになったところで、せいぜいサーカス団でスターになれるくらいのもの。あ、あと、梯子を使わずに屋根の修理ができたり、ゴンドラを使わずビルのガラス拭きができるかも。でもそれがなんだと言うのでしょう? そう言えば、空中浮揚をウリにした某宗教団体の教祖がいましたっけね。
そんなことよりも、「ふつう」であることがどんなに尊いことなのか。幸福なことなのか。逆に難しいことなのか。毎食、自分で料理をして食べること。食べ終わった後の皿洗いや後片づけをきちんとやること。部屋をこまめに掃除すること。乾いた洗濯物をたたむこと。怖がらずに運転ができること。自分が食べる野菜を作ること。草取りを面倒がらずに黙々とすること、等々。こうしたことが、自分にはなかなか出来ませんでした。
長いこと、「ふつう」には価値がなく、世の中においては「秀でている」ことが必要だと思い込んでいましたから。でも、それまでの一切合切を捨てて、目標を切り替えました。ゴミ屋敷と化していた東京の家の中を片づけ、不用品や本を処分しました。テレビニュースも新聞も見るのを止めました。生命保険や定期購読は全部解約しました。年賀状を止め、古い友人たちとの付き合いも全部断ち切りました。古い自分を抹殺したのです。そうやって、徐々に「ふつう」のことがこなせるようになって行きました。
そうした取り組みを継続していったところ、ちょっとずつ宇宙からのメッセージを受け取る感覚が芽生えて行きました。そして気がつくと、あれまぁ、いつの間にか「生き方」を語っていたというわけです。「生き方を説く人になる」とは、処世術のことではなくて、真の自分発見への道、宇宙の真理探求へのプロセスのことだったんですねぇ。それが解りかけた時、すっかり忘れていた、自分が確か7歳か8歳のころに経験したある強烈な想いが甦って来ました。それは、
将来、自分は、人々に感動を与える人間になるんだ。
あっちとこっちをつなぐ虹の架け橋になるんだ。
というものでした。そして、いくつかの過去世の断片を思い出し、そのルーツが別の星にあるらしいことも分かって来ました。そしてある日、明晰夢の中で、その星にいた時の自分の名前を告げられました。それが Ota Yoto です。本当は一語で Otayoto なのですが、人名っぽく聞こえるかなと思って間を区切ったのです。でも、ハッキリ言ってピンと来ないし今もって馴染む感じがしません。そのうち、これは自分の名ではなくて、「バーソロミュー」と同じようなメッセージ・ソースの名前なのかな?と思うようになりました。
まあ、自分にとっては、名前も過去世もルーツも、もはやどうだってよいのです。わたしはわたし。今を生きる、のみです。
何事も、経験に裏打ちされた言葉以外は説得力を有しないと思っています。その意味で、私(という媒体)を通じた言葉が、もし説得力を持つとすれば、霊能もなく、無知な、社会不適合者のヘナチョコオヤジであっても、本気を出せば「アセンション」できるのだ、ということです。このブログを通じて、その経過と実例を示しました。ですから、あなたも、必ずや「アセンション」できる。それを願えば、乞い願い続ければ。‥‥必ず。
私の、これまでの霊的探求の道は、「こうするといいよ」と示されたことが殆どなく、「そのやり方はよくないね」という体験を学び続けて来た歴史でした。もしかすると、「こうするといいよ」という啓示はあったのに、自分が見逃していたのかも知れません。いや、そうではなく、「そのやり方はよくないね」という気づきが、結果として「こうするといいよ」というアドバイスになっていた、という高度なテクニックが使われていたのかも知れません。
私が最初に学習したのは「宗教」でした。「宗教」じゃダメだ、と気づくまでに15年ほど掛かりました。「宗教」のどこがいけないかと言いますと、先ず、自分で考えたり、自分の「直感」を信じる力を奪い取って、一つの偏向した教義に人を隷属させてしまう点です。加えて、信じる対象が、自分の内にではなく外(本尊、教祖、教義、教団、聖典)にあると思わせることで、見せかけの安心を与えていること。
しかしそれは、本当の安心ではありません。対象が失われたら、たちまちにして消えてしまうが如きものです。でも、それが却って、「依存」という強い求心力を維持し続ける構造になっているのです。
次に向かったのは精神世界でした。しかしその世界は(あえて「スピリチュアル業界」と呼ぶことにいたしますが)、「宗教」よりもさらにひどい世界でした。そこは、「エゴ」が「スピリチュアル」というファッションを着てのし歩いている世界だったのです。それはファッションですから、とにかくトレンドや、ブランドや、見た目の派手さばかりがもてはやされる。
