by Rainbow School
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不正直であり続けることは、自分の身体を傷つける

正直に生きる。人間にとって、それは最も大切なことです。

 

でもここで言っている「正直」は、世間で言われているところの「正直」とは、ちょっと意味が違います。「嘘をつかない」「正直に生きる」ことが大切だと言うと、これを杓子定規に捉えて、たとえば他者に対して、自分が思っていること感じていることを何でもかんでもぶつけるのがいいのかという方もいらっしゃるのですが、そうではありません。

 

世間で言う「正直」「嘘をつかない」は、他者に対する態度として言っていることですが、ここで言う「正直」「嘘をつかない」は、自分に対して言っていることなのです。つまり、自分の「魂」に対して、「嘘をつかない」「正直に生きる」ことが、何よりも大切だと繰り返し言ってきたのです。そして、これを言い換えると、「自由」に生きるということになるのです。

 

自分の「魂」に「正直に生きる」とは、どういうことを言うのでしょうか? また、なぜそれが最も大切なのでしょうか?

 

あなたの本質は「魂」にあります。そして、そのコアを形成する部分は、宇宙意識から「自由」を求めて別れたものであり、別れた状態にあっても、なおテレパシーによって常に繋がっています。このことから、あなたが、自己の「魂」の純粋な部分にアクセスすれば、それは自動的に宇宙意識とのチャンネルを開くことになるのです。

 

このようにして繋がった宇宙意識は、「宇宙の真理」そのものなのですから、それと繋がっている自己の「魂」に「正直に生きる」ということは、「宇宙の真理」のまさに体現となるわけですね。ですから、自分の「魂」に嘘をつかず、日々を正直に生きれば、不安もなく、間違いもなく、「自由」そのものを生きられるということになるのです。

 

他者に対して「嘘をつく」ということと、自分に対して「嘘をつく」ということは、重なっている部分も多くあるのですが、意味合いは大いに違います。他者に対して「嘘をつく」ことは、道義的な責任を問われることがある一方で、バレなければ御の字だという発想も生んでいます。ところが自分に対して「嘘をつく」ことは、その責任と結果から誰も逃れようがないのです。

 

このことを、人間は解っていません。他人に対してついた「嘘」は、隠し通せることもあると、図々しい人たちは思っています。その時、自分に対しても「嘘」をついていることは、完全に忘れているのです。自分に対して「嘘」をついているという感覚が、そもそもないのです。自分という存在は、この肉体を持ち、思考している存在だと考えているからです。

 

そうではありません。何度も言うように、あなたの本質は「魂」にあるのです。では、「魂」に「正直に生きる」とは、どういう状態を言うのでしょうか? あなたが、充分にリラックスしていて、ホンワカとした温かな気持ちにある時、あなたは「正直」に生きています。逆に、緊張して、ギスギス、ザワザワしている時には、「正直」に生きてはいません。

 

さらに言うと、嬉しくも悲しくもないのに、つまり感情は動いていないのに、ただ涙が溢れてくる。このような感動が内部から押し寄せてきた時というのは、あなたの「魂」が、宇宙の真理を掴んだ時です。言い換えると、自分が、何者であったかを思い出した瞬間なのです。それは、五感で感じる感動とは、全く異質のものです。これは、「正直」に生きているがこその感動なのです。

 

さてそう考えると、日常生活の中で、緊張を強いられたり、気持ちがギスギスしたり、ザワザワしたりすることの、なんと多い社会に、現代人は暮らしていることでしょうか? これらはみな、「魂」に「正直」に生きていないということを、正直に物語っています。

 

その原因は、一体どこにあるのでしょう? 結局それは「〜ねばならない」という数多くの「信念」を、子どもの時からイヤというほど刷り込まれ、そのまま大人になり、今度は自分が言う番になって、また多くの人々をその「信念」に従わせるということが、何万年にも渡って続いてきたからです。そして恐ろしいことには、こうした歪んだ「信念」を、強固に持つ人ほど人間社会では高い地位につけるのです。

 

倫理、道徳、正義、善、富、これらを人間社会では尊びます。悪い社会というのは、これらが失われた社会だと、多くの人が考えています。でも、世の中をよく観察してみてください。そこには、異なる倫理、異なる道徳、異なる正義、異なる善、異なる富の基準があって、互いに非難の応酬をし合っているのが現実だということを。

 

Aさんは、倫理、道徳、正義、善、富に関する自分の「信念」を持っている。今の世の中は、それらのものが失われていてけしからんと思っている。でもそれは、一人の人間の思い込みに過ぎなくて、Bさん、Cさんは、全く別の倫理、道徳、正義感というものを持っているかもしれない。「信念」を持つ人たちからは、そうした発想が抜け落ちているのです。

 

政府やメディアが断定するテロリストだって、彼らの「正義」によって行動しているんですよ。仮に、私があなたに自爆テロを命じたとしましょう。当然、誰もそんな馬鹿なことはしないでしょう。でも「正義」のためならば、人殺しだって、自分の命を捨てることだって、人は厭わないのです。

 

