人が病気になる真因は、大きく分ければ以下の3つです。
,修凌佑良蕕痢屮ルマ」の発現として病気になる。→「魂」の問題
◆岷宙の法則」に逆らった考え方、生き方が病気をつくる。→「心」の問題
身体のケア不足が病気をもたらす。→「体」の問題
しかしながら、現代の「健康」「病気」「医療」の概念には、このような視点も分類もありません。「病気」をすべてひっくるめて身体(肉体)の問題として捉え、そこに「人間機械論」を背景とした、物質的対応を施しているだけです。すなわち、故障した箇所は修理するか、それが出来なければ部品を取り替えればよい、動きの悪いところには潤滑油(薬剤)を刺せばよい、といった対応です。
けれども、人間は機械ではありませんから、このような考え方だけで「病気」が治るものではありませんし、日々の「健康」も図れないのです。家の造作に喩えれば、「魂」の問題は基礎部分に当たり、「心」の問題は柱や梁、「体」の問題は壁や屋根に相当します。基礎が傾いたり、柱が歪んだりしていときに、ひび割れが生じた壁をパテでいくら塞いでみても真の問題は解決しません。何年かすればまたひび割れが出てきてしまう、というのはしごく当然ではないでしょうか?
さてここで、もう一つの視点の転換にも触れておきましょう。前段で述べたように、現代人には、先ず自己を「多次元的存在(家の造作の喩えで示した三層)」であると捉える認識がありません。加えて、「病気」を「恩寵」だと捉える考え方もないのです。「病気」になるとみな、ただ「困った、困った」「辛い、苦しい」と言って、お医者さんや薬に頼ることばかりを考えています。
もう時代がそうですから致し方ない面もありますが、しかしそれでは二重の「苦痛」を自らで創り出してしまうことになります。
先ずは身体的な不調に対する「痛み」です。次には、その状態を「苦しい」と思う心です。
さて、後者の「心」は誰のものでしょうか? その人が、自分で創り出したものです。ですから、もしそれがなければ「苦」はありません。単に「痛み」を感じている自分がそこにいるというだけです。つまり、「痛」と「苦」を一緒くたにしないようにすることが肝心なのです。
決して「痛」=「苦」ではありません。これを切り離し、「痛」を眺める別の自分を用意すればよいのです。この方法を「観照者」を立てると言います。そして、その前提となるのが、自己が「多次元的存在」であることに気づくことなのです。すなわち、「身体」の自己を、「魂」の自己によって観察するように仕向けるのです。今はこれを「病気」を例に語っていますが、この「観照者」を立てる方法は、他のどんな場面においても有効です。
大多数の人は、ショックを受けるような事件に遭遇すると、今「起きたこと」と、それによって呼び起こされる自己の「感情」を、瞬時に一緒くたにして捉えてしまいます。しかし、「起きたこと」は単に「起きたこと」であり、それをどう捉えるかはその人の「自由」意志に任されているのです。このことが理解できれば、それ以降の、その人の人生はまったく違ったものになっていきます。
いま私が行っている活動を『虹の学校』と称しているのは、みなさんの人生そのものが〈「虹の階梯」を上昇していくための学校になっているんだよ〉という意味であり、『虹の学校』という教育の場がここにあると主張しているわけではありません。ですから、『虹の学校』と名乗ってはいても、校舎もなければ、組織もありませんし、先生も生徒もなく、入学試験も進級試験もなく、ルールもなく、権威もなく(^_^;)、卒業もなく、ただただ「魂」の「自由」を謳っているのです。
みなさんの本籍地は、地上ではありません。みなさんの本体は「魂」であり、その本籍地は霊界にあります。今世、みなさんが地上に誕生してきたのは、この「地球」という物質界の場で、ここでしか味わえない体験学習をするためです。そして、その体験学習を通じて、少しずつ霊性を向上させていく旅を今しているのです。
そのことに、もしもハッキリと自覚が生じたなら、地上でする体験は、たとえどんなに辛いものであっても、すべてが自分へのギフトであるということが解るようになります。そして、生きる不安は消え去り、怒りも憎しみもなくなり、ただただ感謝と幸福感に満たされるようになるのです。同じ理由から、「病気」もまた「恩寵」であることに気づけるようになります。なぜなら、自分のいま学習すべき課題を「病気」が教えてくれているのですから。
