米国のシリコンバレー銀行が破綻しました。次いでシグネチャー銀行も。クレディ・スイスもどうも危ないようですしね。これからバタンバタンと破綻する。いよいよ金融の大崩壊が始まりました。
いやぁ、ここまでが長かった。「バルブの崩壊」が言われてから、もう20年以上も経過している。よくぞここまで持ったというべきか、いや持たせたと言うべきなのか。しかし延命は、モルヒネを打ち続けて来た結果ですから、その副作用は、きっと「異次元」の規模でやって来るのでしょうね。
でも思い出してみてください。安倍と日銀黒田がやった「異次元の金融緩和」という狂気。500兆円もの金を新たに刷って、国際金融資本の延命のためにそれを使った。そのお金は、庶民のところには廻らなかった。
国会、政府、マスコミ、御用学者、そして安倍シンパたちは、誰もその愚行を止めようとしなかったじゃありませんか。ウソの「愛国主義」の宣伝(実はバックに統一教会)と、利権の分配に群がった連中が、一緒になってワッショイ、ワッショイ、安倍神輿を担ぎ続けて来た。
そして、ツケを払わされるのはいつだって庶民なのです。でも今回は、戦争に突入することなくどうやら決着しそうであるのを、それでも良しとしなければなりませんね。残念ながら、もう一つの「染争」のほうの犠牲者は、これからも増え続けてしまうのでしょうが‥‥。しかしこれで、庶民も少しは目が覚めたと思うのです。アホな権力者たちに対抗していくためには、一般庶民がもっともっと賢くなる以外に、方法はありません。
さてこれで、コロナの闇が暴かれ、ウクライナの敗戦も決定的となり、金融詐欺システムの崩壊も始まって、ホップ、ステップ、ジャンプで、DSの悪だくみが奈落の底に消えようとしています。政治や経済に無関心で、何も知らないで来た人にとっては、きっとびっくりするような衝撃の連続に映ることでしょうね。トランプさんが「私はディープステートを完全に抹殺する」と宣言しました。ということは、裏ではもう方が付いたということです。
今度のシリコンバレー銀行の倒産で、「ESG投資」なる言葉があるのを知りました。ESGとは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の3つの頭文字を取った言葉だそうです。要は、投資先の企業が適格かどうかを判断する際には、その企業がESGへの取り組みをどれほどしているかを見ようということです。なぜなら、この3つのキーワードが今後のトレンドなのだから、そこに投資すればリターンも大きいという理屈です。
まさしく、金融詐欺の最たるものです。シリコンバレー銀行の顧客には、このESG関連のベンチャー企業が多かったというのです。なんてったってシリコンバレーですからね。ところが、それが飛んだ。これは単に一つの銀行が破綻したというだけではなく、「SDGs」のインチキもこれで飛んだということになっていくでしょう。ESGが企業評価の今後の基準になるというから、トヨタだってなんだって電気にシフトしなくちゃとやっていたわけで‥‥。でも、それが真っ先に破綻してしまったのです。
「環境を守るために」はウソだった。「ワクチンで感染予防、重症化を防ぐ」もウソだった。「ロシアの侵略。ウクライナ勝利」もウソだった。何から何まで全部がウソでした。政府も、製薬会社も、WHOも、マスコミも、専門家も、みんなウソをついた。日本の国会議員などは、マスコミが流しているフェイク・ニュースを見て世界情勢を語っているのですから、もうどうしようもありません。日本国民など、漂流する筏に乗せられているようなものです。
結局、こうした根本にあるものは、みんな「信仰」だと思うのです。全部を、それが「善いこと」だと信じ込んで、上から下までが一斉に降ってくるキーワードにひれ伏している。反論は絶対に許さないぞと。これに逆らう奴は変なやつなんだと。「善いこと」を否定しているのはデマ情報だから、厳しく検閲して、ファクト・チェックをして、断罪してやるんだと。人々には、「善いこと」だけを知らせれていればいいんだと。