そんなものが、本当に宇宙の理法だとお思いでしょうか? 神のご命令だと、あなたはお思いでしょうか? ところが、宗教的信念は、その矩(のり)を、簡単に乗り越えてしまうのです。世界は一握りの狂人によって操られている。このもの凄い歪みが、ただ「信念」だけによって、今の人間社会では簡単に起きてしまうのです。

 

人間はまだ、倫理、道徳、正義や、善や富に関する価値基準そのものが不要なんだということまでは気づいていません。実にこれこそが、人間がいつまでも覚醒できない理由なのです。しかし、そうした「信念」を、綺麗サッパリ捨て去ることが、真の「自由」というものへの目覚めであり、「幸福」への扉なのです。つまり、人間社会でふつう言われていることとは、真逆だということです。

 

そして「正直に生きる」ことには、あなた方が知らない、もう一つの重要な意味合いがあります。それは、健康の基本だということ。生命を繋ぐ基本だということ。逆に言えば、「不正直」に生きることは、自分の身体を傷つけることになるということ。深刻な病気になる可能性が高いということです。

 

これは因果応報ということで言っているのではありません。宇宙の理法からして、そうなる可能性が高いということなのです。

今日は、このメカニズムについてお話ししましょう。

 

あなた方の意識が、底の部分では宇宙意識と常に繋がっているということは、いま説明しました。人間以外の動植物は、この繋がっている「feel」という感覚を自然に持っているのですが、人間だけは著しく退化してしまったのです。それは、いわゆる五感と知能との連携プレーの部分のみを発達させ過ぎたために、「feel」に蓋をしてしまったからです。

 

一方、脳がつかさどる意識とは別に、身体上の細胞にもそれぞれの意識が存在します。このことは、現代科学ではまだ認めていませんが、子供時代の古傷が同じ箇所にずっとあるというのは、細胞が記憶を持つということの何よりの証拠ですし、過去世との絡みで、過去世に拷問を受けたとか、槍が突き刺さったなどの部位に斑紋があったり、痛みを覚えたりするという人もたくさんおられます。

 

さて、そうした身体上の各細胞は、宇宙の真理に沿った生き方を、自動的に選ぼうとします。なぜならば、それが、自分が(つまり個々の細胞が)生きたい道だからです。それが理に適っていると、細胞は知っているからです。ところが、そこに、「脳が創る意識」が介入してくるのです。

 

自分の「意識」が現実を創るということは、これまでにも何度かお伝えしました。覚えておられるでしょうか? これは、何も周辺の環境のことだけを言っているのではないのです。あなたの身体も、あなたの「意識」が創り出します。あなたが「もっと食べたい、もっと食べたい」と意識し、そのように行動していれば、それに応じた身体が創り出されます。

 

その意味で、私がいま非常に懸念していることは、現代人が健康についての「脅し」を掛けられ過ぎているということです。やれ、◯◯障害じゃないか、精神疾患じゃないか、定期検診を受けないと癌で命を落とすぞ、新しいウィルスが蔓延してるぞ、というような不必要な情報で雁字搦めにされている。

 

しかも、「健康情報」と言って、新しい言葉がどんどん作られ、「最新の研究から、◯◯が発達障害の原因であることが分かりました」とか「癌の原因になることが分かりました」などという、更ななる「脅し」が、メディアを通じてバラまかれています。これらは、ある意図があって、故意に行われていると思いますが、人間の身体にとってはマイナスの作用しか及ぼしません。

 

話を戻します。身体の各細胞は、本来の状態で生きたいと思っているのですが、そこに「脳が創る意識」が介入してきます。その「意識」が、「魂」に「嘘をつく」生き方をしていますと、「正直」に生きたい身体の細胞と、脳が命じてくる「嘘をつく」生き方との間に、乖離が生じるのです。意識間の矛盾と葛藤です。これがよく言われる「ストレス」というものの正体なのです。

 

医者は、単に「ストレス」としか言いませんが(それは今のようなメカニズムを知らないために、その言葉で逃げているだけですが)、細胞レベルでは、今後の生き方に関して、激しい葛藤が続いているのです。特に「嘘をつく」ということは、奥深いところでの自己否定ですから、それが身体の細胞に伝われば、細胞の生き方否定にまで繋がってしまうのです。

 

ですから、一時的に葛藤が生じたとしても、早めに反省して修正し、充分リラックスして身体細胞をいたわってあげれば、元の元気を回復します。ところが、「嘘」をつき続けておりますと、こうした修復の時間がないばかりではなく、細胞否定をし続けることになってしまい、ついにはバランスの限界を超えて、重大な病気が発生します。

 

この、病気の発生箇所は、脊髄に沿ってある7箇所のエネルギーセンター(通称チャクラと呼ばれ、肉体上ではなく、アストラル体上にある)と、これにつながる経絡、および神経がおよぶ範囲の臓器や骨格、筋肉等に出現します。

 

各エネルギーセンターには、霊性上における課題がそれぞれ振り分けられているのですが、その課題に関して問題のある箇所に、病変が出現するのです。たとえば、常にカッカしているような人は、感情をつかさどるマニピューラチャクラに対応した部位である、胃腸に病変が出現します。逆に言えば、病気の箇所が分かれば、その人の霊性上の課題が分かります。

 

