地球人類はいま大転換期の最中にいます。様々な時期に、様々なところで予言されて来た「地球の大変革」というものが、いま正にLIVE瓩膿聞圓靴討い襦私たちは、それを、同時に観て体験しているのです。
使い古された「浄化」や「覚醒」という言葉にはいささか食傷気味かも知れませんが、今回ばかりは、それが本当に当てはまる。この大変革には、表面上に現れている事件や事象の裏に隠れて、「霊的な意味」が重って同時に進行しています。いえ、もっと正確に言えば、霊的な世界での大転換が起きた結果、地上世界においても未曾有の大変革が起きているのです。
本ブログに付き合ってきてくださったみなさんには、すでに全体構造が見えていると思いますので、簡単に言いますが、いま表面で起きている事象をひとことで言えば、ディープステートの「新世界秩序(New World Order)」の計画が頓挫したということです。
しかし、ここには大いなる皮肉があって、ディープステートが構想した「新世界秩序」(実際には秩序ではなく「破壊」なのですが)はなるほど頓挫したのですが、その「破壊」行為によって、別の形での「新世界秩序」がこれから誕生することになるということです。喩えて言うと、シロアリが食い荒らした家を、ここできれいさっぱりスクラップすることによって、やっと真新しい家を一からビルドできるようになったのです。
メチャクチャになって壊れていく世界と、人々の悲惨を毎日目にするなかで、「いったい、こいつは何を言っているのだろう?」といぶかしく思われるかも知れません。が、湿疹がいちどきにワーっと広がったり、激しい嘔吐や下痢をしたときと同じです。その時には「病気かな?」と意気消沈してしまうのですが、実態は、毒素を排出する「浄化」が行われているのです。これが、裏に隠れた「霊的な意味」です。
つまり、すべては「神」のご計画の範囲内だったということ。ディープステートたちよりも、またそれを操っている「闇」の連中や「魔」の存在たちよりも、「神」のほうが一枚うわ手、いやずっとずっと、ずーーーーっと遥かにうわ手だったということです。所詮は逆らえない。逆らえないのに逆らおうとする者の末路を、私たちはいま目撃し、一緒に体験しているのです。
宇宙中が、「地球の大変革」に注目をしているということの意味が、
たったいま解りました。
こんな体験は、いかに宇宙広しと言えども、滅多にないということ。
物質界でそれを体験できるだなんてネ。
だから、みなさんもよ〜く見て、充分に学習するんですよー。
しかし、前々から懸念していたことが、(ああ、やっぱりそうなるのか)というのを見せられるたび、いささか悲しく、そして残念な気持ちにもなってしまいます。一個人としても、集団としても、また国家としても、「宇宙の法則」が厳然として働いているということの結果を、このようにハッキリと示される時代が来るとは思ってもみませんでした。
みな、なるべくしてそうなっている。パンデミックの嘘や、金融システムの裏を暴くことに情熱を傾けていた人たち。それはそれで、その時点では意義あるものでしたが、そのベースに「愛」があるかどうかが、その後を分けてしまいましたネ。暴くための「暴く」、立場を一方に置いた上での「暴く」は、みな内紛と自己崩壊への道を歩んでいます。結局、「分断」に与(くみ)した者は、その「分断」の果実を自らが受け取ることになるのです。
宇宙の永遠からすれば、ニムロドの栄華と消滅などは、ほんの瞬きをする間のことに過ぎないのでしょうけれど、地球の時間では計り知れないほどの時が過ぎ、幾千万もの世代交代の中で、悲嘆と苦悩と怒りと、そしてちょっぴりの喜びが重ねられて来ました。その間、ずっと変わらなかった人類の支配構造が、いまこれから「大変革」しようとしているのです。
宇宙の最高神であるゼウスが、地上最初の女性であるパンドラに猗↓瓩鯏呂掘崟簑个乏けてはならない」と言った。でもパンドラは、《好奇心》から猗↓瓩魍けてしまった。すると、猗↓瓩涼罎らありとあらゆる不幸や災いが飛び出してきて、たちまち地上世界を席巻した。
