泳げない者は海に入ることは出来ない。
しかし泳げるようになるためには海に入らねばならない。
しかも泳げる者にしか、溺れた者を救うことは出来ないのだ。
by Rainbow School
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「完全になるというのはどういうことか、教えてもらえるでしょうか?」
よろしい。おまえたちの言葉にしてみよう。
始まりはない、終わりもない、ただ変化があるのみ。
教師はない、生徒もない、ただ記憶があるのみ。
善はない、悪もない、ただ表現があるのみ。
結合はない、分離もない、ただ一者があるのみ。
喜びはない、悲しみもない、ただ愛があるのみ。
優はない、劣もない、ただ均衡があるのみ。
静止はない、エントロピーもない、ただ運動があるのみ。
覚醒はない、眠りもない、ただ存在があるのみ。
限界はない、偶然もない、ただ計画があるのみ。
これが我々の知るところである。
この智恵を携えて生きなさい。
忍耐の助けになるだろう、おまえたち全員にとって。
---- ロバート・モンロー『究極の旅』より
夏の盛りのある暑い日のことでした。
真っ青な空が満天に広がり、眩い陽光が地上のあらゆるところを明るく照らし出していました。
高原には爽やかな風が吹きわたり、蝶や虫たちが花々のあいだを忙しそうに動きまわっています。
森では、小鳥たちが木々のうえで、それぞれのさえずりをまるで自慢しあうように奏でていました。
と、急にバタバタと羽音を立てて小鳥たちがいっせいにどこかへと飛び去ってしまいました。
さっきまで晴れわたっていた空が、いつの間にか灰色に変わっています。そしてみるみるうちに真っ黒になったかと思うと、強烈な閃光と雷鳴が森の頭上に響きわたりました。
やがて、叩きつけるような雨が森の木々の上を襲い始めました。
生き物たちはみなどこかへ隠れてしまって姿が見えません。
深い森のすべてを、ただただ長い雨足が覆い尽くしていきました。
しかしその雨も、しだいに小降りとなりついに止むときがきました。
小鳥たちのさえずりが森に戻り、青空がまた帰ってきました。
乾きはじめた木々の表面を、しずくが連なって下へ下へと落ちていきます。
幹から枝へ、枝から葉っぱへと。
そして一枚の葉先から、ポタリと落ちた水滴が地に着いた瞬間、“それ” がこの世に誕生したのでした。
地上に落ちた小さな小さな水滴の表面には、すでにそれが世界のあらゆるものを含んでいるかとでもいうように、周囲の風景すべてが映り込んでいました。
その風景が、一瞬プルプルと揺れたかと思うと、“それ” が姿を変えました。
ゆるい傾斜を転がりだし、土をひっつけながら成長していったのです。
大きく、さらに大きく、まん丸に。
しばらくして、ドーンという衝撃を受けて “それ” は目覚めました。
あまりの痛さに、思わず出たのは泣き声でした。
ふんぎゃー、ふんぎゃー、ふんぎゃー。
あらん限りの音量を出して、“それ” は、そうやってしばらく泣きじゃくっていました。
すると、頭の上から怒鳴り声が聞こえてきました。
「あー、うるさい、うるさい。誰じゃ、わしの平穏な時を壊すのは」
「痛いよー、痛いよー」
と “それ” が答えるようにして言いました。
「なんだ、お前さんか?」
「痛いよー、痛いよー」
「痛い痛いって、ぶつかって来たのはお前の方だぞ。わしこそ、えらく痛かったわい」
声を聞いて、“それ” は目の前にそびえる壁を見上げました。
「だれなの? あなたは」
「わしはロックじゃ。このあたりじゃちょっとした顔なんだが、お前はわしを知らんのか?」
“それ” が首を横に振りました。
「うーん、見たところ、生まれたばかりのようじゃのう。それなら、わしを知らんのも無理はない。お前さんは、いったいどこからやって来たんじゃな?」
“それ” がちょこんと首をすくめました。
「で、どこへ行くつもりなんじゃ?」
また首をすくめてから、“それ” が聞き返しました。
「おじさんはどこから来たの?」
「うーん、それを語ると、ロング、ロング、ローング、ロング、ストーリーになってなぁ。わしはおじさんというよりも、もはやヒヒヒヒ爺さんなのじゃ」
「じゃあ、ヒヒヒヒお爺さんは、いくつなの?」
「これを言うても信じられんだろうが、あまりにも古いことで、正確なことはわしももう忘れてしまったのじゃ。たぶん、生まれてから500万年くらいは経っておるなぁ」
「えっ。それで、今まで何をしてきたの?」
「60万年くらい前には、ここよりもっと上の方におったんじゃ。それが崖崩れで、仲間と散り散りになってからはずっとここにおる。じゃが、そのもっと以前は、海の中におったんじゃよ」
「海?」
「そうだ。あ、お前は、まだ海を知らんかったのだな」
「それがどうして、今はここにずっーといるの?」
「それがなぁ、そのずっとずっと以前に、ある過ちを犯してな。恥ずかしい話じゃが、それからロックになったというわけなんじゃ。流れ流れて、ロックンロールというわけであるな。わしにも、はるか遠い昔にお前さんと同じような時期もあったのだがなぁ‥‥」
と、ロックは感慨にふけるようなため息をついてから、ポツリと呟きました。
「若いお前さんがうらやましいわい、自由に動けて」
「誰かに、そんなふうにされちゃったの?」
「あ、いや、自分でこうなることを希望したんじゃ。だから誰のせいでもない。これは、今のお前さんに言うてもわからんだろうが‥‥」
と、ロックは少し悲しげな表情を浮かべてから続けました。
「じゃが、お前さんは若くて動けるんだから、これから思い切りやりたいことをすればいい。そうだ、人生の門出に際してわしが名前をつけてやろう」
「名前?」
「そうだ、お前にふさわしい名前じゃ。この世界ではみな名前を持っておる。そうだなあ、見るところ、お前さんはドロ‥‥。そうだ、ドロ坊というのはどうかな?」
「ドロ坊? うーん」
「なんじゃ、気に入らんのか。ではダンゴはどうだ」
「うーん」
「それもダメか。どう見ても、お前さんはドロダンゴなんじゃがなぁ」
「ドロダンゴ?」
「そうじゃ。お前さんはな、土ぼこりを集めたところに、アレのしずくが浸透して、こねこねしてできあがったものなんじゃ」
「こねこね?」
怪訝そうに “それ” が首を傾げました。