ということで、「正直に生きる」ということが、健康をつかさどる意味においても、いかに大切であるかがお解りでしょう。あなたの身体は、借り物です。借り物である身体を、自分のエゴによって傷つけないように、いつも大切に思って充分にケアしてあげることが必要です。食事、運動はもちろんですが、正直に、朗らかに、愛を持って、楽しく生きることが、健康のためにはいちばんなのです。

老化と健康

東京と山奥を往復して生活していると、老人の意識の違いというものに気づかされます。都会地では、老人がちょっと集まると、あそこが痛いここが痛いという話に始まって、自然と病院通いのことがいちばんの話題になっています。街をゆく人を見れば、みんなヨタヨタと歩いているし、病院の待合室は今や老人のサロンと化している。


でも山奥で暮らしている人は、たとえ「腰が痛い」と訴えたとしても、それはいっときの話で、その話題を1時間も2時間もをずーっとしているなんてことはないです。すぐに表情が微笑みに戻っている。この違いは何なのかな?と考えてみると、田んぼや畑を持っていて、作物を育てていることが凄く大きいような気がするのです。


山里暮らしの人は、それらの作業で毎日が忙しいんですね。季節ごとに次にやらなくちゃいけないことが決まっていて、しょっちゅう体を動かしています。しかもこの作業は、自分とお天道様と作物との共同の、クリエイティブな作業になっているわけです。観察して、考えて、判断して、かつ創造的にことを行わなければ前に進まない。


都会にいる人たちはこの部分がないから、リタイヤした人は、別の仕事を持つか趣味を持つかしてクリエイティブな時間を埋め合わせないと、とたんにヒマになってしまいます。すると、頭も使わないし体も動かさないということになって、そのうちに病院通いが始まる。本当は、ボランティア活動などに精を出して欲しいんですが、与えられることに慣れ切っていて、自ら創造するということができない。


このポッと出来たスキマに、いたるところから、「健康」情報だけがまるでシャワーのように降り注いでいる。しかもそれらの情報には、人間をトータルに見るという考えがありません。人体というのは小宇宙であって、陰陽のバランスが崩れた時に、不調が起きたり病気になったりする。という考えは、もはや皆無です。


50年前は、まだこういう考え方が幅広く行き渡っていたものですが、この半世紀ですっかり変わりました。「木を見て森を見ない」という言葉がありますが、いま巷に溢れる「健康」情報は、葉っぱばかり。木すら見ていない。そしてそのどれもが、「この一枚の葉っぱさえよくすれば、森全体が健康になるんですよ」と、まるで魔法のような宣伝をしています。


こうして、いろんな形の葉っぱが世の中に溢れかえっているものだから、あれがいい、これが効くといったことで、健康談義に終わりがないのです。なんという、不毛なヒマつぶしでしょうか? 理に適った食事をおいしく頂いて、クリエイティブな作業で頭を使って、身体を動かして、朗らかに生きていれば、人間は病気になどなりません。ズバリ「森を見よ!」ということです。


本当の森のことを想像してみてください。そこにはたくさんの生き物がいて、すべてが循環の中でバランスを保っています。少々バランスが崩れたとしても、自浄作用でみんな自然に治している。ではその森のバランスを破壊しているのは誰ですか? 間違った知識を持った人間ではないですか? それと同じことを、現代社会に生きる人間たちは、自分にしているんですよ。


歳をとったら、人間というのは、だんだんと身体が利かなくなるものだ。病気になるものだ。認知症になるものだ。介護の世話になるものだ。こういう間違った思想が、予防や支援と称して、人々の間にどんどん植え付けられています。それで一体、誰が得をしているのでしょうか? そこをよく考えてみてください。


あなたの身体を創っているのは、あなたの思い、つまり「心」です。あなたがもし、いま言ったような思想に嵌ってしまったら、身体は、その思いを「望み」通りに実現します。それで一体、誰が得をしているのでしょうか?


あなたは、人間を、自然の中の一存在と考えますか? それとも自然を征服できる特別な存在だと考えますか? もし、自然の中の一存在と考えるのであれば、またナチュラルに生きたいと思うのであれば、「自然」をお手本にしてください。そこに答えが全部、書かれています。


「森を見よ!」
自然は、なに一つ隠すことなく、健康に生きるための智恵を、そこに示してくれているのです。

「唯物論」を超えたお医者さん

神保哲生さんと宮台真司さんがやっておられる『www.videonews.com』という YouTube 番組を時たま拝見させていただいています。時事問題に関する突っ込みと分析が非常に鋭くて、また社会学の基礎に立ち、過去の偉人の見解なども解説してくださるので、たいへん勉強になります。


さて、その番組の中で、東大病院のERのお医者さんである矢作直樹さんにインタビューをしている回があるのを発見し、これを観て非常に驚きました。私はふだん、ほとんど世間とは隔絶した生活をしているので、世間知にうといのですが、あとで検索してみたら、山本晋也さんの番組でも紹介されたりしていて、一般の方のほうがもしかしたらよくご存知なのかも知れません。


私の驚きは二点で、一つは権威ある東大病院の部長さんであられる医師が、死後の世界を堂々と語っておられるということです。これには大変な勇気が要ったと思います。へたをすれば、学会や職場を追われかねません。

 

それとも時代は、こうしたことも許容するように、少しずつ変わって来ているのでしょうか? 私のカミさんは、最後はホスピスで亡くなったのですが、ホスピスですら死後世界の話はタブーでした。(いや、ホスピスだから、なのかな?)