でも、なぜゼウスは「絶対に開けてはならない」という猗↓瓩髻△錣兇錣驚肋綺能蕕僚性(つまり人類)に手渡したのでしょうか? そんな災いが詰まった猗↓瓩覆鼻∈能蕕ら渡さなければよいではないですか。神様って意地悪ぅ〜。そう思いません? 実はこれには、よく言われる問い「神は全能だと言われているのに、なぜ地上に悪がはびこっているのか?」ということの答えが明示されています。
もちろん「神」は、人間が蓋を開けてしまうことを最初から想定して猗↓瓩鯏呂靴泙靴拭それ以前に、《好奇心》というものを人間に賦与していたからです。それが、つまりは「自由意志」です。早い話、「神」は人間に、「悪」に染まる「自由」を許したのです。当然、「悪」に染まる喜びと同時に、 人間はその反作用としての苦悩や災難や悲嘆にも触れなければならなくなりました。しかし、それを乗り越えていくこともまた「自由意志」とされたのです。
そして、これまで長いこと蓋をされ、隠されて来たあらゆる「悪」が、ここで一挙に表に飛び出して来た。 金融という詐欺システム、政府の腐敗、メディアの嘘、教育と娯楽による洗脳、国連という茶番、医療のマッチポンプ、戦争、暗殺、人身売買、幼児誘拐、小児性愛、臓器売買、麻薬カルテル、etc. その恐るべき残虐性と非道。まさに、ここまでやるのか、というところを日々見せつけられ、胸が痛みます。
ですが、 少し離れて、宇宙的観点から眺めてみれば、いま起きていることのすべては、個々の人間の「心」のあり方が、縷々(るる)集まってそのような世界というものを形作っているということが見えるのではないでしょうか。視点を、地上の細々とした現象に向けて置いていると、世の様相は複雑怪奇に見えますが、単純化してしまえば、地上を生きる人間たちの、いまの「心」のあり方と動きの集合体でしかないのです。
さて、先の「パンドラの箱」の神話の先を、みなさんもよくご存知でしょう。「あ、いけない!」と思ったパンドラは、慌てて蓋を閉じたのですが、時すでに遅し。あらゆる不幸や災いが世に放たれてしまった。でもその結果、箱の中には「希望」だけが残ったのです。さあ、「パンドラの箱」の蓋を、再び開ける時が来ましたよ。もう「希望」しか残っていないのです。その「希望」を、世に解き放ちましょう。
新世界の夜明けは日本から始まる。以前に、そのような予言を目にしたことがあります。それがなんであったかは思い出せないのですが、たしか複数あったと記憶しています。そのときには「へぇ、そう?」と思う程度で、あまりピンと来てはいませんでした。
かつては「Japan as Number One」と言われた時代もあったのですが、小泉改革以降の日本はおかしな方向にどんどん入り込み、安倍政権になってからは貧富の極端な差が生まれ、人心も荒廃していきました。そのような過程をずっと見ていたものですから、新しい世界の夜明けが日本から始まる、とはとても思えなかったのです。
しかしここにきて、少し考えが変わりました。それはひょっとしてあり得るかも?と思いますし、またそうしなければならない、とも思うようになったのです。なぜかと言いますと、今の日本は確かに「西側」に所属し、ディープステートの言いなりになっている国ではあるのですが、それは政府の中枢が腐敗しているということだけであって、一般の人々の心の中には、それとはまったく違った伝統的なよき価値観が、今も変わらず生き続けているように思うのです。
そのことに気づいたのは、コロナ明けのインバウンドブームで日本に来た外国人が、人種国籍を問わずみな共通の感想を述べることに、ちょっと意外な驚きを感じたからです。治安がよい、礼儀正しい、みんな親切、配慮が行き届いている、ゴミ箱がないのに街がきれい、清潔、静か、公共交通システムが優れている、人々がルールを守る、職人技がすごい、何を食べても美味しい、神社仏閣の中に流れる清涼な空気感、etc.