「うーむ、どうもダ行の濁音が不潔な感じがしていかんようだなぁ。よし、それならこうしよう。トロじゃ。お前は今日からトロと名乗れ」
「トロ?」
「うん、こりゃいい。いい名前だ。さあトロ、これからお前さんは旅に出るんだ。さあさ、行ってこい」
「うーん、でもヒヒヒヒお爺さん、お爺さんが邪魔して動けないんだよう」
「おお、そうか。すまん、すまん。先ほどの大雨で少し地盤が緩んだから、わしもちっとは動けるかもしれん。わしが左側に回るから、お前さんは反対側に体をひねるのじゃ。ええか」
うんしょ、うんしょ、うんとこどっこいしょ。
二人は、力を込めて何度も何度も体を揺り動かし、そしてトロは、ついにひとり歩きできるようになったのです。
「ヤッター、バンザーイ!」
「おう、ようやった、ようやった」
「ありがとう。ヒヒヒヒお爺さん」
「さあ、お行き、トロ。じゃが、誘惑には気をつけるんだよ。この世界にはお前を喰いものにしようと企んでいる者たちが大勢おるからな。でも、心配ない。困ったときには天を仰げ。無防備はよくないが、用心し過ぎるのもいかん。お前さんは、そもそも “自由” なのだからな」
「うん、わかった。じゃあヒヒヒヒお爺さん、ぼく行くね」
「おう、元気でな。それと、ヒヒヒヒはもう言わんでもええ。気持ちが悪いからのう」
ひとりになったトロは、この “自由” を思い切り謳歌しました。
行く先々で、見るもの、聞くもの、すべてが新鮮で輝いて見えるのでした。
こうしてトロは、地のものを吸収してますます大きくなっていきました。
そんなある日のこと。
トロは、道端になにやらニョロニョロと動くものがいるのを見つけました。
持ち前の好奇心から、目を凝らすと、そいつが、こっちへ来い、こっちへ来いと手招きをするのです。招きに応じてトロはだんだんと近づいていきました。
目の前まで来たとき、そいつが握手を求めてきました。
親愛の情を示そうと、トロが応じようとした瞬間です。急にそいつが、体ごとトロのどてっ腹に食い込んできたのです。
グリグリ、グリグリ。
あまりの痛さにトロは悲鳴をあげました。
「うううー」
相手はなおもクネクネ、グイグイと容赦なく体に食い込んできます。
トロの意識がしだいに遠のいていきました。
「ああ、これでもうダメか」と思ったそのとき、トロは自分の体がフワリと宙に浮き上がったのを感じました。
いったいなにが起きているのか、トロには解りませんでした。
体を突き刺す鋭い痛みと、これからどうなるのだろうという不安とで、トロはもう生きた心地がしませんでした。
気絶いっぽ手前という中で、でも薄目を明けてぼんやりと外を見たのです。
それは、トロが初めて見る世界でした。
頂に雪をのせた山々や、深緑の森がはるか眼下に見えました。
草原を元気よく動物たちが走っています。
谷あいを流れる小川が、あるところでは滝となり、またあるところでは湖に流れこみ、しだいに集まって大河となり、さらに先へと広がっていました。
へりまで続くそのコバルトブルーの広がりを、トロは「もしかして、あれがお爺さんの言っていた “海” ?」と思うのでした。
悠々とした羽ばたきの音が止んだとき、トロはいつのまにか、自分が地面に横たわっているのに気がつきました。
視線の先には、鋭い眼光とクチバシを持った鳥がいて、その顔をニューッとこちらに近づけて来るのです。
あ、危ない! とトロが思ったその瞬間です。
クチバシは、トロの体からはみ出ていたミミズの足にパクリと噛みついたかと思うと、一気にそれを引っ張り出しました。
そして、なんとその場でペロリと呑み込んでしまったのです。
ひええーっ。
仰天するトロに、その鳥が振り向いて言いました。
「おどろいタカ」
ガタガタ震えているトロに、なおもその鳥が言いました。
「わしは‥‥いやわしはワシではないが、お前には興味はない」
トロには言っていることの意味がさっぱりわかりませんでした。
「だから、安心せい」
どうやら、自分を食べるつもりはないらしいことが解りました。
それどころか、考えてみると、ピンチだと思っていたことが新しい体験となり、危ないところも救われていたのです。
でもトロには、どうお礼したらよいものかがわかりませんでした。
あくまでも威厳を失わないその鳥の眼は、まるで哲学者のようでした。呆然としているトロを前に、大きな翼をゆっくりと広げると、
「どうだ坊主、わかっタカ!」
とひとこと言って、ハハハハと笑いながら飛び去っていきました。
わかっタカ、とはいったいどういう意味だったのでしょう?
トロは、あのお爺さんが言っていた言葉を思い出しました。
本当だ。誘惑には気をつけなくちゃだ。
今度ばかりは助かったけれど、いつもいつもこうなるとは限らない。
トロは、用心することと、判断することの大切さをこの体験で学んだのでした。
月日がめぐり、トロは少年になっていました。
天真爛漫さは多少失われていましたが、持ち前の好奇心でトロは旅を続けていました。
トロの胸のうちには、大空からかいま見た、あの世界を隅々まで知りたいという欲求が膨らんでいたのです。
そうして、新たな気持ちを胸に旅を続けていた日のことです。
口笛を吹きながら快調に森の中を進んでいたトロは、突然、何かの気配を感じてその場に立ちすくみました。
誰かいる! 用心、用心。
でもそれが誰だかはわかりません。
目の前に見えるのは、ゴツゴツした石ころだけでした。
と、その石の一部分が光って、こちらをギロッと睨んだのですから、トロは腰をぬかさんばかりに驚きました。
「ちっ、邪魔をしよってからに」
とそれが言いました。そしてノソリと動いたのです。
トロが石ころだと思っていたものは、大きなカエルでした。まるで忍者のように、周囲の色に自分を溶け込ませて、じっと獲物を待っていたのです。
危険を感じてトロが思わず後ずさりをしました。
ロックお爺さんのあの忠告が耳によみがえってきたからです。
「怖がらんでもいい。俺はお前を喰ったりはせんから」
とそのカエルが言いました。
「ぼくの‥‥心が読めるの?」
「そうさ。なぜって、俺は森の忍者だからな」
「おじさんは、だれ?」
「俺は、トノサマって呼ばれている」
「トノサマ?」
「そうだ。俺ほどの技を持ったやつはそうそうはおらんからな。どうだ、ひとつ見せてやろう」
と言って、一足でピョーンと遠くまで飛んでいきました。
目を白黒させているトロにトノサマは得意顔です。
「どうだ、びっくりしただろう」