二番めの驚きは、この矢作医師は、それを知識ではなく、「体感」しておられることです。このことは、一般の人からすれば違いがよく解らないかも知れませんが、私などから見ますとすぐに解るのです。その意味で、この矢作医師はまごうかたなき本物です。Light worker(光の仕事をする人)として誕生した「魂」です。


霊性密度に関する知識や、サイキック・ボディ(心霊体)が多層構造になっていることも、私がふだん言っていることと全く一緒ですし、それを実際に知覚して区別でき、ご自身でもサイキック・ヒーリングを行っておられる。日本にも、こういうお医者さんがいたのかと本当に驚き、「今」という時代の意味を改めて自覚させられました。


*これまで、タブーとされて来たり、隠されて来た真実や真理が、どんどん明らかにされていくこと。それは、アセンションの時を迎え、強い「光」が「闇」に当たるようになるので見えて来る、という意味を持っている。


今月末、私は『波動療法の理論と実践』というワークショップを行おうと思っていたのですが、参加希望者が一人も現れないのでバラしてしまいました。(>_<) まあ、著作もないですし、全くの無名ですから信用されないのも仕方がないですねぇ。内容は最高のものなんだけどなぁ。ま、そのうち、流れも変わるでしょう。


でもこの矢作医師は、なってったって東大付属病院だ。その医師が Light worker だなんて凄いことです。私のような馬の骨とは説得力が違う!

YouTube を貼付けておきましたので、ご興味のある方はどうぞご覧になってください。画面を大きくしたい時は、右下に表示される□部分をクリックしてね。

 

『www.videonews.com』【5金スペシャル・Part1】前半39分

 

『www.videonews.com』【5金スペシャル・Part1】後半44分

この25分30秒に、矢作氏の「脳」に対する見解が述べられていますが、矢作氏も私と同じことを言っておられます。

 

山本晋也さんの【人間一滴】15分

 

 

重い病気から解放される道には二つある

物事には、必ず原因と結果があります。これを因果律と言います。因果律は絶対的なもので、これを無視した現象というものはありません。病気にも、当然原因があります。しかしこの原因というものは多段階になっていて、「ついに原因を突き止めた!」と思っても、それが別の原因の結果だったりします。さらにその原因すらも、別の原因の結果ということがあり得るのです。


このようにして、因果律というものは果てしなく続くのです。ですから病気の際に、この原因をどこまで遡るかという見解の差によって、対処法も違って来てしまうのです。


現代医療の主流は、これを生体内で起きる化学反応のメカニズムとして考えます。本来こう働くべきはずのものが、そのように正常に機能していない。たとえばインスリンが分泌されていない。だったら、インスリンを人工的に投与すればいいんだ、という考え方です。しかしこの考え方ですと、対処のための「薬」を、際限なく生み出すことになってしまいます。そしてよく知られたように、「薬」は毒にもなるのです。


けれども、この場合の例で言えば、インスリンが分泌されていないというのは、糖尿病の「原因」のようであって、しかしそれも何か別の原因の「結果」なんですね。それはいったい何なのか?


その奥を追究して行くと、病気の大部分の原因は、その人の「心」の問題に行き当たり、さらに奥を追究して行くと、「魂」の状態に行き当たるのです。これを逆から辿ると、「魂」が「心」を創り、「心」が「体」を創っているということがお解りでしょう。


さて、重い病気を患った場合に、その状態から解放される道には、二通りがあります。一つは治るという道です。そしてもう一つは、死を受け入れるという道です。「そんなバカな、死が解放だって?」と思われるでしょう。この両結果は、当事者にしてみれば大問題で、一見180度違うように見えます。しかし霊的に見た場合には、それほど違いはないのです。


先ず「治る」ということですが、「完治する」という結果が生じた場合、当然そこには治癒に至った原因があります。それは、病気をもたらしていた「原因」が、消滅したということです。身近な人をよく観察してみてください。その元を辿れば、結局その人の「心」が変わったということが発見できるはずです。そして「心」が変わったということは、取りも直さず「魂」が変化したということなのです。


他方「死ぬ」ということを考えてみましょう。なぜ死ぬのか? それは肉体を持っている間に、「心」の変化を充分起こせなかった、つまり「魂」の変化が生じなかったということです。それともう一つ、寿命の場合があります。あらかじめ設定した死期に達すれば、たとえ「心」の変化があったとしても「魂」は死を選びます。


けれども、死を受容する道を選んだ場合であっても、「魂」は肉体を離れると、しばらくして霊的感覚を取り戻し、因果律の深い構造を理解します。つまり、自分がなぜその病気を患って葛藤していたかという意味を、丸ごと知るのです。その時、よほどの執着がない限り、ほとんどの「魂」は病気の葛藤状態から解放されます。


この時、遺族は、悔しいとか、残念、無念といった感情を抱きがちですが、「魂」にとっては霊界の方が故郷ですから、死に逝く者にはそういう気持ちは起きません。それにこの移行過程は、呼吸停止と同時に起きるのではなく、「魂」が死期を悟った時期から始まります。これもよく観察していれば、死期を悟った人の「心」が、次第に安定してゆくのが解るはずです。