でも一皮めくって見れば、本質は「エゴ」そのもので、純粋さや、誠実さや、素直さがまったく通用しない。他人を利用したり、支配したり、蹴落とすことばかり考えている人間たちの集まりでした。「スピリチュアル」という言葉そのものには何の罪もないのですが、私はすっかり嫌気が差し、もう「ス」と聞いただけで、コメカミ辺りが「ピリッ!」となるほど、「スピリチュアル」という言葉も業界も嫌いになってしまいました。ですから、今の業界動向というものをまったく知りません。
その時に学んだことは、スターを創ってはダメだということです。自分をスターにしてもいけないし、誰かをスターに仕立て上げてもいけない。スターを創ってしまったら、その人に対する憧れや、より近づきたい、自分だけ寵愛されたいという思いを育てます。それが、序列やヒエラルキーや派閥を生み、真のスピリチュアリティとは真逆の暗闘世界を作り出すのです。
セミナーに来られた人の中で、私のことを「先生」と呼ぶ人がたまにおられるのですが、「虹の学校」ではその言葉は禁句です。世間でよく見られるこの悪弊を真似するのは止しましょう。目の前の人間を「先生」と呼んだら、その瞬間から、その人は「生徒」になっちゃいますよ。そして次には、「先生」と呼ばれた人は「先生」を演じるようになり、呼んだ方は「生徒」を演じるようになってしまいます。どちらも、自分を檻に入れた道を歩くのです。
それと「スピリチュアル業界」は、そこに足を踏み入れる人たちを、独特の世界に引き摺り込みます。そもそも精神世界に興味を持つような人は、(私もそうでしたが)自分は現実社会にうまく適合できていないという思いを抱えている人が多い。そこに「不思議世界」が提示されると、こっちの方が本当だと思うようになるのです。
さて、ここからが分かれ目。それは、確かに霊的世界への目覚めの第一歩ではあるのですが、社会適合がうまくできないというコンプレックスを解消できないままそっち側にのめり込んで行くと、これが「選民意識」に化けてしまうのです。なぜかと言うと、不思議世界と自己承認欲求とを単純にカップリングしてしまうために、その世界を知る「自分は特別」という思いを育ててしまうのです。そしてついには、「選民意識」を持つ者同士の醜い競争が起こるのです。
ここで考えてみなければならないのは「社会適合化」という問題です。今のこの腐った社会に、適合する必要が果たしてあるのか?ということです。その必要はありません。むしろ「適合化」を強いられることで、多くの人たちが苦しんでいます。しかし、現実世界は腐った面ばかりではなく、それと同じくらい喜びを感じる場面もあるのです。「スピリチュアル」に逃げ込む人たちというのは、その場面すら怖がって拒絶している人たちが実に多い。これではいけません。
いったい何のために物質世界に誕生して来たのか。陰陽二極性が相争うこの地球にわざわざ誕生して来たのか。それが嫌だったら、ずっと霊界にいればよかったのです。でも転生して来たからには、「よし、今度こそは」と決意して生まれて来たわけでしょう? その誓いを忘れてはなりません。
確かに、現実世界にはひどいことが多い。でも、ひどい社会だからこそ学べることも多いのです。筋トレに負荷が必要なのと同じで、霊トレにも負荷が必要なのです。それなのに、苦しいエクササイズを放棄して、逃げ込んだ「スピリチュアル・ワールド」をもひどい世界に変えて、一体それでどうするんですか? 本末転倒も甚だしいと言わねばなりません。
「スピリチュアル業界」のおぞましさというのは、これだけじゃない。今のような時代の転換期や年号の節目になると、必ず変なことを言い出す人が登場します。「○年○月までに××しないと、救われる最後の機会を失うぞ」とか、「大地震が来るぞ、火山が噴火するぞ」などと言っては人々を脅します。地球に暮らす人間は、こっちからあっち側を見ようとするクセが、どうしても抜けないものですから、このような不安を煽る言葉にはすぐに反応してしまいます。
でもいいですか? あっち側の本当の世界は「無時間」の世界なんですよ。それなのに、どうして制限時間を設けるんですか? 「ハイヤーセルフ」って何です? すでに完成の域に達している自分じゃないですか。未来のどこかにゴールした自分がいるんですよ。全部の「魂」が等しく「神」の子なのに、どうして「救われない」なんてことが起こり得るんですか。「脅し」に引っ掛かるなんて、あまりにもバカげています。宇宙の本質は生々流転です。地震や火山噴火が起きるのは当たり前じゃないですか。
浮遊霊や動物霊の手下となって働いている人は、8割、9割、本当のことを言って、あとの1割、2割で引っ掛けて来ますからね、ご用心。『引き寄せの法則』なんてのはその典型。同じ波長が引き合うというのは本当です。でも、このテクニックを使えば、お金だって、仕事だって、恋人だって、何でも引き寄せられますよって、人間のエゴを刺激しているのが解りませんか?