ここで、以前にも話したように、分かれ道が生じます。―だ気垢戮課題に気づき、反省して、そこから生まれ変わって病気を克服する。病気で死ぬというプロセスを通じて、引き換えに、今世の「魂」の課題を一つ学習する。I袖い砲覆辰討癲△修譴恩寵だとは気づけずに、「カルマ」を来世にまで持ち越しにする。あなたが、もしも病気になった時には、できれば ∈把磴任皚△任△蠅燭い發里任后
死は敗北ではありません。地上で体験する多くのカリキュラムの中の一つに過ぎないのです。ただ、今世のために用意された「身体」を手放すという劇的変化を、その過程において伴うというだけのことです。
「身体」は「魂」にとってこの世を生き切る乗り物です。物質界の海を渡るために用意した自分専用の舟なのです。この舟には、それぞれの「カルマ」に応じた特別の造作がなされています。つまり、一人ひとりの身体のあり方はみな異なる。けれども、身体を構成している細胞自身は、ただ「宇宙の法則」に従った生き方をしたいと願っているのです。ところが、冒頭に挙げた3つの要因が複雑に絡んで、この邪魔をしてしまうのです。結果として「病気」が生じるのです。
でも、「病気」になって反省し、身体細胞の願いをちゃんと聞いて、「宇宙エネルギー」の流れに素直に乗せてあげたとしたらどうなるでしょう? 細胞は、本来の生き方に戻ることになるのでとても喜びます。結果として、「病気」が癒やされることになります。この、身体細胞を宇宙エネルギーの流れに戻してあげる操作を人為的に行う手段が「波動療法」です。乱れた細胞の「波動」を、宇宙の「波動」に同調させることで、細胞本来の活力を復元させてやるのです。
医者も見放した重病が、「波動療法」によって治った際などには、しばしばこれが「奇跡」と呼ばれます。しかし、物質主義に陥った現代医療から見ると、それが「奇跡」に見えるというだけであって、人が「多次元的存在」であるという観点に立てば、しごく当たり前のことに過ぎないのです。
では、どうすればそれが可能となるのでしょうか?
「波動」の性質については、これまでにも何度か語ってきました。同じ波長を持ったもの同士は引き合い、共鳴して増幅するというものです。ですから、何らかの方法によって、宇宙の聖なる「波動」を病気を患っている方の全身に強力に送り込み、これと同調するよう導いてあげることが出来れば、病変した細胞が共鳴し、自己治癒力を発揮して自然に修復を図るようになります。
問題は、その方法です。これについては、レメディやアロマ、ストーン、水など各種の技法が云々されて来ましたが、水以外のものについては、私自身はこれまで大きなパフォーマンスを感じたということがありません。私の感想からすると、それらが出す「波動」は、あまりにも微弱すぎて身体にはほとんど影響を与えないように思えます。水は確実に気を通し、またエネルギーを溜める能力も秘めていますが、未だ研究中のためにハッキリしたことはまだ言えません。
それよりも、圧倒的なパワーを有しているのが「人間」です。おそらく、前記のものの100倍とか1000倍といったパワーを発しているのではないかと思われます。次いで、ある種の「場」も、強い「波動」を発しています。
この、人間や場が持つ「強さ」という側面は、「高い波動」についてのみ言えるわけではなく、「低い波動」についてもそれが言えるのです。むしろ、今の世の中は「低い波動」を発する人間と場に席巻されており、敏感くんにとっては非常に生きにくい時代となっています。つまり、「低さ」が「低さ」を惹きつけ、ますます増幅して、イライラ、ギスギス、他者攻撃、鬱、といった感情のもつれがもう止まらなくなっているのです。
このように、人間には「低い波動」を持つ人と「高い波動」を持つ人がいます。が、「高い波動」を有効に使えば、物などにはない圧倒的なパワーをもって人を癒すことが出来るのです。
しかしここで、最近のよくない風潮について苦言を呈しておきます。困っている人を助けてあげたい、弱っている人を癒してあげたい、その思い自体は善いことです。ところが、「波動」の何たるかも理解していないのに、「波動」という言葉を売り物にしたり、またカウンセリングやヒーリングのテクニックを教えると言って、「家元制度」をつくり段階的にお金を積ませて「御免状」を与えるといったことをやっておられる方が引きも切らずです。
どうしてそのようなことをするのでしょうか?