外国から来る人々がみな揃って共通の感想を述べるということの背景には、当然 SNS の影響というものがあるのでしょう。しかしその奥には、 日本という地場が醸し出している唯一無二の雰囲気に、日本を訪れた世界中の人々が多大の感銘を受けているということです。 日本では当たり前のことが、日本以外の国では少しもそうではない。そこに、今の世界人民に共通した願望や、潜在的な希求が顕れているように思うのです。
一昔前には、外国人からはよく、日本人の宗教観というものが解らない、と半ば軽蔑的に言われていました。正月には神社へ行き、チャペルで結婚式を挙げ、葬式は仏教。クリスマスにはケンタッキー・フライドチキンを食べて、春のお彼岸にはぼた餅も食べる。いったい、そりゃなんだ?というわけです。外国人からしてみたら「信仰」の姿というものが見えないのです。あのなぁ、入国審査の用紙には、眼の色と宗教は必ず書くもんなんだぞ、と。
ところが、それが劇的に変わった。日本人の無宗教の奥には、 自然を崇拝する気持ち、自然との一体感を尊ぶ気持ちがある。ということがだんだんと知られるようになってきた。結局、 日本人が持つ美意識や、おもてなし精神や、礼儀や、秩序に対する考え方や、職人気質などは、みなそれより発しているということが、旅行を通じてなんとなく理解されて来たのではないでしょうか。
なぜそう思うかと言いますと、大航海時代以降、長きに渡って世界を支配下に治めて来た西洋文明には、そのような観点がないからです。まったくないとまでは言いませんが、自然のどこにでも「神」が宿っているという感覚は薄い。「神」は、自然界とは別のところにおられる存在であり、人間は「神」とは契約の関係を結んでいるのであり、よって人間には地上の自然界を支配する権限が「神」より与えられている、という考えですから。
しかしその結果として、一神教を掲げる宗教同士が反目し、果ては殺し合いの戦争を繰り広げているのですから何をか言わんや。本来であれば、「一神」と言っているわけですから、全部が一つにならなければ論理としては矛盾です。ところが、その矛盾にすら気がついていません。これが、「宗教」と「信仰」というものの恐ろしいところです。
西洋の一神教は「一神教」とは言っておりますが、実体は善悪二元論の「二元教」であって、自分たちのみが「善」、それ以外は「悪」というレッテル貼りを簡単にしてしまう。そして、宗教的「正義」において、「悪」は殲滅してもよい、いや必ずや殲滅しなければならない、と考えるのです。まったくもって、このような粗暴な狂信が西洋社会をずっと席巻して来たのですから、まともな神経を持った人たちはもうウンザリしていることでしょう。
そういう中で、日本に興味を持った人たちが旅行にやってきて、ある真髄に触れたと思うのです。「あれ? こっちのほうがもしかして正解なんじゃない?」と。なぜなら、表面に見えているものは、みな精神の繁栄ですから、いま接しているものが心地よいと感じたときには、その裏にある精神にまさに触れたということなのです。日本を訪れる外国人が、こぞって称賛の声を上げていることの背景には、彼らの内面で、脱・西洋文明への予感と、願望がふつふつと沸き立って来ているのではないでしょうか?
もちろんそれは、世界人口から見ればほんの一握りの人たちです。しかし、「波動の法則」は〈類は友を呼ぶ〉ということを教えてくれています。いまは小さくとも、萌芽は萌芽です。光はますます強く当たっている。やがて芽が大きく育つときが来ます、必ず来る。なんと言っても日の本です。新しい世界の夜明けは、日本からと、きっとなるのではないでしょうか。みなさんも、その日のために心しておいてください。
とは言え、「覚醒」は一気には進まない。人々が「Oneness」を当たり前のこととして受け入れるようになるまでには、まだまだ相当の年月が必要となるでしょう。
現実的なシナリオとしては、その前段階として「宗教間の和解」というものが、果たして実現できるのかどうかということ。宗教は、その土地の文化と深く結びついていますので、一挙に葬り去ることなんてことはとてもできません。特に、中東とアメリカにおいては。プーチンさんとトランプさんは、その「和合」をなんとか果たそうと、いま水面下で必死の努力を重ねている。
Religious harmony is achieved now.