ああ、この大人はそんなに悪い人じゃない、とトロは思いました。
「もっと違う技もある」
と言って、トノサマは白い腹を見せて上体をグーっと反らせました。
「これがそっくりカエルの技だ」
と言ってから、今度はクルッと回って地面に大の字になりました。
「そして、これがひっくりカエルだ」
どう反応してよいかわからずに、トロはポカンとした表情を浮かべました。
身を起こしたトノサマは「ハハハ」と笑って、
「なんだ、喜ばせてあげようと思ったのに、通じなかったかのう」
と言い、小声でさらにこう付け加えました。
「これが、忍法あきれカエルの技じゃ」
トロには、この人が何をしたいのかがさっぱりわかりませんでしたが、とにかく子どもにはやさしい人だということはわかったのです。
「君はこれからどこへ行くんだ?」
と聞かれて、トロは困りました。
「わからないんです、自分でも‥‥。おじさん、でもぼくにはね、ちゃんと名前があるんだよ」
「ほう、なんて言うんだい?」
「トロ」
「トロかぁ。うーん、ちとトロいやつだけど、まあいいか」
と言って、トノサマは自分からケロケロと笑うのでした。
トロは少し安心しました。「怖い」と最初に思った人が、実際には愉快な人だったのです。
トノサマと別れてから、トロは「あのおじさんは人の心が読めるって言ってたけれど、判断にはそういう技も必要なのかなぁ」と思うようになりました。そして「もしかしたら、自分にだってそれができるかもしれない」と考えるようになったのです。
それからのトロは、ますます大きくなって、青年らしさを増していきました。
道中、数多くの危険に遭いながらもトロは無事でした。危険な目に遭うたびに、何者かがトロを守ってくれているようでした。
そうして旅を続けている中で、トロはある共通の現象に気がつくようになったのです。道に水たまりがあると、そこに青空が映り込んでいました。ゆっくりとたなびく雲の姿もそのままでした。
トロの耳に、川のせせらぎの音が聞こえてきたとき、
「そうだ!」
と、急にあることを思いつき、トロは音のする方向へと転がっていきました。
トロの目の前には、ゆったりと流れる澄んだ小川が広がっていました。
近づいていくと、川面に映る黒っぽい玉が見えました。近づくとその姿が大きくなったので、それが自分だとわかりました。
「そうかぁ、ぼくって、こんな奴なんだ」
と、トロはつぶやきました。
ヒヒヒヒのお爺さんが言っていたっけ。どこからどう見てもドロダンゴだって。
「そうか、これがぼくか‥‥」
もっと細部を確認しようと、トロが小川に身を乗り出したそのときです。
「ダメ!」
という女の人の声が聞こえました。
「それ以上、近寄ったらダメ。すぐに後ろに下がりなさい」
と、その声は、いくぶん命令するような口調で言いました。
その強い調子に気圧されて思わず後ずさりすると、トロは声の主を探して周囲を見まわしてみました。でも、それらしい姿はどこにも見えません。
すると、また同じ声が聞こえました。
「こっちへ来るのはまだ早い。あなたには、まだまだやるべきことがたくさんあるのよ」
と、その声の主が言いました。
「だあれ? あなたは? どこにいるの?」
「わたしはあなたを生んだものよ。いとしい坊や。わたしは、いつでも、どこにだって一緒にいるのよ」
坊やと呼ばれて、トロはちょっとムッとしたのですが、その声にはどこか懐かしい響きがありました。
そこで、恐る恐る言ってみたのです。
「あなたは‥‥、もしかしてお母さん?」
でもその問いかけに答えはありませんでした。
その場に、一陣のつむじ風が吹くと、声も気配も一瞬にしてなくなっているのでした。
トロは、自分は誰なのだろうか?と考えました。
あの人は、確かに「ぼくを生んだもの」と言っていたけれど、それ以上は答えてはくれなかった‥‥。
いくぶんの寂しさと、割り切れなさを覚えるトロでしたが、でも考え続けたところでどうにもなりません。気を取り直すと、さらに先へと転がっていきました。
イヤッホホー!
長い坂道を駆け下りながらトロは雄叫びを上げました。
なぜって、開放感でいっぱいだったからです。
トロは青春真っただ中でした。
坂道を猛スピードで転がりながら、こうしているのが自分一人だけではないということに、やがてトロは気がつきました。彼方を同じように転がっていく、別のドロダンゴの姿が見えたのです。
こうして、二つのドロダンゴは、まるで運命の糸に引かれるように互いの距離を縮めていきました。
そして二つが真横に並んだとき、トロは思い切って相手に話しかけてみました。
「ねえ、君?」
「え、わたし? わたしをいま呼んだ?」
と、若い女性のはち切れるような声が返ってきました。
「君はだれ?」
「だれって、なんのこと?」
「名前だよ」
「名前? 知らない」
「そうか、君にはまだ名前がないのか」
と言ってから、二人は立ち止まりました。
「ぼくはトロって言うんだ。名前がなければ、お互いの区別がつかないだろう? ほら、ぼくたち同じような姿をしているし‥‥。だから、君の名前はぼくがつけてあげよう。うんそうだ、あれだ。いい名前がある。ダ行の濁音は不潔な感じがするからね。君はタ・ン・ゴ。今日から君はタンゴだよ」
「タンゴ?」
「そう、いい名前だろう? さあ、一緒に踊ろうよ、タンゴ」
二人は、お互いをくるくる回って踊り出しました。
そして、一緒に旅を続けたほうがもっと楽しくなる気がしてくるのでした。
それからの二人はいつも一緒でした。
見るもの、聞くものの感想を二人で話しあったり、新しい冒険に出たりして、ともに喜びを分かちあったのです。
若さゆえの無茶なところはあったものの、二人はよきパートナーでした。
そんな楽しい日々に、突如としてアクシデントが襲いかかりました。
草原を疾走していたとき、地面に突き出ていた鋭い石片に衝突して、無惨にもトロの体が引き裂かれてしまったのです。
「トロ、トロ!」
泣き叫ぶタンゴの前に横たわるトロは、グッタリしていてもうピクリとも動きませんでした。
「トロォ、トロォ。目を覚ましてぇ。死んじゃいやよ。わたしを置いて先に逝かないでぇ。ああ、トロ‥‥」
数分のパニックが通り過ぎたあとで、タンゴの脳裏にある考えが浮かびました。
「そうだ、わたしの体で補おう」
そう考えたタンゴは、欠けたトロの体に自分の体を削ってペタペタと貼りつけていきました。
タンゴのこの必死の手当と、祈りと、見守りは、およそ一週間続きました。
