■「真理」が不変である理由
「真理」は不変です。いつの時代にあっても変わらないものであるからこそ、それを「真理」と呼べるのです。もしも時代の変遷とともにころころと変わっていったとしたら、そのようなものは「真理」とは言えません。なぜなら、「理」とは「法則(Law)」の意味なのですから。
でも、なぜ変わらないのでしょうか? 実に、ここが重要な点です。それは、「真理」の本源というものが「無時間」の世界に存在しているからです。つまり「霊界」です。「無時間」だからこそ変わらないし、変わりようがないのです。私たちが住む「物質界」は、時間も空間もない「霊界」の中に、物質化という現象を経た形として存在しています。したがって、この「物質界」にも、「霊界」から漏れ出てくるようにして「宇宙の真理」というものが遍く浸透しているのです。
■自然界の「4つの力」を統一式で表したいという願い
前回の「続・不変の宇宙論」の中で、古代インド人の宇宙観というものを紹介しました。そこでは、現代の物理学が特定した、自然界に働く「4つの力」が、すでに4頭のゾウによって象徴的に表されていたということをお話ししました。(と書いたところで、いま気づいたのですが、「象徴」という字はまさに「象」の「シルシ」と書くんですねぇ)(☉。☉)!
この「4つの力」とは、「電磁気力」「強い核力」「弱い核力」「重力」のことを言います。この中で、私たちに身近なものは「電磁気力」と「重力」ですが、ミクロの世界を覗いたときには、さらに「強い核力」と「弱い核力」と呼ぶ力が存在することが分かっています。(最近では、単に「強い力」「弱い力」と言うことが多いようですので、以降はそう表記します)
宇宙の物質が何から出来上がっているのか? その最小単位を見つけようとして、近代の物理学者たちが懸命な努力を重ねてきた結果、現在ではクォークとレプトンと呼ぶ素粒子がその基礎的物質と考えられる、という「素粒子の標準モデル」が確立されました。
「強い力」とは、これらクォークとレプトンを結びつける力のことを言います。「強い」という名称がついているのは「電磁気力」と比べてという意味で、この力があることによって、同じ電荷を持つ陽子どうしも反発せずに結びつくことができ、原子核がバラバラになることを防いでいるのです。一方の「弱い力」は、「電磁気力」よりも弱い力ですが、さまざまな粒子を別の粒子に変化させる力を持っており、原子核の放射性崩壊などを引き起こします。
さて、現代の物理学者たちに共通した究極の目標に、この「4つの力」をなんとか一つの数式に取りまとめたいというものがあります。これを「超大統一理論」と言います。これは、「ビッグバン」理論との絡みで〈宇宙創生の初期には、これらの力はみな一つだったはずだ〉という考えに基づき、その証明が切望されているのです。しかし、この強い願望の背景には、物理学者たちの心情の中に、ある種の「美学」があるように思うのです。
それは、〈宇宙を貫いている法則は、きっとシンプルで美しいはずだ〉というものです。かのアインシュタインもそういう考えを持っていました。この直観は、まったくもって正しいものです。物理学者たちは、口にこそ出しませんが心の奥底で、その仕事を通じてなんとか「神」に迫りたいと考えているのです。
しかし、直観は正しいのですが、実際の作業はかなり難航しています。その理由として、「重力」を除く3つの力はミクロの世界の理論(量子力学)を使って説明できるのに対し、「重力」はマクロの世界の理論(相対性理論)を用いるために、両者の相性が悪く、一つに組み込むことが難しいのだ、と説明されています。どうも、数式をいじっていると無限数がいっぱい出てきてしまうようです。
しかし、私から見ていちばんの問題は、出発点に「ビッグバン」理論を置いていることだと思うのです。言い換えれば、宇宙の成り立ちを、すべて物質の作用の範囲内で説明しようと考えている。そこに、そもそもの無理があるのです。
自然界の現象のすべては数式によって説明できる、という考え方があります。あながち、これは間違いではありません。なぜなら、「法則性」は「神」の最大級の一面だからです。しかし「すべて」というのは、さすがに言い過ぎです。数学者や物理学者のこれは驕りです。自然現象というものを、物質世界だけの営みと思っているからそう考えてしまうのです。「神」の性質には、「法則」だけではなく「愛」も「生命」もあります。これらを数式を使って説明することはできません。