という日がもし来るのであれば、それはそれでいい。
う〜ん、でも‥‥
私としては、一気に「Oneness」に目覚めて欲しいのですが‥‥。
ハッキリ言いましょう。ディープステートのいつものやり口の「原型」というものは、ぜんぶキリスト教が作ったのです。キリスト教はイエス・キリストが創始した宗教ではありません。イエスは宗教などは作りませんでした。豪華な衣装も着ませんでしたし、壮麗な神殿も造りませんでした。それらはみな後の人々が作ったのです。
紀元325年に開かれた第1回「ニカイア公会議」を手始めに、数回の公会議を重ねる中で、三位一体論や、イエスを唯一の神の子とすることや、贖罪の概念、聖書などが決められていったのです。
この創始は、コンスタンティヌス1世(ローマ帝国の皇帝、在位:306 - 337年)の権力的野望より生じました。コンスタンティヌスは、ローマ皇帝として初めてキリスト教に帰依した人物というような言われ方をしていますが、そうではなく、自分の権力のためにキリスト教を利用したのです。この最初の皇帝が、もしもコンスタンティヌスではなくアウレリウス*であったなら、というのが事情を知る者たちの共通した嘆きです。
*マルクス・アウレリウス・アントニヌス(Marcus Aurelius Antoninus、121 - 180年)は、第16代ローマ皇帝で「五賢帝」最後の一人。アウレリウスは単に学識に長けていたということではなく「宇宙の真理」を知っていた人。アウレリウスの著した『自省録』は、今日となるもまったく古びてはおらず、普遍の「真理」の一端を伝えてくれています。
コンスタンティヌスは、最初の「ニカイア公会議」において、「イエス人間説」を唱えているアリウス派を謀略によって排斥してしまいます。アリウス派は数の上では絶対的多数だったのですが、それらを議場から追放し残りの者たちのみで満場一致の採決を行ったのです。つまりは不正投票です。そして、イエスを「神」に準ずる存在に祀りあげ、聖職位階制組織(ヒエラルキー)と教会の権威というものに一般大衆が隷属する構造を作り上げたのです。その後、改竄(ざん)した「聖書」の制定なども行われていきました。
こうしてローマ・カトリック教というものが成立していくのですが、「カトリック(Catholic)」という言葉は、もともとはギリシャ語の「Καθολικός」から来ていて、この語は「普遍的」という意味を持ちます。つまり、すべての民が帰依すべき宗教というわけで、当時のローマ帝国の支配力と強烈な思い上がりがその語に表われているのが解るでしょう。
このような「陰謀(Conspiracy)」を出発点として、やがて宗教上の儀式はもとより、法律、財政、学問、芸術等々、あらゆる面がローマ教会の統治政策によって支配されるようになっていったのです。中世の封建制度は、まさにローマ・カトリック教会の支配機構に他なりませんでした。
そして、この絶対的な権力のもとに、またそれを維持するために、権力基盤を揺るがすような芽は、徹底して摘み取られて行ったのです。異端審問や魔女裁判は、今日で言う「Fact Check」です。このチェックに引っ掛かった者は生きたまま火炙りにされ、カタリ派に対しては根絶やしにするまでの虐殺が行われました。しかしこうしたことは、すべて闇に隠されて来たのです。
大航海時代には、勢力の拡張と海外資源の強奪が組織的に行われました。「イエズス会」は今日で言うところの「CIA」、「騎士団」は「占領軍」といった役割に当たり、こうした組織が表とは違う顔を持って裏で暗躍していたのです。これらはみな、今とまったく同じように、「正義」の名のもとに、また聖なる宗教の普及という「慈善活動」の美名のもとに推進されました。
このように、キリスト教の裏面史には、不正投票、文書改竄、洗脳、偽善、謀略、諜報活動、傀儡政府の樹立、真実の隠蔽、偽旗作戦、軍事侵攻、略奪、敵対者の暗殺、大量虐殺、と今日ディープステートが行っているあらゆる形式が、すでに出尽くしているのです。
これが何を意味しているかと言いますと、悪事を為す人間の本性と行動というものは、いつの時代にあっても変わらないということです。そして、それには理由があります。悪人たちの総元締めが、霊界にいる「ルシファー(Lucifer)」だからです。「ルシファー」が、地上で働いてくれる人間をリクルートして育成し、思い通りに操っているのです。