そのかいあって、やがてトロが息を吹き返しました。
ぼんやりと目を開けたトロの目の前にいるタンゴは、ずいぶんと痩せ細っていました。
そのとき、トロは一瞬で理解したのです。
タンゴが献身的にずっと寄り添って看病してくれていたことを。
危機を乗り越えて、トロは誓いました。ぼくはこの人にずっと感謝を捧げ続けて生きよう、と。
そうして、二人はまた楽しい旅を続けて行きました。
二人は合わさってトロタンゴになっていました。
そして、ますます大きく膨らんで、やがてそこから小さな塊が、一つ、二つ、三つと、こぼれ出していきました。
「ああ、いとしい子たちよ」
とタンゴが言いました。
この子たちは、しばらくはトロタンゴと一緒に旅を続けていましたが、やがて、それぞれが、二人のもとを離れていきました。
悲しみに暮れるタンゴをトロが言って慰めました。
「あの子たちも、昔のぼくたちと同じなんだ。旅に出ることは誰にとっても宿命なんだよ。だからそれを祝ってあげなくちゃね」
それからずいぶんと月日が経ちました。
二人は、トロとタンゴになっていましたが、それでも仲良しのままでした。
ただ、見た目はだいぶ変わっていました。
体から水分が抜けて、シワシワのカサカサになっていました。
トロは、自分たちはこれからどうなるのだろう?という漠然とした思いに浸ることがしだいに多くなっていました。
そんな矢先です。
地響きとともに大地が激しく揺れ、二人が行く手前の道が、突如として真っ二つに割れてしまったのです。そして、対処する間もなくタンゴがその中に滑り落ちてしまいました。トロのほんの目の前でです。
見ると、出っ張りに引っかかってタンゴがバタバタしていました。彼女を救おうとして、トロは必死で手を伸ばすのですが、二人の目と目が合った瞬間、タンゴは深い穴底に落ちていきました。
「タンゴォー、タンゴォー」
と呼びかけるトロの声も、真っ黒な穴の中に虚しくこだまするだけでした。
それから三日三晩、トロは泣き続けました。
ああ、なんでなんだ。なぜタンゴなんだ。
どうしてぼくが身代わりにならなかったんだ。
ぼくはいちど死んだ身だ。
そのぼくを、彼女はあれほどの献身で救ってくれたというのに‥‥。
こんなことってあるかい。この不公平さはなんなのだ。
どこに正義があるって言うんだ。どこに神がいるって言うんだ。
タンゴを救えなかった自分の不甲斐なさが、トロには許せませんでした。
ひとりになったトロには、もう生きる希望が何も残っていませんでした。
トボトボと力なく転がっていくトロの肩の上に、でもあの日と変わらない陽光が燦々と降り注いでいたのです。
その暖かさが、じわじわと心の奥に浸み通ってくることに気がついて、ふとトロは天を見上げました。
そして気がついたのです。
そうかぁ、いつだって、あの光が、変わらず降り注いでいたんだ‥‥。
陽の光は、いつも公平に万物を照らし続けてくれていたのに、そのことに気づき感謝することなど、いちどたりともこれまでのトロにはなかったのです。
そのことが解ったとたん、嗚咽が込み上げてきました。
そして、目に映る風景のすべてが違って見えてきたのです。
木々も、花々も、鳥も、虫たちも、周囲に生きるものたちがみな虹色の光を発して輝いていました。
そしてその先に、陽光をキラキラと反射して、あのコバルトブルーの海がどこまでも広がっていたのです。
海面から立ち昇っていく蒸気の姿も見え、それがやがては雲となり、雨を降らせて循環していることも、トロは一瞬のうちに理解しました。
「坊や」
そう呼びかける声が、どこからか聞こえてきました。
変だな。自分はもうお爺さんなのに「坊や」だなんて。
その直後、以前にも同じ声を聞いたことがあったのを思い出したのです。
「そうか、あのときの‥‥」
トロは、海辺へと転がっていきました。
「いままで、よく頑張ったわね」
と、また懐かしい声がトロの胸に響いてきました。
そのとき、大波がトロを一息に呑み込んで沖合へと運び去りました。
トロの体はたちまち崩れて散り散りになっていきました。
トロは、不思議だなと思いました。
なぜって、自分がまだ生きていたからです。しかも若返っていました。
「そうか、ぼくはドロダンゴじゃなかったんだ」
その瞬間です。トロは自分がどこからやって来たのかを知ったのです。
「ああ、お母さん」
トロは何か大きなものの懐に抱かれるようにして、その中に溶け込んでいきました。
周囲には、自分と同じようなものたちがたくさんいて、全部がつながっていることもトロは瞬時に理解しました。
「そうだね、そうだったね。ぼくの旅の意味は‥‥」
そう思った彼の視線の先に、懐かしいあの笑顔が見えました。
「なんだ、ここにいたのかい? タンゴ」
「そうよ、先にきて待ってたのよ、トロ。さあ一緒に踊りましょうよ」
二人は、絡みあい、溶けあって、深い海の底に消えて、やがて見えなくなりました。
そして、誰もいない海岸に、500万年前と変わらぬ潮騒の音だけが、繰り返し静かに流れているのでした。
この物語の着想を得たのは4年前のことです。でもその時はまだ『泥ダンゴの冒険』というタイトルでした。以来、毎年夏が迫ると「ああ書かなくては」と思っていたのですが、いざパソコンに向かっても、ポエムの神様が降りて来てはくれず、ただの一行も書けない日々が続いたのでした。そのため、今日のこの日になってしまいました。でもこれが、きっとグッド・タイミングだったのでしょう。いつかこの物語を、アニメーションにしてくださる方が現れてくれないかなぁと、今は漠然と思っています。
あなたは気球。
なのにあなたは、自分が気球だってことを知らない。
なぜって、そんなことを今まで聞かされたことがなかったし、
まだ一度も、大空の彼方へと浮いたことがなかったから。
だけどそれは、砂袋をたくさん溜め込んで来たためなんだよね。
ゴンドラの中を見てごらんよ。
あっちにもこっちにも、赤いのや白いのやらでいっぱいじゃないか。
あ、縞模様や水玉模様の袋だって奥に隠してある!
綺麗だね、魅力的だよね、レアものだものね。
きっとそれが、グッドだと思って、正しいと思って、溜めて来たんだね。
でも、それじゃあ浮き上がるはずがないよ。
それを捨てられるかい?
思い切ってドサっと。
あ、いや、一つずつでいい。
その金色のラメが入ったやつ、それって本当に必要なのかな?