以上、結局のところ、「治る」道と「死を受け入れる」道とでは、180度違うようでいて、大した違いはないんですね。人間、いずれ死にわけですから。よく、病気に勝つとか負けるといった言い方を、多くの人がされていますが、「勝ち負け」という問題じゃないんですね。ただ後者の場合は、次の転生の時に、もう一度同じ課題を設定する可能性が大きいです。


さて、「重い病気」と言えば、現代社会は、まさに「重い病気」の状態にあります。この状態から人類が解放されるとしたら、やはり同じように二つの道があるということです。さあ、あなたは、どっちの道を選びたいですか? アトランティスで経験したことを、またやってみますか?

一生の宝となる体操
薬局で買い物をしていると、処方箋で来た客が薬剤師と会話をしているのを耳にしました。「この薬を飲んでから、足が攣らなくなった」「とても調子がいいので、もう手放せない」と言うのです。へえ、そんな薬があるのかと、びっくりしました。

私も以前は、しょっちゅうあちこちの筋肉が痙攣を起こしていました。何かを跨ごうとした拍子にズキン!と電気が走って、もう痛いのなんのって。でも、飲み薬でなんとかしようという発想はなかったなぁ。そんなものがあるとは知らなかったし、始終痙攣が起きるのは、身体が硬いからだと思っていました。

もともと身体が弱かったので、なんとか健康になりたいと、いろんなことを試して来ました。アール ミンデルの『ビタミン・バイブル』を読んで、サプリメントに凝った時期もあります。「システム料理学」を提唱されていた丸元淑生さんが推奨されていたんですよね。その丸元淑生さん、あんなに栄養学の本をいっぱい書かれていたけれど、食道がんで亡くなっちゃった。

だからというわけではないのですが、経口摂取する栄養よりも、プラーナのエネルギーの方がよほど重要ということを後になって知り、また実感するに至って、サプリメントを捨てました。捨ててみて、大して意味のないことに一生懸命だったなぁ、と恥ずかしくなりました。「捨てる」とか「手放す」というのは、出来た後から分るものなんですよねぇ。

去年の8月くらいから始めた「自彊術」体操、一日も休まず続いています。「そういえば‥‥」と気がついてみたら、リウマチの関節痛が無くなっているんですよね。手足の痙攣もほとんど起きなくなりました。アトピーは、花粉の時期と重なって眼の周囲はヒドイ状態なのですが、肘、膝などの関節部には出ていません。身体も軟らかくなったし、姿勢も断然よくなりました。

健康体操は、これまでダンベル、八段錦、真っ向法、本山式経絡体操、などに取り組んで来ました。その中で、(あくまで私の場合はということですが)著しい体調の好転を感じたのは「自彊術」が初めてです。特にだるい感じの時に、(いやだけれど)思い切ってやってみるとスッキリしてたちまち回復する。「一生の宝となる体操」というのも、まんざら嘘ではないようです。

6月の毎週土曜日、全4回で「自彊術」体操の講座を企画しました。定員6名です。まだ空きがあるようですので、お近くにお住まいで、ご興味のある方はぜひどうぞ。
あ、私が指導するんじゃないので安心してください。私でも出来た、へなちょこでもOKということだと解釈していただいて。
疲れを取る
若い頃からとても疲れやすく、気力が続かないのが悩みの種です。どうしてこんなに疲労感を覚えるのか、未だに解明できていません。運動量的には、たいして疲れるようなことをしていないのですが、何日も疲労感が消えないことがしょっちゅうある。体力さえあれば、もっといろんなことが出来るのに‥‥。

体が疲れている時に困るのは「心」も疲れるということ。そこに、何かやらなければならないことが重なると、疲労感だけではなく、イライラ感や焦りまで顔を出してくる。こんな時は要注意です。「八つ当たり」の危険信号が灯っているよ。もし自分がそうなら、爆発しないように。周囲に疲れている人がいたら、刺激しないようにしないとね。

以前は、体の疲れと、心の疲れとの関係がよく解っていませんでした。最近になってやっと、体と心は相互に情報をフィードバックしているということまでは解りました。体を作っているのは心なのですが、体調が悪いと、その悪いという情報を心が受け止めて、また体に返しさらに悪化させるのです。その典型的な例が腰痛。腰痛の大部分は、今では心の問題であることが解っています。

大リーグに行かれた青木宣親さんが、興味深いことを仰っています。シーズン中に何度か、どうしても打てなくなる時期というものがあるそうなのですが、そういう時には気持ちも焦って来る。しかしそれはメンタルな問題ではなくて、結局はフィジカルな問題だと言うのです。

それを「心」の問題にしてしまうのは一種の逃げで、やはり体に向き合わなければならないと。きちんと体に向き合って、技術を修正していくしかないんだと。そう考えたら、逆に「心」も楽になったというのです。イチローさんも同じことを仰っているし、落合博満さんも同様の考えを徹底された人だと思います。

まぁ大リーグの一流選手と、自分の “ヘナチョコ・ボディ” とを一緒にしてはいけないのですが、そこで私も真剣に考えました。自分の体にきちんと向き合って、修正する方法を。

