前回のメッセージを投稿した翌日、タッカー・カールソンさんによるロシアのプーチン大統領へのインタビューが電撃的に行われ、すぐさまX畩紊埜開されました。そして公開からわずか1日で、1億5000万回もの再生を記録しました。その直後には、いろんな国で翻訳字幕を入れたバージョンもアップされているでしょうから、世界中でこのインタビューを見た人はおそらく相当な人数に上ったと思われます。これは、これまでの主流メディアではあり得ないことです。
ということで、緞帳がせり上がり、ついにトップスターがその顔を見せたというわけです。内容的にはカールソンさんの突っ込みが甘く、どれも既知の情報ばかりでしたが、それでも「西側」の一般人の眼にプーチンさんの素顔と肉声が直接届いたということには大きな意義があったと思います。類い稀なる知性、洞察力、忍耐力、言葉の慎重な選び方、そしてユーモアのセンスを観た人の多くが感じ取ったことでしょう。
カールソンさんはスーパーでの自分の買い物風景などもアップしており、「西側」の行ったロシア制裁というものが、庶民生活にまったく影響を与えていないことも伝えています。また、アメリカと比較して、治安がよいとか、落書きがないとか、ホームレスがいないといったこともレポートしており、米露の現状の落差と、西側のメディア報道がまったくの虚偽であるということを強く印象づけました。
カールソンさんはアメリカ国内でとても人気が高く、影響力も大きいので、多くの人々の眼を覚まさせる効果があったことでしょう。
それにしても、今回のカールソンさんのインタビュー事件は、これまで我々が認識してきた爛瓮妊ア瓩箸いΔ發里僚焉を決定づけてしまったと思います。すなわち、大手メディアは流通機構としてもう不要だということと、主流メディアが管理する記者の取材と、編集された記事(つまりある意図への誘導)にはもう価値がないということです。たった一人の情熱家が、それをあっさりと凌駕してしまうということが証明されたのです。
結局、「主流メディア(MSM)」などは、捏造情報による大衆操作機関でしかないということがもうバレバレになってしまった。メディアに所属する人に、せめて〈ジャーナリズムの本質とは何か〉ということを追求する姿勢があれば、コンテンツ部門だけでも生き残れたかも知れませんが、それが嘘八百というのではまったく価値がありません。主流メディアは、その形式とともに遠からず消滅して行ってしまうことでしょう。
さて、こうして世界情勢の真実が一般の人々の耳目にも届くところとなったのですが、それでもまだまだ個々人の認識の温度差が大き過ぎて、みなバラバラで、総体としての人類の波動が上向くというところまでは至っていません。そもそも関心の差もありますし、洗脳度合いと解錠度合いの差もありますし、理解度の差もあるためです。結局それが、地球人類の(現在の)多様性ということであって、人類はこの段階を、これから乗り越えていかなければならないのです。
目指すところは、人類全体の「霊性の向上」です。
ですが、そのためには、
…彰僂鯔瓩ということに加えて、
智恵を発達させる(賢くなる)ということと、
N邀Δ亡悗垢覺靄榲な知識を学ぶということが、
共にバランスよく身につけられていく必要があるのです。
もしも、現在の人類に直観と賢さが備わっていたとしたら、プランデミックの悲劇などは絶対に起こらなかったはずです。そして、もしも霊界に関する基本的な知識があれば、騙す人間なども現れなかったはずです。
このことは、人類全体としての課題であるばかりでなく、個々人にとっての課題でもあります。この機会にご自分を振り返ってみて、直観、智恵、霊界の知識のどれがどのていど自分に欠けているのか、そして課題はどこにあるかを考察してみてください。
しかし、すでに賽は投げられました。後悔したところで今さらどうなるものでもありません。人類は、いま挙げた「課題」を、このタイミングで示された大いなるギフトと捉えて、次の段階に駒を進めていかなくてはなりません。
先ずもって、「沸く珍」被害に遭われた方は、デトックスの対処をいの一番にしてください。今度の「沸く珍」は、遺伝子操作とナノテクを利用した生物兵器であって、一般のお医者さんには対処ができません。お医者さんはそうしたことを何も知らないのです。以前にもお伝えしたことがありますが、これについては RK さんが日本でいちばんの情報量と経験値を持っておられます。この方の動画で知見を広げて、適切な対処をなさってください。