必要というのは思い込みで、
思い込みだと気づけば、一瞬でつまらなくなるものだよ。
ほうら、もう色がグレーに変わって来た。
ああ、自分は、なんでこんなものに夢中になっていたんだろう、ってね。
焦らなくていい。焦る必要はない。
いや、むしろ焦ってはダメだ。
さあ、一つ捨てよう。
これで、あなたは昨日より、ちょっとだけ心が軽くなった。
死ぬことは無くなることじゃない
ウトウトした眠りから目を覚ましたとき
ジョージは目の前に、自分のことをじっと見ている
ひとりの見知らぬおばさんがいることに気がつきました。
金髪にコバルトブルーの澄み切った目。
こちらを見つめるその口元が
少し微笑んでいるようにジョージには見えました。
「おばさんは誰なの?」
ジョージがたずねました。
「バーバラよ。はじめまして、ジョージ。
私はお母さんのちょっとした知り合いなの。
今日はね、ご両親に頼まれてここに来たのよ」
そう言われて、ジョージがベッド脇の頭の方に目を向けると
心配そうな表情をしたお母さんとお父さんが
立っているのが見えました。
ジョージはちかごろ眠ったり起きたりを繰り返していて
夢を見ることが多くなっていたので
これも夢なのだろうか、と思いました。
そのときバーバラが手を伸ばして
ジョージの手をそっと握りました。
あたたかな温もりが伝わってきました。
あ、夢じゃないや。そうジョージは思いました。
「おばさんは看護師さん?」
ジョージがたずねました。
「そうじゃないの。
ここの病院の先生たちとはいつもなかよくしていてね。
ときどき頼まれると、こうしてやってくるのよ。
大切なことをお伝えするためにね」
「大切なこと?」
「ええそうよ。本当のこと‥‥」
ジョージにはバーバラが言っていることの意味が
さっぱり解りませんでした。
「なんなの? 本当のことって?」
そうジョージが言ったとたん
お母さんがワッと泣き出し、目にハンカチを当てました。
バーバラが言っていることの意味が
ジョージにもようやく飲み込めて来ました。
「お父さん。僕、死ぬの?」
ジョージが聞きました。
お父さんは何も答えなかったけれど
その顔がすぐにグチャグチャになったので
ああ、やっぱりそういうことなのか、とジョージは思いました。
「ねえジョージ」とバーバラが話しかけてきました。
「死ぬってどんなことだと思う?」
そのことはジョージの頭のスミにはいつもあったけれど
まだ先のことだと思っていました。
だから、それ以上は考えたことがありませんでした。
「自分が‥‥」
と少し考えて、ジョージは答えました。
「消えてしまうということ?」
「うーん、ちょっと違うの」
とバーバラが答えました。
「帰るのよ。もと居たところに」
「もと居たところ?」
「そう、あなたがもともと居たところ。そこに帰るの」
帰る? とジョージは思いました。ピンと来ませんでした。
「まだ思い出せないかも知れないけれど、私には解るの」
「解る?」
目の前に居るおばさんはいったいどういう人なんだろう?
とジョージは思いました。
「そう、解るの。解るし、見える」
「見える?」
「私はね、何度か死にかけたことがあるの。
けっきょく私は死ななかったけれど
そこで見てきたことや体験したことを
みんなにお話する役目をもらったのよ。
そこで今日、お母さんからそれを頼まれてここに来たの」
ジョージにもやっと事情が飲み込めてきました。
「あのね、ジョージ」
と続けてバーバラが言いました。
「先ずいちばんにお伝えしたいことは
死ぬことは苦しいことじゃない、っていうこと」
‥‥死ぬことは苦しいことじゃない。
その言葉を、ジョージは頭の中で反すうしてみました。
「ねえジョージ。生きているものはみんな
いつかは死ぬってことは解るでしょう?」
ジョージはこっくりと頷きました。
「でもね、死があるから次の生があるのよ。
森を見てごらんなさい。
毎年、多くの動物や植物が死んで
それを栄養にして、次の命が誕生しているでしょう?
こうやって、命は永遠に続くものなの。
そのはたらきを輪廻って言うのよ」
輪廻。
それはジョージにとって初めて聞く言葉でした。
「人間だって同じなの。
この世で死んでも、霊魂は生き続けて
しばらくすると、またこの世に生まれて来るのよ」
霊魂というものがあることを
以前にジョージは聞いたことがありました。
「じゃあ、僕は消えてなくなるんじゃないんだね」
「そう、もと居た場所に帰って、生き続けるのよ」
「僕が帰ったら、お父さんやお母さんとは、もう会えないの?」
「今のようには会えないわ。でもね
縁のある人の魂はみんなつながっていてね。
だから、離れていても寂しくなんかないわ。
それにね」
とバーバラが付け加えました。
「あなたには、帰った場所で
またやらなければならないことが待っているの」
「なあに? やらなければならないことって」
「うーん、それはこれからのお楽しみってところね。
行ったら解るわ」
そう言われると
ジョージの心にワクワクした希望が芽生えてきて
思わずジョージは笑顔を浮かべました。
つられて、それを見たお父さんとお母さんも
笑顔を浮かべました。
なんだかジョージは、今までの辛さが取れて
自分の体がどんどん軽くなっていくような気がしていくのでした。
次にジョージが目覚めたとき
お父さんとお母さんが、息をつまらせて泣いている姿が見えました。
見なれたドクターと看護師さんの姿も見えます。
バーバラも居ました。
みんながジョージのまわりに寄りそっています。
「あれ? 僕が居る。なんだ、ベッドに居るのは僕じゃないか」
目をこらして見ると
下のベッドに横たわっている少年はジョージ自身でした。
「お父さん。お母さん。どうしたの? どうして泣いているの?