「御免状」など必要でしょうか? その「御免状」というものは、誰が与えた、どういう権威だと言うのでしょうか?
ただ、困っている人を助けてあげたい、弱っている人を癒してあげたい、ではダメなのでしょうか?
こうしたものは、その人の生き方、考え方ですので、とやかく言う筋合いのものではないのかも知れません。がしかし、根本的なことを言っておきます。人を癒す力は、テクニックにあるのではありません。いついかなる時であっても、それは「愛」の力なのです。今度の「沸く珍禍」で、そのことが浮き彫りにされたのをあなたも見たでしょう。「愛」のある善良な少数の医者と、「愛」のない、金で転ぶ、ただの威者がいるということを。
ヒーラーが出す全体のパワーを10とすれば、テクニックはせいぜい2割、愛のエネルギーが3割、そして残りの5割は天のお働きによるものです。ですから、人を癒すのはヒーラー自身ではありません。その人の「なんとか力になってあげたい」という純粋な「愛」の思いが、同種の「宇宙エネルギー」を引き寄せて、テクニックを介して相手側に注がれるのです。
ヒーラーはあくまでパイプ役であって、自分の力で誰かを癒せるというわけではないのです。治しているのは患者本人であり、それは「宇宙エネルギー」への同調によって起こるのです。本来であれば、それは誰でも出来ることなのですが、その方法を忘れてしまった人たちに代わって、ヒーラーが自分をコンデンサの役割にして回路を繋ぎ、援助するのです。しかし、はたから見ていますと、あたかもそのヒーラーが癒しを行なっているように見えるというわけです。
ですから、ヒーラーというものは、できる限り「自我」を滅して、自分を透明のパイプにしなければなりません。また同時に、自己の「魂」をただただ純粋さの中に置いて、高い次元とアクセスするようにしなければ、エネルギーの回路が生まれず、他者を癒すことは出来ません。このような理由から、いくらテクニックを学習しても、「愛」の波動がないところには、高次の「宇宙エネルギー」は降りて来ようがないのです。
それと、ヒーラーやカウンセラーを安易な気持ちで目指そうとする方たちに言っておきます。自分を「救って欲しい」と願う人の中には、もの凄く低い波動状態にある「魂」もおられます。また、いわゆる憑依の状態にある「魂」も少なくありません。ヒーラーやカウンセラーというものは、高い波動を相手に流して、ある意味中和するわけですから、反対側から言えば、低い波動を引き受けるということでもあるのです。
そのため、ヒーリングやカウンセリングを真剣に行なった場合には、大袈裟に言えば、自分の命を縮めるほどの疲労感を覚えることもある、ということは言っておきます。ですから、その覚悟のない人、それでも自分は他者の役に立ちたいんだという人以外は、安易にこの道を目指してはなりません。
ところが、皮肉なことに、エゴに駆られてヒーリングやカウンセリングをおやりになっている人には、いま言った心配がないのです。なぜなら、クライアントと同じ「波動」のレベルでエネルギーをやったり取ったりしているだけだからです。そのため、いわゆる「低い波動を受ける」という心配がありません。
けれども、その代わりに「宇宙の法則」を故意に誤用しているという報いは、いつかは受けることになります。
それと、「波動療法」を受ける側の問題点も指摘しておきます。施術を行うヒーラーが、純粋で高い波動を持つ人であった場合には、時として「奇跡」が起きます。しかし、その人の「病気」は、「カルマ」→「心グセ」→「行動パターン」→「結果としての病気」というメカニズムで生じているということを、いま一度思い出してみてください。そうしますと、たとえ「奇跡」が起きたとしても、本人がそのことに感謝し、それまでの生き方を改めるということがなければ、また「カルマ」の発動に戻ってしまうのです。
『ヒマラヤ聖者の生活探究』という本の中に、そのことが書かれています。聖者がある村を訪れた際に、病気に苦しむ村人たちが彼のもとに押し寄せて来て、治療を懇願したと。そこで聖者は、全員の病いを治してあげます。「奇跡」によって病いの消えた村人たちは、たいそう喜び聖者に感謝するのですが、しかし数日するとその念も消えてしまい、以前の好き放題の生活に戻って行ってしまったと。