加えて言うと、物には物の理があるのですが、身体は必ずしも物理法則だけで動いているのではありません。身体を動かしているものは心であり、その心を動かしているものはその人の本体であるところの「魂」なのです。ですから、その理屈が解れば、身体の健康維持には、別のルートからのアプローチもあるということがお解りいただけるでしょう。むしろ、こちらのほうが主なのです。ということで、両面作戦を採用してください。
悲観したり、後悔したり、絶望したり、恨みに思ったりするのはよくありません。起きたことは起きたこととして受け留めて、それを「チャン、チャン!」と実際に口に出して区切りをつけ、きれいさっぱり水に流してしまいましょう。そして、自分の気持ちをポジティブなものに切り替えて、新しい創造に向かうのだと決意して立ち向かうことです。
これが何より大事なのです。みなさんは、何かというと直ぐに生死のことを考えてこればかりを話題にしますが、生死など、霊的には回転ドアをくぐる所作でしかありません。何度も言うように、大事なのは「生き方」と「死に方」なのです。それを、どのような心持ちの中で経験していくかということが、地球学校における「魂」の学習なのです。ですから、この未曾有の機会に、最高の学習成果を持ち帰ろうじゃありませんか。
現在、地球上で起きている激動は、これまでの「時代の変化」といったものとは根本的に違う性質のものです。みなさんの眼には同じように映るかも知れませんが、そんな悠長なものではありません。先ず、地球勢力圏の「波動のベース」全体が上昇しています。次に、変化のスピードが幾何級数的に上がっている。その結果、隠されていた悪事が次から次へと炙り出される事態となっています。さらに、いま言った理由から、そのツケは今世中に払わなくてはならなくなったのです。
自分が為したことは自分に還る。このことは宇宙の基本原理として何度も申し上げて来ました。しかしこれまでは、悪事を為したとしても、その反作用が、必ずしもその人が生きているうちに回って来るとは限らなかったのです。そのため、地上では悪人が栄えるという歴史がずっと続いて来ました。宇宙の法則は絶対です。因果応報というものは確実に存在したのですけれども、それがカルマとして来世にまで持ち越されたりしたものですから、素人目(?)には分かりにくかったのです。
ところが今回は違う。今世で為した悪事は今世中に清算するハメになったというだけではなく、過去世に積んできたカルマもここで一挙に清算ということになった。どっヒャー‼︎ つまり、決算棚卸しだけではなく、閉店在庫一掃大処分市になったというわけです。悪人たちにとっては、これは非常に辛い、耐え難い事態に思えるかも知れません。しかし逆なんですよ、出血大サービスになっている。なぜなら、生きているうちに反省の機会というものが得られるのですから。
生きているうちに反省できる。これは、なかなかどうして凄いことなんですよ。霊界に行ってからでは反省もしづらいからです。なぜかと言いますと、「霊界」というところは、霊性の高さに応じた厳然たる界層分けがなされた世界だから。これは、X線とガンマ線が区別されるのと同じく、その「魂」の〈ベースの振動数〉が異なるためです。そうしますと、悪人たちは、同じ振動数を持つ悪人たち同士が集まった世界を創ってしまうのです。
例えば、盗み癖がどうしても抜けないという男がいたとしましょう。この男は、死ぬと、自分が収るべき場所に収まります。すると、周囲の者もみな盗人ばかりなのです。結果として、互いに物を盗み合うという関係を延々と続けることになってしまう。物を盗むと言っても、実際には「物」はないのですから、盗んでも盗んでも家の中に溜まっていかない。「あれ、変だな?」と思っても「盗みたい」という衝動だけでずーっと動き続けている。それで別に警察に捕まることもありませんから、反省のしようがないのです。
結局、いい加減に飽きが来て「助けてくれ〜」という気になるまでは、100年でも200年でもその生活をし続けるということになってしまいます。余談ですが、「自殺はしないほうがいいよ」と言う理由の一つはそこにあります。自殺をすると、そこに至った気持ちというものが死後もずーっと継続してしまうからなのです。死んでハイ終わり!とはいかないのですよ。