フィボナッチ数列や、素数や、円周率の不思議を見るとき、そこに「神」を見い出すのはごく自然な感慨です。しかし、不思議の奥にある、さらに「向こう側」へと超えていかねばならないのです。なぜならば、物質的宇宙が成立した「第一原因」は、非物質界、解りやすく言えば「霊界」にあるからです。この関係を明らかにしようという試みが、物質科学を超えた「因の科学」なのです。
ところが「ビッグバン」理論は、その始まりをあくまで物質に求め、不毛な議論を繰り返しています。なぜ、ある日突然、無から有が生じたのでしょうか? どうすれば無から有が生じることが出来るのでしょうか? それを生じさせた大本の力はどこから来たと言うのでしょうか? これら矛盾だらけの理論を、学者たちだけではなく、今ではみんなが信じ込まされている。これを捨てない限り「超大統一理論」の完成はありません。
私は、大学教育も受けておりませんし、難しい数式もまったく解しません。ただ、自分の中に湧く「インスピレーション」のままに以下の仮説を提供するものです。したがって、「ど素人が何を言うか」との批判は覚悟の上です。しかし私としては、現代物理学を否定したいのではなく、逆に進展させたいのです。「因の科学」という別からの視点を提供することで、なんとか「超大統一理論」を完成させて欲しいと願っているのです。
ではなぜ、「ビッグバン」理論を捨てない限り「超大統一理論」の完成はない、と言い切れるのでしょうか? それは、「重力」というものが、いったいどこから、また何によって生じているのかという難問に答えを出すためは、従来の「物質界」の科学に立っている限りは無理だからです。実は物理学者たちは、そのことにうすうす気づきはじめています。ところが、勇気を持って「因の科学」に踏み込むところまではまだ出来ていません。
■「重力」の発生原因は何か?
「4つの力」の中で、他の3つと比べて「重力」だけが桁違いに弱い理由はなぜか? 冒頭の「4つの力」の表の「力の大きさの目安」という項目を改めて見てください。「強い力」を1としたときに、「重力」は10^−40の力しかありません。これは、「重力」の発生原因が、「この世(物質界)」の中より生じているのではないからなのです。では「重力」の発生原因は何なのか?
それを言う前に、先ず「重力(Gravity)」の定義を振り返ってみます。「重力」とは、物体が他の物体に引きよせられるという現象の背後で生じている力です。熟したリンゴが地面に落ちる。これは、地球とリンゴが「重力」によって引き合った結果です。そしてこの力は、物体の「質量」の大きさに比例する。
アインシュタインはその理由を、「質量」の大きい物体ほど周囲の空間を大きく歪めることになるので、その歪みが急勾配となって周囲の物体がより転げ落ちやすくなるのだと説明しました。(もちろんこの説明と図は、3次元空間を2次元平面に置き換えたときの比喩です)
では「質量」とは何でしょうか? 今日「質量」は、物質の動きにくさの度合い、つまり慣性の大きさであると定義されています。「質量」が大きい物体ほど、止まっている時にはそこをじっとして動かず、動いている時にはそのまま動き続けようとするのですぐには止まれない、という現象が「慣性」です。しかしこの定義の中には、あまり意識されていない重要な要素が含まれています。それは、「質量」を持つものが「物質」だという点です。
そもそも、「物質」の動きにくさを「質量」と定義しているので、当たり前と言えば当たり前なのですが、「質量」があるかないかということは、その素粒子が「物質」であるかないかを分ける基準になるということです。2023年現在、「素粒子の標準モデル」には17種類の素粒子が並んでいます。このうち「光子」と「グルーオン」は、質量が0と見なされています*。ということは、「光子」と「グルーオン」は「物質」ではないということになります。
*少し前にはニュートリノにも質量がないと言われていましたが、その後あることが確認されましたので、現在の「標準モデル」は今後も書き換えられていく可能性があります。