高次元の存在が、エゴを刺激したり、恐怖を煽ったりすることは絶対にありません。なぜって、その領域を卒業した「意識体」が、高次元(第六霊性密度)の存在なのですからね。でもそのような、人々を惑わすようなことを言う人たちも、その段階にある学習者たちには大いに寄与しているわけです。これぞ、まさに『引き寄せの法則』。需要と供給とがガッチリ噛み合っているわけです。
「神」は、あなたに、いつもあなた専用のスペシャルな「生け花」を生けて見せてくれています。その「生け花」をどう見るかはあなた次第。気づかずに通り過ぎることもできます。「あ、花だ」と、目を留めることもできます。「キレイだなぁ」としばし見とれて心を癒やすこともできます。ジーッと見た花の奥に、生命の神秘と輝きを見い出すこともできます。かと思えば、今まさに見せてくれている美を見ずに、枯れる日が来ることを心配して眺めることもできるのです。
あなたが見る「現実」は、あなたが「創る」のです。
さて、どう創る?
これまで見て来たことは、結局、全部が自己の解放を妨げ、「わが内に神がいる」という発見を阻害する要因になって来たのです。その真実に気づくまで、実に50年を要しました。これじゃダメ、これもダメ、この道もダメ、ダメ、ダメ、ダメ、というダメ出しの連続です。今になって思えば、それはみんな、今ある私のために用意されたギフトだったんですね。
さあ、それを、今度はみなさんにプレゼントです。みなさんは、もう私と同じ50年を過ごす必要はありません。10分で通り過ぎればいい。真理はすでに明らかです。
わたしの本質は身体ではなく、心奥にある「真我」であること。
そしてその「真我」は、有限ではなく無限の存在であって、
いつも宇宙とつながっているということ。
ゆえに、わたしの中に、つねに「神」が存在している、ということ。
エゴ、宗教、オカルトは、「アセンション」への三大阻害要因です。これらの誘惑に引っ掛からないように気をつけて、自分を信じて、熱心に行を続けていれば、7年のうちに必ず「アセンション」できます。今度のコロナ騒動で、私はそれを確信しました。もの凄い追い風の到来です。
「ショック・ドクトリン(The Shock Doctrine)」は、何も悪いことの便乗だけではないのです。「コロナ騒動」があったおかげで、人々の意識が大きく変わる可能性が出て参りました。この騒動が、本当に大切なものは何か、生きるとはどういうことか、を根底から考え直させるきっかけを与えてくれています。「アセンション」というものが、どこかの風変わりなオッサンが一人、トンデモ話を一生懸命になって吠えている、だけのものでは無くなる可能性があります。
私は「虹の学校」の活動を通じて、隠れたダイヤモンドの原石を発見し、自分が死ぬまでに、12人の「アセンション」達成者を生み出そうという目標を立てていました。しかしそれを今、10倍の120人のオーダーに変えようと思っています。そうすれば、次の世代には、120×120で14400人になる。今度の「コロナ騒動」が、それを後押ししているような気がするのです。
昨年から、来年度は変化の時だ、という予感がしていました。東京での人材発掘を終了して、これからは外に出て行こうと思っていました。(昨年65歳の誕生日を迎え、年金額が少し上がり、年間収入が127万円になりました。これで、年に3回くらいは、どうやら外出できそうな感じです!)その最初が1月の大阪だったのですが、今度の「コロナ騒動」で、あとが続かなくなってしまいました。
また昨年は、3泊4日の合宿形式で「アセンション・クラス」を都合4回開講してみたのですが、参加者には好評だったものの、定員割れが生じたりして、このやり方もイマイチだなと感じました。その際に、毎回、同じ話をするのなら、いっそのことビデオテキストを作った方がいいのかなと考えていました。そこへ今度の「コロナ騒動」が起き、Zoomというテレビ会議システムが脚光を浴びていることを知って、これを使えばインターネット上で『瞑想クラブ』が出来るかも?と考えました。
そのためには、スペックの強力なノートパソコンと、映像編集ソフト、ほか機材が必要です。購入費用については分割でなんとかなりそうなのですが、問題は10年間、あえて最新テクノロジーを拒絶して来たので、完全な浦島太郎状態であること。それと、一昨年から視力が急激に低下し、細かい文字で書かれたマニュアルがまったく読めない。近視に老眼に乱視に飛蚊症に白内障にドライアイにアレルギーも加わって、天眼鏡を使ってもよく見えない! さて、どうしたらいい?