しかし長い目で見れば、どんな「魂」にも救済の道が開かれていますし、いつかは最上階にまで到達できるのです。
地球という惑星の一大特徴は、「霊性」の高さに違いのある「魂」が、同じ一つの地表に住んでいるということです。「霊界」ではそれはありません。地上は、いわばごった煮の世界なのです。そのため、地上では必然的に「霊性」の上下間で軋轢が生じます。これは心地よいものではなく、難儀で辛いものです。しかし人々は、その背景にある理由を知りません。そのため、地表では際限なく闘争を繰り返すのです。
「霊界」とは違ってまったく理不尽な世界ではありますが、このようにして多大の負荷が掛かるからこそ、様々な体験が出来るのですし、大いなる学習成果も得られるのです。
今の世界のあり様を見ていて、きっとあなた方は「こんな残酷なことがなんで出来るのだろう?」「どうしてこんな人間がいるのだろう?」「なぜ人間は争い続けるのだろう?」といった、余りの理不尽さに戸惑い、憤りを感じていることでしょう。「いったい狄性瓩呂匹海傍錣襪鵑澄」と悪態をつきたくなることもあるでしょう。しかしこの機会にこそ、いま進行中の事態を俯瞰して(それも遠く、眼を宇宙空間にまで引き上げて)地上を観察してみて欲しいのです。
地上には、様々な人間が闊歩しています。その中には、「霊性」の高い人も、低い人も一緒になって混じり合っているのです。この高低差というものが、意識のどういうところに表れるかという話は以前にしましたね。分離と統合です。その人の意識が、物質的なものや分離的な方向へ傾いたときには「霊性(波動)」が下がり、純粋精神的なものや統合へ向かったときには「霊性(波動)」が向上していくのです。
一人の人物の、今の「霊性」がどのあたりの位置にあるかは、二つの要素によって決まります。一つは、その「魂」のベースの「霊性」の高さです。そしてもう一つは、その時々における「意識」のアップダウンです。ベースの「霊性」の高さは、過去世までの学習体験によってほぼ決まっています。人間が生まれながらにしてみな性格が違うのは、過去世で積み上げた性格を引き摺っているためです。この中には「霊性」の高さの要素が多分に含まれています。
しかし、普通の人には「波動」を知覚できないのと同様に、「霊性」の高さというものも明確には嗅ぎ分けられません。でも、なんとなくは分かるのです。人が「人間性」と呼んでいるものがそれで、「人間性」というのは「霊性」の地上での顕れ方を指しているのです。しかし、その点に注目している人はほんの僅かしかいません。多くの人は、権威や肩書き、金持ちであるかどうか、容姿、体格、などを人物評価の基準にしています。
このようなわけですから、これまでの人間世界のあり様も、致し方のない面があったのです。それが、一気に大変革の時を迎えたのです。この変革は、DS の悪人たちを順に捕らえて処刑するという展開で進んでいます。ベースにあるのは「善悪二元論」です。「他に方法がなかったのかなぁ?」と思うのですが、エリザベス・ハイチも『イニシエーション』の中でそうなることを予言していましたので、やはりそれが運命ということだったのでしょう。
しかし、処刑して「ハイ、それで終わり」ではなく、なぜそのような地上世界が出来上がっていたかを振り返って、ちゃんと分析してみることが大切です。なんと言っても、人は、人間である以前に霊的な存在なのですからね。ですから、霊的意味を考えてみなければ、本当のことは解りません。今は「善悪二元論」で取り敢えずのカタをつけようとしていますが、人類は、遠からず「善悪二元論」を超えていかなければならないのです。
地上に見えるごった煮の世界。地球という惑星は、そもそもが「霊性」の低い「魂」の受け入れ先としてありました。フレデリック・マイヤースによれば、地球よりも程度の低い星はあと一つしかないと言います(ꏿ﹏ꏿ;)。地球は監獄惑星であり、牢名主が支配する世界だと、何度も言って来ました。「霊性」の点から見ると、価値観がひっくり返っているのです。その監獄の中で、いろんな「霊性」の段階にある「魂」が蠢いているところを見てください。