寝る! ただひたすら寝る。グーグー眠る。たっぷりと眠る。
今のところ、これしか方法がないようで。
意識で「細胞」は変えられる
俳優の渡辺謙さんは、役者としてはもちろんのこと、人間としても傑出した方だと思います。「外見を見ればその人物が判る」というのが私の持論ですが、謙さんが役に成り切っている時に見せる深みは、謙さん自身の人間性の深さから滲み出ているものと確信します。

知性、感覚、技能が三位一体となって、すべてが高いレベルにあるという人はそうそうはいません。しかも、トップスターとなった今も、不断の努力を重ねている姿は素晴らしいの一語に尽きます。

NHKの「SWITCHインタビュー 達人達」で、『渡辺謙×山中伸弥』という異色の組み合わせがあったので、興味深くこれを観ました。この番組は、二人が互いの仕事場を訪れてインタビューし合うという趣向になっているのですが、渡辺謙さんが、どうして科学者の山中伸弥さんを指名したかというと、答えは「細胞」に有ったのです。

ご存知だと思いますが、渡辺謙さんは人気絶頂にあった30代に白血病を発症し、それを克服されて今を生きられています。しかも40代になってからアメリカに渡り、国際俳優として誰からも認められる存在となりました。こんな日本人は他にはいません。工藤夕貴さんや、桃井かおりさんも頑張ってはおられますが、アジア人差別の厚い壁に阻まれています。

その謙さんが、「細胞」にとりわけ注目するようになったのは、やはり白血病体験からだったようですが、興味深いのは、役づくりにおいても「細胞」を意識すると語っておられることです。「俳優は自分の体を借りて、他の人間を生きる仕事。体の骨格や顔の造作は変えられないが、『細胞』は役に近づけていけるんじゃないか」と、謙さんは語ります。

これには、白血病の体験時に知った、「細胞」は自己増殖を繰り返すことで置き換わっていく、という科学的論拠が影響を与えているようです。脳と心臓を除き、他の体細胞は7年も経てばすっかり入れ替わると言われていますが、このことを知った謙さんは、「そうか、人間は変われるんだ」と思ったそうです。

そこで、体内のグレた子(細胞)を、1人1人諭していくような観想(イメージを描く瞑想)を行ったと言うのです。この体験があったことから、たぶん、役づくりにおいても「細胞」から役に成り切っていくという、謙さん独自の感覚を持つに至ったのでしょう。

そしてこの方法論は、神秘学から見た場合に、完全に理に適っているのです。そこが謙さんの凄いところで、生死に関わるような病気体験を経ることによって、一挙に、真理に肉迫するところまで「魂」を成長させて仕舞われたのです。

ここで、俳優という仕事がもの凄く生きてくることになります。謙さんがそれを自覚されているかどうかは解りませんが、スクリーン上の役を通じて、多くの人に「生きる」お手本を示すことに、結果的になったのです。

それは、「人間は生まれ変われる」ということです。意識のあり方によって「細胞」を変化させうるということです。現在の人間の科学では、それをまだ証明できていませんが、神秘学では神代の昔から分かっていたこと。謙さんは、それをご自分の体を通して実証して見せました。

そして山中伸弥さんも、どうやら「細胞」の奥に潜む Force を感じ取っておられるようです。一般の人から見れば、それは「不思議現象」の一つに過ぎないと思われるかも知れません。しかし、今や天文学にせよ、量子物理学にせよ、細胞学にせよ、様々な科学は、すべて非物質的世界の存在を認めざるを得なくなって来ているのです。
生体を維持させている3つのルート
生きるためのエネルギーを、人間はどこから得ていると思いますか?
真っ先に「食物」という答えが浮かぶでしょう。でもそれだけでしょうか?

あなたは一日にどれくらいの食べ物を摂取してますか? あなたが食べた物は体内で分解され、一部が細胞を増殖するための素材に、残りが活動のためのエネルギーになります。でもその残り分だけで、一日の活動のすべてが賄われているのでしょうか?

あなたは毎日、通勤、通学をし、家事をこなし、体をせっせと動かし、頭を使って何時間もの思考活動を行っています。このすべてが、体細胞をつくるために使われた食物エネルギーの残り分で賄えると思いますか? だとしたら生体は、もの凄く燃費効率のいい機関です。

実は、私たちの活動を持続させてくれているエネルギーの大半は、食物からではなく、宇宙から来る、目に見えないエネルギーによってもたらされています。

このエネルギーの呼び名には各種あり、宇宙エネルギーと言ったり、生命エネルギーと言ったり、英語でVLF(Vital Life Force)と言ったり、インドではプラーナ、中国では気と言われて来ました。

人間が、毎日を元気で生き生きと暮らすためには、この宇宙エネルギーを上手に取り込むことが必要です。昔はそのことをみんな知っていたのですが、西洋思想が入って来るとこの観点が失われ、肉体という物質を維持するのは、同じく物質である食物から、という短絡的考えが支配的になってしまいました。(現在の健康食品ブームもすべてこうした考えを下敷きにしています)