その「信仰」が「虚構」だったと気づく時が、いま津波のように一斉に押し寄せて来ていると思うのです。チャンネルつばさの黒川敦彦さんが、某宗教団体を追い詰めていて、その本部前で「イタコ芸」を披露するというイベント?をやっているのですが、その間、教団女性が発し続けている叫び声の凄まじいこと、凄まじいこと。そうか、最後はみんなこうなっちゃうのかと、興味深く拝聴しました。
普通だったら、あんな絶叫のようなことはしないと思うのです。ましてや「宗教」と言っているわけですから、なんらかの理想を掲げ、行動にも節度を保った態度を示すだろうと思うのです。ところが、つい一週間ほど前に教祖が死んで支柱を失ったという動揺もあるでしょうが、半狂乱になってまで「わが教団」を必死に擁護しようとしているのです。それだけ心の内は苦しいのでしょう。ここに「信仰」というものが持つ大きな問題があります。
彼女が必死に守ろうとしているものは、一見「教団」のように思えますが、そうではありません。「自我」を守ろうとしているのです。「教団」を信じ切っているという現在の「自我」です。ですから、「教団」が万一瓦解してしまいますと、そのブリッジが切れて、今の「自我」を支えているものが失くなってしまうのです。これは、その本人からしてみたら非常に恐ろしいことです。ですから、必死になって防御しようとする。崩壊を止めようとする。
これは、高市早苗さんだってNHKだって同じで、最後はもうトチ狂ったのか、というところまで行ってしまう。自分の誤りや失敗や不誠実さを素直に認められないのです。もしもそれを認めてしまったら、「敵の軍門に下ってしまう」という感じで、自我が崩壊してしまうと思い込んでいるのです。これが、一度ハマってしまうと抜けられない「信仰」というものの恐ろしさです。
「信仰」とは、裏を返せば「依存」で、自力で生きる力を根っこから奪ってしまうのです。お父さんを巻き込んだ苦闘の末に統一教会を脱会した飯星景子さんは、なぜ入信していたかの答えとして「自分で考えなくていいから楽だった」と語っているのです。私が「巣魔捕は人類最悪の発明品」というわけは、この道具は、自分で自分を支配することを学習する以前に、他から支配されることを先に学んでこれを習慣づけてしまうためです。
しりあがり寿さんのマンガ『弥次さん喜多さん』の中に、こんなシーンがありました。二人が街道を歩いていると、突如、道の真ん中に一本の丸太ん棒がクイッと立っているのに出喰わすのです。それを見て二人はギョッとします。一体あれは何だと。何でこんなところに杭が突っ立っているのかと。これはどういう意味なのかと。二人は恐れおののきます。で、どうしたか。杭の両脇は空いていますから、ただそこを通ればいいだけのものを、なんと杭を相手に戦いを挑み始めるのです。
「信仰」なんて、そんなものだということです。自分が創り出している「虚構」にみな必死でしがみつき、恐れたり、戦ったりしている。ああそうか、自分が今まで信じて来たものは、みんな「虚構」だったんだとハタと気づけば、いま世界で起きていることの背景理由もよく解るし、いろんな人間たちがいるということも許せるのです。
実に、このことに気づけるかどうかは、非常に大事なポイントです。
崩壊は、何も、コロナ、ウクライナ、金融の三つだけに留まるものではありません。金融はあらゆるものの基盤に位置していますから、これから連鎖的に次々とこれまでの秩序(だと思っていたもの)が壊れていきます。早いところでは医療、企業、次いで学校、軍隊、政府、自治体、宗教などにも崩壊の余波が広がっていくでしょう。しかし、これまで言ってきたように、これをチャンスだと捉えてください。