世の中には、他者を差別したり、傷つけたり、殺したり、暴力をもって従えさせたり、幼児を思いのままにすることが、何より「楽しく」て「愉快」という人たちが結構います。ネオナチとかヤンキー的な気分の人たちです。こうした「魂」は、地上でまだほんのヨチヨチ歩きを始めたに過ぎません。自己のアイデンティティを「分離」方向に見い出そうとして四苦八苦している段階です。そのため、他者を貶めることによって得られる相対的な優越感が自分にもたらされることを必要としているのです。
それよりは、多少とも知性の働く「魂」がいます。こういう人は、自分で暴力を振るうようなことはしません。ヤンキー的な人たちを利用するのです。彼らの暴力的な衝動を利用して、その上に君臨し、支配的な勢力権を確立しようと図るのです。ヤンキー的な人たちは、まだ暴力でしか自己表現ができず、知力で自分をコントロールする術を知りません。そこで、自分を導いてくれる親分肌の人を求めます。こうして両者の利害が一致するのです。
ヤンキー的な人たちにとっては、親分が語る思想信条の中身などはどうでもよいのです。そこまで考える頭脳もありません。ただ自分の衝動を導いてくれる人に盲目的に従っていくというだけです。およそ「カルト」的なものは全部このようにして成り立っています。これは、社会的観点からすると、非常に危険な集団に発展する可能性があります。ですが、自分で考えることを拒絶した人間たちの集まりですので、この信念を変えさせることはとても難しいのです。
そして、その上にはさらに知力に長けた狡猾な人物が君臨します。この人間にとっては配下の集団は単なる駒です。自分のビジョンに従って駒を好きなように動かしたり入れ替えたりするだけで、彼らの生き死になどは別にどうでもよいのです。この駒を操るのには「お金」と「秘め事」を使います。傘下の親分にとっては思想信条などは単なる肩書きに過ぎません。「お金」さえ貰えばどんな思想信条の服でも着てしまいます。加えて「秘密」を握られてしまうので、逆らうことも出来ません。
ここに、コロナ・パンデミックとか、温室効果ガスとか、EVとか、BLMとか、捕鯨とか、ポリコレとか、‥‥etc.、社会的正義の流行をそのつど作り出しては嵌め込んでいくのです。この全体を、「神」の否定と、人類の恒久的支配に情熱を燃やす、ごく一握りの狂人たちが操っている。ちなみに、いま言ったグループは、表→裏→影→闇の階層を構成しています。そして、善人たちもみなその構造の中に巻き込まれてしまっているのです。
なぜそんなことが可能に? 人々に、直観と、賢さと、霊界に関する基本的な知識が、欠けていたからです。
このようにして、何層にも渡って悪の支配構造というものが作られているのですが、宇宙的に観れば、今のこの状況は、地球人の霊的な学習段階が、現在どの程度にあるのかということの「現実」を映し出しているということになるのです。それがアーサー・C・クラークが言った「幼年期」ということです。つまり、地球に集まっている「魂」は、総体として見た場合に、まだまだ未熟な幼児の段階にある者が多いということです。
ですから、そのことをよく理解して、私たちは、悪人たちに対しても慈愛の眼をもって見ていかなければなりません。宇宙的観点からすれば、まだ未熟なヨチヨチ歩きの段階にある「魂」が、この地球に大挙集合してきている、ということに過ぎないのですから。
あなたがもしも親だとしたら、あるいは保母さん保父さんだとしたら、ヨチヨチ歩きがしたイタズラにどう対処するでしょうか? 「罪」には「罰」で報いるのでしょうか? 「悪」は「正義」によって駆逐するのでしょうか? ここで、自分が為したことは自分に還る、という宇宙の基本原則を思い出してみてください。
いま言ったことは、現段階ではとうてい納得し難いものだとは思います。が、怒りや、恨みや、憎しみを抱えたところで、自分自身の「魂」をさらに傷つけることにしかなりません。また、それで霊界への旅立ちを豊かにすることもありません。
この世での出来事は、みなスクリーンに投影した映画なのであって、一人ひとりがその主人公として自分の映画を体験しているだけ、という話を胸にしっかりと刻んでください。そこでは、成功とか失敗ということよりも、その体験を通じて何を学びとったかが最も大事であるということも。
そうはとても思えない? ええ、解りますよ。でも、そうなんですもの。
たとえ人数は少なくても、みなさんには次のステージへと進んでいただきたいのです。霊界の知識、宇宙の法則をきちんと学べば、「神の恩寵」の本当の意味も、やがては実感をもって解るようになることでしょう。