現在の「標準モデル」の右側にある「ゲージ粒子」は、先に挙げた「3つの力」を媒介する素粒子ということになっています。すなわち、「光子」が「電磁気力」を、「グルーオン」が「強い力」を、「ウィークボソン(WとZの2種)」が「弱い力」を伝える働きをしています。そして、その類推として、「重力」にもそれを媒介する素粒子があるに違いないと考えられているのです。これには「重力子(Graviton)」という名前までつけられているのですが、いまだ発見には至っていません。
さて、この「ゲージ粒子」の列に、2012年7月にその存在が確認された「ヒッグス粒子」が並べられています。しかし「ヒッグス粒子」=「重力子」なのではありません。もしそうだとすれば話は簡単なのですがそうはいきません。
「ヒッグス粒子」というのは「ヒッグス場」が粒子として現れたものという解釈になっているのです。粒子として確認できたのはたまたまであって、粒子化以前の段階にある「ヒッグス場」が宇宙空間に満ちていると考えるのです。この「ヒッグス場」はゼリーが入ったプールのようなもので、そこに「質量」を持った「物質」があると、ゼリーのせいで動きにくくなり、そこに「重力」が生じるとするのです。ということで、「ヒッグス粒子」が「重力子」の働きを持つというわけではありません。
「重力子」と「ヒッグス場」の考え方は、今のところ二股を取っていて、「重力子」が見つかればスッキリしていいんだけれど、まあ「ヒッグス粒子」と「ヒッグス場」という考え方を使っても「重力」が生じる理由を説明できないことはない、という関係になっています。つまり後者は、今のところ、「重力子」が発見されない場合の予備的な位置づけになっています。これが予備的に捉えられていることには理由があります。
電場とは違って、「ヒッグス場」にはそれを計測する手段がありません。「ヒッグス場」は、あくまでも理論上の仮説なのです。それどころか、真空中にも未知のエネルギーが満ちているという話になってしまい、「物質科学」の立場から見るとどうにも気持ちが悪くてスッキリしません。そこで、それよりはなんとか「重力子」が見つからないものだろうか、ということを優先して考えているのです。
けれども、「ヒッグス場」の考え方は「因の科学」にかなり迫ってきたと言えます。「因の科学」では、はるか以前より、宇宙空間にはプラーナ(西洋ではエーテルと言った)が満ちていて、「物質界」というものはその中に局所的にあるだけだ、ということを言って来ました。
真空中には何もない、というわけでは決してないのです。そこには「空」がある。「空」があるからこそ、その間が「空間」になるわけで、もし何もないとしたら、「空間」はペシャンコになって潰れてしまいます。でも宇宙はそうなってはいないでしょう?
この宇宙の「空間」を、今は「重力」のことだけに着目しているので、「ヒッグス場」という解釈に落とし込んでいるのですが、この「場」は、意識を伝える場であり、同時に物質を育む場でもあり、そして生命エネルギーを与える場にもなっているのです。つまり、「宇宙空間」というものは、宇宙の万物を形成する培地の役割を果たしているわけです。「ヒッグス場」という解釈は、これらの一義的な役割からすれば、二義的(派生的)なものに過ぎません。
「重力」という力は、これら万物を生み出す培地である「場」に、局所的に物質が誕生した際(それが「質量」を持つ)に、この物質を元に、つまり「霊界」側に引き戻そうとする力なのです。言い換えれば、物質化の反作用です。
ゼリーのプールに、ゼリー以外には何もない状態というのを考えてみてください。ただしこのゼリーはガッチリ固まっているわけではなく、かなりユルユルで流れを持っています。この状態であるとき、そこにはまだ「重力」はありません。しかし、その一部が固まって物質化すると、これが抵抗となって、周囲のゼリーを押し広げようとします。その反発力が「重力」になるのです。
以前は、「重力」のことを「万有引力」と言っていた時代もありました。けれども、実際は逆で、「質量」を持った「物質」が周囲の「物質」を引き寄せるのではなく、これは周囲の空間側からの「斥力(反発力)」なのです。アインシュタインは重力が空間を歪めると言いましたがこれは逆で、空間の歪みが重力を生み出すのです。けれども、プラーナの空間は非常に希薄でかつ原子の内部にまで浸透しているために、物質の外殻に及ぼす力は極めて弱いというわけです。巨大天体となってはじめて実感できるくらいの力になるのです。