今までのヒドい仕組みが、まるで津波が来たように一掃されて更地になるのです。そしてそこから、理想世界の実現に向けての建設が始まります。それは理想を持つものにとっては、喜びの時代の到来です。ですが、あくまで「虚構」にしがみつこうとしている人にとっては、大変な苦悩に苛まれることになっていくでしょう。その意味で、高市早苗さんは後者の見本をいま示してくださっているのです。憐れ、安倍の最後を見てもまだ気づかないのです。
賢明なあなたには、彼女にだって直ちに救われる道のあることがお解りでしょう。そうです。「ゴメンナサイ。私はウソをついていました。また、自分の身を守ろうとして他の人を傷つけてしまいました」と言えば、それで済むことです。でもそれが、はたして出来るかな? 強情な人の謝り方というのもはいつも決まっています。「誤解を与えてしまったことについてはお詫びする」(悪いのは「誤解」であって、私じゃないも〜ん)
今の時代は、disるということをごく軽いノリで、みな平気でやっていますよね。私は「disる」という言葉があることも、その意味も、最近になるまで知りませんでした。ネットの匿名性とお手軽さとが、こういう風潮を一気に広めてしまったのですね。でも‥‥これは止めたほうが賢明です。前回、他者に与えている「波動」の影響のことをお話ししましたが、それ以前に、自分に対しても大変な悪影響を与えているのですからね。
なぜって、考えてごらんなさい。他者をdisる前には、自分の中に先ず「disる心」を立ち上げなくてはならないじゃありませんか。それって誰のものですか? その人のものですよ。どうして、自分で自分の心の中を、わざわざ不快なイメージで満たそうとするのですか? それが「楽しい」と思う心境が解らないです。いや、たぶん「楽しく」はないのでしょう。でも、そうしたいという衝動が先に走ってしまうのでしょうネ。
しかし、もう本当に止めにしないと、この先は非常に厳しいことになります。いつもdisってばかりいる人間を誰が信用してくれますか? disり仲間同士では通用するかも知れないけれど、心は荒れる一方だよ。そして、最後は自滅することになります。
もう時代はすっかり変わったんですよ。価値観のちゃぶ台返しが起きたんだ。そのことを認識しないとね。これからは精神性だよ。物性(お金)優先の時代はこれにて終了だ。
あなたが創る現実は、あなたの行動の結果。あなたの行動はあなたの思いの結果。あなたの思いはあなたの今現在の霊性の顕れだ。一人ひとりの、その集合体が、今の社会を創っているのだよ。
だから、いくら仕組みをいじっても、社会体制が変わっても、それだけでは理想社会は創れない。先ず、人間の「心」が変わらなければネ。そして「心」が変わるためには、人類の「霊性」が向上していかなくちゃならないのだよ。そのタイミングがいよいよ来たということなのだ。あなたにはその先導役として、今まで以上に誠実に、素直に、優しく、朗らかに、そして元気に生きていってもらいたい。
さて、人によっては、仕事が思うに任せないという時代がしばらく続きます。でも、辛抱、辛抱。
枠組みから考えたら辛くなってしまうよ。職種とか、勤務地とか、給与とか、資格とか。そうじゃなくて、自分の興味、創造力、社会貢献力を活かせるものは何かと考えるんだ。それを積み重ねていけるものは何だろうかと考えるんだよ。
そして、そのプランに向けて今すぐに動き出せ。大切なものは精神性。それを日々向上させていくことが、自分の一生の仕事であると考えるんだ。それを継続していく中で、生計も立てられればなお良い、くらいに考えておくこと。そうでないと、社会の激変、身の周りの激変に意気消沈してしまって、適応できなくなってしまうからね。
未来は明るい。世界は、必ずもっと良くなる。今はまだ、望むような仕事にすぐにはありつけないかも知れないけど、毎日の努力は決して無駄にはならないからね。見ている人は必ずいるよ。いつか花開く時が来るから、それまでは腐ることのないようにね。毎日を、誠実に、素直に、優しく、朗らかに、そして元気に生きるんだよ。
辛抱する木(気)に花が咲く。