その結果として起きたのが、過食による肥満です。しかし本来、人間はそれほど食べる必要はありません。プロボクサーの辰吉丈一郎さんは、あれほど激しいスポーツをしていても一日一食だと言いますし、私の知り合いで、一年間、一日一食、米だけを食べるという生活をされていた方人もいます。

ですから健康維持にとって重要なのは、食べ物に気を使うことはもちろんですが、宇宙エネルギーを効率よく取り込んで、全身に行き渡らせるための基盤と体調をしっかり整えることにあります。

この宇宙エネルギーは、古来より呼吸とともに入ると言われ、それゆえ「息」がある間は「生き」ているということになるのです。しかし「息」が止まった後も、肉体としての活動は終了しますが「魂」に死はなく、そのまま生き続けます。そして今度は、「魂」にダイレクトに宇宙エネルギーが届けられるのです。

人間が、毎日の活動において宇宙エネルギーを必要としているということは、人間の本質が「肉体」にあるのではなく、「魂」にあるという証拠でもあります。そしてその補充の大部分は、睡眠時に得ています。つまり睡眠は、忘れてしまった霊界への里帰りなのです。

人が夢を見ている間は、誰もが「魂」の体外離脱(OBE)を経験している時であり、あなたの「魂」は霊界に帰ってエネルギー補充を行っているのです。そのため、霊界から転生して来たばかりの赤ちゃんの睡眠時間は長く、また逆に死期が近づくと睡眠時間が長くなり(老衰)、最後は昏睡状態となるのです。

さて、このように重要な宇宙エネルギーですが、人間の生体を維持するためには、この他に2つの機能、合計3つの機能とそれをつかさどる道(ルート)が必要となります。これを整理すると、次のようになります。

1.血管 ‥‥ 血液 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 体の細胞に酸素と栄養を運ぶルート
2.神経 ‥‥ 情報 ‥‥‥‥‥‥‥‥ 各細胞間の信号をコントロールするルート
3.経絡 ‥‥ プラーナ/気 ‥‥ 魂に宇宙からのエネルギーを運ぶルート

これはそのまま、肉、心、魂、という人間の三層構造に対応しています。つまり、三層のそれぞれがバランスよく活性化された時、人間は完全なる健康を手にいれることができるのです。そのためにはどうすればよいのか。三つの道(ルート)を整えればよいということになります。

食事、運動、心の安定。これらが健康的生活にとって、どれも重要だということは、今ではみんなが知っています。そこに、道(ルート)を整えるという視点を付け加えていただきたいのです。道が整っていなければ、たとえ物やエネルギーがあっても運ばれません。これが、現代健康学の盲点なのです。

重要なのはむしろ道です。道さえあれば、自然と物やエネルギーは運ばれるのです。ですから、テレビで盛んに宣伝しているようなサプリメントは必要ありません。特定のサプリメントを摂取し続けることは、むしろバランスを崩す可能性があります。

重要なのは道を整えること。そのような考え方に立って、健康的生活を見直していただければと思います。
養生と、トレーニングの違い
自彊術体操を始めて半年ほどになります。それ以前は真向法をやっていました。真向法は6年間くらい続き、そのあと自彊術に出会って今のように置き換わりました。自彊術の中に真向法のエッセンスも入っていて、動きをさらに加える形になったのです。

私が健康体操を毎日するようになったのは、密教ヨーガ(一般に知られているようなハタ・ヨーガではなくて瞑想行)の前段として、体調を整えるための適切な運動法がないかと探していたこともあるのですが、何といっても、体が弱かったからです。

子どもの頃からへなちょこで病弱だったため、なんとか健康になりたいという思いがずっとありました。これが、もし生まれつき頑健な体を持っていたとしたら、「養生」という考えにはとても至らなかったと思います。

スポーツ選手が意外と短命に終わってしまうのは、結局そこではないでしょうか。生まれつき頑健な体を持っていて、体を鍛えるトレーニング法には長けているけれども、「養生」という考えには乏しい。

現役時代はカロリー消費量が多いので、焼肉のドカ食いなどをしても平気だったのが、引退後も食習慣が変えられずにたちまち太ってしまう。それと怪我が絶えず、その後遺症もあって、引退後は急に運動をしなくなる。そんなこんなで、頑健なゆえに不健康ということになってしまうのではないでしょうか。

「養生」というのはトレーニングとは違って、鍛える一方じゃない。最近では科学的トレーニング法が浸透してきて、食事管理や休息も重視されるようになって来てはいますが、「気」を整えるとか、陰陽のバランスを保つといった考えまではないと思います。

今、BS日テレで『宮廷女官チャングムの誓い』の再放送を観ています。話は後半に入り、チャングムが流刑地の済州島に送られ、そこで医女になるための再出発を図るというところです。

ここで、医術の師となるチャンドクに出会うのですが、チャンドクに先ず教えられるのが、患者の顔色を見る技術。顔色を青、赤、黄、白、黒に分け、かつその部位を見ることで、患者の大体の状態を把握する。

次に教えられるのが脈診。これも現在のように単に心拍数を測るというだけではなく、指先の感触だけで脈の打ち方の違いを把握する。芤脈、浮脈、緊脈、滑脈、濡脈、数脈、牢脈、完脈など、その特徴を見分けることで、脈を診るだけで様々な病変を診断するのです。