前回取り上げた「古代インドの宇宙観」の図をもう一度見てください。4頭の象のうちの一頭が背後に隠れているでしょう。これは、「4つの力」のうち「重力」だけが表に出ていない、背後から立ち上がる力であるということを象徴しているのではないでしょうか。
■「因の科学」から見た「4つの力」の成立過程
ついでに、残る3つの力のことも言っておきましょう。先ず「電磁気力」ですが、これは「非物質界」から連続して生じている、宇宙の最も基本的な力となっています。「非物質界」と「物質界」を含めて、すべてのエネルギーが「電磁気力」を発生します。
これは、「第一原因(創造神)」から放射されたエネルギーが、そもそも「陰陽の双極性」を帯びているためです。双極性があるからこそ、その間に新しいものが連鎖的に生み出されていき、宇宙の万物が形成されるのです。
そして、極小のものから極大のものまでが、「電磁気力」によって、みな「渦(トーラス構造)」を形成し、拡張(外へ、分裂)と収縮(内へ、融合)とを繰り返しているのです。そしてさらに、これが「物質化」の段階に至ったときに、そこに付随的に「強い力」と「弱い力」を発生させます。「物質界」では、「粒子」という「物質」が生じていきますので、これをくっつけたり壊したりするために「強い力」と「弱い力」が必要になってくるのです。
以上、宇宙の成立を考えた場合には、「第一原因(創造神)」にまで遡らない限り、謎は絶対に解けません。ですから、「ビッグバン」理論が大きなネックになっていると言ってきたのです。
ちなみに「ビッグバン」が広く信じられているのには理由があり、この説は、唯物論の科学者にとっては「人生」のアナロジーとなっています。つまり、人間の誕生から死までのモデルを、そのまま宇宙に投影して考えている。彼らは「死後の世界」があることなど認めません。そこで、宇宙の誕生についても、突如、無の世界に物質の火種が誕生したという話に拘泥してわけです。しかしそれは、取りも直さず、自分がどこから来てどこへ行くかを知らない、ということになるのですが‥‥
■「因の科学」の領域に踏み込み始めた現代物理学
とはいえ、現代物理学は、かなりその境界にまで踏み込んで来ました。「超弦理論(Superstring Theory)」はその一端です。これは、素粒子のさらに奥(素粒子を成立させる要因)にまで踏み込んだ理論物理学です。この理論が登場したのは、「超大統一理論」を模索する過程で、マクロ(相対性理論)とミクロ(量子力学)を融合させる際に、数学的に破綻のないような数式を編み出そうとあれこれ試行錯誤を重ねた結果、生み出されて来たものです。
しかし、成立の過程はどうあれ、素粒子が形成される前段階に「振動するエネルギー」が存在するという考え方は、古代より「因の科学」が主張していたこととピタリ一致します。「因の科学」では、昔から、この全宇宙を構成している素はたった一つの「振動するエネルギー」である、ということを言って来ました。その「振動するエネルギー」が、ただ振動数と振幅を変えるだけで、宇宙の万物が出来上がっていると説くのです。
これほどシンプルな科学はないでしょう。すべてのものが一者に還元されていくのです。ですから、全部が一つで、一つに全部があると語って来たのです。これが「全一」つまり「Oneness」という意味合いです。ですから、この「一者」を仮に「神」と呼ぶとすれば、あなたは「神」の一部であり、あなたの中に「神」がいるということになるのです。また、大自然は「神」の表現物である、ということになります。これが、宗教を超えた、新しい神学です。
■「霊性密度」の階層を「振動数」で表す試みに挑戦
さて、この「波動の法則」の連載をするに当たって、私にはどうしても成し遂げたい一つの願望がありました。それは、宇宙の階層構造のモデルを、「振動数」を使って特定したいというものです。「霊界」を含めたこの宇宙が、階層構造で出来上がっているということはずっと以前から分かっていました。そして、これまでにいろいろなモデルが提示されて来ました。ところが、その分け方はみなバラバラで名称にも統一性がありませんでした。