ねえ、僕はここに居るよ。こっちだよ。上を見て!」
何度かジョージはそう呼びかけましたが、その声は届きませんでした。
「そうか。僕は死んじゃったんだ。
だからこんな高いところに浮かんでいるんだ」
そう気がついたとき、ジョージの目の前に
お父さんやお母さんと過ごした楽しい日々の思い出や
学校での出来事、友だちとのちょっとしたいたずらや冒険が
まるで高速で回るフィルムのようにいっぺんに押し寄せてきました。
そればかりではありません。
逆回転したフィルムは
ジョージが生まれた日の瞬間を飛び越えて、もとの居場所へ
そしてその前の生へ、前の前の生へと高速回転し始めました。
「そうか、そうだったね。思い出した。僕、思い出したよ。
僕の命は続いていたんだね」
ジョージが見下ろすと、お父さんとお母さんがまだ泣いていました。
「お父さん、お母さん、もう泣かないで。
僕は元気なんだからさ。ここにちゃんと居るんだから。
僕は永遠の存在なんだ。
でも今回の役目は終わり。ただそれだけなんだよ。
それは不幸なことでも、なんでもないんだ」
そのとき、ジョージの心に、お母さんの思いが飛び込んできました。
「愛しているわ、ジョージ」
次にお父さんの思いも聞こえてきました。
「ジョージ、君はよくやったよ。よく生きた」
バーバラの声も聞こえました。
「あっちへ行っても、続きを頑張るのよ」
「ああ、ありがとう。みんなありがとう。解ったからもう泣かないで。
僕がいつでも、お父さんやお母さんを見守っていてあげるから。
勇気を出して、生き抜くんだよ。悲しみに負けちゃダメだよ。
僕がいつでもついているからね」
そう言い終わったとき、ジョージを呼ぶ別の声が聞こえてきました。
「え、だれ? 僕を呼ぶのはだれなの?」
見ると、ジョージが小さいときに亡くなったマイケルお爺さんでした。
マイケルお爺さんとは久しぶりの出会いでした。
「そうか、僕には役目があったんだね。それを果たさなくちゃね。
お迎えに来てくれたの? お爺さん」
マイケルお爺さんが笑顔を浮かべて頷きました。
ジョージには、これから起きることについて
なんの不安も心配もありませんでした。
なぜって、ジョージには数多くの経験があったからです。
「でもちょっと待ってよ、お爺さん。
みんなに最後のお別れをさせてよね」
そう言うと、ジョージは下に居るみんなに声をかけました。
「ごめんね。悪いけど、僕もう行かなきゃならないんだ。
さようなら、お父さん。さようなら、お母さん。そしてバーバラおばさん」
その瞬間、三人がいっせいにこちらを見上げるのが見えました。
三人には、ジョージの明るい声が、確かに聞こえたのでした。
おわり
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絵本制作プロジェクトについて
ここに載せた物語は、今から10年ほど前に書いたものです。書いたというよりも、書かされたと言った方が適切です。突如、ポエムの神様が下りて来て、ブワーッと映像が浮かび上がり、気がつくと小一時間で書き終えていました。正気に戻ってから細部の言葉は少し手直ししましたが、タイピングしていた間は、後から後から涙が溢れ出て来て、感動が止まりませんでした。「ああ、神と接するというのは、こういうことなのか」と、初めて実感したのがその時でした。
それからほどなくして、私の中に素晴らしいアイデアが浮かんだのです。これを、死に逝く人が読む絵本にしようと。絵本と言えば、普通は幼い子どもたちが読むものです。でも、本当の我が家にこれから帰ろうとしている人と、それを看取る人たちが共に読める絵本がもしあれば、その場の、その時間を、とても濃密に、かつ有意義なものに出来ると直感しました。そして、この『死に逝く人のための絵本』とセットにして、『見送る人たちのためのハンドブック』という死後世界への帰還を解説する小冊子も一緒に創ろうと思い立ったのです。
それで、試しに、絵を描いてくれる人がいないかと、絵心のある知り合い数名に声を掛けてみました。ですが、どの人にも「難しい」と言われて、結局、この試みは成就しないまま頓挫してしまいました。内容の特異性もそうなのですが、物語の展開場所が一箇所なので、絵本にする際のページの変化づけが難しいようです。それと絵のタッチの問題もありました。私としては、優しい感じの絵ではなくて、スズキコージさんのような弾けるような力強いタッチが、この物語には合っていると思ったのです。
結果的に、このアイデアはそれでお蔵入りとなってしまったのですが、ひと月ほど前に、いつも一緒に活動をしているメンバーのお父さんの容態が急に悪くなり、それをきっかけにして、「人生の最期のひと時をどう過ごすか?」という問題が、今も何も示されないまま、放置されているという実態に再び遭遇し、やはり、このプロジェクトを実現させたいという強い思いが復活して来たのです。今度は、協力者を仰いで。
私にはジンクスがあって、これまでに色んな思いつきを実行して来ましたが、自分で動いたものは、なに一つ捗々しい成功を見ていないのです。あと一歩というところでみな壊れたり、期待していた評価を得られなかったり、時には逆恨みを受けたりして散々な目にあうということの繰り返しでした。精神的にも弱かったので、たくさんの屈辱を体験し、自分の人生を呪ったこともありました。が、それでも今日までどうにかこうにか生かされて来たのは、幸福だったと、今はしみじみ思います。
もし私が若い時分に社会的成功などを手にしていたら、私のことですから、きっと調子に乗って、いい気になって、錯覚していたと思います。ですから、試練の時はうんざりするほど長かったのですが、全部が、今日の役目をさせるための訓練期間だったのだなぁ、ということが今になってみて解ります。それと、何でも自分ひとりでやるということが出来なくなって来た今、「他の人に頼る」ということを、これから学習すべき時が来たようにも感じています。
そこでお願いなのですが、この『死に逝く人のための絵本』をプロデュースして下さる方はいらっしゃらないでしょうか? 絵の作家さんや出版元をはじめとするあらゆる交渉事をこなし、流通販売までの一切を引き受けてくださる方。お金の面は、先行販売予約や寄付を募れば何とかなると思います。要は、絵本制作の事情にいくらか通じていて、このプロジェクトに価値を見出してくれて、「よし、自分がやってやろう」という献身的な方です。
まったく身勝手なお願いなのですが、今まではそれを言い出す勇気が無かったのです。他の人に頼るということが出来なかったのです。出版流通業界が崩壊して、インターネットの時代に移ったので、これまでとは違った新しいやり方があるかも知れません。それらを含めて、プロデュースして下さる方が現れれば嬉しいです。どうか一緒に、世界初の『死に逝く人のための絵本』を創ろうじゃありませんか。そして、世界各国語に翻訳して、世界中の人々の「魂」に救いを届けようじゃありませんか。これはきっと、もの凄い貢献になります。
私がこうした着想を得るに至ったのは、自分の奥さんだった人の死にまつわる体験がきっかけでした。何でも忘れてしまうので、彼女がいつ死んだかという日付けは覚えていません。今日では、「すべてが幻」ということをよく解っているので、もはや感情的なしこりは何も無いのですが、その当時は、人並みに動揺もし、苦渋も味わいました。私の奥さんだった人(以下、彼女)はスキルス性の胃癌でしたが、癌等の病気で身内を亡くされた方は、おそらく次のような同じ思いを抱かれたのではないでしょうか?