結局、悪人というものは、「ルシファー」に捕まってしまった人間だと言えます。が、ここにも〈類は友を呼ぶ〉「波動の法則」というものがしっかりと働いているのです。
ここで「ルシファー」について言っておきましょう。「ルシファー」は〈堕天使〉と称されるのですが、この名の通り、本来であれば「天使クラス」に相当する「魂」が、「光」の道へ進むことを途中で止めてしまい、反対方向の「闇」側へと堕ちて来た存在です。
同様の存在を暗示した言葉に「サタン(Satan)」というのがあるのですが、私はこの言葉は好きではありません。「サタン=悪魔」と言ってしまうと、最初からそういう存在がいるという印象を与えてしまいますし、「善悪二元論」の対立を煽ることにもなってしまいます。結局これも、キリスト教が創作した真実の歪曲です。自分たちに都合のよい世界観を信者に植え付けて、恐怖心を煽るための。
詐欺師の手口というのは、7割、8割は本当のことを言って、残りの2割、3割に嘘を混ぜ込んで、全体をひっくり返すのです。「サタン」という存在が最初からいたわけではありません。もしそうだとすると、その「サタン」は誰が創造したのかということになって、創造主(神)との関係において矛盾が生じてしまいます。そうではなく、〈堕天使〉はやはり〈堕天使〉なのです。
しかし、この「堕ちた」 というのは、「光」の側からの見方であって、その「魂」からしてみたら、途中で踵を返して、逆方向に進むことを〈自発的に〉選択したということに過ぎません。要は、(下降ではなく)「闇」の山を上昇しようと決心したということなのです。そんなバカな話があるか!と思うでしょう? いや、いっぱいありますよ、地上でもネ。覚醒剤をやって捕まって、更生施設に入ってもういいかかなぁと思うところまで来たら、あら、またやってしまったというようなこととか。
それほど「悪」への道は魅力的だということです。霊界というところは、振動数別に細かく分かれた界層構造になっていて、死んで霊界に渡っても、「魂」はこの界層構造の中で、引き続き霊性向上の旅を続けます。天使クラスは「霊性密度図」の中では第五霊性密度に当たりますが、この領域の中も細かく分かれていて、大天使から天使見習いまでがいる。その時に、界層を一つ上がるごとに、霊性(霊格)と霊能が洗練され上昇していくのです。
さて、そうした中で、ある時期にちょっとした手違いが生じてしまいました*。霊性と霊能がバランスよく発達せずに、霊性の発達が途中で滞ってしまうという「魂」が出現したのです。霊能の力は充分に備わっているのだけれども、その力に相応しい霊性が伴っていない。 結局、その「魂」は、踵を返してこの界層を反対方向に進む決心をしたのです。
*現在はこうしたことがもう起きないように是正されているということです。が、その時期に生じた手違いの影響というものがいまだに残っており「ルシファー」として今も地上に影響を与えているのです。
なぜ?と思うかも知れませんが、昇るよりは降りるほうが遥かに楽ですからね。それに、自分がいまいる場所よりも上の界層のことは未知ですが、下の界層のことは既知です。結局、忍耐が続かずに、上の存在たちを恨めしく思ったのです。まぁ、一種のヤンチャ坊主というか、跳ねっ返りというか、そんな存在だったのでしょう。ところが、「霊能」は天使クラスのものを持っていますので、地上近くに降りてからは様々な悪事を働きかける存在となったのです。
そして前回にも言いましたが、一度「闇」の道に入ってしまったら、「光」の論理を徹底的に否定し続けなければならなくなってしまいます。途中で踵を返したことは、たとえほんの出来心だったとしても、反逆した者は反逆の「刈り取り」をいずれは必ず受けねばならなくなるのです。それが宇宙の普遍的法則です。
ですから、悪事も軽めのうちで止めて、早めに改心すればよいものを、それが出来ないのです。一度でも改悛の情などを起こしたら、その瞬間から、後悔や辛さと真正面から向き合わなければならなくなる。そこで、悪の極みをとことんまで追求して、なにがなんでも自分が勝利者であるということを示さなければならない、と考えたのです。これが、信じられないほどの「残虐性」をもたらしました。
さて、それを知ったところで、みなさんの中には、なぜ本当の天使がやって来て「ルシファー」を退治してくれないのか?と疑問に思った方もいらっしゃるでしょう。当然の疑問です。