これが、「霊界」の構造を理解するうえで大きな障壁となっていたために、私はこれをなんとか整理したいとずっと思い続けて来ました。また、巷でよく言われる「次元」が、数学で定義する「次元」とは別物で、正しくは、先に言った「振動するエネルギー」の振動数の違いのことを言っている、という初歩的な誤謬にも途中段階で気がつきました。実にこのことが、多くの人を長年にわたって困惑と戸惑いの中に放り込んで来た主原因だったのです。
数学で言う「次元」は、直交する座標軸の数のことを言い、整数によって規定されます。したがって、2.3次元とか3.5次元といったものは存在しません。しかし振動数は、幾何級数的に連続して変化していくものであるために、そのどこで線引きしてもよいことになります。このため、数多くの階層モデルが生み出されてきたのです。
こうした中で、私はモンロー研究所の「Focus」の概念にヒントを得て、試行錯誤の末『霊性密度図』と呼ぶ7×7の階層モデルを新たに提案しました。このモデルでは、「オクターブの法則」の階層構造を整理し、物質界から非物質界までがどのような位置関係にあるのか、またその中で「アセンション」とは何を意味しているのかを明らかにしました。そこに加えて、小宇宙である「人体のチャクラ」との関連性も解るようにしました。
*このモデルは今も改良を重ねているために、たくさんのバージョンが存在します。最新バージョンは下記を参照してください。
http://rainbow-school.info/study_hall/spiritual_density.html
しかし、宇宙の階層が「振動数」の違いによって出来上がっていると言いながらも、肝心の「振動数」が特定されていないことに、私は満足していませんでした。そこで、「仮説」としてでも、なんとか「振動数」を特定しておきたいという願望がその後もずっとあったのです。これはまだ誰もやっていない仕事です。そしてこのたび、ようやくのことでその目処が立ちました。
■ついに適った「振動数」による階層分類仮説
ヒントになったのは、大橋正雄さんの「宇宙の階層性構成図」と、シェルドン・グラショウさんの「ウロボロス図」です。
今日、グラショウさんが提案したこの「ウロボロス図」は、物理学を専攻する人たちの間で数多く引用されるまでになっています。しかし、自分の尻尾を噛んでいるこの蛇図は、「物質界」のマクロとミクロの融合という願望、ないし期待にまだ留まっている感じがするのです。おそらくこうだけれど、証明できたらいいなぁ、という感じで、やはりまだ「ビッグバン」説の証明という視点からは抜け出ていないように私は思うのです。
しかし、大橋正雄さんの「宇宙の階層性構成図」は、物質の大きさとともに、振動数を二軸の対数グラフ上にプロットしていって、それが一直線にきれいに並ぶということを示しました。これは大発見であり、宇宙の階層構造が相似形から成り立っている(私が言うところの「マトリョーシカの法則」)ということを示唆しています。そして、これと同じことを、イームズが『Powers of Ten(10のべき乗)』という映画にして見せた*のです。
*イームズがこの映画を創ったときには、まだ「素粒子」の発見はありませんでしたので、その後、次世代の作家による同様コンセプトのバージョンアップ版が創られています(いま探したんだけど見つからないよ〜(╥﹏╥))。なお、イームズはイームズと書いているのに、グラショウさんにさん付けしているのはご存命でおられるから。一方、大橋さんは故人ですが、親しみを感じるのでさん付けしています。
大橋さんが生きておられたころにはまだ「超弦理論」はなく、大橋さんは「虚子」という概念と言葉を提示されていました。「虚子」というのは、まだこの世に物質化されてはいないが、物質世界の向こう側(非物質界)にあって、「素粒子(実子)」の基になるものという意味です。つまり、今日仮説として提示されている「振動するひも」と同じ概念を、大橋さんはすでに提案されていたわけです。
グラショウさんの「ウロボロス図」には「相似形」の考え方までは見られませんが、大橋さんとイームズには、明らかに「相似形」の考え方が見て取れます。そしてこれは、古代より神秘学が示してきた「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし」を科学的視点から実証しようとしたものとなっているのです。そこには、紛れもなく美学があります。ピタゴラスも直観した「宇宙は、数学的にみてきっと美しいはずだ」という‥‥。