それと、オープンではなくて、クローズドの仕組みにしたいんですね。不特定多数の人に顔を晒すことなんてとても耐えられない。拡散なんか望みません。むしろひっそりしていたいんです。大勢じゃなくていい。「なにがなんでもアセンションしてやるぞ」という真剣さを持った人だけ訪れてくれればいいんです。
「虹の学校」では、セミナーに来た人にはニックネームのプレートを付けてもらうだけで、どこの誰かといったことは一切尋ねません。「魂」だけを見る。その人の「魂」が、どの学習段階にあって、今の心の状態はどうであるかということは、部屋に入って来られた瞬間に分かります。いちいち指摘したりはしませんけれど。ですから、私の前で嘘はつけません。嘘をつけばすぐに分かってしまいます。その場の波動が一瞬にしてサッと変わるから。
これは、訓練によって後から身についたもので、「アセンション」すれば、誰でもそうなります。ごくたまにですが、最初から私に疑いの眼差しを向けて来たり、こいつの実力を一つ試してやろうとか、ノウハウを盗んでやろうとやって来られる方もいらっしゃいます。それらも全部分かります。年に2・3人は、私を激しく罵倒する人が現れます。それも事前に分かります。波動が分かるって、なかなかシンドイものなんですよ〜。
何でも見通してしまう人間は、もしかしたら怖いと思われるかも知れませんが、でも大丈夫。防御姿勢のバリアを張っていると、直ちにそれがキャッチされ、その穴から理由までが透けて見えます。ところが、オープン・ハートで来られる人は、それ以上は見えないんです。オープン・ハートのエネルギーで全身が包まれているから。北風よりも太陽。素直で、明るく、純粋であること以上に強いものはないんです。
オカルティックな知識満載の人や、サイキック体験への興味津々の方も、ご遠慮願いたいです。「虹の学校」はそういうところじゃないですから、来てもすぐに幻滅されると思います。
「虹の学校」は「ふつう」で「ありのまま」を目指したいんです。そうすると、メンバーシップの形態を取らないといけなくなるかも知れませんね。これらをどうしたらいいのか。映像面をその道のプロにお願いしたら費用が発生するでしょうから、そうなれば、メンバーシップ制に多少の課金も必要になって来るかも知れません。何かよい案やアドバイスがあれば、教えていただきたいです。
もし自分が神ならば、残る期間、この男をどのように使えばよいだろうか、といつも考えています。まだ、使い道は残っているだろうかとも考えます。もし気功治療をやらせれば、かなりの実力を発揮するでしょう。でもそれは、私でなくてもできる人がいる。リトリートや個人カウンセリングも、できなくはないでしょう。でもそれは、私には向いていない。となると、やっぱり「科学」と「美」と、その中間の「アート」を通じて語るのが、いちばん向いているのかな?
「虹の架け橋になりた〜い」と誓ったあの日の熱情が続く限り、そしてまだ使い道が残っている限り、宇宙の真理を説く活動を、私は続けて行きたいです。