自分が子どもの頃のお医者さんは、その他にも下瞼をめくって裏を見る、ベロを出させて見る、顔の両側のリンパ節に触れる、指を重ねてトントン打診をする、ということをみんなやっていました。今、そんなことをしているお医者さんは全く見なくなりました。

病院へ行くとすぐに検査に回され、医者は上がってきたデータを見るだけ。現代の医学は、一見発達したように見えて、診断技術は後退した面もあると思います。何よりも、人間を動かしているエネルギーは「気(プラーナ)」にあり、陰陽バランスがいかに大切か、という考えが失われてしまいました。

これが、現代人の不健康を作り、替わって健康食品産業を隆盛させる元になっていると、私は思います。高齢化社会がますます進展するいま、先人たちの知恵に習い、もう一度「養生」の視点に立ち返ることが必要ではないでしょうか。

3月から毎週月曜の午前中、全4回の日程で「自彊術」の講座を企画しました。まだ数名分の空きがあるようですので、ご興味のある方は、どうぞお問い合わせください。

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ある映画監督の病気と死
ご迷惑が掛かるといけないので名前は伏せますが、その映画監督は、戦後の映画史において革命的な足跡を残した人でした。世代的には私より一回り上の世代が、同時代感覚を持ってこの監督の映画を観ていたと思います。

団塊の世代よりも遅れて誕生した私は、映画、ファッション、音楽等、その時代に起きたあらゆる分野の革新を後追いして見ることになりました。この監督も極めて先鋭的で、既に特異な評価を獲得しており、当時の私はなんとか理解したいと思ったものです。

この監督の「映画」が、映画として面白いかと問われれば、個人的にはノーです。特に晩年のものは。けれども「映画」という表現を「反抗の武器」として使い、しかも庶民生活や時代性から遊離することがなかったという点で、まさしく異彩を放っていたことは間違いありません。

お正月に、この監督の生涯を追ったドキュメンタリー番組があり、20代で時代の寵児となったころのパワフルさを見て圧倒されました。私が知っているこの監督の姿は、テレビにちょくちょく出演するようになってからのもので、ちょっとしたことでスイッチが入ると、顔を真っ赤にして激昂する姿が強烈に印象に残っています。

いわゆる “瞬間湯沸かし器” といった性格で、言っていることにはもっともな部分があるのですが、でもちょっと怒り過ぎではありませんか、というものです。それが、テレビという媒体においては重宝された、ということもあっただろうとは思うのですが‥‥。

そこで今日の話なのですが、この監督は晩年に脳梗塞を患ったのです。この脳梗塞と、すぐに激昂する “瞬間湯沸かし器” 的性格との間には、深い関係があります。“瞬間湯沸かし器” のように絶えず脳を酷使していたために、脳梗塞になってしまったのです。

それは物理的にそうなったというよりも、「改めなさい」という警告のサインとしてそうなった。それは、周囲の人々の気持ちを、もっと察して配慮してあげなさい、という意味だったのです。

自分は自由である。自由に生きるんだ。その姿勢と生き方には素晴らしいものがあります。でも自分の才能に溺れることなく、同様に、他者も自由であるということを、もう少し考慮してあげればよかった。

脳梗塞を患ったこの監督は、精力的にリハビリに取り組み、一度は現場に復帰して一本の映画を撮りあげます。ところが復帰した現場で、また以前のように口から唾を飛ばしてして周囲の人間を怒鳴りつけているのです。ほどなくして二度目の発作に襲われ、一人では殆ど何もできない状態になってしまいました。

幸いにも、奥さんやお子さんたち、またヘルパーさんたちの手厚い看護と介護を受け、トータル17年間の濃密な家庭生活の時間を過ごすことができました。舌鋒鋭い論客として鳴らしたこの人の「魂」にとって、思い通りにならない身体と、言葉を発することができないもどかしさは、きっと大変な忍耐を強いられたことでしょう。

この意味はもうお解りでしょう。最初の警告で気づきがなかったために、第二弾として、周囲の人々の献身に支えられ「生かされる」という道が用意されたのです。これとちょうど似たことが、エリザベス・キューブラー・ロス女史にも起こり、彼女は『人生は廻る輪のように』という本の中で、その意味を述べています。

エリザベス・キューブラー・ロス:精神科医、『死ぬ瞬間』の著者として有名

この端的な一つの例を見て解るように、人の身の上に起きる出来事は、すべてがカルマの清算を通じた学習となっているのです。カルマの清算(別名「償い」)は、今世の中で行われる場合もあれば、来世に持ち越しとなる場合もあります。いずれにせよ、清算が終わるまで課題は出し続けられます。

あなたも、自分の身の上に起きた出来事をよくよく分析してみれば、そこに示されている課題が、自ずと解るはずなのです。しかし、そのような視点に立って自分を振り返るということをしないために、多くの人間たちが、野放図にまた新たなカルマを作り出す生き方をしているのです。

実は私も、“瞬間湯沸かし器” 的性格の持ち主でした。そして私の場合は、妻の死という事実をもって、課題に向き合うよう突きつけられたのです。私は「償い」をしなければならず、「心」を改めさせられ、そして今のようなお役が与えられたのです。