「果たして、あれでよかったのだろうか?」と。
病気治療の方法の問題については敢えてここでは触れませんが、私はその期間での体験を通して、医療業界の非道さと、人々の無智について、ある感慨を持ったのです。
この時の体験については、前にも書いた気がしますが、改めて触れますと、彼女は当初、地元の多摩南部地域病院というところに入院していました。ところが、お見舞いに来た彼女の友人が、「こんなとこにいちゃダメだよ。私がもっといいところを紹介してあげる」と言って、その人の紹介で、都心にある有名な KO 大学病院に転院したのです。そこは有名病院でしたので、そんなところに転院できて、彼女も喜んでいました。
さっそく主治医となる人への挨拶と、入院のための案内を聞きに病院へ行くと、主治医が「部屋は1人用、2人用、4人用、6人用、9人用とあり、人数が少なくなるほど料金が上がるシステムになっている」と言いました。その値段を聞いてびっくりです。上位の部屋代は超高級ホテル並みで、お金持ちしか入れません。目を白黒させている私たちを見て、主治医がこう付け加えました。「ま、資本主義ですから」。説明が終わって二人きりになった時、フトコロを心配した彼女が「私は大部屋で構わないよ」と言ってくれたのが悲しかったです。
その後、半年ほど経って、(あれが治療と言うなら)治療の甲斐なく、KO となったのです。その経過説明の最後に放たれた主治医の言葉が今も耳から離れません。「うちは治すところだからね」。ハッキリとは言わないのですが、もうその見込みはないから(出て行ってくれ)ということです。(じゃあ、あんたは『治す人』だったのか?)というツッコミを入れたいのをこらえて、「これからどうすればいいんでしょう?」と訊ねると、「看護師から説明があるから」と言われて、看護師さんから、A4ペーパー2枚に記入された系列病院のリストを渡されたのです。
家に帰ってから、そのリストの全部に電話をしてみましたが、受け入れてくれる病院は一つもありませんでした。その時点で、世に言う「ガン難民」となってしまったのです。仕方なく、地元に帰って田村クリニックに相談したところ、この先生は親切で、自宅介護の方法を教えてくださいました。私がクリニックまで点滴のキットを貰いに行き、静脈に刺しっ放しにしている針に繋げるのです。これが一カ月くらい続いたでしょうか。
でも容態はどんどん悪くなるし、ずっと嘔吐を繰り返しているので、「いつまでこれが続けられるのかなぁ?」と思っていた矢先に、ホスピスに空きが出て、最期の一週間はそこで過ごすことが出来たのです。これは天からの配慮でした。しかしその時、初めて知ったのです。ホスピスの数があまりにも少な過ぎると。ですから、どこも三カ月以上の予約待ちでした。しかし考えてみてください。三カ月以上前に、ホスピスの予約を入れられますか?
こうして、「死に逝く人」に対しては、つまりもうそれ以上搾り取れない人間に対しては、異常に冷たい医療の実態というものを経験したのでした。
と、あれこれ書いて来て、恨みがましく思っていると受け取られるかも知れませんが、恨みはないのです。ただ、そういうものだったと言っているだけです。その運命は、彼女が選んだものですし、それに、もしも彼女が今も生きていたら、自分がこのような活動をすることは決してなかった、ということは確実に言えるのです。そうしますと、これらの体験は、初めから計画されていた必然だったのであり、彼女の死と引き換えに、私の「使命」がスタートさせられた、と今にして思えるのです。
さて、その「使命」から考えた場合に、結局「無智」というものが、人類を覆っている暗雲の根元だと思うのです。
医者も、宗教家も、葬儀屋も、カウンセラーも、大学の先生も、誰も「死」とは何か、死んだらどうなるかを知らない。その話題は普段できるだけ遠ざけて、あまり考えないようにして過ごしている。そのため、いざ「死」に直面する事態になると、たちまちみんなの「無智」が露呈して、奥歯にものが挟まった言い方をしたり、死生観の違いで身内が言い争ったり、すべて他者にお任せで儀式めいたことだけをやってお茶を濁す、といった状態になっている。私は、この現状をなんとかしたいと思いました。
「今の世は生きにくい」という嘆きを、あちこちで聞きます。確かに、人々の外側に広がる世界は、優しさを欠いた、弱肉強食の、詐欺的で悪辣なものばかりで満ち溢れています。しかし内面はこれとは別です。内面は自分の感じ方ですから、外の世界に合わせる必要はないのです。それでもなお「生きにくい」と感じてしまうとしたら、その根元的な理由は別のところにあります。それは、「死」を知らないということです。「死」を知らないからこそ、「生きる」理由も解らないのです。「死」を知らずに、どうして「生きる」意義を見い出せましょうか。
「死」にきちんと向き合うことをせず、ただ流されるまま、みんな生きている。これでは「生きる不安」が解消されるはずがありません。核家族化の進展や、9割以上の人が今や病院で「死」を迎えるようになったということや、葬儀社の至れり尽くせりのサービスなどによって、人が、一生のうちで身近な人の「死」に直面する機会は驚くほど減っています。この体験機会の喪失が、「死」をさらに忌避し、出来るだけ遠ざけて向き合わないようにする風潮を加速させています。
これを、私は自然な感覚に戻したいのです。
「死」は、珍しいものではありません。
誰もが、いずれは、自分自身の身体を通して体験することです。
生育老死(=春夏秋冬)は、自然の完璧なサイクルに他ならないのです。
身近な人の「死」に直面することは、その背後にある大自然の摂理、大宇宙の真理に触れる絶好の機会となります。自分がホスピスで過ごした一週間。この時に、もしもいま構想しているような絵本があったなら、もっと充実した、濃密な意識共有ができた日々を過ごせたに違いありません。電源もいらず、絵本を開くだけで、そこに救いの言葉が立ち顕れるのです。もうそれを見ることすら敵わなくなった人には、読み聞かせてあげるだけでもよいのです。
この物語には、ポエムの神様が送り込んで来た高い波動が内在されています。ですから、絵本を囲んで寄り添う人たちみんなに、安らぎと真理への気づきを促してくれることでしょう。
人は死んでも、死にません。「魂」はその後もずっと生き続けます。「魂」が輪廻転生することは確実です。そこに議論の余地はありません。したがって、この件で議論はいたしません。「それを信じろ」とも言いません。ただ、このあなたも、そのあなたも、それを知っている、とだけお伝えしておきます。
『見送る人たちのためのハンドブック』は、まだ原稿が用意できていません。『死に逝く人のための絵本』が、実現に向けて動き出したその暁には、着手するつもりです。ですから、絵本が完成しなかった場合には、ハンドブックも実現しません。しかし、もしも『見送る人たちのためのハンドブック』が完成したら、これはたぶん、現代版の「新・死者の書」になることでしょう。
無償の愛を、一緒に表現してくださる方が顕れることを切に祈ります。
男は、山の頂きになんとしてでも達しようと、歩みを重ねていた。
だが登坂は容易ではなかった。
強い日差しが照りつけ、足を踏み出すたびに、全身からどっと汗が吹き出した。
七合目に差し掛かった時、強い喉の渇きを覚えたので、男は水筒を取った。
しかし水筒の中には、もうほんのわずかな水滴しか残されてはいなかった。
頂上まではまだ随分ある。このままでは持たない。
男は、どこかに水源がないだろうかと辺りを見まわした。
その時、一羽の白い小鳥がやって来て、男の耳許で囁いた。
この上の、10メートルほど上がったところに、泉があるよ。
男は喜んだ。
だが、それは見えないし、そこへ行くためには急峻な崖を登らなくてならない。
これは相当な難儀だぞと男は思った。それに危険でもある。
その時、一羽の黒いカラスがやって来て、男に近寄り、耳許で囁いた。
下を見てごらん。100メートル下ったところに小川があるよ。
言われて、男は眼下を見た。木々の間にチラッと小川が見えた。
そのとたん、今すぐにでも駆け降りてがぶがぶ飲みたい、強い衝動に襲われた。
が、待てよ、と男は考えた。
小川の位置はここよりもかなり下だ。
せっかくここまで登って来たのに、また降りるなんてのはな。
でも駆け降りるのは、登るよりもずっと楽だし、それに早い。
ああ、どうしたらいい? 今すべきことは‥‥。
優先順位なら、とりあえずの、この喉の渇きを癒すことだ。
いったん降りて、鋭気を養って、それからまた登って来たっていいじゃないか。
さて、どうする? 男は自問自答を繰り返した。
白い小鳥は、崖を登れば泉があると言っていたが、本当にあるのだろうか。
男の心に疑念が湧いた。あの小鳥の言葉を信用していいものだろうか‥‥。
迷いに迷った。
そのうち、ふと、そうだ!と直感がして、男は眼を閉じた。
そして、心を静めて、内なる者の声に耳を傾けた。
1分、2分、3分‥‥。
ほどなくして、声がやって来た。
頷くと、男はその声に従った。
本物 その1
ある時、インドを旅して来たという男がやって来て、道中話を披露した。
集まった人たちに、
男はスマホで撮った一人のスワミの写真を見せて、こう言った。
「この人は本物だ」
離れて、それを聞いていた私は思った。
この男は、なぜ「俺は本物だ」と言わないのだろう?