そこに聖者の嘆きがあるわけですが、これはなかなか難しい問題ですね。もしも、相手の「魂」の成長を本当に願うのであれば、助けてあげないほうが、逆に助けになる場合もあるということを考えなくてはなりません。ヒーラーやカウンセラーになろうとする人は、そこまで見抜けなければならないということです。
最後に、最近話題の「Med Bed」について言及しておきましょう。「宇宙エネルギー」を、科学技術力を用いて取り出し、活用しようとする試みは半世紀以上前から行われてきました。
これには大きく二つの方向があり、一つは空中から無尽蔵のエネルギーを取り出そうという試みです。いわゆるフリーエネルギーです。もしもこれが実現化されれば、エネルギー問題が一挙に解決するだけでなく、政治体制から日常生活に至るまでが、きっと一変してしまうに違いありません。そしてもう一つが、「波動療法」への取り組みです。
しかしその両方ともが、新しいものが登場しては消え、また登場しては消えということを、これまで幾度となく繰り返して来ました。一説によると、これは「闇」のグループがそのつど邪魔をして来たからだと言われています。それらがもしも登場してしまうと、エネルギーと医療分野における絶対的支配権が脅かされてしまうだけでなく、「恐怖感」を煽ることによって操る民衆支配が出来なくなってしまうからです。
ところが、ここに来て急に「Med Bed」が実用化され、販売までが大っぴらになされるようになりました。これは今までになかったことで、これまでの縛りが解禁されたということは、裏側の権力構造に何らかの変化が生じたことを物語っていると思います。しかし効果については、世に出たばかりということもあって、私にはまだ何とも言えません。自分で実際に試してもいませんし、この手のものには眉唾ものも多いですし‥‥。
しかし、こうしたテクノロジーが実用化される可能性は大いにあります。仮に今度のムーブメントがそうでなかったとしても、いつかは両方ともが実現されるでしょう。ということで、いま出現している「Med Bed」についてどうこう申し上げることは致しませんが、「波動療法」が機器によって実現された場合の社会的影響について、考察しておきます。
先ず、もちろんのことながら、現在の医療システムは根底から覆されます。突発的な怪我や感染症、救急医療、以外の分野はほとんどが不要となってしまうことでしょう。というよりも、もともと意味が無かったということが、並行してバレて行ってしまいます。特に慢性疾患の類いは、「Med Bed」が普及すればみんな解決してしまいます。また「波動療法」の高いヒーリング効果から、精神疾患も改善されていくでしょう。
この結果、これまで莫大な利益を上げてきた製薬会社は市場を失い、縮小を余儀なくされます。そして、医療関係者の多くが失業するだけでなく、ヒーラーと称する人たちも実力のない人は機器に取って代わられてしまうでしょう。
しかし、「Med Bed」の使用でこうした治癒効果がたとえ実現されたとしても、前段で挙げた「カルマ」と「心グセ」の問題は、依然として未解決のままであるということにお気づきください。
ところが、
この機器を毎日使うということになると、話はかなり違ってきます。ネガティブな「カルマ」が、細胞に再び病変を起こそうとするスピードよりも、「Med Bed」による細胞修復のスピードのほうが追い越してしまうかも知れません。そうなると、もう病気の再発はありません。なんと、テクノロジーが、「愛」を凌駕してしまう事態となるのです。(@⩋⩋@)!
さらに、人間の「体」と「心」は、絶えず情報をフィードバックしていますので、「体」の不調がすっかり無くなれば、頑固な「心グセ」にだって変化が訪れるかも知れません。
ということで、『虹の学校』で推奨しているような、「瞑想」「呼吸法」「LEAF YOGA」に倦まず弛まずこつこつと勤しむという古典的な修行スタイルは、もう必要がなくなるかも知れません。
毎日「Med Bed」で眠るだけという(安易な?)方法で、アセンションが達成できるかも知れないのです!
ヤッタね! ズボラな人たちよ。(あなたのことではありません)
これは、とても興味深い点です。もしかしたら、それが新しい人類を創ることに繋がるのかも知れません。