ということで、私もこれに倣って、大橋さんと同じ考え方のマップを作ってみようと思い立ちました。平面上に取った二軸は、横が振動数(Hz)で、縦が波長(cm)です。先ず、この平面に電磁波をプロットしていきます。電磁波は、波長と振動数がすでに分かっており、両者は反比例の関係にありますので、これを種類別に並べていくと、マップ上には直線が引かれます。この直線の延長上に、代表的な物質の大きさを配置すれば、振動数が求められると考えたのです。
次に、物質の波長をどう見なすかということですが、あらゆる物質が「渦」の回転運動をしているわけですから、1回転が正弦波の1波長に当たると考えて、「直径」の数値を充てました。この考えが果たしてよいのかどうかは判りませんが、対数マップに落とし込むと、べき乗の数値があまりにも巨大過ぎて、半径であろうが、直径であろうが、円周であろうがあまり関係なくなってしまうので、取り敢えず分かりやすく「直径」としました。
その上で、「第1霊性密度」は鉱物の領域ですから、銀河団あたりまでがその縁(へり)になるであろうと、また「第4霊性密度」は半霊半物質界ですから、素粒子の大きさの前後を含むことになるであろうと大まかな当たりをつけて、そのあいだを等間隔で割っていきました。そうしたところ、偶然にも(偶然ではないかも知れませんが)、振動数を10の10乗ごとに綺麗に7分割した構造が見えて来たのです。
また、そこにマッピングされた代表例を見てみますと、かなり納得がいく構成になっているように思えます。例えば、「第2霊性密度」には太陽と地球が入っていて、これらは植物を育てる基盤となっています。また「第3霊性密度」にはヒト(の身体)から体細胞、DNAあたりが入ってくるので、これにも納得がいきます。
「超ひも」は、理論的に導き出されたものですが、プランク長よりは小さいとされます。プランク長は1.616×10^−33cmですから、「超ひも」をそのあたりに配置すると、振動数は「第6霊性密度」内に位置します。つまり、「第一原因」である「第7霊性密度」から放たれた最初のエネルギー状態が「超ひも」に当たるのではないかと見当がつきます。
続く「第5霊性密度」には代表例が何もありませんが、この範囲は、素粒子の形成(物質化)以前の段階ですからそれも当然です。この領域は「霊性密度図」では「カラーナ界(コーザル界=原因界)」に相当し、「第4霊性密度」の「アストラル体」を形成する前駆の場ですからこれにも納得がいきます。
ということで、まったくの仮説に過ぎませんが、「霊性密度」の階層構造を振動数で表現したいという当初の願望は、取り敢えずこれで整理できました。あとは、これを基にして、のちの人がさらに精緻化ないし発展させていってくださるといいなぁ、と思っています。
また、この作業をしている際に、「なるほど!」というインスピレーションが追加で飛び込んできました。この平面のマップを、筒状にして極大と極小とをつないでみるのです。つまり、グラショウさんのアイデアを借用して立体に適用してみます。
すると、振動数の極大と極小が「第7霊性密度」、つまり「創造神」の領域に入り込んでいってつながるという理由を発見できたのです。
すなわち、「第1霊性密度」の外側に出ると、振動数は限りなくゼロに近づき、波形はフラットになっていってしまいます。一方、「第6霊性密度」の外側に出ると、振動数は逆にほぼ無限大となり、こちらの波形も、細かすぎるがゆえにフラットになってしまうのです。こうして両者は一つにつながる。「霊界」は、時空間のない異次元世界(「超弦理論」では9次元が想定されている)ですから、このような相転移が起こったとしても何の不思議もありません。
そして、このこともまた、古代より伝えられてきた神秘学がすでに語っていたことなのです。「因の科学」では、かねてより、極大を行き着くと極小側に抜ける、また逆に極小を行き着くと極大側に抜けるということが言われて来ました。その理由が、ここに朧げながら見えて来たのです。
このようにして、古代から伝わる神秘学と、最新の物理学がかなり接近するところまで、時代は進化して来ました。このまま進化を続け、いつの日か、「物理」と「霊理」の世界が、完全に一体のものとして語られる日が訪ずれることを願ってやみません。
(つづく、たぶん次回で最終回)