しかしこれは、「波動の法則」により出来ないのです。天使が地上近くにまで降りるためには、自身の「波動」を地上界に適応したレベルにまで下げなければなりません。これはかなり危険な賭けであり、 エネルギーの消耗も激しいために、よほどの任務(Mission)がなければ行われることはありません。それに、地上の人間が、自ら解決しなければならないことには、原則「不介入」の方針が徹底されているのです。
ここに来て、政府、金融、医療、軍事、法曹、教育、エンターテイメント、エネルギー等々、あらゆる産業が、長年に渡って「闇」のグループに牛耳られて来ていたのだ、ということに目覚めた人たちがだいぶ増えてきました。今回、このタイミングでキリスト教の裏面史に触れたわけは、「宗教」もその一つであり、全部の原型は、実はキリスト教の成立の中にあったということをお知らせしておきたかったのです。
これは、実に大きな視点の転換を要します。このことを受け入れるのは、クリスチャンはもとより、信仰者全員にとって困難なことでしょう。けれども、これをもってキリスト教に刃を向けたりはしないでください。以前にも言ったと思いますが、「宗教」から入って「アセンション」に向かうという道もあるのです。どんな宗教にも「真理」のエッセンスは多少は含まれています。要は、形式ではなく本質が重要であるということ。そこをくれぐれも取り違えないでください。
そして、これも以前に述べたことですが、人類の「覚醒」は二段階で進みます。一段階めは、自分が社会の奴隷になって操られていたということに気づくこと。そして二段階めは、自分が身体だけの存在ではないと気づくこと。自分の本質は「魂」にあるのであって、身体は単なる乗り物に過ぎないということを〈実感として〉理解することです。
この二段階めを達成するためには、「宗教」に埋没したままでは不可能なのです。「宗教」を超えなければなりません。第一段階めの「覚醒」を得たとき、みなさんは、社会が提示してきたハシゴ段を登ることに、もうあくせくする必要はないのだと気づきます。しかも、その「気づき」に強制リセットされる瞬間が迫っている。今まで散々「世間に合わせろ、合わせろ」と言われ続けて来たのに、その「世間」が総崩れしていく過程を今あなたは見ているのです。
さて、そのハシゴを下りたときに、別のハシゴがあなたの目の前に見えるかどうかです。あなたの内なる向上心は一体どこへ向かうのか? それは、もはや「宗教」ではありません。あなたが向かう先は「真理」です。古代から変わらぬ、そして普遍的な「宇宙の真理」に直に向かうことになる。ローマ帝国が為政のために成立させた宗教に「キリスト」の名を冠した。それは「キリスト」概念の乗っ取りであり、「ルシファー」の「キリスト」への反抗だったのです。
それを、元の正常なものに戻す仕事が、今あなたに与えられました。双魚宮の時代は二元対立の「宗教」の時代でした。しかし宝瓶宮の時代になったとき、瓶の中にある「真理」が直接あなたがた一人ひとりに注がれるようになるのです。
さあ、ここで、視点を宇宙にまで引き上げて地球を眺めて見てください。地上では、今これらの大変革をめぐってすったもんだが続いています。しかし宇宙から見れば、地上での個々の出来事などは、みなどうでもよいことばかりなのです。そう見えませんか?
騙す人と騙される人がいて、支配する人と支配される人がいる。 悪事を為そうとする人と、善に生きようとする人がいる。独り占めしようとする人と、分かち合おうとする人がいる。すべては相対的問題で、「絶対」などという人間は一人もおりません。宇宙から見えるものは、人々のこうした心の動きであり、意識の変化なのです。
あなたたちの行動を決めているのは、 突き詰めれば、心の動きであり、心の動きを決めているのは、あなたたちの現在の「魂」のあり方、つまりは「霊性」の成長具合です。そのことを強く自覚してください。
中東とアメリカは、宗教に深く汚染(あえて汚染と言いますが)された地域であり、「正義」の「戦い」をしなければどうにも気がすまないという人たちでいまだ溢れかえっています。よって、一足飛びに「浄化」が起こるということは期待できません。
けれども、みなさんにはその一歩先を見越して、新しい時代の息吹を、周囲に、特に外国に今から放射していってほしいのです。日本人が持っている特性に自信を持ってください。あなたの優しさ、あなたの親切、あなたの思いやり、あなたの心配り、あなたの笑顔を、周囲にふりまいてください。そして、それを世界中に届けましょう。日本は日出(いず)る国です。
新世界の夜明けは日本から。みなの心を一つにして、必ずやそれを成し遂げましょう。