本物でない人間に、本物とニセモノの違いが分かるのだろうか。
本物 その2
他者が語った言葉を、そっくりそのまま周囲に説いているようでは、
その人は、まだ本物とは言えない。
自分の言葉で語りなさい。自分の言葉で語られるようになってこそ本物だ。
しかし、あなたがある心境に到達した時、
自分が語っている言葉が、その道の達人が語っていた言葉と
そっくりそのままだったということは、大いにありうる。
本物 その3
宗教は「この教えを信じろ」と言う。
宗教は「この戒律を守れ」と言う。
宗教は「このマントラを唱えろ」と言う。
そして、周囲にもっと信者を増やせと命じる。
宗教とは、結局のところ、ニセモノの量産システムに他ならない。
「ラムダスが亡くなったよ」と、人から聞かされました。
昨年暮れのことだそうです。
「そうか、帰られたのか‥‥」と、ちょっとの間だけ思いを馳せました。
昨年も、別の方から「ティク・ナット・ハンが亡くなったよ」と聞かされ、
その時も同じように、我が師につかの間の思いを馳せました。
逝かれた日の事を、私は確認しようとは思いません。
ただ「ああ、そうか」と思うだけです。
型どおりのご冥福も祈りません。
誰のご冥福も、私は祈ることをしません。
死んでも死なないということを知っているから。
現に、師は私の胸の中に、今日も生きている。
ありとあらゆる合成麻薬を自身の体で実験し、
これじゃダメだと気づいて、方向転換の末に覚者となったラムダス。
私は、この師の、青空のように抜けたユーモアとセンスが好きです。
べトナム戦争で知人を皆殺しにされ、一時は、
地の底から沸き上がるような激しい怒りに震えたティク・ナット・ハン。
私は、この師の、許しに至った経過が好きです。
エイズに冒された人たちをケアしようと創った施設を、
二度までも焼き打ちにされてしまったエリザベス・キューブラー・ロス。
私は、この師の、不屈の闘志が好きです。
どの師にも会ったことはないし、どの死にも出会ったことはありません。
でも、どの師の意志も、私の胸に深く刻み込まれ、今日も生き続けている。
それぞれの師が果たした、今生の役割を想う時、かたじけなさに涙こぼるる。
昨年秋に、韓国ドラマの『ホ・ジュン』を再見しました。
Amazon Prime で、135話もある。
全部を見終わるまでに、3カ月掛かりました。
無頼の徒であった若き日に、師に激しい叱責を受けてから、
ただただ「心医」を目指すことを目標に、艱難辛苦を耐え抜いたホ・ジュン。
その死は、135話目に唐突にやって来ます。
疫病が発生した村に治療のために入り、自身も感染し死んでしまうのです。
その最期の瞬間まで、ずっと「心医」であり続けたホ・ジュン。
月日が経ち、夏草が生い茂った土饅頭の墓の前に、
ともに苦難の同じ道を歩んで来た、女医のイェジンが現れます。
見ると、傍らに弟子と思われる女の子を連れている。
その子が、イェジンに尋ねます。
「誰のお墓ですか?」
イェジンが答えます。
「私がずっとお慕いし尊敬していた方よ」
「何をしていた方ですか?」
「お医者様よ。あの方は、まるで地中を流れる水のような方だった。
太陽の下で名を馳せるのはたやすいわ。
難しいのは人知れず地中を流れ人々の心を潤すことよ。
それができる方だった。心から患者を慈しむ心医でいらしたの」
「その方は、イェジン様を愛してたんですか?」
「それは分からないわ。私が死んで地にかえり、水になって再会したら、
その時にぜひ尋ねてみたいわ」
この、実にあっさりした最期のシーンに、134話分を費やして描いた、
ホ・ジュンの波乱万丈がズシンと響いてくるのです。
まさに、それは人生そのもの。
その女の子は、もはやホ・ジュンを知らない。
でも、イェジンを師として、
この子もやがて「心医」への道を目指すことになるのでしょう。
そうやって、また次の世代へと志が引き継がれて行く。
一人の人間が、艱難辛苦を過ごした日々など、みな消え去って何も残らない。
でも、その人の周囲には、心に刻み、刻まれる瞬間瞬間があるのです。
師とは、存在ではなく、自分が見いだしたもの。
祖父母や、両親や、伴侶の中に。
親しい友人たちの中に。
そして公園で遊ぶ子らの中にもあなたの師はいるのです。
バーのマスター、総菜店のおばちゃんも、あなたの師かも知れない。
空にも、海にも、川にも、森にも、花にも、舞い落ちる木の葉にも、
そして小鳥にも、師を見る瞬間がある。
だから、アッシジのフランチェスコは小鳥との会話を楽しんだのです。
私も何も残さない。
名前すらもう不要。
私は私の今生の役割をただ果たすだけ。
友を師とし、師を友とする毎日を生きているから、私は幸福。
刻み、刻まれ、日々ともに成長して行けることの、この幸福。
かたじけなさに涙こぼるる。
智慧の泉
大いなる真理をつかもうと、
智慧の泉へやって来て、
水の中にどれほど手を突っ込んだところで、
手にした器がみなザルではどうにもならない。
あの時、確かに掴んだと思った真理も、
家に帰るころには、もう何も残ってはいない。
ザルを水で満たし続けるには、
ザルごと泉に沈めるしかないのだよ。
あなたの我が家
我が家には智慧の泉がない。
だから、時々は汲みに行かなくっちゃ。
と、そうあなたは考えているね?
でも、心の我が家は、場所を選ばないんだよ。
だから、智慧の泉の真ん中に、
我が家を建てたっていいわけさ。
実際、そこが、あなたの帰る場所なんだからね。